およそ3時間前。
薄暗い会議室。赤い絨毯が敷かれ、茶色の大きな丸いテーブルが置かれている。
部屋の奥側で、テーブルの前に一人の老人が腰掛けていた。
彼の前のテーブルの上には書類が積まれており、老人はそれらの一枚に目を通している。
そこに、ドアを開いて一人の人物が入ってきた。
「ごきげんよう。お疲れですか?」
シルクハットに燕尾服を着たその人物は、老人を見つめてそう言った。
老人はその人物に視線を向けると、口を開く。
「ベテルギウス、お前は元気そうだな。あんな闘いを行った後に」
「いえいえ、私も結構疲れておりますよ、プロキオン」
そう言いつつ、ベテルギウスと呼ばれた男はプロキオンと呼ばれた老人の座っている席から90度左側に回った所にある席に座った。
そこに、もう一人の人物が入ってくる。
白いフードの付いたマントにアーマーを着た男。だがそのマントもアーマーも、赤い血で覆われていた。
「シリウス、装備を洗え。跡が付くぞ」
シリウスと呼ばれた男は、プロキオンに向かい合う席に座ると、無愛想な顔で言った。
「もう乾いてる。先に報告を」
「…まぁよい。リゲルはまだ帰還せん。後で説明するが、帰ってこない可能性が高い」
一拍を置き、プロキオンは言った。
「報告の一部は既に聞いている。こちらに届いている兵士達からの事後報告と照らし合わせていた所だ。だが、まずは正式な報告を聞こう。ベテルギウス」
その言葉に、ベテルギウスは微笑を浮かべつつ、話を始めた。
「既に兵士の方々の報告で分かっているでしょうが、私は初めから終わりまで、ロックマン・テスタメントの相手をしていましたよ。
かなり傷を負わせましたが、最終的には逃げられてしまいました」
微笑しつつ展開されるベテルギウスの話しぶりに、プロキオンは目を細め、言った。
「貴様の力ならば、仕留める事も可能だったのではないか?」
彼の言葉に、ベテルギウスは苦笑を顔に浮かべつつ言った。
「買い被られては困りますねぇ。相手は3000年前の粛清官ですよ?」
「…まぁいいだろう。兵士達の報告とも合致しているしな。次、シリウス」
名を呼ばれ、シリウスは口を開いた。
「ロックマン・ミストと遺跡の序盤で、ロックマン・ミラージュ、マザー・ディエスと遺跡の最深部でそれぞれ闘った。悉く、殺した」
羅列された名前に、しばらく沈黙が起こった。
プロキオンは、自らの前のテーブルに置かれた多数の資料に目を通しながら、言った。
「兵士の報告でも裏付けは取れているな。一つを除いて」
プロキオンの言葉に、シリウスは疑問の表情を浮かべる。
やや間を置いて、プロキオンは言った。
「ロックマン・ミラージュの死体は見つかっていない」
「なっ…!?」
その言葉に、シリウスは驚愕の表情を隠し切れなかった。
「多数の血痕は見つかったものの、お前がロックマン・ミラージュ及びマザー・ディエスと闘ったとされる現場に残されていたのは、マザー・ディエスが使用したと思われる一等司政官クラスの戦闘端末の残骸のみだったそうだ」
驚愕の表情のまま、一言も発さないシリウス。それを見て、プロキオンは言った。
「その顔を見る限り、確かに殺した様だな。だが事実として、死体は無い。
わざわざロックマン・テスタメントが回収するとも思えん。
つまり、生きていると考えた方がいいというわけだ」
そこまで聞いて、シリウスは言った。
「この手で奴の心臓を粉砕した。その感触も覚えてる」
少しばかりシリウスを眺めていたプロキオンだったが、やがてベテルギウスにも視線を向けつつ、言った。
「別働隊の結果をお前達に知らせておこう」
「500名の兵士は…島に上陸する前に艦ごとリーバードに撃墜されて全滅した」
この言葉に、ベテルギウスは感心した様に息を吐いた。
一方のシリウスの方は何かを考え込んだ様子で、プロキオンの言葉への反応は鈍い。
「リゲルだが…どうやらあの『クロノス』は島を海底火山の上に作っておったらしい。
リゲルが地下へ侵攻したのと同時に、奴は海底火山を噴火させた。
つまり…事実上の自爆だ。リゲルとはそれ以来連絡が取れていないが、おそらく…」
ここまで言って、プロキオンは言葉を切った。
しばし会議室に沈黙が起こる。だがその時、会議室のドアが開いた。
そこに立っていたのは、まさしく今プロキオンが話していた人物だった。
白いスーツに、目元を覆っている金髪の、少年とも見紛うほど小柄な青年。
「何だい?全員、死人を見たような顔して」
「生きていたのなら連絡をよこせ!報告してもらおうか、リゲル」
プロキオンの言葉に、青年―リゲルは笑顔を浮かべ、残った椅子に座りつつ話を始めた。
「まさか、本気でボクが死んだとでも思ったのかい?いやでも、ちょっと焦ったけどね。
3000年ぶりだったよ、本気で『動いた』のは。お陰で通信機器が壊れちゃった。
ああ、ググも無事だよ。虫けらは皆やられちゃったけどね」
そこで言葉を切り、リゲルはベテルギウスに視線を向けると、言った。
「そうそう、帰り際に、君に頼まれた『荷物』も配達しておいたよ」
その言葉を聞いて、ベテルギウスは満足そうな笑顔を浮かべた。
「それはそれは、わざわざ私の頼みを聞いて下さり、ありがとうございました」
「…相変わらず『コレクション』の収集か?」
プロキオンの言葉に、困ったような笑顔を浮かべてベテルギウスは答える。
「やはりあなたには見抜かれてしまいますか」
深い溜め息を吐いた後、プロキオンは言った。
「とにかく、報告は出揃ったな。ググが生きていたのも安心したぞ。
全員ゆっくり休め。リゲル、後で私の私室に来い。作戦の結果を詳しく教えてやる」
一人の人物が虚ろな眼で、街の中を歩いていた。
紺色のアーマーに黒いスカーフとヘルメットで頭を覆った人物。アーマーには多量の血が付いている。彼がクロウ・エリュシオンである。
街は平穏そのものだ。時刻は午後6時を回っており、人通りは少ないものの、時折民家から笑い声が聞こえてきたりする時間だった。
気力がほぼ無い状態だが、足は自分の住んでいるアパートへと向かっている。
アーマーに多量の血が付いている為、警察に連行される恐れがあるものの、クロウ自身はそんな事などどうでもよくなっていた。
しかし、台風が接近しつつある天候の今、警察どころか通りには人の姿もまばらである。
既にアパートには近い。クロウは歩みを進めながら、遺跡から外に出るまでの事を思い返していた。
ディエスの亡骸。それを目の前にして、クロウは声を上げた。
粛清官として死に、そしてノアにより生を与えられ、デコイの社会に身を潜めてきたこれまでの中で、初めてだったかもしれない。涙が出たのは。
たった1滴だけであったが。
そんな彼の視界に、ロックマン・テスタメントが現れる。
その男は何の感情も顔に浮かべぬまま、無言でディエスの亡骸を抱き上げた。ロングコートに血が付く事もお構いなしに。
「すまない…守れ、なかった…!」
何か言葉を出そうとして、かろうじてこれだけが出た。
テスタメントはクロウを一瞥すると、言う。
「帰れ。じきにここも奴らの兵士で埋め尽くされるだろう」
その言葉にも、クロウは何も言えず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「とっとと行け!」
そんなクロウに、叱咤するようにテスタメントは声を荒げる。
「くっ…!」
やりきれないままクロウは、出口へと走り出した。
その後、運良く古き神々達の兵士の目を逃れ、地上に出る事ができた。
地上に出たところで監視している兵士達と鉢合わせしたのだが、防衛本能とでもいうものがクロウの身体を突き動かし、彼らを気絶させる事に成功した。
そして、彼はようやく自らの住むアパートに辿り着いた。
どうやら留守らしく、隣の部屋は静かで灯りも無い。
部屋の鍵を開けて中に入ると、室内の電灯を点灯させた。
中で、傷ついた大鷲が待っていた。
ディエスが通信機を首にかけた、あの大鷲だ。
その翼にはクロウが治療した証拠である包帯が巻かれていた。
鷲は無表情で部屋の隅に立っている。羽根が部屋に舞い散っていないのは、羽ばたく元気が無いからだろうか。
その姿に、クロウは部屋を出る直前に、通信機を介してディエスと会話をした事を思い出さざるを得なかった。
「ディエス…」
アーマーも外さないまま、クロウは部屋の中央に横たわる。
その目に大鷲を映したのを最後に、クロウは深い眠りに落ちて行った。
「まず結果から言うが、カペラ…いやマザー・ディエスは死んだ」
プロキオンの私室。彼は高級感のある木製のデスクの上で多数の書類に目を通しながら、言った。
彼の周囲には茶色の本棚が部屋の壁を覆っている。
その彼の前には、リゲルが立っていた。
「そうだろうとは思ったよ。ベテルギウスもいたしね。テスタメントも死んだのかい?」
「いや。奴には逃げられた」
プロキオンの答えに、リゲルは「ふーん」と頷いただけだった。
が、急に動き出すと、プロキオンのデスクの上に片肘をつき、言った。
「それはそうとさ、本当にボクがあの程度で死んだと思っていたの?ボクがあの程度で死ぬ訳が無い事くらい、君が一番よく知っているじゃないか」
そんなリゲルを見据え、プロキオンは唸るように言う。
「…何が言いたい?」
「君は心のどこかで思ってたんじゃないのかい?ボクに死んでほしかったと」
一泊置いて、リゲルは続ける。
「3000年もの時がボクの力を衰えさせ、結果あの海底火山の噴火に飲み込まれて死亡、とか願ってたんじゃないのかな?
そもそも最初からおかしいと思ってたよ。ボクだけがあの島へ行く事になったりとかね」
リゲルの言葉を断ち切るように、プロキオンは言った。
「見くびるなよ、小僧」
低音を響かせ、プロキオンは憤怒の目でリゲルを睨む。
「儂がお前程の戦力をわざわざ死にに行かせると本気で思っているのか?あの任務はお前にしかできないと思って儂はお前に振ったのだ。
リゲル、よく聞くがいい。儂は同じ古き神々の死を決して願ったりなどせん。決してな!」
プロキオンの迫力のある声に、リゲルは溜め息をつくと口を開く。
「分かったよ。で、ディメンジョン・ゲートの鍵は手に入ったのかい?」
「ああ。一部始終は書類に纏めておいた。読め」
そう言うと、プロキオンはリゲルに書類を渡した。
リゲルはプロキオンのデスクから離れると、書類に目を通し始める。
そんなリゲルに、プロキオンは声をかけた。
「そんなに難易度の高い任務が嫌なら、簡単な任務でもやってみるか?」
その声に、リゲルは顔を上げる。
「一応聞いておこうかな?」
プロキオンの目には、一種の覚悟が宿っていた。
「ロックマン・ミラージュを、殺せ」
「…書類には行方不明とあるけど?」
怪訝な表情で、リゲルは尋ねる。
「先程、町に潜入している兵士から報告があったのだ。ロックマン・ミラージュが自らの住むアパートに帰ったと」
「ふーん…何で今更そんな事を、シリウスでなくてボクに?」
プロキオンは書類をデスクに置くと、デスクの上で腕を組み、言った。
「あのクロノスと名乗る者もロックマン・テスタメントも行方が分からん以上、不安の目は早く摘んでおきたい。それにシリウスだが…」
一瞬沈黙したプロキオンは、視線をデスクの上に彷徨わせると、ようやく口を開いた。
「奴はロックマン・ミラージュの事となると途端に目の色を変える。あれはどうにも危険だ」
腕組みをやめ、プロキオンはリゲルを見て言う。
「奴には行方不明のまま死体が発見された、という事で処理しておきたいのだ」
「…面白そうじゃないか、やるよそれ」
即答に近い速さでリゲルはそう返事をした。意外そうな顔でプロキオンはリゲルを見る。
それに構わず、リゲルは言った。
「でもさ、それをボクにやらせるって事は、『表向きの顔』がバレちゃってもいいという事だよね?」
「…ああ、好きにしろ」
プロキオンの答えに満足そうにリゲルは頷くと、部屋のドアまで歩いていく。
そしてドアを開けると振り返り、言った。
「ただし、ボクなりの方法でやらせてもらうからね。後で文句言っても知らないよ?」
「お前のやり方は昔から知ってる。文句を言った所でどうせお前は聞きはしないだろう」
リゲルは微笑むと、部屋から出て行った。
廊下に、プロキオンの秘書であるググが立っていた。
スーツに軍帽を被った、褐色の肌に緑色の短髪の女性。
右手にノートとペンを持っている。
彼女は部屋を歩き去ろうとするリゲルの背中を横目で見つめると、言った。
「何故受けたのです?」
リゲルは歩みを止めると、言う。
「面白そうだからさ。現代の粛清官の実力がどういうものか、知りたくなってね」
そして振り返り、ググに向かって微笑みかけた。
「ま、ちょっと予定が延びただけだよ」
ググは目を瞑ると、言った。
「了解しました」
部屋をノックする音で、クロウは目覚めた。
室内は薄暗い。時計を見ると、午後7時を回った頃だった。
意識が途絶える直前に見た大鷲は、未だに部屋の隅でクロウを見ている。窓も開けていなかったのでいなくなる筈も無いかと、クロウはぼんやり思考した。
「おーいクロウ、留守かー?電気点いてるんだけどなぁ…」
ドアの方から隣人のトム・クレイブの声が聞こえた。
その声でやっと意識がはっきりしたクロウはドアを開けようとして、今の自分の格好が客を出迎えるのに適していない事に気づいた。
「ちょっと待ってくれ」
ドアの方へそう呼びかけると、クロウはアーマーを脱ごうとした。
『正直、これについてだけは、お前に失望してるぞミラージュ』
「っ!!?」
不意に頭の中に甦った記憶に、クロウの手が止まる。
『監視者はお前のすぐ近くにいるというのに、お前は全く気づかないんだからな』
シリウス―ロックマン・ロードがクロウに向かって言い放った言葉。
何故今、その言葉が頭に浮かんだのか、クロウには分からなかった。
これまでの記憶が、彼の頭に高速で流れる。
記憶と共に、1時間でも睡眠で休息を取ったからか、頭の回転も速くなる。
ノアのいる島。そこを2体の古き神々が強襲した時。
タイミングから考えて、ノアの推測していた通り、クロウとゼゼが後をつけられていたと考えるのが自然だった。
そして、このアパートを出発する直前、ゼゼとクロウはトムと会っていた。
テスタメントがクロウを試そうと、ロックマン・ミストに狙撃を行わせた時。
クロウのいたアパートの屋上に、トムは入ってきた。
その後、ディエスの居場所が古き神々に知れる事となった。
どちらの事象も、トムが監視者だと考えれば辻褄が合う。
クロウは目を細め、アーマーを脱ごうとする手を止めると、逆に着直した。
洗面所へ行き、雑巾を濡らしてアーマーに付いた血の跡を拭う。
そして武器を全て装備すると、ドアを開けた。
トムが待ちくたびれたと言わんばかりの顔を出す。
「よう。あれ、アーマー姿?今頃ディグアウト行くのか?」
「…お前に話す必要があるのか?」
酷く冷え切った声に、トムは戸惑った様だった。
「い、いやさ、この前クレアのストーカー退治するの手伝ってくれたろ?そのお礼に一緒に夕食でもどうかって」
「……」
返事をしないクロウに恐れを感じたのか、トムは弁解じみた説明を連ねていく。
「クレアが提案したんだ。ほら、台風来てるだろ?彼女怖がっててさ、さっきバイトの上がりだったんで、そのまま俺と一緒にこっちに来たんだよ。今は俺の部屋の台所で料理の真っ最中で…」
ここまでトムの一挙手一投足を隈無く見据えたクロウは、冷静に思考した。
特に怪しいそぶりは無い。だが監視者がいるとすればこのトムが一番可能性が高く、シリウスの言によれば監視者の存在は確定している。
クロウは静かに言った。
「トム、少し話がある。一緒に屋上まで来い」
「屋上?でも外は台風だぜ?」
「すぐに済む。だがここでは話せない」
それだけ言って黙るクロウ。トムは仕方ないといった表情で、答えた。
「分かったよ。傘取ってくる」
それを聞くと、クロウは部屋から出た。
「二人ともどこ行くの?」
傘を取って部屋を出たトムに続いて、一人の女性がドアから顔を出した。
赤みがかった茶色の短髪に、ほんわかした雰囲気を持つ20代前半位の女性―クレアである。
「ああ、ちょっと用事で屋上に。すぐ戻ってくる」
何でもないという風で、トムはクレアに返事した。
クロウも、クレアに無言で頷く。そうしながらも、彼の頭は冷静に思考していた。
トムが監視者だとすれば、クレアも同様である可能性が高い。しかし逆に、トムが自分を信用させるために何も知らないデコイの女性を使っているという場合もあり得る。
結論が出なかったので、クロウはひとまずクレアについては保留する事にした。
相変わらず錆びつき、開けにくいドア。
力尽くでこじ開けたクロウは、トムを先に行かせると自分もドアをくぐり、再び力尽くで閉じた。
外は強い雨と風が吹いており、何とか傘を開き、一瞬飛ばされそうになりながらも頭上に保っているトムをクロウは眺めた。
「で、話って何だ?」
トムは暢気な声でクロウに問う。クロウは、雨音にかき消されない程度の声で言った。
「何週間か前、緑色の髪と褐色の肌の女が俺を訪ねて来たのを覚えているか」
「ああ、あの時は魂消たなぁ。あれはディグアウターズギルドの関係者か?」
トムの質問を一切受け付けず、クロウは鋭く彼を睨む。
「あの女が俺を訪ねてきた事、誰かに話したか?」
クロウの睨みに一瞬顔が強張ったトムだったが、戸惑いながらも答えた。
「え?いや、話してないな。何かあの時のお前いつになく緊張してる風だったし」
「確かか」
間髪入れず再度問うクロウに、トムは無言で頷く。
「じゃあ次の質問だ。お前、数日前にこの屋上に来ただろう」
「え?」
「何の為にここへ入ろうとした」
口を挟む隙も与えまいとする、有無を言わせぬクロウの言葉。トムは、今度は本当に狼狽している様だった。
「ちょっと待ってくれ!それってあれだろ?2、3日前の話だろ?聞きたいのはこっちの方だ」
続けて、トムは早口に喋り始めた。雨音は次第に強くなっていく。
「俺はたまたま近所のコンビニに行こうと思って部屋を出たところだったんだよ。その時、何か焦った様子で階段を上るお前の姿が見えたんだ。
で、俺なんか気になってさ。お前の後を追いかけてみたんだよ。狭いアパートだし、階段を登る音が反響してたんで、お前が屋上まで昇って行ったのはすぐ分かった。
俺その時までここの屋上行った事無かったからさ、不動産の契約書にも入るなって書かれてたし。で、誰にもばれない様にゆっくり階段上ってったんだ。
屋上に着いたらドアが錆びついてて。凄ぇ開けにくかったし、やっとの思いでドアを開けてみると、屋上には誰もいないじゃんか。
俺は一瞬何かの不思議体験でもしたのかと思ったよ。あの時、お前は屋上からどこに消えたんだ?」
「……」
トムの説明を冷静に聞いていたクロウは、特に矛盾は存在しないと判断せざるを得なかった。
「(どういう事だ…こいつは監視者じゃない?いや、しかし…)」
脳裏に、ディエスの亡骸が浮かび上がる。
自分のやり方が生温かったせいでシリウスは自分とディエスを殺したのだ。
そしてそれは、シリウスが暗にクロウに訴え続けていた事でもあったのかもしれない。
不意にそういう考えが、クロウの頭に浮かんでくる。
たった1時間の休息では、クロウの頭は整理し切れていなかったのかもしれない。
だがそれでも、激しい焦燥に駆られたクロウに、もはや休息という選択肢は存在していなかった。
「うっ…!!?」
気が付けばクロウは、自分がトムの首を片手で締め上げているのに気が付いた。
途端にトムの持っていた傘が放され、風に飛ばされてどこかへと飛んで行く。
「(ここまで来たら、もう止まれない…いや、俺のせいでディエスは死んだ。俺にはもう、帰る場所を気にする資格など…!)」
クロウは行動を止めず、左手でトムの首を絞めたまま右手で片手用の刀を抜くと、トムの眼前に突きつけた。
「言え!!お前は、古き神々のスパイなんだろう!?俺を…監視していたんだろう!!」
声を出させるため、ほんの少しだけ緩められたクロウの手。その手首を両手で掴んでいたトムは、涙を浮かべた目でクロウを見た。
「い、一体…どうしちまったんだよ、クロウ…」
トムの眼。その眼に、嘘をついている気配など見当たらない。
ここまでされて、トムは遂に正体を現さなかった。
つまり、トムに正体などは存在せず、従って監視者は彼ではなかったという事だ。
「(違ったのか…)」
その顔に感情を浮かべず、クロウはトムの様子を見たまま抜いた刀を鞘に納める。
ようやく手を離すと、トムは咳き込みながらその場にへたり込んだ。
「ゲホッ!ゴホッ!!」
その様子を見つめ、罪悪感に駆られたクロウはトムに謝罪の言葉を述べようとした。
その時、彼の背後から声が聞こえた。
「その推理、いい線行ってる」
驚愕と共に、全身に悪寒が走る。
即座に振り向くと、一人の人物が立っていた。
「けれど、大外れ…ですよ」
郵便屋のヨハン・ニコラスが、そこに立っていた。
笑顔で。
最終更新:2012年01月22日 00:03