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「一体…何があったってんだ?」
浮浪者のようなボロボロの衣服に白い頭髪。そんな変わり果てたクロウの姿に、ケインはそう言うのが精一杯だった。
「これは…説明しようとすると時間がかかる。今は、それよりもこの町に迫っている危機について話したい」
クロウのその言葉に、ケインは頭の中を整理しようとする。
「確認するが、その危機ってのは…1年前の件と同じくらいのか?」
「下手をすると、それ以上かもしれない」
その返答を聞き、彼は冷や汗をかかざるを得なかった。
そして、クロウは話を始める。刑務所で映像を見せられた所から。

話の一部始終を聞いて、ケインは溜め息をついた。
「その一味がこの町に何をしてくるか分からない。できれば…ジャックと共に、事が終わるまで町を出ていてほしい。ミラと一緒に」
クロウの言葉に、ケインはしばらく考えている様子だったが、やがて背後の棚からビールの瓶を一本カウンターの上に置く。
「?」
「クロウさん…あんた、酒はいけるクチかい?」
「いや…」
クロウの返答も聞かず、ケインはグラスを二本取り出してカウンターに置くと、それぞれにビールを注ぐ。
「おい、聞いているのか!?警察署長を拷問して惨殺するような奴らがこの町を狙って…」
「クロウさん」
クロウの言葉を、ケインの声が遮る。
彼の表情に、クロウはそれ以上話をすることができなかった。
「少し長くなるが、悪く思わんでくれよ」
そう言うと、ビールを一口飲んでケインは言う。
「前にあんたと会ったのは1年くらい前だったか。その時、あんたは訊かなかったよな」
「何をだ?」
「ジャックの母親のことだ」
それを聞いて、クロウは口を噤む。確かに、ケインとジャックが父子家庭であるのは明白だったが、当時のクロウは必要以上に他人に踏み込まないようにしていたため、結局訊くことはなかったのだ。
「…訊こうとは思えなかった。それだけだ」
「ま、実際大した話でもないしな。でも今は話すべきだろう」
そして、ケインはカウンターにグラスを置くと、話を始めた。
「俺が惚れた女は、生まれつき身体が悪くてな。ジャックを生んですぐに逝っちまったよ。だから、ジャックには母親の記憶が殆ど無い筈だ」
「…そうか」
ケインの話しぶりを聞いて、クロウも過去に失った者達のことを思い出さざるを得なかった。
そのせいだろうか、自然とクロウも、苦手な筈の酒に口をつけていた。とはいえ、その苦さに顔をしかめてしまったが。
「あいつを失った後はそりゃ大変だった。男手一つで子育てって奴だ。蓄えも激減したし、あの頃は碌に眠れもしなかった。あいつもあいつで夜中も元気に泣きやがるから」
「それは…大変だったな」
子育てというのがどういうものか想像がつかず、クロウはイマイチ理解が進まぬまま、それでも物凄く大変なことなのだろうと理解して相槌を打つ。
「そんな俺でも、何とかあいつをここまで育てられた。何故だか分かるかい?」
「それは…」
急に振られたケインの問いかけに、クロウは言葉に詰まる。
子育てをどうやって乗り越えたか。そんな疑問の模範解答など、クロウの頭の中には無い。
「すまん、全然想像できない」
「ま、どうやらあんた独り身みたいだし、それも仕方ないか」
ケインはそう言って苦笑しつつ、言葉を続けた。
「手伝ってもらったんだよ。色々な人間にな。どうしても出かけなきゃならん時は裏に住んでた婆さんがあいつの面倒見てくれたし、年配の刑事なんかもよく相談に乗ってくれた。猟師のフェンリーは狩りで獲った獲物を分けてくれたし、数年前に逝っちまった病院の医者もよくジャックの健康を診てくれてた」
そこまで言って言葉を切ると、ケインは改めてクロウの眼を見据え、そして言う。
「分かるかい?助け合いなんだよ。そうやって俺達は生きてる。俺もジャックもそうして人に助けられた。だからまた他の人を助けて生きてる。そういうものなんだ」
しばらく眼を瞑り、そして開けると、ケインは言った。
「だからな…クロウさん。俺達だけ逃げろなんて、軽々しく口にしてほしくないんだ」
「…謝罪する。すまない」

「ま、それはともかく、今のあんた寒そうだ。酒が無理なら暖かい飲み物でもどうだ?」
ケインの提案に、しかしクロウは首を振る。
「今はとにかく時間が惜しい。ここに来たのはケイン、あなたが酒場を開いているという話を耳にしたからだ」
クロウの言葉に、ケインは顔に疑問符を浮かべた。
「今までの話と俺が酒場を開いてるって話に、どんな関係があるってんだ?」
「酒場なら情報が集まる筈だ」
クロウの言葉に、ケインは合点が行ったように苦笑した。
「そいつは否定できねぇな。顔馴染みの愚痴を聞くのがすっかり日課になっちまったから」
「最近、この町について何か変わった話を耳にしたか?」
ケインの様子を見ながら、クロウはそう問いかける。
ケインは今度こそ首を傾げ、記憶を遡った。
「最近か。でっかいホテルができたことと…ああそうだ、山奥にでっかい屋敷が建ったって話を聞いたな」
「ホテルなら遠目から見た。屋敷というのは…?」
ケインは、窓の外を眺めながら話を続ける。
思い返してみれば、これも奇妙な話だったなと思いながら。

「さっきも名前を出したんだが、知り合いに猟師のマーカス・フェンリーってのがいる。最近はちょっと諍いがあって疎遠にしてるんだがな。少し前にそいつがここに来て、酒を飲みながら妙な話を言ってた」
そう切り出したケインの話を、クロウは黙って聞き入った。
「マーカスは飼い犬と共に年中山の中で狩りをしててな。獲った獲物を肉屋に卸したり、自宅で育てた山菜を八百屋に分けたりしてる。もう随分な歳の爺さんだ。で、ひと月くらい前だったか…その爺さんが妙な話を言ってたのは」
「ひと月か」
クロウの相槌にケインも頷く。
「ある山に入った時に、でっかい屋敷が建ってたんだと。屋敷の前には車が何台も置けるような広場があり、屋敷は大理石でできた高そうな感じだったんだとさ。照明もそこら中にあって、3階か4階建てくらいに見えたんだと」
「…それだけ聞くと金持ちが山の上に別荘を建てたとしか思えないが」
「まぁ聞け、ここからが妙な所だ」
ケインの言葉に、クロウは頷いた。
「それがな、そのマーカス爺さん、屋敷のある場所には前日にも行ってたんだが、その時は廃墟しかなかったって言ってたんだよ」
「廃墟?」
「ああ。廃墟ってのも贅沢な言い方かもしれねぇ。雪崩で崩れかけた瓦礫があるだけだったとさ」
クロウは雪崩という言葉を聞いて、1年前のことを思い出していた。
そんなクロウを気に留めず、ケインは話を続ける。
「で、屋敷は本当にあったって爺さんがあんまり言うもんで、刑事の一人が爺さんについていったんだよ。屋敷のある山まで」
「刑事?さっき相談に乗ってくれたという刑事か?」
「いいや。まだ刑事になりたての若造だ。アクセル・ローズウッドって名前の」
「…それで?」
クロウは促すと、ケインは話を続ける。
「そこからがまた奇妙でな。ローズウッドも確かに屋敷はあったと言って帰ってきた。玄関には呼び鈴がなくドアノッカーのみ。で、それを叩いても誰も出やしねぇんだと」
「留守だったのか」
「明かりは点いてたらしいがな。で、よくよく状況を聞いてみると、変なんだよ。車なんて通れる山道じゃねぇのに、屋敷の前にはでかいスペースがあるし、その山の近くに住む住民は、山にでかい屋敷を建てられるような木材や重機が運ばれたことなんてないって言ったんだとさ」
ケインの言葉に、クロウは疑問を呈した。
「役所に届け出はあったのか?」
「それも無いらしい。そんなこんなでちょっとした騒ぎになったんだが、市役所は結局大事にはしなかったそうだ。で結局、その屋敷の住民を見た奴は誰もいない」
それでケインの話は終わりらしかった。
ここまで聞いて、一つだけクロウの注意を惹く情報があったため、彼は問いを一つ口にする。
「その屋敷のある山って、どこの山だ?」
ケインは答えた。
「町の真北にある山だ。市庁舎の向こうにある」

その答えは、半ばクロウの予期したものだった。

かつてこの町の遺跡と、その中にあった無数の戦闘端末を我がものにしようとした古き神々の一人がいた。
その人物『ケフェウス』が根城にしていたのが、その山にある廃墟だったのだ。
だが、1年前にそこは、クロウとケフェウスの配下の者との戦いの結果、雪崩に巻き込まれた筈だった。

「…行ってみるしかないな」
そう呟いたクロウに、ケインは声をかける。
「まさか今から行くのか?どうせならジャックに会っていってもらいたいんだが…」
クロウは首を振った。
「もう誰も巻き込みたくないんだ。できれば、ここにも来たくはなかった」
「…」
ケインは、苦虫を噛み潰したような顔をして思案する。
そして、やがて彼は傍らの椅子に掛けてあったコートを手に取り、言った。
「じゃ、せめてもの選別だ」
「!?」
クロウは、ケインの差し出したコートに面食らう。
そんなクロウの表情を見て、ケインは笑みを浮かべた。
「そのコート、ボロボロだ。せめてこれ着てけ。冬山は厳しいからな」
「…ああ。ありがとう」

そしてクロウはケインから受け取った黒いコートを羽織ると、そのまま酒場を出て行った。


市庁舎の裏に聳える、プリズナの町の北山。
日も落ちて人影もまばらになった時間帯にも関わらず、クロウはその山へと入っていった。
とにかく時間が惜しい。
ゴーストとその一味がこの町で何をやっているにしろ、クロウとしてはこれ以上被害が出る前に決着をつけたかったのだ。
以前のように防寒対策のされたアーマーではないため、酷く寒さが身に応えたが、それでもクロウは進む。
雪が降り始めても尚。


同時刻。プリズナの町の東に位置する墓地。
ケインに送られて町に戻ってきたジョン・クラフトは、その墓の一つに花を飾る。
亡き妻と娘。その思い出を胸に秘め、目を瞑る。
そんな時だった。

「墓ってのは、何のためにあると思う?」

ジョンは静かに目を開き、声のした方へと目を向ける。

そこにいたのは、白いスーツにシルクハットを被った、顔の片側が幾何学模様のタトゥーで覆われた男だった。

「…誰だ」
「俺が思うに、死んだ奴のためじゃねぇ。生きてる奴の心の整理のためだ」
ジョンの問いには答えず、男は饒舌に語る。
そのまま、ジョンは男の様子を眺めた。
「つまり自己満足さ。ただそれだけのために、人間は貴重な金を使う。一方、町の路地裏では餓死したガキが転がってる。全く…面白い世の中だ。そう思わないか?」
「…何が言いたい?」

ジョンの問いに、男――ゴーストは笑みを浮かべた。

「あんたにとって、その墓には意味があるのか?」


「確かに…大きな屋敷だ」
雪で覆われた広場のようなスペース。その向こうにある大きな屋敷を、クロウは眺めた。
荘厳な雰囲気を持った大理石の宮殿のような外見。既に各所にライトが点き、近づけば窓から中の様子が見れそうだ。
そう思い、クロウは歩き出そうとした。
そして、雪に覆われた広いスペースを見る。
「……」
振り返り、自分が今歩いてきた道を見る。
獣道よりはマシといった程度で、人二人が並んで歩くのにも窮屈といった道だ。それ以上の人数が並んで歩こうとすれば歩けなくもないが、その道の両側は草が生え、地面がデコボコとしており、明らかに普段人や獣が歩いた様子がないことが見て取れる。
つまり、車が通った形跡はない。

ならば、何のために屋敷の前にこんなスペースを設けている?

そんな疑問が頭を掠める。
周囲を覆う森の中から接近するか?
いや、どちらにしても入り口に入るためには玄関へ行く必要があるし、その際には必ず姿を晒すことになる。
そして、この屋敷の人間がいつ出入りしているかもわからないのだ。
これ以上、待ってはいられない。

そう判断し、クロウはそのまま屋敷の前のスペースを横切った。
直径50メートル四方くらいある。その割には噴水などの装飾もなく、本当に駐車場か運動場のようだ。
そう思っていた時だった。

「…?」
雪を踏む音が聞こえた気がした。
聞こえたと思った方を向いても、何もない。
そもそも今は雪が降っているので、その雪が降り積もる音だったかもしれない。

だがクロウの頭の中には、凄まじい警告音が鳴り響いていた。
「っ…!!」

身を伏せた次の瞬間、クロウの横、スペースの端にあった木に炸裂音と共に大穴が穿たれた。
横合いからの銃撃。そう判断し、クロウは身を伏せたまま銃撃の主のいるであろう方を睨みつける。

「今のを避けるか…」

何もない虚空から滲むように、あの街で護送中のクロウに襲撃をかけたアーマーの男が現れた。
そしてその姿の現し方は、クロウには見覚えがあるものだった。
「光学、迷彩…!!」

立ち上がり、クロウは相手の男に向かって声を張り上げる。
「答えろ!!お前の主は何者だ!!」

「死人に答える意味があるか?」

そう言うと、アーマーの男は立ち上がり、狙撃銃をその場に投げ捨てた。
そして、右手の親指を自分に突きつけると、言う。

「だが代わりに言っておこう。お前の命を奪うのは、この…ファフニールだ!!」
「そう、か…!」

碌に答えなどしないと、クロウは承知していた。むしろ名乗ったことが予想外だったくらいだ。
だがやはり、どうあってもこちらを殺すつもりらしい。そうクロウは判断し、ズボンに差していた武器を持って起動させる。
ビームサーベル。その光る刀身が、夜の闇の中で閃いた。

状況は圧倒的に不利だ。クロウはそう悟っていた。
まず距離が開き過ぎている。何らかの方法で距離を詰めなければ蜂の巣だ。
そして相手はアーマーを纏っているが、こちらは道中で手に入れた薄い布の衣服と、ケインから受け取ったコートしかない。
そして今手に持っているビームサーベルも、ここに来るまでに廃品置き場から使えそうな材料を探して即席で作り上げたもので、出力も低く内蔵エネルギーも心許ない。
クロウは右手でサーベルを構え、左手でコートの右肩を掴んだ。胸中でケインに謝りながら。
相手と自分との間に凄まじい緊張感が走る。
何かの拍子に、相手は動き出すだろう。それを予想し、クロウも覚悟を決めた。

アーマーの男――ファフニールは、そのメットの奥の眼で油断なくターゲットを見据える。
街では出し抜かれたが、もうミスはしない。ここで射殺して終わりだ。
そう決意していたが、先程の狙撃さえ避けられたため、判断を変えた。
――奴は狙撃では殺せない。
そう決意し、相手に姿を晒したのだ。
正面から重火器で仕留める。むしろ、それが自分にとって最善の手だ。

近くの木から積もった雪が地面に落下し、大きな音を立てる。それが皮切りだった。
ファフニールが片腕に内蔵された機関銃を向けるのと、クロウが羽織っていたコートを前方に広げるのがほぼ同時に起こり。
次の瞬間には、コートが空中で穴だらけになっていた。
「それで避けたつも…」
ファフニールが言葉を漏らすも、最後まで言えなかった。

空中に広げられたコートの陰から飛び出したクロウは、躊躇なくその手に持っていたビームサーベルを投げつけたのだ。

「チィ…!!」
横にステップを踏んで飛来するビームサーベルを避けるファフニール。
問題ない。まだ距離は空いている。
そう判断し、再び片腕の機関銃をクロウ・エリュシオンに向けた。
先程よりも格段に距離が縮まっている。やはり、ビームサーベルでできた隙を狙い、懐に飛び込むつもりだったのだろう。
だがまだ素手の相手の間合いより遠い!

その瞬間、ファフニールは目を疑った。

クロウ・エリュシオンはいつのまにか、その手に鉄パイプを持っていたのだ。
「ブラフか…!!」
事前にビームサーベルを構えることで、それがメインウェポンだと相手に誤認させ、それを投げつけて隙を作った所で隠し持っていたもう一つの武器で仕留める。
そういう戦法だったのだろうが、ファフニール――ジャンゴ・ザネッティも歴戦の戦士だ。相手にもう一つ武器があったくらいでは動揺などしない。
現に、まだ鉄パイプの間合いよりも遠く、その状態でファフニールはクロウを照準に捉えることができた。
「終わりだ」

だが引き金を引く前に、クロウは上に向けて、左手に持っていた鉄パイプを放り投げていた。

「!!?」
その動作に気を取られた一瞬の間に、何かがファフニールのヘルメットに当たり、視界が一瞬遮られる。

だがファフニールもそれで止まる男ではない。視界が何かに覆われただけで、身体の自由は効く。ファフニールはその状態で、一瞬前に視界に捉えたクロウがいた場所、そして今走ってくるであろう場所に、機関銃を掃射した。
引き金を引いてから、ファフニールは自分の視界を遮っていたものが目晦ましのための雪玉であることを把握する。
問題はない。右腕で機関銃を撃ち続け、左手でメットに付いた雪を払った。
だが視界の開けたファフニールは驚愕する。

蜂の巣になったであろうクロウ・エリュシオンの姿が見えなかった。

そしてその瞬間、地面を蹴って跳んだその男の姿が視界に入った。

――先程空中に投げた鉄パイプをキャッチして。

「おおおおおぉぉぉ!!」
空中に向けて、機関銃を掃射するファフニール。
だが、相手を仕留めるには遅過ぎた。


空中でキャッチした鉄パイプを構え、ファフニールに突撃するクロウ。
だが相手も気づき、クロウへ向けて機関銃を掃射する。
しかしもう距離は詰まっていた。

そして、クロウは相手のヘルメットに向けて、鉄パイプを叩きこんだ。


「はぁ…はぁ…」
久しぶりに、命の危険を感じたな。クロウはそう思った。
目の前には、ヘルメットの正面から顔面に鉄パイプを突き込まれて、仰向けに昏倒している敵の姿が見える。
生きているかは分からない。加減する余裕など無かった。
何より、そうしなければやられていた。
「…とにかく、今は敵の本拠地を…!!」

そう言って振り返ろうとした瞬間、右肩に激痛が走った。
「ぐっ…!!?」

見ると、先程空中で掃射された機関銃が右肩を貫通していた。
そこにできた衣服の穴から煙が漏れており、そしてそこを中心に赤い血が現在進行形で広がっている。
「あ…ぐ……ぅ……」
明らかに重症だ。
それでも、クロウは肩を庇いながら歩き、やっと屋敷の扉まで辿り着いた。
振り返ると、自分の歩いてきた所に赤い血が点々と跡を残している。
「まだ…まだだ……」
呼吸するのも苦しくなってきた。それでも、クロウは扉に手をかけた。

あまりにもあっさりと、その扉は開いた。

血の噴き出る肩を庇い、身体で扉を押してクロウは中に入る。
先程の敵が起き上がってこないのを確認し、同じようにして扉を閉めた。

扉を閉める音が大きく屋敷の内部に響く。
屋敷の中は、赤いカーペットとシャンデリアのある豪華な内装だった。
玄関から左右に廊下が続いており、廊下から幾つか部屋のドアが見える。
玄関の正面には幅の広い階段が奥に向かって続き、奥の壁と繋がった踊り場から左右に階段が続く。
階段の先にある2階からは更に廊下が続いているようだったが、壁に阻まれて見えなかった。
シャンデリアも含めて淡い照明が屋敷の内部全体を照らしており、カーペットも新品同様に綺麗だ。
左右の廊下や階段と繋がった辺りの壁には、窓が付いているのが見えた。

屋敷の内部を見渡し、クロウはあることに気づいた。
室内にも関わらず、吐いた息が依然として白い。
これだけ豪華な内装であるのに、空調が全く機能していないのだ。
体感的な室温も、風がないことを差し引いても全く外と変わらない。
「…人が住んでるのか?」
そう呟かずにはいられなかった。

やがて自分が重傷を負っていたことを思い出し、それと同時に再び肩から激痛を感じるクロウ。
「くっ…!」
寒さが変わらないため、それも身に堪える。ケインから貰ったコートを取ってくる余裕もない。
意識が途切れそうで、いつしかクロウはその場で俯いていた。

「騒がしいな、ファフニール」

酷く聞き覚えのある声。

まさか。ありえない。

クロウは即座に顔を上げた。


階段の踊り場に、一人の男が立っていた。
黒いスーツと外套。後ろに撫でつけられた金髪。
そういう違いはあったものの、その顔は一生忘れないであろう顔だった。
白い肌、20代か30代位の整った顔。赤い瞳。
これは悪夢か、それとも幻覚なのか。


「ノア…!!」


自然と、その名が口をついて出てきた。

「あぁ、君か。ミラージュ君」

かつて見た、いつも通りの態度。
その様子にはあまりにも現実感がなく、奇妙な気分でクロウは茫然とそこに立っていた。

次の瞬間、横合いから轟音が巻き起こるまでは。
「!!?」

見れば、数メートル先の屋敷の廊下の壁が外から凄まじい衝撃で吹き飛ばされ、大穴を開けていた。
吹き込む風、舞い散る埃と雪片。

そしてその中から、先程斃した筈のファフニールの姿が現れた。

「これで…終わったと…」

割れたヘルメットの中から、血に塗れても尚見開かれた両目がクロウを捉える。
そのアーマーの両肩、肘、そして膝の裏から閃光が輝いていた。
それがブースターだと把握できた時には、もう遅かった。

「思うなああああぁぁぁぁ!!!」


クロウが反応するよりも遥かに早く、ファフニールはクロウへと急速に接近する。
そして、彼の顔面を片手で捕らえると、そのまま床へと叩きつけた。
「あ…がっ…!!」
そのままファフニールは片手でクロウの身体を持ち上げると、そのまま扉の方へと投げつける。

両開きの扉が、凄まじい衝撃にどちらも吹き飛ばされ、そのままクロウは外に投げ出される。
床に叩き付けられた時に途切れていた意識が、空中からの落下感で取り戻され、クロウは周囲を見回した。
肩からの出血は続き、もう自分でも血が足りなくなっていることが分かる。

このままでは間違いなく、出血多量で意識が落ちるだろう。

そう判断したクロウは、地面に降り立つと向きを変えた。
向かう先は、屋敷の横にある森。
先程見た光景にまだ混乱しているが、今の状況ではそれを分析している余裕はない。
――何より、これ以上戦える余力がもう無い。
そう判断し、クロウは森へ向かって駆け出す。だが。

「逃ぃがすかあああぁぁぁぁ!!!」

頭上から、絶叫が聞こえた。
「何っ!!?」
見上げると、ブースターで空中へと上昇したファフニールが、肩の砲塔をクロウへと向けているのが見える。
機関銃が発射される前に森に逃げなければならない。そう思ったクロウだったが、ファフニールが発射したのは機関銃ではなかった。
「!!!」

頭上から、凄まじい炎の渦がクロウへ向かって殺到する。
火炎放射器。そう思い当たったのとほぼ同時、炎が完全にクロウを捉え、その身を火達磨にする。
「ぐあああぁぁぁぁ!!!」
凄まじい熱さに絶叫しながらも、クロウは駆け出した足を止めなかった。
転げるように、森の中へと飛び込む。

走りながら、着ていたジャケットを脱ぎ捨てた。
火炎放射器を受けた時、咄嗟にジャケットを脱いで盾にしたのだが、そのジャケットでは盾にするにはスペースが足りず、両腕や胴体の何カ所かに火傷を負うことになった。
だが、まだ生きてる。
クロウはそう判断し、傷の様子を見る時間も惜しかったため、駆け出す。
ジャケットの下には襟の付いた白いシャツ、その下にはインナー。それで上に着ているものは全部だ。流石に寒い。それでもクロウは走った。
森の中に入ったからと言って、まだ戦域から離脱できてはいないのだ。
案の定、背後から機関銃の掃射音が聞こえ、身を低くしながら走るクロウ。
だが、既に森に入って十分な距離を走った。夜で視界も悪く、相手からはもうこちらは見えないだろう。背後から聞こえる機関銃の音量からして、相手の攻撃がこちらに届く距離からは離脱できた。そう判断しかけた。

何かが空を切る音を耳が捉えるまでは。

「!しまっ…!!」

振り返ると、無数のマイクロミサイルが木々を通り抜け、クロウへ向かって殺到してきていた。

そして、森の中で無数の爆発が巻き起こる。



「やはり…予想通りの反応だな」
屋敷の中で佇むその男は、静かに目を瞑る。

「あぁ、つまらない」


最終更新:2018年03月19日 00:52