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「…よう、半日ぶりだな」
冷や汗を隠せずに、しかし俺はできるだけ気軽な口調で言った。
「…何故お前がここに?」
信じ難いほど冷徹な口調で、ジョニーが疑問を口にする。
正直、先程の戦闘を垣間見た後だと尚更、銃で俺がジョニーに勝てるとは思えない。そしてそれはジョニーも理解している筈だ。恐らくジョニーが発砲しないのは、単純に俺がここにいる事への疑問からだろう。
俺は数歩後ずさりしながら、口を開く。
「依頼の調査で、ここの男達に用があって来た。今から帰る所だ」
「その男も絵を盗んだ者達の一人だな」
困ったものだ。俺に疑問を呈しておいて、俺の話を全く聞きやがらない。断定するような口調で、ジョニーは俺の後ろにいるポール・フローライトへと視線を向けた。
「いいや、こいつは無関係だ。こいつをあの男達から連れて帰るのが俺の今回の依頼内容でな」
「人数が足りない」
最低限の事だけを語るせいで分かり辛かったが、数秒考えて俺はジョニーの言いたい事が理解できた。
「つまり…それは…殺した人間の数と、強盗の数が…って事か?」
「残りは絵を保管していた倉庫に手引きした人間だ」
先程の話からすると、それは紛れも無くポールの事だ。恐らく、俺の背後で奴は青い顔をしているだろう。
「そして、そいつの顔の情報は入ってる」
淡々と、冷たい眼光が、俺の背後にいる人間へと向けられた。
まずい。これは詰んだかもしれん。そう思いながらも、俺は最後まで足掻く事にした。
「…こいつは他の奴らとは違う。困窮により仕方無く奴らに手を貸したんだ。反省もしてる」
俺は銃を構えながらも、ジョニーに向かい言い募る。こうなったらとことんまで。
「『絵』なら俺が、お前の組織のマクスウェインに渡す事になってる。これで全て丸く収まる筈だ」
ジョニーは答えない。が、発砲もせず、その場に微動だにしないで俺とポールに眼光を向けたままだった。
だが、いつ発砲するか分からん。だからこそ、俺は最後まで言葉を尽くした。
「あれだけ殺したなら、もう一人殺さなくとも十分な筈だ。そうだろ?」
だが、次にジョニーが発した言葉は、俺の期待を粉微塵に打ち砕いてくれた。
「殺す人数は指定されている。まだ足りない」
駄目だなこれは。あいつはポールを生かしてここから帰す気など無い。今回ばかりは駄目かもしれん。
そう思いながらも油断無く俺は銃を構えたまま、ジョニーを睨む。
ジョニーの方も俺を睨み、銃を構えたままだ。だが、いつ発砲してもおかしくない。
まだ何か、この状況を長続きさせられる問答は無いか。そう考えた時、俺の頭にピンと来るものがあった。

俺の事務所から、強盗団が最初にアジトにしていた廃工場まではそう遠くない距離だった。
ブルースは、その廃工場の近くで死んでいた。
そして昨日、俺は徒歩で酒場に向かい、その酒場で一人の男に会ったのだ。
目の前の、ジョニー・ケルズに。
ブルースの死亡時刻は、丁度俺とジョニーが酒場で飲んでいた時間だった。だが、その死亡時刻は所詮検死解剖の結果出たものだ。数時間の誤差があったっておかしくは無い。
ジョニーがブルースを殺し、その足であの酒場に行っていたとしても、何ら不思議は無いのだ。
全く。何故、この可能性が最初に浮かばなかったのか。
「一つ聞きたい。ブルース・ラインハンを殺したのは、お前か?」
意を決して放った俺の言葉に、ジョニーは顔色一つ変えず、言った。
「誰だ」
「昨日、『絵』を取り戻そうとして死んだ、俺と同じ…探偵だよ」
そう説明した俺の言葉にも、ジョニーの反応は希薄だった。
「知らんな」
呆気ない答え。それが、逆に俺には気に食わなかった。
「そうだろうよ。殺し屋が、殺した人間の事なんていつまでも覚えてるわけない」
その言葉に、ジョニーの眼が僅かに見開かれる。驚愕ではなく、怒りのためだと分かった。
どういうわけか、俺の言葉がジョニーの逆鱗に触れたらしい。
「いいや…殺していたのなら、忘れない…!」
引き金を引く代わりとでも言うように、強い語気で紡がれたジョニーのその言葉に、俺は返す言葉を失った。
しばらく、その場を沈黙が流れた。

不意に、この永遠に続くかと思われた状況に変化が生じた。
ジョニーの後ろ、駐車場の入口から、更にもう一人現れたのだ。

それは、血塗れのルーサー・バーンズだった。

腹に何発も風穴が開いており、顔面も血塗れで、今にも死にそうだ。
だが、あの屈強な強盗達のボスだっただけはあるらしい。正確無比なジョニーの射撃を受けても、致命傷となる箇所は避けていたようだ。頭部や心臓の周囲は撃たれていなかった。
とはいえ、腹に開いた穴からは黒い血が流れ続けており、その命が長くない事は誰の眼にも明白だった。
問題は、そのルーサーがライフルを手にしていた事だ。
「この…野郎があああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
その時ルーサーのライフルの射線上には、まず奴の目の前にいたジョニー、そしてジョニーと銃を向け合っていた俺、更に俺の背後にいたポール、そして車があった。
俺はジョニーの意識がルーサーに向いた瞬間に、撃たれるのを覚悟で背後のポールに叫ぶ。
「車に乗れ!!」
俺がこう叫んだのは、ルーサーが叫んでいる最中だった。
ポールはルーサーの出現に我を失っていたが、俺の声に自分を取り戻したようだ。急いで自動車のドアを開けて、転がるように中へ入る。
ポールが車に入ったのと、ルーサーが引き金を引いたのはほぼ同時だった。

が、ライフルから、弾は出なかった。

「あ…な、な…!!」
とっくにライフルの残弾はゼロだったのだ。狼狽するルーサーの右目に銃弾が飛び込んだのは、その瞬間だった。
振り向き様に、ジョニーが片手の拳銃の引き金を引いていたのだ。
だが、それが唯一の隙となった。
俺はルーサーが撃たれるのを尻目に、車の運転席に乗り込んだ。
再びジョニーが俺達に注意を向けた時は、俺は既にエンジンをかけていた。
「伏せろ!!」
横にいるポールに向かってそう叫びながら、俺は全力でアクセルを踏んだ。
案の定、窓から見えるジョニーは俺達に向かって銃を向けている。
俺はできる限り頭を低くしながら車を発進させ、自動車用の出口に向かって車を走らせて行った。


薄暗くなりつつある道路にスピードを出して車を走らせながら、俺は先程まで迫っていた死の恐怖に、汗をかいていた。
あの時ジョニーが撃っていれば、奴の腕ならば間違いなく俺の頭に銃弾を叩き込めたに違いない。
既にあの倉庫からはかなり距離ができた。が、ジョニーが尾行してきていない保障は無い。
俺はバックミラーで後ろの様子を確認しながら、依然スピードを出して車を走らせた。
ここは工場地帯で人通りがほぼ無い。それが幸いだった。
ようやく倉庫が見えなくなり、尾行も無いと確信できた時、漸く俺は隣のポール・フローライトに向かって声をかけた。
「ルーサー・バーンズ達が最初にアジトにしていた廃工場は、ここからどう行けばいいか分かるか?」
「あ、ああ…すぐ近くだ」
そうだろうな。何せ、奴らが網を張る時間的余裕があったんだから。
そう考えつつ、俺は再度車を走らせながら、工場から少し離れた場所に止めた自分の車の事を思った。
よりによって、ソフィアはあの車のトランクの中に絵を入れたらしい。
確かに昨日は、珍しく車を事務所の駐車場に置きっぱなしにしていた。更に言えば、トランクなんて最近使ってなかったから、鍵も開けっ放しだったかもしれない。
自分の無用心さに、俺は呆れた。知らないうちにトランクに爆弾でも放り込まれてたら一巻の終わりだったろう。
そして何より、俺は数時間前にルーサー達に気絶させられてあの倉庫に連れて行かれたので、車は通りの端に置きっぱなしの筈だ。
空を見れば、もう日は沈みかけている。つまりそれだけの時間、車は放置されているわけだ。車上荒らしに遭っていてもおかしくない。
色々と募る不安を覚えつつ、俺はポールの指示した道を運転した。


不意にコートに入れた携帯電話が鳴った。
恐らく、マクスウェインが工場に着いたと知らせるためにかけたのだろう。携帯の番号は事務所のどこかしらにあるだろうから、マフィアの連中が事務所を荒らし回りでもすれば見つかる。
そんなネガティブな事を考えつつ携帯に出ると、相手は違っていた。
「もしもし…スティーブ?」
刑事のエリス・ブラウンだった。その声を聞いて、俺は警察に強盗団のアジトで銃撃戦が繰り広げられた事を話す必要がある事に思い至った。
「エリスか。丁度かけようと思ってた所だ」
「え?どうしたの?」
戸惑うエリスに、俺は強盗団のアジトの住所と、そこで銃撃戦があった事を話して聞かせた。
「あなた、また無茶を…!」
「心配ありがとよ」
そう言い残して電話を切ろうとした所で、俺は思い留まった。
何故かと言えば、今はまだ警察の勤務時間が終わっている時間ではなく、こんな時間に刑事であるエリス・ブラウンから電話がかかってくるのは、極めて珍しい事だったからだ。
「それより、お前の用件は何だ?」
俺の言葉に、エリスはようやく自分から話す事があったのを思い出したらしい。
「ああ、そうね…ブルース・ラインハンが撃たれた銃弾の、弾道検査の結果が出たの」
そう語るエリスの声は、緊張を帯びていた。
「…いいのか?捜査情報を俺に話して」
「あなた、彼の友達だったんでしょう?」
友達というと、少し違う気がする。ブルースとは同期で興信所に入り、一緒に飲んだりもした仲だったが、俺は常に喧しい奴の言動があまり好きではなかったのだ。
とはいえ、だからと言って奴が死んで何も思う所が無いわけではない。そして、だからこそ俺は今、無報酬でこんな事件に首を突っ込んでいるのだ。
「…そうかもな」
俺の返答を予想していたのか、エリスは静かに苦笑しつつ、言った。
「それと、あなたを信用しているから話すの。他言はしないでね」
「ああ」
こう答えはしたが、あまり自信は無かった。
とは言え、もうブルースが死んだ理由も、誰が殺したかも当てはついている。そして殺したと思われる最有力の容疑者の一人ルーサー・バーンズは、先程もう一人の最有力の容疑者であるジョニー・ケルズに射殺されてしまった。
だがそれでも、俺がこれまで調べた情報の裏づけにはなるだろう。俺はエリスの話を聞く事にした。
「落ち着いて聞いてね。ブルース・ラインハンを撃った弾だけど…」
だがエリスの答えは、俺の今まで得た情報を覆すものだった。

「彼自身が持っていた拳銃から発射されたものだったの」


「そこを曲がってしばらく行けば、工場に着く筈だ」
エリスの言葉に一瞬遅れて、ポールがそう言った。だが、俺は驚愕のあまり言葉を聞く事ができず、直進してしまう。
「ど、どこへ行くんだ!?」
驚いたポールの言葉に、俺は慌ててブレーキを踏む。
ダッシュボードに頭をぶつけそうになるポールを横目に、俺は車を道の端に寄せてエンジンを止めると、頭をエリスとの会話に戻した。
「聞かせろ。一体どういう事だ」

エリスとの話が終わると、俺は携帯をしまい、そして目の前のハンドルの上に手を置いた。
片手で煙草を取り出して火を点け、そして考える。
傍らのポールは、少し怯えの混じった表情で俺の様子を見守っていた。
「なぁ…急がなきゃいけないんじゃないのか。娘の命が」
「悪い。少し黙っててくれ」
俺は、今しがたエリスから得た情報を、頭の中で整理した。今までの情報と一緒に。

全てを繋ぎ合わせると、出る答えは一つだ。
だがその答えは、俺にとっては酷く気に入らない答えだった。
別の答えがないかと、頭の中で考え続けた。
けれど結局、一番自然に情報のピースが嵌るのは、その答えしかなかった。
俺は、諦めてその答えを受け入れる事にした。


車をUターンさせ、廃工場の方へと走らせる。
もうマクスウェイン達は着いてるだろう。奴らに会う前に、俺の車から絵を取ってくる必要がある。車上荒らしに盗まれていなければだが。
既に夕日は沈みつつあり、辺りは薄暗い。俺はこれまでの事を思い返して、昨日の今頃はまだブルースは生きていたのだという事に気付き、無意識のうちに舌打ちした。
もうすぐ工場に着くかという所で、俺の車へと辿り着く。見た限り、車上荒らしには遭ってはいないようだ。
安堵と共に車を止め、俺は車を出て自分の車のトランクを開けた。

大き目のジェラルミンケースが入っていた。

普通のものよりかなり大きく、そして平たい。特別製だろうか。
横からこれを見たフローライトが驚きの声を上げる。
「何でそれがここにあるんだ!!?」
「ソフィアがここに隠したんだよ」
そう言えば絵の在り処をこいつに教えていなかったな。俺は恐る恐るケースを手に取り、開けてみる。幸いにも、鍵はかかっていなかった。
思った通り、中には薄い白布に包まれた額縁が入っていた。
無いとは思うが、額縁の中身が無い可能性もある。一応見ておく方がいいだろう。
だが、俺は絵の実物を見た事がない。朝にレベッカから渡された新聞で見た気もしたが、数時間前にルーサーに殴られたせいなのか、思い出す事ができなかった。
「おい、ポール」
「あ、ああ…」
「絵の実物は見てるな」
言いつつ、俺は額縁を包んでいる布を解いた。

そこには、墓の前に佇む、白い翼を背負った女性が描かれていた。

「…これで間違いないか」
隣で、ポールが息を呑むのが分かった。
「ああ。これが『天使の懺悔』だ…!」
その言葉を聞いた俺は、再度布で額縁を包み、ジェラルミンケースに入れる。
そしてトランクから取り出した。
「それを、どうするんだ?」
「これをマフィアに渡さなけりゃ、お前の娘が死ぬ」
俺の言葉に、ポールは愕然とした表情となった。これも言ってなかったか。
「し、しかし…」
「しかし何だ。あんたにとって、娘の命とこの絵と、どっちが大事だ?」
ポールはガックリと肩を落とした。
その様子を見て、俺は以前興信所のボスが言っていた言葉を思い出した。『優れた芸術は人を狂気に陥れる』だったっけか。
とにかく、とっとと行かなけりゃレベッカとソフィアが何をされるかわかったものではない。俺はポールを促し、絵を持って廃工場へと向かった。


「待たせたな」
廃工場の入口で、俺は中にいた男達に向かってそう言い放った。
既に陽は落ち、辺りは真っ暗だ。その為、懐中電灯を持っていた黒服の男達が、その光を一斉に俺と横にいるポールへと向ける。
「スティーブ!」
「遅かったですね」
レベッカとマクスウェインの声が聞こえた。光を向けられているせいで、こちらから姿は見えなかったが。
俺は持っていた大型のジェラルミンケースを前方に掲げた。
「約束通り『絵』は持ってきた。レベッカとソフィアを解放しろ」
俺の言葉に、マクスウェインが堂々とした口調で応じる。
「ケースを見せられただけでは、解放はできかねます。ちゃんとケースを開いて、ここで見せて頂きますよ」
そう言われるとは思っていた。俺は頷くと、床にケースを置く。
「今見せる。少し待て」
そしてケースを開き、中に入っていた額縁を包んでいる布を取り払うと、マクスウェインに向かって掲げて見せた。
「これで合ってるか?」
数秒間、奴らが俺と俺の持っている絵を観察する。やがて俺達を照らす光の前に、一人の男が歩いて出てくるのが分かった。
背格好から、それがマクスウェインだと判断できた。
逆光のせいで表情は見えないが、今奴がどんな表情をしているのかは容易に想像できる。
「ええ、間違いありません。およそ今から150年前に描かれた、著名な画家であるヴィクター・ヴァン・ゴールンの初期の傑作。強盗さえ入らなければ、オークションでどれほどの値がついたのか想像もできない」
そんな貴重な絵を金儲けの道具としか考えないお前らの心理の方が俺には想像できないがな、と胸中で俺は毒づいた。
「これから、これをお前らに渡す。同時にレベッカとソフィアを解放しろ。それでいいな?」
「勿論です」
「それからもう一つ条件がある」
「横の男の事ですか?」
やはり、ポール・フローライトの顔も奴らに割れていたか。生きているのを驚いていない所を見ると、ジョニーから奴に連絡が行ったのかもしれない。
「ああ。もう強盗達はこいつ以外生きちゃいない。それにこいつは保管場所への手引きをしただけだ。これ以上、血を流すのをやめろ」
思った通り、しばらくマクスウェインは沈黙したが、やがて言った。
「ま、こちらも犯人の大部分は消しましたし、いいでしょう。ただし一つ条件があります」
相変わらず逆光で表情は分からないが、そう発言した瞬間にマクスウェインの視線の鋭さが増したと俺は思った。
「言ってみろ」
「その男――ポール・フローライトが、今から24時間以内にこの町から消える事です。でなければ、我々は彼を殺さなければならなくなる」
俺は横にいるポールに横目を向けた。ポールは緊張で汗を流していたが、俺の視線を受けると、迷うことなく頷く。
それを確認すると俺は再度マクスウェインに視線を向け、言った。
「それでいい。さぁ、レベッカとソフィアを解放しろ」
俺の言葉を聞くと、マクスウェインは俺達に背を向け、片手を前後に振る。途端に黒服の男達から解放されたのだろう、レベッカとソフィアらしき背格好の二人が、光の中をこちらへ向かって歩いてきた。
「ソフィア…!」
「動くな」
ソフィアを迎えようと、走り出そうとしたポールに、即座に俺は言う。
「気持ちは分かるが、下手な動きはするな。奴らはマフィアだぞ…!」
ポールが生唾を飲み込んで頷くのを確認したあと、俺は絵を持って歩き出した。

次第に、歩いてくるレベッカとソフィアが近づく。
俺は二人が偽者である事も考慮して、遥か後方にいるマクスウェインの影と同様に、二人の影にも注意を払った。
だが、やがて近づくに連れて二人が本物である事を確認した。

そして、覚悟を決めた。

俺の横を、レベッカとソフィアが通り過ぎる。
その頃合を見計らって、俺は口を開いた。
「ソフィア」
俺の横を通り過ぎたソフィアが立ち止まるのが分かった。
俺は振り向き、そんなソフィアの顔を眺める。懐中電灯の光が少女の顔を照らしていたので、俺からはその不安そうな表情がよく見える。
そして、そんなソフィアから数歩分離れた距離で、レベッカが怪訝そうな表情をして振り向いていた。
俺は意を決して、言った。
「一つ、嘘をついたろ」
俺の言葉に、ソフィアは僅かに目を見開く。
「警察に行かなかったのは、父親を犯罪者にしたくなかったからじゃない。自分が捕まりたくなかったからだ」


「ブルース・ラインハンを殺したのは、お前だろ」


その瞬間、少女の表情に浮かんだのは、深い絶望だった。


その後、絵をマクスウェイン達に渡し、奴らが撤収していくのを見送った。
そして廃工場に残ったのが俺達だけになった事を確認すると、俺は口を開く。
「ポール、さっきの話は聞いてたな」
「あ、ああ…!」
ポールは娘の肩に手を乗せたまま、不安そうな表情を浮かべている。
「今夜のうちに町を出ろ。金が入り用なら貸してやる」
「分かってる。それに、金は自分で何とかする」
そう言うと、ポールは娘に視線を向けた。ソフィアは怪訝な顔で父親を見上げる。
「少しは、父親らしくなりたいんだ」
「好きにしろ」
俺はそう言うと、ポケットから煙草を取り出して火を点ける。
着いた頃は日が沈んだばかりで廃工場の中は暗闇に包まれていたが、今は月が出ている。
特に今日は満月のせいで空が明るい。工場内も、月の光のお陰かよく見通す事ができた。
「ソフィア。先程言った事、覚えてるな」
途端に、ソフィアの顔に緊張が走った。だが俺の言葉に一番派手な反応を示したのは、そのソフィアでも、父親のポールでもなかった。
「ちょっと、今更この子に何の話があるっていうの!?」
一番厄介な奴だ。
どうやら、レベッカには先程俺がソフィアにかけた言葉は聞こえていなかったらしい。
「レベッカ。いい加減何にでも首を突っ込むその姿勢を改めたらどうだ」
「余計なお世話よ。それに…どうも今日のあんたは何か隠してる感じがするわ。私にも聞かせてもらうわよ」
駄目だ。こうなったらこいつは何が何でも同席しようとする。俺は諦めた。
ポールにも聞かせるかどうか迷った。事情が事情だけに、父親にも聞かせる必要があるだろう。俺は口を開いた。
「ソフィア。今度は嘘は無しだ。父親から絵を託され、黒人の大男と鉢合わせし、そして銃撃戦の末にお前は黒人の大男に攫われた。その後の事だ、話してみろ」
「スティーブ!あなた、分からないの!?この子にとってそれを話すのがどれだけ苦しいか…!!」
そうレベッカが抗議の言葉を上げている間に、ソフィアは父親の傍から離れると、そのレベッカの服の裾を引っ張った。
驚いた顔で振り向くレベッカに、ソフィアは首を振る。
「いいんです。私…話さなきゃいけない」
それ以上、レベッカは何も言えないようだった。

俺はまず、自分の推理を話す事にした。
ソフィアの表情を見る限り、恐らくあまり違う点は無い筈だ。
「まず、順を追って話す。ポール、お前は『仕事』が終わるまで、娘をこの工場に残らせたな」
娘の様子に戸惑いの色を見せていたポールは、それでも首を縦に振った。その顔には娘同様に、緊張が表れている。
「そして無事に『仕事』を終えた強盗達は、ここで成功を祝って酒盛りでもしてたんだろう。だがお前は、罪悪感に駆られて酒など飲めなかった筈だ。娘もいたしな」
俺の言葉に、再びポールは頷いた。緊張で言葉を紡ぐ事も難しいのかもしれない。
ソフィアも同じように緊張した表情のまま、俺を見つめている。レベッカもだ。
「そして、『絵』を娘に託した。警察に、渡すようにと」
「ああ…その通りだ」
やはり緊張の面持ちのまま、ポールがそう答える。
今度は娘のソフィアに視線を向け、俺は話を続けた。
「ソフィア。お前は『絵』の入ったケースを持って、工場を出た。そしてそこで、一人の男と鉢合わせた」
途端に、ソフィアの表情に浮かぶ緊張の色が濃くなる。だが、俺はそれに気付かないフリをしたまま話を続けた。
「男の名はブルース・ラインハン。奴は強盗の行われたオークション会場に護衛として雇われてた。だが強盗を取り逃がした。そのせいで、恐らく奴はオークションの主催者に色々とやり込められたんだろう。頭に血が上り、やがて独自のルートで強盗達のアジトを突き止めた」
ここで一拍を切る。この辺りの情報は、ポールもソフィアも知る由も無かった筈だ。予想通り、二人とも顔を見合わせ、どう反応していいか分からない、といった表情をしている。
レベッカに至っては、何故今そんな話が必要なのか分からない、と目で語っていた。
「そしてアジトに辿り着いた時、ソフィア、お前と鉢合わせたんだ」
ゆっくりと、ソフィアは頷いた。俺もそれに合わせて頷き、話を続ける。
「この工場の周りは同じような使われていない工場だらけで、住宅なんて無い。そこに、自分の探している『絵』を入れられるようなサイズのケースを持った子供が一人いた。しかも深夜に近い時間帯だ。奴はピンときたろう。そして、まずはお前さんの手から奪おうとした筈だ」
核心に近くなってきたからだろうか。それともその時のトラウマでも思い出したからだろうか。途端にソフィアの顔が、泣き出しそうになった。
ポールはそんな娘の様子を心配そうに見つめている。だが、口を出そうとはしなかった。
「子供から無理矢理奪うだなんて…酷い…!!」
そんなポールの反応とは対照的に、レベッカが憤りを全く隠さぬ様子で言う。俺もそれには、正直同意せずにはいられなかった。
「だがその時、争う音で強盗達が気付いた。焦ったブルースは、仕方なくお前さんごと『絵』を奪い、逃走した」
この俺の言葉にソフィアが首を振る。
「争う音じゃなくて…私が、悲鳴を上げたんです」
なるほど、そういう流れだったか。俺は納得しながら、話を続けた。
「そして…お前は、隙を見てブルースの腰のホルスターから銃を奪った」
あえて無感情で話す俺に対して、ソフィアの目には早くも涙が溜まっていた。
そこからは話す必要が無かった。ソフィアの方から語ってくれたからだ。
「私、あの人にケースごと連れ去られて…すぐ後ろで銃声が聞こえました。撃たれるんじゃないかと怖くて、しばらくは動けなかった。でも、銃声が止んで、後ろから聞こえる声が遠くなった頃に、今度はすぐ傍にいる男の人が怖くなったんです」
俯き、静かにそう話すソフィアの声は、工場内に反響していた。
俺は煙草の煙を吐き出しながら、その様子を見守る。レベッカでさえも、言葉が出ないようだった。
「気が付いたら、私を抱えてる男の人の脇に手が入って…私の手に、銃が握られてました。それに気付いた男の人が、驚いて叫んだんです。でも私…それに、驚いてっ…!」
ソフィアの目から涙が溢れる。俺は続きを引き取ってやった。
「引き金を引いた…か」
縦に首を振るソフィアの目から、雫が散った。
「そんな…」
ポールが、愕然とした表情でそう呟く。親子が落ち着いて事実を受け入れるまで待ってやりたいが、しかし時間が無い。俺は、無感情にこう言うしかなかった。
「続きを聞かせろ」
途端にレベッカが抗議の声を上げようとするが、俺は無言でレベッカを一瞥した。
ここから先を、俺は聞かなきゃならない。これが俺にとっての今回の件の報酬であり、かつての同僚との別れの代わりになるだろうと思ったからだ。
流石に空気を読んだのか、レベッカも声を上げなかった。
ソフィアの方は、再び嗚咽交じりに言う。
「その、人…血を流して…その場に座って、私に言ったんです。『あいつなら、決着をつけてくれる』って…そして、驚いてて何もできなかった私に、あの名刺を渡したんです」
俺は、出かける前にソフィアから受け取った、血の付いた名刺を取り出した。
それを見つめたまま、俺は口を開く。
「それで、名刺に書いた住所を頼りに、俺の事務所まで来たのか」
頷きながら、ソフィアは言った。
「でも、不安だったから…ケースごと、絵を隠したんです。事務所のすぐ傍にあった車、トランクが開いてたから」
トランクを開きっぱなしで一晩車を事務所の前に放置した自分の無用心さは置いておいて、俺は言った。
「それで、全部か。昨日の夜に起こった事は」
ソフィアは、再び首を縦に振る。
それを合図として、ポールは膝をつくと、娘を抱き締めた。
「ソフィア…すまなかった…!俺は、何て事を…!!」
涙を流して、娘も父親に縋りつく。しばらく、少女の嗚咽が工場内に木霊した。

ソフィアの事を考えるなら、これで終わりでもいいと思った。だが、まだ終わらせるわけには行かない。路地裏でゴミのように死んだ男が、脳裏に焼きついて離れないのだ。
だから、俺は漸く泣き止んだソフィアが父親から離れるのを見計らうと、近づいて片膝を着き、少女と目線を合わせた。
「ソフィア。如何なる理由であろうと、お前の罪は消えはしない」
これから話す事は、ソフィアの年齢を考えると、理解してもらえるかどうかは怪しい所だと思った。
だが、こいつは馬鹿じゃない。それは今日一日で十分分かった。
だから、今は理解できなくとも、いつか必ず理解するだろう。
一瞬ショックを受けたような表情をしたソフィアに、俺は続けて言葉を紡ぐ。
「だがお前を罰するのは他人じゃない。お前自身だ」
そして先程取り出した、血の付いた名刺を差し出した。
「これを肌身離さず持ってろ。それがお前の罪の…証だ」
緊張した顔のまま、ソフィアは僅かに頷いた。

ここで初めて気付いた。少女の表情が泣き出す前とは違っている事に。目の前の現実と、自らの過ちを受け入れ、覚悟を決めた表情になっている事に。

そして名刺を受け取ると、胸に当てて、ソフィアは言った。
「…分かりました。一生、忘れません」

その後、俺はポールと話し合い、後処理の段取りをつけた。
とはいえ、街を出る列車はまだ残っている。俺の車で親子二人を駅まで送り、そこから列車に乗せるだけで良かった。
「正直、どうお礼を言っていいか…ハントさん、あんたがいなかったら、今頃俺も娘もどうなっていたか…」
「そんな事はいいさ。それより、もうこんな事に関わるな。碌な事は無いと十分分かった筈だ」
「ああ…また一から出直すよ。今度は真っ当なやり方で」
この会話を最後に、ポールとソフィアは、列車に乗って街から去った。

レベッカと共に二人を見送った俺は、駅から出て車に乗る。そのままついてきていたレベッカも何故か助手席に座った。
「何か用か。もう俺についてくる理由は無い筈だ」
「…一つ聞きたくて」
そう言って一泊置くと、レベッカは言葉を紡ぐ。
「てっきり私は、あんたがあの子を警察に突き出すかと思った。だから、あんな事を言ったのが、ちょっと…いやかなり意外だった」
「理由が知りたいのか?」
俺の言葉に、レベッカは頷いた。俺は視線をレベッカの顔から、フロントガラスの向こうに見える駅の駐車場へと向けると、話を始める。
「ブルース…ソフィアが殺した男の遺体は、銃を握り締めてた。ソフィアがあいつ自身を撃ち殺した銃だ。何で握り締めてたか考えたんだが、理由が一つしか思い浮かばなかったんだ」
「…何なの?」
正直、ここまで言えば俺が答えを言わなくとも分かりそうなものだが、レベッカにそんな事を期待するべきではないのかもしれない。
ともかく、俺は答えた。
「ブルースは、ソフィアが引き金を引いたのが事故だったと分かったんだろう。だから、少女を犯罪者にしないために、最後の力を振り絞って銃を握ったんだ。自分の指紋で、少女の指紋が隠れるように」
言いながら、俺はその時のブルースがどんな心境だったのかを考えていた。
自分の死を確信した人間。俺がその立場だったら、そんな事を考えられるだろうか。
そんな俺の心情など知る由も無く、レベッカはもう一つの疑問を口にした。
「そう…理由は何となく分かったわ。それで…今回の件、あんたなりに、得るものはあったの?」
それはレベッカにとっては、何気ない疑問だったのだろう。
だが俺はそれを聞いて、気分が落ち込まざるを得なかった。
マクスウェインに『絵』を渡した時の事を、思い返さざるを得なかったからだ。
「…いや…」

マクスウェインの元まで辿り着くと、俺は絵を渡した。
「約束の絵だ。これと引き換えに、この件に関係した者を生きて返す事を約束しろ」
「ええ、ただし先程も言ったように、ポール・フローライトにはこの町から去って頂きます。以後、この町に侵入した場合、命は保障しません」
「それでいい」
俺の言葉を聞くと、マクスウェインは絵を持ったまま振り返り、多数の黒服達と共に工場から出て行こうとする。
その背に、俺は声をかけた。
「一つ聞きたい。その絵はこれからどうなる?」
「ん?そうですね、しかるべき処分を行うつもりですよ」
そう言ってマクスウェインは振り返ると、口元に奇妙な微笑を浮かべる。
その微笑を見たとき、俺は悟った。

「そうか…それは贋作か…!!」

マクスウェインは、俺の言葉に笑みを更に深くした。
「勿論。本物ならば、こんな悠長なやり方はしませんよ」
そして本物だったなら、少なくともソフィアとポールの父娘も生きて返そうとは思わなかった筈だ。下手すれば俺もレベッカも生きてはいなかったに違いない。
胸中に浮かぶ怒りを抑えて、俺は言った。
「それでも随分血が流れたな。贋作だったなら強盗どもを皆殺しにする必要など無かった筈だ」
「いえ。贋作を作成する技術というものも貴重なのですよ。故に、たとえ贋作でも我々の知らぬ場所に流出するのは防ぐ必要がある。私とジョニーが今回動いたのは、そういうわけです」
そう言うと、マクスウェインは部下を引き連れて廃工場を去っていった。
残された俺は奥歯を噛み締め、拳を握るしかなかった。
結局、ブルースはくだらんもののために無駄に命を散らした。それで終わったわけだ。

それを思い出し、それだけでまた俺は、ぶつけようのない怒りに震える。
「…無いな。結局、得るものなんてなかった」
「そう」
そう言って頷くと、レベッカは車のドアを開け、閉めようとして動きを止めた。
僅かに屈んで戸口から俺に視線を向け、レベッカは言う。
「それと、何があったのか知らないけど随分落ち込んでるから、声をかけたくなっただけ」
俺は思わずレベッカに視線を向ける。随分こいつらしくない台詞だったからだ。
呆然とする俺を眺めたまま、レベッカは言葉を続けた。
「得るものはなかったとしても、今回の件でほんの少し、あんたを見直した。だからいつまでも落ち込んでんじゃないわよ」
そう言い捨てて、レベッカはドアを閉めて行ってしまった。
俺も随分と焼きが回ったらしい。まさかレベッカに励まされる日が来るとは。
苦笑しつつ、俺は車のエンジンをかけた。



最終更新:2014年08月24日 21:45