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コインランドリー

洗濯機の回る音が部屋の中に響く。響くというか、充満していると言った方が正しいのかもしれない。だだっ広く白い部屋の中にいくつも並んだ洗濯機。そのうち六つが稼動中だった。右から三番目の洗濯機に自分の洗濯物が入っている。入り口の傍に幾つか置いてある古いパイプ椅子に腰を降ろして、洗濯機たちを眺めていると、一人暮らしって何か虚しい、と思ってしまう。
ゴウンゴウン ゴウンゴウン
一定の間隔で低い音が響く。
――洗濯機の回る音って母親の胎内での胎動に似てるって、何かの小説で言ってたな。
そんな事を考えながら白い壁に寄りかかり、少しだけ目を閉じた。

ゴウンゴウン ゴウンゴウン ビービー
洗濯終了の音が鳴って、目が覚めた。急いで右から三番目の洗濯機に向かう。ホカホカに乾燥された洗濯物を大きな袋に詰め立ち上がる。
――代わりに洗濯してくれる彼女が欲しい。あ、でもその前に洗濯機を買わないと。
一人暮らしの人は大体洗濯機を持っているものだが、俺は持っていない。何故? と聞かれると少し困るが、なんとなく洗濯機は買う気にならないのだ。
洗濯物が詰まった大きな袋をサンタクロースのように担ぐと、携帯電話をパイプ椅子の上に忘れてきた事に気付いた。
「おー、危ない危ない」
椅子のところに戻ると、心なしかさっきより洗濯機の低い音が耳につく。
地響きのような洗濯機の胎動――じゃなかった、振動が周囲の空気を震わす。
ゴウンゴウン おーい ゴウンゴウン
あれ、今何か聞こえなかったか?
ゆっくり視線を上げると、正面にある洗濯機の隣の洗濯機――つまり椅子から見て斜向かいの洗濯機の中に、人がいた。
ゴウンゴウン ゴウンゴウン
響く音と一緒に洗濯機の中を回っているのが丸い窓から見える。――って、オイぃぃ! おかしいだろ、何かおかしいだろ! 人間がコインランドリーの洗濯機の中に入って回ってるっておかしいだろ! ……おかしいよね? だんだん自信が無くなってきた。だってソイツはジェットコースターに乗っている子供みたいに満面の笑みを浮かべていたから。
固まる俺、回っている人間。白い部屋に響くゴウンゴウンという音。
それに交じってコンコンと硬い物を叩く音が聞こえた。ソイツが丸い窓を内側から叩いている。
『おーい、そこの椅子の所に立ってるキミ。ちょっと熱くなってきたからこの洗濯機止めてくんない? おーい、聞いてる?』
楽しそうに洗濯機の中を回転しているソイツが喋った。しかも俺に向かって。
「――ッは! ゲホッゴホッ!」
あまりのインパクトに、俺は呼吸をするのすら忘れていたらしい。数秒咳き込むと、俺は涙目のまま、ソイツが入っている洗濯機の『取り消し』ボタンを押した。カチリと硬質な音がゴウンという低い音の中響く。
今時の洗濯機では珍しい丸い窓をこじ開け、ソイツを洗濯機の中から引きずり出す。乾燥が中途半端だからなのか、水を吸っていて異様に重たい。どしゃ、という鈍い音と共に、洗濯機の中で楽しそうに回っていたソイツは洗濯機の外に滑り降りていた。
「な、何なんだ、アンタは!」
ソイツは洗濯物のシャツやジーンズ、水そして泡にまみれたまま、へにゃ、と笑った。
「いやぁ、キミ、目付き悪いのに涙目なんて、面白いねェ」
ドシャ、グリッ
俺は無言でソイツの腹に踵落しを捻じ込んだ。――人の気にしてることをズカズカと! しかも涙目なのはアンタの所為じゃないか!
床の上で悶絶するソイツ。それを見下ろす(目付きの悪い)俺。――あれ、俺って苛めっ子?
「ちょっと、お客さーん。洗濯の途中で洗濯機止めないでくれる? ホラ、床が水でびしょびしょじゃないか。ちゃんと拭いといてよ」
コインランドリー屋のオヤジが使い古された雑巾をこちらに投げてよこす。
「ちょっ、え、俺が拭くの? ……この人、洗濯機の中で回ってたんだけど」
店の奥に向かって言うと、オヤジが振り向く。冷凍たこ焼きのCMに出演している元サッカー審判並の頭が光を反射して、ピカリと輝く。
「……そんなバカな事あるわけねーだろ」
冷たい目で一蹴された。――人に信じてもらえない事がこんなに悲しい事だなんて!
「だって、コイツ水浸しじゃん!」
そう叫びながらソイツの方を振り向くと、ホカホカと温かい服を着たソイツが立っていた。意外と背が高い。いや、そんな事よりソイツが着ているTシャツとズボン、それと髪を拭いているタオルには大いに見覚えがあった。
「――っていうか、それ俺の服じゃねーか!」
「だって、オレの服、水浸しなんだもん」
ソイツは口を尖らして言う。
「なんだよ『もん』って、可愛くねぇぞ! ――もしかして下着も俺の穿いてんの!?」
「ご名答♪」
「『ご名答♪』じゃねーッ!」
スパンッ、と小気味のいい音が周囲に響いた。

「すっげ、オレ他人にスニーカーで殴られたのって初めて」
「奇遇だな。俺もスニーカーで他人を殴ったのは初めてだ」
洗濯済みの衣類が詰まった袋。それを担いだ俺の後ろを、水を含んだ洗濯物を入れたビニール袋(俺提供)を手にしたソイツが歩く。ソイツの穿いているズボンからほんの少しくるぶしが覗いているのが何だか悔しい。
「……で、なーんでアンタは俺について来るんだ?」
振り向くと、ソイツはきょとんとした目で俺を見た。
「あれ、この服返さなくて良いの?」
「イヤ、返せ。今返せ、すぐ返せ」
「それは駄目。だってオレ、服乾いてないし。お金無いし」
そう言うとソイツはやはり、へにゃ、と笑う。何かこの表情は苦手だ。
ソイツはコインランドリーにいて、(自分ごと)衣類を洗濯していたにも関わらず、金を持っていなかった。結局俺が立て替えてやったが、何なんだホントに。
俺は一度大きく溜息をついて、ポケットに入っていた煙草に火を点けた。紫煙がゆっくり空へと上がっていった。

結局ソイツは俺の家までついてきた。
「とりあえず、アンタの洗濯物はベランダに干しといて良いから。乾いたら一刻も早く出て行ってくれ。も、ホント頼むから」
狭い一DKの部屋を珍しそうに見回しながら、ソイツは「はーい」と気の無い返事をした。俺は部屋の中に散らばった本や雑誌、CDなどを部屋の端に寄せ、人が座れるくらいのスペースを空けてやる。そしてソファーの上からクッションを床に降ろした。
「干してきた。いやァ、キミって本当に親切な人だねェ。フツー見ず知らずの人間を家に上げる? 信じらんない」
ソイツは人の良さそうな笑顔を浮かべながら、のそのそと俺が床に降ろしたクッションの上に腰をおろした。ちなみに俺は一段高いソファーの上に座っている。
「ここには取られるような物は何も無いしな。……そんなことより、アンタ、何でコインランドリーの洗濯機の中で回ってたんだ?」
一番聞きたかった事を尋ねる。
「さァ? 何でだろうね」
くくく、とソイツは愉快そうに笑った。
「洗濯機の振動は母親の胎内にいるときに感じる胎動と良く似ているらしい。じゃあ、その胎内から出てきたアンタは生まれたての赤ん坊かい?」
煙草をふかしながら言うと、ソイツは色んな感情が交じったような表情をして、最終的に笑った。
「ま、いいか」
そう言ってひときわ大きく息を吸い込む。なんだか灰色の固まりが喉を伝う感じがした。そして、ぷぅ、と白灰色の煙を吐き出す。
ソイツは少し煙たそうに目を細めると、ポンと手を叩いた。
「じゃあ、色々親切してくれたキミに何か恩返しをしてあげよう。ただし洗濯機に関する事で」
「範囲狭ッ!」
思わず煙草を灰皿でもみ消し、俺は叫んだ。――洗濯機に関する事って……あ、そうだ。
「新しい洗濯機を買ってくれ」
買ってくれたら使う気にもなるかもしれない。
ソイツは少し考えた後また、へにゃ、と笑った。
「あ、それは駄目。だってオレお金持って無いもん」
「意味ねぇじゃねーか!」
みし、と俺のかかとがソイツの額にめり込んだ。パタリと倒れたソイツを無視して、ベランダへ行き、洗濯物を触る。まだ乾いていない。舌打ちしてソファーに戻ると、まだソイツは倒れたままだった。
ソイツは一度うーん、とうめくと、ピョコンと勢い良く起き上がり、再び手を叩いた。
「そーだ。じゃあキミの中のイヤな記憶を食べてあげよう。ただし洗濯機に関する記憶で」
「そんな記憶あるわけ無いだろ」
洗濯機に関するイヤな記憶ってなんだよ。むしろそんな記憶ある人の方が少ない。
「いいや、絶対あるはずだって。思い出してみてよ」
ソイツは今までに無い真剣な表情で俺を見つめる。
「いや、無いはず……絶対無い――あ」
「ほら、あっただろ? あっただろ?」
俺の呆けた顔を見て、ソイツは子供のように笑った。
「そういえば、小さい頃回ってる洗濯機に手を入れて……」
「手を入れて……?」
ソイツはわくわく、という擬音が周囲につきそうな表情で続きを待つ。
「洗濯物たちが巻きついて骨折した事がある」
ブッ、とソイツは吹いた。そしてけたたましく笑い始めた。
「あははは、そう、それだよそれ! オレはそんなアホっぽい記憶を待っていた!」
爆笑。コイツの笑い方は間違いなく爆笑に認定されるような笑いだった。
「そんなに笑うなよ! 水に濡れた洗濯物たちは恐ろしいんだぞ! 甘く見んなよ! ホラ、取扱説明書なんかに『やらないでください』なんて書いてあると、やってみたくなるだろう? ――あぁ、くっそ。何で思い出しちまったんだ!」
自己嫌悪にさいなまれ、俺は頭を抱えた。
ソイツは十数秒たっぷり笑い、呼吸を整えると、まだ震えている声で威勢良く言った。
「それでは、アナタの記憶、いただきますッ」
「はっ!?」
カプッ
目の前に、闇が降りた。
「え、ちょっ、え、何?」
あたふたする俺、頭上から聞こえるモフモフという音。手を顔の方に上げると、何だかふわふわする物に触れた。
「なんじゃコリャー! っていうか、アンタ何なんだ!」
暗闇の中叫ぶ俺に、のんびりとした声が聞こえた。アイツの声だ。
「えへへー、オレ実はバクっていうんですよ。ほら、悪夢を食べるという、あのバク」
「あ、あぁ……」
納得しかける俺。いや、待て。何か違う。
「食べるのは夢じゃなかったのか!」
他にも問うべき事はいくつもあったと思う。何故バクなのか。それに仮に本当にバクだとしたら何故人間の姿をしていたか、とか。
「まぁまぁ、細かい事は置いといて。アナタが特別親切だったからサービスです」
「そんなサービス要らねェ!」

ガクンと体が揺れ、目が覚めた。どうやら頬杖から滑り落ちたらしい。ビービーという鋭い音が洗濯の終了を知らせていた。妙な汗が背中を伝うのを感じた。
「寝ている時に頬杖から滑り落ちると、あたかも数百メートル高さから落下したかのような感覚に襲われ、必要以上にびっくりすると聞いたが、本当に体験するとは……」
そんな事を言いながら、洗濯機の丸い扉を開け、乾燥されてホカホカの洗濯物を大きな袋に詰める。
――代わりに洗濯をしてくれる彼女が欲しい。あ、でもその前に洗濯機を買わないと。
そういえば、今まで二年近く一人暮らしをしていて、一度も洗濯機を買おうという気にはならなかった。でも、いちいちコインランドリーに通うのも面倒だし。
「思い立ったが吉日、と言うし、明日あたり電気屋に行ってみるか」
そう呟いて、俺はコインランドリーを後にした。

事務所のような薄暗い部屋に、男が一人座っていた。メガネをかけた神経質そうな男だ。ドドドという音がドアの向こうから聞こえ、男がそちらの方を向く。ドアが開き、入ってきたのは――ずんぐりとしたバクだった。ほんのすこしアリクイに似ている。
「ご苦労」
男は無機質な声でバクを迎えると、手を差し出した。バクは男に近付くと、ゲロリと煙草の煙のような白灰色のモノを吐き出す。男はそれを透明なガラスの瓶に詰めると、しっかりと蓋をした。
ドアの表には『色んな記憶あります 獏』という看板が立てかけてあった。
「お前、なんかいつもよりふかふかしてないか? 今日回収したの記憶はどんな記憶だった?」
男がバクを触って言うと、バクはモフフと笑った。

「洗濯機の中には洗濯物以外入れてはいけません、ってこと」

<了>
最終更新:2009年04月30日 00:04
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