その日、珍しく仕事が早めに片付き、依頼人への報告も終えた俺は、帰りにバーへと向かった。
依頼についてはもう口座に報酬が振り込まれているのを確認するだけだったので、俺は上機嫌だった。最近抱えている、ある気がかなりな点を除いては。
バーはガランとしていた。仕事が早めに終わったからか、いつもなら結構混んでる筈の店内には、まだ客がカウンター席に一人しかいない。
その客は、顔見知りの相手だった。
「今日も潰れるまで酔う気か?」
男の背中にそう声をかける。
くたびれた黒いスーツに肩まで伸ばした黒髪。20代後半で、まだ皺の少ない顔立ち。
男――ジョニー・ケルズは、無表情で俺の方を見た。
「お前か」
それだけ言うと、奴はまた酒を飲み始める。
俺も奴の隣の席に座ると、ウィスキーを注文した。
しばらくすると、何人かの年配の男達がやってきて、カウンターよりも出口に近いテーブル席の方に陣取る。
男達は既に何杯かやった後なのだろう。どいつも上機嫌で、大きな声で談笑している。
とはいえ乱暴な客というわけでもなく、店内を無駄に汚したりはしないマナーも弁えている様だった。
「で、今日は誰のために飲むんだ?」
俺がふと口にした問いに、間髪入れずにジョニーが答える。
「お前のためだ」
それを聞いた瞬間、体温が低くなるのを感じた。
「くく、冗談だ」
俺の顔色を見て、ジョニーは笑みを浮かべつつそう答えた。
「ふっ…くく、はっはははははは!お前でもそんな冗談を言う事があるんだな!」
安堵のためか、必要以上に俺は大声で笑っていた。
ジョニー・ケルズは、マフィア、即ち犯罪組織のロワイアル・ファミリーに仕える掃除屋、つまり殺し屋だ。
そしてこいつは、『仕事』を済ませた晩は潰れるまで酔うことに決めているのだという。
そんな男と顔見知りになった切っ掛けはふとした出来事だったが、それ以来、俺とジョニーは時々バーで顔を合わせると、どちらともなく飲み比べをするようになっていた。
不思議な話だ。俺は個人としてのジョニーは嫌いではないとはいえ、以前の出来事からマフィアは毛嫌いしていたというのに。
それから、幾度か言葉を交わした後、ジョニーは席を立った。カウンターに金を置いて。
「何だ、今日は早いな」
「まだ仕事が残ってる」
「そいつは気の毒にな」
ジョニーはそう言った俺の顔を無表情で眺めると、興味を無くしたように出口へと向かって行った。
それからどれほどバーにいただろうか。
1時間か2時間か、少なくとも深夜1時近くではあったと思う。
俺はすっかり酔い潰れる寸前まで酒を呷り、そしてやっと金とチップをその場に置いた。
テーブル席にいた年配の男達よりは店を出るのは早かったようだ。そう思いながら、俺は酔った頭でここ数ヶ月の案件について考えていた。
あの絵画の件では相当凹まされたが、それ以後数ヶ月は、仕事を順調にこなせている。ジョニーと同じ時期に顔見知りとなった、いけ好かない組織の構成員であるスタンリー・マクスウェインや、顔を合わせてはトラブルを持ち込んでくる新聞記者のレベッカ・ミラーなどともそれ以来会っていない。
このまま順調に行けばいいが。そう思いつつ、俺は店を出て歩き出した。
「スティーブ・ハント」
突然呼び止められ、俺は振り返った。
いつのまにか、店のドアの前にジョニー・ケルズが立っていた。
遥か前に店を出た筈の。
俺はこの状況と、そして今のジョニーが纏う刺すような雰囲気に、奴が何をするつもりなのかを即座に悟った。
「…おい、待てよ。あれは冗談だったんだろ?」
ジョニーは答えない。
ただ、右手をゆっくりと黒いスーツの内側――恐らくは肩から吊っている銃のグリップ――へと伸ばす。
どうする、このまま殺されるのを待つか?
どうすればいい。この状況を脱出する方法が何か無いか、色々な考えが頭を駆け巡る。
だがそんな中、ふと俺の頭を違和感が襲ってきた。
何故最初から銃を持っていない?
殺すつもりなら何故呼び止めて俺が振り向いた時点で撃たなかった?
そもそも――今これだけ思考する猶予をジョニーが俺に与えている理由は何だ?
そこまで考えた時、別の声の絶叫が聞こえた。
「動かないで!!」
女の声だ。振り返ると、車が一台路上に止まっており、両側のドアから二人の人間が出てきてジョニーの方へ銃を向ける所だった。
一人は知っている人間だ。
「銃を捨てなさい!!」
その女――肩まで伸ばした金髪、整った顔立ちに意志の強い目元をした女エリス・ブラウンは、自動車のドアを盾にして油断なく銃を構えていた。
「銃を捨てろ!!」
もう一人は見た事の無い男だ。二人とも私服を着ている。
エリスは30代前半の俺より数歳若い位で殆ど同年代だが、男の方はそれより遥かに若そうだ。今は盾にしている自動車のドアが邪魔でよく見えないが。
俺は再度ジョニーの方へ視線を戻した。
ジョニーは右手をスーツの内側へと入れた姿勢のまま動かない。
だが、その目は油断無く俺と、背後のエリスと男の方に向けられていた。
どうするつもりだ。
俺は目でそう問い質す。ジョニーの目は変わらない。
次の瞬間、状況に変化が起こった。
ジョニーの背後のドア――つまり先程まで俺がいたバーの出入り口――から、客だった年配の男達の集団が現れたのだ。
「!!?」
「な、なんだぁ?こいつは…?」
男達の方はこの状況を見て、驚愕に声を上げている。
エリスともう一人の男の眼が驚愕に見開かれた。
このまま奴らがジョニーを撃とうとすれば流れ弾が一般市民である男達に当たる可能性が非常に高い。
そして、そんな奴らの隙を、ジョニーは見逃さなかった。
次の瞬間、男達を掻き分け、バーの中に入ったのだ。
「裏口に回る気だ!!」
エリスと一緒に居た男がそう叫ぶと、一目散に走り出し、俺や男達を無視してバーの中に入っていった。
訝しむ男達に、俺はなんでもないと言うしかない。男達は俺やエリスに疑わしげな視線を向けつつ、去っていった。
「…納得の行く説明はあるんだろうな?」
俺はそう言うと、ドアの開いた自動車の横で佇むエリスに近づく。
「…スティーブ、分かってる。あなたが怒る気持ちは分かるわ」
「説明しろ。何度も言わせるな」
明らかに、エリスと男は俺を尾行していた。
だからジョニーが俺を殺そうとした時、こうして即座に動けたのだ。
ここ数日、何者かに尾行されているのは薄々気付いていたのだが、まさかエリスだとは思わなかった。
「カーネルか。あの野郎が俺の監視を指示したのか!?」
そこまで言った時だった。バーの横の路地から、先程ジョニーを追ってバーの中へと入っていった男が戻ってきた。
「すみません、取り逃がしました。ブラウン刑事」
そう言うと、男は躊躇の無い足取りで俺の前まで歩いてくる。
短く刈り上げた金髪、20代前半の若々しく、爽やかな顔立ち。
何から何まで俺とは正反対のその男は、俺の前まで来ると、右手を差し出した。
「あなたがスティーブ・ハントさんですね。ブラウン刑事からよく話は聞いています。私はマーク・ウィルクス。先月この街に異動になりました」
「おい何なんだこいつは?」
差し出された手を無視し、俺はエリスに問う。
「今聞いたでしょう、先月からこの街の刑事課に配属になったウィルクス刑事。これから先、顔を合わせることがあると思うから、仲良くしてくれたら…」
ああ駄目だこれ。そこまで聞いただけで俺は目の前にある自動車を蹴飛ばしたくなった。
その代わりに、マーク・ウィルクスとかいう刑事の差し出した手をはたく。
「よく聞け青二才。俺の話を聞くならエリスじゃなくカーネル・ジョンソンって警部補から聞くんだな。そうすりゃ俺と握手しようなんて気は起こらなくなるだろうよ」
「警部補?ジョンソン警部の事ですか?」
ああ糞。そういえば昇進したんだったか。何から何まで癇に障る野郎だ。
「おいエリス!とっとと説明しろ!!」
「分かってるから怒鳴らないで!」
そう言いつつ、エリスは自動車の後部座席のドアを開けた。
「…何のつもりだ?」
「署まで来て、スティーブ。とてもここで…話せる内容じゃないの」
こいつは傑作だ。説明するというから聞いてみりゃ、虎の口に飛び込めと。ただでさえ間抜けな青二才のせいでイラついてるというのに、この上カーネルとまで顔を付き合わせて話をさせるつもりか。
俺は踵を返した。
「断る。説明したきゃお前らが俺の事務所まで来い」
そう言い捨てた俺を引き止めたのは、あろうことかエリスではなくマーク・ウィルクスの方だった。
「待ってくれ!私の行動であなたを不快な思いにさせたのなら謝る!だが、命が助かったのは事実だ。だから我々を信用してくれないか!」
本当に間抜けな青二才だ。俺はうんざりするように言った。
「ジョニー・ケルズが本気で俺を殺すつもりなら、お前らが乱入する前に俺はここで横たわってるだろうさ!」
「だが、事実として…!」
「まだ分からないのか!奴は俺を殺すためにここにいたんじゃない。『俺に張り込みがついてるか』を確認するためにここにいたんだ!お前らはまんまと罠に嵌ったんだよ!!」
俺の言葉に、エリス・ブラウンもマーク・ウィルクスも絶句した。
そんな奴らを俺は一瞥すると、自宅へ向けて歩き出す。
もう追ってはこなかったし、引き止める声もしなかった。
翌朝。一眠りしてようやく憤りが収まった俺は、手早く支度をして自宅を出た。
昨日の事についてカーネルに問い質すつもりだが、面と向かって話すつもりはない。
事務所に行ってから電話でやり合う腹を俺は決めていた。
途中で銀行に寄り、口座に昨日までの依頼の報酬が振り込まれているのを確認すると、改めて事務所に向かう。
事務所に着いたらカーネルに電話して、昨夜の事について抗議しよう。そう決めた俺だったが、早々に出鼻をくじかれる事になった。
「スティーブ・ハントさん…ですか?」
ようやく事務所のあるアパートの、その裏手にある駐車場に車を止めてアパートに入ろうとした時、後ろから呼び止められた。
振り向くと、見覚えの無い女が立っていた。
恐らく20代前半くらいだろう、目の覚めるような白い肌に長い金髪を後頭部で結い上げ、水色の襟の付いたシャツに黒い女物のスーツを着たその女は、恐る恐るといった風で俺に視線を向けていた。
「そうですが、何か」
「あの…依頼は今、受け付けてますか…?」
鍵を開けて事務所に入ると、俺はいつものように自分のデスクの前にある椅子に座り、女に依頼人用の椅子に座るように促した。
傍にソファもあったが、女は持っていた紺色のハンドバッグをそっちに置こうとはせず、むしろそのハンドバッグを開けて写真を一枚取り出した。
「マーガレット・カーライルといいます。人を、見つけてほしいんです」
マーガレットと名乗った女はそう言うと、写真を俺のデスクに置く。
写真に写っていたのは、5歳くらいの子供だった。奇妙なのは、着ているのが病院で着させられるような白い病衣だったということだ。
写真を取って眺めながら、俺は言葉を紡いだ。
「この子供とは、どういう関係で?」
マーガレットは一瞬言い淀んでから、はっきりと声に出した。
「その子の名はレイラ。私の…娘です」
「…誘拐なら警察の仕事だ」
言いつつ、俺はもう少し注意深く写真を見る。背景は殺風景な白い壁だ。子供の髪の色はマーガレットとは違い、銀色の様だった。
「分かってます。警察にも届けました。けど…」
写真から目を上げ、俺は女の言葉の続きを待つ。俺の視線に耐えかねたのか、マーガレットは続きの言葉を呟くように言った。
「捜査が進んでないみたいで…」
「どうもハッキリしないですね」
先程から言い淀んでばかりのマーガレットに対し、俺は頭を掻きつつ、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「一つ言っておきますが、警察の手に負えないような事件なら、一個人の俺ではどうしようもないですよ。それでも本当にこの娘さんを救いたいなら、言い淀むような情報は全て提示してほしいですね。でなければ、私としても調査のしようがありません」
マーガレットはしばらく俯いていた。だがその顔を上げた時には、その目に決意が篭っていた。
「一人、私に協力してくれる刑事さんがいたんです」
マーガレットの話だと、ある日娘が誘拐され、警察に通報したのだという。最初に担当した刑事は彼女に協力的で、捜査情報もある程度話してくれてたのだと。
しかし、ある時点になって急に警察の捜査は止まってしまったのだという。
「その刑事さんが言ってくれました。娘は、ある研究所にいると」
「研究所?」
マーガレットは頷いた。
「『アンドロマリウス遺伝子研究所』という名前です」
「遺伝子研究所…?」
何故誘拐された子供が遺伝子研究所なんかに囚われてるんだ?俺の頭には疑問符が沸いて出てきた。
そんな俺を他所に、マーガレットは話を進めていく。
「刑事さんによると、捜査線上にその研究所が上がったらしいんです。でも確かな証拠は無いから令状は取れないのと、もう一つ理由があって、捜査が止まっちゃってる状態なんだと…」
「もう一つの理由?」
「ええ…その研究所の所長が、マフィアに関係しているとかで…」
そういう事か。俺は警察の捜査が行き詰まった理由を理解した。
恐らく、その研究所の所長が勘付いたんだろう。もしくは、警察組織の内部にいるスパイがか。
どっちしろ、最終的にその捜査チームに圧力がかかったわけだ。
「費用は用意してきています。お受けできませんか…?」
俺は迷った。普通ならまず受けないだろう。手がかりは少なすぎるし、研究所が子供を攫って拉致してるなんて荒唐無稽な話だ。それに、下手すれば警察とマフィアの両方が俺を探し回る羽目になるかもしれない。
だが、マフィアに関しては依頼を断る理由にはならん。俺はこの街を牛耳るマフィア――ロワイアル・ファミリーが嫌いだし、奴らに存在にビクついていてはこの商売はやっていけない。
それに、マーガレットは実に真剣にこの話をした。本当の所は分からんが、依頼人の話を一々疑っていればキリが無くなる。
俺は答えを口にした。
「その研究所については、どの程度情報を掴んでます?」
結局、マーガレットが掴んでいたのは研究所の住所と、所長の名前だけだった。
所長はカール・アンドロマリウスという人物で、既に80代後半の年齢だという話だ。
更にマーガレットに捜査情報を明かしてくれた刑事はクリス・グラードという名前らしいが、詳細な階級などは分かっていないようだった。
結局、俺は依頼を引き受けてしまった。
ただし手がかりの少なさから、十分な成果を得られないかもしれない事、成果が出なかった場合は依頼料はいらない事を付け加えはしたが。
マーガレットは頭を下げると、足早に事務所を出て行った。
さて、どうするか。そう考えた所で電話が鳴ったので、俺は即座に出た。もうそろそろかかってくるかと思っていたが、いいタイミングだ。
「はい、こちら…」
『スティーブ・ハント』
予想通りの声だ。いつものように怒りと苛立ちが多分に含まれた声。むしろ今は俺の方が怒りを吐き出したい気分なのだが。
「カーネル・ジョンソン。ご機嫌な朝だな。こんな朝は警察署に手榴弾でも投げ込みたくなる」
『下らん戯言はやめろ。それより昨日の話は聞いたぞ』
相変わらず単刀直入だ。俺の怒りを込めた皮肉のユーモアにも無反応とは。
声が震えてこそいなかったが、その声色からカーネルの方も苛立っている事が十分に読み取れた。
「何と言われようが俺は曲げる気は無い。話があるならそっちから来い」
『それは愚かな選択だぞ』
間髪入れずにカーネルは言葉を返す。深刻なトラブルがある度に俺はカーネルとこの種のやりとりを重ねてきた。
それで分かった事は、こういう言い争いになった時に、双方納得の行く結論になった試しが無いということだ。
「とにかく、俺に張り込みを付けるのはやめろ。次にそれらしい奴を見かけたら、俺はどうするか分からんぞ」
どうやら俺もそろそろ怒りを抑えきれなくなってきたようだ。気付けば結構な大声で俺は話していた。
それを聞いたカーネルは深く溜め息を吐くと、やがて静かに言葉を紡ぐ。
『スティーブ、冷静になれ。私の言葉を聞かないと一生後悔する事になるぞ』
急に態度を変えたカーネルに対し、俺はしばし沈黙した。よし、いいだろう。そこまで言うなら最後のチャンスを与えてやる。
「分かった。なら今ここで言え。エリスに俺を尾行させた理由を」
『それは無理だ。この電話が盗聴されていない保証が無い』
「ああそうかよっ!!」
俺は絶叫し、そして電話を切った。
いつも通り、全く無駄な会話に終わった。
警察と何かトラブルになるたびこれだ。
お陰でクリス・グラードという刑事について聞きそびれてしまったが、それは後回しにしようと思い直し、俺は今回のカーネルの態度について改めて思い返した。
先程のカーネルの様子は、幾らか俺を説得するそぶりがあった。それについては少し気になる。
椅子の背もたれに体重をかけ、俺は今回の件を一から考えてみた。
そもそも、今回俺は警察に何かしたわけでは無い。だからこそ、これだけ苛立ちが募っているのだ。
では、何故警察は俺を尾行した?いつもというわけではないが、ここ数ヶ月の俺はかなり順調で、警察に追われるような事は何もしていないつもりだ。
ではそれよりも過去の事件の捜査線上に俺の名前が挙がったか?だが、それほど前の案件なら尾行する前にエリスが事情聴取に来てもおかしくは無いはずだ。
となると、考え得る原因としては、一つだ。
警察のお抱えの情報屋から、俺の名前が出た、という可能性。
そうでなければ、警察がわざわざ遠巻きに俺を監視するなんて考えられん。
もっとよく考えてみれば他の可能性も思い当たるかもしれないが、カーネルとやりあった後で加熱した頭ではこれが限度だった。
しかしその仮説が事実だとしたら、情報屋から俺の名前が出るような出来事となると。
「ロワイアル・ファミリー絡みか…?」
もはや仮説ですらなく想像の域だが、その可能性も捨てきれない。
確かめられる可能性は低いものの、それでも確かめないよりかはマシだろう。そう思い、俺は立ち上がった。
確かめに行くために。
「よう、ちょっと雰囲気変わったか?」
「す、スティーブ・ハント!?」
俺が最低でも月に一度は通っている酒場に、目当ての人物はいた。
サイモン・バルサザール。俺が時々世話になっている情報屋だ。裏社会の情勢について詳しい。
40に差し掛かりそうな年齢で、白い肌に禿げかけた頭、落ち窪んだ目に低く丸めた背中。
一瞬ちょっと雰囲気が変わったかと思ったが、いつも通りの奴の姿だった。
だが、今日は奴の様子が妙だ。俺の顔を見るなり、ギョッとした様子でまず周囲をキョロキョロと見回し、そして恐る恐るといった様子で俺に視線を向けてくる。
「何だ、俺がいちゃ都合が悪いのか」
「い、いや、そういうわけじゃねぇ、てっきり、とっくに街を出たのかと思ってたからよ」
益々妙な事を言う。俺は頭を掻いた。
「あー、多分俺がお前に会いに来たのはそれ関連だと思うんだが、まだ詳しい事情が分かってねぇんだよ」
「お前…マジか?」
信じられないというような目で、サイモンは俺を見る。
「幾ら欲しい。最近の裏社会の情勢と、俺に関連する情報があるならそれも知りたい」
「わ、分かったがよ…聞いても腰抜かすんじゃねぇぞ?」
こいつの態度が妙に怯えている風であることもあり、俺はひょっとしたら事態が想像以上に深刻なのかもしれないと思った。
注文した酒が運ばれてきたので、それを契機にサイモンは話を始める。
が、最初にサイモンが出してきた情報が既に、俺の想像を超えていた。
「ロワイアル・ファミリーのボスが死んだ?」
サイモンはただ頷いた。
「ロワイアル・ファミリーのボス『ドン・ロワイアル』なんだが、急に頭がおかしくなっちまったらしい。ある朝部下が起こしに行くと、会話もままならない位発狂しちまってたんだと。その上、ずっと何かに怯えていたとか。何ヶ月も前の話だ」
「何だそりゃ。何かあったのか」
俺の言葉に、サイモンは無表情で首を振る。
「そこの所はよく分からん。何でもドン・ロワイアルは、ファミリーとは別の組織と係わり合いを持ってたそうなんだが、そっちの組織のごたごたが原因じゃないかって専らの噂だ。だが、真相は誰も知らない」
どうもよく分からん話だな。とりあえず、俺は先を促した。
「で、その後死んだのか?」
「その後数ヶ月は精神病院に入ってたんだが、ある朝死んでたんだと。それが、注射器か何かで頚動脈に毒物を注射された状態だったらしい。自殺とも他殺とも言われてるが、こんな自殺の仕方ができる奴なんていないと思うねぇ」
「警察は?」
「勿論自殺と他殺の両方の可能性を考えて捜査はしてたようだ。だが真相は分からずじまいで、結局自殺ってことで処理しちまったらしい。それが先週か先々週くらいの話だ」
先週か。発狂したのが何ヶ月も前の話で、死んだのが先週と。
もし、その間の数ヶ月間も発狂したまま何かに怯えていたというなら、とっとと死んだ方がまだマシだったんじゃないか。俺はそう思った。
「で、その後は」
「ボスが急に発狂しちまったんだ。ロワイアル・ファミリーの内部は相当衝撃を受けただろうよ。だが、ドンは相当高齢だったから、それまでも最高幹部達がドンの仕事を代行してた事も多かったらしい。だからそういう面では大きな問題は出なかったみたいだな」
「…じゃ、何が問題だったんだ」
「決まってんだろ!次のボスが誰になるかって話だよ!」
俺の問いに、サイモンは一際大きな声で答えた。ちなみに結構活気のある酒場だから、多少大きな声で話しても周囲に伝わる可能性は低い。そういう部分はこいつも考慮して話しているようだ。
「奇妙なのは、ドンには二人の子供がいたらしいんだが、ドンが死ぬ数日前に姿を消したってことだ。そのせいで、組織の最高幹部の誰かがドンとその子供達を殺しちまったんじゃないかって噂してる」
「そりゃ…随分な話だな」
俺の言葉に、サイモンは同意するように頷いた。
「で、問題は次のボスに誰がなるかだ。最高幹部達は会議とか投票で決めようかとか話になったんだが、一人の幹部がイかれた提案をしやがったんだ」
「イかれた提案だと?」
サイモンはゴクリと生唾を飲み込むと、恐る恐るといった感じで言う。
「この際だから、この街を戦場にしちまおうって話だ」
「訳が分からん。で詳細は?」
「具体的な方法はこうだ。最高幹部達がそれぞれ一人ずつ、外部から殺し屋を雇う。そしてその殺し屋達に、一晩だけ組織の邪魔になる奴を消させて回る。で、その消した人数が一番多い殺し屋を雇った幹部が次のボスってわけだ」
…何だそりゃ。俺の想像の何倍もイかれてやがる。俺はただ、絶句するしかなかった。
そこで、ふと俺の脳裏にジョニー・ケルズの姿が浮かんだ。
ロワイアル・ファミリーには奴を初めとするお抱えの殺し屋が何人もいる筈だ。それを使わずにわざわざ外部から雇うというのは、万が一警察に捕まった場合を考えてなのかもしれない。
サイモンは尚も話を進めていく。
「その提案をしたのは、最高幹部の一人『ビートルジュース』って野郎だ。顔面の半分に派手なタトゥーを入れてて、いっつも人を馬鹿にしたような話し方をする奴さ」
「話がイかれてるなら話をしやがった奴もイかれてるな。で、他の幹部はそれに賛同したのか?」
「とんでもねぇ。他の幹部からは非難轟々だ。当たり前だろ。場合によっちゃ、組織が大きく弱体化して警察に潰されることだってあり得る。特に長年ドンに仕えてきた最高幹部の一人『サルヴァトーレ・マドヴィック』なんかは強硬に反対したようだ」
サルヴァトーレ・マドヴィック。確かジョニー・ケルズとスタンリー・マクスウェインの上司だった筈だ。
そこで一端話を切って、サイモンはグラスの酒を飲み干した。それから新しい酒を頼み、そして話を再開する。
「だが、一人だけ賛同した幹部がいた。こいつも奇妙な幹部でな。たとえ最高幹部だけの会議であろうと、絶対に姿を現さねぇ。会議は全部電話でやってやがるんだと。盗聴の対策を施した専用の回線を使ってるらしい」
何だそいつは。俺は少し呆れ気味に言った。
「誰も信用してないのかそいつは」
「かもな。だがそれだけ重要な情報を握ってるんだそいつは。何せ組織の情報担当らしいからな」
「情報担当?」
「ああ。裏社会の情報だけじゃない。政治家や警察のお偉方を強請れるような情報を全て網羅しているらしい。そいつがいるお陰で、ファミリーはこの街で大きな顔ができるんだとすら言われてる」
俺は頷いた。つまり、そいつがファミリーの鍵を握る人物なわけか。
「そいつの名は?何て呼ばれてる」
「他の幹部からは『サイファー』って呼ばれてる。本名は誰も知らないそうだ。政界か警察の上層部の人間じゃないかって専らの噂だ。ひょっとしたら市長その人なんじゃないかって話も出るほどだ」
「そりゃあ…大層だな」
話のスケールが無闇にでかくなってきたので、俺はただそう言うしかなかった。
「でだ、その『サイファー』が、今組織にとって不利益となる人間のリストを最高幹部だけに公開した。そこまでやられると、他の幹部達も黙るしかなかったそうだ」
「それで…『ビートルジュース』って奴の案が採用されちまったってのか」
サイモンは頷いた。
馬鹿な。ロワイアル・ファミリーってのは想像以上にイかれてやがる。
警察と戦争でも起こす気なのか、奴らは。
そこまで考えた所で、俺は先程サイモンが俺に言った言葉を思い出した。
「なぁ…さっきお前が言ってたのって、ひょっとして」
サイモンは俺の言葉に、冷や汗を流しながら頷く。
「ああ。どうやら、『サイファー』のリストの一部が、裏社会に流出したようなんだ。俺も一部の名前は知ってるんだが…その一人が、あんただ」
俺はサイモンに金を払うと、席を立った。
馬鹿げた話だが、無視もできまい。
「で…殺し屋たちが動き出す一夜ってのはいつなんだ?」
サイモンはおずおずと言う。
「正確な日付は分からん。だが、噂じゃこれから数日中らしい。なぁ…スティーブ。悪い事は言わないから、しばらく街を出た方がいい。お前さんなら別の所でも生きてく事くらいできる筈だ」
「それはできん話だ」
俺は、マーガレット・カーライルの表情を思い出しながら言った。
依頼を受けている以上、探偵がそれを投げ出すなどあってはならない話だ。
たとえ、情報屋から殺し屋に狙われていると言われたとしてもだ。
「そ、そうか…俺にはこれしか言えないが、頑張れよ」
「ああ。情報ありがとな」
そう言うと、俺はサイモンに代金を払い、店を出た。
…本筋とは関係ないから、オチを先に言ってしまっておこうと思う。
数日後、サイモン・バルサザールの死体が発見された。
腐敗が進んでおり、警察は検死の結果、死後数ヶ月は経っていると発表した。
じゃあ、俺があの時話したのは、誰だったんだ?
最終更新:2016年05月07日 00:03