陰陽式機伝 イメージ・アンド・ワード 其の六(4)「時よ留まれ 汝はいかにも美しい」
「ミラクルにラディカル、シニカルでマジカル!
魔法少女 ミラクル☆ヤコ、ただいま推参! 悪い奴らは殲滅だーっ!」
――やっぱり馬鹿だコレ。あたしは何をやってるんだろう……。
戦いの前にはいつも思っていることである。
変態のような格好で、こっ恥ずかしい口上とともにビルの屋上から飛ぶ。
風の魔法が発動し、少女の身体は軽やかに空へ舞い上がった。
ヤコは女子中学生。
そして、ふざけた名前や見た目とは裏腹に、人類の英雄。
何年か前までは普通にただの生徒として暮らしていたのだが、いかにも
ゆるキャラといった風情の、よくわからない、もこもこした丸い生物に
目を付けられたのが運の尽きだった。
『君には魔法の才能があるでひゅ。正義の魔法少女として悪と戦うでひゅ!』
などと、謎の語尾付きで勝手に決定され、有無を言わさず
“魔法少女 ミラクル☆ヤコ”にされてしまったのだ。巷では一部の者が
“ミヤコたん”なる略称で彼女を呼んでいるらしい。もはや別人ではないか。
とにかく、それからは悪の魔法使いやら、超能力者やら、陰陽師やら、
地底人やら異星人やらテロリストやらマッドs(以下略)と戦う日々。
どれも原理こそ違うが、侵略者はなぜか決まって「巨大なロボットを操り」
「まず日本に」攻撃を掛けてくるのである。お約束でもあるのだろうか――と、
少女は戦ってきた数々の敵たちをまとめてメタ化してみた。不毛な思考だ。
天を翔ける魔法少女の勇姿に、地上の群衆から歓声が上がった。
「おぉ、我らが希望ミヤコたんが来てくれたぞ!」
「きた! メインヒロインきた! これで勝つる!」
応じるヤコの目つきは、睨むように険しい。
「うっさい民間人! 正義の味方だからってあたしが博愛主義者だと思ったら
大間違いなんだから! 戦闘中にうっかり誤爆して消し炭にすっぞ!」
彼女が怒っているのは、恥ずかしさの裏返しに過ぎない。
魔法少女としてのヤコは、無駄に装飾が多いくせに何故か露出は高いという、
女としては一言も二言も物申したくなるデザインの衣装(例のゆるキャラ曰く
“戦闘法衣<コンバット・カノーニカル>”と言うらしいが、どうでもいい)を
身に纏っている。身体能力を強化し、敵の攻撃からは身を守ってくれる代物だが、
それを着て人前に出るだけでも顔から火が出そうなのだ。まして彼女は
飛び回って戦わねばならない――下から見上げれば、スカートの中も見えよう。
(あの丸い生物に言わせれば『ぱんつじゃないから恥ずかしくないでひゅ』
ということになってしまうのだが、様々な点で果てしなくズレている)
もちろん巨大ロボット相手にこれだけでは戦えない。戦うには武器が要る。
使うのは、こちらも巨大ロボットだ。
「あたしのカワイイ魔導兵器たち! 呼ばれて飛び出て殺っちゃって――
召喚術式起動、戦闘魔操人形<マリオネット・アームズ> 解放!」
虚空に光のリングが描かれ、異次元へと繋がる門が開く。
拘束結界による封印を解かれ、呼び出されたのは三つの機体。
受ける印象こそ武装の差から異なるものの、いずれも純白の鎧と
緋色のスカートアーマーがコントラストを成す、女性的なシルエットを持つ。
破壊と断罪。地獄の巫女“メディウム・インフェルノ”。
守護と浄罪。煉獄の巫女“メディウム・パーガトリオ”。
再生と救済。天国の巫女“メディウム・パラディーゾ”。
ヤコのマリオネット・アームズ、三機のメディウム。彼女は指先から
伸びる魔力線『存在せざる操糸<イリューシヴ・ストリングス>』によって
これらを三体同時に操り、敵のロボットと戦うのである。
もっとも、マリオネットの性質上、ヤコ本人は外部から操作を行わねば
ならない。それゆえ戦闘時には、人形使い本人が狙われる危険も大きい。
どうせなら、搭乗式にしてくれればよかったものを――と思うのも毎度のこと。
例の淫獣(妙な語尾の丸い生物のこと)によれば、機体が無人だからこそ
有人機には不可能な機動・攻撃を行うことができ、かつ操縦者を外部に
置くことで広く戦場を見渡せる優位性がある……とのことだ。要するに、
人形使いの安全性を考慮しないことで戦闘力を高めている。そのせいで
敵の直接攻撃を受けて危機に陥るのも毎度だった。触手で拘束されて、公衆の
面前で[にょろにょろ]されたことも一度ならず(気合いと機転で脱出したが)。
そんな戦いをくぐり抜けてきた彼女は、いまや一流の人形使いである。
「結局、敵の素性はわかんないままか。それにしても……大きい!」
今回の敵は例を見ない大型機だ。太い骨組だけの、開いた傘のような
形状をしている。上空から人間たちを睥睨する、巨大な破壊兵器。
その全身に、無数の『眼』が現れた。光を跳ね返さない暗黒の瞳。
それらがエネルギーの奔流を吐き出し、折れ曲がった火線が地上に降りそそぐ。
「あたしを狙ってこない!? 無差別攻撃ってわけね、防ぎ切ってやる。
パーガトリオ、防御術式『七つの大罪<セブンデッドリーシンズ>』!」
翼を模した七基の魔力中継ユニットが、メディウム・パーガトリオの腰部から
飛び立ち、街全体を覆うように大きな円を描いて回転する。
七色の光が次第に溶け合い、広大な範囲をカバーする防御壁が展開された。
そこに、曲射エネルギー砲が殺到する。織り上げた力場がきしむのを
感じながら、ヤコは敵の火力に臆することなく、操糸に次手の思念を送り込んだ。
「やれやれ、こりゃ短期決戦だな……っと。
インフェルノ、振動魔砲『シャハトの極光』展開。チャージ、最大出力!
続けて霊凍魔剣『コキュートスの氷花』転送、撃って斬り込むよ!」
メディウム・インフェルノが構えた長大な砲身から、恐るべき熱量を秘めた
青白い光が迸った。振動魔砲――照射対象の分子を激しく揺さぶることで
高熱と共に敵の分子構造そのものを破壊する、科学と魔術の混血児。
直撃を受けた敵機は、その巨躯に見合う頑丈さを見せた。『シャハトの極光』が
最大出力で吐き出すのは、耐熱性に優れるスペースシャトルですら、当たらずとも
その余波だけで蒸発する振動砲撃。それを小揺るぎもせずに受け切ったのである。
「ミヤコたんの砲撃が効いてない!?」
「なんという装甲……赤熱化しただけで、あれを凌ぐとは!」
少女の戦いを幾度となく見守ってきた人々は、振動魔砲『シャハトの極光』の
凄まじい威力を知っている。初めて使用したときなど、悪の魔導師が自らの
魔導兵器に起こさせた人工台風を、中心にいた敵機もろとも消滅せしめたのだ。
それが防がれた。彼女に頼るしかない者たちの動揺は大きい。
しかし、ヤコは必殺の一撃をも布石として用いていた。
「装甲表面に魔法障壁……けどね、弱点は知ってるよ!」
魔法障壁。敵からの攻撃に対し、逆位相のエネルギーを発生させることで
それを打ち消す防御機構。パーガトリオが街への攻撃を防いだのも、この一種だ。
敵はいま『極光』の高熱を相殺するための魔力回路を形成し、
それに応じた障壁が敵機の装甲を覆っている。
だが、熱に耐えるための障壁と、低温に耐えるための障壁は同時展開できない。
両者の術式はまったく正反対の性質を持ち、無理に合わせれば破綻するからだ。
そこを見越して、インフェルノは極低温の刃『コキュートスの氷花』を
障壁の術式が切り替わる前に叩き込んだのである。
狙うはあの巨躯を動かす核の一点。
「凍り付け――そんでもって、砕けろ!」
蒼く透き通る細身の両刃剣が、赤熱した装甲に何の抵抗もなく突き刺さる。
ここでようやく耐熱障壁が解除されるも、遅きに失するというもの。
吹き荒れる冷気は永劫の厳冬。
分子運動さえ止まる極寒、地獄の氷河が総てを凍らせる。
急激に冷却された装甲は柔軟性を失い、『氷花』を引き抜いたインフェルノが
駄目押しの蹴りを入れると、砕片となって崩れ去った。
露出する心臓部。
機体の視覚を介してそれを目の当たりにしたとき、ヤコの魂が震えた。
「あ――――」
暗い。一切の光を跳ね返さぬ瞳。
昏い。覗き込んでいるはずの自分が映らぬほどに。
冥い。子供の――否、人の目ではない……。
巨大な傘の中枢には、鏡像のごとくヤコと似た少女がいた。
「あたしだ……」
生きとし生けるものを憎んだ。世界のすべてを呪った。
死んでしまえ、壊れてしまえと――
衝動の赴くままに、殺戮と破壊を撒き散らした。
「全部、あたしがやってきたことだ!」
絶望の記憶。生贄として飼われ、地の底へ投げ落とされ、フカキカミに
肉体も精神も貪られ続けた年月。魂の奥底にあったものが呼び起こされる。
その少女は無数のケーブルを身体に繋がれ、魔力を絞り出されている。
おそらく、彼女はヤコを基にして作られた存在だ。これまでの戦いで
取り逃がした魔導師か、科学者か――とかく、誰かがヤコの影なる部分
だけを抽出し、「目には目を」の発想でぶつけてきたものだろう。
聞き慣れたようで不快な違和感を伴う声が、影の口から流れ出る。
「トイフェル――曲射エネルギー砲『呪いの龍<フルーフドラッヘ>』、
生体追尾弾『死の焔<トーデスフラメ>』、全門展開」
虚ろな目が細められ、ヤコの似姿が嗤った。
「死ねばいいよ」
「……!」
無垢なる邪悪が牙をむく。
自失の一瞬に、再展開された障壁がインフェルノを弾き飛ばした。
直後、空を埋め尽くして魔黒の群龍が奔る。
矛先は地上、そしてヤコとその繰る人形。絶対防御を誇るパーガトリオも、
市街全域をカバーする障壁を展開しながらでは、繰り手や兄弟機に満足な
護りを与えることはできない。いまからでは自ら障壁の下に回る暇もない。
それでもヤコは、地上の人々を守る道を選んだ。
連続する爆発がひと繋がりの轟音となって、地上で逃げゆく人々の
鼓膜を叩く。十秒、三十秒、一分。空の一点に焔の花は咲き続ける。尽きせぬ
殺意を種に、ヤコの命を養分に、彼女を死に至らしめんと美しく禍々しく。
「そんな……私たちのために、自らの守りを疎かに!?」
「おねえちゃんが死んじゃうよ!」
「だが、我々への攻撃を阻むシールドは健在だ……あの子は耐えている!」
人々は思い返す。
数知れぬ侵略の危機を、たった一人の少女に救われてきた事実。
初めは彼女の姿を笑う者もいた。マッチポンプを疑う声も上がった。
だが、どんなに口や態度は悪くとも、ヤコは決して逃げなかった。
押し付けられた義務を全うすべく、いつだって命を懸けて戦ってきた。
名も知らぬ人々のために、孤独な英雄の運命を受け入れてきたのだ。
その強さの源を、守られ続けた者たちは知らない。
されど――人々は祈る。
自分たちの安全よりも、彼らの小さな英雄のために、その無事を。
「……リアルタイムで再生と破壊を繰り返すって、こんなにキツいんだね」
もう遠い昔のような気がするヨーロッパ上空の戦いで、隆道の心を折ろうと
仕掛けた攻撃を思い出す。いまはヤコ自身が、メディウム・パラディーゾの
治癒能力で命を繋いでいる状態だ。
密集させた三機のガードをすり抜けてくるエネルギー弾が、戦闘法衣を
貫いて、体のあちこちを抉り飛ばす。すぐにパラディーゾが治癒の力で
傷を消し去り、また新たな爆発が意識をも吹き飛ばさんと衝撃波の輪を広げる。
その繰り返しはかつてフカキカミに与えられた、終わりの見えない苦痛に似ている。
逃げ惑う人々に向けて放たれる『死の焔』を、受け止める力場も
彼女に大きな負担を強いていた。あの機体――トイフェルの力は、
ヤコがソラガセで放ったのと同質の砲撃である。こんなにも重く、強く、
そして無意味な破壊を、自分は隆道や多くの人々に振り撒いていたのか。
わが身に受けてみて実感する罪。否、自分は実際に無数の命を奪った分だけ、
己の影に過ぎないあの少女よりも大きな咎を負っている。
――あんたは希望を知らない。前のあたしそのものだから。
このままでは、こちらが先に魔力切れで敗死する。純粋な憎悪が生み出す
負の魔力は、核となる意思が失われるまで尽きることがない。
身をもって知っていることだ――これも自分の経験ゆえに。
同じモノ。
同じ記憶。
「違う……」
暖かい力が、足元から湧きあがってくる。この力はなんだ。
「が……がんばれ」
「負けるな!」 「勝って!」
声だ。ヤコの勝利を、無事を、帰還を願う声。
人々の祈りを乗せた言霊。
言葉なき想いは伝わらない。想いなき言葉はただ空虚。
なれど想いは言葉に、さすれば言葉は力に――イメージ、アンド、ワード。
魔法という心のエネルギーで戦う少女に、その言葉は力を持って届く。
「俺たちはミヤコたんの勝利を信じている!」 「ごめんね、守って……」
「がんばれ!」 「ヤコちゃん、頑張れ!」
「神よ、どうかあの子を……!」 「生きて、戻って!」
違うモノ。
違う記憶。
憎悪だけで戦う者は独りだ。ヤコの影も、紅蓮も、かつてのヤコ自身も。
この暖かい力は、傘の中の暗がりに自分を縛り付けている限りは得られない。
三機のメディウムが、仄かに光り始めた。
ヤコは己の似姿を睨み、心身の痛みに涙を零しながら糸を繰る。
「しって、るんだ」
――あんたと同じものを知っている。
――絶望のつらさを知っている。
「……知ってるんだ」
――だけど、あんたの知らないものを知っている。
――希望の尊さを知っている。
「知ってるんだ……!」
自らを支える人々の声、その暖かな光に涙を流しながら糸を繰る。
いまならわかる。自分がたった一人で世界を守る、魔法少女の力を
与えられた理由。それはきっと、誰よりも絶望と希望を知っているから。
人の強さも弱さも、美しさも醜さも、幸も不幸も受け入れて、それでも
心の底から『みんな』を守りたいと思える。
彼女の目に輝いて見えるそれらは、一つの世界でたくさん消してしまった
命の灯。いくつもの世界で生きた今は、その一つ一つが価値あるものだと
知っている。灯を消させたくないと思える。
生あることは喜ばしきかな。
その強さを持った魂だから、こんな運命も受け入れられた。
「いるかい、淫獣」
少女の傍らに、例の丸い生物が「ぽん」と現れる。
「そんな名前で呼ぶなでひゅ。……アレを使うんでひゅね」
「当たりぃ。封印、二十二番まで解除したからさ。最終封印の解放よろしく」
「……賭けでひゅよ。魔力の絶対量が足りなければ、ただの自殺でひゅ」
「いまのあたしは大丈夫。だから、ね?」
頷き、丸い生物は自らを鍵にトランスフォームさせた。
メディウムに施された魔力供給回路のリミッターは、人形使いだけでなく、
その目付役となる魔法生物の承認があって初めて解除できる。
本来は、繰り手が人形に魔力を吸い尽くされぬように、糸を通じた
人形への魔力供給を制限する機構だ。
その術式を停止させれば、一時的に限界量以上の魔力を注ぎ込んで、
スペック以上の能力を引き出すブースト機能として使うこともできる。
しかし一歩間違えれば、術者の命さえ落としかねない――ゆえに、禁じ手。
銀色の鍵がヤコの胸に溶け込み、最後のリミッターが解除された。
少女の指先から魔力が流れ込み、虹色の光がメディウムを覆う。
殺到する砲撃は悉く弾かれ、影が動揺を見せた。
ヤコの命が吸われていくことは――なかった。
暖かな力が彼女を支える限り、その魔力もまた無限なのだから。
人々の意思が、小さな英雄の勝利を望むのなら、それは現実になる。
魔法とは、そういう力である。
「究極合体魔法、『神聖喜劇<ディヴィーナ・コメディア>』発動!
――さぁ、あんたに“光”を見せてやる!」
光の三重螺旋が、吹き荒れる闇の嵐を縦貫する。
突如として肉薄する少女と三機の人形に、トイフェルの全火力が集中した。
だが、オーロラのように波打つ燐光が、押し寄せる殺意を包み込むがごとく
穏やかに消し去っていく。逆にそのエネルギーは分解され、浄化され、
再構築されてヤコの力となった。
一人の人間ではおよそ賄いきれない、莫大な魔力があって初めて発動できる
神級超絶魔法『神聖喜劇』――地獄の氷河があらゆる敵意を凍てつかせ、
煉獄の焔があらゆる悪意を浄罪し、天上の白い薔薇が純化された力を駆動する。
悲劇の運命をも強引にハッピーエンドへ導く、機械仕掛けの神が顕現する。
トイフェルに取りついた三機のメディウムが、両の掌をかざす。それだけで、
怨念によって動いていた巨大な破壊兵器は崩壊し始めた。地上へ落下してゆく
その破片すらエネルギーへと分解され、天を渡る光の波に変じて。
虹色の光を纏って、少女が傘の中枢へ飛び込む。
ヤコの魂から暗部だけをコピーして作られた影は、その存在ごと
分解されつつあった。苦痛はなく、拒絶する必要もない。
苦しみしか知らぬのなら、消滅は救済――。
「ばか、あんたはまだ救いようがあるんだ。あたしと違って」
溶けてゆく姿を引き留めるように、ヤコが己の魂の断片をかき抱いた。
何が起きたか理解できていない影の、昏い瞳を覗き込む。
「いいんだよ。帰ってこい、あたしの心の影……」
――もう大丈夫。あんたを受け止めても、人の形をなくしたりしない。
ふたつの輪郭が次第に重なり合う。
影が最後に見たのは、自分とよく似た瞳の中にきらめく銀河の星辰だった。
光に満たされた空から、渦巻く風に乗って少女が舞い降りる。
人々が歓声を爆発させる中、彼女の表情は曇っている。すべてを思い出し、
戦いが終わったいま、残ったのは消すことのできない自分の罪。
否定したのは、打ち負かしたのは、過去の自分自身なのだから。
「あたし、悪いことしてたんだね……」
傍らには隆道の姿があった。もちろん魂だけの彼はヤコにしか見えない。
傍目には独り言のように、『人間』となった少女はいま自らの過ちと向き合う。
「私は君の所業を、『悪』として裁くことはできない。
君を裁けるのは君だけだ。
だから、君が『悪いことをした』と思えるのなら、そうなのだろう」
進んで咎を受けることを選んだ少女は、借りものの身体を離れて魂だけの
姿に戻った。己の影とひとつになって異なる可能性の道を歩む自分自身に
手を振り、自らが守り切った人々に目を向ける。守って、支えられて、
だがどこまでも一方通行同士の想いが、交わることなく互いの断絶を
浮き彫りにする関係。
「英雄は孤独なものだ。よく頑張ったな」
「あ……」
魂だけの隆道がヤコの頭に手を置いたその刹那、遥か記憶の地平に彼女は見た。
紛争の中で戦士として、将としての力を示した隆道が、自ら勝利と
引き換えにしてきた多くの命。その犠牲から国民の目を背けさせるための
『英雄』に仕立て上げられたこと。救国の勇将、不敗の名将などと
呼ばれるたびに、死へ追いやった戦友たちの顔を思い出す、その胸の痛み。
とりわけ、戦死者の遺族から届いた手紙、メール――それを見た隆道の思い。
「私の息子を死なせておいて英雄を気取るのは楽しかろう」
「戦争には勝ちました。ですが、夫が帰らなければ意味がないのです」
「弟があんたの部隊にいた。どうして英雄サマの部下なのに死んだんだろうな?」
「おまえを一生許さない」
「おとうさんの左手だけが帰ってきました。それしか残ってなかったそうです」
「あんたにとっちゃ、使い捨てた人間は数字でしかないんだろうな」
輝ける少女の双眸から、頬を伝ってひとつの星が落ちた。
「これ……隆道の……」
「私は偽物の英雄だった。自分が強かったわけではない。だが君は、
この世界で確かに英雄と呼ばれ得ることをしたのだ」
誇っていい、と彼は言った。これも、自身の経験に裏打ちされた言葉だ。
――だが、それで償いが為されたわけではない。
「くやしいなぁ、せっかく生きてることを嬉しいって思えるようになったのに」
見回せば、そこはもう魔法少女が守った世界ではなかった。
かつてはただ空虚な闇が広がっていた、ヤコの心象風景。
いまは違う。まず天と地があり、天には星、地には命が溢れていた。
窮まりなく広がる野を覆う、黄金色の花が揺れる。ただ、それは想像を絶して
美しいようでいて、どこか後悔と寂しさを感じさせる光だった。
「あたしはもう生きられないんだものね。たくさんのあたしが生き続けるけれど、
『この』あたしは消えてしまう。人間が死ぬって、本当はそういうこと――」
遥か天地の境界。その彼岸より寄せては返す、光の波。その中に溶けていく
ように、ヤコの魂がおもむろに輪郭を失い始めた。
「……すまない」
「どうして謝るのさ。いずれはもとの世界に戻らないといけないんでしょう。
ソラガセはあたしが消えないと止まらないから、こうするしかなかったんだ」
いつまでもヤコと共に、時間を越えた旅を続けるわけにはいかない。
隆道はホシカゲと自分の肉体を置いてきた世界に戻らねばならず、そうなれば
ヤコも可能性の境界を越えることはできない。
隆道は待っていた。少女の巨大な欠落が満たされ、魂が人の形を取り戻す
その時を。怨嗟の鎧を失ったヤコはもはや不滅の怨霊ではなく、肉体が無くば
なんらかの攻撃を加えるまでもなく消えゆく運命にある、『人間』の魂なのだ。
核となる彼女がいなくなれば、ソラガセも機能を停止する――当然の帰結。
隆道の中の、もっとも怜悧に戦いを分析する部分が弾き出した、
不死なる敵に勝利するひとつの手段だった。そんな自分をまるで悪魔だと
罵りながら、彼はそれ以外の道を選び得なかったのである。
「神の力を持ってしても、人に戻った君が消えるのを止めることはできない。
いや、できたとしても……私はそれをしないだろう。だから、謝るのだ」
隆道の中の、戦士でない部分がそれを言う。
「いいんだよ。もう救ってもらった。それに、本来なら生きるも死ぬも一度きりの
ところを、あたしが人に戻るまで繰り返させてくれた。充分すぎるって」
辿り着いた罰――贖えぬ罪を悔いながら、消えてなくなる。その結末を
受け入れた少女は、もう心象の大地を踏みしめるべき足を失くしていた。
光の粒子が迸り、ヤコの姿がほどけてゆく。
「寂しいけど、魂だけが残って生まれ変わり続けるとか、そういう永遠はさ。
限りあるがゆえの美しさ、みたいなものを否定しちゃうから。
あたしはもう死んじゃったけど、だからこそ今は、せめて人間らしく
『死』を全うしたい……そうも、思うんだよね」
地に落ちて死なぬ麦は一粒のまま。
一瞬の光を繋げていくのが人間だと、それが疑似的な輪廻の中で
ヤコが辿り着いた答えなのだろうか。
「でも、ひとつだけお願いがあるんだ。最後の頼み、つまらないことだけど」
「聞くさ。私も、君に対する罪の意識がある……」
大それたことを言ってくれればいい、と隆道は思った。
三位式機の力で、もとの世界に別の命として生まれ変わらせてくれとか。
最後にもう一つ、徹底的に都合のいい世界で生きさせてくれとか。
たとえ理性で感得した真理に背くとしても、正直に欲望のままに頼んでくれたら。
そうした図々しさがあれば、拒むにせよ容れるにせよ気が楽であったのに。
だが、彼女の最期の願いは。
「あたしのことを……他のどんな世界のヤコでもなくて、今ここで消えていく
このあたしのことを……忘れないでほしいんだ」
隆道は少女から顔を背けた。肉体がないのに、この熱の感覚はなんだ。
眼球が燃え出しそうな、この熱さは。
――ああ、神よ……キリストでも仏でも、三位式機を作った奴でもいい。
「他のヤコは、死んでもその世界の誰かが覚えていてくれる。
けど、生贄の巫女だったあたしはきっと、もとの世界でも死ぬ前に
忘れられちゃったと思うから――」
清々しく、笑って、たったそれだけのことを言うのか。
――誰でもいい。なんなら悪魔でもいい。『俺の』願いを叶えてくれ。
それは、俺にはどうしても出来ないことだから。
この子を消し去るためにホシカゲの力を使った、あんなお為ごかしの、
偽善に満ちた、虚妄の救済などではなく。
「毎日あたしを思い出して祈ってくれ、とは言わないよ。
記憶の片隅に置いてくれればいいんだ……赦してくれとも言わない」
――この小さな、罪深き聖者に、本物の救済を……!
「……わかった。私が君を覚えていてやる。悼んでやることはできないが」
自分が何を言っているのかわからなかった。口と心が乖離したような感覚。
なぜ『悼んでやることはできない』などと言っているのだろう?
「やさしいんだね、隆道」
――やめろ、違う。そんなことを言いたかったんじゃない。
こんなときでも分別ある大人のふりをする、老いて風化した自分に愕然となる。
いまこそ生の感情を言葉にすべき時だと感じるのに、『常識』が、『正義』が、
ことごとく彼の内なる熱を抑え込んでしまう。
本当は、またホシカゲの力を使えば彼女の消滅を防げるのではないか。
そうささやく声に、別の自分が言う――それはエゴだ。人は死ねば
無に還るが道理。境遇はどうあれヤコの罪は消えぬ。神になったつもりか。云々。
結局、このまま逝かせてやるのが「正しい」と自分を納得させる。そうして
指一本も動かせぬまま、いつしか少女の姿はほとんど透明になっていた。
「明日とか、未来とか、とっくに失ったものが愛おしくてしょうがないや」
叶わない願いだと解っているから、己の存在に別れを告げる言葉として
彼女はそう言うのだ。満ち足りたような表情が、老兵の胸を抉る。
すぐにも失われる刹那を、永遠に焼き付けたいという言葉――
時よ、留まれ。
汝はいかにも美しい。
それは“誰”の祈りであっただろう。
届かないと知りつつ、言葉にされた想いは。
気づけば隆道はホシカゲの操手室におり、目の前に映し出された映像は、
砂となって風に吹き崩れてゆくソラガセの姿だった。
「……俺は……こんなにも弱い人間だったか……!」
握った拳がぶるぶると震える。
わけもわからず叫び出したかった。狂人のようにわめき散らしたかった。
だが、それさえできない自分だから、良識ぶって最後までヤコに冷たかったのだ。
清明に託されたからと、本来生きなかったはずの時間を歩んでいる
ヒオムシには、一分一秒でも長く生きてほしいなどと思っているのに。
そんな男に、散華の瞬間、少女の魂は微笑みと一片の言の葉を残した。
それを思い出したとき、ついに隆道はこみ上げるものを抑え切れなくなった。
――ありがとう。
「――――ッ……!」
世界の摂理が何だというのだ。
そんなもの、いくらでも曲げてしまえばよかった。
正しさなどという自己満足よりも、ヤコが笑顔の中に寂しさを滲ませたままで
逝ってしまわぬよう、矛盾でもご都合主義でも受け入れてやるのだった……。
本当は、隆道とてわかっている。これは理不尽な自責だ。
果たして、三位式機といえど消えゆく魂を消滅から救えたかは
定かでないし、すでに彼女は無数とも言える人生を体験した。
十分に生きたと思えたからこそ、ヤコは「もう救ってもらった」と言ったのだ。
だが、戻らない時を悔いずにはいられない。
「あの子には……そうしてやるだけの理由があったはずだ!」
戦時から変わらない。藤原隆道は軍人として決断し、人間として後悔する。
人々は彼の思いなど知らぬままに、その行動と結果を評価してきた。
この戦いが無事に終結すれば、今度もきっとそうなるだろう。楽観的な
想像のはずだが、それが今の彼にはなにより耐えがたい。
ヒオムシや部下の援護に行かなくては、との思考が入り込む余地はなかった。
もはやそこには救国の英雄も、一軍の将もいない。
ただ、ひっそりと身体を丸めてむせび泣く老人がひとり。
<続く>
最終更新:2010年04月25日 11:35