クロウに何か言う暇も与えずに、ミストはどんどん階段を下っていく。
地下階まで行くと、照明が日の光から蛍光灯に変わった。
そして、このマンションの最下階と思われる階の一番奥の部屋でミストは立ち止まった。
相変わらず建設中のため、ドアは無い。
あまり広いとは言えず、壁も床も天井も灰色のコンクリートで覆われたその部屋の中央に、ロックマン・テスタメントは立っていた。
プリズナの町で会った時と全く変わらず白いロングコートを纏い、サングラスをしている。長身で、金色の短髪。20代後半辺りに見える顔立ち。
テスタメントは腕を組み、入ってきたクロウとミストを見ると、事も無げに言った。
「やっと来たか。ディエス様が待っている。行くぞ」
クロウはこの発言に疑問を持たずにはいられなかった。ここはマンションの一番下の階の、一番奥の部屋だ。
その疑問を口にする前に、テスタメントは足元にあった蓋のようなものを取り外した。
そこには、更に下へと続く梯子が設置されていた。
「…下水道へでも行くのか?」
「違う」
ミストが感情を含まない声でそう返し、屈んで梯子に手をかける。
テスタメントは蓋のようなものを持って、クロウにも下るよう眼で促した。
「………」
不安を感じながらも、クロウは梯子に手をかけた。
「…!?」
梯子の下は、遺跡だった。
何も無い廊下が真っ直ぐ先に続いている。
ディグアウターであるクロウはこの街に住むと決めた時点で、周辺にある遺跡を調べた事がある。
だが、この街の地下に遺跡があるという情報は全く知るところではなかった。
「(今思えば…この街の地下に遺跡がないと思う方が無理があったかもな…)」
そもそも、増え過ぎたデコイを処理するエデンを要請する司政官を守る役割を持っているのが遺跡という存在だ。
かなりの人口を持つこの街の地下に、遺跡があるのも道理である。
「(つまり…この街に駐在する司政官も存在する筈だが…)」
そう考えるクロウを他所にミストは前に進み、いつの間にか後ろにいたテスタメントは早く進むよう促した。
扉を潜り次の部屋を見た瞬間、クロウは先程までの疑問を吹っ飛ばされるほどに驚いた。
そこには、ヘブンでも使われているワープ装置が置かれていたからだ。
扉の枠の形をしたそれは、やはりヘブンのものと同じく、表面が虹色に輝いている。
「…この先に、ディエスという奴がいるのか」
「そうだ」
重々しい声でテスタメントは相槌を打つ。
「下手な真似はするな。その瞬間にお前の命は無い」
テスタメントの言葉が終わらないうちに、ミストはワープ装置へ入ってしまっていた。
クロウはゴクリと生唾を飲み込むと、ワープ装置へ足を踏み入れた。
「っ…!?」
先程まで薄暗かった遺跡内から、急に眩い照明がクロウの視界を支配する。
思わず片手で両目を覆ったクロウの耳に、ついさっき聞いたかすかな金属音が響いた。
「…何をする」
クロウの眼前に、拳銃がその銃口を向けていた。言うまでもなく、その拳銃を持っているのはロックマン・ミストだ。
「今のお前にどれほどの警戒心があるか、試させてもらった」
無言のミストに対して、クロウの背後に現れたテスタメントが言う。
鋭い目で睨むクロウに対し、テスタメントは見定めるようにサングラスの奥からクロウを眺めた。
「ごめんなさい。これ位の用心が必要だったの」
唐突に、女性の声が室内に響いた。
クロウが眼を向けた先に、一人の女性が座っていた。
様々な大きさの無数のモニター。その前に置かれた椅子の上に。
ウェーブのかかった長い銀髪。白い肌。紺色のドレスを着た、20代前半ほどの、一見して美しいと言える顔立ちをした女性。
女性がその言葉を言うと共に、ミストはクロウに向けていた拳銃を降ろした。
クロウはそれを確認しつつ、その女性へと視線を移す。
女性はほんの少し謝罪の意を含んだような笑顔を浮かべ、言った。
「テスタメントの非礼をお詫びします、ロックマン・ミラージュ」
「お前がディエスか」
女性はクロウの問いに肯定の頷きを示した。
「古き神々の一人だったな…俺に何か用なのか」
女性―ディエスは、視線をクロウの斜め後ろにいるテスタメントへと向ける。
視線を受けたテスタメントは頷き、部屋の隅にあったテーブルに置かれていた数冊の書類を手に取りクロウへと差し出した。
それを見守りながら、ディエスは話し出す。
「用件は二つ。一つは、この街を支配している古き神々の討伐の協力をあなたにお願いしたい、という事。
この街にいる古き神々についての詳細は、その書類に全て載せておきました」
クロウはディエスの話を聞きながら、書類を捲る。
そこには顔写真と、その人物の詳細なデータが記載されていた。
書類から目を離すと、クロウは再びディエスを見据える。
「もう一つの用件とは?」
一泊の間を置き、ディエスは言った。
「あなたに協力している人物と、話がしたいのです」
「…!」
クロウに協力している人物。間違い無く、ノアの事を指しているのだろう。
クロウは考えた。この申し出、ノアは受けるのだろうか。
考えが纏まらぬうちに、ディエスは言った。
「どちらも、今この場で答えを貰うつもりはありません。でも、私達もあまり時間が無い。明日には答えを頂きたいところですね…」
ディエスの言葉にどう返答したものか迷ったクロウだったが、無難な答えを選んだ。
「…連絡を明日までにつけられるかが微妙なところだが、善処しよう」
「では、そちらから何か質問はありますか?答えられる範囲で答えましょう」
クロウはまず、先程浮かんだ疑問から口にする事にした。
そして、部屋の隅に壁を背にして腕を組んでいるロックマン・ミストへと視線を送った。
「今日まで、あいつは死んだものと思っていた。どうやってあいつを助けたんだ?」
その質問を予期していたかのようにディエスは微笑みつつ、ミストへ視線を向けながら答える。
「あの時あなたが警察と共に行った空族の討伐。その一部始終を、テスタメントが監視してたんです。その終わり、あなたがあの飛空船から脱出した直後に、彼が助け出しました。と言っても既にその時重体で、完全に回復するのに数年を要しましたが…ね?」
そう説明しつつ、ディエスは同意を求めるようにミストへと視線を向けた。
だがミストは目を瞑り佇むのみで、ディエスの言葉には答えない。
「極秘の作戦だった筈だ。どうやってその情報を掴み、どうやって監視したんだ?」
「そうですねぇ…」
ディエスは返答に困った様子で、しばらく俯いていた。
「前者の質問については、今は答えられません。あなたが私達に協力すると決めて下されば、答えましょう。
後者の質問については、あなたも見当が付いているのではないですか?」
そう言われて、クロウは答えに行き当たった。
そして視線を後ろのテスタメントに向けつつ、口を開く。
「あの大鷲が監視してたと言うわけか」
「ええ、そういう事です。それに、あの場には身を隠す手段も多くありましたし、ね」
その後、ミストの先導を受け、クロウはその場を去った。
去り際に、「良い返事を期待していますよ」とディエスに笑顔を向けられつつ。
返事については、とりあえずノアの意見を聞いてから考える事にしたクロウは、前を歩くミストに疑問を向ける事にした。
「ミスト。お前は以前、ヘブンの再生を願っていた筈だ。
それが何故、古き神々の一人であるディエスの側にいる?」
その質問を口にした瞬間、殺気こそ感じなかったもののミストは僅かに振り向いて片目でクロウを睨んだ。
しかし、クロウからすればこの程度のリアクションは覚悟して質問を行っていた。
しばらく緊張と沈黙が続いたが、ついにミストは口を開いた。
「ディエスの素性をお前が知るところとならなければ、説明しても無駄だ」
「…つまりお前らに協力しなければ説明するつもりも無いということか」
正直、協力したとしてミストが説明するかどうかは怪しいものだとクロウは思った。
それからは、沈黙のまま二人は歩を進めた。
「明日の正午、迎えに行く」
マンションの1階まで戻ると、ミストはそう言った。
「…答えを聞くだけなら、わざわざ出向く必要などない筈だ」
「いや、ディエスは直接お前の口から答えを聞きたいと言った」
確かに協力関係を結ぶならその方が信用できる。仕方なく、クロウは従う事にした。
「それからもう一つ」
そういうとミストは、数冊の紙幣をクロウに差し出した。
クロウは懐疑的な目でそれを見つつ、言った。
「前金という意味なら、まだ了承していないから貰うつもりは無い」
「…ディエスからだ。俺がお前の肩に開けた風穴の治療費だと」
そう言われてクロウは、ミストと狙撃戦を開始した直後に肩にレーザーを受けていたのを今頃思い出すと同時に、痛みもようやく感じた。
「何のつもりだ…俺を懐柔しようとでも!?」
「…ディエスに訊け」
簡潔に答えるミスト。まるで受け取らねば動かないと言わんばかりに、紙幣を差し出したまま彼は動かなかった。
渋々、クロウはその金を受け取る。それと同時に、挨拶もせずにミストは背を向けた。
クロウは去り行くミストを一瞥し、複雑な表情で手の中の金を見つめていた。
部屋に戻ったクロウは椅子に座ると、まずテスタメントから受け取った書類のページを捲った。一枚ごとに、古き神々達の顔写真と詳細なデータが綴られている。
全部で7枚。クロウは一枚ずつそのデータを読み始め、その内容に驚愕する事となった。
「(…この街は…事実上古き神々に支配されていたと言うのか…!?)」
一枚目の写真には、厳格そうな髭面の老人が写っていた。名を、プロキオン。
デコイとしての名はグレアム・フォン・ロワイアル。
政界、経済、そして司法。それらの分野に根を伸ばす非合法組織・ロワイアルファミリーと呼ばれるマフィアの頂点に位置する人物だと、その書類には書かれていた。
しかも驚くべき事に、その組織はその老人を除き、デコイだけで構成されているらしい。
「(つまりプロキオンという古き神々が支配する組織は、他の古き神々とは直接的な関係は無いということか…)」
中程まで読むと、クロウはページを捲った。
二枚目には、プリズナの町で出会ったジョエル・クラウス神父を思い出させるような礼服に身を包んだ男が写っていた。年齢は先程のプロキオンよりは幾分若そうで、髭は無い。
その人物も、デコイとしての顔では絶大な権力を握っていると書かれている。
古き神々としての名はアルデバラン。デコイとしての名はエンリコ・マルケスといった。
この町やその付近の町一帯で信仰されている宗教というものがあるのだが、その司教という立場にあるらしい。信者は、この街の人口の半数を超えていると書かれていた。
「(あのポルックスという古き神々を倒してから、この街に古き神々が存在する事を予想してはいたが…まさかこれほどデコイの社会に深く根付いた存在だったとは…)」
次のページには、シルクハットを被り、燕尾服に身を包んだ男が写っていた。
写真の角度のせいで、目元はシルクハットに隠れて見えない。
この男はベテルギウスという古き神々で、デコイとしての名はウォルフガング・ヴィルヘルムという名だった。
世界でも有数の資産家で、この街の中心部に大邸宅を構えているらしい。
だが前者二人のデータを見た後では、資産額が大きいというだけで、大した存在にはもはや見えなかった。
次のページを捲って、クロウは驚いた。
他のページにはびっしりとデータが書き込まれていたのだが、このページだけは写真と古き神々の名だけが記されており、あとは『詳細不明』とだけ書かれていたからだ。
写真には白いスーツと金髪の青年が写っており、長い前髪のせいで目元どころか鼻の辺りまで顔立ちが隠れてしまっていた。古き神々としての名はリゲル。
だがクロウは、その顔形をどこかで見たような気がした。思い出そうとしたのだが、結局思い出す事はできなかった。
「っ…!!」
次のページを捲ったクロウは、全身に衝撃を感じざるを得なかった。
白いフード付きのマントを羽織り、白いアーマーを纏った、銀髪の青年。
プリズナの町で見た時と少しも変わっていない、ロックマン・ロードだった。
クロウの知る正体も全て書かれている。他の古き神々と違うのは、デコイとしての名が記されていない事だった。
残りの二枚は、写真の上に『DEAD』と書かれた判子が押してあった。
どちらも犯罪者上がりのような、粗野な男が写っている。名にはカストルとポルックスと書かれていた。
「俺とゼゼと、ノアが倒した奴らか…」
クロウは書類を閉じた。
そして無線機に手を伸ばし、そのスイッチを入れると、暗記している周波数に合わせ、呼び出しを行った。
「…上手くいけばいいがな…」
そう呟いたクロウの脳裏には、1週間ほど前の出来事が蘇っていた。
東洋の竜の姿をした古き神々・ポルックスとの死闘。
ゼゼを必死で救出し、ノアの研究室へ駆け込んだ、その後。
戦闘での疲労、ゼゼが死に掛けた事による精神的な消耗。
目の前の溶液に浸かる、生物とリーバードの中間のような古き神々の、解剖し尽くされ、バラバラにされた姿。
そして極め付けに、ノアの狂った笑い。
それら全ての要因が積み重なった挙句の果て、クロウは―吐いた。
食事をしたのが随分前だったせいか、吐瀉物の大半が胃液だった事が不幸中の幸いだっただろう。
流石に目の前で吐かれてはノアも狂笑を止めざるを得なかったのだが、クロウはこれまで薄々感づいていた事をあの時確信したのだった。
ノアがまともな精神構造の持ち主でない事を。
「(何でゼゼはあんな奴にあそこまで忠誠を誓っているんだか…世の中分からん)」
そう考えているうちに、無線機から応答が帰ってきた。
『やあ、ごきげんようミラージュ君』
「…ゼゼは無事にそっちに帰ったか?」
実は、ゼゼは重傷を負っていたのだがノアからの治療を受けて意識を取り戻すと、すぐにクロウをこの街へ運んだのだった。
当然クロウはゼゼを止めようとしたのだが、ゼゼはこれが自分の仕事だからと押し切ってしまった。
『ああ、ちゃんと帰ってきたよ。何なら無線に出そうか?』
「いや、いい。今日は話があって無線で呼び出したんだが…説明に時間かかりそうだな」
『ふむ、構わんよ。話したまえ』
クロウはそれから、テスタメントとの接触から始まった狙撃戦、狙撃者がロックマン・ミストであった事、ディエスとの対面とその話の内容まで話した。
それからノアはクロウの貰ったという書類の内容を知りたがり、クロウがその内容を一字一句朗読するまで引き下がらなかった。
お陰で余計な労力を使ったクロウだった。
『ふむ…良かったじゃないか。その街の古き神々たちの情報が手に入って」
「それで・・・どうするんだ。ディエスと会うのか?」
クロウの問いに、ノアは考えるように唸った。
『まぁ、君も知っての通り、私はこの島…いや研究室から地上には一歩も出た事が無いわけだ』
「これからも出るつもりは無いのか」
クロウの言葉に、ノアは迷わず肯定した。
『ま、だから映像と音声で会話するとしよう。明日もディエスの所に行くのだよね?』
「その予定だ」
『なら君がディエスの本拠地に着いたら、そこの端末にアクセスするとしよう。
その意向を君が伝えれば、相手もアクセス情報を伝えてくれる筈だ』
そんなに上手くいくか甚だ疑問ではあったが、クロウは一応納得する事にした。
「分かった。そうするとしよう」
話の段取りが付き、ノアは無線を切った。
クロウは無線機をしまうと、既に落ちつつある日を眺め、物思いに耽る。
「あとは俺の答えか…」
とは言いつつも、既に答えなど決まっていた。
古き神々たちが本当にあれだけの権力を有するのなら、自分一人の手で倒すのは難しい。
あの書類の内容が真実かどうかまだ100%信用もできないのだが、あんな書類を作ってまで自分を騙す必要性も感じられない。
「いや、しかし…」
ここでクロウは、あの古き神々たちのうち最も権力を握っているプロキオンとアルデバランについて考えた。
もしあの二名が古き神々ではなかったとしたら。
そして自分が、その二人の暗殺に送り込まれでもしたら。
「体よく権力者の暗殺に利用される可能性もありうるか?」
クロウはしばらく、ディエスを始めとするあの一派が本当に信用できるのか、悩む羽目になった。
部屋のドアを叩く音で、クロウは我に返った。
既に日は落ち、外は暗くなっている。
こんな時間に誰かと思い、クロウはほんの少し用心しつつドアを開ける。
ドアの外には、トムが立っていた。
「何の用だ」
トムは驚いた様子で、言った。
「そりゃないぜ、約束しただろ?それともやっぱし忙しくて無理だったか?」
そう言われて、クロウはトムの彼女を護衛するという約束があった事を思い出した。
「(一晩考えていたかったが…約束は約束だしな)」
そう思い、クロウは言った。
「…ちょっと今日は忙しくてその事を失念していた。だが、約束は守る」
それを聞いて、トムは安心したような表情で言った。
「そっか、良かった。彼女が待ってるんだ、ついてきてくれ」
一般人の護衛に刀を必要無いだろう。むしろ警察に見咎められる可能性がある。
そう判断したクロウは昼間と同じ私服姿で、刀を持たず部屋を出た。
そして、トムと共にアパートを出て行ったのだった。
「…どこへ行く」
「ここからそう遠くない。彼女、花屋のバイトしてんだ。
で、その花屋から帰る間を護衛して、帰った後2時間くらい彼女の家の周りを警備するって感じ。大丈夫、ちゃんと金は出すから」
クロウは、そのスケジュールと今現在の気候を考えた。
季節は既に夏に差し掛かっている。
「今はまだ暑くなってないからいいが、そのうち熱中症にでもかかったりしたら事だぞ」
「ん?暑いの苦手か?」
「いや、お前の心配だ」
トムは、気楽そうに笑って見せた。
「ああ、俺は平気だ。まぁでも、これをずっと続けんのもアレだし、とっととストーカー捕まってくれないかなとは思うけどな」
大通りに面した所に、一軒の花屋が存在した。
色とりどりの花が、床や台の上に置かれている。
既に夜だからか、店先に客の姿は見当たらない。
「そろそろ店を閉める時間帯だからな。昼間は割と盛況らしいけど」
クロウは無言で、店先に置かれている花を観察した。
綺麗な色をしている。花から根に至るまで、きっと良く手入れされているのだろう。
そんなクロウを他所に、トムは店の奥へ声をかけつつ入っていった。
「おーいクレアー!!」
しばらくして、答えが返ってきた。
「あら、トム君じゃない。いつも元気ねぇ」
気のよさそうな老齢の女性が、杖を付きながら出てきた。
「クレアちゃんはね、今帰りの支度してる所よ。ちょっと待ってあげてね」
そう説明する老女の背後から、トムよりも幾分背の高い女性が歩いてきた。
「もう出てきたよ」
動きやすそうな灰色のズボンに、白い襟付きのシャツを着て、茶色の鞄を肩から下げている。髪は赤みがかった茶髪で、短く切っており、目が若干細い。顔立ちは20代前半くらいに見えた。
「や、ごめんね面倒かけちゃって」
トムに親しく話しかけているところから見るに、このどこかほんわかした雰囲気を持つ女性がトムの彼女らしいと、クロウは横目で判断した。
「気にすんなって、今日は助っ人も呼んだからさ」
クロウはトムがそう言うのを見計らって、ようやくその女性の方に向いた。
トムがそんなクロウを手で示し、紹介する。
「俺の隣人、ディグアウターのクロウ・エリュシオンさんだ。
クロウ、こいつが俺の彼女、クレア・ミラー」
「こいつは無いでしょ!よろしくね、トムの隣人さん」
クレアと紹介されたその女性の様子を見て、クロウは少し安心した。
ストーカーの被害に遭ってるいると聞いていたので、もっと深刻そうな表情をしていると勝手に思っていたからだ。
「ああ、よろしく」
三人で歩きながら、主にトムが饒舌に喋っていた。
「でさぁ、クレアの家は郊外にあるから、ここから結構歩くんだよ。普段はバス使ってるんだっけ?」
トムの言葉に、クレアが答える。
「うん。ただ、最近ダイヤ変わっちゃって、ちょっと不便になっちゃったんだよねぇ。
だからこうやって、徒歩で来てる事が多いわけ」
「徒歩だと家からバイト先までどれくらいかかる?」
「もー。前にも言ったじゃん。30分くらいだよ。足疲れちゃうんだよねー」
「あれ、そうだったっけ?30分は大学の方じゃなかったっけ?」
「…あれ?大学の方って言ったっけ?」
こうして二人の会話が続いていたが、クロウは主に頷く事しかしなかった。
今も、ディエスに協力するべきか迷っていたからだ。
そして、やがて三人はクレアの家まで着く。
家といってもマンションで、クレアは3階に住んでいた。
「本当に、これで帰ってくれていいんだよ?」
「いやいや、そしたら郵便受けに何か入れられかねないし。もう何時間か見て回ってるよ。そしたら、クレアも安心して寝れるだろ?」
トムの言葉に、一応クロウも同意の頷きを返しておいた。
「ありがとう二人とも。後で絶対お礼するからさ。じゃ、おやすみ」
「あ、ちょっと待ってくれ」
マンションに入ろうとしたクレアを呼び止めたのは、クロウの方だった。
疑問の表情で立ち止まるクレアに、クロウは言う。
「あの花屋のアルバイト、毎日やってるのか?」
クロウの質問に、クレアは考える表情をしつつ、答えた。
「うーんそうだね…毎日ってわけじゃないけど、割とよく行ってるよ。
今週は少なくとも明日と明後日はローテーション組んでるね」
「ふむ、そうか。分かった」
クロウは少なくとも今週のスケジュールくらいは聞こうと思っていたので、クレアの方から言ってくれたのは幸いした。
「じゃ、今度こそおやすみ!」
クレアは手を振りつつ、マンションに入っていった。
それを見送るトムとクロウ。トムも手を振り返していた。
「じゃ、これから2時間ほど警備だ」
そう言うと、トムは地図を取り出した。
マンションの周辺の地図らしい。赤い線が所々に入っている。
「じゃ、俺はこっちのルートで巡回するから、クロウはこっちのルートよろしく。
1時間したらまたここで落ち合って休憩でもしよう。そしたらまた再開な」
「了解した…と言いたいところだが、ここの地理があまりよく分かってないから地図を貰えないか?」
トムはそれを予想していたようだ。今クロウに見せていた地図をそのまま差し出した。
「俺はもう暗記してるから、クロウ使ってくれ」
それから2時間、クロウは辺りを歩き周りを警戒したが、怪しい人物の姿は見られなかった。
とは言っても、意識の半分はディエスの件に没頭していたのだが。
だからこそ、彼は自分を遠くから眺める視線に気が付かなかった。
いつもの彼ならば気づいていただろうが、この時の彼には気づけなかった。
そして、その視線は1時間休憩してもう1時間警備していても、離れなかった。
「やっと終わりか」
「ああ、ありがとな。明日も頼むよ」
トムの言葉に渋々了解しつつ、クロウは歩き始めた。
「俺は寄る所があるから、先に帰ってくれ」
「おう、じゃ、また明日な」
それから、クロウは病院へ行った。
昼間に肩に開けられた穴の治療がまだだったからだ。
一応応急処置はしておいたので、トムとクレアに気づかれなかったのは幸いだった。
医者に消毒と包帯を巻いてもらい、それからクロウはアパートに戻った。
こうして、事態が動き出してからの1日目が過ぎていった。
最終更新:2012年01月21日 23:44