俺の車は、一件のバーの前で止まった。
思った通り、開店には早かったが、店内には明かりが灯っている。
開店準備中なのだろう。事実、入口の札には『準備中』と書かれていた。
俺は、入口のノブを回した。
鍵がかかっているかと思ったが、あっさりと扉は開いた。
中に入ると、ウェイターの格好をした若い従業員風の男が床をモップで掃いている。
男は俺の方に振り向くと、怪訝そうな顔で言った。
「入口の札見えました?まだ準備中なんですが…」
「分かってる。マスターに会いたいんだが」
男は疑問の表情のまま、店の奥に向かって声をかけた。
マスターは、カウンターの向こうで、グラスを拭いていた。
太った白人の男で、頭頂部は禿げていたが顎から揉み上げにかけて黄色い髭を蓄えていた。
「はい、何でしょう?」
俺はカウンターに近づくと、身分を明かし、言った。
「リチャード・キースという男がこの店の常連だと聞きましてね」
マスターは明るい表情で答えた。
「はい、キースさんならうちの常連です。
いつも物静かに飲んでいますが、時折世間話などをいたしますねぇ」
「彼の自宅の住所とか分かりますか?」
マスターは思案顔で顎に手を当てていたが、やがて言った。
「生憎ですが、私はお客に酒を提供するのが仕事なので、そういう個人情報は扱っておりませんなぁ」
「やはりそうですか。ではリチャード・キースの容貌などを話して頂けませんか?」
マスターは思い出す様に、視線を上の方に向けたままゆっくり言った。
「そうですねぇ…肌の色は比較的白く、40から50代ほどの方ですね。
角刈りで、いつも作業着を着ています。かなり体格のいい方で、私より全然背が高いですな。あと、歩き方が少々…何と言いますか、普通の方よりも特徴的ですね」
最後の部分が少し気になったが、俺はそれについての質問はしなかった。
「キースはいつもこの店に来ますか?」
「ええ。少なくとも三日に一度は。週末には必ず来ていますねぇ」
「…今日は来ると思われますか?」
マスターは先程と同じ仕草でしばらく思案すると、言った。
「確実な事は申せませんが、来る確率は高いと思います。
彼が最後に来たのは一昨日かその前の日辺りでしたから」
「いつも何時ごろにここに来ます?」
「夜11時過ぎくらいですかね。
いつも団体のお客さんが帰って店内が静かになる頃に来店なさいますよ」
俺はそこまでの話をメモすると、もう一度店主に礼を言った。
そして、店を出て、車に乗り、レベッカと待ち合わせているファミレスへ向かった。
煙草を吹かしながら、ファミレスの駐車場に車を停めようとした。
が、どうやら駐車場は満席の様だ。
腕時計を見ると、既に時刻は8時過ぎ。丁度客が多く入る時間帯なのだろう。
仕方なく、一旦道路に出てから路地裏に車を停めた。
ファミレスで話す必然性は無いんだが、最初に話し合った場がここだったから仕方ない。
本来なら俺の事務所を使いたいところだが、今は使えない事もある。
ファミレスに入ろうとした俺の耳に、レベッカの呼ぶ声が聞こえた。
どうやら、外で待っていたらしい。まぁ当然と言えば当然かもしれない。
俺達は、駐車場に停められていたレベッカの車に乗り込んだ。
「で、どうだったんだ?」
「あんたから話しなさいよ」
時間に比例してレベッカの不機嫌の度合いも高まっている気がする。
車内の灰皿を見ると、山の様に煙草が潰されていた。
どうやら相当待ったらしい。待ち合わせ時間を指定し忘れていたせいか。
「ったく、こんな時間になるならそう言ってほしかったわね」
「まぁ、それについては悪かった」
俺は、被害者の自宅を見てきた事と、被害者が隣室を盗聴していた事を話した。
「ふーん。じゃあその隣に住む人物が怪しいって訳ね」
「…そっちはどうだ?バーテンやウェイターの話は」
レベッカは微妙な表情をしてみせた。
「そうね…別段不自然な感じは受けなかったわ。でも…」
「でも、何だ?」
「演技かもしれないと言われれば、演技っぽくも見えたわね」
「つまり嘘をついている可能性は50%と」
「…ええ」
渋々といった感じで、レベッカは俺の言葉を認めた。
正直もっと明確な判断を期待していたのだが、まぁいい、まだ手がかりはある。
俺はドアを開けた。
「今日の調査はここまでだ。俺はもう帰るぞ」
「あらそう」
レベッカは素っ気無く答えた。
「私はまだ調査するわ。あんたの言ってた隣の部屋に住んでいる人物が気になるから」
正直、レベッカがここまで熱心になるとは思わなかった。
俺は判断に迷った。この事件に、怪しい連中が関わっているらしい事を言うか言うまいか。
言わなければレベッカは余計な調査を続けるだろう。
かといって言えばまた余計な調査を続けないとも限らない。
そこまで考えて、どっちにしてもこの女は余計な事をやるのだという結論に至った。
「そうか。頑張れよ」
「…気色悪いわね。あんたからそんな言葉が出るなんて」
俺は特に反応せずにレベッカの車から出た。
「こちらです」
案内員について、俺は凄まじい厚さのドアをくぐった。
目の前と左右の壁一面が、金属的なロッカーとなっている。
ここは、ある銀行の貸し金庫室だ。
ちなみに前の事件で関わった銀行である。正直行きたくなかったのだが仕方ない。
この街の、貸し金庫のある銀行というとここぐらいしか思い当たらないのだから。
俺は、ジェスター・ブレアのアパートで見つけた鍵を取り出し、眺めた。
表面にははっきりと金庫の番号が書いてある。
俺は目的の金庫を探し出すと、鍵を差し込み、開けた。
「目的のものは見つかりましたか?」
「…ああ」
案内員の言葉に、俺は相槌を打った。
やはり、金庫の中身は俺が予想していたものだった。
一通の封筒。丁度録音テープが一本入るような厚さをしている。
俺は案内員に礼を言うと、出口に向かった。
車に戻ると、俺は封筒の一辺を指で千切り取った。
封筒を下に向けると、予想通りテープのようなものと、一通の手紙が出てきた。
俺はテープを封筒に戻すと、手紙を広げた。
予想していたよりも、短い文章だった。
『フレンチへ
お前がこれを見ている頃、俺は死んでいるかもしれん。
この手紙とテープが金庫にある事はもちろん奴らに言ってある。
だが、奴らはそんな程度で俺を生かしておくような生易しい奴らではない。
しかし、もしこれがうまくいけば、俺はこの街を新たに牛耳る奴らの一人になれる。
だから、これは保険だ。
もし俺が死んだら、この手紙とテープを持って警察に出頭してくれ。
頼んだぞ。
お前も殺されないように注意を払え。
シャドは、狡猾な男だ。おそらくお前も消そうとするだろう。
細心の注意を払え。
ジェスター・ブレア』
「…シャド?」
知らない名前だ。だが、おそらく確実に事件に関わっている者の名前だろう。
俺は、手紙を折り畳んで封筒に入れた。
9時頃、俺は興信所に戻った。
昼間とは違い、その頃になると所内には数名の所員が書類整理やら何やらしている。
「手伝うかねぇ…」
11時までまだ時間がある。
リチャード・キースはこれで遭遇の算段がついたが、問題はフロイド・ウェンズデーだ。
もしリチャードが犯人でなければ、フロイドの疑いは格段に濃くなる。
しかし、フロイドという男についての情報は未だ一切無かった。
「どう動いたもんかな…」
俺は椅子に寄り掛かって考えた。
どれくらい時間が経っただろうか。
周りの所員は忙しなく動き続けている。
そろそろボスが俺に向ける視線に殺気が篭もってきた頃、電話が鳴った。
「ハントさん、電話です」
電話を取った所員が俺に声をかける。
俺は内線のスイッチを入れ、受話器を耳に当てた。
「はい、ハントですが」
『もしもし、スティーブ・ハントさん?』
若い男の声だ。聞いた事も無い。
俺は即座に口調を敬語から戻した。その声に混じる挑発的な響きが不快だったからだ。
「そうだが、あんたは?」
『ジェスター・ブレアの事件を嗅ぎ回ってるらしいですね』
もう感付かれていたらしい。俺は平静を装って言った。
「あんたは俺の事を嗅ぎ回ってるらしいな」
『今あなたはフロイド・ウェンズデーという男の情報を欲しがってるでしょう?』
俺の声音は自然と低くなっていた。
「…さあ、どうだかな」
電話の主はしばし沈黙してから、言った。
『ふむ、ではここからは私の独り言ということで。
フロイド・ウェンズデーなる人物は存在しません。
その名前を使って部屋を借りているのは『シャド・デスペイン』という名の人物です。
彼はこの街で最大規模のカジノを経営しています。
ここからが肝心なんですが、そのカジノは週に一度、地下で賭博をやってましてね。
今夜が丁度その日なんですよ。潜入するにはうってつけかもしれませんね』
「そうかもな。俺がフロイドという男について調べていると仮定すればな」
『そうだといいんですがね』
そう言い残し、電話は切れた。
俺は受話器を置くと、しばらく思考を巡らせ、ブルースを呼んだ。
「シャド・デスペインという男について情報はないか?」
1時間半ほど後、俺は車で先程のバーへと赴いた。
バーの扉を開けると、夜の喧騒が俺を迎え入れる。
予定通り、深夜11時近く。この時間は大分混んでいるらしい。
俺は奥のカウンターへと足を運んだ。
夕方に見たマスターが、慣れた手つきでカクテルを混ぜている。
どうやら、バーテンも兼任しているらしい。
マスターは俺の姿を見ると、言った。
「おや、あなたは夕方の…」
「リチャード・キースは来ていないか?」
マスターは首を振った。
「多分もうすぐ来ると思いますがね」
「そうか」
このまま出ようかと思ったが、考えてみるとそれではこの店に申し訳が立たない。
俺はウイスキーを注文すると、カウンター席に座った。
マスターは質問をしたそうな眼で俺を見ながら、カクテルを混ぜている。
だが、質問を口から出す気は無いようだ。
そんな事を考えていると、ウイスキーが運ばれてきた。
グラスに注いで、一杯口にしながら、俺は周りの客を眺めた。
仲間と話し込んでいる者や笑いあっている者、静かに飲んでいる者など、様々だ。
一番後者の客たちに、俺は目を凝らした。
しかし、どれもこちらに注意を向けている様子は無い。
だが、あんな電話があった以上、油断するべきではないと思った。
ウイスキーを飲み終えると、俺は代金と多めのチップを払い、バーを出た。
駐車場で車に乗ると、シートを倒し、煙草に火を点ける。
この位置だと、丁度バーの入り口の前にある電灯の辺りがよく見える。
そのまま、俺はしばらく待った。
俺を尾行しているような不審な人物はバーから出てこない。
周囲の車に目を凝らすが、どの車も人は乗っていない様だ。
そのうち、電灯の下を一人の男がゆっくりと通り過ぎていくのが見えた。
作業着を着た大男だ。角刈りの頭髪をしている。
話に聞いたリチャード・キースの特徴と一致している。
俺は男がバーに入るのを確認すると、車を移動させた。
今は駐車場の奥の方から様子を窺っていたのだが、今度は通りにすぐ出れる場所だ。
そこから、再度電灯の辺りを窺い、俺は待った。
一時間ほどしただろうか。キースはバーから出てきた。
どうやら、タクシーは使わない様だ。キースは横断歩道を横切って、歩き去った。
俺は車を出ると鍵をかけ、足取りの覚束ないキースを追った。
キースは一軒のアパートの中に入っていった。
昼間に行ったマンションほどではなかったが、随分古びている。
階段を見つけ、その近くで耳をすませていると、キースの歩く足音が聞こえた。
と、急に声と共に、ドアを叩く音が聞こえてきた。
「こんな時間まで何やってんだ、五月蝿いぞ餓鬼」
口調の割にはあまり声は大きくない。むしろ面倒臭そうだ。
少ししてから、若い男のものと思われる声がした。
「ああ、すいませんね。でもそれを言うならあんたもあのいびきどうにかしてくれよ」
「んん?前にも聞いたが、本当にいびきなんか聞こえてるのか?
お前からしか苦情来てねぇぞ」
「そりゃああんた隅の部屋だからな。俺の隣はしょっちゅう留守だし。
とにかく、俺も気をつけるからあんたも気をつけてくれよ」
ドアを閉める音。その後、足音と共にもう一つドアを閉める音が響いた。
どうやら、キースが住んでいるのは2階のようだ。
俺は階段を上がっていった。
狭いアパートで随分助かった。
先程の会話で『隅の部屋』と言っていたので、俺は階段から一番遠くにある部屋に行った。
どうやら、一フロアに四部屋あるらしい。
俺は、キースの部屋と思われるドアを叩いた。
ドアはすぐに開かれた。
「何だ、まだ何か用があるのか…」
「リチャード・キースだな」
キースは、訪問者が予想と違っていた様で呆気に取られていた。
そして、すぐに警戒の眼を俺に向けた。
「そうだが、お前は誰だ」
「スティーブ・ハント。探偵だ。幾つか聞きたい事があるが、いいか?」
リチャードは、周りを見回しながら、俺に言った。
「入れ」
俺はドアをくぐり、室内に入った。
キースの部屋は、この男の外見と同じように薄汚れていた。
壁紙やカーテンといったものは一切なく、おんぼろのベッドと小さなテーブル、隅に点けっ放しのテレビが置いてある。
「ったく、明日も早いってのに…」
愚痴りながら、キースはベッドに腰を下ろした。
「悪いが、客人用の椅子は持ってねぇ」
俺は、頷きつつ床に腰を下ろした。
「で、何だ、聞きたい事ってのは」
キースは、鋭い眼で俺を睨んだ。
「ジェスター・ブレアって男は知ってるか?」
俺は問いかけと共に、ジェスター・ブレアの写真を渡した。
キースは、驚愕の表情でその写真を見つめた。
「…どうやら、心当たりがある様だな」
「こいつ…生きてやがったのか…!!」
キースは顔を上げると、俺を鋭い眼で睨んだ。
「お前を雇ったのは、『ファミリー』の連中か?
もしそうなら言っとけ。俺はもう戻るつもりは無いとな」
俺は首を振った。
「お前の伝言なんか頼まれるつもりは無い。
こっちの質問に簡潔に答えてもらいたいんだがな」
キースは、しばらく俺を睨み続けた後、立ち上がった。
「仕方ねぇな、折角こっちはほろ酔い気分で帰ってきたってのに…」
テレビのスイッチを消すと、再びベッドに腰を降ろし、キースは言った。
「俺はな、豚箱に入れられる前は、組織の集金をやってたんだよ」
しばらくして、やっとキースは話し出した。
「ある時、仲間と共にその男のところに集金に行った。
…その頃はその男、お前の言った名前じゃあなかったな。
だが、奴は組織からの借金を踏み倒す気でいやがった。
大勢の用心棒を雇っていやがって、俺たちはそいつらに叩きのめされたよ。
その時の騒動で俺もムショに入れられた。
ったく、その男の顔はムショにいた頃は忘れられなかったぜ。
まぁ、その時の怪我のせいで組織からはお払い箱と見なされたがな」
どうやら、キースの足取りが覚束なかったのは酒のせいではなかったらしい。
「その後、ジェスターはどうなったんだ?」
「おそらく、奴は本気で組織とやり合うつもりだったんだろう。
だが組織は今もこの街を支配してる。結果は自ずと分かるだろ?」
なるほど、ジェスターはかつてマフィアからこの街の覇権を奪おうと画策したわけか。
だが結局敗走。報復の機会を窺う為に名前を変え、あのアパートに身を潜めていた。
無職だったのは、下手な所に顔を出せばマフィアに感付かれるからだったのかもしれない。
「…その足、治る見込みは無いのか?」
「あったら俺はまだ組織にいただろうな…まぁ、もっと俺に金があったら分からねぇが」
足の不自由な男が、わざわざここから遠い地区まで行き、殺人を犯す事が可能だろうか。
俺は、キースが事件に関係している可能性は低いと結論付けた。
エリスのメモにこの男の名前があったが、おそらくジェスターの過去を洗い、この男の名が挙がった所で捜査が打ち切られたのだろう。
「一つ、お前に言っておく事がある」
「何?」
キースは眼を細めて俺を見ている。俺はキースの挙動を観察しながら、言った。
「ジェスター・ブレアは、少し前に殺されている」
キースは俺の観察の視線に気づいたらしく、幾分声を低めて言った。
「なるほど、お前さんが来たのはそのせいか」
「理解が早くて助かるな」
俺は眼を細めてキースを眺めながら、言った。
「足が不自由でも、誰かに頼んだという可能性はある」
キースは不愉快そうな声で、言った。
「人を雇える金があるんならこんな所に住んでねぇよ」
「お前の立場なら組織に知り合いくらいいてもいい筈だ」
「仮に俺がお前の言うように組織の奴に頼んで奴を殺させたとしよう。
だが、この足でどうやってブレア…だっけか?奴の居場所を見つけるってんだ?」
俺とキースは、しばらく睨み合った。
俺は立ち上がった。
「確かに、あんたがそんな足である以上、どんな推理をしても不自然な結果になるな」
キースは俺の存在に気づいていない時も、片足を引きずっていた。
それに、バーのマスターの話にもキースの足のことが出ていた。
ということは、足の怪我が演技である可能性も低いだろう。
「ったく、死んでも俺に迷惑かけるとは、とことん厄介な奴だったな」
「お前と同じ様に、ジェスターに一生モノの傷を負わされた奴はいるのか?」
キースは思い出そうとするように視線を上に向け、しばらくしてから言った。
「さあな。あの規模だと死人は出ただろうが、俺にはわからん。
何せ、この足の傷に加えてムショ入りだ、自分の事で精一杯だったからな」
「…そうか。面倒をかけたな」
キースは立ち上がり、ドアを開けた。
俺は部屋から出て行った。
キースがシロの可能性が高い事に、俺の気分は暗くなっていた。
何故なら、先程集めた『シャド・デスペイン』という名の人物の情報が、相当にヤバイものだったからだ。
「現役のマフィアの幹部、ねぇ…」
呟きながら俺は、バーまで戻って車に乗り込んだ。
正直、匿名の電話からの情報に価値など無い。
だが事実として、シャド・デスペインはこの街で一番上等なカジノのオーナーの名だった。
おまけにそのカジノで賭博が行われているらしいという情報も確かに存在していた。
俺は、鉛の様に重い手足を無理矢理動かし、カジノへ向けて車をスタートさせた。
街で一番大きなカジノ、という触れ込みは伊達ではなかった。
街の中心部からやや東側に位置するこのカジノは、都市部だというのにかなりの土地面積を占めていた。
手前の駐車場と噴水だけでもかなりの大きさだ。
その奥に位置する横長の建物、つまりカジノの店舗は、中央に入口があった。
入口の両側に警備員らしきスーツを着た大柄の男たちが立っていたが、肝心の入口には上手い具合に人がごった返している。
これならば両側の男たちの眼を盗んでの侵入、いや入店も容易そうだ。
俺は、余分な持ち物をダッシュボードに入れると、車のドアを開けた。
後になって考えてみると、俺はこの時不運だったのかもしれない。
何故なら、俺が駐車した地点のすぐ近くに、レベッカの車があった事に全く気づかなかったからだ。
街中の資産家やら実業家やらその家族やら、いわゆるセレブたちが豪奢なスーツやドレスを着飾って行き来するカジノの入口。
正直、そこに紛れ込むには俺の格好はみすぼらし過ぎたかもしれない。
だが、何せ人が多かったので、どうにかガードマンの注意を惹かず店に入ることができた。
中では、紅い絨毯が敷かれ、様々なゲームが行われている。
ポーカーやブラックジャックなどのカード、ルーレット、スロットなどだ。
俺は大勢の客たちの間を通り過ぎながら、この店のオーナーの姿を探した。
興信所で探した資料の中に、シャド・デスペインに関する新聞の記事の切り抜きがあり、そこに顔写真は載っていた。
俺は内ポケットからその記事を取り出し、その顔の特徴を頭に刻み込みながら、歩いた。
が、店内を幾ら歩けども、オーナーの姿は見当たらない。
「…顔を見せるまで待つか?」
そう呟きつつ、俺は壁際まで歩き、寄り掛かって一息ついた。
その時、俺に話しかける者があった。
「お客さん、ちょっといいかい?」
俺が振り向くと、一瞬心臓にヒヤリとした感覚が走った。
俺に話しかけたのは、入口で見た大柄の男の一人だったからだ。
「何だ?」
平静を装って返事をした。
だが、どうも俺はしくじったようだ。
相手の眼には、深い警戒の色が浮かんでいる。
その時、後頭部に鋭い痛みを感じた。
途端に四肢が動かなくなり、俺の身体は重力に逆らえず、地面に伏した。
「(そういや…警備員二人いたな…)」
薄れ行く意識の中で、視界に映った二人の大柄な男の顔を認めて、ぼんやりと俺はそう思った。
そして、俺の意識は途切れた。
最終更新:2012年01月21日 23:37