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桜の樹の魔物

 小高い丘の無数に続く石段を見上げ、思わず叫んだ。
「電車の鈍行で一時間、バスで二十分、そして十五分近く歩いた末にこの階段か!」
「しょーがないじゃないか。ここ登らないと、写真は取れないんだよ」
一緒に来たシズは、さも当然とでもいった様子で石段を登り始めた。数歩遅れて彼女のあとを追い、石段に足をかける。
「なんだよ、開き直りか? なんでシズの部活なのに俺がついて来なくてはいかんのだ」
「一人で行くのは遠すぎるって言ったのはハルでしょう?」
シズ――三好雫――は自分の事をハルと呼ぶ。高村遼希だからハル。もうお互い十年以上呼び合っている呼び名だ。
シズは振り向き、にんまりと笑った。
「さ、若いんだからサクサク登ろうか」
青い空が、眩しかった。

約十分後、ようやく石段のてっぺんまで登った。フゥと一息つくと、目の前には驚くほど沢山の桜が咲き誇っていた。広場全体が薄紅色の霞に包まれたかのような、幻想的な眺めだった。
少し遅れて登りきったシズは、早速重たいカバンの中から一眼レフのカメラを取り出し、シャッターを切る。
「あれ? 学校での現像は白黒しか現像出来ないんじゃなかったか?」
「うん、高校では白黒しか現像できないけど、今回は産業大学の方に持っていくから、コレに取ってカラーで印刷してもらうの」
シズはカバンの中からデジカメを取り出して振り返り、誇らしげに笑った。
「それに、桜は白黒で撮っても綺麗だよ」
そう言って、シズは再びピントを調整しようとファインダーを覗き込んだ。

ひとしきり写真を撮り終わり、シズはようやくカメラを下ろした。
「ハル、飲み物買ってくるけど何が良い?」
「んー、じゃあ、ウーロン茶。冷たいやつ」
頷くと、シズは広場から続く道の方へ歩いていった。姿が見えなくなってから近くのベンチに腰を下ろす。ズボンのポケットからケータイを取り出すと、既に十二時を回っていた。
「……弁当でも持って来れば良かったかな」
そう呟いて、ぼんやりと桜の向こうの空を仰ぎ見た。しばらくして道の方を見ると、シズが手ぶらで戻って来た。
「ウーロン茶は?」
「自販機、見付かんなかった」
――それじゃあ、仕様が無いな。
「でもね、凄い物見つけた。ちょっと、ハル来て」
「ちょっ、おい!」
何やら見つけたらしいシズにぐいぐいと手を引かれ、桜の中を駆け抜ける。
「おい、何を見つけたって……」
そう問い掛けた時、急にシズは立ち止まった。
「ねぇ、ハル、桜の樹に住んでいる魔物の話って知ってる?」
――魔物の話? あいにくながら聞いた事は無い。
「桜の樹には魔物が住んでいるんだよ。その魔物に出会ったら決して目を合わせてはいけない。話してはいけない。彼らは『愛しい人』の姿をして、クルリと入れ替わってしまうから。だから、気を付けなくちゃいけない」
そう言って、シズはひときわ大きな桜の樹を見上げた。その桜は、周りの桜とは明らかに色が違って、紅い。まるで冬に咲く紅梅のように紅かった。
「な、んだ、この桜は……」
思わず呟いた。桜は昔から『花は桜木、人は武士』と言われるように、昔からその華麗さ、潔さから尊ばれてきた花だ。それなのに、この桜の妖艶さは……。
「こういう桜には魔物が住んでいそうじゃない?」
ザアァと風が紅い花びらを散らし、自分とシズの髪の毛を乱した。シズは風がおさまり、伏せていた顔を上げると、小さく笑う。その笑みがいつもと違うようで、なんだか寒気がした。暖かい春の陽気なのに、この薄気味悪さはなんだろう。この余りにも妖艶な花を咲かせている桜の所為なのだろうか。
「シズ、お前、なんか変だ……」
何かが、おかしい。――何処が? と問われても何とも言えないが、だてに十七年間シズと幼馴染をやっているのではない。
「私はどこもおかしくはないよ。……それよりハル、私が見つけたのはコレ」
シズは紅い桜の裏にひっそりと立っている、そんなに大きくない社を指差した。重たそうな石の扉に閉ざされた、古い社。シズが石の扉を引くと、ギィと重たい音がした。
「これがどうしたって?」
覗き込んでみると、内壁の石には苔一つ生えていない。清浄な社、そんな印象を受けた。
「この桜の樹の秘密」
「えっ」
振り向いた瞬間、トン、と胸を押され、社の中に倒れこんだ。倒れこむ数瞬の間、シズと目が合った。普段では決してしない冷たい眼差し、そして口元だけが笑っていた。
「おい、何を……」
右肩から地面に落ちると、がちゃん、と嫌な音がした。振り向いた時には背後の扉はきっちり閉められていた。外の光は少ししか入って来ず、社の中は薄暗闇だ。扉は丁寧にも鍵をかけたのか、開く気配は全くなかった。
「ふざけるな。……あんた、誰だよ。シズじゃないだろ」
うなだれるように、扉にもたれる。外からは明らかにシズとは違う女性の笑い声が聞こえた。くすくすと嬉しそうに笑う女の声。
少しして暗闇に目が慣れてくると、四畳ほどの社の隅に倒れこんでいる人影が見えた。
「おい、あんた大丈夫か……シズ?」
まぎれもなく、それは十七年来の幼馴染だった。抱き起こしてみるが、反応が無い。ぐったりとしており、一応呼吸もしているが浅く、身体は凍えるように冷たかった。髪の毛が血の気の無くなったシズの額に張り付いている。
「桜の樹の下には、屍体が埋まっているんですよ、ハルくん」
女性の声は艶かしく、自分の名を呼んだ。耳にまとわりつくような声だ。
「それがどうした。梶井なんとかっていう人の短編の冒頭じゃないか。……ここを開けろ」
低くうめいて石の扉を叩く。ぺしっ、と軽い音が社の中で反響した。
「足元を御覧なさい。白い花があるでしょう? それを触ってみて」
女は、まるで自分の玩具の説明をするかのように、楽しそうに言った。やむを得ず、シズを抱えたまま足元を見ると、女の言った通り、白い花が咲いている。手に取ってみると、みるみるうちに真紅へと色が変わった。
「――っ!」
慌てて花を振り落とすと、掌からは血が滲んでいた。
「その花は、人間の血を吸うんです。そしてその傷口から新しい樹が芽吹く」
女はうっとりとした口調で言う。
「貴方達は大切な肥料。毎年、何人かの人間が肥料になるわ。今年は貴方達でおしまい」
自分とシズの周りの花たちもいつのまにか紅く染まっていた。四畳ほどの狭い社の中はたちまち紅い花で満たされる。
自分の足からも血を吸われているのか、立っているのさえも辛くなっている。たまらず座り込むと、一気に血が引いていくのが自分でも分かった。力の抜けたシズの身体が重い。
指先に何か触れた。のろのろと花の間から取り出してみると、干からびた細長いものだった。
「貴方は見ると思うけど、今まで何人もの人がここで死んでいったの。それがその人たち。そして貴方達のなれの果て……」
とっさに干からびたものを投げ捨てる。背筋が寒い。
右腕を見ると、擦り剥いた個所から小さな樹の芽が出ていた。息を呑み、思わず引っこ抜く。とっさに腕の中のシズを見ると、シズの首筋からもひょろりと樹の芽が伸びていた。
「くそっ、冬虫夏草かよ」
悪態をつき立ち上がろうとするが、もはや立つ事さえもままならなかった。シズを抱えたまま背後の冷たい石の壁にもたれかかる。早くも先ほど芽を引き抜いた所から再び樹の芽が出ていた。引き抜こうとするが、身体が思うように動かない。視界も先程より狭いし、呼吸も荒くなっている。目をつぶってみると、トットットッと早い間隔の脈拍を感じた。
「――痛っ」
左目に痛みが走った。ミシッと目の奥で奇妙な音が聞こえる。じくじくと左目から鈍い痛みに侵食されていくような感じがする。無意識に目尻から涙がこぼれ、左目を触ってみると、突起が指先にあたった。
――目から芽……!?
つまらない洒落だとは思ったが、一瞬で背筋が凍りついた。テレビ番組で目から芽が出る話があったような気がする。たしか、角膜と眼球の間にある水、房水は植物を育てるには都合が良い水だと言っていた。
ミシッミシッと音は止まず、たちまち視界が紅く染まる。眼球の血管が破れたのだろう。
――根ェ張ってるんだろうな。
ずり落ちてきたシズの身体を抱えなおす。先程から弱い呼吸すらも彼女からは感じられなくなっていた。冷たい身体をゆるゆると抱きしめる。
――なんで、こんな事になったんだ……。
右目だけの狭い視界が滲んだ。
先程と違い、だんだん自分の脈拍がゆっくりと弱くなっているのが分かった。
「……死ぬのか?」
右目を閉じて呟く。ただ腕に抱えているシズの身体の感触だけが、現実だという事を感じさせた。しかし、その感覚すら紅く黒い闇にとろけてしまいそうだ。
「えぇ。だから言ったでしょう。桜の魔物には気を付けろ、って」
薄れていく意識の中で、女の高い嗤い声を聞いたような気がした。


<了>
最終更新:2009年04月30日 00:03
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