其の零 「仮象礼賛」
天地の詞をとなえよ
魂 偽りに欺かれ
命 虚ろなるときこそ
祈り給え 在らざるものに
されば 大いなる無は遣わさん
天を支え 地に屹立し 星を耀かすもの
虚ろは充たされ 偽りはまことに
彼のもの 三位式機
名付けられし神の三位
時は20XX年。
人類は「回転するブラックホールの中にはあらゆる並行世界への架け橋が開ける」
という、アインシュタイン-ローゼン・ブリッジの理論を検証するに至った。
人工ブラックホールを生成し、平行世界と何らかの形でエネルギーのやり取りが
出来ないか――その研究は技術力で一歩先んじる日本で行われ、いつしか国際的な
平行世界開発プロジェクトの中核となっていた。
並行世界。可能性の数だけ存在する、無限の「ここではない何処か」。
もしそうした別の宇宙から物質やエネルギーを取り出せれば、人類文明には
有史以来最大の激変が起こるだろう。物質的欠乏に永遠の別れを告げること。それは
そのまま人類にとって、永遠の夢でもあった。
すでにブラックホールの生成は、超弦理論の発展によって難しいことではなかった。
重力子の遮断によって安全対策も万全のはずで、名に反して光り輝くブラックホールは、
まさに別世界から希望の光を届けてくれるものと、誰もが信じていたのだ。
技術的な制約が無いため、実験にこぎ付けるまでも早い。幾度となく超重力による
時空の穴が作り出された。無限なる世界への道はやがて人類にもその門扉を開くであろう。
夢のような未来。
だが、幾度目かの実験――それまでよりもシュバルツシルト半径の大きなゲートを
開く試みに際して、扉の向こう側の世界から“彼ら”は来た。
輝く球体の中から頭を出したのは、巨大な人型のモノ。
畏怖に凍結する技術者たちを前に、それは異次元の破壊を開始する。巨大な腕が人間を
虫けらのように叩きつぶし、爛々と輝く赤い単眼からは黒い光が火線となって伸びた。
浴びれば分厚い鉄の扉でさえ、苦悶に身を捩ったかのようにねじれた黒い塊を残滓と
するのみの、破滅的な熱量を持った砲撃だ。
悪夢のような現実。
物理法則に縛られぬ魔的な力を前に、研究所の警備システムなど、塵ほどの役にも
立たなかった。瞬く間にゲートからは続々と、巨大な人型が現れる。
巨兵の軍団はそのまま数を増やし続けながら、日本全土へ。
やがては、世界へと散っていった。
巨兵は珪素質の体躯を持つらしく、また高度な知能によって破壊を行っているようだった。
また表面をいくら破壊しても、足元の土くれから材料を補給し再生する。唯一の破壊手段は
身体の中央に埋め込まれた人型の紙を破壊することだったが、戦車以上の機動力と攻撃機
以上の防御力を兼備するそれらはなかなか完全破壊を許さず。
不可思議な破壊能力も相まって、人類が誇るハイテク兵器の数々はあらゆる戦場で
劣勢に立たされていたのである。
敵が無限に湧き出てくるゲート。その向こう、平行世界に敵の本拠地はある。
これを破壊なり制圧なりできなければ、人類の勝利は絶無。そこで、自衛隊の後継組織に
当たるJSDFが精兵を選りすぐり、平行世界への突入チームを組むこととなった。
老兵・藤原隆道はそのリーダーを務める退役軍人である。かつてエネルギー資源をめぐる
戦争で日本を勝利に導き、英雄と称された将官。
彼の指揮と綿密な作戦に従い、部隊はゲートへの接近に成功する。
だが、寸前で敵に気付かれてしまう。苛烈にして無慈悲な攻撃が彼らを襲った。それでも
撤退は許されない――次の機会は、おそらくやって来ないのだ。
仲間の半数を失いながらも、隆道を含む残りの半分はゲートを突破し、遂にその向こうの
世界へ踏み込むことに成功した。
そして、そこは誰も想像し得なかった光景が広がっていた。
「平等院鳳凰堂――」
目の前の豪奢な建造物を始めとした、特徴ある建築様式。
碁盤の目のように南北を走る道路。
そこは、千年の過去の時が流れる地――平安京であった。
「ふむ。やはり高天原はよも土忌<ツチイミ>の暴挙を捨て置くまじ、か。理に適うておる」
彼らの後ろに突如として現れたのは、一見して年端も行かぬ少年。
すました顔に浮かぶは皮肉るような笑み。
「おぬしら、ここではない何処かから来たのであろう。『土蜘蛛』を見たか?」
「つち――何と? そもそも、君は何者だ?」
「陰陽寮の決まりごとゆえ、悪いが真名<まことな>は明かせん。
我のことは『ヒオムシ』と呼んでくれ。
『土蜘蛛』は、土や石で形作られた鬼だ。邪なる陰陽の術によって呪符を
身の奥に埋め込まれ、かりそめの命を吹き込まれる。そこに死者の魂を縛り付けて、
破壊だけを望む哀れな土人形が出来あがる――して、見たのか? 見ていないのか?」
藤原が「見た」とだけ答えると、それで少年は満足したようだった。
「ではやはり、彼奴らを滅せんがため此方へ来たのだな。わが師はおぬしらの訪れも
その由も予期なされていた。師のもとへ案内しよう」
「そうは言うが、君も君の師も信を置くに足るか否かまだ決めかねる。君の師は何者だ?」
薄い唇を弓なりに曲げて、少年が微笑う――誇らしげに。
「わが師は都で最も信の置ける人なるぞ? ――訊かれたらばかくように言えと、言付けされておる。
師の名は『安倍清明』、天下無双の大陰陽師なり――」
最終更新:2010年02月11日 21:45