――俺はノアが嫌いだった。
――俺の都合など考えずに指示を飛ばし、俺の労力に見合わない成果を要求し、こっちが問い質そうと煙に巻く言動ではぐらかす、奴の事が大嫌いだった。
――どこまでも奴に付き従うゼゼも嫌いだった。
――それに、今になってもノアがディエスを陥れた事が許せない。
――でも、俺は知らなかった。
――ゼゼが涙を流して自害しようとするほど、ノアを想っていた事を。
――ノアが、全てを犠牲にしてでも殺したい奴がいたという事を。
――そして奴が自分の想いを白状するほど、追い詰められるなんて事があるという事もだ。
――俺は心のどこかで、奴より先に自分は死ぬのだろうと思ってた。
――その時ノアは、俺の死に様を見て笑うかもしれないとすら思っていた。
――だから、こんな事になるとは、予想もしてなかった。
――だから
――だから!!
「俺達の運命を弄んだ…貴様を許さない…!!」
クロウは、目の間に立つ『モノ』を見据え、そう言い放った。
ノアとタナトス。両者が相対する。
上空では無数のビットが無数の糸により撃墜され、爆炎と共に火と金属の粉が地上へと降り注いでいる。
ノアは十字架の剣を構え、タナトスはそんなノアに向けて、片手を広げて掲げた。
「…ガハッ…!!」
タナトスの動作に呼応するかのように、次の瞬間ノアは黒に近い赤色の血を吐き出した。
同時に、ノアは感じていた。自分の体内を蠢くナノマシンのうち、ウィルスに感染した個体が、活性化していくのを。
目の前のタナトスの仕業である事は明白だった。
それでもノアは一歩を踏み出して、タナトスに向かって剣を振り抜く。
しかしタナトスは、地面を蹴って後ろへ下がると、剣の切っ先を紙一重でかわしていった。
「分かったでしょう。もはや私は、貴方と闘う必要すら無いのですよ」
振り抜いた勢いのまま身体を回転させ、遠心力の付加された第二撃を繰り出すノア。だがタナトスは、その一撃も身を沈ませる事によって見送っていく。
「時間が経つ毎に、貴方の身体は崩壊の一途を辿る。私はそれを、待つだけでいい」
再び血を吐き出し、それでもノアはタナトスを睨みつけた。
「そ、れが…どうしたっ!!」
再びノアは、身を乗り出し、タナトスへ向けて斬りかかる。
もはや、身体中が悲鳴を上げていた。
身体を蝕むナノマシンの量は、先程ゼゼに何発もの銃弾を撃ち込まれたせいで、全体の80%にまで達している。
それでも今まで動けたのは、タナトスが操作していなかったというだけの理由だろう。
「(つまり、私がミラージュ君と話している間も、奴は私を殺そうと思えば殺せたという事だ…!!)」
この場での、何度目かの屈辱を噛み締め、それでもノアは剣を繰り出していく。だが、どの一撃もタナトスにかわされていくばかりだった。
「動きが鈍ってきていますよ、ノア」
タナトスは、先程から変わらぬ余裕の表情でそう言い放つ。ノアはそんなタナトスの様子を観察しながらも、頭の中で今の状況を打破する方法を考え続けた。
「(…手っ取り早い方法が一つある。だが…もしこれすらも通用しなかったのなら、もはや私に勝ち目は無い…!!)」
頭に浮かんだ『手』を実行するか否か。逡巡は一瞬だった。
そしてノアは再び剣を構え直すと、その瞬間に、密かに準備していた能力を発動した。
『時間の停止』という、能力を。
上空の爆発が、炎を上げた状態で止まる。後方のクロウも、目の前に立つタナトスでさえも。
そう、目の前のタナトスは、静止した。それを確認し、ノアは笑みを浮かべる。
「卑怯とは思わん。絶対に負けられぬ闘いだった…それだけだ!!」
そして、ノアはタナトスヘ向けて、剣を振り下ろした。
「相手も自分と同じだけの『時』があったのだと、貴方は肝に銘じるべきだ」
剣がタナトスに接触する寸前。
声と共にタナトスが動き出し、僅かに横へステップを踏んで、紙一重で剣を避け切られた。
「ち、ぃ…!!」
時間が再び動き出す。それと同時に、即座にノアはタナトスから飛び退いた。
タナトスは、変わらぬ様子でそこにいる。
「貴方ならば、必ず重要な局面で使うと、思っていましたよ」
言いつつ、タナトスはノアに向けて再び片手を広げて掲げると、続けた。
「『時間の停止』を、ね」
その言葉と同時に、ノアの身体を蝕むナノマシンが、更に活性化していく。
膝をつき、口から大量の黒い血を地面に吐き出すノア。
それを見下ろし、タナトスは微笑んだ。
「もはや、これで…」
タナトスが言い終わらないうちに、再びノアは動き出した。
即座に立ち上がり、ノアは頭の中で計算する。
もはやナノマシンの95%がいう事を聞かない。身体はボロボロで、足を動かすのも辛い。もはや、これが最後の攻撃になるだろう。
「(難しく、考え過ぎていたな)」
立ち上がりながら、ノアは思う。目の前のタナトスは、急にノアが動き出した事で、少しだけ目を見開いていた。
「(要は…この剣を、奴に叩き込めるように、すればいいだけの、話だ…!!)」
そして立ち上がると同時に、ノアは最初の動作を開始した。
「っ!?」
次の瞬間、一本のメスが、タナトスの片膝に突き刺さっていた。
ノアは科学者であり、彼は研究の過程で人体の構造を徹底的に調べた時期があった。だから彼は、どんなに屈強な者でも、どこにメスを入れれば足が利かなくなるのかという事を、知っていたのだ。
「(だが、この程度では、お前の動きを封じられるのは一瞬が精々だろう。だから…!!)」
一瞬でも動けなくなったタナトスへ向けて、ノアは再度能力を発動した。
今度は『超重力』という能力を。
「な、に…?」
タナトスの顔から、笑みが消える。
凄まじい重力が、タナトスを中心とした半径数メートルに対して発動する。それでもタナトスは倒れなかったが、しかし立っているだけで動けはしないようだった。
だがノアは油断せず、重力の影響範囲のギリギリ外側で、タナトスを観察する。
「分かっ…てるぞ。時間停止が有効でないのなら…超重力も有効でない事くらい」
「その…通りですよ。この程度ならば、同出力の反重力で無効化するなど造作も…」
「だから」
同じ重力操作で脱出しようとするタナトスに、ノアは言葉を続けると同時に、更に手を打った。
「ここからは、君と私、互いに積み重ねたもの、どちらが上か、だ」
「こ、れは…!?」
タナトスにかかる重力が、倍加する。
凄まじい重力にタナトスが膝をつきかけるが、それでも彼は倒れない。自身の周囲に反重力をかけ、耐えているのだ。
彼は、それでも僅かに余裕の表情を見せ、ノアに言った。
「だが、依然貴方が不利なのは変わらない…貴方の体内時間は時を刻み続け、ナノマシンは身体を侵食し続けている。このまま重力で私の足を折るには、どれほどの時間が必要なのか…計算すれば分かる筈ですよ。それまでに、貴方の身体は、保たないとね…!!」
「待つ、気は、無い…!!」
そう言うと、ノアは重力の影響範囲へ、足を踏み入れた。
「グッ…!!」
途端に超重力がノアの身体にもかかり、彼の身体の各所からこれまでよりも多量の血が噴き出す。大量の吐血も。
だが、それでもノアは倒れなかった。
「馬鹿な…死ぬ気だとでも…!?」
「元より…そのつもりさ…!!」
ノアは何度も倒れそうになりながら、酷くゆっくりと、タナトスへ向けて足を進める。
剣が届くまで、あと六歩といった所だった。
「それに…たとえナノマシンに侵食されようとも…この身体自体を、頑丈に作ったからね…!!」
一歩。
タナトスが驚愕の表情で歩みを進めるノアを見る。
「三千年、前…私は、お前によって…この世に、生まれ、堕ちた…!!」
血塗れの表情で、ノアは笑う。
二歩。
タナトスが足を動かそうと試みるが、やはり動かない。反重力で身体にかかる超重力をある程度相殺にしているのに、尚。
「私は、この世の全てを…滅するほどの、力を求め、研究に…力を、注いだ…!!」
ノアの身体から血は止め処なく流れ出し、もはや尾を引くように、彼の歩んだ跡には血の帯が残る。
三歩。
「一体…何が、貴方をそこまで動かす…!?」
タナトスが、驚愕の表情のまま、歩むノアに問いかけた。
だがそれには答えず、ノアは言葉を紡ぎ続ける。
「私が、ここまで力を付ける事ができたのは…一重に、君に植え付けられた、憎悪の為だ。それが…たとえ、偽りでも…!!」
四歩。
そこまで歩を進めたと同時に、その場にかかる超重力を、ノアは更に倍加した。
タナトスは再び膝をつきそうになるが、それでもやはり彼も踏みとどまる。
しかし、そこがタナトスの限界の様だった。彼は驚愕の表情のままだったが、その顔には僅かに、諦めが混じっているのが見て取れた。
「その力…一体どこから…」
「その、憎悪を与えてくれた、君に言いたい。タナトス」
五歩。
ノアが剣を上げる。もはや上段に振りかぶる力も、彼には残っていなかった。
「感謝する、とね…!!」
六歩。
そして、十字架の剣の切っ先が、タナトスの胸に突き刺さった。
重力が解除される。
ノアはタナトスを睨みつけた。タナトスは目を飛び出さんばかりに見開き、その表情のまま、動かない。
その手から、黒い蝙蝠傘が離れ、地面に落ちる。
ほぼ同時に、タナトスの皮膚が、灰色に変わってゆく。
「この剣の、切っ先は…触れたものを、全て…灰へと変える。何だろうと、平等にだ。神の身体だって、例外では…ない」
「ノ…ア……」
タナトスが、自身を貫く刃に手をかけるが、次の瞬間にはもう、その手は灰と化し、崩れていった。
そしてタナトスは、笑った。
「ハハ…ハハハハハハハハッ!!」
「っ!!?」
ノアが目を見開く。
タナトスは、半ば灰と化した顔のまま、言った。
「貴方ノ努力ニ敬意ヲ表シ、我ガ分身ヲ、献上…」
その直後にタナトスの頭が身体から離れる。落ちた時には全て、灰と化していた。
残ったのは、前方に剣を掲げたノアだけであり、タナトスであったモノは、ノアの目の前に灰の山として残っているのみだった。
しかし、ノアは愕然とした顔で呟く。
「分身、だと…?馬鹿な…」
目の前の灰の山を見ながら、彼は必死に思考を続ける。
「(奴が分身として使っていたのは、身体が液体金属で構成された『アバター』というリーバードだけだった筈だ。そして今倒したタナトスは、どう考えても液体金属では無かった。つまり…)」
ノアがそこまで思考した、正にその瞬間に『その者』は姿を現した。
「後ろだ!ノアッ!!!」
一瞬だけだが思考に没頭したノアはそれでも、反応を遅らせる事はなく。
それ故に、クロウが声を上げた時には、既に彼は行動を開始していた。
しかし。
『つまり、今の生身の身体も分身(アバター)だったという事だ』
声がその場に響いたのと、ノアが振り返り様に十字架の剣を振るったのはほぼ同時だった。
『汝の憎悪、欲望、狂気』
しかし、十字架の剣が届く事は無く。
『全て偽り』
ノアの胸に突き刺さった貫手が、そのまま彼の心臓を抉り出し。
『今一度、還るがいい。名も無き人形よ』
ノアの心臓が、高々と『その者』の頭上に掲げられ。
握り潰された。
十字架の剣が地面に落ち、甲高い音を立て。
声を上げる事すらできず、ノアの身体が倒れる。
ノアは、即死はしなかった。辛うじて残った意識が、彼自身の視線を頭上に向けさせる。
そこにいたのは、両の瞳が共にリーバードの瞳となった、黒衣の男の姿だった。
丸い唾の黒い帽子。身体は、黒いマントで覆われている。
身に纏う衣装とは正反対に青白い肌をした、痩せこけた顔のその男は、ノアを見下ろしていた。
『何か言い残す事は』
ノアは薄れつつある意識の中で、ぼんやりと男を見上げる。
彼は微笑んだ。
「実に、楽しかったよ」
男はそれを聞き終えると、傍らに落ちていた十字架の剣を拾い。
容赦無く、ノアの額に突き立てた。
もはや、ノアは何の反応も示さなかった。
笑った表情のまま、彼の顔も、髪も、手足も灰へと還ってゆく。
やがて身に纏っていた白衣を残して、分身のタナトスと同じく、灰の山へと姿を変えていった。
クロウは、ただ呆然とするしかなかった。
ノアがタナトスに剣を突き立て、勝利した筈だ。
それなのに、突然現れた男によって、呆気なくノアは死んだ。
それがただ、信じられなかった。
ノアの死を見届けた黒衣の男は、不意に踵を返す。クロウの元へと。
「(一体何だ…あの男は…!!?)」
クロウは胸中で自問するも、直感が既に答えを出していた。
今までノアが闘っていたのは偽者であり、今自分の元へと歩いてくるその男こそが、真のタナトスなのだと。
クロウは動けなかった。今しがた現れた真のタナトスの持つ雰囲気という、ただ一点だけのために。
それは明確な殺意でも、憎しみでもない。ただただ不気味な圧力。それが、自分に向けられているのだ。
だがそれでもクロウは、己に残る気力を振り絞り、腕の中にゼゼを抱いたまま、刀の柄に手をかけた。
冷や汗が、額を流れる。
タナトスはクロウの間近まで来ると、言った。
『ここまで良く戦った。ロックマン・ミラージュ』
声ではなかった。
タナトスは口を動かしていない。ただ、その両のリーバードの瞳でクロウを見ているのみである。
だが――その声が、クロウの頭に響いてきたのだ。
『本来ならば、この姿を見た時点で、汝は消さねばならない』
クロウは、再度タナトスの青白い顔を見た。頬は痩せこけ、両のリーバードの瞳の周りは落ち窪んでいる。まるで、骸骨の様だった。
『だが、最終幕の間近でそれは行えない。行えば、また三千年前からのやり直しだ』
クロウはただ、その場を身動ぎもせずタナトスを睨む。
『よって、今すぐこの場を離れるがいい。そして忘れろ。「タナトス」も、「ノア」も、何もかも。汝は汝の運命に、向き合うがいい』
タナトスの言葉に、クロウは答えなかった。
答える代わりに、彼は後ろを向いてゼゼの身体をその場に横たえる。
「…俺は」
言いながら、彼は立ち上がり、振り返った。
「俺達の運命を弄んだ…貴様を許さない…!!」
クロウは、刀の柄に手をかけた。
タナトスはそんなクロウの様子を眺め、僅かに目を細める。
『そう答えると思っていた』
タナトスを睨んだまま、ただ無言でクロウは刀の柄に手をかけたまま静止する。即座に抜刀できる、居合いの構えで。
相手が相手なのだ。迂闊に、手を出せなかった。
『火の雨が止んだ。この意味が分かるか?』
タナトスの言葉に、クロウはタナトスに細心の注意を払ったまま、視線を頭上に向ける。
確かに、先程まで空を覆いつくしていた筈のビットは、もう大半が撃墜されていた。
『汝に、助けは無いということだ』
その瞬間タナトスは、おもむろに片手を勢い良く、上に伸ばした。
「っ!!?」
それと同時に、周囲から無数の糸が、クロウの身体に絡み付いてくる。
即座に抜刀するクロウだったが、その刀身は糸を断ち切れなかった。
防ぎ切れない。そう判断したクロウは地面を蹴り後退しようとするが、背後からも糸が巻き付いてくる。
「グッ…ァ…!!」
脱出しようともがくが、もはや不可能だった。既に、全身を糸が縛り、遂に彼は空中まで引き上げられ、両腕を左右に伸ばされた格好となっていた。
「ガハッ…貴、様…!!」
空中に拘束されながらも、地上にいるタナトスをクロウは睨みつける。タナトスは、そんなクロウに視線を向けた。
『汝がどう答えようと、こうするつもりでいた。口を噤もうと、記憶は簡単には消えはしない』
タナトスの言葉に、クロウの背筋に冷たいものが走る。
そしてそんなクロウの予感は、当たっていた。
『その頭蓋、割らせてもらうぞ。安心しろ、気が付いた時には、汝の記憶にノアも、タナトスも、この痛みの記憶も、ありはしない』
それを聞いた瞬間にクロウは、精一杯目を見開き、タナトスを睨んだまま、全身に力を入れる。
「やめ、ろぉ!!!」
痛みが電流の如く全身を走り、アーマーが割れ、間接部から血が流れ出した。
それでも、クロウは止めなかった。自分の身体が傷ついてゆくのを意に介さず、クロウは力を入れ続ける。
こんな所で、終わらせたくなかった。せめて、憶えておきたかったのだ。自分の目の前で死んだ者達を、一人残らず、全て。
『頚動脈から血が噴き出すぞ。死にたいか』
「貴様のっ…思い通りに…なるくらいなら…!!」
タナトスの言葉通り、クロウの首を拘束する糸からも、僅かに血が流れ出す。既に彼の真下の地面は、血溜まりとなっていた。
その様子を眺めていたタナトスが、容赦なく言い放つ。
『ノアは狂人の演者だった。だが自らの命をそれほどまでに軽く扱う汝は、紛れも無く、自覚なき狂人だ』
もはや、タナトスの言葉に対して言い返す余裕も無い。それでも、クロウは頭の中で叫び返した。
「(それが、どうした!!たとえ俺が狂人でもいい。たとえ俺がこれから死ぬ事になろうと、貴様の思い通りに頭を弄られるくらいなら!死んで行った、者達を…忘れる位なら…!!)」
一拍の間を置き、タナトスは言葉を紡ぐ。
『だが、それでいい。やはり、汝を選んだのは正解だった。舞台を踊れ、ロックマン・ミラージュ。次の演目も、期待している』
その言葉を聞いた瞬間に、クロウは見た。最後の糸が、自分に迫ってくるのを。
「く、あ、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
最後の全力を絞り、クロウは糸に反抗する。遂に彼の頚動脈が切れる、その寸前。
一発の銃声が、その場に響いた。
「ッ…」
銃声とほぼ同時に、タナトスの身体が震える。その背中に銃弾の穴が開いており、そこから一筋の煙が上がっていた。
即座にタナトスが振り返り、同時にクロウも、そこで初めて銃声の主を視認した。
ノアだった灰の山の中から、明らかにノアではない何者かが立ち上がっていた。
その何者かの右手には銃が握られており、その銃口から煙が上がっている。
タナトスが目を見開いた。
その瞬間に、再度銃の引き金が引かれ、銃弾が、タナトスの胸に炸裂する。
ようやく、銃を持っていたその人物が、腕を下ろした。
身体中に灰が纏わりついたその人物は背が低く、距離があるクロウから見ても、彼自身の胸辺りの高さまでしか無いように見える。
その人影は、周囲の灰を吸い込んだせいか数回咳をすると、左手で身体に付いた灰を払い落とした。
ようやく灰が落ちたその姿は、金色の頭髪が背よりも長く伸びた、少年だった。
その身体にはノアが着ていた筈の白衣を纏っており、余った袖を捲っている。
その長い髪の間から見える少年の顔が、かつてノアが見せた、研究所の更に地下で眠っていた少年のものであると、クロウはすぐに思い出した。
タナトスは少年の姿を見ると、声を上げる。
「馬鹿な…!!」
少年はただ、真っ直ぐにタナトスを見つめていた。暗い青色の瞳で。
やがて少年は静かに、しかし堂々と言葉を紡いだ。
「一つ聞く。この事態を予想したか、タナトス」
「お前は…イデア…!!」
タナトスが動揺した声を発する。そう、今度は頭に直接伝えるのではなく、発声していた。
そして同時に、タナトスの身体が震え始める。
それは彼自身にも予想外の事だったのだろう。震える己の全身を、信じられないような目で見つめると、タナトスは言った。
「これは…まさか…!」
少年は決然とした瞳でタナトスを見据えると、堂々と、しかし感情を含まない声で言う。
「違う。貴方がゼゼに、ノアへと撃ち込ませた銃弾ではない」
そう言うと少年は、たった今タナトスに撃った銃を見せた。
「尤も、銃はゼゼが持っていたものだけどね」
その言葉に、タナトスはただ、愕然とした目で少年を見るだけだった。
少年は淡々と説明を続ける。
「貴方に撃ち込んだのは、私が精製した銃弾だ。ゼゼによって体内に撃ち込まれた銃弾を元にして、自らを傷つけていたナノマシンを更に加工し、注入した…」
一拍を置き、少年は締めくくった。
「撃たれれば、身体が内側から破壊される銃弾だよ」
「馬鹿な…しかし、それでは…!」
明らかに苦悶の表情で、タナトスは尚も言い募る。少年は無表情のままだったが、しかしその目だけは様々な感情を宿していた。
「加工したのは、主に制御機能だ。つまり、貴方が制御できないようにナノマシンに手を加えたんだよ」
少年は、最後の説明を容赦無くタナトスに向け、言い放った。
「つまり、私は貴方と戦っている間に、自らの体内で切り札を作っていたんだ」
「な…ぐうっ…!?」
両手に妙な音が鳴り、タナトスは自身の掌に視線を向ける。
彼の両手には、大きくヒビが入っていた。
「馬鹿な…こんな、こんな結末が…!」
ゆらゆらと揺れながら、そして苦しみながらもタナトスは、一歩一歩、少年へ向けて歩き始めた。
やがて少年の間近まで来ると、彼はその手を少年の首にかける。
だが、その手に力は入らない様だった。
「タナトス、貴方の言う通りだ。人は悩み、苦しみ、生きて、そして死ぬ。それこそが人の価値だ」
少年は、苦しむタナトスを真っ直ぐ見据えたまま、喋る。
静かに、諭すように。
「それが人の価値であるからこそ、貴方が利用していいものでは決して無いんだ…タナトス」
タナトスは尚も力を込め、少年の首を絞めようとしたが、遂にそれは叶わなかった。
最初に両足が砕け、続いて地面に落ちたその身体は、ガラスのように粉々に砕け散り、後には黒いマントと帽子のみが残る。
タナトスの身体が砕けるのとほぼ同時に、糸による拘束が緩み、クロウはかろうじて着地した。彼は身体中にできた傷の痛みに顔をしかめながら、今しがた現れた少年の様子を見つめる。
少年はタナトスの亡骸を、ずっと見つめ続けていた。その顔に勝利の喜びは無く、代わりに哀しんでいるように、クロウには見えた。
最終更新:2013年12月29日 23:27