ある空間に、その男は倒れていた。
紺色のアーマーを着た青年。未だ意識を失っている彼の顔は目が落ち窪み、頬はこけ、疲労の色が滲んでいる。
本来彼は10代後半の筈だが、その疲労の色のせいか、20代後半位にさえ見えた。
その短髪が全て灰色がかった白色となっている事が、彼がここに来るまでにどれほどの精神的ダメージを受けたのかを物語っている。
「っ…!?」
意識が回復すると同時に、彼――クロウ・エリュシオンは飛び起きた。
起きると同時に、クロウは思考する。自分がいつのまに意識を失っていたのか、彼には分からなかった。
確か、地下でディメンジョン・ゲートと呼ばれる空間に足を踏み入れた筈だ。
記憶が確かな事を確認し、次にクロウは自分の状態を確認する。
アーマーや刀の他、装備は問題ない。無論、ヘルメットなどディメンジョン・ゲートに入る以前に失っていた装備は無かったが。
そこまで確認した後、やっとクロウは周囲に視線を走らせた。
奇妙な空間だった。
空には、ただ真っ暗な闇が続いている。
その代わり、床に幾何学模様が描かれ、これが水色に光り輝いており、これのお陰で装備の確認ができた。
幾何学模様はどこまでも続いている。それこそ、地平線が確認できるほどに。
明らかにヘブンではない。エデンでもない。
「(ここが…ディメンジョン・ゲートの内部…)」
クロウは立ち上がると、周囲を見回した。
そうして初めて、彼は視界の先に、その人物を初めて捉えた。
十数メートル先に、その人物は立っていた。
白衣。肩まで伸ばした金髪。
20代後半から30代前半位の、整った顔立ち。切れ長の目。白い肌。赤い瞳。
ノアだった。
いつもと違う点は、その片目がリーバードの瞳となっていた事だ。だが、その状態を見るのは初めてではないため、クロウは驚かなかった。
むしろ彼の注意を引いたのは、ノアの纏う白衣が、真っ赤な血に塗れていた事だ。
ノアは、クロウに気付いているのかいないのか、真顔で腕を組んだまま、視線を床に向けている。
クロウはそんなノアの様子を見つめ、ゆっくりと彼に向かって歩いて行った。
数メートルまで近くに来た所で、ようやくノアはクロウに視線を向けた。
視線を向けると同時に、彼はいつもの笑みを口元に浮かべる
「やぁ、ミラージュ君。少し見ない間に、随分と変わったじゃないか」
クロウは、返事を返さなかった。
どう考えてもおかしいからだ。ノアがここにいるという事実が。
そんなクロウを眺め、ノアは、言葉を続けた。
「ようこそ、ディメンジョン・ゲート――別名ヘブンズ・ゲートへ」
やはりクロウは言葉を返さない。一瞬の沈黙の後、更にノアは口を開く。
「出口は向こう。ここから歩き続けていれば、やがて出口が現れるだろう。現れればすぐに分かる。そして…その先に、古き神々の王がいる」
ノアは自分の背後を指差しながら、そう説明した。
「説明は以上だ。他に用はあるかね」
クロウは思考を巡らせる。ノアに、訊かなければならない事が一つあった。
その内容から、訊くという事自体に少し迷いができる。が、それは一瞬の事だった。
彼は目を細めると、口を開く。
「ゼゼは死んだのか」
それは、古き神々側に属していたリーバード・ググが最期に漏らした言葉から得た情報だった。
自分の知らないうちに、ノアとゼゼが古き神々に襲撃され、ゼゼが命を落とした。その事実が真実か否か、クロウは確認しておきたかった。
だが――
「フ、フフ…ハッハッハッハッハッハッハ!!」
急にノアが高笑いを始める。
それを、クロウは無言で、冷めた目で見つめていた。
腹を抱え、ノアは一頻り笑った後、呟く。
「第一声がそれとは、とんだ皮肉だな」
「…どういう意味だ」
クロウの問いに、ノアは溜め息をつくと、言った。
「君達はただの駒だ。どうなろうとも、駒は駒らしく、私の指示に従えばそれでいい。そういう事さ」
クロウはただ真っ直ぐノアを見つめると、答える。
「…そうだな。『駒になれ』というお前の誘いに、俺は乗った。その結果どんな事になろうと、選んだ俺の責任だ」
やがて、クロウは歩き出した。
ノアの脇を通り、その先へ。先程ノアが指し示した『出口』へと。
ノアは、そんなクロウを見送った。
「ところで…」
歩き続けるクロウの背に、ノアが声をかける。
「何故あのタイミングで、マザー・ディエスの正体が古き神々に知れたと思うね?」
ノアの言葉に、クロウの足が止まる。
彼は、目を見開いた。
マザー・ディエス。
ロックマン・テスタメントの主君であり、正体を隠して古き神々に所属していながら、彼らの企みを妨害していた、三千年前のマザーの一人。
彼女達の、古き神々の一人に対する暗殺の計画に、クロウも手を貸した。
だが、突然彼女の正体は古き神々側に看破され、ロックマン・ロードの手によって、彼女は殺された。
クロウの足が止まったのを見計らったかのように、ノアが言葉を続ける。
「三千年もの間、古き神々達を騙し続けたマザー・ディエス。それにも関わらず、君が彼女に協力してから間も無く、その正体が古き神々達の知る所となってしまった。何故あのタイミングで、誰の手によって、彼女の正体は暴かれたのだろう」
途中から呟くように言葉を紡いでいたノアは、再びクロウに向かって声をかけた。
「君はどう思うね、ミラージュ君」
背を向けたまま、クロウは答えない。
微笑みながら短く息を吐くと、ノアは言った。
「もう分かっただろう?古き神々に教えたのは、私だよ」
クロウは振り向いた。
驚愕と憎悪が綯い交ぜになった表情で。
「でもね、この結果も、君が選んだからこそだ」
そこまで言った所で、いつものようにノアは、微笑んだ。
「という事は…彼女の死も、君の責任だよねぇ。ミラージュ君」
その瞬間、ノアの目論見通りに、クロウは――
「ノアアアアアアアァァァァァァ!!!」
――憎悪を、爆発させた
――そうだ。それでいい。
――今の君は、液体をギリギリまで注がれた、一杯のグラスだ。
――杯を揺らし、空になるまで零すがいい。
――感情という名の、液体を。
最終更新:2013年11月30日 22:56