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『ああ、そうさ…彼は、死んだよ』

『哀しい…最期だったね』

ヘブンズゲートの中で、あの少年からこの言葉を聞いた時、予想していたよりも衝撃を受けたのを憶えている。

薄々気づいていた真実だった。

だが、それを露呈させることが、こんなにも辛かったのだと、その時初めて分かったのだ。


「はぁ、はぁ…」
雪の降る森の中で、ボロボロのクロウは尚も歩き続けていた。
咄嗟に木を盾にしたお陰で、ミサイルの直撃は凌ぐことができた。
だが、発生した爆風までは防ぎきることができず、こうして今ボロボロの状態で森の中を歩いている。
爆風で吹っ飛ばされた時に頭を打ち、額から血が流れる。後頭部からも、ファフニールに叩き付けられた時の傷が開いて血が流れ出しているのが分かる。
身体の所々は火傷し、右肩からも血を流したままだ。
それとは対照的に、足や手の指先からは感覚がとっくに無くなっている。

そんな中、頭の中ではずっと、あの屋敷の中で見たノアの姿について考えていた。
ノアであれば、自分が死んだ場合を考えて蘇る算段をしていても可笑しくはないと思う。
だがその一方で、ヘブンズゲートの中で見せた彼の表情は、明らかに死を覚悟したものだったようにも思う。
その上、屋敷で見たノアの漏らした一言は、明らかに彼がファフニールの仲間であることを示していた。
ファフニールの仲間であるということは、同時にあのゴーストの仲間である可能性も高いということだ。

脳裏を、あの時見たゼゼの涙が過ぎる。

一体、どういうことなんだ。答えなど返ってこないと分かっていても、いつしかクロウは頭の中でそう叫び続けていた。
身体の方は最早限界だった。
先程から方向感覚を頼りに山を下りているのだが、歩けど歩けど一向に町が見えてこない。
こんな所で終わりなのか。呆気無いな。どこか客観的に、そう評している自分がいた。

そして、やがて意識を失い、クロウ・エリュシオンは地面に倒れ伏す。

いつか一度死んだ時のように、足音が聞こえたような気がしたが、それは願望だったかもしれない。


クロウがいなくなった後の北山の屋敷の中で、一人の女性の足音が響く。
胸元を露出した黒いドレスを着て、長い黒髪を結い上げ、その頭に蝶の髪飾りを着けた、色白の女性。
その女性――ハーピーは、屋敷の最上階の廊下を憤然と進んでいる。
その確固とした足取りのまま、彼女は一室のドアの前で立ち止まると、躊躇なくドアを開けた。

内部はドア以外の四方が本棚に覆われた部屋だった。
天井の照明は点いておらず、暗い。だが部屋の中央には床から1メートルほど上に伸びた燭台があり、そこにだけ火が灯っていた。
燭台の傍らに安楽椅子があり、そこに一人の男が座っている。
「火が揺れる。ノックしてもらえんかね、ハーピー」
それはクロウが見た、ノアの顔を持った男だった。
彼はハーピーの方へ視線を向けぬまま、手元にある本を読んでいる。
「あの男がここに来たって本当!?」
怒りを滲ませた声で、ハーピーがそう詰問した。
「あの男?」
「クロウ・エリュシオンよ!!」
ハーピーのあまりの剣幕に、男は開いていた本を閉じると、目を瞑る。
「ああ。確かに来た。そして去った」
「何故私に教えなかったの!?」
男は立ち上がり、やっとハーピーへと視線を向ける。
そこには何の表情も宿ってはいなかった。
「君は『掌握中』だった。集中を切らすわけにもいくまい」
「昨日言った筈よ…この屋敷の周辺はもう終わってる…!!」
しばらく、男は沈黙したままだった。その間、ずっとハーピーは男を睨みつける。
やがて、やっと男は口を開いた。
「しかし、町はまだ終わってない。それまで君はそれ以外の行動は命じられていないと聞いたが」
男のその言葉に、ハーピーは一際強く睨みつけた後、踵を返すだけだった。
その背に、男は声をかける。
「ゴーストが来ている。10分後にエントランスへ行け」

「あの男は俺が必ず殺す」
エントランスの階段に腰掛け、ヘルメットを脱いだファフニールがそう呟く。
その顔には包帯が巻かれており、額周りの包帯に血が滲んでいた。
ハーピーは先程の様子とは打って変わって、無言のまま1階の廊下で窓から外の暗闇を見つめている。
入り口のドアに背を着けて立つ、白いスーツに顔の片側が幾何学模様に覆われた男――ゴーストは、そんなファフニールに向かって笑みを浮かべた。
「残念だがファフニール。それはお預けだ」
その言葉を聞いた瞬間、ファフニールは鋭い目でゴーストを睨みつける。
「俺の『出し物』の準備は整ったし、役者も揃った。明日の夜にゲームを開始する。それまでは各自準備を進めておけ」
「ふざけるな…奴は俺が探し出して…!!」

「お前…何か勘違いしてねぇか?」

急に冷え切ったゴーストの声が、その場に響いた。
その声に、言われたファフニールも窓を見ていたハーピーも目を見開く。
「お前、しくじったよなぁ、二度も。一度目はいい、丸腰の相手に全身に重火器を装備していながら、殺せなかったってだけだ。上出来だよ、流石は世を騒がせる空族様ってわけだ」
ゴーストの皮肉に、ファフニールは気圧されたように押し黙る。
尚もゴーストは話を続けた。
「だが二度目は。二度目はどうだ?相手は丸腰じゃなかったが、それでも装備は雲泥の差だ。そんな状態でお前は…不意を打たれて『気絶』した!3歳のガキのようにスヤスヤお昼寝ってわけだ。相手の、目の、前で!」
話が続くほど、ファフニールは殺気を漲らせてゴーストを睨みつける。
それでも、ゴーストは洪水のようにその口から言葉を紡ぎ続けた。
「さてここで問題だ。敵の前でお寝んねするような無能な手下を、マフィアのボスはどうするでしょうか?ヒントは、手下がどんな情報を吐かされたか、ボスは知りたくてたまらない!答え!拷問だ!!さぁ、自分の立場が分かったかな、坊や?分かったら、その口を、閉・じ・て・ろ!!」
「…貴様…!!」
遂に堪え切れなくなったように、ファフニールは片腕に取り付けられた機関銃をゴーストへと突きつける。
だがゴーストは、尚もその顔の笑みを深くした。
「撃つか!それもいい。どんどん撃ちまくれ!!」
笑いながら、お道化た調子でそう喋るゴースト。気に障ったように、ハーピーは顔をしかめる。
続けて、ゴーストは声を低めてこう言った。
「だがファフニール、お前も本当は分かっている筈だ。その引き金を引いたら、本当の意味で、お前は『負け犬』だってな!!」
屋敷のエントランス中に、ゴーストの声が反響する。
「ちょっとゴースト!いい加減に…」
「ゴースト」
その場を諫めようとしたハーピーの声を、不意に放たれたファフニールの声が遮った。
ファフニールは向けていた片腕を下げて、ゴーストを睨み続けていたが。

次の瞬間、右手を掲げ、そして自らの左目を抉り出した。

「っ!!?」
「ほお…」
驚愕に歪むハーピーの顔と、逆に感心したように声を出すゴースト。
大量の血を左の眼窩から噴出させ、それでも尚無表情を保つファフニールは、最後に右手に持った自らの眼球を、握り潰す。
そしてゴーストへと残った右眼の視線を向け、静かに言った。
「もう、しくじりはしない」
「そうだ、それでいい、ファフニール」
今までよりも一層楽しそうに、深く笑みを浮かべたゴーストは、改めて言葉を紡ぐ。
「さて…ファフニール。それにハーピー。お前らの今後の出番はちゃんと考えてるさ。さっきも言ったが、それまで準備を進めておけ」
ファフニールとハーピーは、無言で頷いた。
そして、ゴーストは階段を上り始める。
「奴は…変わりないか?」
「ええ」
先程のやり取りを思い返し、不機嫌な様子でハーピーは答えた。

最上階。あの部屋のドアを、ゴーストはノックした。
「ゴーストか。入りたまえ」
室内からそう声が聞こえ、彼はドアを開ける。
先程ハーピーが入ったその部屋は、依然として光源が中央の燭台しかなく、ドアを開けると廊下の照明が室内に差し込んでくる。
ゴーストはドアを閉めると、変わらず安楽椅子に座る、ノアの顔を持つ男の前に立った。
燭台の火が、男とゴーストの顔を半分ずつ照らしている。
「調子はどうだ、『バアル』」
ノアの顔を持つ男――バアルは、本に視線を向けたまま、口を開く。
「ああ。依然変わりない」
ゴーストは室内を見回し、少し呆れの感情が混じる声で言った。
「電気を点けたらどうだ?」

「強い光は目が眩む」

「偽りでもか?」

ゴーストの言葉に、やがてバアルはその視線を本から彼の方へと向けた。

「その通りだ。ここにある全てが偽り。だがこの火だけは別だ。故に私は、この真実だけを見る」

ゴーストは楽しそうに、バアルに言葉を返す。

「それはどうだろうな。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚…五感全てが偽りであろうとも、観測者にとってそれは真実だ。そうじゃないか?」

バアルは目を瞑り、やがて本を閉じた。

「用件は何だね」
ゴーストは、改めてその顔に笑みを浮かべる。
「あんたにやってもらいたいことがある」

そう言うと、ゴーストはその内容を淡々とバアルに語って聞かせた。
バアルを黙ってそれを聞き終えると、口を開く。
「二つ質問がある」
その言葉を予想していたのか、クックッと笑い、ゴーストは応じる。
「何でも言ってくれ」
「…何故そんな真似を?」
「奴自身に、選ばせることが肝要なのさ」
その答えに、バアルは眉を顰めた。
「言っている意味が分からんね」
「次のゲームで分かるとも。楽しみにしててくれ」
バアルは、黙って頷いた。
「もう一つ。何故、私が?」
「どういうやりとりになるのか、興味がある」
ゴーストの答えに、バアルは目を細める。
「それは、私と彼の両方にか」
「そうさ。いいんだぜ?洗いざらい、ぶちまけても」

しばらくの沈黙の後、バアルは立ち上がると、本を安楽椅子の上に置き、ゴーストの傍を通り過ぎて部屋を出て行った。


ゆっくりと、目を開く。
気が付くと、クロウは見知らぬ部屋のベッドの中で寝ていた。
落ち着いた青色の壁紙。周囲には時計や机、壁際には本棚が置いてある。
明らかに病院ではない。誰かの部屋のように見えるが、机には何も置いておらず、あまり使われていない部屋のようにも見える。ただ、埃はあまりない。
「…ここは…」
ベッドの傍の窓にはカーテンがかかっているが、その隙間から日の光が見える。
どうやらもう、一晩経ったようだ。もしかすると、何日も寝ていたのかもしれない。
クロウは、懸命に気を失う前のことを思い出そうとした。
だが、傷を負って森の中で歩いているのが最後の記憶だった。
そういえばと頭を触ってみる。包帯が巻かれていた。銃弾を喰らった肩の傷を見てみると、そこにも包帯が巻かれている。
服装は、昨日着ていた服だったが、上半身は下着だけになっており、その上に着ていたシャツとジャケットはベッドの傍の椅子に置かれていた。
「一体、ここは…」
部屋の隅にドアがある。部屋に出入りできるのはそこと窓だけだ。
クロウは身動きしようとして、傷の痛みに呻いた。
その時、ドアの先から足音が聞こえた。同時に話し声も聞こえる。
「ええ、はい、急な用事で。明日には出勤しますから。ええ、すみません」
相手の声が聞こえない。どうやら声の主は電話で誰かと話しているらしい。
やがて、ドアが開き、一人の女性が入ってきた。
「あ、やっと目を覚ました!」
女性だった。20代くらいに見える顔立ちに、翠色の瞳。長い金髪をポニーテールに纏め、青いジーンズに茶色のセーターを着ている。
「ここは…どこだ?」
「私の家よ。この家の裏であなたが倒れてた。私が助け起こして救急車を呼ぼうとしたら、あなた目を覚まして、誰も呼ぶな放っておいてくれって言って、また歩き出そうとして倒れた。覚えてる?」
女性の話に、クロウは首を振った。
「俺は…何日くらい寝ていた?」
女性はベッドの傍の椅子の傍まで来ると、言う。
「まだ私が見つけてから10時間くらいよ。私の方が事情を聞きたい」
そう言われて、どう言えばいいか迷うクロウ。そのうちに、女性の方が口を開く。
「正直、あなたをどうしようか迷った。やっぱり救急車を呼ぶべきだったんだろうけど、凄い剣幕だったし。でも、見殺しにだけはしたくなかった。仕事柄ね」
「仕事柄…?」
クロウの言葉に、女性は何かに気づくと、気まずそうに言う。
「っと、言い忘れてた。ルーシー・ミッドナイト。医者よ。つまりあなた、医者の自宅の裏で行き倒れたってこと。奇跡的ね」
女性――ルーシーの言葉に、クロウは自身の境遇を改めて思い返し、苦笑しようとして咳き込んだ。
「まだ無理しちゃ駄目よ。頭と肩から出血してたし、手足の先は凍傷になりかかってた。1週間は絶対安静、って言いたい所なんだけど」
「…それは無理だ」
クロウの返事を予想していたかのように、ルーシーは言った。
「一応聞いておくけど、あなた警察に追われてる凶悪犯?」
「…半分正解だ」
「どの部分?」
「警察に追われてるのは当たってる。でも俺は、人を傷つける気はない」
ルーシーは服を抱えたまま腕を組み、クロウの顔色を窺ったまま沈黙した。
何かを考えているような彼女の表情に、クロウは若干の気まずさを感じながら、口を開く。
「傷の治療、感謝する。でもすぐにここを離れないと、きっと面倒に巻き込む事になる」
クロウの言葉に彼女は答えず、ただ目を細めて思案している様子だった。
だがやがて、重々しく彼女は口を開く。
「それを言うなら、もう面倒には巻き込まれてる。あなた、どこから来たの?」
「…巻き込みたくない」

「山の中の屋敷かしら?夜に…爆発音がしてた」

「…言えない」
図星を突かれたが、何とかクロウは平静を保った。
それを見て、ルーシーは腰に手を当てると、呆れた様子で言う。
「じゃ、とりあえず、知り合いの警官から貰った手錠があるから、ベッドに繋ぐわね」
「!?」
心底驚愕して、クロウは目を剥いた。
それを見て、ルーシーはクスクスと笑う。
「冗談よ。とにかく、出ていくならもう2時間…いや1時間でいい、待ってて。必要な薬買ってくるから。それ処方してからでもいいでしょ?」
そう言うと、彼女は立ち上がり、部屋を出ていこうとする。
その背に、自然とクロウは声をかけていた。
「…何故なんだ…」
「?」
ルーシーがクロウの声を聴き、足を止める。
「俺は初対面で、身元も定かじゃない。なのに、何故そこまで…」
ルーシーはドアの前で立ち止まったまま、静かに言う。
「この町はね。厳しい雪の中にひっそりと、でも少しずつ広がってきたの」
急に町の話を出され、内心クロウは面食らう。
ルーシーはドアの方を向き、クロウに背を向けたまま、話を続けた。
「何で昔の人は、こんな所に町を作ろうって思ったのかしらね。年々、寒さで身体の弱い老人や子供が何人か犠牲になってる。それを助けようとして、それで…自分の方が身体を壊す医者もいる」
「……」
彼女にも、何か事情があるのだろう。話す口調だけで十分、それがクロウにも伝わった。
そんな彼の心境を知ってか知らずか、ルーシー・ミッドナイトは振り返り、クロウに微笑みかける。
「だから、この町じゃ皆で助け合ってる。私もそうした。それだけよ」
偶然にもその答えは、クロウが昨日聞いた話と符合していた。

そして、ただそれだけの偶然が、クロウの目頭を熱くさせる。

「…あり、がとう」
「いいのよ。じゃ、薬買ってくるから、大人しくしててね?」
そう言うと、ルーシーはドアを開けて出て行った。


ここは町のどの辺りだろうか。少なくとも中心部ではないだろう。
恐らくは、市庁舎にほど近い場所の筈だ。クロウはそう推測していた。
どこかに地図でもないだろうか。そう思い、周囲を見回す。

ふと、本棚の隅に目が留まった。

写真立てだ。そこに、先程の女性――ルーシーと、年配の男性が映っている。
男性には髭が生えていて、ルーシーとは大分年齢差があるように見えた。
そして何より、男性は白衣を着ていて、ルーシーの方は学生服のようだった。
――そういうことか。
先程、ルーシーが言ったこと。そしてこの写真。クロウは、何故自分が助けられたのか。この部屋の元の持ち主が誰なのかを、理解できた気がした。


それから数十分して、ルーシーは帰ってきた。
だが、その顔は困惑している様子だ。そして、その手に何か持っていた。
「…どうした?」
「家の前に、これが…」

ルーシーの持っているものを見て、クロウの背筋が凍り付いた。

あの北山の屋敷の前で、クロウが銃撃の盾にした、ケインから受け取ったコート。
その黒いコートは、何か細長いものを包んでいるように見えた。
「…見せてくれ。多分、俺宛だ」
逃げ場など無いということか。そうクロウは実感した。
受け取ってみると、確かにコートはクロウが推測した通りのもので、弾痕が無数に付いている。
だが、それに包まれていたものは、彼の想像を超えたものだった。

「…な…!!?」
「何、それ…」

黒い刀。かつて、クロウがノアに渡され、そして最後の戦いで折れたもの。

それと非常によく似たものが、鞘に納まっていた。
「何故、これが…!?」
半ば衝動的に、鞘から刀を抜く。やはり、その刃は本物だ。
「それ、刃物…?」
「ああ。ちょっと待ってくれ」
恐る恐る尋ねるルーシーに、クロウはそう返す。
最後まで刀を鞘から抜き、鞘の中身を覗いてみても、どこにも何か細工の跡は無い。
柄の中に何か細工でもあるのかと、分解しようかと思った。が、その前にルーシーに呼び止められる。
「ねぇ、コートから、これが…」
どうやら、コートを広げた時に床に落ちたものらしい。一枚の紙だった。
中には、短い文章が一つ。
『今夜0時、教会で。それまで休むといい。刀に細工は無い。』
「…」
一体誰が書いたものなのか。ゴーストやファフニールが書くような文章には見えない。そうなると、あのノアの姿しか思い当たらなかった。
文章自体を何度か読んでみたが、深読みできる部分はありそうにない。
それでも何か文面以外に意味はないかと考えていると、鞘から抜いて持ったままだった刀を見て、ルーシーが恐る恐る尋ねてきた。
「…それで、何するつもり?」
「ああ、すまん。どうやら俺の持ち物だが、あんたが預かっててくれていい」
そう言ってクロウは鞘に納めた刀を差し出した。
数秒それを見つめた後、ルーシーは首を振る。
「いいわ、あなたを信用する。私じゃ、これをどうすればいいか分からないし」

時計は、もうすぐで正午という頃合いだ。
コートを畳み、刀と共にベッドの傍に置いたクロウは、しばし考えた後、言う。
「今夜出ていくから、それまで眠らせてくれないか」
「食事、食べてく?」
「…そこまで世話になる訳には」
「でもここを出て行った直後に餓死されたら私の気分が悪いのよ」
先程のこともあり、クロウは遂に折れた。
「分かった。ただ、一つ」
「何?」
「必ず、必ずだ。この礼はする」
ルーシーはクロウの言葉に、微笑んだ。

今夜0時と予告した以上、それまでに敵が襲撃をかけてくる可能性は少ないだろう。そうクロウは判断した。
何より、傷が痛む。凍傷になりかけていたらしい手足に感覚は戻っているが、まだ動くと全身に鈍く痛みが走り、眩暈がした。
ならば、今のうちに休んで体力をつけていた方がいいだろう。そう思った。


クロウ・エリュシオンが現れ、そして姿を消してから一晩が経った。
店の準備をしながら、ケインはそれが気にかかって仕方なくなっている。
とはいえ、そのクロウの姿が姿だけに、彼に憧れているジャックにそのことを伝えるのも憚られた。
「どうしたものかねぇ…」
言いつつ、店の準備を進めるケイン。夕方から開く予定の店だが、早朝の時点でもう顔馴染みが店に寄ってきていた。
「ケインさん、今日はちゃんと店開きますか?」
「ああ、レナードか。昨日は久しぶりに帰ってきた息子を迎えに行ってたんでな。安心してくれ、今日は店を開けるよ」
訪ねてきたその男――レナード・エクレールは市庁舎の職員で、これから出勤する途中の様だった。ケインの店を行きつけにしており、よく愚痴を言い合ったり情報を交換したりする間柄である。
ケインよりも大分年下で30代だが、20代で市庁舎の職員となってからはスムーズに出世しているらしく、年々スーツが高いものになっていることにケインは気づいていた。
ふとケインは、そんなレナードに質問する。
「なぁ、最近ディグアウターってこの町に来てんのかい?」
「?何故そう思うんです?」
表情に疑問符を浮かべるレナードに、ケインは言う。
「いや、昨日顔見知りのディグアウターに久々に会ってな。すぐに別れちまったから、まだこの町にいるのか気になってな」
「んー…」
しばし考えたレナードは、やがて言った。
「そのディグアウターもいるかは分かりませんが、最近は他所の人間の訪問が多いですよ。やはりあの大きなホテルが建ったことが大きいのでしょうね」
「他所の人間?」
ケインの問いに、レナードが頷く。
「市庁舎で小耳に挟んだだけでも、子供連れの若い夫婦らしき人達、カウボーイ風の男性、白スーツの伊達男、それに旅行者風の若者とかが今来ているみたいです」
「ふぅん…それでも4組だろ?やっぱりこの町にあのでかいホテルは不釣り合いなんじゃないかねぇ」
「私が小耳に挟んだのがその人達なので、実際にはもっと旅行者が多く来てるかもしれませんよ。マグナクス市長も、流石に勝算無く大型ホテルの建設などに乗り出したりしないでしょうし」
「…あのホテルの建設、市も絡んでんのか?」
「ええ。あれだけ大きなホテルですから。企業と市が協議して建てられたものですよ」
そこまで会話すると、ケインは雑貨を入れた箱を棚の上の方に置いて、言った。
「ま、とにかく、今夜は店開けるから、お前も飲みに来ていいぞ」
「じゃ、夕食でも食べに来ますよ」
「おお、一応メニューにあるからな。酒場だから、レストランほど上等な料理は出せねぇが」
「ケインさんの料理も十分美味しいですよ。それじゃ、また」
そう言うと、レナードは店を出て行った。
それを見送ると、ケインは再度店の準備を進める。
「他所の人間、ね。それにしてもクロウさん、一体どこに行ったんだか」

ケインがそう呟いた時、丁度ジャックが店に入ってきた。
「親父、お待たせ。俺も手伝うよ」
「よし、覚悟しろよジャック。今日一日、遠慮なくこき使ってやるからな!」


「もう行くの?」
夕方。もう日が落ちる頃合いに、クロウはベッドを出て支度をした。
その背に、ルーシーが声をかける。
「ああ。世話になった。この恩は必ず返す」
「…やっぱり、何があったのかは言ってくれないのね」
クロウはしばし考えた。巻き込みたくないことは確かだ。でも、どの程度の情報を与えれば、彼女は納得してくれるだろう。そして、余計な行動をしてほしくもない。
「…約束する。この町は必ず守る」
「いきなりスケール大きなこと言うわね」
面食らったようにそう言ったルーシーに、クロウは微笑んだ。
「もう行かなければ」
クロウの言葉に、ルーシーは頷く。
「何かあったら、またここに来ていいから」
そう何度も世話になる訳にはいかない。それでも、そう言ってもらえたのは嬉しかった。

こうして、またクロウは夜の町の中へ出て行った。
肩と頭に包帯を巻いたまま。
何者かから寄こされた、刀を手にして。


「さて、俺はしばらく休んでるから店番頼むなー」
「ちょっ!?さっき開店したばっかだよ!?」
大体の準備を終えて、出入り口にかかっている札を『OPEN』にしてからしばらくして、ケインはそう言って店の奥へと引っ込んでしまった。
それを見て、慌てて声をかけるジャック。実際、彼は接客業は初心者である上、今日は店を開けた直後で父親が接客している姿すらもまだ見ていないのだ。
こんな状態で客の相手などできるわけがない。そう思い、ジャックは店の奥へ声をかけたが、ケインからは無慈悲な返事が返ってきた。
「安心しろ、本格的に客が入ってくるのは1時間後だ。その頃には戻ってくるからよ」
「でも、店開いてるよ!?」
「この時間は滅多に客は来ねぇ。お前ものんびりしてな」
随分適当に運営しているな。そう胸中で呟いたジャックは、カウンターの内側から店内を見回す。
大体の酒や料理の材料の場所は頭の中に入っている、筈だ。接客業初心者とはいえ、客としてレストランに入った際に店員にされたような振る舞いを自分もすればいいだけだ。
そう自分に言い聞かせるものの、やはり緊張が全身を支配する。

と、その時、カランカランとドアに付いたベルが鳴り、来客を知らせる。
「い、いらっしゃいませ!!」

「…何だ、聞いた話と違うな」

入ってきたのは、二人組の男女だった。
男の方は厚手のコートに身を包み、丸い鍔の帽子を被っている。
女の方も黒っぽいローブを着て、帽子とマフラーで顔を覆い、目元だけ出していた。
「せ、席に、ご案内します」
「いや、ここでいい」
男の方はそう言うと、ジャックの正面のカウンター席に座る。女は無言のまま、その隣に座った。
「え、ええと、じゃあ…メニューをお出ししますね」
「ああ、その前に」
ジャックの言葉を、男が遮った。
怪訝な表情で男の方を見るジャック。男の方が口を開こうとしたが、先に声を発したのは女の方だった。
「人を探しています。最近、この町に来た筈です」
そう言って、顔に巻いたマフラーを解く女性。

ジャックは気づいた。いつかテレビで見た古代人と同じ、鮮やかな緑色の髪に褐色の肌。目の前の席に座る女性が、そんな容姿をしていることに。


ルーシーの家を出発してから数時間。既に外は夜の闇に覆われている。
夕方から夜まで、クロウは町中を歩いて情報を集めた。
とはいえ、警察から追われている身だ。ゴーストの映像があったからには、元居た街の警察からこの町の警察に情報が行っている可能性は十分にある。
そのため、情報を集めるとはいっても、顔を隠して町中を移動し、通行人の話に耳を傾けるくらいしかできなかった。
そんな中クロウは、町の中心部に立つ高層のホテルを見上げる。

この町の他の建物に比べると、酷く高い。まるで、町全体を睥睨しているかのようだ。

そんな様子に薄ら寒いものを感じながら、クロウは手紙で予告されたよりも2時間ほど早く教会へと赴いていた。
何も敵に指定された時間通りに動く必要など無いのだ。何か準備しているなら、確認しておく必要がある。そう思ったのだが、教会の近くに来た時点で、人っ子一人いる気配が無いことに気づいた。
「…ジョエル・クラウス…」
寂れた教会の前で、自然とクロウは以前この町で出会った、この教会の主であった神父を思い出し、その名を呟く。
周囲を柵が覆い、入り口の門は頑丈な鎖と鍵で施錠されていた。

門の部分は一際高いが、その周囲の柵ならばクロウの身体能力なら十分跳び越えられる高さだ。
ここでじっとしている訳にもいかない。その思いがクロウを動かし、地面を蹴って柵を跳び越えた。
が、着地した時、肩から激痛が走る。あまりの痛さに、呻き声が口から出た。
「ぐっ…!」
それでも、傷口が開いたわけではなさそうだと判断し、教会へと近づく。
歩きながら、以前この教会で起こった出来事をクロウは思い返していた。

古き神々の一人に脅された、司政官ロックマン・ハウエル。それがこの教会に住む神父の正体だった。
彼の話を聞き、クロウは彼を脅迫していた古き神々の一人と戦った。
この町に眠る無数の戦闘端末を渡さぬために。しかしその力は及ばず、やがて神父はその古き神々の一人に殺されることになった。
それでも別の人物の介入もあり、古き神々にこの町の戦闘端末を渡す事態だけは避けることができたものの、神父の命を救えなかったことは、クロウの心残りの一つとなっている。
神父には、血の繋がらない娘がいた。
戦いが終わってから、その娘とは会っていない。そのため、その娘が今どうしているかも分からない。
昨日ケインを訪ねた時に聞けば良かったのだが、そうする気がクロウにはどうしても起こらなかった。

やがて、教会の建物に辿り着く。門が施錠されていたことで覚悟していたが、入り口には張り紙があった。
『春に取り壊し予定』と書かれた紙が。
「…そうなのか」
娘――ミラ・クラウスがどうなったのか、結局知る事は無かったな。そう思いつつ、クロウは教会の扉を開けた。

「やっぱり思った通りだ。賭けは俺の勝ちだな!」

扉を開けた途端、中から声が響いてくる。
それが、マザー・セラに見せられた映像の中に記録された声と同じものだと即座に気づいたクロウは、そのまま勢いよく扉を開けた。
室内には踏み込まず、教会内へ目を凝らす。
一番奥に、男はいた。
白いスーツに、帽子。そしてその青白い顔には、片側を覆う幾何学模様のタトゥーが見える。
「クロウ・エリュシオン!!用心してねぇでとっとと入ってこい。お前なら、やはり予告した時間より早く来ると思ってたぜ!」
「……」
クロウは迷う。こうして姿を現したということは、教会内は既にあの男――ゴーストの手の内だということだ。
こうして奴の思惑通りに入ってしまっていいのか?
考えているうちに、僅かに苛立った様子でゴーストは尚も言った。
「安心しろ。無駄な細工などしてねぇ。ゲームが面白くなくなるからなぁ」
目を細め、細心の注意を払ってクロウは教会の中へ足を踏み入れた。

以前見た時は、教会の窓は全てステンドグラスだったが、今は全て普通のガラス窓だ。
長椅子は以前と同じく、二列に整然と並んでいる。
そして奥には祭壇があった。とはいえ、以前見た時に祭壇にあった装飾などは無くなっており、その名残りと思われる台座があるだけだ。
そして、その祭壇跡の前にゴーストは立っていた。
「こうして直に会うのは初めてになるな。俺がゴーストだ」
「……」
依然として周囲に注意を払うクロウ。だが、中に入って初めて分かった。
もう一人、ゴーストの他にも人がいた。
最前列の長椅子の端に、小柄な人影が座っている。
全身を黒い布が包んでおり、更に後ろ姿のため顔も見えない。
そんなクロウの様子にも構わず、ゴーストは喋り続ける。
「バアルの奴、まさか会いすらしないとは。意外と奴はシャイだったな」
「…お前の言っているのは…」
鞘に収まった刀を取り、クロウはそう言った。
クロウの言葉に、ゴーストは頷く。
「お前が以前に会った顔だろ?」
「奴は…何者だ…!!」
得意げに、ゴーストは鼻を鳴らした。
「奴が何であろうと、俺は奴を『バアル』と呼んでる。お前もそう呼ぶといい」
ふざけるな。そう叫びたい気持ちを堪える。ここで怒った所で、奴の思う壺だろう。
「…もう一つ聞きたい」
正直、これ以上奴に喋らせたくない。クロウの本心はそう告げている。しかし逸る気持ちを抑え、クロウは以前から――あの映像を観た時から、聞きたかったことを口にした。

「お前は、タナトスか?」

「…ほぉう」
ゴーストは、笑みを浮かべるでもなく感心したように息を吐く。
「何故そう思う?」
「直感だ。お前が警察署長を拷問している映像を見た時、あんなことを嬉々としてやりそうな古き神々が、タナトスしか浮かばなかった」
かつてノアから聞かされた、彼と『タナトス』との因縁。それを思い返しながら、クロウはそう答える。
ゴーストはそれを聞き、またその顔に笑みを浮かべた。
「そうだな…なら、こう言っておこう」

「その推理…いい線行ってる。だが大外れだ!!」

「っ!!ならば、貴様は一体、何者だ…!!」
かつて、目の前で友人を殺された記憶がフラッシュバックする。その時に言われた台詞が、目の前の男の口から繰り返されたからだ。
もう何も話す必要などない。これ以上話していても、ゴーストは煙に巻くだけだとクロウは確信し、持っていた刀に手をかける。
だが、その刀を抜く前に、ゴーストは片手を前方に掲げた。
「おっと!まだ戦いには早いぜ?何せ…今宵のゲームの主役は、俺じゃないんだからな」

そう言うと、ゴーストは視線を横に――最前列の長椅子の端に座っていた人物に視線を向ける。

やがて、その人物が長椅子から立ち上がった。

着ていたローブのフードを脱ぎ、そしてその顔をクロウへと向ける。

「お前は…!!」

「お久しぶり…ですね…」

ミラ・クラウスは、真っ直ぐにクロウへと視線を向けた。


最終更新:2018年03月28日 01:21