昔から私は物静かで一人遊びの好きな子供だった。だからといって、特別一人でいることを愛したわけではなく、ただそうしている時間が楽で、人と比べて少しばかり多かっただけのことだ。あまり人と接していなかった私は自然、喜怒哀楽といった感情の振れ幅が狭くなった。感情を表現するのは億劫でもあった。だから殆どの物事を自分の中で自己完結させたし、またそうできなかったものは放っておいて、じきに忘れた。それが最も楽な方法であったし、そうする他無かったのだ。考えれば何かもう少しマシな方法があったのかもしれない。けれどそうしようと思うほど前向きではなかった。
中学二年の時、クラス替え後の初めての席が隣同士だった時任と、知り合い親しくなった。私は彼の第一印象も初めて話した時のこともよく覚えていないのだが、気づけばいつの間にか二人で行動する時間が積み重なっていた。時任は、よく人から素っ気無いと思われる私と、上手い具合に相対する不思議な人間だった。彼は私とは違う静けさを持っていた。それは彼の自己主張の薄さ、穏やかさによるようだった。だからといって自主性がないのではなく、むしろ根底にはっきりとした意志が通った上で寛容に構えているように見えた。その点において彼は完全に異質で、他のクラスメイトたちとは一線を画していた。けれどもその見解は、彼の、私を除いた友人たちのそれとは完全に隔たっているようだった。彼らの見る時任は、気さくで人よりいくらか成績が良くてスポーツの上手い、何の変哲もないクラスメイトだった。いつだったか私がそのことを彼に言うと、
「それはお前が他の、隔たりのあるおれを認識する人間と大きく離れているだけのことだよ」
と回りくどく、当然のことのように言った。確かに私はその時自分がクラスの中で、総合的に少数派に属していると自覚していたためそれ以上その会話を重ねようとしなかった。しかし後で思うにそれは原因の半分くらいのもので、もう半分の大方のところを彼に対する理解度の差が占めていた。つまり私は彼の許容の杓子とその底にいる彼をある程度まで知っていて、他の友人たちは肌で感じることはあってもそれらを知覚できずに終わったという違いなのだ。
学校の、クラスの人間関係は、得てして幾つかのグループに分かれていて、私が一年の時もその例に漏れず全員がいずれかのグループに属していた。私はそんな中例外で、うやむやに一人でいることに慣れていた。だから二年になって時任と一緒に過ごす始めのうちは、教室を移動したり休み時間に話したりしていると、時折ふと我に返って、自分にだけ浮力が働いているような浮ついた感覚を覚えたものだった。時任と自然に話している自分を、遠くから眺めているもう一人の自分が呟く。「どうして彼といるのだろう?」しかしそうした感覚も時を経るにしたがって、ゆっくりとコーラから炭酸が抜けるように消えていった。私の中で、だんだんと一人でいることから二人でいることが当たり前になっていった。
私の幼年時代から続いている一人遊びの一つが絵を描くことで、クレヨン、クレパス、色鉛筆に始まり、おってアクリル絵の具や油絵の具も使うようになった。私には年の離れた兄がいた。その遺物の画材が結構な量彼の部屋に残っていて、それを私は好きなように使った。兄・久嗣は私が十歳の時に死んだ。殺されたのだと誰かが噂していたけれど、それが嘘か真かははっきりと分からない。しかしそれはそう噂されるなりに真実味があったし、私もなんとなくそうなのだろうと結論していた。運動も学問も、芸術も。彼はすべて誰よりも高いところから見下ろすようにこなしたが、人間としては最低で良心が欠落していた。最低と何回言われたか言われるたびに教えてやるような最低な人間だった。彼はそんな自分をよく理解していて、その上でまわりを理解しようとした。さながら実験のように人間関係の糸を興味の赴くままに繋げて結んで切ってその結果に満足する。そして満足したら壊す。幸い私はその実験対象にならずに済んだが、それは私が幼く、親しい人間もつくらず一人でいたからに過ぎない。彼の興味は関係にあって、個人には殆ど無かったのだろう。彼がおそらく唯一誠実に行ったことが絵を描くことだった。私は彼の、絵を描くときの真摯な目をよく覚えている。そこには妥協や誤魔化しや作為がない。
私が何故久嗣のことをある程度理解しているのかというと、それは私が彼の唯一の弟であり、友人だったからだろう。彼は中学・高校を寮に入って過ごしたため、同じ家で過ごしたのは彼が大学に入ってからの四年間だけだ。その四年の間、私と彼は不思議なことによく一緒に過ごした。
「卒業して帰ってくるまで、三回くらいだったか、問題を起こして家に帰ってきたことがあったけどいつも母親が会わせてくれなかったし、会いたいとも思わなかった」
彼が聖書を読みながら唐突に話し出して、私はクリスチャン・ラッセンのジグソーパズルをしながら適当に相槌を打った。
「誰に」「お前」
数回、彼が薄っぺらな頁をめくるカサカサした音がした。
「一回だけ高校の時に遺伝子についての授業中、初めて見てみたいような気になった。一応お前とおれは同じ根っこから生えてる枝みたいなもんだ。つまりおれはお前になった可能性もあった。でもおれがお前になることはないと思ったらすぐにどうでも良くなってそれっきりまた思い出すことも無かった」
私は彼と共に同じ事をしたり関係ない事をしたりして過ごした。周りから見れば十九歳の男と八歳の少年が対等に話しているのは、兄弟であることを差し引いても奇妙に映ったことだっただろう。彼は兄弟というような、先天的な関係にはあまり興味がないようだった。二人でいることは全く協調性を必要としなかったが、奇妙な連帯感を齎した。これが兄弟の絆だろうかとぼんやり考えてみたが、それは彼に言わせてみれば「類は友を呼ぶ」ということらしく、その時は耳慣れない言葉に首をかしげ、自分の中ではやはり兄弟だからだと思っていた。
私は彼がキャンバスに向かう時に絵を描いたことはない。ずっと傍で本を読んだり知恵の輪を弄くったりして、その合間に彼の絵筆をじっ(、、)と見つめていた。絵筆は巧みに動いてキャンバスの上に彼の世界を映し出す。その絵を私は単純に好んでいて、時々彼が昔描いた絵を引っ張り出して眺めたりもした。彼の絵はどれもどこか欠けていたが、欠けているからこそある意味では完成していた。彼が死んだのは春先の、酷い土砂降りの日で、ホームに続く濡れた階段をすべって転落したのだと聞いた。誰かに突き落とされたのかもしれない。しかし結局彼の死は事故死として処理され、彼の死後、私はそれまで主に使っていた鉛筆や水彩絵の具から、あまり使わなかった油絵の世界へ移った。
私が放課後に美術室へ絵を描こうと思って行くと、時任がついてきた。まだ知り合って一ヶ月ほどだっただろうか。学年が上がってごたごたしていた為、一年の時はよく残って絵を描いていたが、それが途絶えていた。彼と知り合うまでは同じ誰かと下校することの無かった私は、初めて一緒に帰るのを拒んだ。酷く自分が場違いなことをしているような気分だった。一方、時任は何でも無いことのようにあっさり「そう」と言ってさりげなく理由を訊いた。残って絵を描くのだと言うと少し意外そうに見た。
「絵ね。おれも見て良いの?お前って長い棒持って高飛びしてる奴だと思ってた」
「生憎、スポーツには興味が無い」
彼が言うには、野球のピッチャーや、陸上の長距離走の選手をやっている方が意外性が少ないらしいのだが、私は運動部というもののもつ性質に全く馴染めないと感じていた。そしてそれを言うと彼も納得した。
美術室にはいつも美術部副部長の金城さんしかいない。あとは奥のアトリエに美術教師の佐原がいるだけだ。部長の峰は完全な幽霊部員だと金城さんは言っていた。旧校舎の美術室へ時任と行くと、受験生になったためか金城さんはいなかった。部員でもないのに勝手知ったる美術室、私は手早くイーゼルを用意し、乾かしていたキャンバスを立て、パレットに絵の具を出して油壷を置いた。全て久嗣のものだ。「使い込んでるな」と時任が言うので、「知り合いのだ」と答えた。兄と答えるには違和感があった。その日は日が暮れるまで描いたのだが、その間中彼は無言で私の作業を見続けていた。私は彼の視線を感じながら、それを肌の回りに張った膜の上辺に留めて絵筆を操った。そうしているとだんだん自分が久嗣に、時任が幼い私に重なって、気づけば私は他人事のように久嗣の筆が描き出す世界を見つめていたのだった。それはとてもおかしな感覚だった。家に帰り、ベッドに入る前に思い出して、私は湿った悲しみのような、怒りに達しない苛立ちを覚えた。久嗣は死んでしまった。私はまた一人残り、時任に出会い、私は絵を描いてそれを時任が見つめる。どうして先天的な関わりも無い彼との間にそんな構図が現れてしまったのだろう。私は彼が美術室についてきたいと言ったのを、何も考えずに了承してしまったことを後悔した。しかしまた彼が、私が絵を描くところを見たいと頼めば断れないことも分かっていた。
苛立ちを抱えながら私は毎日のように時任と美術室へ通った。二学期の終業式前日のことだった。私が穏やかな波のように打ち寄せる陰湿な苛立ちにも慣れた頃、時任が美術部に入った。そして金城さんが部活を辞めた。金城さんは「峰も辞めた」と言っていた。つまり、実質は時任一人だけになってしまって、入ったばかりの彼は始めから部長になった。
「金城さんが、『おれはもう辞めるから、美術部に入らないか』って言いに来たよ。『なんで芹沢じゃなくおれに言うんですか』って訊いたらあの人『あいつは無理だ。もし頼めば、もう絵を描きに来なくなるだろう』って言ってたから、そのまま佐原先生に入部届け出してきた」
彼はそんなふうに昼休みも終わる頃になってから結果だけ言うと、もうその話は一切せずいつものように夕日の赤い理由や煙草の臭いやCDを割ってしまったことや、とにかくくだらないけれど平和なことをひたすら話した。そして気づけば放課後になっていた。私と時任は美術室へは行かずに彼の画材を買いに街へ出た。細かい霧のような冷たい雨が降っていて、折り畳み傘を差す私の、傘を持たない方の二の腕を濡らした。近くの駅まで行くうちに手は冷え切ってしまい、切符を買うために小銭を出すのに手間取った。そうするうちに時任は切符を買い終えて、二枚のうち一枚を私にくれた。
「お前の手が蹲ったウサギみたいにぶるぶる震えてるからだよ」
電車は空いていて、座ってから切符代を渡そうとすると「画材見繕ってもらう代わりだと思え」とやんわり押し戻された。私の焦りの滲んだ目を見ていればもしかしたら彼は受け取ってくれたのかもしれないが、その時の彼は傘を差さなかったせいで濡れた頭をタオルで拭いていた為にこちらを見ることはなかった。私は諦めて小銭を上着のポケットへしまい、久嗣の部屋から拝借した本を出した。しかし電車の音が気になり、文字が頭で空回りして一頁を読むのにとても時間がかかったし、内容も覚えられなかった。
電車が目的の駅に着くと、私はいつのまにか寝ている時任を揺り起こして扉が閉まるギリギリにホームへ降りた。彼はだいぶ暗い空を見上げて「急ごう」と言って先に階段を上り始めた。冬至が近づき、日は短くなっていた。私はその背中を見上げて、そこに久嗣の背中を重ねた。遠くなって行く背中。濡れた階段。これなら簡単に滑り落ちてしまいそうだと思い当たると、私は足が動かなくなった。とてつもなく恐ろしいことを考えた自分がいた。立ちすくんだ私を時任が見下ろす。やめてくれ、久嗣のようにお前も見下ろさないでくれ。彼は私を呼ぶが、返事できないでいると一段一段ゆっくりと降りてきて目の前までやってきた。目の前にいる時任の背は、私より少し高いくらいで、見上げなくとも前を見れば顔を見ることができた。
「お前またどっか行ってただろ。別に考え事するのは勝手だけどな、少しはおれのことにも気づけ」
その声は哀しかったが優しく、温かいもので満ちていた。久嗣のように欠けていない。私はすぐにまた背を向けて階段を上り出した時任の後を、滑らないように気を付けながら追った。上り終え、何とはなしに下を見ると、暗いホームが広がっていた。私はその時初めて久嗣は殺されたのではなく、自分から落ちたのではないだろうかと思った。彼が死んだのは春先で、命日にはいつも線路沿いの桜がホームに花弁を散らしている。人気の無いホームで、踏み荒らされても後から後から降り積もる花弁が白く覆った。きっと闇の中ホームが白く浮き上がっていただろう。飛び降りた久嗣から流れる血が雨水と混じりあって白い花弁を侵食し、赤黒く染める。それはまるで彼の描く世界そのものではないか。想像して立ち止まった私を時任が強い声で呼んだ。そういえば階段の上から振り返って下を覗きこんだのも初めてだと気づいた。
時任と、何度か行ったことのあった画材店へ行き、油絵の画材の簡単なセットを買った。私が
「金城さんから譲ってもらえなかったのか」
と訊くと、
「人から貰ったものはあまり好きじゃないし、それは金城さんのものであっておれのじゃない。それにあの人だってこの先絵を描かないわけでもないだろう」
ときっぱりした口調で言った。私は「そうか」と答え、彼はレジに向かった。彼を待つ間、私は棚を見て、ふっと久しぶりに何か絵の具でも買おうかという気になった。画材を買わなくなって久しかった。久嗣の遺した絵の具や絵筆や麻布はまだしばらく必要無いくらいあった。けれども、私はもうそれを使い続けるのが苦しく感じるようになっていた。勘定を終えた時任とすれ違いにレジに向かい、キャンバスに絵を描く前に塗る下地のための白い絵の具を買った。そして待っていた時任と店を出て、近くの自動販売機でホットコーヒーをおごり、私はホットココアを買って駅を目指した。
四月になって金城さんが卒業し、私たちは中学三年になった。受験生となった私は変わらず時任と美術室へ通いつづけ、美術部には新たに三人女の子が入部してきた。時任ははっきり言って私より絵の才能があった。まだ描き慣れていなかったが、それでも彼の絵は哀しいもので満たされていてとても温かい。それは、捨てることを恐れて終わってしまったものを抱えこんでいる私には描きたくとも描き得ない絵だった。時任の描き出す世界が筆を重ねるたびに形を持って浮き上がってくる。いっそ、彼が久嗣のように欠けていればまだ納得できたのかもしれない。しかし彼は確固としていて、揺るぎ無くその世界を着実に作り上げようとしていた。自分のキャンバスを見て感じるのは久嗣のような欠落。そして迷い。それは私の世界を破綻させた。いつの間にか陰湿な苛立ちは濁った怒りに近くなっていた。私はこんな世界を欲してはいないのに。どうして満たされた彼に満たされた世界を与え、失った私に破綻した世界を与えるのかと、何か底知れない流れを恨んだ。しかし私がそうやって円満な世界を追えば追うほど破綻は広がって行く。それは当然のことで、原因は怯えをすり替えようとする私にあった。ごまかしを続ければ続けるほど取り返しのつかないところへ流されてゆく。そうわかっていてなお、私は久嗣の絵筆を捨てることができなかった。まるで子供が駄々をこねるように必死になってしがみついていた。
平日の金曜日、私は学校を休んで一人電車に乗っていた。駅が近づくと線路沿いに満開の桜が咲き誇っていた。電車はだんだんと失速しホームに滑り込み、完全に停車して扉が音を立てて開いた。私が降り立ったホームはやはり人がほとんど誰もいなくて、電車から降りたのは三人だけだった。花弁を乗せて電車は走り去ると私はたった一人取り残されてしまった。ぽつんと立っていると自分がとてつもなくちっぽけな存在のように思われた。世界の底に立っているような気分だった。命日には毎年花を買ってきて供えていたが、いつもその花の存在は桜の花弁に圧倒されて間が抜けていて、私はいつもきまって居心地が悪くなるのだった。菊の花束を持って途方に暮れ、私はとりあえず椅子に座った。そして座っているといつの間にかウトウトして眠り込んでしまった。風は幾分暖かく、きっと久嗣が死んだ日よりずっとマシなんだろうと思った。それはあまりにも例えようも無く遠い思いで私は泣きそうになってしまった。どうしようもない力があって、私たちは押し流されていて、たくさんのものを失って、その上これからも失って行くのだろう。そう唐突に思い知った。それからどれくらい経ったのか、リズムよく近づいてくる電車がホームに入ってきて、金音を立てて止まる音が私の目を覚まさせた。酷くスッキリした目覚めだった。足元は白い花弁で覆われていて、それは時任の絵を思い起こさせた。頬の上を水が伝い落ちる感触がして、雨かと思い手で触ると、思いがけなく温かいのだった。濡れた手を上着のポケットに突っ込むと、いつかの小銭が入っていて、私はそれで切符を買いに一度改札を出てまた戻った。階段から見下ろすホームは白い花弁で覆われていた。また、春が来たのだ。
最終更新:2009年05月05日 15:10