カタカタと、男は小刻みに震えていた。
薄暗いバー。光はカウンター付近の橙色の蛍光灯しか無く、店内の隅にまで届かない。
その蛍光灯の近くに、二人の人影があった。
一人はカウンターの内側に。小刻みに震えたまま、目の前にいる男の様子を窺っている。
もう一人――全身を紫色のアーマーが覆い、金色の短髪に青白い肌をした、眉間に斜めに傷の入った鋭い眼の男は、グラスに入った酒を無言で飲んでいた。
二人の周囲の店内には、横倒しになった丸テーブルと椅子が散乱し、更にその中には幾人かの人間が倒れているのが見える。
皆眉間か眼球に銃弾を打ち込まれ、息絶えていた。
虐殺者と、逃げ遅れたバーテン。言ってしまえば、それだけの状況だった。
「…不味いな。まるで泥水だ」
そう言って顔を上げる、アーマーの男。
その刺すような視線に、バーテンは射すくめられる様にただ怯え、搾り出すように言った。
「そ、それがここで一番上等な酒で…」
そのバーテンの言葉を遮るように、店内のドアの一つが軋んだ音を立てて開かれる。
助けが来たのか。そう思い、希望を見出した顔でそちらを見るバーテン。
そこにいたのは、黒いドレスを着た女性だった。色白で線が細く、黒い長髪を結い上げており、その頭には蝶の髪飾りが付いている。
女は店内の無数の死体を一瞥しただけで、何事も無いかのようにカウンターへと向かって歩いた。
「また暴れたの、ジャンゴ」
ジャンゴと呼ばれたアーマーの男は、酒を一口飲むと言う。
「騒ぎを起こすなと言ったのはあんただ。だから黙らせた」
「そういう意味じゃないのだけど」
「絡んできたのは奴らの方だ」
「…そう」
男の連れであると悟ったバーテンは、自分はまだ解放されないのだと悟り、また小刻みに震え始める。
「私も貰っていいかしら?」
至極何でもないかのように、女はバーテンにそう訊いた。
少しでも口答えすれば自分も死体の仲間入りだ。そう悟ったバーテンは震えながら首を縦に振り、女の前にグラスを置くと、酒を入れようとする。
「おい」
不意にジャンゴと呼ばれた男が、バーテンに鋭い視線を向けた。
「汚すなよ」
「は…はいぃ…!!」
怯えながら、細心の注意を払いバーテンは酒を注ぐ。
出された酒を一口飲んだ女は、カウンターに背を向けて店内を見渡しながら、口を開いた。
「『ファフニール』…今度の作戦のあなたのコードネームよ」
女の言葉を聞いているのかいないのか、男はグラスの酒を飲み続ける。それに構わず女は続けた。
「私は『ハーピー』。そしてあの男…ビートルジュースが『ゴースト』と名乗る。以後の連絡はこの名前で取り合う。そういう手筈」
「勝手にすればいい」
そう言うと、男はグラスに残った酒をグイと飲み干した。
そして手首に設置された端末を開いて時間を確認すると、言う。
「そろそろ時間だ」
そしてカウンターの上、自身の傍らに置いていたフルフェイスタイプのヘルメットを被り、巨大なボストンバッグを片手に持ち上げると、バーテンに向かって言った。
「どこだ。屋上への階段は」
言われたバーテンは慌てた仕草で、店の奥の扉を指差す。
男は、女に何を言うでもなく、その扉へと歩を進めた。女に呼び止められるまで。
「ジャンゴ」
男はただ立ち止まる。女は虚空を鋭い眼で睨んだまま、言った。
「地獄を見せて。あの男に」
それを聞くと、やがて男は何事も無かったかのように歩き出し、扉の奥へ消える。
女はそれを見るでもなく、先程の男と同じようにグラスの酒を飲み干した。
「もう一杯くれる?」
バーテンは再度震える手で、女の差し出したグラスに酒を注ぐ。
注ぎ終わった時点で、女は言った。
「ありがとう。もう行っていいわ」
女の言葉に数秒バーテンは硬直していた。だが、漸くその言葉が理解できたのか、彼はカウンターを出ると、女に視線を向けたまま後ずさりし、やがて振り向いて、先程女が入ってきた扉の方へと一目散に駆け出していく。
「ああ、でも…」
女の言葉が聞こえなかったのか、バーテンはそのまま扉を開け、駆け出して行ってしまう。
それを知ってか知らずか、女は言葉の続きを紡いだ。
「今は、外に出ないほうがいいかも」
次の瞬間、店の外から爆音が響き始めた。
最終更新:2018年01月21日 00:08