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突然の出来事に、一瞬スティーブは何が起こったのか分からなかった。
傷みを感じる間も無く、自身の意思とは関係無く、彼の身体は車外へと引っ張り出された。
「なっ!!」
冷えた外気を感じたと同時に、腹に激痛が走る。
「がはっ…!」
見ると、いつの間にか目の前に屈強な大男が立っていた。
暗がりで顔はよく見えない。分かるのは、黒いスーツを着ている事だけだった。
続いて大男の、右の拳が頬に炸裂し、スティーブの身体は吹っ飛ばされた。
その背中を、誰かが受け止める感触をスティーブは感じた。
振り向くと、車外に引きずり出される直前、スティーブに道を聞いてきた男がいた。
「悪いね。怨みは無いが、死んでくれ」
そう言うとその男は、スティーブの両肩を掴み、拘束した。
「くっ…!」
再び大男は、右腕を大きく振りかぶり、強烈なパンチを叩き込もうとする。
咄嗟にスティーブは、頭を下ろし、パンチを避けた。
大男の拳が風を切るのを、彼は後頭部の頭髪から感じた。
「ぎゃっ!!」
どうやら、上手い具合に自分を拘束していた背後の男の顔面に当たったらしい。
パリンと高い音を立てて、眼鏡の割れる音がした。
男は眼鏡の破片やら、唾液やら鼻血やらを振りまき、その場に倒れた。
「て、てめぇ…!!」
だが、まだ気絶はしていなかったらしい。男は立ち上がり、呻いた。
しかしスティーブは、その男よりも大男の方に注意を払うので精一杯だった。

顔や腹に走る激痛に目が眩みそうになる。
頭上のライトに照らされた大男は、どうやらスキンヘッドの白人の様だった。
無理を承知で、スティーブは大男に呼びかけた。
「誰に頼まれた?」
だが大男は無言で、ゆっくりとスティーブに向かい歩いてきた。
今は駐車場の、車と車の間という狭い空間だ。
前は白人の大男、後ろには鼻血を流した痩せた男が立っている。
その上、駐車場に面した通りは滅多に人が通らない場所だ。
まさに絶体絶命と言えた。
「(くそっ…!)」
大男はゆっくりとその歩を進めるので、スティーブは後へ行くしかなかった。
だが、後ろには痩せた男が、いつの間にやらナイフを手にして立っていた。
それに一瞬気を取られたのがまずかった。
再び、大男の強烈なパンチが、突き刺さる様に腹を深く抉っていた。
「が……はっ……!」
口の中に鉄の味がしたかと思うと、スティーブは地面に伏していた。

更に強烈な蹴り脇腹に当たり、スティーブは完全に地面にうつ伏せとなった。
「自分の不運を怨むんだな。探偵さん」
痩せた男がそう言うのが聞こえた。
だが、その時だった。
「そこで何をしている!!」
聞き覚えのある声が駐車場内に聞こえた。
痩せた男が舌打ちする音が聞こえたかと思うと、足音が遠ざかるのが聞こえた。
そして、スティーブが止めた車の丁度向かい側から車の発射する音が聞こえ、その音も次第に遠ざかっていった。
車の音が聞こえなくなった頃、再び一人分の足音が聞こえた。
その足音は次第に、スティーブの耳には大きくなっている様に思えた。
そして、突然その音が丁度自分の目の前で止まると、先程と同じ声が聞こえた。
「スティーブ!!」

気づくと、彼は自分の車の座席に座っていた。
傍のドアは開け放たれており、外気が車内を冷やしている。
スティーブは、意識を取り戻すと共に、頬と腹に再び激痛を感じた。
「うっ…」
「目が覚めたか」
スティーブの呻きを聞いたのか、開け放たれたドアの傍に見覚えのある人物が立っていた。
「…カーネル、何であんたがここにいる?」
カーネル・ジョンソン。警察署に勤務しており、ここ何年か付き合いのある刑事である。
今日警察署に寄ったのも、この刑事を訪ねる為だったのをスティーブは思い出した。
「あの連中は一体なんだ?また厄介事に巻き込まれているのか」
スティーブの質問には答えず、火の点いた煙草を咥えたカーネルは静かにそう言った。
「…あんたの説教ならもう聞き飽きてる。
ここに来たなら何か要件があるんだろ?早く言ったらどうだ」
腹に感じる鋭い痛みを和らげる為、ゆっくりスティーブはそう言った。
チッと舌打ちをしてから、カーネルはゆっくりとスティーブに視線を向けた。
煙草をわざわざスティーブの車の灰皿に押し付け、カーネルは睨みながら言った。
「今後一切、私の部下をお前の私用に使わないで貰おう」
「…バレたか」
カーネルは不機嫌そうに背中を向け、歩き出しながら言った。
「お前を襲った奴らの車のナンバーは控えておいた。持ち主を特定しておく」
そう言うと、カーネルはその場から去っていった。
スティーブは、駐車場から消えていくカーネルの背中を見送りつつ、ポツリと言った。
「ったく…散々にも程があるな…」
しばらく、彼はボーっと、カーネルが押し付けた煙草から立ち昇る煙を見つめていた。


翌日。
眼を覚ますと、起床時間だけは決めているおかげか、いつも通りの8:30であった。
眠っても一向に体力は回復しなかった様で、仕方なくスティーブはベッドを降りた。
まだスティーブは、昨日殴られた腹や頬を見ていなかった。
前日、事務所に寄る気力も無く、自宅に帰るとそのまま眠ってしまったからである。
鏡を見ると、頬にはくっきりと青痣ができていた。
「ったく…」
仕方なくスティーブは、救急箱を取り出し、昨日殴られた頬と腹を見てみた。
腹は、昨日の時点では凄まじい痛みだったが、幸いにも内臓に損傷は無い様だ。
動かすと流石に痛いが、安静にしていれば大丈夫そうである。
スティーブは腹に包帯を巻き、頬にガーゼを当てると、自宅を出た。

事務所についたのは、治療をしていた時間もあってか9時過ぎであった。
いつもの事務机の前に座ると、それを見計らったかの様に電話が鳴った。
「はい。こちら…」
「そちらはスティーブ・ハントさんの探偵事務所?」
スティーブが言い終わらないうちに、相手は質問してきた。
声からすると、女の様だ。
「そうだが、何か依頼でも?」
「アリッサ・デクスターの自殺について調べているそうね。」
唐突にその話になったので、スティーブは数秒頭を整理しなければならなかった。
そして、相手が分からない以上、迂闊に発言する事はできなかった。
「さあ?あんたがそう思うならそう思えばいい」
「とぼけないで。アリッサの自殺について情報を持っているけど、欲しくない?
あなたの事務所、近くにある公園があるでしょ?情報が欲しければそこまで来て。以上」
そう言うなり、電話は切れてしまった。
「…何なんだ…全く」
スティーブとしては、今の電話はただの悪戯として片付けたいのが本音である。
だが相手が、彼がアリッサの自殺を調べている事を知っているのがどうにも引っかかった。
「…しょうがねぇ。手がかりも無いしな…」
昨日の襲撃の様な事にもなりかねないので、スティーブは事務机の引き出しを開けた。
そこには、一丁の拳銃が入っていた。
それを内ポケットに入れ、スティーブは事務所を出て行った。

確かに、事務所から程近い所に、公園はあった。
割と広い公園で、中央には噴水があり、所々に鉄棒や滑り台もある。
割と朝方のこの時間は、公園全体に日が照っていた。
スティーブは、公園の端にあるベンチに座った。
「さて…今度は何が起きるやら…」


「スティーブ・ハントね」
「…ようやくおでましか」
煙草を吸いながら待っていると、電話と同じ声と思われる女性が現れた。
茶色のトレンチコートを着て、目元にはサングラスをしている。
赤い髪は後ろで纏められており、背丈はスティーブより頭一つ分小さいくらいだった。
エリスと同じ位の年齢で、彼女よりかは幾分細身の顔立ちをしている。
「昨日刺し損ねたとどめを刺しに来た輩…とは違う様だな」
そうスティーブが言うと、その女性はクルリと後ろを向いた。
「ついて来て」
「俺がノコノコついて行く様な男だと思うなら、話はここで終わりだな」
女性は呆れた様な溜め息を吐き、向き直った。
「分かったわ。じゃ、あなたの事務所で話しましょう」
「…どうしてもこの場では話せない様だな。
人に聞かれたく無い話なら、最初からそうすべきだったんだ。
余計な手間がかかったな」
完全に怒らせてしまったのか、女性はコートの内ポケットに手を入れ、そこから瞬時に銃を抜いてスティーブに突きつけた。
「一々煩いわね!!ここに来たなら情報が欲しかったんじゃないの!?」
スティーブは内心焦ったが、煙草の煙を吐いてから、言った。
「欲しいなんて一言も言ってないな。ここに来たのは単なる好奇心だ。
勝手に人を呼び出して勝手に怒り狂って、滑稽だぞ?
いい加減素性を明かしたらどうだ」
そう言われて、その女性はまだ素性を明かしていない事に気づいたらしい。
拳銃をしまい、胸ポケットから名刺を取り出して、言った。
「レベッカ・ミラーよ。フリーのジャーナリスト」
そう言って名刺を差し出しているものの、レベッカと名乗った女性は完全に敵意の篭もった目でスティーブを睨んでいた。
先程の口論が余程頭に来た様である。
スティーブは渋々名刺を受け取った。


「その情報とやらを聞く前に、色々と質問してもいいか」
場所をスティーブの事務所に移し、スティーブは口を開いた。
「…ええ、いいわよ」
そっけない態度で、レベッカは答えた。
「何故俺がアリッサ・デクスターの自殺について調べているという事を知っている?」
レベッカは不敵な笑みを口元に浮かべ、言った。
「あなた…昨日アリッサ・デクスターの当時の友人と話をしたでしょ」
スティーブは今のレベッカの一言で納得した。
「なるほど…あの3人の女性の内誰かが、俺が帰った後にあんたに連絡したんだな?」
「御名答」
そう言うと、レベッカはポケットから煙草を取り出した。
スティーブは手元にあったライターを点け、彼女の煙草に火をつけてやった。
煙草をくわえる前に、彼女は話を続けた。
「私はアリッサの自殺について調べている内に、彼女達と知り合った。
そして私は彼女達に、この事件について私の他に調べている者がいたら、連絡して欲しいと言っておいたのよ」
「なるほどな。彼女らに俺が渡した名刺から、ここの電話番号や住所まで突き止められたわけだ」
スティーブは、次の質問に移る事にした。
「何故アリッサ・の自殺について調べている?」
「…話が長くなるけど、いいかしら?」
そう言うと、レベッカは煙草の灰をスティーブの事務机の上にある灰皿に落とし、言った。
「元々、この事件は…私の友人が調べていたのよ」

「ほう…それをあんたが調べていると言う事は、その友人は…」
レベッカはスティーブを真っ直ぐ見つめながら、言った。
「死んだわ」
「殺されたって意味か?」
自分も煙草を取り出して火をつけ、スティーブはそう言った。レベッカは話を続ける。
「…その人も私と同じジャーナリストだった。
当時、彼が調べていたのがアリッサ・デクスターの自殺だったの。
それから私は、この事件を必死で調べたわ。
そしてアリッサの自殺が事実上、警察に揉み消されたと分かった時、確信した」
「…なるほど」
スティーブは立ち上がり、背後の窓の方へ向いた。
ブラインドが下がっており、外から室内の様子は見えないだろう。
手で目元の高さのブラインドを少し上げ、外の通りを眺めた。
相変わらず人通りの無い、寂しい通りである。
「(じゃあ昨日の奴らは、本当に俺を消すつもりだった…のか?)」

スティーブは向き直って、レベッカに質問した。
「で、あんたの持ってる情報と言うのは?」
「欲しいなら、一つ約束してもらいたい事があるわ」
「…何だ?」
彼女は煙草を灰皿に押し付け、言った。
「今後、更に私が調査で得た情報を、あなたに提供するわ。
だからあなたも今後、集めた情報を私に提供してくれない?」
「協力しろ、という事か」
スティーブは意図的に、数秒間沈黙した。その間、ずっとレベッカは彼を睨みつけていた。
1分近くの沈黙の後、スティーブは煙草の煙をゆっくり吐くと、言った。
「お断りだ」
スティーブの沈黙に、レベッカもこの答えを予期していたのかもしれない。
そう聞いた途端、静かな、だが威圧的な声で言った。
「…何故?」
レベッカとは対称的に、落ち着いた声でスティーブは言った。
「生憎、俺は自分で調べた情報以外はあまり信じられないんだ。
あんたが持ってると言った情報も、後でそれが本当に真実なのかどうか確認するつもりだった」
レベッカは信じられない、と言った表情で呟いた。
「何よ…それ…」
スティーブは、レベッカが再度何か言う前に、言った。
「最初に会った時からずっと思ってたんだが、あんたからは何か、必死さを感じる。
俺はあんたとその友人とやらがどんな関係だったのか聞くつもりは無い。
だがもし、この事件の黒幕が判明した場合、あんたは何をしでかすか分からんな。
協力できない最大の理由は、それだ」

レベッカは勢い込んで、言った。
「私が、真犯人を見つけた時、そいつを殺すとでも思ってるの!?」
「じゃなきゃ何の為にあんたはこの事件を調べてるんだ?」
まるで対称的に、静かな口調でそうスティーブは言った。
スティーブの問いに、レベッカは言った。
「知りたいのよ。何の為に…彼は…私の友人は死ななければならなかったのか…」
「断言できるか」
スティーブは煙草を灰皿に押し付けてから、言った。
「もしお前が、お前の友人を殺した相手を見つけた時、何もしないと断言できるか」
「できるわ」
先程と同じ様にスティーブを真っ直ぐ見つめ、レベッカは言った。
スティーブは呆れた様に深い溜め息を吐いて、言った。
「やはりお断りだな。帰ってくれ」
レベッカは、これ以上の口論は時間の無駄だと判断したのか、椅子から立ち上がった。
振り返り、戸口まで言って、足を止めた。
「どうせあなたは自分のやり方で確認するんでしょ…なら教えてあげるわ。
アリッサ・デクスターが自殺する前、本当に付き合っていたのは…」
スティーブは何も言わずに、レベッカの続きの言葉を待った。
レベッカは振り返らずに、言った。
「ハリー・クローバー。現市長、バイル・クローバーの一人息子よ」
そして、レベッカは事務所を出て行った。

「どうやら…たった一日の調査でも収穫はあったようですね」
レベッカが去るのと殆ど同時に、ヴィルヘルム卿が事務所へ入ってきた。
「相っ変わらず人が悪いなあんた。聞いてたのか」
ヴィルヘルム卿は、昨日と同じ微笑を湛えて、答えた。
「偶然耳に入ってきたのですよ。
ここを訪ねてみれば、先に来客があった様でしたからね。
廊下で待っていたら、会話が耳に入ってきました」
スティーブは、この廃墟寸前のビルなら音漏れも当然だな、としみじみ思った。
「で、先程の来客、私の依頼に関係のある方の様ですね。
詳しく聞かせてくれませんか?」
「…当然だ。あんたは依頼主だからな。じゃ、一から説明するか」
そしてスティーブは、昨日ヴィルヘルム卿に依頼を受けてから行動を開始し、先程のレベッカとの会話まで、一部始終をヴィルヘルム卿に報告した。
ヴィルヘルム卿は終始、興味深そうに、時には楽しそうに報告を聞いていた。
そして最後に、スティーブは言った。
「先程の、最後のレベッカ・ミラーの一言が、俺の今までの推理を覆した」
「ほう。と言うと?」

スティーブは殆ど灰となった煙草を灰皿に押し付け、話を続けた。
「俺は今までの情報から考えて、今回の事件をこう考えていた。
アリッサは自分の勤務する銀行について、知ってはならない事実を知ってしまった。
結果彼女は、真実の重圧に耐え切れずに自殺したか、もしくは殺された。
その後銀行側は、警察に根回しをして事件を隠蔽。
適当な証言者を用意し、完全に事件を『ただの自殺』として処理した。
だがアリッサは、自分の父親に、何らかの方法でその真実を伝えていた。
その父親・サイモンは労働者仲間と結託し、強盗という形で銀行に復讐を誓った。
それがこの前の強盗事件、と言うわけだ」
スティーブの言葉に相槌を打つと、ヴィルヘルム卿は言った。
「知ってはならない事実、とは?」
「ここまで全て俺の推測だから、そんな事実があるのかどうかすらわからない。
ただあるとすれば……銀行側にとって不都合な事実。という事だな」
「では、レベッカ・ミラーの友人を消した者や、昨日あなたを襲撃した者達。
彼らは銀行側からの手先だと?」
「断定はできないが、そうなる…と、思っていた。先程レベッカから話を聞くまではな。」
ヴィルヘルム卿は、もう一つ質問を口にした。
「先程あなたは、アリッサが自殺したかもしくは殺された、と言っていますね。
これはつまり…?」
スティーブは少し考えてから、言った。
「警察の調書には、争った形跡は無かったと書かれている。
まぁ警察の調書、って時点でどの程度が真実なのかは分からんがな。
だが、そこから自殺と考えた場合、銀行側が消そうとする前にアリッサが自殺したか、もしくは消す必要が無かったか、だな。
彼女の友人の証言では、彼女はかなりの小心者だったそうだから、アリッサ一人なら厳重に口止めをしているだけで十分、と思ったのかもしれん。
で、もし殺した奴がいるとすれば、考えられるのは、アリッサと親しかった者だろう」
「なるほど。では続きをどうぞ」
感心した様に、ヴィルヘルム卿はそう言った。

「さっきも言った様に、この推理は先程のレベッカの一言で、信憑性が低くなる。
レベッカは、当時アリッサが付き合っていた人物がハリー・クローバーであると言った。
…まぁこれが事実かどうかは確かめなくてはならないな。
だがもし本当なら、事件を揉み消すように根回ししたのは現市長、バイル・クローバーである、と言う可能性が出てくる。
一人息子の付き合っていた相手が自殺、なんてマスコミの格好のネタになるからな」
「…とすると、ラルフ・ジョーンズという代役を立てたのも市長側かもしれませんね」
「だが、市長側が事実の発覚を恐れて殺人まで犯すか、等いくつか疑問が残るな」
感心した様に頷き、数秒考え込んでから、ヴィルヘルム卿は言った。
「分かりました。では私が、あなたと市長側との会談の席を設けましょう」
「…は?」
唐突なヴィルヘルム卿の提案に、思わずスティーブは間の抜けた声を出した。

「あなたも知っての通り、私はこの町でも有数の資産家です。
著名人との会談の場を用意するくらいでしたら、可能なのですよ」
そう言うと、ヴィルヘルム卿はニヤッと笑みを浮かべた。
「…やっぱり、あんたが俺を雇う意味ってあるのか…?」
冷や汗を一筋流しながら、スティーブは愚痴っぽく呟いた。
「いやいや、あなたのおかげで大分スムーズに事は運んでいますよ。それで、どうします?」
まぁせっかくの提案だし、やるしかないか。そう思い、スティーブは言った。
「おそらく…市長側は俺だけで何とかできるだろう。むしろ、銀行側の者と会いたい」


午後5時。
スティーブは、銀行の社長室の、客用のソファーに座っていた。
彼が要求した、銀行側の者と対面する為である。
「どうも、こんばんは」
しばらくして、ドアが開くと共に、書類を持った一人の人物がそう言って入ってきた。
「この銀行の社長を務めております、ヘンリー・フランクと申します」
灰色のスーツを着た60~70代の老人で、長めの髪は全て白髪となっている。
その顔には皺が刻まれ、髪と同じ白い口髭を生やし、眼鏡を掛けた男であった。
スティーブは名刺を差し出し、言った。
「私立探偵のスティーブ・ハントと申します。宜しく」
「ええ、ヴィルヘルム様からお話は伺っております。
どうやら、私に聞きたい事があると…?」
スティーブが煙草の箱を取り出すと、ヘンリー・フランクはテーブルの中央にあったガラス製の灰皿を、スティーブの方へ押しやった。
スティーブは煙草に火を点け、咥えてから話を始めた。
「今から半年ほど前、お宅の従業員の一人が自殺した事件を覚えてますか?」
おそらく、事前にヴィルヘルム卿から色々聞いていたのだろう。
ヘンリー・フランクはすぐに答えた。
「ええ。この銀行の従業員が自殺、と言うのも初めてでしたから、覚えていますよ。
この前の銀行強盗事件といい、今年は良くない事が立て続けに起こっていますねぇ…」
そう言うと、ヘンリーはガックリと頭を落とした。
煙草の灰を落としながら、スティーブは言った。
「その時自殺した従業員、アリッサ・デクスターというのですが、彼女は当時、ここでは主に何の仕事をされてましたか?」
それを聞くと、ヘンリーは書類の中から1枚を取り出し、テーブルに置いた。
「当時、彼女が主に行っていた業務を記したものです。かなり有能な従業員だった様です」
そう言うと、再びヘンリーは残念そうに頭を落とした。
スティーブはその書類を手に取り、一通り目を走らせながら、言った。
「…当時、彼女が何かトラブルを起こした、等の話を聞いた事はありませんでしたか?」
ヘンリーは俯き、額に人差し指と中指を当て、考える様な仕草をしてから、言った。
「いいえ。当時の上司からも何も聞いておりませんし」

「なるほど…」
スティーブは、昨日のラルフ・ジョーンズとの話を思い出した。
「彼女は当時、同じくここの従業員であるラルフ・ジョーンズと付き合っていた様ですね。
彼女の友人達はそれを知らなかった様だが」
ヘンリーは数枚の書類を見ながら、言った。
「ええ。周りには隠していた様です。
ラルフ・ジョーンズという従業員も、彼女ほどではないが優秀の様ですね」
「彼らは同年齢だった様だが、同期でしたか?」
「ええ、その様です。これが、彼女と同じ時期に入社した従業員の名簿です。」
そう言うと、ヘンリーはスティーブに一冊のファイルを差し出した。
スティーブは受け取ると、中身に目を走らせ、言った。
「この…ハリー・クローバーと言う従業員…確か市長の息子でしたね」
どうやら、これは予想外だったらしい。ヘンリーは言った。
「え?ええ。彼は将来、どんな重役になるのか楽しみな人材ですね。
今の若手の中ではトップクラスの優秀な従業員ですよ」
ファイルを見ながら、更にスティーブは質問を続けた。
「彼とアリッサが付き合っていたという話を聞いたんですが、本当ですかね?」
「え?いや、それは全く聞いた事の無い話ですね。
少なくとも、その二人は業務内容にしても接点は無く、銀行内ではそんな噂も流れませんでしたね」
その後、終始ヘンリーは冷静にスティーブの質問に答え続けた。
約束では30分が限界だったので、スティーブは席を立った。
「それでは、今回はありがとうございました」
「いえいえ、またお力になれる事があれば、是非協力させてください」
一通り挨拶を済ませると、スティーブは銀行を出て行った。

銀行の駐車場で自分の車の前まで来た時、スティーブは声をかけられた。
「どうでした?」
見ると、駐車場の出口の脇に一台のリムジンが止まっており、後部座席の窓からヴィルヘルム卿が顔を出していた。
「まぁ、収穫はあったな」
「ほう。詳しく聞かせてもらえませんか?」
スティーブは出しかけていた車のキーをポケットにしまうと、リムジンの方へ歩いて行った。
わざわざヴィルヘルム卿のいる窓の前まで来てから、彼は口を開いた。
「ハリー・クローバーはやはりこの銀行の従業員の様だ。
まぁ、後で調べる手間が省けたな」
「なるほど、他には?」
スティーブは声を低めて、言った。
「あのヘンリー・フランクと言う男、やはり何か隠しているかもしれん」

ヴィルヘルム卿は疑り深そうな目つきでスティーブを見やった。
「あの様な立場の人間は、大抵何か秘密を持っているものですよ。
アリッサ・デクスターの死に関する秘密だと断言できますか?」
スティーブはリムジンの車体に片肘を乗せ、煙草を取り出し火を点けてから言った。
「『かもしれん』と言った筈だ。まだ疑いの段階ですらない。
ただ、一つ気になった事がある」
「ほう?」
スティーブは、沈みゆく夕日に煙を吹きながら、言った。
「あの男、会話中一度も俺と目線を合わせようとしなかった。
世の中、人と目を合わせて喋るのが苦手な人間も、いるにはいるだろう。
だが、あの立場になるには社交性も必要だろう。
そこを考えると、あの社長がそういう類の人間であるとは、どうも考え難い」
ヴィルヘルム卿はそれを聞くと、満足そうに笑い、言った。
「なるほどなるほど、流石は探偵さん、と言う所でしょうか。
明日また事務所へ伺います。報告を楽しみにしていますよ」
そう言うと、ヴィルヘルム卿はリムジンの窓を閉めた。
同時にリムジンは動き出したが、駐車場前の大通りへ出る直前に、再び止まった。
そして、再び後部座席からヴィルヘルム卿が顔を出した。
「ああそれと、その頬の傷、お大事に」
スティーブは、今日会った人間が誰も、彼の頬の傷を気にも止めなかったのに気づいた。
「怪我人には厳しい町だな…ここは」


昨日の様な襲撃に注意しながら、スティーブは車を駐車場に止め、事務所へ向かった。
外付けの階段を上っている最中に、また声をかけられた。
「大変そうですねぇハントさん。大丈夫ですかその傷」
気がつくと、事務所の前の通りに、自転車に跨ったヨハンがいた。
スティーブは頬に当てられているカーゼに手を当てて、言った。
「ああ、仕事柄、殴られ慣れてるせいか、こういう痛みにはもう慣れた。
しっかし、お前も相変わらず郵便配達か。朝も夕方も精が出るな」
「いやいや、色々と町の人達の生活が知れて、良い経験になりますよ」
「ふーむ…そうか…」
スティーブは階段を降りると、周りを見てから言った。
「あまり口外したくないんだけどな…お前、半年ほど前に自殺した、ある女性に心当たりは無いか?名前は…アリッサ・デクスター」
そう聞くと、ヨハンは苦そうな顔をして言った。
「ああ…彼女は気の毒でしたね。自殺する前日まで悩んでたみたいですし…」
「何っ…!?」
スティーブは、思わずヨハンの肩を掴んだ。
「詳しく聞かせてくれないか!?」

スティーブは、薄暗くなった事務所内の電灯を点けた。
「へぇ、外に比べて中は意外と綺麗ですねぇ」
「そりゃ、毎日掃除してるからな」
スティーブは煙草に火を点けながら事務机の前に座る。
ヨハンも、周りを見回しながら来客用の椅子に座った。
「すいません、仕事がまだ残っているので、10分くらいにして欲しいのですが…」
「分かってる。それに、時間がかかるかはお前次第だ」
スティーブは煙草の灰を灰皿に落としながら言った。
「先程、『自殺する前日』と言ったよな?俺が聞きたいのはそこだ。
アリッサ・デクスターが自殺する、その前日にお前は彼女に会ったのか?」
ヨハンは冷や汗を流しながら、言った。
「ええ。顔色が悪そうで、目の下に隈ができてましたね…」
「何故警察に言わなかった?」
「それは…」
彼を真っ直ぐ見つめるスティーブに対し、ヨハンは視線を床に落とした。
スティーブは、ヨハンが自分で言うのを待った。
ただでさえこのままでは仕事に遅れるだろう。
それに、ヨハンの性格から考えて、席を蹴って去るとは考えにくい。
スティーブの予想通り、数秒してからヨハンは答えた。
「大した情報にはならないと思いましたし、どうにも行く決心がつかなくて…」
「やはり、そうか」
事件を探る者にとっては、どんな情報でも、少しでも欲しいものなのだ。
それは警察も探偵も一緒である
しかし一般的な市民はどうも、重大な事件を目の当たりにすると、自分の持つ情報は大したものではないと錯覚してしまうものらしい。
「まぁともかく、お前が前日に彼女と会った時の事を、できるだけ詳しく教えて欲しい」
「えーっと、そうですね…」
しばらく、ヨハンは自分の真上の天井を見つめていた。

「会った、と言っても、彼女の姿は少ししか見ていないんですよ。
その日、僕は郵便物を彼女に届けに行ったんです。
呼び鈴を押すと、少ししてからドアのすぐ向こう側から彼女の声が聞こえてきました。
低い声で、『すいません、そこに置いておいてください』とね。
気になったので、『何かありました?僕でよければ相談に応じますよ?』と言いました」
「(随分と気軽に話してるな。まぁヨハンらしいと言えばヨハンらしいが)」
そう思うスティーブをよそに、ヨハンは話を続けた。
「すると、チェーンを掛ける音がして、ドアが少し開いたんです。
中から彼女が出てきましたが、顔色が悪く、目の下には隈ができていました。
僕は驚いて『どうしたんですか?』と聞きました。
すると彼女は『いつもご苦労様です。お気にかけて下さってありがとう。でも、大丈夫ですから』とそう言って、僕の郵便物を受け取ると、ドアを閉めました。
これが彼女と前日に会った時の全てです」
スティーブは話を聞き終えると、煙草の灰を再び灰皿に落とし、立ち上がった。
「分かった。俺にとっては貴重な情報になったよ。他に何か気づいた事は無いか?」
ヨハンは椅子にかけておいた自分の鞄と制帽を手にとって立ち上がり、言った。
「そう言えば…心なしか彼女、少し震えていた様な気がしますね」
「ふむ…そうか」
ヨハンは頭を下げ、足早に事務所を出て行った。
「さて…残るは一人」
そう呟くと、スティーブは今回調査に使った資料を整理して鞄に収め、事務所を出た。


最終更新:2012年01月21日 23:34