旧法との関係 四九条
趣旨
本条は、旧法の四九条第一項に規定する趣旨とほぼ同じような趣旨を規定したものであるが、旧法と異なる点も少なくない。まず、旧法においては審判において取り扱っていたものを特許庁長官の権限としたことである。旧法においては判断の内容が技術的な事項にわたるということから審判により行うものとしたのであるが、本条に関する判断のうちには対価についての判断も含まれており、しかも実際の経済社会においてはこの対価の問題がきわめて重要なものであるので、現行法においては特許庁長官の権限とし、実体的判断とともに対価についても工業所有権審議会の意見を聞くこととした。次に特許権発生の日から三年を経過するまでは請求することができないという制限を除いた。すなわち、特許権の設定の登録があった後はいつでも請求することができる。次に不実施による強制実施の場合と同様、まず特許権者又は専用実施権者と協議をし、協議が整わなかったときに特許庁長官に対し通常実施権の設定についての裁定を請求することができるものとした。これは、なるべく当事者間の話し合いで解決しようとするものである。次に、実施権を設定される相手側からの請求についての規定を廃止したが、これは後述のように昭和五〇年の一部改正により請求ができるようになった。
先願特許発明を利用する後願特許発明がある場合には、後願特許権者(以下「乙」とする)は先願特許権者(以下「甲」とする)の実施許諾を受けなければ自己の特許発明が実施できないこととなっているが、他方で甲の特許が得られないために後願特許発明が実施されずに埋もれてしまうことを防ぐため、実施権許諾についての両者の協議が整わないときは、本条の規定により乙は特許庁長官に対し、甲の特許権について通常実施権を設定すべき旨の裁定を請求することができる。昭和三四年法の制定時には、乙が裁定を請求をする場合のみを認めていたのであるが、昭和五〇年の一部改正により、乙が裁定を請求した場合に甲が乙の発明を実施したいときは、逆に甲は、それから一定期間内に特許庁長官に対し、乙の発明を実施するための通常実施権を設定すべき旨の裁定を請求することができるように改められた。これは、物質特許制度の採用を契機として裁定制度の円滑な運用を図ることが望まれていたことに応えるものであり、先願特許権者等と後願特許権者等の利害の調整を図ること、裁定がその調整の上で順調にできるようにすること、発明が相互に有効に利用されること等をねらいとするものである。
一項は、乙が甲に対して協議をするための要件について規定する。その要件は「その特許発明がその特許出願の日前の出願に係る他人の特許発明、登録実用新案若しくは登録意匠若しくはこれに類似する意匠を利用するものであるとき、又はその特許権がその特許出願の日前の出願に係る他人の意匠権と抵触するとき」(七二条)である。
二項は、一項の協議が求められた場合に、甲が乙に対して、乙の実施しようとしている特許発明の範囲内において通常実施権の許諾につき協議を求めることができる旨を定めている。
三項は、不実施による強制実施の場合と同じく、乙は協議が整わない場合においてのみ特許庁長官に裁定を請求することができる旨を定めている。
四項は、甲が裁定を請求する場合について定めており、二項の協議が整わない場合でなければならず、また、その請求をすることができる期間は、三項の裁定に関して答弁書を提出する期間内に限られる。
五項は、昭和五〇年の一部改正前の三項に相当する規定である。
改正前の三項は、乙の特許発明が七二条に規定する場合に該当していても通常実施権の設定が不当に他の特許権者、実用新案権者、意匠権者の利害を害することになるときは、通常実施権を設定すべき旨の裁定をすることができない旨を定めたものである。たとえば、きわめてすぐれた基本発明に意匠を施した意匠権者がその意匠を実施するためと称してその基本発明の特許権者に対して、本条の規定による請求をした場合が考えられる。この規定は、政府提案の原案にはなく参議院の修正によって加えられたものであるが、原案においても上記のような場合は特許庁長官の裁量により請求を棄却すべきものと考えていたものであり、修正はそれを明確にしたものということができる。
昭和五〇年の一部改正で、乙が裁定の請求をした場合には、逆に、甲も裁定の請求ができることとなったが、後者の裁定においても乙の利益を不当に害することとなるときは、通常実施権を設定すべき旨の裁定をすることができないこととされた。
六項は、甲の裁定の請求について通常実施権を設定すべき旨の裁定をすることができない場合を定めており、五項で規定する場合のほか、乙の裁定の請求について通常実施権を設定すべき旨の裁定をしない場合には、通常実施権を設定すべき旨の裁定をすることができないこととなる。
七項は三項又は四項の規定により裁定の請求があった場合の手続について、不実施の場合の強制実施に関する規定を準用したものである。この準用の結果、特許庁長官は、通常実施権を設定すべき旨の裁定をした後に、裁定の理由の消滅その他の事由により当該裁定を維持することが適当でなくなったとき、又は通常実施権を設定すべき旨の裁定をうけた者が適当にその特許発明の実施をしないときは、利害関係人の請求により又は職権で裁定を取り消すことができる。この点は旧法と異なる。なお、本条の規定による裁定で定められた額について不服があるときは一八三条一項の規定により、その額の増減を求める訴えを提起することができるのは、不実施による強制実施の場合と同じである。
[字句の解釈]
<……実施をしようとする特許発明の範囲内>乙の発明が複数あるときに乙がその発明を実施するために甲から実施許諾を得る必要のあるその乙の特許発明に限られるというだけでなく、その乙の特許発明が多様な内容を有しており、その請求項の一のみを乙が実施するということで甲の許諾を得ようとする場合には当該請求項の範囲内で協議を求めることができることになる。
[参考]
<商標権についての通常使用権の設定の裁定を認めない理由>平成八年の一部改正で、
商標法において立体商標制度が導入されたことに伴い、
特許法七二条に、商標権が特許権との抵触関係の調整対象となる旨が規定されたが、本条において、商標権についての通常実施権の設定の裁定について規定されていないのは、商標に関しては、出所の混同の防止という観点から、商標権者の意思によらず通常実施権を設定するという裁定精度は採用し得ないことによるものである。ちなみに、TRIPS協定においても、商標の強制使用許諾は認められないとしている。(二一条)。(青本第17版)