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「下手な茶番は飽きたんだよ、ググ」
リゲルは静かに微笑み、そう言った。
ググはただ目を見開いている。そんなググを眺め、リゲルは言葉を続けた。
「ボクがプロキオンに言った事、もう忘れちゃったのかな?」
その言葉に、ググはリゲルがプロキオンに言った「そういう考えの奴には鼻が効くんだ」という言葉を思い出した。
そして悟る。先程、テスタメントと激しい戦闘を繰り広げている最中にも関わらず、リゲルが自分を見たと直感的に思ったのは、気のせいではなかったのだと。
愕然としたググの表情を眺めながら、リゲルは尚も言葉を続ける。
「それと、一つ聞きたいな、ググ」
一拍の間を置き、リゲルはググの眼を見据え、言った。
「君は自らの同僚を撃ってヘブンを裏切り、そして今しがた主を見殺しにして古き神々を裏切った。そんな君を、ボクが本気で信用すると思っていたの?」
ググは、ここに来て自分が完全にミスを犯したのを悟った。
そして、リゲルが予想以上に自分を分析していた事に恐怖さえ覚え、やがてググは、自分の死を確信した。

リゲルは、絶句するググを見つめた。
今まで、利用価値があったからここまで連れてきた。
だが彼はテスタメントとの戦闘で思い出してしまったのだ。3千年前の出来事を。
幾ら利用価値があろうと、裏切る可能性の高い者を、長く手元に置いておくのは危険だ。特に今は、何が起こるか分からないのだから。
そしてリゲルは知りたかった。ここまで裏切りを重ねて、ググは何を求めていたのだろうと。だから挑発や嘲りの意味などなく、敢えて先程の疑問を口にしたのだった。
だが言葉が過ぎた様だ。もう数十秒間、ググは俯いたまま何も喋らない。
もう終わりにしようか。リゲルがそう考え始めた時、俯いていたググが口を開いた。
「何が…悪い…」
「…何だって?」
問い返したリゲル。その瞬間、ググは顔を上げ、声を張り上げた。
「何が悪い!!」
そしてググは、矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
「私は、組織よりも自分の命を優先しただけの事だ!それの何が悪い!自分の命を優先する事の、何が悪い!!?」
一瞬の間を置いて、リゲルは口を開いた。
「…じゃあ、君が裏切りを重ねたのは、ただ生きたいが為だったと…?」
その言葉に、ググは怒りから僅かに哀願を浮かべるような表情に変わると、頷いた。
ググの言葉は、彼女の予想していたよりも遥かに大きく、リゲルに衝撃を与えていた。

リゲルはしばらく無言で穴が開いたようにググを見つめていたが、やがて――笑い出した。

「フフ、フフフ…ハーッハッハッハッハッハハハハハハハハ!!!」
突然笑い出したリゲルに、ググは呆然としている。
だがやがてリゲルは、笑いを堪えながら言った。
「いやぁ、ごめんごめん。予想してたのと全く違ったからさ」
そう言うと、リゲルは急にピタリと笑いを止めた。
「(……!!?)」
直後にリゲルが起こした行動に、ググの背筋が凍り、先程よりも明確に死を意識せざるを得なくなった。

リゲルは、無表情で右手の人差し指をググの額に指したのだ。

そして、彼は言った。
「君の理由を知れて良かったよ。だからチャンスをあげよう。これからボクが5秒数える間に、ボクの視界から消えてくれたら、殺さないであげる」
ググは、リゲルが今言った事の意味が理解できなかった。当然だ。そう言われる直前に、死を確信していたのだから。
リゲルの言葉がググの脳に浸透する前に、彼は口を開く。
「1」
数字の1。ググの脳がリゲルが先程言った言葉を理解し切ったのは、その瞬間だった。
「っ…!!!」
逃げなければならない。ググはそう悟り、後ずさる。だが、凄まじい恐怖から、視線をリゲルから離せない。
「2」
リゲルがそう言った瞬間、彼が本気なのを確信した彼女はようやく彼から視線を引き剥がし、ドームから廊下へと足を向かわせる。
廊下の先、間に合うかどうか微妙な距離に、扉があった。それが視界に入った瞬間、ググは一目散にそちらへ走った。
リーバードに変形する時間など無い。おそらく別の礼拝堂へ繋がっているだろうその扉へ、彼女は懸命に走る。
「3」
カウントは既に半分を過ぎていた。まだ扉まで距離がある。
片腕を失った事でうまくバランスが取れず、時折よろけそうになりながらも、ググは懸命に走った。
「4」
もう猶予は無い。扉にはまだ残った手も届かない。その距離は、絶望的だった。
間に合わない。そう確信し、彼女は目を見開いた。だがそれでも彼女の足は、懸命に扉へと向かって走る。
「5」
リゲルがそう言うと同時に、ググは残った手で扉のノブを掴んだ。しかし今その瞬間、彼女は死を心の隅で覚悟した。
だがその確信とは裏腹に、その手はノブを回し、開いた扉の奥に、彼女は自分の身体を押し込んだ。

一瞬後、別の部屋の中に入った彼女は、そこでようやく自分が生きている事に気が付いた。


「(何故だ…何故こんな事に…!)」
安堵できたのはその瞬間だけであり、ググの背筋には悪寒がまだ走っている。リゲルならば、どんなに壁を隔てても自分を殺す事が可能だと、先程のテスタメントとの戦闘で証明されてしまったからだ。
視線の先には、別の扉があった。
ググは一目散に走り出す。どこをどう走っているのか把握する余裕も無いほどに。
今の彼女には、リゲルから少しでも遠ざかる事しか頭に無かった。
「(私は、私は!!ただ生きたいからこうしていただけだ…!!)」
その脳裏に、これまでの彼女の記憶が走馬灯の様に思い浮かぶ。最初に浮かんだのは、ヘブンとマザーに仕える自分の姿だった。
「(あのままヘブンに、マザーに仕えた所で、いずれ自分には、戦死かイレギュラーとして処分されるかの二つの道しかなかった…!!)」
次に、リゲルに腕を斬られるプロキオンの姿が思い浮かぶ。
「(プロキオンを裏切ってリゲルに付いたのも、そうしなければいずれリゲルに殺されるだろう事が目に見えていたからだ…なのに、あと少しで、私はリゲルに殺される所だった…!)」
リゲルに斬られた腕から痛みが走り、ググは腕の傷口を押さえた。
「(一体、私はどうすれば良かったんだ…!!?)」
その脳裏に、不意にゼゼの顔が思い浮かんだ。ヘブンにいた頃、自分を慕ってくれた、唯一自分と同類である高位のリーバードであった彼女の顔が。
その時、不意に視界の中央に、人影が現れた。


リゲルは、5と数えた一瞬後に視界から消えて行ったググを見送った。殺す事は容易だったが、彼はあえてググを殺さずに見送った。
彼の人生ではいつも、裏切りという行為は特別な理由から行われるものだった。
ヘブンも。プロキオンも。彼を裏切った者達全てが。
だが、ググは違った。ただ『生き延びる』という為だけに、ヘブンも古き神々をも、彼女は裏切ってきたのだ。
そして、その為にいずれリゲルをも裏切るであろう事は目に見えていた。
その事実が、彼には新鮮だった。
勿論、ただ『生き残る』ためだけに味方を裏切るという行為を、3千年生きてきた彼が見てこなかった筈は無い。
ただ、ググは幾ら理性と感情を備えているといっても、リーバードだったのだ。リーバードがこのような行動原理を持った事に、彼は一種の感動すら覚えていた。
リゲルは、ポツリと呟いた。
「ググ…君を祝福するよ」
視界の先にある、廊下の一角にあるググが消えていった扉を眺める。
「この戦いに関わった者の中で…間違いなく、最も人間らしかったのは君だ」
今頃、ググはどこまで逃げたのか。リゲルはそれを考え、微笑んだ。
「結局、残ったのはボク一人か」


リゲルが立っているドームの中央。そこへと続く廊下は、3方向あった。
そのうち一方、リゲルから見て右手の廊下の先は、先程の彼とテスタメントとの戦闘で崩壊し、完全に通行できなくなっている。
もう一方、リゲルから見て中央の廊下から、扉を経て別の部屋へとググは逃げていった。
そして最後の一方、リゲルから見て左手の廊下。今そこから、大量の兵士達がやってくるのが彼には見えた。
「…そろそろ来る頃だと思ってたよ」
兵士達の視線は、指揮官であるリゲルには向いていない。むしろ、彼らが集合している中心に向かって、全員が銃を向けていた。
その兵士達の集団は徐々にリゲルのいるドームへと移動し、やがてリゲルに気づいた兵士達が道を開け、ようやく兵士達の中心――彼らが警戒していた存在が、リゲルの前に姿を見せた。
血塗れのシリウスが。
「リゲル、お前を殺しに来た」
「もう逃げたかと思ってたよ、シリウス」
シリウスは狂気的な笑みを浮かべ、リゲルは余裕を持った微笑を浮かべた。


「お前は…!!」
リゲルから逃げ延びたググは、目の前にいる人物を見つめた。
その部屋は薄暗かったが、装備はよく見えた。紺色のアーマーとヘルメット。腰には刀。
その姿にググは見覚えがあった。
「ロックマン・ミラージュ…!!」
ロックマン・ミラージュ。ググの認識からすれば、今のような状況になる前までは重要な敵であったが、今の彼女にとっては注意・警戒すべき存在ではあるものの、ただそれだけの存在だった。
そのロックマン・ミラージュは動かない。その視線がググに向けられているのかどうかさえ、ヘルメットに付いたバイザーの所為で分からなかった。
「私を…殺しに来たか!?」
背筋には、消えかかっていた筈の――リゲルに殺されかかった時と同じ、悪寒が甦っている。
ロックマン・ミラージュはリゲルとは違う。3千年前の粛清官とは違い、自分でも対処できる、常識的な実力しか持たぬ相手の筈だ。そう考え、ググは冷静になろうと努めた。
ググの問いに、ミラージュは答えない。その反応の無さが、今のググに若干の焦りを齎す。
「ゼゼの仇討ちに来たか!?」
その一言が引き金になったのか、ミラージュが動きを見せた。
その瞬間、ググは思い出した。ロックマン・ミラージュはまだ、ゼゼの末路を知らなかったのだという事に。

ゆっくり、ロックマン・ミラージュの右手が刀の柄へと伸びていく。

たったそれだけの動作が、ググから冷静さを完全に奪っていた。
リゲルから逃げ、ようやく浮かびかけていた安堵。それを奪い取られたググは、遂に怒りを覚えると、絶叫しながらリーバード体へと変形を始めた。
「もう沢山だ!!私は必ず生き延び…」

最後まで言い終える事が、できなかった。


「全員手を出すな。彼の相手はボクがする」
シリウスの周囲を取り囲んでいた兵士達に、リゲルはそう告げた。
周囲の兵士が僅かに輪を広げたのを見ると、シリウスはドームに入り、リゲルを見据える。
兵士達は徐々にドームの左右の壁際に移動し、中央を囲んでいった。そんな兵士達を横目で眺めつつ、リゲルは言った。
「それで、何だったっけ…」
そんなリゲルに、シリウスは二の句を告がせない。即座に剣を振りかぶると、一足飛びでリゲルに斬りかかった。
そのシリウスの剣を、リゲルは腕のアーマーで受け止める。
「素手で戦うつもりか!?」
一撃を受け止められながらも、犬歯を剥き出しにしたシリウスが唸るように言う。
リゲルは、僅かに微笑を浮かべた。
「…いいや?」
次の瞬間、リゲルは腕を振ってシリウスを弾き飛ばすと、左手の5本の指先にビームサーベルを発生させ、シリウスに跳びかかる。
5本の斬撃。着地して体勢を立て直す最中だったシリウスは、しかし即座に剣で防御してみせた。
「へぇ、マントだけでなく、その剣もビームコーティングされているんだね」
「はぁっ!!」
リゲルの呟きなど意に介さず、シリウスは勢いよく剣を上方向へ振り上げる。
衝撃で、リゲルの左腕が後ろへ弾かれた。シリウスは即座に、上方向へ振り上げた剣をリゲルに向かって全力で振り下ろした。

が、剣は途中で止められた。

指先から発生させていたものより、幅の広く、長く射出されたビームサーベル。
それが、リゲルの右腕の手首から、手の甲を覆うように発生し、それがシリウスの剣を受け止めていた。
「やはりビームサーベルを内臓しているのは左腕だけではなかったか…!!」
そう言うと、即座に床を蹴って後ろへ退くシリウス。リゲルは微笑を浮かべたままそれを見送ると、言った。
「ああ。全身にアーマーだけでなく、武器も内蔵してる。それが3千年前の粛清官だよ」
シリウスは忌々しそうな表情で、再び剣を構える。その姿を眺めつつ、リゲルは左手と右腕から射出していたビームサーベルを消失させた。
そのリゲルの動作に、シリウスが顔をしかめる。
「…何のつもりだ」
「本当はこんな武器など使わなくとも、君を倒す事なんて造作も無いんだ。先程テスタメントが、それを思い出させてくれたよ」
リゲルは天井を見上げながら、言った。
「どうやらボクは、いつのまにか3千年前の事を大分忘れていたらしい」
「それが、どうした!!」
再びシリウスは斬りかかって行った。
リゲルは天井を眺めたまま、明らかに無防備だ。シリウスはそれがリゲルの挑発だと十分に理解している。だが彼は、もうリゲルと悠長に話す気など無かった。
そしてリゲルを間合いに収めた途端、シリウスは剣を横に薙ぎ払った。
「がはっ!!?」

その瞬間、リゲルの膝蹴りがシリウスの腹に諸に突き刺さっていた。

シリウスが剣を薙ぎ払った時、リゲルはその場から一歩も動かなかった。
だが、シリウスの剣は素通りし、リゲルが繰り出した膝蹴りを、彼は完全に捉えられなかった。
「ぐっ…な、に…!?」
アーマー越しに受けたとは思えないほどの痛みに、シリウスは数歩後ずさる。相変わらず、リゲルは涼しい顔をしていた。
「ボクの言った事、聞いてなかったみたいだね。武器など使わずとも、君を倒す事なんて造作も無い」
そう言うと、リゲルは足を踏み出した。シリウスは今度は見逃がすまいと、目を凝らして剣を構える。
リゲルがゆっくり歩き出し、そのままシリウスの間合いへと入ってきた。
「はぁっ!!」
再び剣を振るシリウス。だが今度は、リゲルは完全に彼の視界から消え失せていた。
「ここだよ」
次の瞬間、『背後にいた』リゲルが、シリウスの背中を蹴り飛ばす。
ライフルを構えたまま無言で見守る兵士達の近くまで吹き飛ばされたシリウスは、焦りを覚えながらも起き上がった。
「(一体なんだ、この能力は!?亜空間にワープでもしているというのか…!!?)」
リゲルは相変わらず笑みを浮かべ、ゆっくりシリウスの方へと歩いてくる。ここでようやく、シリウスの心に恐怖というものが込み上げてきた。
「ワープなんてしてないよ。事実は単純だ。ボクは君が知覚できないほど速く動ける。それだけなんだよ」
シリウスの思考を読んだかの様に、微笑みながらリゲルはそう語る。
「くっ…!!」
力の限り床を蹴り、シリウスは跳躍した。そして剣を構えると、床にいるリゲルを見る。

だが、そこにリゲルはいなかった。

「空中では逃げ場が無いよねぇ!」
その声は、彼の背後から聞こえていた。シリウスが反応する前に、その背に強烈な蹴りが入り、シリウスは叩き落される。
再び床に全身を打ちつけ、シリウスは起き上がりながら吐血した。
そんなシリウスを、着地したリゲルは見下ろした。
「理解できない、といった顔だね」
シリウスの耳にその声が聞こえた次の瞬間、剣を握っていた右手の手首を、リゲルが踏みしめる。
「ぐっ…ああぁ…!!」
骨が軋む。折られるのも時間の問題だ。

シリウスは、愕然としていた。
今自分に起きている事実が、目の前の男との実力の差が、まるで理解できない。
ロックマン・ミストを殺し、マザー・ディエスの戦闘端末すら斃したこの自分が、全く手も足も出ないのだ。
幾らプロキオンの言っていた事が事実であったとしても、元粛清官であるリゲルが生まれた時期と、自分が生まれた時期には2千年を優に超える開きがある。その2千年の間に向上したヘブンの技術力で造られた自分になら、たとえ3千年前にヘブンの切り札であったリゲルでも打倒できる可能性があると思ったのだ。
だが、その結果がこれだ。まともに闘って全く手も足も出ないどころか、相手の動きを眼で追う事すらできない。
このままでは腕を折られ、勝敗は完全に決するだろう。シリウスは必死で考えたが、この状況を打破する考えは全く思いつかなかった。

シリウスの手首が折られるかと思った次の瞬間、リゲルは足を離すと、今度は彼の腹を目掛けて蹴りを叩き込んだ。
吹き飛ばされたシリウスの身体が床でバウンドし、彼は再び床に叩きつけられる。
「がはぁ!!」
先程よりも大量に吐血し、それでも何とか立ち上がったシリウスは、リゲルを見つめて再び剣を構えた。
腕を折られることは無かったものの、シリウスは自分の負けを確信した。だがせめて一矢は報いてやる。そう覚悟し、彼はリゲルが自分に近づいてくるのを待つ。
だがリゲルは、シリウスに近づいては来なかった。


リゲルは必死に剣を構えるシリウスを眺め、そろそろ殺そうか、と考えていた。
再び右の手首からビームサーベルを発生させ、シリウスの首を飛ばそうと一歩踏み出す。
だがその前に、横から不意に現れた殺気に彼は足を止めざるを得なかった。
「…?」
横の、丁度ググが消えた方向の廊下。今は兵士達がドーム内を囲っている為、その廊下は見えないが、リゲルは確かに感じ取った。
「(…居るな)」
彼はその方向に居る兵士達へ向けて、無造作に片手を振る。
たちまち兵士達の波が割れ、その廊下が見えるようになった。リゲルは、そちらの方へ目を凝らす。

次の瞬間、何かがその廊下からリゲルの方へ飛んで来た。

丸いボールのようなそれを、彼は片手で叩き落した。叩き落した際に妙な感触を感じ、改めて床に叩き落としたモノを見て、彼は自然と口を開いた。
「…あれだけ生に執着してたのに、呆気無い最期だったね」

その、床に落ちたモノは――

「…ググ」

――ググの首だった。

その首は目を見開き、まだ自分が死んでいる事に気づいていないような、呆然とした表情を浮かべている。
そしてリゲルは、ググの首を投げた者へと視線を移す。
その男――ロックマン・ミラージュは、所々汚れたアーマーを纏い、いつものスカーフは付けていなかった。
その、ヘルメットに付いたバイザーの奥の眼は光が無く、ただリゲルへと注がれている。
「まだ生きてたんだ。けど、もう君に用は無いよ、ロックマン・ミラージュ」
リゲルの言葉を聞いているのかいないのか、ロックマン・ミラージュは左右の兵士達を無視し、彼の方へと幽鬼の様に歩みを進める。ミラージュがリゲルの至近距離まで近づいた時、リゲルは再び、笑みを浮かべた。
「やはり君は愚か者だ」

そう言った瞬間、リゲルは再び右腕のビームサーベルを起動し、先程シリウスを翻弄したのと同じスピードでミラージュへと斬りかかった。

次の瞬間には、リゲルはミラージュを挟んで反対側の床に着地していた。ミラージュのアーマーの肩部が切り裂かれ、その破片が飛ぶ。ミラージュはガクリと床に片膝をついた。
背後へ片目を向け、ミラージュの様子を確かめると、リゲルは立ち上がる。彼は笑みを浮かべたまま呟いた。
「所詮その程度…」
その時、リゲルは気付いた。ミラージュが右手に、鞘から抜かれた刀を持っていた事に。
自分が飛びかかる前には、刀は鞘に収まっていた筈だ。では、いつ――

リゲルの身体から血が噴水の様に飛んだのは、その時だった。

「…え?」
右肩から左腰。そこまでの軌跡が、リゲルが先程の交差の瞬間に斬撃を諸に受けた事を証明していた。
彼は信じられない表情で、その傷口に手を当て、血で汚れたその手を見る。
そして、彼は笑った。
「ハ、 ハハ、何だ、これ…」

そう言ったきり、リゲルは自身の血でできた血溜まりに倒れ伏した。

ロックマン・ミラージュはそこでようやく立ち上がり、振り返って倒れ伏すリゲルを見る。そのリゲルへと向かって一歩足を踏み出すが、不意に彼はシリウスへと視線を向けた。


シリウスは、それまでの人生で感じた事が無いほどの驚愕を味わっていた。
先程まで自分が手も足も出なかった相手を、目の前の男――ロックマン・ミラージュが、斬り捨てた。
その事実に、霞んでいた彼の視界は一瞬にしてクリアとなり、彼はその眼を見開いてミラージュを見つめる。
よく見れば、何もかも変わったように見える。
アーマーはボロボロで、黒いスカーフも無い。だがその感覚は研ぎ澄まされているように見え、その眼は――ただ、殺気と憎悪だけが篭っていた。

それを見たシリウス――ロックマン・ロードは、笑った。

「ハ、ハハ…フハハハハハハハハハハハハハハハ!!ハーッハッハッハッハッハッハ!!!」
無上の歓喜。目の前の事実にシリウスが味わった感情は、恐怖でもなく、絶望でもなく、それだった。
自分でも抑える事が難しいと感じるほどに、シリウスは笑い声を響かせ続け、その高笑いがドーム中に木霊する。
ドーム内を囲っていた兵士達は、主が斃れたというのに未だ沈黙したままドーム内にいる二人を包囲していた。
そして、シリウスは笑いが抑えられぬままロックマン・ミラージュを見つめ、言った。
「ようやく…ようやく『戻った』な!長かったぞ…ロックマン・ミラージュ!!」

「違うな」
ミラージュは、高笑いし続けるシリウスを見つめ、不意にそう言った。
放たれた言葉に、シリウスの笑いが断ち切られる。
やがて彼は、片手を被っていたヘルメットに添えると、一気にメットを脱ぎ捨て、静かに言った。
「ロックマン・ミラージュも、クロウ・エリュシオンも…もう死んだ」

かつてロックマン・ミラージュと名乗り、昨日までクロウ・エリュシオンと名乗っていた男の頭髪は、灰色がかった白色に染まっていた。

シリウスは、最後に会ったのが彼を刺し殺した時であった事を思い出し、ポツリと言った。
「それが…命の代償か」
ロックマン・ミラージュの視線に再び殺気が帯びるのを、シリウスは即座に感じ取る。
「…お前もすぐにこうなる」
刀を傍らにあるググの首へ向け、ミラージュはそう言った。
シリウスは剣を持ち上げ、ミラージュへと切っ先を向ける。ミラージュも緩慢な動作で、同じようにシリウスへと刀を向けた。
シリウスはミラージュの様子を眺めると、薄く笑う。リゲルとの闘いで受けたダメージを感じないほどに、今の彼は高揚していた。
「いいだろう。望む所だ…!!」

次の瞬間、両者は足を踏み出した。


最終更新:2012年11月04日 01:18