クロウがディメンジョン・ゲート内で意識を取り戻す、約30分前。
ヘブン。
マスタールーム。
ノアは、十字架の形をした剣を、一人の少女に向けていた。
腰までの長い金髪に、白い肌。翠色の瞳。哀しみを湛えた、まだ幼さも残る10代の顔立ちの少女。
黒いローブに、黒いスカーフを身に付けたその少女は、真っ直ぐにノアを見つめる。
「デウス・エクス・マキナ。君を殺しに来た」
ノアは入口の前に立ち、デウスと呼ばれた少女は部屋の中央に立っていた。
「遂に…ここまで来たのね」
小さな声で、デウスはそう言った。小さくとも、室内には二人しかいなかったため、よく響いた。
「ああ、そうさ。この3千年、この時を私がどれほど待ちわびたか、君は知るまい」
そう言うと、ノアは数歩、デウスに向かって歩を進める。
彼の表情には、いつもの笑みなどは欠片も無く、不気味な程に何の感情も乗ってはいないように見えた。
そして尚も、ノアは言葉を紡ぐ。
「全てこのために、私は生きてきた」
更に数歩、ノアは足を踏み出した。剣を掲げたまま。
十字架の剣の切っ先が、少女の首に突きつけられる。あと数センチの位置にまで。
「それなのに、だ」
ノアの眼に、憎悪が宿り始めたのは、この時からだった。
「何故、この局面で、その端末を選んだ!?」
静かに、しかし、強い語調で、ノアはそう言った。
「マザー・セラがロックマン・トリッガーに敗れ、古き神々が解放された。それにも関わらず、君はすぐには姿を現さなかった。そしてようやく姿を現したと思えば…」
明確な怒りこそ表情に出してはいなかったが、ノアの眼には、確かに怒りが満ちていた。
「無力な少女を演じるとは」
ノアの言葉に、しかしデウスの表情は変わらない。どこか哀しさを含んだその表情は、最初から変わってはいなかった。
「私を馬鹿にしているのか。それとも」
「違う」
続けようとするノアの言葉を、不意に発せられたデウスの声が断ち切った。
ノアは一瞬意外そうな顔をすると、先程よりも怒りを鎮めた声で応じる。
「ならば、言ってみたまえ。その端末を選んだ理由を」
「…力だけが全てではないと、教えてもらったから」
はっきり紡がれたデウスの言葉。
しかし、その言葉にノアの表情は変わらなかった。
「事の元凶たる君が、言うに事欠いてそれか。笑いも起きんね」
苛立ちを含んだ声でノアはそう言ったが、やがて彼は剣を下ろす。
と同時に、これまでとは違う、素早く、そして確固たる足取りで、たちまち彼はデウスの間近へと近づいた。
そして、剣を持たぬ左手で、何の躊躇も無くデウスの首を掴んで締め上げる。
「っ…!!」
苦しそうにデウスの表情が歪むが、ノアはただそんなデウスを、凄まじい憎悪を含んだ眼で睨むだけだった。
そしてデウスは、呻き声を発しながらも、抵抗せずにただその眼をノアに見据えたままだった。
だが――
――突然ノアは、溜め息を吐くと、その手を放した。
たちまちデウスはその場に膝を折り、咳き込む。
それを見下ろすノアの眼には、もう憎悪は宿っていなかった。
「何故抵抗しない」
咳き込みながらも、デウスは途切れ途切れに答える。
「抵抗、は…無意味だと、分かってた、から」
次にノアは、左手の人差し指を自分の米神に当て、口を開いた。
「私の思考は。読めるのかね」
ようやく呼吸が正常になってきたデウスは答える。
「いいえ、読めない。『祖』の人達と同じ」
「だが私は、『古き神々の祖』ではない」
デウスは、ノアを見上げると、言った。
「何故、殺さないの?」
デウスの問いに、しかしノアは答えず振り返ると、無言で出口へと歩き始めた。
だが途中で足を止めると、振り向かずに言う。
「あの男がどこで私を待っているのか…分かるか」
デウスの表情は、僅かに躊躇しているかのように曇っていたが、やがて答えた。
「ヘブンズ・ゲートの…内部…」
デウスの答えを聞くと、ノアは再び歩き出し、出入り口となっていたゲートを開ける。
しかしそこで振り向くと、殺意の篭った視線をデウスに向け、言い放った。
「いずれにしても、全て終わった後に、君は必ず私の手で殺す」
ノアの言葉を受け止めたデウスの瞳は、どこまでも澄んでいた。
「私はどうなっても構わない。でも…ゼゼも、ロックマン・ロードも、そして…ロックマン・ミラージュも、貴方の復讐に巻き込んでいい理由なんてなかった」
少しの間、ノアはデウスの目を見据えたままだった。
だが、やがて彼はゲートを閉めて、歩み去った。
歩きながら、ノアは思考する。
どうやら、あの端末には、本当にレノア・エリュシオンの意思が色濃く残っているらしい。正確には、意思のコピーと称すべきものだが。
そして、彼女の話によれば、デウス本体の意思も、どうやら3千年前とは違ってきているようだった。
となると…もし、タナトスの干渉が無ければ、デウスは、今度はどのような答えを出したのだろうか。
それを見極める必要があった。
そのために、やらなくてはならない事が二つある。
どちらも、チャンスは今しかなかった。
一人残されたマスタールーム。
デウスはようやく立ち上がると、出口を見つめ続ける。
「リアルタイムで感じる感情と、記憶に残る感情。この二つはよく似ているようで、全くの別物」
誰もいない場所で少女は呟き続ける。
「だから私は…いえ、『デウス』は、賭けようと思った」
彼女の眼には、去っていくノアの後姿が焼きついていた。
「貴方はきっと、それに気が付いてない」
最後に彼女は、哀しそうに、目を伏せた。
「だからきっと、貴方は…タナトスに勝てない」
マスタールームの外は、草原だった。
東西南北の四方に、四つのゲートが配置されている。
石造りに見える四角い物体の中に、人一人が入れる大きさのスクリーン。これがゲートだった。
それぞれが隣の島へと続く道となっている。
故障しているゲートのスクリーンは灰色となっており、機能しているゲートのスクリーンは青く光っていた。
だが、今現在においてのみ、一つは異なる変化を見せている。
北に配置されたゲート。
このゲートのスクリーンは、青でも灰色でもなく、ただ真っ暗な深い闇が続いている。
ノアは、そこへ向かって歩き出した。
十字架の剣をワームホールにしまいながら、頭では別の事を考え。
やがて思考が終わった時には、既にゲートに入っていた。
青白く光り輝く幾何学模様が地面を埋め尽くし、頭上には何も映らぬ暗闇のみ。
入ってきた筈のゲートは、既に後ろには無い。
ノアは、ただただ歩き続けた。
やがて、視線の先に、一人の人物が映る。
黒い燕尾服に、シルクハット。
長い金髪に、顎鬚。翠色の瞳。30代後半から40代に見える顔立ちをした男が、そこに立っていた。
男はノアの姿を認めると、恭しく頭を下げ、それと同時に言う。
「お待ちしていましたよ、古き神々の一人、クロノス」
「いや、今は…『ノア』とお呼びしましょうか」
ノアは頭を下げたタナトスに対し、浅く息を吐くだけだった。
代わりに、周囲に無数のビットを次々に転送すると、無表情のまま言う。
「どうやら…その顔を見る限り、私が何者なのかは言う必要が無い様だな」
「ええ、よく存じておりますよ」
無表情のノアに対し、タナトスは笑顔で答える。
そして、今度はタナトスの方が口を開いた。
「そんなに殺気を漲らせずとも、まずは話し合いましょう。何せ3千年ぶりの再会ではありませんか」
そんなタナトスの言葉を無視し、ノアは片手の人差し指を彼に突きつける。
次の瞬間、転送されてきたビットの一つがタナトスを標的として、レーザーを発射した。
だが、レーザーはタナトスの手前で、壁に阻まれでもしたかのように弾けて霧散する。
しかし、それが当然とでも言うかの様に、ノアは表情を変えず、言った。
「何も、聞こえんね」
タナトスは、溜め息を一つつくと、その顔から笑みを消し、口を開く。
「…いいでしょう。では、言葉を交わすのはまた、後ほど、という事で」
次の瞬間、ノアのビットが一つ残らず爆散した。
タナトスを見つめたままではあるが、ノアの眼が僅かに見開かれる。
ビットの破片が一瞬、雨のようにノアの周囲に飛び散った。その音が止むと、再び静寂がその場に舞い降りる。
タナトスの顔には、再度笑みが表れた。
「さて…当然ながら、これで終わりではないのでしょう?」
タナトスの問いに、ノアは答えない。それを承知していたかのように、タナトスは言葉を続ける。
「分かっていますよ。今のがあなたにとっては小手調べでもなんでもない事くらい」
やはり、ノアは言葉を返さず、タナトスを見つめたままだった。
タナトスは、再び言葉を紡ぐ。
「さて、一つ、話を整理しましょう。貴方は私を亡き者にしたいと思っている。しかし、私は貴方の命を必ずしも奪う必要は無いと考えます。であるならば…」
一拍を置き、タナトスは言った。
「貴方が攻勢に出ねば、事態の進展は見込めぬのでは?」
そこまで聞いて、ようやくノアが反応を示す。
タナトスの言葉を鼻で笑うと、彼は口を開いた。
「その通りだ、タナトス。いいだろう。見せてあげよう!」
そう言うと、ノアは、右手を広げ、頭上に掲げた。
「出でよ…古き神々…!!」
次の瞬間、三つの巨大なワームホールが、ノアとタナトスの頭上に出現した。
そして、その三つのワームホールから、それぞれ三つの巨大な影が姿を現す。
その姿を見て、タナトスは感嘆の声を上げた。
「ほう…!」
一つのワームホールから飛び出した影は、素早く地面を駆け、戦闘態勢のままその赤い眼でタナトスを睨む。
もう一つのワームホールからは、細長い身体の何かが現れ、空を悠然と飛び回り、やはりその眼をタナトスへと向けた。
最後のワームホールから出現した影は、地面に着地すると、タナトスの方へとその身体を向け、咆哮する。
「君達にとって…ロゴスの策はさぞ、優れたものに見えた事だろうが…」
言いながら、ノアはワームホールから現れた三つの影に視線を走らせる。
「その結果、私には駒が増えたよ」
タナトスは、自身を標的にした三つの影を、興味深そうに眼で追い、呟いた。
「なるほど…これは興味深い」
タナトスの余裕が崩れない事に、僅かに苛立ちを感じながらも、ノアは改めて、ワームホールより召喚した三つの影の、名を呼んだ。
「カストル、ポルックス、アルデバラン」
「君の元・同胞だ。タナトス」
そこまで言って、ノアは微笑む。
「まずは、彼らと遊ぶのも一興、ではないかな」
タナトスはノアの言葉を聞きながらも、視線は周囲にいる三つの影に向けていたが、ようやくノアに視線を向けると、言った。
「貴方のテリトリーで敗れたカストルとポルックスは分かりますが、よくアルデバランの遺体を回収できましたね」
「私がずっとあの島にいるなどと、誰も言ってないだろう?」
ノアの答えに、タナトスは苦笑を漏らす。
「フフ…確かに、その通りですね」
そして彼は、顔から笑みを消すと、代わりに舞台の上にでもいるかの様に堂々と真っ直ぐノアを見据え、朗々と声を上げた。
「いいでしょう!指揮官たる貴方を攻撃するなどという無粋な真似は致しません。これより、この私と、そして彼ら私のかつての同胞との戦い、観客のいないこの舞台で、見事に演じてみせましょう!!」
タナトスの宣言に呼応するように、三体の古き神々が、各々の武装のエネルギーを充填させる。
タナトスはやはり口元に微笑を浮かべたまま、微動だにしなかった。
そして、次の瞬間。
黒い蜥蜴の姿をした古き神々・カストルが、凄まじい毒霧を巨大な口から吐き出し、タナトスへと浴びせかける。
東洋の龍の姿をした古き神々・ポルックスが、口腔内に溜めた高出力のエネルギーを、巨大なビーム砲としてタナトスへ向けて発射する。
馬の下半身と人の身体、山羊の頭部と蝙蝠のような翼を持った古き神々・アルデバランは、その角を発光させ、強力な雷撃をタナトスへと放出させる。
どれも、人一人殺すには十分過ぎる攻撃だ。
だが、ノアは勿論気を緩めなどしなかった。
それどころか、即座に地を蹴り、同時に両手をアーマー化させ、ある一点に飛びかかった。
カストルの背中の上に着地すると同時にノアは、いつの間にかそこに立っていたタナトスへ向けて右手で貫手を繰り出した。
だが、ノアの腕は途中で、止まった。
「ほう…そう言えば、指揮者たる貴方自身が攻撃を加えないとは、仰りませんでしたね」
意外そうな顔でタナトスは言う。
ノアは油断無く、緊張を孕んだ声で言った。
「着弾の寸前、君が跳躍するのが見えた」
「ですが…『これ』までは見えなかったようですね」
タナトスの言葉に、ノアは自身の右腕を拘束しているモノを眺める。
それは、常人では知覚できない程微細な、糸だった。
「随分…原始的なものを…」
「そう思いますか?」
ノアの呟きに、やはり笑みを絶やさぬままにタナトスが問う。
だが答えの代わりに、ノアは無理矢理に右腕を引き抜くと、カストルの背を蹴り、遥か後方へと着地した。
そして次の瞬間、カストルが全身の各所に開いている穴から毒ガスを噴出させる。
「遅いですね」
しかし、その時には既に、タナトスはその場を離脱し、離れた場所でカストルを見据えていた。
その光景を遠くに離脱したノアは眺めたまま、考える。
何故、あの糸が自分の腕を拘束できたのかを。
何故なら、今、自分の周囲には幾重にも、そして幾種類もの防御シールドを張っているからだ。
特に、偏向シールドを完全に潜り抜けたのが解せない。
アレは実弾もビーム兵器も、意思を持たぬ攻撃は問答無用で偏向され、ノアには当たらないようプログラムされたものだった。
たとえあの『糸』をタナトスが操っていたとしても、銃に対する銃弾と同じで、ノアに当たる筈が無いのだ。
「(重力防壁や物理遮蔽幕…エネルギーシールドをもあの一瞬で破ったというのも気になるが…あの糸の秘密はここに隠されている可能性が高い…)」
思考を続けながら、ノアはタナトスを見据える。
タナトスはおもむろに片腕を横に振った。
すると、全身から毒ガスを噴出するカストルの動きが、何かに拘束されたかのように止まる。
既に存在に気付いたノアには、すぐに分かった。カストルを拘束しているのが、先程自分の腕を拘束していた『糸』であると。
「カストル。暗殺に特化した貴方は、戦う場所さえ選べば、他の神々の追随を許さぬ程の多大な戦果を上げましたね。しかし今この場は…貴方が一番相応しくないと言えるでしょう」
次の瞬間、カストルの全身が、耳障りな金属音を立て、バラバラに砕け散った。
血の様に赤い液体と、無数の部品。そしてディフレクターが、ヘブンズ・ゲートの床に飛び散る。
それを認識した残り二体の古き神々が、タナトスに向けて威嚇するように咆哮を上げた。
「さぁ、まだ幕は上がったばかり。盛り上げようではありませんか。神々の舞踏を!!」
そう言うと、タナトスは微笑みと共に両腕を広げ、重力を制御して浮遊した。
堂々と、絶対的な威厳を保ちながら。
最終更新:2013年11月30日 22:57