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クロウ・エリュシオン。またの名をロックマン・ミラージュ。

元粛清官であった彼は、ノアという男の手によって現代へと蘇り、そして『古き神々』との死闘に臨んだ。

戦いの中でノアは宿敵との戦いの果てに命を終え、そして彼自身も過去の因縁に決着をつけ、生き延びた。


かつてヘブンと地球を統治していた二人のマザー、セラとユーナによって保護された彼は、しかし。

現在、刑務所の中にいた。



白い部屋。それほど広くは無い、鉄製のテーブルと椅子。
部屋の片側には一面に鏡がある。言うまでもなく、隣の部屋からその鏡を通してこの部屋の様子を見るためだろう。
更には監視カメラが天井の隅に設置されている。
またテーブルの上には、この殺風景な部屋には不釣合いと言える、小型の機材があった。
そんな部屋の中に、クロウはいた。
18か19くらいの年齢の顔つき、それに似合わぬ灰色の短髪で、身長は170cm前後。今は橙色の囚人服にその身を包んでいる。
両手には手錠がかかり、今座っている椅子に繋げられていた。

テーブルを挟んで彼の向かいには、二人の女性が座っていた。
二人とも髪色が鮮やかな緑色をしており、更に褐色の肌という特徴的な外見をしている。
一人は長身で髪が長く、そして両目の他に額には第三の眼――リーバードの瞳があった。
もう一人は小柄で短髪、普通の人間ならば子供と見間違えただろう外見だ。
小柄な女性は幾何学模様の入った白いワンピースを着ており、長身の女性は黒いコートに身を包んでいる。
最初に口を開いたのは、長身の女性だった。
「…私は納得できません。こんなこと、間違っています」
「俺が決めたことだ。お前には…関係ない」
頑なな口調で、クロウは眼を瞑り、そう言い放つ。
「でも、殺したのはあなたじゃない」
「ゼゼ…あいつは俺のせいで死んだんだ。その事実だけで十分だ」
先程から、ゼゼと呼ばれた長身の女性と、クロウとの口論が続いていた。
「それでも…こんな償い方は間違ってる…!」
搾り出すように紡がれたゼゼの言葉。それを見かねたのか、ずっと無言だった小柄な女性が口を開いた。
「もうよいだろう、ゼゼ。今日我々が来たのは、その件のためではない筈だ」
「…はい、セラ様」
セラと呼ばれた小柄の女性の言葉に、項垂れたように力無く答えるゼゼ。
そして、小柄な女性――マザー・セラは、ポケットから何かを取り出した。
「ロックマン・ミラージュ。今日我々が来たのは、この映像についてのことだ」
「?」
セラがポケットから取り出したのは、小型のディスクである。
それと同時に、ゼゼの方は暗い表情のまま立ち上がると、出入り口の方へと歩いた。だが部屋を出るのではなく、扉の横に設置された照明のスイッチをオフにする。
暗くなった室内で、セラはテーブルの上にあった機材の中にディスクを差し込んだ。
機材が作動し、鏡とは反対側の壁に、スクリーンが映し出される。
「一体何だ?」
「…まずは見て欲しい」
クロウの問いに、セラは無表情でそう答えた。


画面の中は、暗い部屋が映っていた。
室内は家具や絨毯、テーブルや椅子が並ぶ。今クロウがいるような部屋のものではなく、装飾や色からして違う。どちらかといえば、裕福な一般家庭のリビングに見える。
だが、撮影された時間は夜のようで、太陽の光はどこからも差し込んでいない。天井付近の照明は一応点いていたので室内は見えるが、その光は弱々しかった。
『さて…これで良し』
その声に聞き覚えは無い。
撮影者の声らしい。次の瞬間、カメラが違う方向を向いた。

クロウは、眼を見開いた。

血塗れの男が、椅子に縛り付けられて座っている。
上はシャツ一枚、下はトランクス一枚の下着姿だが、その衣服は大部分が血に塗れている。そして、身体の各所や顔面には、多数の裂傷や打撲の跡が見えた。
椅子に縛られた状態でも、男が大柄の体格であることが分かる。血塗れの顔の口元と顎を髭が覆っているのが確認できた。かなり歳を重ねた男だ。そしてクロウには、その男の顔に見覚えがあった。
『言え』
有無を言わさぬ声。しかし、たったそれだけの発言にも関わらず、その声は愉しんでいることが隠せていないとクロウには分かった。
画面中央の血塗れの男が、諦めたような声で言う。
『私は…警察署長のジョージア・ゴードン…だ…』

『そうそう、その意気だ』

画面が再度、別の方を向く。

そこに現れたのは、顔の片側が幾何学模様のタトゥーに覆われた、白いスーツの男だった。最も、そのスーツやその顔にも多数の血痕が付着していたが。
『ごきげんよう、善良なる市民の諸君』
その声と共に、その男はニッコリと満面の笑顔を見せる。
『俺の名は…そうだな、ゴーストと名乗っておこう』

「…何者だ」
自然と、クロウはそう口にしていた。
警察署長ジョージア・ゴードンとは一度だけ会ったことがある。だからこそ映像の状況には驚いたが、それよりも今画面に映っている人物の方に注意を向けざるを得なかった。
かつて、ある人物から教えられた、自分が戦った古き神々の一勢力。その中の顔ぶれに、今見た人物の顔は無かったのだ。
そんなクロウの言葉は虚空に掻き消え、映像は続く。

『さぁ警察署長。さっき教えた通りだ…くれぐれも失敗するなよ?さぁ…言え』
男――ゴーストに促され、再度カメラの向けられた警察署長ジョージア・ゴードンは、ゆっくりと言葉を吐いた。
『…クロウ・エリュシオン』

その名が出たことで、クロウは一瞬で覚悟を決めた。
どの道、マザー・セラがこの映像を見せているということは、自分に関係がある話だったのだ。
自分宛のメッセージであるなら、むしろ話は早い。

『ゲ…ゲームをしよう。お…俺達とお前のゲームだ』
口調で分かる。明らかに拷問されたと分かるこの警察署長は、メッセージを暗記させられ、言わされているのだ。
そこで、警察署長はしばらく沈黙した。
『どうした?早く続きを言え。分かってるだろ?』
ゴーストに促され、警察署長は続きを紡ぐ。
『場所は…ぷ、プリズナの町。お、お前が、そこに来たしゅ、瞬間から、開始、だ』
その顔には大量の脂汗が浮かぶ。時間が経つにつれて、どんどんその汗が噴出してきているのが、粗い画面の映像でも分かった。
『お、お…俺を追い詰めたら、お前の勝ちだ』
その手、その胴が、次第に小刻みに震え始めている。クロウはその様子に疑問を抱き始めた。
『…もしこ、ことわ…』
その眼から涙が流れ始めた。
『続きを言え』
低い声で囁くように、ゴーストが促す。
『こ、断れば…』
『続きを言え!!』
酷く恐ろしく響く声で、ゴーストが促した。

クロウには疑問だった。警察署長の言っているメッセージは至極単純なものだ。なのに、何故こんなに苦しそうに彼は言うのだろう。
拷問されたから記憶するのが困難だったのか?それにしては、まるで。

まるで、続きを言うのが…メッセージが終わるのが怖いように見えた。

『お、お、お、お前の、大事なものを貰う』

警察署長がそう言い終えた後、しばらく沈黙が辺りを覆った。
暗い部屋の中で、彼の吐息だけがずっと響き続けている。
だが、やがて。
『署長』
恐ろしく静かな声で、その男は言った。

『あんたは、何が怖い?』

銃声。
何かの倒れる音。

『あ…あああああああぁぁぁぁ!!!』

絶望に堕ちる、警察署長の顔。

そこで、映像は終わっていた。


「…どうなった?」
眼を瞑り、クロウは言う。
「この映像は、今朝見つかったものだ。警察署長が出勤してこないので周囲が疑問に思い、迎えに行った刑事が見つけた」
「警察署長は死んだのか」
ほんの少しの沈黙の後、マザー・セラは言った。
「ああ。妻と、二人の娘もな」
「…!!」
眼を見開かざるをえなかった。
「悪趣味、とはこういうものを言うのだろうな。詳しい状況は聞かない方がいい」
「話してくれ」
そう言ったクロウの眼には、既に決然たるものが秘められていた。
それを見て取ったセラは、諦めたように続きを口にしようとするが、先に詳しい状況を語ったのはゼゼの方だった。
「警察署長の家は夥しい血でいっぱいだったそうです。妻と二人の娘は射殺されていました。警察署長は大量出血によるショック死です」
「大量出血?」
「恐らく…生きたまま首を」
「分かった。もういい」
「…もう一つ。この映像の入ったディスクは、『咥えさせられて』いました」
「…マザー・セラの言う通りだ。悪趣味だな、これ以上無いほどに」

そう返しながらクロウは、先の戦いで対峙した古き神々達を思い返していた。
ケフェウス、ポルックス、アルデバラン。
だが、彼らでさえ、ここまで悪趣味なことはやらなかった。
いや。
一つだけ、心当たりがある。
この悪い冗談のような話。まるで――

「古き神々の一人だと思うか」
「現時点では何とも言えん。だが、奴はお主を指名した。その事実だけでかなり可能性は高いと言えるだろう」
そこまで言うと、セラはテーブルの上に両手を組み、眼を瞑ると、言う。
「今は権限を放棄したとはいえ、私もヘブンを管理していた身だ。またお主を古き神々との戦いに関わらせるのは忍びないと思う。本来なら、私が代わりにあの男のゲームに望むべきだ。だが…」
「奴はプリズナの町を指定した」
セラの話を遮り、呟くようにクロウは言った。
「あの町の遺跡はただの遺跡じゃない。俺が行かなければ…奴が何をしでかすか分からない」
そこまで言って、やっとクロウはセラの顔を見る。
「だから俺に話した、だろう」

今度こそ、セラは諦めたような表情で頷く。
プリズナの町。そこはかつて、『戦闘端末』と呼ばれる無数の兵器の保管庫であり、そして実験場である場所だった。
そして以前にクロウは、そこで古き神々の一人と対峙している。
その戦いで戦闘端末が数体破壊されたのをクロウは見たが、まだ無傷のものもあり、そしてクロウが見ていないだけで、もっと多くの端末がそこに保管されている可能性もあるのだ。

「…命じてくれ、マザー。この世界に生きる者の一人として、俺はあんたに従う」
そうクロウが言った時、ゼゼは静かに涙を拭った。

「お主をここで解放したいが、それはできない」
セラの言葉に、クロウは頷く。当然だ、今の自分は殺人者として扱われているのだから。
「数時間後に護送車が着く。それに乗り、そこから船を幾つか乗り継いでプリズナへと向かってもらう」
淡々とセラは説明していく。クロウもそれを黙って頭に入れていた。
「すまないが、装備はこの街を出てからでないと渡せない。この町でお主を支援する許可を、警察は決して出さなかった」
「…知ってはいたが、随分憎まれたものだ」
セラの言葉にそう呟くクロウ。すると、予想外の返事が返ってきた。
「副署長の指示です。彼は…どうやら、貴方も含めた『古代人』に対して敵意を持っている節があります」
躊躇いがちに説明するゼゼ。クロウは思い返してみたが、署長や何人かの刑事とは面識があったものの、副署長との面識は無かった。
「それに、貴方を街の外まで護送する際の陣頭指揮も彼が執るようです」
「…そいつの名は」
「ジェラルド・クルーガー。気をつけてください。あの男は、貴方にどんな仕打ちをするか、分かりません」
クロウはゼゼの助言に頷いた。そして、言う。
「ゼゼ。俺のことより、自分のことを考えろ。お前の方こそ、いつまでもヘブンに関わる必要は無い。…ノアが言ったこと、覚えてるだろ」
「ええ。ですが…私も今の貴方と同じですよ。自分にできることがあるから…私は今ここにいます」


数時間後。刑務所にやってきた護送車と、そして大勢の警官、その中央に立つ長身で痩せ身の男の前に、クロウは手錠を付けた状態で立っていた。
背後には刑務所の職員が二人、油断の無い目付きでクロウを見ている。
だがその二人の視線など気にならないほど、目の前の男の威圧的な視線にクロウはプレッシャーを感じていた。
「警察副署長のジェラルド・クルーガーだ。護送の陣頭指揮を執る」
あくまで事務的に、その男――ジェラルドはそう語る。
クロウはただ頷いた。しかし、ジェラルドの言葉はそれだけでは終わらなかった。
「署長は以前、空族の摘発に際して貴様を協力させたそうだな。だが私は違う。犯罪者は犯罪者として扱うだけだ。故に…以前のように警察を懐柔できるとは思わぬことだ」
クロウはその言葉には答えなかった。ジェラルドの方もそれ以上は何も言わず、一歩退くと他の警官にクロウを護送車へと乗せるよう指示を出す。

やがて護送車に乗せられ、その座席に座ったクロウだが、予想外の人物が一緒に入ってきた。
「…久しぶりだな」
「お前は…」
カーネル・ジョンソン刑事。かつてクロウを逮捕した刑事であり、その後も色々と因縁のあった刑事である。
カーネル刑事以外は、運転席に座った刑事達を除けば護送車には誰も乗り込んでは来なかった。
やがて、護送車は多数のパトカーと共に発進する。

しばらく走り続けた後、やがてカーネル刑事は口を開いた。
「私はお前の自白に納得していないぞ」
「…」
クロウの沈黙にも構わず、カーネルは言葉を続けた。
「確かに現場にはお前の持ち物だった刃物が、被害者の血が付着した状態で落ちていた。被害者はお前の隣人だった。だがお前は罪を認めただけで、決して動機は話さなかった」
やはりクロウは答えない。それでも尚、カーネルは言葉を続ける。
「事件発生から一週間お前を捜索したが、確保はおろか目撃情報さえ出てはこなかった。やがて警察署にお前が現れた。頭髪が灰色に変色した姿で。そしてお前は、トム・クレイヴ殺しを自供した」
「…あんたがどう思おうと、結果は同じだ」
やっと放たれたクロウの言葉に、カーネルは首を振った。
「警察という職業はな。物事の一部始終を追及する仕事だ。結果だけが全てじゃない。お前が動機を話さない以上、何か裏があると俺は思ってる」
一泊を置いて、カーネルは言う。
「お前が誰かを庇ってる、とかな」

「…それは、違う…!」

歯を食いしばって言うクロウに、カーネルは眼を細めた。
「ならばもう一つの推理の方が真相に近いかもな」
そう言うと、カーネルは眼を細めてクロウを見据え、口を開く。
「殺しの犯人は別の人物で、お前は消えていた一週間の間にそいつを殺した。だが罪悪感か…それ以外の理由があるのかは分からんが、何らかの理由でお前は自分が犯人だと名乗り出た」
「…」
クロウがまたも沈黙したので、カーネルは溜息と共に同じように沈黙する。
だが、やがてまた一言、口を開いた。
「何が真相にしろ、お前には逃げるなり何なりできた筈だ。だが刑務所行きを選んだ。その理由だけでも知りたいものだな」
やはり、クロウは沈黙で返す。

思えば、あの銀行強盗の一件から、このカーネル刑事との付き合いも長くなったものだとクロウは思い返していた。
あの一件で逮捕され、彼自身から取調べを受けた。次に空族との戦いで、カーネル自身は参加しなかったものの、警察との共同戦線を張った。その後は古き神々との戦いで警察に関わっている余裕はなくなってしまったものの、その戦いが終わって自首した時にも、やはり取り調べはカーネルが受け持った。もう階級は警部となり、自らが取調べを行うような立場ではない筈であるにも関わらず、だ。
そして今も、必要も無いのに護送に同席してくれている。どんな考えでカーネルがこの役割を志願したのかは分からないが、自分を敵視してる様子のジェラルドとは友好的な交渉にはならなかっただろうことが想像できた。
「わざわざこの護送に同席したのは、それが知りたいためか?」
自然と、先程の詰問を思い返して、そんな言葉がクロウの口をついて出ていた。
「ああ。…どっかの誰かの言葉を借りれば、『俺の寝覚めが悪い』からな」
「どっかの誰か?」
「こっちの話だ、気にするな」
カーネルの疑問に答えてやりたい気持ちはクロウにもある。だが、それはできない。
それは至極単純な理由――クロウ自身にも明確に言葉にできないからだった。


『準備はオーケーか?兄弟』
ヘルメットに内蔵された通信機を通して、陽気な声が頭に響く。
雑居ビルの屋上に降り立ったその男は、肩に下げていたボストンバッグを床に下ろすと、そのファスナーを開きながら答えた。
「あと20秒だ」
そして、バッグの中身から多数の部品を取り出し、何かを組み立てていく。
『俺も外にいるんだが、今日はいい天気だな。雲一つ無い、綺麗な空だ』
ここから先は通信相手の無駄話だ。それを承知していた男は、黙々と組み立てを続けた。
やがて、組み終えた部品から、身体を覆うアーマーに装備し始める。
その間も、通信相手の話は続いた。
『空は青く澄み渡り、風は心地良い。こんな日は――そうだ!絵を描くに限る!!』
やがて全ての装備をアーマーに搭載し、最後の部品――弾頭を肩に取り付けた砲身に装着した男は、屋上の柵に背を付け、座った。
「生憎…絵の具は黒しかないがな」
『ハハ!お前もそういう冗談が言えるようになったか!ファフニール!!』
これから行う任務に、心を集中させ。
「ゴースト。俺を失望させるなよ」
『勿論さ兄弟!相手はあの戦いを生き残った粛清官だ。存分に腕を振るうがいい!!』

そして男――ファフニールは立ち上がり、柵に足をかけると、眼下の道路を走り去ろうとする護送車に向けて、引き金を引いた。


突然、凄まじい衝撃が護送車を遅い、クロウとカーネルはその衝撃に身を揺さぶられた。
気がつくと車両は横倒しになっており、クロウはそこでやっと異常事態を自覚する。
「襲撃だ!!」
ほぼ同時に気がついたらしいカーネルが、そう叫びながらシートベルトを外す。
幸いカーネルのいる方の座席が地面に近かったため、カーネルはその場で姿勢を低くしながら地面に足をつき、運転席の方へ声をかけた。
「無事か!?」
「はい!」
「な、何だアレは!?」
一人がカーネルの呼びかけに答えるが、もう一人は外の光景に声を上げていた。

そして次の瞬間、凄まじい銃撃の嵐が運転席を襲う。

「うわああああぁぁぁぁ!!!」
「ぎゃあああああぁぁぁぁ!!」
二人の警官が悲鳴を上げ、運転席が血に染まる。
「なっ…!!」
カーネルは驚いて声を上げるも、冷静に事態を観察した。
どうやら相手は高い場所から撃っているらしく、銃撃が運転席より後ろの席へ届くことは無かったが、その状況もいつまで続くか分からない。
「クロウ・エリュシオン!!怪我はあるか!?」
「無い」
言いつつ、クロウもシートベルトを外すと地面に落ち、そして体勢を立て直した。
「仕方ない…!」
カーネルはクロウの怪我が無さそうだと確認すると、最後尾のドアへと近づく。
「…これを何とかしてくれないか」
そう言って、クロウは両手にかけられた手錠を掲げて見せた。
だがカーネルは首を振る。
「私は副署長に眼の敵にされててな。手錠はあっちが持ってたよ」
言いつつ、カーネルは運転席の方へ首を振ってみせた。
運転席の男達が生きていそうな様子は無い。フロントガラスで丸見えであるため、運転席へ行くリスクは避けた方がいいのは明らかだった。
そして、カーネルは最後尾のドアを開けにかかる。
「待て!!」
「分かっている!!」
クロウが止めようと声を上げた理由は彼も分かっていた。
運転席の警官が血祭りに挙げられた後は、銃撃が止んでいる。これは、相手がこちらの動きを読もうとしている可能性が高い。
だが、それだけの理由とは限らない。この護送車にはパトカーが何台も護衛していたからだ。
耳を澄ますと、周囲の警官達の混乱と、応射する音が聞こえる。
カーネルは背後のクロウを振り返ると、言った。
「俺が囮になる」
「何!?そんな事…」
抗議しようとするクロウの声を、カーネルの声がピシャリとねじ伏せた。
「黙って聞け!!俺とお前で同時に、別方向に走るぞ!出たらとにかく、近くの遮蔽物に身を隠せ!敵はこっちが出てくるのを待っている筈だ!!」
「…糞っ!」
そしてカーネルは最後尾の扉を開けると、外へと駆け出す。
クロウも言われた通り、カーネルとは別方向へと駆け出すしかなかった。


護送車を出たカーネルは、走りながら周囲の状況を確認した。
大通りの中央を走っていた護送車は、横から大口径の大砲のようなもので吹っ飛ばされたらしく、歩道にある街灯に横倒しのまま激突していた。
街灯は大きく傾いていたが、まだ倒れてはいない。頂上にあるライトがバチバチと音を立てている。
カーネルは囮の役をこなすため、歩道の方へは走らずに車道の方へ走った。
周囲には何台もパトカーが止まっており、パトカーを出た警官達が銃を構えながら頭上を見上げている。
カーネルも絶えず動きながら、警官達の目線を追う形で頭上を見上げた。
そこで見た光景は、あまりに予想外だった。

一人分の人影が、宙に浮かんでいる。

まだ早朝だったのが幸いして太陽に眼をやられる心配は無かったが、大通りの中央付近に浮かぶ人影は、異様な不気味さを醸し出していた。
「何者だ!!」
吼えながら、カーネルは銃を向ける。
だが、次の瞬間カーネルはその人物の動作に凄まじい危機感を覚え、傍のパトカーに身を隠さざるを得なかった
空中に浮かぶ人影――全身に紫色のアーマー、フルフェイスヘルメットの人物は、カーネルの声にも構わず、腕のアーマーに取り付けられた機関銃を、周囲の警官達へ向けていた。
何の躊躇いも無く放たれた死の雨に、多数の警官達が血飛沫を上げて倒れていく。
かろうじて銃撃を免れた警官達が一斉に拳銃を発砲するも、相手のアーマー、ヘルメットに阻まれ、碌に効いている様子は無い。

「糞!!戦争でも始めようってのか!!?」
多数の警官達の一人がそう叫んでいた。


クロウはカーネルとは反対側の歩道の方へと走った。
だが、歩道には伏せている一般市民が何人かいるだけで、警官の姿は無い。
車道の方へ行こうとしたクロウだったが、彼を呼び止める声があった。
「こっちよ!!」
見れば、茶色のコートに身を包んだ刑事らしき女性が、道の角にあるドラッグストアのドアの陰で手を振っている。
クロウは即座にそちらへ走った。
が、その瞬間、背後から凄まじい銃撃の音が響いてくる。
「急いで!!」
女性刑事は動揺を隠そうとしながら、クロウに手を差し伸べた。
やっとのことで辿り着き、そしてクロウは振り返る。
「刑事のエリス・ブラウンよ。事態が収まるまでここにいて」
だが、エリスと名乗った刑事の声は、クロウの耳に入らなかった。

大勢の警官が、血を流して倒れていたからだ。

銃撃で穴だらけになり、ガラスも粉々になったパトカーが何台も見える。
ビル街に挟まれた場所であるため、先程から多数の銃声が反響し、木霊していた。
「…狙いは俺か」
「さっき応援を呼んだから、あなたはここにいて!!」
そう言い、クロウと入れ替わるようにドラッグストアを出てパトカーへと向かうブラウン刑事。
「っ!!待て!!」

頭上を浮遊する男がこちらへと顔を向け、ブラウン刑事を捕捉していたのがクロウの位置から分かった。
それを認識すると、クロウは躊躇い無く駆け出していた。

「俺はここだ!!」

ドラッグストアから一歩踏み出して、クロウは頭上の男へ向かって叫ぶ。
以前のようにアーマーも、武器も無い。それどころか、両手は手錠にかけられている。それでも、そうせずにはいられなかった。
見てしまったからだ。自分のせいで、大勢の警官達が血を流すのを。

頭上を浮遊する男を、改めてクロウは観察した。
あの浮遊の仕方には覚えがある。
「反重力…!」
クロウも以前使用していた、反重力装置。頭上の男が使用しているのは、それとしか思えなかった。だがその装備は、ノアの持つ強力な科学力があってこそのものだった筈だ。

男は、先程ブラウン刑事を捉えていた眼をクロウの姿へと移すと、右腕のアーマーに装備された機関銃を向ける。
それを見て取ると、クロウは一気にドラッグストアの陰へと身を躍らせた。
次の瞬間、クロウのいた辺りの地面に無数の弾痕が刻まれる。
そのまま、クロウはその細い路地へと駆け出した。


遠くの方から、大音響でパトカーのサイレンが響いてくる。
そろそろ応援が到着する頃だろう。
クロウ・エリュシオンの姿は既に路地の先へと消えている。
「…この程度か」
そう呟くと、ファフニールは手近な雑居ビルの中でも一際高いビルの屋上へと、空中を滑るように移動した。
そして慣れた手つきで肩の砲塔をパージすると、その砲身を細長いものに換装し、弾丸を一発装填する。
そして数十秒間、そのビルの周囲に警官達が警戒しながら殺到してくるのを気にも留めず、その場に佇んでいた。

落胆を禁じえない。それが今の本心だった。
相手は囚人服で、人間を殺傷できる装備など一つも無い。対して自分は豊富な装備の上、襲撃で不意を打った形だ。
とはいえ、それでも何らかの反撃を期待していた。これだけの圧倒的な窮地に、どんな一矢を報いてくれるのかと、期待してすらいたのだ。
だが、あろう事か尻尾を巻いて逃げ出した。ならばもういい、終わりにするだけだ。
彼はこれまで――自分の前から逃げ出した者を、仕留め切れなかったことは一度たりともも無かった。

そして、彼は振り向き、銃弾を装填した砲塔を片腕に担ぐと、構える。
「――そこか」
直線距離およそ40メートル、視線の先にある十字路を、今まさに横切ろうとする囚人服の背中。
躊躇わず、引き金を引いた。

その瞬間、背中を見せていた囚人服が振り返り――地面に沈み込んで両腕を掲げる。


甲高い金属音が、ファフニールのいる所まで響いた。
眼を見開く。クロウ・エリュシオンは、自由になった両手を確認していた。

放たれた弾丸は、クロウ・エリュシオンの掲げた両腕の間を通り、その手にかけられた手錠の鎖を、破壊していた。

ファフニールの思考が一瞬止まり、そして猛烈な回転を始める。
襲撃をかけてからクロウ・エリュシオンが逃走するまで、自分が使ったのは大火力のものだけだった筈だ。
即ち、狙撃系の装備があるなどと、予想できる筈が無い。
にも関わらず、クロウ・エリュシオンはそれを察知し、そして利用までして見せた。

そのクロウ・エリュシオンはといえば、両手を下ろしたまま狙撃位置にいるファフニールを見ている。
だがやがて、再度振り返ると、そのまま走り去ってしまった。
狙撃するにはもう一発装填が必要だろう。そして装填している間に、取り逃がすのは明白だ。

つまり、自分は負けたのだ。

「…面白い!!」
既に大通りには応援が駆けつけて、無数の武装した警官達が自分に銃を向けている。
このビルの屋上にも、今まさに警官達が上って来ているに違いない。
そんな状況でも、ファフニールは口元に浮かぶ笑みを抑え切れなかった。
「これが古代人…粛清官か…!!」
言いながら、ファフニールは手首についた操作盤を操作する。

そして、大勢の警官の前で、ファフニールは姿を消した。


たちまち、数十分が経過していた。
「非番の奴らも呼び出せ。できる限り包囲網を張れ!!」
現場に来たジェラルド・クルーガーが、周囲にいる部下達へ次々と指示を飛ばす。
だがやがて、その視線が自分に向くのをカーネルは感じ取った。
話したくない相手ではあるが、今はそう言っていられる状況ではない。
「カーネル。貴様はクロウ・エリュシオンを見張っていた筈だが、混乱の中で逃走を許したそうだな」
「襲撃者の武装が明らかに充実していたのです。護衛の警官達や私の装備では太刀打ちできませんでした」
カーネルの報告に、ジェラルドは冷ややかな視線を向ける。
「それはこの惨状を見れば分かる。だがそれなら、あの男を確保して応援の到着まで隠れていれば良かった筈だ」
「そんな悠長なことを言っていられる余裕はありませんでした!警官達が銃弾に晒されているのを黙って見ていろと!?」
「そうだ!!貴様の任務はそれくらい重要なものだった筈だ!貴様の判断ミスで、あの男の策略にまんまと嵌ったわけだ」
カーネルは、ジェラルドが何を言っているのか分からず、困惑の色を隠せなかった。
そんなカーネルの様子を見て取り、ジェラルドは憤然と鼻を鳴らす。
「分からんか。襲撃者とクロウ・エリュシオンはグルだったのだ。そうでなければ護送の時間を襲撃者が把握していた説明がつかん」
あんた正気か!?と、危うくカーネルは思考を停止してジェラルドに掴みかかる所だったが、代わりに反論する者があった。
「それはありえません!彼は、血を流してる警官達を見て凄くショックを受けた様子でした」
カーネルの横に現れたエリス刑事だ。
「それに襲撃者は、明らかにクロウ・エリュシオンを狙っていました。彼が姿を消すのが一瞬でも遅ければ、射殺されていたでしょう」
だがそんなエリスの反論にも、ジェラルドが耳を貸す様子は無い。
「私の話をちゃんと聞いていたか?襲撃者とグルであれば、そういう芝居など幾らでもできる筈だ。ショックを受けて正常な判断ができなくなっているのはお前達の方だな」
もうこれ以上議論をする気はないとでも言うように、ジェラルドは報告に来た部下の方へ向き直ると、新たな指示を飛ばす。
「半径5キロ圏内に非常線を張れ、大至急だ。それと襲撃者の手がかりを集めろ。そしてクロウ・エリュシオンを指名手配しろ。脱獄者だ、メディアにも情報公開していい。奴は囚人服…どこかで着替えを調達する筈だ。服を扱っているスーパーやショッピングモールを捜索しろ」

自分の考えとは裏腹に、状況は不愉快な方向に遷移していく。凄まじい不快感を覚えつつ、カーネルはこれからどう動くか思案した。
襲撃者の事もそうだが、姿を消したクロウ・エリュシオンについても対処が必要なことは確かだ。
だが、考えが纏まる前に、部下のエリス刑事が肩を叩いてくる。
「報告することがあります、ついてきてください」

エリスがカーネルを案内したのは、雑居ビルの一つだった。自分たちが乗っていた護送車が横倒しになっている場所の丁度向かい側にある。
見れば、鑑識の人間が大勢出入りしていた。
位置関係から見て、最初に襲撃者がいた雑居ビルだろう、とカーネルは当たりをつける。
「何か見つかったか」
エリスは頷いた。
「ビル内の屋上の真下にある階はバーになっていて、柄の悪い男達が出入りしていたと近所の人達が証言してます。そのバーですが、先程数人分の死体が見つかりました」
その報告に、カーネルは眼を細める。エリスはそのまま続きを口にした。
「全員拳銃による射殺です。バーの経営者も奥の部屋で射殺されていました」
「今はそれだけか」
カーネルの問いに、エリスは首を振った。
「先程路上で、そのバーでバーテンのアルバイトをしていた男を保護しました。酷く怯えた様子ですが、怪我はありません。犯人を見たそうです」
その報告に、カーネルは驚きと興奮を隠せなかった。
襲撃から今までの短時間に、犯人の目撃者を確保できたのは奇跡と言っていい。
ただでさえ今、自分はジェラルドと関係が悪化している。貴重な情報はあればあるほど良かったし、今のうちにできるだけ得ておきたかった。
「よし、犯人の顔を見たか?」
エリスは冷静な顔のまま頷いた。
「それどころか、犯人を知っていたそうです。ただ…」
「ただ?」
それまでとは打って変わって、自信の無さそうな顔でエリスは言う。

「ジャンゴ・ザネッティだったと言ってます」
「…ジャンゴ・ザネッティだと!?確かか?」
カーネルの驚愕に、エリスは緊張の面持ちで頷いた。
「向こうの路地で警官に保護させています、行きましょう」
そしてエリスに誘導され、カーネルは通りを行き交う大勢の警官達の間を縫うように進みながら、雑居ビルの近くの陰になっている路地へと向かう。
向かいながら、エリスは説明を続けた。
「仲間らしき女性も見たと証言していました。警察署で詳しい話を聞く必要が…」
エリスは最後まで言葉を紡げなかった。

路地で、彼女の言った目撃者――バーテンが倒れていたからだ。

喉笛を鋭利な刃物で切り裂かれ、道路が夥しい血で染まっていた。



『ジャンゴ・ザネッティ。ここより南に位置する幾つかの島々で名を上げた空族。空族というカテゴリだが一匹狼と言っていい。名のある空族達に用心棒として仕え、銀行強盗や要人暗殺など荒事に多数加担。殺人56件、傷害123件に関与の疑いあり。札付きのワルだな』
電話の奥で、オウル・ランドール警部が言う。
今、カーネルはパトカーの中で同僚のオウル警部に電話をかけていた。
年配で経験豊富なオウル警部に、警察署のデータベースから犯罪者情報を閲覧してもらったのだ。
オウル警部はここ最近体調が芳しくなく、今はデスク業務の方に回っている。
『だが「死の谷の戦乱」にて、雇い主の空族フランシスコ・ファミリーと共に死亡とある。その目撃者の思い違いでは?』
カーネルは電話口に向かって言った。
「私もそう思いました。ジャンゴ・ザネッティの悪名はこの街にも届いていましたし、『死の谷の戦乱』の話も聞いていましたから」
一泊を置いて言う。
「だが、目撃者は間違いないと言ったそうです。仲間らしき女も、そいつのことをジャンゴと呼んだとか」
『その目撃者は?』
「…私たちが発見した時には、既に」
電話の先のオウル警部は、深く溜め息を吐いた。
『我々が知らないような未知の装備を持って生きていた凶悪犯。大勢の警官がいる中で誰にも気付かれずに殺された証人。カーネル…この捜査、まずい方向に行きそうな予感がするぞ』
「私も、襲撃者がビルの谷間を浮遊しているのを見た時、そう思いました」
『ならばどうするつもりだ。ジェラルドはクロウ・エリュシオンの逮捕に躍起になってるぞ』
しばらく考えてから、カーネルは言った。
「クロウ・エリュシオンが護送される前に面会していた人物と、会おうと思います」
それから、オウル警部と2、3言葉を交わし、カーネルは電話を切った。
襲撃から数時間。未だに襲撃者も、クロウ・エリュシオンも行方を眩ませている。

カーネルは再度電話を取り、ある番号にかけた。

「ウィルクスか?…ある情報がある。お前の上司に会いたい」


最終更新:2018年02月03日 23:04