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「っ…!!?」
胸に開いた風穴。流れる血。
開いた風穴を中心として、ノアの白衣が赤く染まってゆく。
押さえて数歩後ずさったノアの頭は、混乱で満ちていた。
「何…故…」
「その問いは」
言葉と共に、タナトスがゼゼの傍らへ現れる。
いつのまにか、周囲を満たしていた筈の、仮面を被った者達の歌は止んでいた。
「かつての従者が貴方に銃を向けた事に対してですか?」
ノアは胸元の風穴を押さえ、ゼゼの方へと視線を移す。
ゼゼは無言で銃をノアに向けたままだった。
そうして、ノアは再度確認し、頭の中で出された結論が紛れも無く真実であると認めざるを得なかった。

目の前に立つゼゼは、紛れも無く、あの島で自分が捨て駒として使った筈のゼゼ本人だと、ノアの脳内に装備されたあらゆるレーダーや解析装置が物語っていると言う事を。

それも重大な事だ。だがもう一つ、それ以上にノアの頭を混乱させる事実が、存在していた。
「それとも…自らの命が消え行く事に対してですか?」
タナトスの言葉に、彼は愕然とする。
全て見透かしているという事は、つまり。
「ウィルス、か…!!」
ノアは、ゼゼの傍らに立っているタナトスを睨みつけた。
タナトスは、相変わらず微笑を浮かべたまま、その翠色の瞳でノアを眺める。
そして、彼は話を始めた。
「彼女の頭の中に、貴方のナノマシンの情報が入っていましたよ」
言いながら、タナトスは歩を進め、自らの言葉を示すようにゼゼの背後へと歩く。
「仕掛けた、か…銃弾に…!」

ノアの胸に開いた風穴は、塞がらなかった。
先程、タナトスの傘に貫かれた時は、傷跡も残らなかったと言うのに。
つまり、彼の身体を治療するナノマシンを狂わせたという事だ。
その方法を、ノアは今理解した。
ゼゼが発射した銃の銃弾に、ナノマシンを狂わせるウィルスが仕込まれていたのだろう。
わざわざ心臓を狙ったのも、そういう事だ。

今も血が止め処なく流れ出て、白衣を赤色が覆っていく。
ノアはそれでも、まだ戦意を鈍らせはしなかった。
「ナノマシンを止めた程度で、私を止められると思うなら…」
「誰が」
ノアの言葉を遮るように、タナトスが言う。
「『止めた』と、言いました?」
「!?」

次の瞬間、ノアの身体中から、血が吹き出した。

「っ!?ガあああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
凄まじい血溜まりが、ノアを中心に広がっていく。
飛沫の一滴がゼゼの頬を塗らしたが、それでも彼女は表情一つ変えはしない。
「『狂わせた』のですよ。治療用のナノマシンであるならば…『その逆』も、当然可能でしょう?」
普段と変わらぬ微笑で、世間話でもするかのように、穏やかにタナトスはそう言い放った。


自身の周囲に血の円ができるのを眺めながら、遂にノアが片膝を地面に着く。
それでも、凄まじい量の血を失っているにも関わらず、彼は未だ衰えぬ殺意を秘めた眼で、タナトスを睨みつけた。
「ほう、まだ戦意を失わないとは驚きですね」
「…わ、たしの…ナノマシンは…一種類だけではない…!!」
「ですが…」
そう言うと、タナトスはノアの足元から頭頂部までに目を走らせ、言った。
「虫の息なのは変わらない様ですね。たとえ別種のナノマシンで治療しているとは言え、まだ回復に時間がかかるでしょう?」
言われても、ノアはタナトスを睨みつけたままである。
そして、ゼゼはノアに銃を向けた姿勢のまま、無言で佇んでいた。
そんな中、不意にタナトスは微笑んだまま、そのゼゼを一瞥する。すると、ゼゼは銃を下げ、振り返ると、奥へと歩いていった。
その一連の光景を横目に見ていたノアは、余裕を失った声で問う。
「一体、どういうつもりだ…!?」
問われたタナトスは、やはり微笑みながら言った。
「いえ、丁度『彼』も来た所ですし、趣向を変えようかと思いましてね」
「…何?」
次の瞬間、タナトスは床を蹴り、後方へと退いた。
そして、再度口を開く。
「ノア。貴方に、チャンスをあげましょう。助けを求めるもよし、もしくは」
そこで言葉を切り、僅かに目を細めると、言った。
「私に命を奪われたくなくば、彼に介錯を頼むのもまた一興、でしょうね」
そこまで言うと、タナトスは重力を制御し、浮遊した。
そして、仰々しい動作で被っていたシルクハットを手に取り、胸の前に当てて恭しく一礼すると、後方へと下がっていく。
そのまま、タナトスは暗闇の中へと消えていった。

ノアは消えていくタナトスを見送ると、立ち上がり、目を閉じる。
最初はタナトスの言葉の意味が分からなかったが、それも一瞬で、すぐに意味を理解できた。
頭の中のレーダーが、当に察知していたからだ。
眼を開け、周囲を見回せば、あれだけ多くいた筈の、仮面を被った女達の姿も消えていた。
俯き、溜め息をつく。これが最後の、僅かの休息になるだろう事を覚悟して。
やがて顔を上げると、彼は視界の端に映った人物に、改めて視線を向けた。
「やぁ、ミラージュ君。少し見ない間に、随分と変わったじゃないか」


そして、時は現在へ――
「ノアアアアアアアァァァァァァ!!!」
絶叫と共に、クロウは刀を抜き放ち、ノアに斬りかかった。
ノアも両手にアーマーを出現させ、それを迎え撃つ。

第一撃を受け止めながら、ノアは言い放った。
「来るがいい。もはやタナトスの役者へと堕ちた君に、使い道など無い」
「っ…!!」
再度絶叫しそうになったクロウだったが、急に声を止める。
地面を蹴り、一旦後ろに退いた彼は、これまでとは打って変わった冷静な声で、言った。
「いいだろう。お前が全ての黒幕だったのなら」
一旦言葉を切ると、刀を納め、彼は続きを紡いだ。
「斬るだけだ」
そんなクロウを眺め、ノアは思考する。

狂ったナノマシンを停止させる事は、やはりできなかった。
このままでは、自分の身体を蝕み続けるだろう。
だが数が少ないとは言え、別種のナノマシンも自分の体内で機能している。
お陰で、致命傷となる心臓に開いた穴は、かろじて治療をする事ができた。
しかし数が少ない以上、いずれ狂ったナノマシンに競り負けるだろう。それでも、少なくとも時間はかなり稼げる。
その間に、やるべき事は。

クロウが、一足飛びでノアに接近した。
その速さは、ノアでも一瞬見失う程だった。
「っ!!?」
側面に回り込んでからの、クロウの居合いを、寸前でノアは受け止める事に成功した。
だが、それで終わりではない。
返す刀で、クロウが第二撃を繰り出す。今度はノアは、横っ飛びにそれを避けた。

ここで彼は気付いた。手から出血している。

見ると、彼の掌のアーマーは斬り裂かれ、内部の手にまで斬撃の痕が深々と残り、そこから大量に出血していた。
クロウの斬撃は、ノアのアーマーを斬り裂く程に研ぎ澄まされていたのだ。アーマーがあるお陰で、手が分断されないのは幸運といえた。
それを把握して、ノアは笑う。
「(かつては、バスターを持ったダミー人形の群れにさえ敵わなかったというのに…しばらく見ぬ間に随分進歩したじゃないか、ミラージュ君)」
クロウは、横っ飛びで距離を取ったノアの体勢を立て直させまいと、更に地面を蹴り追う。
ノアはビットを召喚し、追いすがるクロウと自らを分断するようにレーザーを照射した。
クロウの足が止まる。彼は僅かに目を細めると、アーマーの操作盤を開く。
その動作をノアの眼が捕らえたと思った瞬間、もうクロウの姿は掻き消えていた。

周囲を見回しながら、ノアは笑う。
「今更光学迷彩かね。それを作ったのが誰なのか、言うまでもなかろう?」
そして彼は片手の指を弾いた。
「チィ…!!」
その音とほぼ同時に、クロウの姿が再度ノアの視界に現れる。
光学迷彩が効かなくなったのを悟り、クロウはノアを睨んだ。
「そんな小細工で私を殺すつもりかね?とんだお笑い種だ」
ノアの言葉に反応せず、ただ睨んだままクロウは走り始める。
同時に、彼は片手をバックパックに入れると、何かを取り出した。
ナイフ。それを頭上のビットに投擲していく。
それも、現在走り続ける自分の進路上を妨害でき得るビットを重点的に。
そして遂にノアの至近距離へと到達したクロウは、再度居合いを放った。

「(全く…皮肉な話だな)」
クロウの刀を片手で受け止めるノア。
だが、刀はノアのアーマーを易々と斬り裂き、ノアの手を斬っていく。
「(今この場に…揃っているなんてね)」
刀を振りぬいたクロウの胴に、ノアは回し蹴りを喰らわせた。
クロウが僅かに呻きを上げ、数歩後退するが、それでもその勢いは消えずに、再度刀をノアに向ける。
「(ミラージュ君、ゼゼ、私が駒とした君達が、最後の最後に私の敵となるとは…)」
再び刀を鞘に収め、クロウは走り出した。
距離が近かったため、すぐにクロウはノアの至近距離に辿り着く。
再度彼は、居合いをノアに向けて繰り出した。
クロウが刀を抜く瞬間、ノアはクロウに斬り裂かれた手を、クロウの顔に向けて振る。
ノアの血がクロウの両目にかかり、クロウは眼を閉じた。
「本当に…皮肉だ!!」
その瞬間に、ノアは貫手を繰り出した。

影が交差し、次の瞬間には、二人は互いに背を向けていた。

クロウは脇腹を抉られ、血を吐いて片膝をつく。
ノアは――

胴体を斬り裂かれ、血飛沫を上げた。

「グハッ、ハッ…ハハッ…」
大量の失血により、ノアの身体から力が抜ける。
それでも、彼は辛うじて倒れなかった。
「(目を封じられて尚、私の位置と動きを正確に読み取り、斬撃を繰り出すとはね…)」
血を吐きながら、彼はただそう考える。
しかし次の瞬間、ノアは自身の首筋に、冷たい刃の感触を感じた。


クロウは、脇腹を抉られながらも、尚動きを止めなかった。
ノアは大量に出血している。クロウの斬撃によって。

だが、まだ死んでいない。

それどころか、振り返った時、ノアは倒れてすらいなかった。
躊躇せずにクロウは走り出す。確かに倒れてはいないものの、ノアは相当な傷を受けた筈だ。
「(止めだ…)」
もはや、ノアを殺す方法は、その首を落とす以外に考え付かなかった。
ノアに向けて一直線に、弾丸のように走り出す。
「(俺はもう、お前の駒ではない)」
刀の柄に、手をかけ。
「(お前の掌の上で転がされるのも、これで…終わりだ…!!)」
ノアの首に向け、刀を抜いた。

その瞬間に、ある記憶が、頭をよぎった
ロックマン・ジーザスを殺す寸前に、ロックマン・テスタメントに止められた時の光景が。
その時の、テスタメントの表情が。

気が付くと、刃がノアの首スレスレの所で、止まっていた。
その事に、クロウ自身が驚愕し。彼はしばらく、沈黙するより他に無かった。

やがてクロウは、震える声で言葉を紡ぐ。
「何故だ…!!」
ノアはその場に突っ立ったまま、動かない。
クロウは尚も、言葉を紡いだ」。
「本来の貴様の力なら…俺をいつでも、殺せた筈だ…!!」
言いながら、尚も彼は刀を握った手を動かそうとするが、どうしても動かない。外部の力で止められている訳でもないのに。
クロウは遂に、声を張り上げた。
「お前は一体、何が目的だ!!」


クロウの言葉に、しばらくノアは反応を見せなかった。だが突然、片手で首筋に当てられた刃を掴むと、静かに口を開く。
「いいだろう…全て話そう」
振り向いて、彼は自分に刃を向けるクロウと相対した。
「だが、その前に聞きたい。ミラージュ君…私を殺した後は、どうするつもりだ」
「何…!?」
憎しみの色を浮かべ続けるクロウの目を見据え、ノアは言葉を続ける。
「別に私を殺したければ殺すがいい。だが…ゴホッ」
身体の各所が悲鳴を上げ、更に吐血しても、ノアは言葉を紡いだ。
「そうして殺し続けて、その先に立っているのは君一人だ。そして殺し続けた君が、報われる事はない。今しがた、『前例』を目にしてきた筈だ」
そんなノアの言葉に、クロウは言葉を返す。
「ふざけるな…!!俺は、見返りのために戦ってきたのではない…!」
その言葉を境に、再びクロウの言葉が、震え始めた。
「見返りを与えられるべきだった人間は、もう、皆死んだんだ…!」
「…だがね、少なくとも、君を救いたいと思ってる者に、さっき会ってきたよ」
ノアの言葉に、クロウは目を見開いた。

「何を言って…」
「…いい加減、目を背けるのを、やめろ」
胸中の苛立ちが、必要以上に低くなった自らの声に現れるのをノアは感じ、次いで彼はクロウを観察した。
クロウの表情からは、明らかな動揺が見て取れる。
ノアは思った。
「(ディエスを殺した私が、やるべき立場でない事はわかってる。だが他にできる者がいない。だから…まぁ、仕方ないかな)」

次の瞬間、ノアの拳がクロウの頬を打った。

吹っ飛ばされ、地面に倒れるクロウ。
ノアは、クロウを殴った手を眺め、再度拳を握る。
「これ以上、犠牲を出さぬ為に、人を殺す決意をしたというなら、私は何も言わん。だが…」
言いつつ、ノアはクロウに視線を向ける。
クロウは、辛うじて起き上がっていた。
「今の君は、諦めているようにしか見えん」
「だ、黙れ…!」
「断る」
動揺し、声を絞り出すクロウ。有無を言わさぬ声のノア。傷はノアの方が深かったが、今優位に立っているのは、明らかにノアの方だった。
「無闇に振るわれる刃は、いずれ必ず、自分に向くぞ」
「黙れ…」
「諦めているだけの今の君に、真実を知る資格などありはしない」
「黙れ…!」
「今の君に比べれば、人を殺せなくとも自分の道を探し続けたかつての君の方が、私の駒に相応しかったぞ!!」

「黙れ!!!」

叫びながら、クロウは起き上がり、ノアに飛びかかった。もはや刀を握る余裕さえも無く、先程のノアと同じように、彼に向かって拳を振り上げる。
クロウの拳はノアの額に当たり、ノアは数歩後ずさって片膝をついた。
クロウはそれ以上、動けない。体力ではなく精神が、もはや動く事を拒否していた。彼はもう、その場に膝をつき、地面を見つめる事しかできないでいた。
そんなクロウを、ノアは再び見つめる。顔を上げたノアの額からは、血が流れ出していた。
「…気は済んだか」
「…」

しばらく、クロウもノアも沈黙していた。
その間、ノアは周囲に気を配り続けた。タナトスが行動を起こしている気配は無い。きっと、まだこの光景を『観賞』しているのだろう。
だがそれが分かっていても、ナノマシンに体内を蝕まれた状態のノアでは打つ手が無く、もはや彼にできる事は何も無かった。

やがて、クロウが立ち上がった。ノアは無表情で、そんなクロウを見つめる。
クロウは俯いたまま、言った。
「それでも、俺はもう止まる事ができない」
「止めはしないさ。ただ…目を背けろとは、言われなかったろう?」
「ああ、そうさ。『殺す覚悟を持て』とは言われたが、『敵を全て殺せ』とは言われなかった」
クロウはその場から動かず、ただその視線をノアに見据えた。
「だから俺は、全て受け入れる。受け入れた上で、答えを出す。これでいいんだろう…ノア」
そんなクロウを見て、ノアは不敵に微笑んだ。
「ああ。それでいい」
そして彼は再度、周囲に目を向けた。まだタナトスが現れる気配は無い。
「さて…一つ、話すとしよう。古き神々の事も、私の事も、全部」

「…以前、私が君に古き神々の事を話した時は、どんな情報を話したかね」
不意にノアは振り返り、暗闇を見つめると、言った。
そんなノアの背に向けて、クロウは言う。
「俺がお前から聞いた話は…」
クロウは、以前ノアから聞いた話を思い返した。
既に聞いてから数年の時が経過していたが、それでもはっきりと思い出せた。
「ヘブン建造中の時期に、マスター達と戦った奴らで、『古き神々の王』というのが指導者だったと。お前は『イデア』という奴と共に、古き神々を裏切った、とも」
ノアは、溜め息を一つつくと、やがて言う。
「そう、確かにそう話した…だが君は、それから実際に古き神々と戦った時、私の話に疑問が沸きはしなかったか」
ノアの言葉に、しばらくしてクロウは肯定した。
「ああ。お前は古き神々が、俺達と変わらない存在だと言ったし、ヘブンの、オリジナルの人間による支配に抵抗した者達だと言った」
俯き、考えながら、クロウは言う。
「だが、俺が今までに戦った古き神々は…ロックマン・ジーザスを除けば、全て人の形に擬態した、リーバードだった」
一拍を置き、更にクロウは話を続けた。
「俺は、リーバードというのは遺跡を守るためにヘブンが作り出したものだと思っていた。だとするなら…あの、人と同じように自我を持ち、思考するリーバードが古き神々だとするなら…」
再度一拍を置いて、クロウは言った。
「古き神々とは、ヘブンが作り出したものなのか?」
「正解とも言えるし、違うとも言える」
ノアはまだ暗闇に視線を向けたままだ。
やがて、彼は言った。
「実はね、あの時にはまだ言うべき時ではないと思ったので、若干ながら話に虚実を混ぜたんだ」
「それで、真実は」
ノアの言葉に顔色を変えず、クロウは先を促す。
ノアは口を開いた。
「正確に言えば、『古き神々の王』とは、指導者の事ではない。指導者となったのは、また別の存在だ」
次のノアの言葉で、クロウは目を見開いた。
「『古き神々の祖』と呼ばれる者達がいた。彼らが古き神々を率いていたのだよ。そして、彼らは…マスターと同じ、オリジナルの人間達だった」

ここで、ようやくノアは振り向き、クロウに視線を向ける。
クロウはノアを見返したまま、言った。
「だから『祖』か。そいつらが、今の古き神々を作ったんだな」
「そういう事だ。元はオリジナルの人間達は対立などしておらず、技術も共有されていた。だが、ある事が原因で、決定的な対立が起き、オリジナルの人間達は分裂した。それで兵隊となる、あの思考するリーバード達を作ったんだ」
僅かに目を細め、クロウが問う。
「では…『古き神々の王』とは?」
「オリジナルの人間達が分裂する切っ掛けを作ったモノだ。オリジナルの人間でも、オリジナル・ヒト・ユニットでも、デコイでも、リーバードでもない」
そう話すノアは、どこまでも無表情だった。
「では、何なんだ」
「君はもう会っているよ」
ノアがそう言った瞬間、クロウの脳裏に自然と、浮かんだ。
台風の日、街の路地裏で邂逅した、死んだ筈の人間――『彼女』の事を。
「彼女は…一体、誰なんだ…」
「君は知ってる筈だ」
クロウは、奥歯を噛み締め、やがて搾り出すように言った。
「レノアが…古き神々だというのか…!!」
「彼女は、『古き神々の王』に、『器』として選ばれたんだよ」
ノアは、周囲を見回した。周囲の暗闇を。やはりまだ、銀色の仮面は見えない。
クロウはノアを睨んだ。
「どういう事だ」
「『古き神々の王』とは…」

「ヘブンそのものだ」


「ヘブン…そのもの…!?」
愕然とするクロウを真っ直ぐ見つめ、ノアは真実をその口から紡いでいく。
「そう。ヘブンとは『古き神々の王』そのものであり、そして『古き神々の王』のためにこそ、ヘブンは造られたんだ」
その言葉に、クロウは必死で頭を冷静にしようと努めながら、やっと言葉を紡いだ。
「つまり…『古き神々の王』とは、ヘブンの意思そのもの…という事なのか?」
クロウの質問に、しかしノアは俯いた。
「…ここから先は、本人の口から聞くべきだろう。ヘブンへ行って、ね」
クロウは更に言葉を紡ごうとしたが、しかしノアのいつに無く真剣な声のせいで、訊く事ができなかった。
そして次に言葉を紡いだのは、ノアの方だった。
「さて、本題に戻ろうじゃないか。私の目的を」
再び、ノアは周囲に視線を向ける。
タナトスは、やはり現れなかった。

「…先程から、何を気にしている」
「いや、君には関係の無い話だ」
再びクロウへと視線を向け、ノアは再度口を開く。
「君についた嘘がもう一つある。君に見せた古き神々の一人…『イデア』の事だ」
「ああ、俺もそれは気になっていた」
頷き、今度はクロウが言葉を紡いだ。
「お前は、お前自身とイデアの二人で、古き神々から逃げ延びて、あの電子頭脳の元へ辿り着いたと言った。だがその後、古き神々がヘブンに敗れてからでさえ、お前はイデアを封印し続けた。お前達を追ってくる古き神々は、生き残りがいたとは言え、もう強大な勢力ではなくなっていたというに」
そして一拍を置いて、クロウは言った。
「アレは、お前の本体じゃないのか?つまり…『イデア』とはお前自身の事ではないのか?」
クロウの指摘に、ノアは口元に微笑を浮かべたまま、しばらく黙っていた。
だがやがて、彼は溜め息を吐くと、言う。
「…残念ながら君についた嘘とは、私が『イデア』である、という事ではない」
ノアは振り返ると、過去を思い返すように遠くを見つめた。
そして一回瞬きをすると、意を決したように口を開く。
「本当は、もう死んでいるんだ。オリジナルの『イデア』は」
再度振り返り、クロウへと視線を戻すと、ノアは言った。
「私はその、死んだ男のクローンだよ」

「イデアの、クローン…」
クロウの呟きにノアは頷く。
「かつて、古き神々の一人『イデア』は、密かにヘブンに内通していた。その真意は今となっては誰にも分からない。だが、やがてその裏切りが白日の元に晒される事となり、彼は捕らえられ、拷問を受けた」
そこまで喋ると、ノアは一息間を置き、そして意を決したように言った。
「彼には協力者がいた。マザー・ディエスだ」
「!!」
クロウの目が見開かれる。ノアはただ、そんなクロウを見て頷くのみだった。
「日に日に拷問を受け、衰弱していくイデアにとって、唯一の希望は、古き神々達の中に潜伏しているディエスの助けだけだった」
そこまで言うと、ノアの眉間に皺が寄る。
「だが、遂に助けは来なかった…イデアを拷問していた男は、彼が死ぬ寸前に言ったよ。『私達の中に潜伏する貴方の同志は、貴方を見捨てた』と」
ノアの言葉に、しばらくクロウは無言だった。だが、ノアの語った事柄の意味を理解した時、凄まじい悪寒に襲われた。
「…まさか」
「真実さ。そう言った男は、今も生きてる」
クロウの脳裏に、否応無しにマザー・ディエスの顔が映る。彼女に死ぬまで忠誠を尽くしていた、ロックマン・テスタメントやロックマン・ミストの顔も。
彼の胸中に、驚愕と共に、次第に怒りが渦巻いてきた。
「つまり…それから三千年間、ディエスの行動は全て…その男の掌の上だったというのか…!!」
「そうだ」
「それは…一体…っ!!」

その瞬間、クロウは全方位から気配を感じた。

「これは、どういう事だ…」
暗闇の中から、銀色の仮面を被った黒装束の者達が現れる。
数え切れないほどの数であり、彼らはノアとクロウを包囲するように立っていた。
愕然と目を見開き、クロウは周囲へと視線を巡らせる。
「…なるほど」
クロウと同じように周囲を見回したノアは、何事かを理解し、頷いた。
そして、再度視線をクロウに向けると、彼は言う。
「ミラージュ君。続きを話すよ。もうすぐ終わる」
「何を言って…!!」
翻弄されるように周囲を見回し続けるクロウに、ノアは決然とした調子で尚も言った。
「聞きたまえ。頼むから」
ノアの言葉の様子が変わった。
それを感じたクロウは、そこでようやくノアに再び視線を向ける。
ノアは無表情だったが、同時に何かを悟ったような様子だった。
「その男は、獄死したイデアのクローンを作成したんだ。拷問の記憶そのままに」
そこまで言って、ノアは奥歯を噛み締める。
「憎悪の記憶も、そのままに」

追憶に耽っているのか、ノアはしばし、沈黙した。クロウの方から破らねばならぬほどに長く。
「その、クローンが…お前だと?」
「いや、少し違う」
ようやくそう答えるノアの顔に、少しばかり嫌悪の色が混じる。
「作られたクローンは一体だけではなかった。それこそ何百体もいたろうな」
「何故そんな事を…」
クロウの問いに、ノアは首を振る。
「そこまでは知らないし、知りたくも無い」
そして、ノアは言った。
「蟲毒というものを…知ってるかな」
「蟲毒…?」
「そう、蟲毒…壷の中にね、毒虫を何匹も詰め込み、密閉するんだ」
ノアの話が全く関係の無い方向へ向いた事に、クロウは疑問の色を表情に浮かべる。
だがノアは、構わず話を続けた。
「するとどうなると思う?」
「…?」
ノアの問いに対し、クロウは急にこの話に飛んだ理由すら分からないため、答える事ができない。
「食い合うんだよ。飢えてね。餌が無いのだから、当たり前の話だ」
「それが今の話とどう関係が…」
そこまで言ってから、クロウはようやく理解する。同時に、背筋に寒気を憶えた。
「まさか…」
「そうさ」

「同じ事をやったのさ。イデアの、クローン達で」

「そうして生き残ったのが、今の私だ」
クロウに視線を向けてそう話すノアの表情には、やはり何の感情も乗っていなかった。



最終更新:2013年12月08日 15:44