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もう朝日が出ており、外は明るくなり始めていた。

恐らく、外にはまだウィルクスの部下が巡回しているだろう。
となると、レイラをここからどうやって連れ出すか。
そう考えていた所で、ベアトリスがポツリと言った。
「で、あんた達どこ行くの?」
そう言えばそうだ。逃げるのに夢中でどこへ行くか考えていなかった。
「警察…と言いたい所だがな」
ここで目覚める前にも考えたが、今警察へ行くのは不味い。
ロワイアル・ファミリーの手の者がどれくらい潜んでいるのか見当もつかない。カーネルやエリスに任せれば安心ではあるが、あいつらもずっとレイラを保護できるわけではないだろう。
ましてや、今はロワイアル・ファミリーの――
「ベアトリス、今夜はどのくらいの死体がここへ来た?」
俺の問いに、当のベアトリスは一瞬間の抜けたような顔をしたが、やがて指折り数え始めた。
「ひーふーみー…今夜はいつもよりちょっと多かったわね…4、5人ってとこかしら」
「それだけか?」
「不満?」
ベアトリスの言葉に、俺はちょっと考え込む。
確かロワイアル・ファミリーのゲームは、自分達にとっての邪魔者を殺し屋を雇って殺して回る、というものだった。
だが、既にその情報を警察が手に入れている。思ったより被害が少ないのはそのためか?

いや。そこで俺は思い当たった。邪魔になる奴を『殺している』のではなく『連れ去っている』のだとしたら?
奴らの真の狙いは、邪魔になる奴を強制的に『賭けの対象』とすることなのだ。
そこであの地下の地獄に繋がる。ウィルクスが言っていたのはそういうことだったのか。

となると、ウィルクスがその情報を警察にも伝えているかが問題だが。
「…分からんな。カーネルにでも聞いてみないことには、被害がどれくらいになったのかも掴めやしない」
「ね、さっきの質問を繰り返すんだけど」
俺の様子を尻目に電子レンジで何かを暖めながら、ベアトリスは言った。

「結局、この子とあなたの関係は?」

ベアトリスがそう言った途端、電子レンジがチーンと軽快な電子音を響かせる。
そこから取り出したマグカップを、ベアトリスは傍のソファに座るレイラに手渡した。
「ココアよ。少しは温まるでしょ」
「あり…がとう」
毛布を羽織った格好のまま、レイラはそれを受け取って飲み始めた。
どうやら、俺の言葉を覚えていたらしい。ベアトリスの頭にも話しかけるんじゃないかとヒヤヒヤしたが、緊急時にでもならない限りそれは無さそうだ。

そしてそんな様子を眺め、俺は考え直した。
そう言えば、結局レイラが何者なのか俺はよく知らない。
マーガレットは最初自分の娘だと言っていたが、その後実の娘ではないと言った。
では、その出自が何なのか、俺は何も情報を持っていないということになる。
確かマーガレットに写真を渡された時は5歳くらいだと思っていたが、今のレイラを見ると、写真を撮られた時期から数年は経っているように見えた。
つまり、それだけの期間、レイラはアンドロマリウス研究所の実験台だったと言うことになる。

「…糞野郎共…!!」
「ねぇ、そろそろこっちに帰ってきてくれない?」
一人呟く俺に、いい加減ベアトリスの視線が呆れを帯びてきた。
とりあえず俺は、そのベアトリスに向かって頷くと、片膝をついて視線を合わせ、レイラの顔を見つめた。
「親の顔を思い出せるか?」
俺の言葉に、レイラはしばらく考えた後、ポツリと言う。
「覚えてるのは…男の人の顔」
「男?どんな男だ?」
「黒い服…を着てる」
黒服?ロワイアル・ファミリーの下っ端か何かか。そう思った時だった。
「私を見た顔…とても哀しそうだった」
「哀しそう…か」
レイラの言った情報から考えると、マフィアの手下という線は薄そうだ。
「他には?」
「…テレビに、男の人が…」
「…テレビ?」
今度は妙な光景がレイラの口から語られた。テレビに男が映っている?
「そのテレビに映っている男ってのは、さっき言った黒服の男と同じ奴か?」
「ううん、違う」
ということは、その男がレイラの人体実験を主導した男か?俺は更に質問してみることにした。
「そのテレビに映ってる男、どんな奴だ…?」
「髪の色が金髪で…うぅ…」
そこまで言って、レイラは頭を抱えだした。
これ以上は無理そうだな。レイラの様子を見て、俺はそう結論付けた。

少なくとも、これでレイラが親の顔を覚えていない、覚えていても酷く曖昧であることはよく分かった。
そうなると、レイラの親を探し出すのは今の状況が落ち着いてからにした方がいいだろう。
では、次はどうする?
「少なくとも…街を出た方がいいか」
いくらロワイアル・ファミリーと言えど、この街より外に権力は及ばないだろう。
そうなると、一旦この街から脱出し、レイラを安全な場所に避難させるべきだ。
以前も子供を親共々街から脱出させた事はあった。まぁ、あの時は運良くマフィアに感知される前に列車で逃がすのに成功したんだが。
しかし今はそのマフィアが全力で探しているだろう。そうなると駅も港も見張りがついている筈だ。
「…ベアトリス。この街と…隣町の地図はあるか?」
「隣町まで?古いのならあるわ」
そう言うと、ベアトリスは事務机の引き出しから地図を引っ張り出してきた。
そして鉄製の寝台に地図を広げたので、それを眺める。

この街は南と西が海に面しており、北と東が山に面している。
そのうち西側は主に工業地帯で、よくタンカーが寄航し、また打ち捨てられた倉庫なども数多く存在する。つまりは悪人が集合する危険地帯だ。
南は観光客用の港があるし、一日に何隻も船が出ている。が、当然ながらロワイアル・ファミリーはここを重点的に見張っているだろう。
東は山だ。目を引くのが何棟も建てられている風力発電所だろう。海から来た風が山に吹き上げており、それを利用して発電している。同時に街の有力者達が持っている別荘が多く、それに群がるように街の東側全体が富裕層の地域と化している。
最後に北だ。こっちの山はそんなに開拓されていないが、その代わりに山を突き抜けるようにトンネルが通っている。自動車用と列車用の二つだ。夏に自動車用のトンネルで崩落事故が起きたそうだが、それからもう3ヶ月以上経っており、現在は無事に復旧している。

「南が駄目なら北か…」
俺はそう呟きながら、地図に描かれたトンネルの先を見つめた。

トンネルの先は、また町だ。先程俺とベアトリスの言った『隣町』。
面積はこの街の3分の一くらいだ。昔こっちの街が急速に発展して経済が潤っていた頃、山にトンネルを通してその先の土地を開拓してできたのが隣町だった。
この街から出ている列車が、この隣町を経由して更にその先の北部へ路線が通っている。
「わざわざ私に隣町の地図を出させた理由は?」
「昔な、噂話を小耳に挟んでな」
前に情報屋から聞いた覚えがある。この隣町には路線の操車場があるのだが、警察から追われる凶悪犯やマフィアから追われる人間のために、密かにここから貨物列車に偽装した避難用の車両が出ているという話を。
「私だったら北より南を選ぶわね」
「人混みに紛れて、か?」
ベアトリスが頷くが、俺は首を振った。
「マフィアもウィルクスの手下も、それは考慮に入れている筈だ。それに、あんな子供を俺みたいな男が連れて行ってみろ。連中ならすぐ気づく筈だ」
「それはまぁ、否定しないけど」
渋々といった様子でベアトリスも同意する。
「それなら隣町からの列車に乗る方がマシだ」
「それも予想されてるんじゃない?」
ベアトリスの言葉に、俺は頷いた。
「勿論予想してるだろうな。だが、人混みのせいで敵が分からなくなるよりは、敵がいればすぐ分かる状況にいる方がマシだ」
「…嫌な二択ね」

方針が決まった所で、ベアトリスは言った。
「で、どうやってそこまで行くの?」
それが問題だ。隣町に行くまでの移動手段が無い。
徒歩では距離が遠すぎる。マフィアかウィルクスの部下に容易に捕捉されるだろう。
この街の駅は港と同じく張られている筈だ。
バスに乗るか?隣町までのバスは出ていないこともない。
だが、バス停に行くまでが徒歩だし、そもそも時刻表を調べる必要性が出てくる。
そんなことを考えていた時だった。
「…しょうがないわね」
大儀そうにベアトリスは白衣から鍵を取り出すと、俺に放り投げて寄越す。車の鍵だ。
「ここの裏に停めてあるから」
「待て、ここまでしてもらう義理は…」
俺の言葉を、俺を睨むことでベアトリスは遮った。
「…寝覚めが悪いのよ」
「は?」
「このまま何もしないでいると、あんたとあの子はマフィアか何かに捕まって、最悪殺されるんでしょ?見殺しにすると私の寝覚めが悪いのよ」
ベアトリスの言葉に、俺は苦笑した。
いつだったか、似たような台詞を吐いた覚えがあったからだ。
「何が可笑しいの」
「いや、何でもねぇよ」
「そ。じゃあこれ」
言いながらベアトリスは更にポケットを探ると、俺に錠剤を渡す。
「これは?」
「痛み止め。我慢してるつもりかもしれないけど、さっきから顔に出てるわよ」
若干呆れを含んだ声で、ベアトリスはそう言った。

バレてたか。ウィルクスにもバレる位だからな。
正直言って、さっきから喋るのさえ辛かった。肋骨が何本か折れてるせいで、喋る度に全身に電流が走るみたいな感覚がするのだ。
「いい?危うく死ぬ所だったってこと忘れないで。激しい運動したら傷が開くし、次に傷が開いたら今度こそ死ぬからね?」
言い聞かせるように、ベアトリスは俺を指差してそう語る。
バツが悪くなった俺は、頭を掻きつつ言った。
「…悪かったな」
「それはこっちの台詞。正直、あんな小さな女の子なら、ずっとここで保護したいんだけどね。もうすぐ私の勤務時間終わるのよ」
ベアトリスの意外な言葉に、俺は驚いた。そんな俺の視線に気づいたのか、ベアトリスは顔を背ける。
「さ。裏口からとっとと行きなさい。あの子の為にね」
「最後に一つ、教えてくれ」
一瞬の沈黙の後に紡いだ俺の言葉に、ベアトリスが振り返った。
「何?」
「いや、今更どうでもいい話なんだが…この前の昼間にここへ来たら、お前がいなかった。警備員もボブじゃなかった。それは勤務時間から察しがつく」
俺の言葉に、じれったそうにベアトリスが腕を組む。
「でも更にその前に、白衣姿でダイナーで昼飯食ってたよな。あの時間はお前の勤務時間じゃなかった筈だ」

俺がそう言った瞬間、ベアトリスは目を細めた。
「色々あんのよ。私みたいな死体漁りもね」
その一言で俺は安心した。
何かあるのかと思ったが、こんなあからさまな隠し方を見る限り、俺やレイラとは関係なさそうだ。
「分かった。今回のことは恩に着る」
「別に忘れてくれて構いやしないわ。こっちも暇だからやってるだけだし。あと、車は一日経ったら盗難届出すから」
そう言うと、今度こそベアトリスは死体安置所の廊下へ消えていった。
「さて、全部聞いてたな?移動するぞ」
ベアトリスが廊下に消えるのを見送ると、俺はレイラに声をかける。
当のレイラはソファに座ったまま呆然としていた。
「…どうした?」
反応しない。レイラの持つ能力のこともあり、俺は不安になった。
「おい、レイラ?」
呼びながら、肩を揺する。それでやっとレイラは目の焦点を俺の顔に合わせた。
「?」
「何でお前が疑問符浮かべてんだ。まぁいい、先にここから離れるのを優先しなきゃならん」
俺の言葉に、レイラは黙ったまま頷く。
「じゃ、行くぞ」
俺はレイラの手を握った。

後部座席にレイラを座らせ、ベアトリスの車にエンジンをかける。
周囲に誰もいないことを確認してから、俺は死体安置所の駐車場から車を出した。
まだウィルクスの部下が張っているだろう。それを予想していた俺は、後ろのレイラに声をかける。
「毛布を持ってきただろ。しばらくそれを被ってろ」
夜を過ごすことを考えて、ベアトリスに断ってから死体安置所の毛布を何枚か拝借してきたのだ。
無言で頷いたレイラは、後部座席に横たわり毛布を被った。
これでしばらくはレイラが発見される危険は無いが、マフィアの方は十中八九俺の顔も指名手配しているだろう。
この街は広い。北端のトンネルまで行くのにも結構な時間がかかる。
俺は売店でサングラスとマスクでも買うことにした。

しばらく走り、一番近いドラッグストアの駐車場に車を停める。
ウィルクスの部下は私服に覆面パトカーではあったが、あからさまな警戒の仕方だったので容易に目を盗むことができた。
そして既に朝だ。マフィアの活動も表に出なくなる時間帯なのは幸いで、お陰で誰の目にも触れずに開いているドラッグストアに辿り着くことができた。
「ちょっと待ってろ。絶対にここを動くなよ」
「…うん」
俺は後部座席のレイラにそう言い置いてからドアを開けた。そして車から出る前に、もう一言付け足す。
「できるんなら、何かあったら俺の頭に話しかけろ」
「うん」

まずいな。危惧した事が起こり始めてる。ドラッグストアに入りながら、俺はそう考えていた。

レイラの、人間の頭の中に話しかけるという能力。言うまでもなく普通の人間は持たない力だ。
その力に今、俺は少し頼ってしまっている。
子供を匿いながら街の外に脱出するなんて状況のせいもあるのだが、それでもあの能力に頼るのは不味いと俺は直感していた。

麻薬と同じだ。

探偵という職業の俺にとっては、活用すればこの上なく便利な能力なのだろう。
だからこそ、それに頼って己の能力が失われるなんて間抜けなことにはなりたくない。
ボスを敵に回している今なら尚更だ。
早い所この仕事は終わらせた方がいいと、俺は思い直していた。
そんなことを考えながら、目当てのサングラスと一箱分のマスクを手に取った時だった。

「あら、久しぶりじゃない」

横から声をかけられる。ギクリとして俺は硬直した。
この聞き覚えのある声は、まさか。
「顔引き攣ってるわよ、失礼ね」
俺は諦めてそちらを向いた。
果たして、レベッカ・ミラーは憤然とした表情でそこに立っていた。

後ろに纏めた赤髪に白い肌の、20代後半くらいの、鋭い眼をした女。俺が苦手な人間の一人だ。
いつも無鉄砲な行動をする癖に、勘は良いせいで俺の仕事中に首を突っ込まれることがよくある。
「何だ、何でここにいる」
「昨日ここでマフィアの抗争があったのよ。仲間同士で撃ち合ったらしくてね、その事件を追ってるの」
少し考えて、それが昨日俺とレイラが遺跡から脱出した際に起きたものだと分かった。

そこでハッとした。
アレがレイラの仕業だとしたら、レイラの能力は人の頭に話しかけるものだけではない?

そう考えてしまったのが運の尽きだった。
「その顔…何か知ってるわね?」
どうやら、やはり昨日の疲労がまだ抜けきれていなかったようだ。先程のベアトリスの言といい、今日の俺は顔に出やすい日らしい。


車に戻るが、思った通り当然のようにレベッカが助手席に座る。相変わらず図々しい女だな全く。
そう思っていたら、やはりまた顔に出ていたらしい。
「だってあんた、何かよく見たらボロボロじゃない」
「…!」
確かによく見れば、俺の着ているコートはボロボロで、所々が擦り切れて変色し、更には血の跡が長い時間が経ったことにより黒く変色している箇所もあった。
そして、周到に隠したと思っていた身体の各所に巻いた包帯が、所々服からはみ出ている。
「…服屋にまで行く時間は無いな…」
「また何かに巻き込まれてんの?」
そんな俺の様子を見て、レベッカが言った。
だが、今回ばかりは事態が事態だ。流石にレベッカを巻き込むわけにはいかない。
車までついてこられた以上、もう手遅れの感があるが、もう少し粘ってみよう。
「色々あるんだよ俺にも。分かったら出てけ」

衣擦れの音がした。振り向くと、レイラが起き上がってあらぬ方向を見つめている。

当然、レベッカもレイラの姿を見て、俺の方に視線を向けていた。
「…また子供連れてんのね」
この瞬間俺は、もう粘っても無駄だと諦めた。


「マフィアと揉めてんの、また」
最早呆れを含んだ声で、レベッカは言った。マフィアにレイラが追われていると話したのだ。
レイラの方は相変わらず、後部座席に座ってどこか遠くを見つめている。
「で、どうするつもりなの?」
「この街から脱出する」
俺の回答にレベッカは呆気に取られていた。急にそんな事を言ったら当たり前か。
「それと、お前には忠告しておく」
俺はこれまで前方に向けていた視線を、隣のレベッカに向ける。
レベッカの方は既に真剣な様子で俺の方を見つめていた。
「この街は俺の予想以上に腐ってて、そして俺の近くには俺の予想してない敵がいた。お前の周りにもどこに奴らが潜んでいるか分からん。だからもう、俺と関わるのはやめろ」
レベッカはしばらく黙っていた。だが、急に持っていた鞄の中に手を突っ込むと、中から何か探し始める。
「…この街から出るまで同行するわ。あんた、どうせまた女の子の世話に難儀してるんでしょ」
「…聞こえなかったのか?」
続きの言葉を紡ごうとした所で、レベッカの視線に遮られた。
「聞いてたわよ。あんたがまたマフィアと揉めてるって。だからって私が止まる理由にはならないわね」
「だが…」
「覚えてない?私は…あの組織を許さないから」
決意に満ちた瞳で、レベッカは言った。そう言えば、レベッカが夫を失った事に、ロワイアル・ファミリーが少し絡んでいるんだったか。
「で、どうやって町を脱出するの?」
どうあってもレベッカは止まりそうにない。俺は迷った。本当にこいつを連れて行くべきか?ロワイアル・ファミリーの殺し屋に出くわして、こいつまで守れるのか?
「…聞いてる?」
駄目だ。考える時間が長引くほど、レベッカの視線に殺意が篭ってくる。俺は白状した。
「隣町から、貨物列車が出てるだろ。車でそこまで行って、それに乗って脱出する」
「ああ、あの…深夜に出てる奴?」
レベッカの返しに俺は少なからず驚いた。
伊達にジャーナリストを名乗ってないということか。まさか知っていたとは。
「そこに行くまでに張られてるんじゃない?」
「だろうな。だが、一番脱出できる可能性が高いのがそれしかないんだ」
レベッカはしばらく考える仕草を見せてから、やがて言った。
「でも、それ…夜中の3時頃に一本出てるだけだったと思う」
「本当か?」
「ええ。何ヶ月か前の仕事で取材したから、多分間違いない」
ということはやはり、こいつを連れて行く他無いようだ。

「つまり、今日一日マフィアをやり過ごす必要があるな」
「ホラやっぱり私が必要じゃない」
うるさい。腹が立つからやめろ。俺は胸中でレベッカを罵った。
胸中で罵った後に恐らくレイラには聞こえているだろうことに気がついたが、無視した。
「で、どこに泊まるの?やっぱり隣町のモーテル?」
「隣町は小さい。恐らくそこら中にマフィアが張ってるだろう」
そこまで言って、俺は先程から考えていた『ある場所』を思い浮かべ、言った。
「泊まる場所には心当たりがある。マフィアの連中が張ってるかどうかは…運次第だな。だがここや隣町のモーテルよりはマシだ」
「決まりね」
そう言うと、レベッカは後部座席の方を振り返る。
「レベッカ・ミラーよ。よろしくね?」
そう言って手を差し出す。
が、言われたレイラはその声が耳に入っているのかいないのか、レベッカの方を気にせず窓の外をずっと眺めていた。
「時々こうなんだ。名前はレイラだ」
俺がそう紹介するが、レベッカは後部座席のレイラを見つめたままだ。
ひょっとしてレベッカの頭の中にレイラが話しかけたりしたのか?そう思い二人を観察するが、どうやらレベッカは無言で遠くを見ているレイラを観察しているだけらしい。
そう思っていると、やがてレイラがこちらを向いた。
「…危なかった」
「何?」
「え?」
レイラの一言に、俺もレベッカも疑問符を浮かべる。
だがそんな俺達を意に介さずレイラは、レベッカに向かって言った。
「…レベッカ。よろしく」
「あ、うんよろしく」
そう言って握手する。レベッカは普段見せないような笑顔をレイラに向けていた。

やがて、レベッカを乗せたまま俺は車を発進させた。
車を発進させる前に、俺はサングラスとマスクをしたのだが。
「そういう変装すると、あんたって本格的に変質者ね」
「うるさい。誰でもそうなるだろうが」


それから数時間後。既に日が落ちかけている頃だ。
俺達は街の北端へ辿り着こうとしていた。
変装が功を奏したのかは分からないが、結局どこからもマフィアの襲撃は受けていない。
そして、北から隣町へ向かうトンネルの付近で道を逸れた俺は、車で北端の山を登り始める。
いきなりそんなコースを取ったものだから、レベッカは驚愕していた。
「泊まる当てって…山の中で野宿でもする気!?」
「もうすぐ着く。もう少し我慢しろ」
もうすぐとは言ったが、結局それから着いたのは1時間近くしてからだった。アップダウンの激しい山道でレベッカもレイラも疲れ切った頃、俺はある廃屋の前に車を停めた。
「ここだ」
「ここって…」
既に薄暗くなり始めた外に、注意をしながら俺は車から出る。
一旦レベッカは車に残し、異変があったら発進させろと言い置いて。
そして俺は、まず廃屋の周囲を観察した。
人の気配は無い。張られてはいないか。ボスなら知っている可能性もあり、確率は半々といった所だったが。
車も、ベアトリスの車は流石にターゲットにはされていないだろう。それは確信できた。街中でも見つからなかったからだ。
「いいぞ。ここだ」
俺はレベッカに合図した。レベッカの方は、レイラを連れて車から出てくる。
「何か…長年手入れされて無いように見えるんだけど?」
「勿論そうだ」
俺とレベッカが眺めた廃屋は、庭に雑草が生え放題で、植物も建物に張り付いた、まさに『廃屋』と言うに相応しいものだった。

以前、ブルースと俺と何人かの同期で、共同のセーフハウスとして購入したものだ。
ボスに内緒で。
ピンチの時に使おうという約束で、金を出しあった。
こんな山奥で建物も小さいとはいえ、立地的には東の別荘群とさほど変わらなかったから結構な額だったし、長年俺自身も無駄な買い物だと思っていたが、まさかこんな時に役に立つとは思わなかった。

中に入ると、流石に埃だらけだった。
待ち伏せなどがないかも警戒したが、それも無さそうだ。
ソファが二脚ある。そのうち一つに俺は腰を下ろしたが、衝撃でソファに積もっていた埃が舞い上がった。たまらずレベッカが顔をしかめる。
「水道は通ってるが、湯は出ない。電気は点けるな。一晩だけだ、我慢してくれ」
「…ちょっと待って、まさか暖房も無し?」
「当たり前だ」
言ってしまってから後悔した。
今は真冬ではないとはいえ秋の終わり頃だ。大分気温が低い。
風は凌げるとしても、特に暖房器具の無いここでは、気温の低下に耐えるのは結構大変そうだった。
そして当然、レベッカの拒否反応も。
「今、夜がどんだけ寒いか知ってるの!?」
「あー、分かった分かった。車に毛布が幾つかあった筈だ。それを持ってくりゃいいんだろ」
一晩だけとはいえ、キツイ一夜になりそうだ。
そう思った時だった。

「…綺麗…!」
レイラが、そんな俺たちを他所にそう呟いてベランダへ歩んでいた。
そんなレイラの様子に、俺もレベッカもそちらに気を取られる。
レイラの言葉につられてレベッカもその後に続き、次いで俺も立ち上がってベランダへ出た。

この場所は、街の夜景が一望できるのだ。
日が落ちかけているので、時間も丁度良い。
街の北側は主に中流階級の住宅街で、家々の明かりが点々と灯っている。視線を遠くへ移すにつれて、中心部にあるビジネス街の、無数のビルの明かりが見えていた。

その光景を改めて眺めて、いつしか俺は数時間ぶりに一息つけた気分になっていた。
ここを買った時は、『もっと地味な場所にしろ』と言ったものだったが、ここが良いと言い張ったブルースに少しは感謝してもいい気分だ。
俺もレベッカも、仕事でもプライベートでもわざわざ山に登る機会など無いだろう。そのせいか、レベッカもいつしか微笑んでその夜景を観て微笑んでいた。

『光の海。街の灯り。人々の、営み』

「!?」
「え、何!?」
頭の中に、レイラの声が響く。それを聞いた俺と同時にレベッカも驚愕していた。つまり、レベッカも頭の中に響く声を聞いてしまったということだ。

『私は、この光景が好きだった。これを…守りたかった』

「レイラ、お前…」
レイラがレベッカの頭の中にまで声を響かせたのは置いておくとして、俺はその言葉の意味に気を取られた。
「お前、記憶が…?」

振り向いたレイラは、大粒の涙を流していた。

「ど、どうしたの…!?」
驚いたレベッカが無言で涙を流すレイラに駆け寄る。俺は黙ってレイラの様子を観察することしかできなかった。
「ねぇ、一体何が…!」
「わかんない」
レベッカが肩を揺すると、レイラはそう言って泣き出した。


ソファの一つにレベッカが座り、その膝を枕にレイラが寝た。そのまま寝付くのを待って、俺とレベッカは視線を合わせる。
しばらく二人とも無言だったが、やがてレベッカは言った。
「聞く機会がなかったから、改めて聞くわ。何であんたはこの子と一緒にいるの?この子は何でマフィアに追われてるの?さっき…私の頭の中に聞こえた声は、何?」
俺は溜め息をつくと、目を瞑った。
この時を一番恐れていた。ここまで巻き込んだ以上、レベッカが情報を求めるのは当然の話だ。
レイラの能力を知ったのなら尚の事。
だが、下手に情報を与えれば、レベッカの事だから不用意にマフィアの奴らを嗅ぎ回るだろう。そして捕らえられて、あの地下の地獄へ落とされる可能性は十分ある。
俺は迷った。だがどちらにしろ、ここまで協力した以上、レベッカとしても十分な情報を得なければ納得するまい。そう考えて、俺は意を決した。

「いいだろう。全部話してやる、レベッカ」

照明も点けない廃屋の薄闇の中で、俺はレベッカを見据えた。


最終更新:2017年05月20日 23:15