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気がつくと、視界が真っ黒だった。
頭に何かを被せられているのが感触で分かる。
後ろ手にプラスチック製の結束バンドで縛られており、俺は身動きができなかった。
シートの感触と、振動する床から察するに、まだここは車内だろう。
俺は全身の感覚を総動員して周囲の状況を探ろうとした。
恐らくここは、俺が運転していた車の助手席だ。
ということは、運転席で誰かが運転しているということになる。
誰かは想像が付いた。
幸い、頭から黒い布を被せられてはいるが、口に何かを詰められたりはしていない。俺は、静かに声を発した。
「マーガレットか?」
隣にいる人物が、息を呑むのが分かった。
「皆まで言わなくていい。お前も、奴らの手先なんだな?」
しばらくの沈黙。長く感じられたが、それは予想通りだった。
「…ごめんなさい。あなたを彼らに差し出さないと、あの子は解放されないの」
俺はマーガレットの言葉をよく考えてみた。
ワインサップやファウラーを殺した奴が、マーガレットにも接触したのだろうか。
いずれにしろ、俺を差し出して引き換えにマーガレットに娘を返すという約束でもしたのだろう。
「奴らは約束を守らんぞ」
「…そうかもしれない。けど私には、これ以外方法が無い…!」
マーガレットの焦燥はよく分かった。俺もこの数日の調査で大した進展は無く、逆に手がかりを得た関係者を奴らに殺させてしまったも同然なのだ。
そんな胸中とは逆の言葉を俺は口にした。
「俺を差し出しても、奴らは俺もお前も殺すだろうと、そう言ってるんだ」
「じゃあ…じゃあどうすればいいって言うの!?」
堪えきれなくなったように、マーガレットは搾り出すように声を上げる。
「あんたの娘を救い出すには、どうにかしてあの研究所に入って直接出してやるしかない。それができるのは俺ではなく…やっぱり警察しかいないだろう」
俺の言葉に、やがてマーガレットは言った。
「ハントさん、私は…嘘をついてました。あの子は、私の実の娘じゃない」
突然の告白に、俺は何も言えなくなってしまった。
マーガレットは続ける。
「けど、実の娘のように思ってる。あの研究所にいた時から、私は…あの子を救い出したかった」
「…そういう事か」
今のマーガレットの言葉で、漸く全容が見えてきた。

恐らくマーガレット自身が、アンドロマリウス遺伝子研究所の研究員だったのだろう。
実験台にされている少女に感情移入してしまった結果、研究所から救い出したいと思ってしまったのだ。

「何が原因で辞めさせられたんだ?俺を雇わなきゃならなかったのは、あの研究所の内部にいられなくなったからだろ?」
「非人道的な行いを、できないと言ってしまったから」
まぁ、そうだろうな。俺も同じ立場なら、拒否するだろう。
そして自分が追い出されてから、時間は刻一刻と過ぎていき、それがマーガレットの焦燥感を煽ったのだ。時間が過ぎれば過ぎるだけ、彼女が肩入れしたレイラという娘がどうなるか分からないから。
恐らくその後、ロワイアル・ファミリーの誰かの入れ知恵で、レイラと引き換えに俺を罠に嵌めるよう言われたのだろう。最初に会った時にこうやって罠に嵌めなかったのは、俺に何かを飲ませる機会が無かったからなのか、マーガレットが躊躇したのか、それとも別の理由があったのかはわからないが。
「警察に話をしたと言うのは、事実なのか」
「ええ。でも一つ、言ってない事があります」
それが事実なのは少し意外だった。だが、言ってない事というのがあまりいい情報でない事は想像に難くない。
「私の相談に協力してくれたクリス・グラードという刑事は、もう生きてない」
俺は、カーネルと電話で口論した際にこの刑事の名前を出さなかったのを後悔した。
あの時に出してれば、この刑事の生死はすぐに分かっただろう。そうなれば、今こんな事態にはなっていなかった筈だ。
「私が相談した数日後に、路上で撃たれて亡くなりました。あの刑事さんには、研究所の事は全て話してました」
やはり、研究所を嗅ぎ回る者は片っ端から消しているようだ。それほど、あの研究所はロワイアル・ファミリーにとって重要な施設なのだろう。
「それで、これからどうするつもりだ」
「私には…もう、この約束に縋るしか…道は無いんです」
声が震えている。マーガレットはとっくに泣いているのだろう。
もう少し説得すれば、折れてくれるかもしれない。だがその先どうする。
常識で考えれば、レイラという少女を救う術は無い。もしかしたら、もう死んでいるかもしれない。
それを確かめるには、方法は一つしか無いのではないか。
だが、それをすれば――俺が生き残れる確率は、ゼロに近い。


迷っている間に、やがて車は止まった。
「これから、あなたを下ろします。ここが約束の場所だから」
「待て。よく考えろ」
俺がそう言い終える前に、彼女は車から出てしまった。
やがて、俺が座っていた助手席側のドアが開けられる。そして肩を引っ張られて、俺は助手席の外の地面に倒れこんだ。
強かに頭を打ち付け、俺の口から呻き声が出る。
まだコーヒーに仕込まれた薬品の影響が抜け切れていないのか。俺の脚は痺れたように動かなかった。
傍らに立っていたマーガレットが、そのまま動かずに突然声を上げる。
「約束通り、スティーブ・ハントを連れて来た!だから…だからあの子を、返して!!」
急に甲高い、金属の軋むような音がした。
俺とマーガレットの正面、数十メートルは離れた距離だろう。
どうやら、錆びた金属製のドアを開ける音らしい。
ということは、ここはどこかの廃工場か。そう言えば以前の事件でやむを得ずマフィアとの取引に使ったのも廃工場だった。

「その男がスティーブ・ハントか」

重く低い、男の声がした。
てっきりスタンリー・マクスウェインが来るのかと思っていたが、そうではないらしい。
「顔を見せろ」
男の言葉に、傍らにいたマーガレットが俺の頭に被せられていた布を脱がせる。
脱がせ方は丁寧だったが、手が震えていたのがすぐに分かった。
やがて視界の開けた俺は、まず周囲を見た。

黄色がかった頭上の照明。所々が錆びた、トタン板の壁と天井。確かにここは廃工場だ。
だが、予想していたより随分と大きい。昔飛行機でも作っていたのだろうか。
そして、前方に大勢の黒服の男達がいた。
その中央には、黒いロングコートに灰色のマフラーを巻き、黒い手袋と黒い帽子を被った、50代くらいの短い白髪に顎と口元を白い髭で覆った男が立っていた。
「なるほど、確かに写真で見たスティーブ・ハントだな」
「…あんた、サルヴァトーレ・マドヴィックか?」
その男は、僅かに目を見開いた。
俺は寝ている体勢ではあるものの、精一杯の虚勢で笑みを浮かべてみせる。
「ほう、お前のような奴が俺の顔を知ってるとは」
「ただの消去法だ。あんた以外にロワイアル・ファミリーの幹部で知ってる名前の奴がここにはいなかった。それだけの事だ」
今度は逆に、マドヴィックは目を細めた。警戒の色だ。
「ほう、そうか。俺の名前をどこの情報屋に聞いた?」
「情報屋じゃない。あんたの組織に若い幹部がいるだろう。スタンリー・マクスウェインって奴だ」
「マクスウェインだと…?何故奴が…」
このリアクションは予想外だった。
てっきり、マクスウェインから俺の話を聞いたせいで、マドヴィックは俺の事を危険視しているのかと思った。そのせいでここに処刑するために連れて来たのだと。
だが、何故奴はマクスウェインの名前を聞いて疑問を持つような表情をしたんだ?
そもそも、何故マクスウェインはここにいない?
奴なら俺を処刑する場に嬉々として現れて見届けそうなものなんだが。
だが、今そんな疑問を考察している余裕は俺には無かった。残念ながら。

「まぁそんな事はいい。それよりも悪いな、小僧。お前は色々と、知り過ぎた」
「…あんたは何でこんな事をやってるんだ?」
俺の言葉に、マドヴィックの顔に再び疑問の色が浮かぶ。
俺は言葉を続けた。
「聞けばあんたはドン・ロワイアルに長年忠誠を誓ってきたって言うじゃないか。次期ボスの筆頭候補だって話もある。それが何で、知り過ぎた探偵の始末なんて汚れ仕事の場に現れたんだ?教えてくれよ、冥土の土産に」
「貴様が知る必要は無い」
マドヴィックは吐き捨てるようにそう言うと、傍らの部下に合図した。
すると、その部下は拳銃を取り出し、俺とマーガレットの前に放り投げる。
甲高い音を立てて、銃が俺の鼻先に落ちてきた。
「さて、約束がまだ終わっていないぞ、カーライル」
「っ…!!」
俺の傍らにいたマーガレットが、息を呑むのが分かった。
「探偵をここに連れてくるのは、殺した後だった筈だ」
つまり、こう言っているのだ。
今投げた銃で、マーガレットに俺を撃ち殺せと。
逆らえばどうなるかは言わずとも分かる。
マーガレットは、震える手で廃工場の床に落ちた拳銃を拾った。

拳銃を拾った後も、マーガレットの手は震えていた。俺の頭に銃を向けても尚。
「早くやれ」
有無を言わさぬ口調で、マドヴィックがそう命じる。
俺の位置からではマーガレットの表情は見えなかったが、想像はできた。

自然と、溜め息が出た。

次に、笑いが堪え切れなくなった。

「ふっ、ククク…」
こんな状況で自然と笑いが出てくるなんて、俺も異常なのかもしれない。
だが、この件に関わってから異常な事ばかりだ。そんでもって今は処刑される瀬戸際だ。
いっそ狂っちまうのも、アリかもしれない。俺はそこまで思い詰めていた。
「何がおかしい」
マドヴィックが苛立った様子で問う。殺すつもりだった癖に。
ようやく足の痺れも取れてきた。俺は身を起こしてその場に座り込むと、言った。
「いや、俺と会う度マクスウェインがお前の名前を出すものだから、あいつのボスがどんな人間かちょっと知りたくはあったんだ。だが…」
俺は撃たれる前に顔を上げ、続きの言葉を紡いだ。
「こんなに器の小さい人間だったとはな」
俺の言葉に怒りで顔を紅潮させるかと思ったが、逆にマドヴィックの眼からは熱が引いていくのが分かった。奴さんも伊達にマフィアの最高幹部を勤めてはいないらしい。
だが、それに呼応して奴の周囲にいる黒服の部下たちが機関銃を俺に向けた。引き金を引こうとはしなかったが。
「負け惜しみも程々にするんだな、小僧。銃殺などという生温い死に方はできなくなるぞ」
「そいつは怖いな…だがその前に言っておく。俺を殺す事で損をするのはお前らの方だ」
「何…?」
食いついた。一か八かだが、やるしかない。
「いいさ、殺せよ。俺が死んだ後にこの街やお前らがどうなろうと知るものか」
「ふざけるなよ、小僧。何を企んでいる」
俺はわざとらしく溜め息をつき、やがて言った。
「俺が話してる最中に鉛玉でダーツをしないと誓うんなら全て話してやる」
「良かろう。だが余計な挑発などすればその瞬間に命は無いと思え」
こんな状況前にもあったな。そう思い、その時の事を思い出そうとしたが、生憎思い当たりが多すぎた。
「ハントさん…?」
まだ俺の頭に銃口を突きつけたままのマーガレットが、困惑の色を帯びた声で言う。だが今の俺は、そんなマーガレットに応える余裕が無かった。
俺はようやくできた猶予の時間にゆっくり息を吐くと、話を始める。
「最初から話そう。俺は街の情報屋から、あんたらの計画を知った。一夜にして組織の邪魔者を一掃しようって言うアレだ」
俺の言葉に、マドヴィックは反応を返さなかった。だがその表情は面白く無さそうだ。
その表情のお陰で、俺は自分の考えに自信が持てた。
ひょっとしてあの計画自体がデマだったのではないかと心配だったが、杞憂だったらしい。
「サルヴァトーレ・マドヴィック、あんたにとってあの計画は邪魔だった筈だ。何せ、ロワイアル・ファミリーにあんたは長年仕えてきて、組織内でも最大の勢力を持っている筈だからだ。あんな計画が無くても、ドン・ロワイアルが死んだ今、自動的に組織の実権を握るのはあんたになる筈だった」
ここで一旦言葉を切る。正直飲み物がほしいが、自分の命には代えられない。
鉛玉が飛んでこないうちに、俺は続きの言葉を紡ぐ。
「だがそこに、『ビートルジュース』って狂人が狂った計画をぶち上げやがった。あの計画を聞いた時、あんたは頭を抱えた筈だ。あの計画じゃ、ボスになりたがってる幹部達に一定のフェアな条件という恩恵が与えられる一方、長年組織内で勢力を広げるのに苦心していたあんたにはデメリットの方が大きい筈だからだ。それに…これは推測だが、この街で自分の勢力を広げるのに苦心してきたあんたには、外部に有能な暗殺者とのパイプなんて持ってなかったんじゃないか?」
俺の言葉に、マドヴィックは答えない。それにも構わず、俺は言った。
「だからあんたは、あの計画をぶち壊す事にした」
今度は、マドヴィックの眼が見開かれた。やはり、俺の読みは当たっていたようだ。
俺は続きを口にする。
「予定の一夜となる前に、あんたは計画を流出させた。それと同時に、リストに載ってる奴らを予定の日までに全員殺して、あんたが自分の組織内での勢力を誇示するって寸法だ。文句を言う奴もいるだろうが、この一件で汚れたあんたの手が、逆にそういう奴らを威圧する事にも繋がるだろう」
そこまで言った所で、今度は口火を切ったのはマドヴィックの方だった。
「…正直、驚いたな。スティーブ・ハント、ある一点以外はほぼ合っているとも」
予想外だ。まさか認めるとは。依然としてマドヴィックの顔色は平静そのもので、それが逆に不気味だった。
「ある一点?」
「計画を流出させたのは私ではないということだ。確かにお前の言う通り、あの狂人の思い通りになる前に、お前を含めたターゲットを消そうとはしたがな」
そう言うと、マドヴィックは葉巻を取り出し、先端を切って火を点け、深く吸う。
やがて口から大量の煙を吐き出し、奴は言葉の続きを紡いだ。
「考えてもみろ。計画、そしてターゲットのリストが流出した事で、ターゲットの中には警備を厳重にした者もいたし、警察に保護を求めた者もいた。そのせいで、私の思惑も未だ上手くは行っていない」
マドヴィックの指摘は、確かにその通りだ。奴がリストの人間を約束の夜までに殺すつもりなら、逆にリストの人間が警戒するような情報の流出という行為はしないだろう。
ならば、計画を流出させたのは?
「続きを話せ。私の思惑を推理してみせたのは見事だ。流石奴のお気に入りという所だな。だが、まだ貴様を殺す事で我々が損をする、という理由が話されていないぞ」
先程と同じ有無を言わさぬ口調で、俺の思考は中断された。
だが、生き延びるためには、残りの俺の考えを話さなければならない。目の前にいる男が俺の話に興味を持っていることが、俺が生き残るための希望でもあるからだ。
「今まで俺の動きを追っていたのなら知ってる筈だ。俺が調べていたのは『アンドロマリウス遺伝子研究所』。どういう繋がりかは知らないが、あんたらはあの研究所で何かをやってる。それは間違いないな?」
「忌々しいことにな」
吐き捨てるようにマドヴィックは言う。その反応が少し気がかりだったが、俺は先を続けた。
「そして俺は、あの研究所の、建設当時の図面を手に入れた。地下のも全部だ」
「っ…!!」
ビンゴだ。奴の目に、明らかに動揺の色が浮かんだ。
それが消えないうちに、俺は続きを言い放つ。
「俺が死ねば、あの図面がしかるべき所に届くようになっている。あの施設に何があるにしろ、強制捜査の手が入った時点で、あんたらは隠蔽に多額の金を使う事になる筈だ。最悪あの施設事態を切り捨てる必要も出るかもしれない。違うか」
動揺の色こそ消えていないが、マドヴィックは俺の言葉に反論する。
「あれの図面など、警察に届けても無意味だぞ。信用する者など極一部だ。そしてそれがいた所で、握り潰せる算段など幾らでもある」
「警察だと誰が言った?」
俺の言葉に、マドヴィックは硬直した。

「ディグアウターズギルドだ」

「き、貴様…!」
今度こそ目を見開いて、後ずさる。サルヴァトーレ・マドヴィックの動揺は表面化していた。
やはりこの組織の名を出したのは正解だった。この街の警察に届けようが奴らに隠蔽されるに決まっている。他の街の警察に届けた所で他所の街の問題に本腰を入れる訳が無い。そうなると世界的な機関に頼るしかないが、その機関の眼を惹きつける程の情報かどうかは分からなかった。
だから何度目かの賭けに出たが、この賭けも上手くいったようだ。
「建設当時どうやって誤魔化したかは知らないが、この街の遺跡に穴を開けているなんて知れたら、どんな反応が来る?少なくとも、遺跡を管理している組織が動かない筈が無い。違うか?」
マドヴィックは尚も後ずさる。その顔を、懸命に動揺を鎮めようとするかのように片手が覆っている。
俺はここで初めて背後のマーガレットに向けて小声で言った。
「取引ってのはこうやるんだ、見てろ」
「ハントさん…!」
俺は再度マドヴィックに視線を向け、最後の言葉を紡ぐ。
「取引だ、サルヴァトーレ・マドヴィック!!研究所の図面をやる。代わりに、あの研究所で実験台になっているレイラって少女を渡せ。それが要求だ!」

俺の言葉に、しかしマドヴィックの動揺は収まった。

顔に当てていた手を離し、そして顔に浮かんでいた汗も無くなっている。
その顔に、何も思惑は見えない。
「小僧、見事だ。だが…惜しかったな」


瞬間、一発の銃声が廃工場内に木霊した。


俺の背後で、人が倒れる音がした。
「マーガレット!!」
俺は振り向いて、絶叫する。
「…ぁ…」
俺の背後で倒れたマーガレットはまだ息があったが、その胸元には血が溢れていた。

「その弁舌には感心したがな。哀しい事に貴様が証明したのは、殺すべきは貴様ではなくその女だったという事だけだ」
横の部下が撃った銃弾が、寸分の狂い無くマーガレットの心臓を射抜いたのを見て取ると、冷静そのものの声でマドヴィックは宣告する。
「『サイファー』の情報だ、マーガレット・カーライル。その探偵より、貴様が『あの組織』に情報を流している事実の方が、我々にとっての不利益だった」


傷口を詳細に見るまでもない。
マーガレットは仰向けに倒れたまま、もう何も言わなかった。
俺のミスだ。それは明白だった。何がミスだったのかまでは分からないが。
「何故だ!!」
俺の問いに、マドヴィックは答えない。その眼は既に冷徹そのものとなっており、それが取引が打ち切られたことを宣告していた。
「あの男の手前、貴様はあまり殺したくないのだがな。しかし標的であることは確かだ」
そう言うと、今度こそマドヴィックは自分で拳銃を取り出し、撃鉄を上げて俺に向ける。

それに合わせて、俺も拳銃を向けていた。

マーガレットが取り落としたものを。せめてもの道連れだ。
結束バンドで両手を固定されていたが、むしろ両手が固定されているから銃は持ちやすかった。
俺の覚悟を前に、しかしマドヴィックは顔色一つ変えない。やはりこの男は、長年マフィアに仕え続けた男なのだ。

その瞬間、一台の自動車が工場の壁を突き破ってきた。

「何だ!!?」
マドヴィックが怒りを露にそう叫ぶ。
それと共に、奴の部下達が一斉に機関銃を車に浴びせかけるが、ガラスもタイヤも強化されているのか、派手に壊れる気配は無かった。
そのまま車は俺とマドヴィックの間に割り込むようにして止まると、俺の側のドアが開く。
「乗れ!早く!!」

そう言ったのは、数日前に俺を尾行していた刑事の、マーク・ウィルクスだった。

何故ここにこいつがいるのか。しかも単独で。
俺は訳が分からないながらも、持っていた銃をポケットに入れ、両手で倒れているマーガレットを抱き起こし、どうにか車に乗り込む。
そのままウィルクスはドアを閉めると、未だ銃撃を浴びせられながらも車を運転し続け、廃工場から脱出した。


後部座席で、必死で連れて来たマーガレットに、俺は呼びかけていた。
周囲は彼女の夥しい血で染まり、それが何を意味しているかは明白だ。
「マーガレット!死ぬんじゃない、マーガレット!!」
どれほど叫ぼうが結果が変わらないのは分かっていた。
この傷では、もう病院に行っても手遅れだろう。
だが――マーガレットは、うっすらとその眼を開けた。
「わ、たし……の……」
俺は叫び出しそうになるのを堪えて、彼女の口元に耳を近づけ、末期の言葉を辛うじて聞き取る。
「はな…し……おもい……だし、て……」
「話だと…?一体何を…」
俺の言葉は多分伝わっていなかったろう。最期に、彼女は言った。
「あの子、を…たす…けて…」
俺は眼を瞑った。
これきり、彼女は声を発しない。
もう終わったのだと、分かっていた。


やがてウィルクスは俺達を病院まで運んだ。
だが、着いた時には既にマーガレットは事切れていた。
俺自身に怪我は無いかと思っていたが、どうも最後の車に乗り込む直前に、口径の小さい銃で肩を撃たれていたらしい。
俺は数日入院する事になった。
病室に入れられてからも、ずっと俺は考えていた。何が俺のミスだったのかを。何故マーガレットは命を失わねばならなかったのかを。
そしてそれは――どうしても認めたくなかった、ある事実を確認しなければならないのだと、俺に決意させていた。


雨が降っている。
ここ数週間では無かったくらいの土砂降りだった。
俺はそれを病室の窓から眺めていたが、今の状況はそれを良しとはしてくれない。
「一部始終はウィルクスから聞いた」
そう言って俺の事情聴取に来たのは、他ならぬカーネルだった。
病室に入ってくる際、外にエリスが心配そうな顔で立っているのが見えたが、入ってきたのはカーネルだけだ。
通常こういう聞き取りは2名以上で行われるというのに。
「だが奴が来たのは事が殆ど終わってからだった。つまりそれまでの話をお前から聞く必要がある」
「…あのマーク・ウィルクスって奴は何者だ?」
俺の言葉に、カーネルの表情は変わらなかった。
だが俺は知っている。重要な情報を隠す時ほど、こいつの表情は変わらない。
「何故あのタイミングで、奴は単独で来た。応援と共に来たのならマフィアの取引を潰しに来たのだと分かる。だがあの時奴は単独で、俺達を助けた後は一目散に脱出した。組んでいる筈のエリスはいなかった」
「…今は私が質問している」
俺はカーネルを睨んだ。
「答えろよ。お前の部下だろうが」
「お前に質問する権利があると思っているのか?」
俺はこいつを殴りたい衝動に駆られたが、肩の傷と鎮静剤のせいでそんな気力は出ない。
「俺と依頼人があの工場で話してたら、マフィアの奴らが来て、依頼人を撃ち殺した。以上だ」
「そんな話を信じると思うか」
「俺の話はこれで全部だ。俺と依頼人の話の内容を言うつもりは無い」
今度はカーネルが激昂する番かと思ったが、奴もそうはしない。
ただ奴はしばらく沈黙した後溜め息をつくと、やがて言った。
「ウィルクスの単独行動については知っている。奴が何を、何のためにしているのかもな。だがお前にそれを言うつもりは無い」
ご丁寧に俺の言葉に合わせた返答だ。だが次の言葉は予想外だった。
「スティーブ、お前には想像もつかない事が、この街で動いている。それだけは言っておく」
カーネルのその言葉は、遠い昔に別の人間から言われた事とよく似ていた。
「…カーネル、一つ分かった事がある」
「何だ」
俺は奴の目を見据えて、言った。
「『想像もつかない事』ってのは、やがて不意に現れるってことだ。そしてこっちの脳が理解できないうちに、色々持っていっちまう」
カーネルは沈黙したまま俺を睨んでいた。
だがやがて踵を返すと、病室の出口へと向かう。
「明日また来る」
「カーネル」
カーネルは、振り向かずに立ち止まった。

「さよならだ」

「…そうか」

そしてカーネルは、病室を出て行った。


最終更新:2016年05月29日 00:59