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目一つの鬼

 時代が、戦国時代から安土桃山時代へ移り変わろうとしている戦乱の時代、ある一人の子鬼が居た。子鬼の名前は『雨良(うら)』。

 雨良はいつもの通り、荒れ野の中にポツンと生えている大きな木の枝に寝そべっていた。ザワザワと風が木々の葉と雨良の長い髪を揺らす。
 「ねぇ、ここで何をしているの?」
 心地よいまどろみの中にいた雨良に、幼く涼やかな声が掛かった。
 ――うるせぇ・・・・・・
 無視を決め込む事にした。
 「ねぇってば。何しているの?楽しい?」
 「・・・・・・」
 ガサガサと枝がしなった。声の主が木の枝を登ってきているのだろう。そう思い、ようやく雨良は体を起こし、下を見下ろした。
――登ってきているガキは・・・・・・女?
 「ひゃあっ!」
 危なげに木の枝をよじ登っている少女が足を滑らせた。
 「っと、危ねぇっ!」
 慌てて雨良は少女の着物の襟を掴んだ。しかし、とっさの行動だった為か、少女の体重を支えきれず雨良は少女共々、木の根元に落ちてしまった。
 「お前、危ないだろ!・・・・・・って怪我してるじゃないか!」
 十歳くらいの少女の白い膝にはじくじくと紅い血が滲んでいる。思わず少女を怒鳴りつけた雨良は、辺りを見回した。ヤブツバキを見つけると葉をすり潰し、血の滲んでいる少女の膝に塗布した。怒鳴りつける割には面倒見が良い。
――こういう時、長く伸びた前髪がうっとうしいな
 「ほれ、これで大丈夫だろ。あとは家でちゃんと手当てしてもらえ」
 そう言うと雨良は少女の顔を見た。「へへっ」と少女は満面の笑みを浮かべていた。その笑顔に一瞬雨良はたじろぐ。
 ――なんで笑ってるんだよ、お前。
 「私の名前は初音、羽間初音。あなたは?」
 初音と名乗った少女は、涼やかな声で雨良に問い掛けた。勝気な瞳が印象的だ。
 「雨良。――って、何、俺素直に名乗ってんだよ!」
 『名前』とは重要なものだ。『名は体を表す』とはよく言ったものだが、専門的な力を持った者に『名前』を知られると、その者に操られる事だってありうるのだ。
 「うら・・・・・・」
 初音は雨良の名前を口の中で復唱し、にっこりと笑った。
 「雨良、私と友達になろう」
 雨良は一瞬言葉を失った。あまりにも初音の言葉が意外なものだったからだ。
この身なりの良い初音という少女は何を考えているのか。鬼の自分と友達になろう、とは。
 「此処から去れ。此処はお前のような者が来る所じゃない」
 気を取り直し、雨良は初音に冷たく言い切った。
 此処は鬼の住む土地。周辺の住民からは忌み嫌われ、滅多に立ち入る者も居ない場所。
 「ここには鬼が居るんだよ」
 「おに・・・・・・。どこ?」
 初音は期待に満ちた眼差しで雨良を見上げた。
 「・・・・・・俺。角があるだろう?」
 少し頬の筋肉を引きつらせながら雨良は答えた。
 「あ、ほんとだ。だから雨良は目がきれいな青色なんだね」
 邪気の無い声で初音に言われ、とっさに雨良は前髪で両目を隠した。雨良の両目は、抜けるような秋の空の如く青い。
 えへへ、と初音は笑い、様々な事を喋り始めた。雨良には居ない『家族』の事も。
 うっとうしい、と思いながらも、目をつぶって聞く初音の話は心地よかった。

 「いいもの見せてやるよ」
 そう言い、雨良は右の人差し指でクルリと空中に丸を描いた。空は明るい太陽が照らしているが、突然細かい雨が降り始める。狐の嫁入りというやつだ。そしてすぐに雨は止んだ。
 「あっちの空を見ていろ」
 初音は雨良に示された、太陽とは反対方向の空を見上げた。
 「わぁ、きれい」
 初音が喜びの声を上げる。空には七色の虹が掛かっていた。初音は虹を捕まえるように、両手を天に伸ばす。その幼い身体を雨良は抱え上げ、自分の肩の上に乗せた。
 「高い、高い。雨良ってすごいね」
 キャッ、キャッ、と雨良の肩の上で初音がはしゃぐ。
 「言ったろ?俺は『鬼』だって」
 少しだけ悲しげに雨良は笑った。
 「『おに』って話で聞いてたのと全然ちがうよ。だって雨良はとてもやさしいもの」
 初音は明るい笑顔を雨良に向ける。
 「お前な、『鬼』がみんながみんな、俺みたいなやつだと思うなよ」
 「えー」
 眉をしかめる雨良の肩の上で、初音は温かく笑った。

 西の空が紅く染まるのが見える。黄昏どきだな、と雨良は思った。雨良の腕の中には喋り疲れたのか、初音が規則的な寝息を立てていた。
 「おい、起きろ。日が暮れるぞ。日が暮れると此処には色んな妖(あやかし)が出て来る」
 初音が微かに身じろぐ。雨良が初音の小さな身体を揺すると、ようやく目を開けた。
 「帰り方、わかんない」
 ――あー、もう、このガキがぁ!
 再びまぶたを閉じようとする初音を心の中で毒づくと、初音を人の居る場所に連れて行くべく、長い髪の間から微かに覗く二つの角を隠すため、雨良は手ぬぐいを自分の頭に被せた。

 心地よい闇が自分の周囲を支配する。雨良は昼間と同じように木の枝に身体を預けていた。もともと自分は此処から生まれたモノなのだから、この感覚は母の腕の中に居る人間の感覚によく似ているのだろう、と雨良は思い、微かに口元に笑みを浮かべた。
その時、よく知った気配を近くに感じた。
「慧紅(えこう)、か?」
「雨良、久しぶりですね」
雨良が声を掛けると、暗闇から細身の男が現れた。慧紅と呼ばれた男は手近な枝に腰掛けた。ギシッと枝が鳴る。慧紅は夜叉の一人で、雨良が此処に発生したての頃、戯れに雨良を拾い、ある程度の年齢まで育てた人物で、性格は情が無く、猛々しい。
「なんか用か?」
「・・・・・・余計なお世話なのかもしれないですが、人間とは関わらない方が良いですよ。特にあの少女は」
「知っている。稲城の国の姫だろ?今日会った人間のババァに聞いた」
そっけなく雨良は言葉を被せる。
「分かっているのなら良いですが・・・・・・身分云々の前に、我々が人間と交流を持っても良い事なんざちっともありませんからね。ま、雨良が小さい子に興味があったとは意外でしたけど」
 小さい子、と言っても、初音は雨良と三歳くらいしか変わらない。
「煩い。ぶち殺すぞ」
氷のように冷たく青い雨良の視線が、表情は笑っているが目は笑っていない慧紅を射抜く。
「僕を『ぶち殺す』なんて百年早いですよ」
「・・・・・・分かっている」
自分がどうあがいたって、この気まぐれで残虐な夜叉には敵うはず無いのだ。
そうですね、と微かに喉を震わせるように笑い、慧紅は闇に溶けていった。一体この親代わりの夜叉は何をしに来たのだろう。
「・・・・・・ほんとに余計なお世話だよ。それに、初音はもう此処には来ないだろうよ」
――というか、来ないで欲しい。
小さく呟き、雨良は瞳を閉じた。

雨良のささやかな願いに反し、初音は十日に数回は雨良の元に遊びに来た。
遊びに来るといってもこの荒れ野では何をするでもなく二人でおしゃべりをしたり、近くの森に行って、初音が遊ぶのを雨良が眺めるというようなものだったが。
雨良が初音と出会ったのは春の終わり頃で、今は吐いた息がほんのり白くなっており、灰色の空からは今にも白い雪が落ちてきそうな空模様だから、二人が出会ってから半年くらい経っているのだろう。
「おかしい・・・・・・」
雨良は一人、木の枝の上で呟いた。青い瞳は前方を睨みつけるように細められている。初音は毎日此処に来る訳ではないのだが、五日に一度は必ず遊びに来たのだ。それが最近半月ほど、雨良は初音を見かけていなかった。
「とうとう、屋敷の者に見つかったのか?」
初音は毎回、追っ手を振り切り此処へ来る。
「違いますよ」
背後から柔らかな男の声が掛かった。また慧紅か・・・・・・と呟き、雨良は首をめぐらせる。
「今度は何?」
「稲城の姫は肺病を患っているそうですよ」
「なっ・・・・・・」
雨良は弾かれたように体を起こした。
「雨良、あの子に会いに行くのは止めなさい」
「何故だ」
冷淡な慧紅の視線と、鋭く危険な色を帯びた雨良の視線が交錯した。
「どうしてもです。会いに行くというのなら、僕を倒してから行きなさい」
慧紅が雨良の行く手を遮る。
「・・・・・・分かった。どけっ、慧紅!」
言うなり、雨良は初音の屋敷のほうへ走り出した。前方で慧紅が矛を構えるのが見て取れる。雨良は己の爪を鋭く尖らせ、顔の前で構えたまま凄まじい速度で慧紅に切りかかった。
横薙ぎに振られた慧紅の矛の刃が雨良を捕らえた、と思ったとき、雨良が残像を残し消えた。
「ばーか、何で勝てないのに戦わなくてはいけないんだよ」
慧紅の背後でカサリと草を踏む音がし、雨良の声が遠ざかる。どうやら刃があたる瞬間、雨良は慧紅を飛び越して矛を避けたらしい。
「・・・・・・雨良、僕には分かるんですよ。稲城の姫の元へ行くと、貴方は必ず傷つく」
雨良が消えた方向を見ながら、慧紅は非情な夜叉には珍しく、悲しげな表情を浮かべた。

稲城の中で一番大きな羽間の屋敷に忍び込み、雨良は初音の部屋を目指していた。病を患っているのだから、一応離れか何処かに居るのだろう。
「此処か?」
それらしき離れの前に立つと、恐る恐る雨良は障子を開けると、中には、確かに初音が居た。しかし、いつものような元気さは無く、熱に頬を赤らめ、浅く荒い呼吸を繰り返していた。
「・・・・・・初音」
そっと雨良は初音に声を掛ける。初音は微かに目を開けた。
「あ、雨良・・・・・・」
弱々しい声。
雨良は冬物の布団を剥ぎ取ると、薄い上着の上から初音の胸の上に手を置いた。
――よかった。胸に影は見えるがひどいものではない。
「これ、俺が作った薬だ。煎じて飲め。よく効くから」
雨良は自分の懐から小さな紙包みを取り出す。青杜を振り切った後、森の中で肺病に効く金銀花を探し回ったのだ。
「ありがとう」
初音は雨良から薬を受け取ると、力の無い笑顔を向けた。その笑顔に雨良が答えた時、離れの障子が開いた。
「だ、誰じゃ!」
障子を開けたのは初音の乳母らしき初老の女だった。女は、雨良の頭から生えている小さな角を見つけると、ひぃ、と小さな悲鳴をあげた。
「誰か!鬼じゃ、鬼が居る!」
女は外に向かって大きな声で叫んだ。
微かに舌打ちをした雨良は音も無く近付き、キクの首筋に指を当てた。キクの身体は力を失い冬の冷たい床に倒れた。
「な、何を?」
「気絶させただけだ」
震える声で呟いた初音に、雨良は低く答えた。

「鬼が居るとはまことか!」
騒々しい物音を立て、幾人かの屈強な男達が初音の離れになだれ込んできた。男達は初音の傍に佇む雨良を確認するなり、腰の太刀をすらりと抜いた。
「お前か、我が妹をたぶらかす妖は」
一番前にいた若い男が口を開いた。二十代前半くらいで、見た目だけなら慧紅と大差ない。
「兄上!」
初音は顔色を失う。雨良はこの兄について少し聞いた事があった。
――戦でたいそう活躍している、とか言っていたな。それと少々過保護・・・・・・
「初音を喰らう気であろう。卑しい妖が!」
その発言には流石に雨良はむっとした。
「鬼は人など喰わぬ。人を喰らうのは余程下等な妖だけだ」
雨良は吐き捨てるように言い、初音から離れて庭へ向かった。
「何処へ行く」
「決まっているだろう。帰るんだよ。用事はもう済ましたからな」
馬鹿にしたような雨良の言葉に、初音の兄は逆上した。
「ええい、ひっとらえろ。もしや初音のこの病も、この鬼の所為やもしれぬからな」
その瞬間、何人もの屈強な男達が雨良に踊りかかった。
「なっ・・・・・・」
初めの数人はかわしたが、なにせ多勢に無勢。瞬く間に雨良は男達に組み伏せられてしまった。離れの庭の土に押し付けられた雨良の頬にちらりちらりと白い粉雪が触れては消える。
「くそっ、放せ!」
青い瞳で男達を睨みつけ、雨良は必死に身体を動かすが、身体を押さえつけている男達はびくともしない。
「兄上、おやめください!」
雨良が離れを見上げると、腰から太刀抜く初音の兄の後ろで、薄着の初音が危うい足取りでこちらへ来るのが見えた。
「初音、来るな!」
思わず雨良は叫んだ。この寒空の下では病が余計ひどくなる。初音を気遣う雨良を見下ろし、初音の兄は冷たい微笑を浮かべた。
「ほぅ、我が妹を気に掛けるか。余程執着していると見える。だが、お前には死んでもらう」
初音の兄が太刀を構えるのが見えた。一瞬間を置き、振り下ろす。
「――――」
雨良はあまりの激痛に、まるで獣にも似た咆哮を上げた。
目の前が真紅に染まる。雨良はとっさに自由になる首を動かし太刀を避けたのだが、右の目が太刀によって切り裂かれていた。まるで燃えているかのように、切られた右目が熱を帯びる。
「雨良っ!」
初音が叫ぶのが聞こえたが、それに答えている余裕は雨良には無かった。
「はずしたか・・・・・・おい、お前、首を抑えておけ。鬼とは少々の傷では死なぬらしいからな。首を落とす」
「おやめください!」
初音は目に涙を一杯溜め、すがるように己の兄を見た。
「見たくないのなら目を伏せておくが良い。妖は必ず我々に災いをもたらす」
雨良が顔を押し付けられた土には、おびただしい量の紅い血が染み込んでいく。
再び相手が太刀を構えたのが気配で分かった。
――俺は、ここで死ぬのか・・・・・・イヤだ。死にたくない・・・・・・
プチッと雨良の中で、何かが切れた。自分の中で何かが解れていくのが分かる。
「あぁああぁあ」
がむしゃらに腕を振るう。自分を押さえつけている者の力が抜け、生ぬるい紅い液体が雨良の頬に飛んだ。視界の端の方で、人間の腕やら指が吹き飛ぶのが見える。やはり右目は見えない。
周囲に悲鳴が満ちた。
雨良が自分の手を見ると、爪が異常なほど伸びており、紅い血に染まっている。今まで自分で意識しないとこの様にはならなかったのだが・・・・・・自己防衛本能でも働いたのか。
そう思った時、左の視界の端で男が太刀を振りかざすのが見えた。
とっさに雨良は太刀を避け、男の喉元に己の右腕を突き刺す。肉を切り裂く、嫌な感触がした。ぶるりと一度震えて絶命した男の身体を、土の上に投げ捨てると、雨良は顔を上げた。
ふと、離れの方の初音を見ると、青白い顔をして座り込んでいた。
――あぁ、俺は今、初音の屋敷の者を殺したのか・・・・・・
「貴様ぁ!」
先程まで雨良を見下ろしていた若い男が切り掛かる。寸前の所でかわし、男の肩を雨良は己の鋭い爪で切り裂く。
「兄上っ!」
初音の悲鳴が響いた。男が崩れ落ちる。
「・・・・・・雨良」
小さな声で呟いた初音に、雨良は泣き笑いのような表情を向ける。もう逢う事も無いだろう。
「さよなら」
そう呟き、雨良は一気に初音の庭の壁を飛び越した。

ザワザワと木の葉が揺れる騒がしい音に、慧紅は目を開けた。荒れ野の中にポツンと生えている木は、己を寝床とする子鬼を守っているかのように枝を生い茂らせていた。その枝の一つに腰掛けていた慧紅が雨良に目を向けると、右目からの出血は止まっておらず、じくじくと白い包帯に紅い血が滲んでいる。熱もまだ下がっていないようだ。
「なんだか、今の僕って、親っぽいですねぇ。・・・・・・誰か、来ましたか」
そう呟き、慧紅は優雅ともいえる仕草で、木の下に飛び降りた。木の下には予想通り、何人もの男達が太刀を構えていた。
「何か用ですか?此処に住んでいる者だったら諦めなさい。あの子は今、僕が守っています。貴方達は僕には勝てません。命が惜しかったら、『駄目でした』と親分に伝えてきなさい」
プチッと男の血管が切れた音がした。
「無礼な!ええい、かかれ!」
十何人もの男達が一気に慧紅へ襲い掛かった。
「一応、警告はしましたからね」
小さな溜息をつくと、慧紅は愛用の矛を取り出し、まるで舞にも似た柔らかい動作で、矛の刃を振り下ろした。前の方にいた数人の首が飛び、男達に恐怖が伝染する。
「僕は、雨良ほど甘くないですから」
顔に少量の返り血を浴びた慧紅は、ちろりと血を舐めると顔を上げた。その目にあるのは殺戮の快楽による笑み、やわらかい表情から垣間見える狂気。慧紅は心底楽しそうに言った。
「・・・・・・誰一人として逃がしはしませんよ」
冷酷な夜叉は、楽しそうな表情を一切変えず、矛を振り下ろした。

「何、それ?」
何日か振りに目が覚めた雨良が一番初めに見たのは、大量の人骨と、その上に腰をおろす慧紅。
「妖どもが喰べて行ったんですよ。なんか、こうしていると悪の帝王みたいじゃないですか?」
――嘘は言っていませんよ。妖どもが喰べて行ったのは本当ですから。ただ、そのきっかけを作ったのが僕なだけであって・・・・・・
にっこりと慧紅が柔らかい笑みを浮かべた。
「・・・・・・悪趣味」
何となく事態を察した雨良は、小さく呟くと再び目をつぶった。

あれから幾年経っただろうか。
初音の屋敷で暴れてから、雨良は無為に時間を過ごしていた。時間の感覚が薄れつつある。
その日も雨良は荒れ野の木の上で、心地よいまどろみの中に居た。
「雨良」
木の下から声が掛かる。また慧紅か、と気だるげに体を起こし、木の下を見下ろす。自分を訪ねてくるの、は今となっては夜叉の慧紅だけだ。
しかし、下に立っていたのは、雨良の予想に反して人間だった。
艶やかな黒髪、十代後半だろう、少女とも女性ともつかない年頃。そして忘れもしない勝気な瞳。雨良は無意識に口元に笑みを浮かべた。
木から飛び降り、その人間の正面に立つ。
「久しいな、初音」
長い髪を掻き揚げ、雨良は初音に笑いかけた。
「あぁ、七年ぶりだ・・・・・・その、あの時は薬ありがとう。そして、すまなかった」
初音が目を伏せる。口調は変わったが、雰囲気は幼い頃そのままだ。
「何が?」 
「その右目の事だ」
初音が刀傷のはしる雨良の右目を示した。雨良が己の見えない右目をそっと触る。
「・・・・・・あぁ、コレは仕様が無い事だ。お前の兄上は間違った事はしていない。所詮、お前と俺は住む世界が違ったという事だ。俺も過剰防衛だったかもな」
ま、終わった事だし、と呟き、唯一開いている左目で、あらためて雨良は初音を見た。
男物の着物を着ているが、身体つきは随分華奢だ。身長も自分より相当低い。いや、自分が成長しただけなのか。
「で、今日は何の用だ?また遊びに来たのか?」
初音はフルフルと首を横に振った。
「我々の国で、最近妖が無差別に人々を襲っておる。今まで何人もの人が退治に行ったが、誰一人として帰っては来なかった」
俯き、初音が搾り出すように言う。
「俺だと思ったのか?ま、無理も無いが」
「違う!・・・・・・ただ、心当たりが無いかと思って」
しばしの間雨良は己の手を顎にあてた。
「ふむ、分かった。俺も一緒に行こうではないか。そのような誇りも無く、無闇に人間を襲うなど、妖の風上にも置けない」
雨良の言葉に、初音は顔をほころばせる。
「ほ、本当か!ありがとう。礼はちゃんとする」
雨良は『礼』という言葉に反応した。
――礼・・・・・・ねぇ
「じゃ、今日の日が落ちたら屋敷の外で待っている。必ず来てくれ」
そう言い、初音は駆け出した。こういうところは幼い頃からちっとも変わっていない。
雨良は初音の後ろ姿を見ながら、口の端を引き上げるようにして笑った。

「お前か・・・・・・」
妖の正体は簡単に分かった。暗闇の中といえども異形のままの姿で町を練り歩いているのだから、無理は無い。頭が牛で身体が蜘蛛、『牛鬼』だった。雨良の隣にいた初音が息をのむ。
「屋敷に残っていれば良かったのに」
「だって、心配だったから・・・・・・」
――俺はお前が居る方が心配だっつーの
そう心の中で呟き、雨良は青い左目で牛鬼を見る。牛鬼という妖はあまり知能は無く動物並だ。しかし、身体は大きく、長身の雨良が見上げるほどもある。
「こいよ。妖の風上にも置けぬ、浅はかな鬼よ」
雨良の挑発の言葉に牛鬼が反応する。
――ふぅん、言葉は分からないようだが・・・・・・雰囲気で分かるのか?
ニヤリと雨良は心底楽しそうな笑いを浮かべた。
その瞬間、牛鬼が雨良と初音に襲い掛かった。
雨良は初音を反対方向に突き飛ばし、己の腕で牛鬼を一閃した。蜘蛛の身体の足が数本吹き飛んだ。爪の伸びた雨良の手が黒い血に染まる。
「意外と頑丈だな。ま、それだけが取り柄なんだろうが・・・・・・」
そう呟いた雨良に、体制を立て直した牛鬼が再び突進する。近くの柳が吹き飛んだ。この大きさに、怪力。ただの人間にとっては十分に脅威なのだろう。
「ちょっと貸せ」
座り込んでいる初音の腰から抜き身の太刀を取ると、今度は牛鬼の首を横薙ぎに切り裂く。
ごろり、と巨大な牛鬼の首が地面に転がった。少し遅れて、巨大な蜘蛛の身体が地面に伏した。
「ふん、弱いな・・・・・・これで俺と同族など、片腹痛い」
雨良は冷ややかな目で牛鬼の頭を見下ろした。
「死んだのか?」
今まで呆然と見ていた初音が駆け寄る。
「あぁ、間違いない」
「雨良、ありがとう」
初音が満面の笑みで雨良を見上げた。
「あ、そうだ。礼は何が良い?酒か?食い物か?」
「ふむ、そうだな・・・・・・お前が良い、というのは駄目か?」
初音はきょとん、とすると、次の瞬間かぁっ、と顔が赤くなった。
「なーんて、冗談だ」
くくく、と喉を鳴らすように雨良は笑った。
「・・・・・・かまわぬ」
「はっ?」
「かまわない、と言ったのだ」
見開かれた雨良の青い左目と、真剣な初音の目がかち合う。
雨良は微かに笑みを浮かべると、己の唇を初音のそれに重ねた。
「これだけで我慢しとくよ」
――なんか、だんだん慧紅に似てきたかも・・・・・・
雨良が、たった今口付けを交わした少女を見ると、真っ赤になって俯いていた。
「あー、もー、すまなかった。ごめんなさい・・・・・・っていうか、お前は『かまわん』と言ったのに、何故俺が謝るんだよ」
そう言い、雨良は俯いている初音の艶やかな黒髪を、がしがしと撫でる。
「ええい、帰るぞ」
骨ばった雨良の手を振り切るようにして初音は歩き出した。

雨良が初音を屋敷に送る時、なんとも言いがたい沈黙が二人の間に流れる。
その沈黙を破ったのは雨良だった。
「そーいやぁ、初音は幾つになったんだ?」
「・・・・・・十七。雨良は?」
「さぁ?二十くらいじゃないか?よく覚えてない」
雨良がそう言った時、ちょうど羽間の屋敷に着いた。
「じゃ、兄上に宜しくな」
そう言い、雨良は踵を返そうとした。
「兄は・・・・・・半月前に戦で死んだ」
「・・・・・・そうか。悪かったな」
「いや、かまわぬ。・・・・・・あのな」
初音は一度天を仰ぎ、息を吐いた。
「私は、七年前に逢った時から、雨良の事が好きだった」
夜風が二人の長い髪を揺らした。
「そうか、奇遇だな。俺も初音のことが好きだ・・・・・・でも、な」
人間と鬼は交わるべきではない。
「分かっている。最後に言っておきたかったのだ。私は今度、荒島家に嫁ぐ事になった」
荒島家・・・・・・確か稲城の隣国の領主だったような。
「お前はそれを望んでいるのか?」
政略結婚だという事は分かりきっている。それでも聞かずにはいられない。
「まさか!荒島は大国なれど、主は好戦にて好色と聞く!嫁ぐのなら自害した方が良いと思うておるくらいだ!・・・・・・もし、雨良に私を思う気持ちがあれば、私を娶って連れていってくれ」
先程までそう言おうと思っておった。そう言うと、初音は拳を握り、俯いた。
「しかし、そういう訳にもいかぬ。・・・・・・後継ぎの兄が死んだ今、父は病に倒れた。この時を周囲の国は見逃さぬであろう。こんな小さな国、すぐに落ちる。ここで荒島と連携を深めておくことに越した事は無い。・・・・・・私は、稲城の人々を戦の危険にさらしたくは無いのだ」
雨良の向かいに立っている初音は、諦めにも似た悲しい笑みを浮かべた。この時代の何人もの姫君たちがそうしたように。
「・・・・・・よいのだ。初音」
突然、しわがれた声が掛かる。屋敷から初老の痩せた男が現れた。
「父上、共の者もつけず出歩くなど」
「ワシには兄弟が幾らでもおる故、跡継ぎには困らぬ。この戦国の世、静かに暮らす我が国にはお家を大きくするような政略結婚もいらん・・・・・・ワシはな、初音。孝光(初音の兄)が死した今、一人娘のお前には好きなように生きて欲しいと思うておる」
稲城の領主は土気色の顔を上げ、雨良を真っ直ぐに見つめた。瞳はまだ輝きを失っていない。
「どうじゃ、妖。初音を娶ってはくれぬか?」
――うーん、俺としては願ったり叶ったりなんだが
雨良は突然の事に固まっている初音を見、手を差し出した。
「来るか?選ぶのはお前だ」
初音は父親と雨良を交互に見つめ、ためらいがちに雨良の手を取る。雨良はその手を自分の方へ引き寄せ、初音の華奢な身体を腕の中に収めた。
「確かに稲城の姫、初音は貰い受けた」
「し、しかし、荒島の婚姻を断ったとなると何が起こるか分かりませぬ!」
雨良の腕の中で初音が声をあげる。
「ふむ、それでは、そなたたちが攻め入られた時は、我が力を貸そう」
「ははは、妖の助力とは心強い」
明るい声で稲城の領主は笑った。そして、温かい微笑をたたえ、長身の鬼を見た。
「・・・・・・初音を頼んだぞ。妖」
「承知した」
そう呟き、雨良は初音と共に闇に消えた。

ガラリ、と立て付けの悪い入り口を開け、長身の少年が暁書店の中に入ってきた。少年はカウンターの男の方へ近付くと、古びた一冊の本を差し出した。
「店長、この本、面白かったです。ラブストーリーですねぇ」
店長と呼ばれた男は、長身の少年を見上げ、口元に笑みを浮かべた。
「お前、これの後日談を知っているか?」
少年は知らない、という風に首を横に振る。
「婚姻をドタキャンされた荒島氏はブチ切れてな、稲城の国に攻め入った。稲城も応戦したんだが、戦況は明らかに稲城の劣勢だった。そして、ちょうどその時、雷雨が荒島氏の本陣を襲い、荒島氏は呆気なく退却したそうだ」
「へぇ、じゃあ、鬼は約束どおりに稲城を助けたんですね」
「さぁな。ただの偶然かもしれん」
店長はそっけなく言って席を立ち、少年に背を向け、本の在庫資料を見た。後ろで「ロマンが無いですよ、ロマンが」とブツブツ呟く長身の少年に豆辞書を投げつけ、「おい、さっさと働け」と冷たく言い放った。

            • 長身の少年に貸した『目一つ鬼』の本の著者は、男の親戚で、この書店の初代のオーナーでもあった人物だった。どうやら、羽間家に昔から伝わる書物を現代語訳した物らしい。本に挟んであった著者直筆のメモを見た時、男は心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
『雨良と初音の子どもは、影明(かげあきら)といい、右目が碧色の異形の者だった。そして、その右目で此の世のものでは無いモノを見、妖と心を通わせた。その後、時折羽間家には異形の者が生まれるようになり、その者は「闇に魅入られし者」と呼ばれるようになった。何故なら、異形の者は誰一人例外無く、妖を見る事が出来たからである』
ぢくり、と右目が疼いた気がして、男は己の青い右目を抑えた。呼吸が荒くなる。男の脳裏に、小柄な少年の肩に乗った二匹の餓鬼が浮かんだ。
――俺の中の『血』は数百年振りに『同族』に会ったという訳か
赤黒い餓鬼と目が合った時の、ゾクリとした嫌悪感を思い出し、男は口元を引き上げるように笑った。


<了>
最終更新:2009年04月30日 00:01
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