Caught up in shower
I still fell so cold
Please never leave me alone
シャワーの水音が止まった。
バスルームのドアを開ける「がららっ」という音と一緒に、気持ち良さそうな溜息が耳に届く。
遠くに彼の存在を感じながら私はひとり、降り出した雨の所為で灰色になった部屋で膝を抱えてベッドにもたれ掛かる。
―雨は、嫌いだ。
計画を潰される、とか、頭が痛くなる、とかそう言うのではなくて。
胸の奥底に沈めて鍵をかけたあの日の光景が、いとも容易くその中から逃げ出して目の前に現れるから。
あの人とは別に付き合っていた訳でもなかった。
ただ少し、他の人よりも共有した時間が長かっただけ。他の人よりもあの人に笑顔を見せて欲しかった、ただそれだけの事。
だから
あの人は私の方などまるで見ていなかったのに、私は浮かれて舞い上がって、ただの「都合のいい女」に成り下がってしまっていた。
それがはっきりしたのは、少し前の夏の雨の日。
―待ち合わせの場所に、いつまでもあの人は来なかった。
今でもはっきりあの街の様子が眼に浮かぶ。
淡い期待と恋心
何度も右と左を向いて、自分の方に来る人の顔を確かめて
失望する度に不安を必死に打ち消した
残酷な程時間が過ぎて行く
空は機嫌を損ね始め
いつしか雨が私を打つ
嘲笑うかの様な雨粒にされるがままの冷えていく体
濡れて重たくなった水色のティアードキャミ
サンダルを履いた足はぐしょぐしょになって感覚が無くなって
肩にあたる水滴がやたらと冷たくて堪らなかった
―あれは、私と言う名の世界が全部砕けてしまった瞬間。
どうしようもない孤独感に押し潰された私が見たのは、自分の愚かな幼さと、信じていたモノの価値の無さ。
そして私は、何もかもを壊して、棄てた。傷付けられた分だけ傷付けて「死んだ」。
そのまま私の周りで時が流れたからだろう。こうやって私は些細な事でも動揺してしまう。暗闇に飲まれてしまう。
無意識のうちに膝をきつく、きつく抱え直す癖が出来た。
今もそう。
「ひとりは嫌だ、サミシイよ・・・」
崩れていく理性と堕ちて行く思考を制御出来ずにもて余し出す。
シャワーの水音が止んでから久しい。
早くいつもの様に私を抱き締めて欲しいのに、遅い。
帰ってきて。
私に、その姿を見せて。
同じ屋根の下に居る事は分かっている。だからこそ「離れている」「今此処に居ない」という事実が私を灰色の孤独へ突き落とす。
(モウ、彼ハ戻ラナイ)
まさか。だって彼は私の大事な人ではないか。
彼も私を大事に思ってくれている。そんな人が何も言わずに去る訳が無い。
(全部、幻)
あのシャワーの音と溜息も何もかも、雨の日が創り出した残酷な甘い夢だったというのか。
そんな筈は無い。
こんな声こそ、臆病な私が創り出したつまらない幻ではないか。
分かっている。
分かっているのに―
「また閉じこもってる」
顔を上げると、彼が立っていた。
「コーヒー、淹れたよ」
はい、熱いから気を付けて、と彼は私に左手の白いマグを手渡した。
それからよいしょ、と彼は私の右に腰を下ろす。
「・・・ありがと」
揺れるコーヒーの表面を見つめながら答えた。
「人に御礼を言う時は、ちゃんと目を見て言いなさい」
言うが早いか、彼は左手を後ろから回して私の頬に当てると、ぐっと力を込めて、私を彼の方に向かせてしまった。
逃れようにも逃れられない、温かくて力強い左手。
さっきまでの不安が、少しずつこの手の温かさで溶けていくのが分かった。
「コーヒー、淹れてたから遅くなったの?」
「“雨の日はコーヒー”って決めてるからね」
「上半身裸のまんまで?」
この問いには笑っただけで答えず、コーヒーを一口飲んで、彼は少し離れた所に青で縁取られたマグを置く。そして、静かに尋ねた。
「雨、怖いの?」
頬を押さえていた力をふっと緩める。
「・・・嫌なの。思い出すの、辛い事」
「それ、話せる?」
「わかんない」
頬を固定していた手が、やんわりと私の右手に重ねられる。
「話してみる気は、有る?」
「・・・手、握ってくれる?」
彼の指が私の指に絡められた時、「ひとりぼっちの私」が消える。
此処に「確かなモノ」が生まれる。
私は悲劇のヒロインではない。
雨の日の記憶は私の甘えと幼さが招いたモノだから。
消し去る事も、拭い去る事も出来ない瑕。
けれども浄化していく事は出来る。
―全てを聞き終えると彼は、後ろから私を抱き締めて言った。
「シャワー、浴びておいで」
冷たい涙で濡れた顔に、優しい36度のくちづけをして、私を穏やかに浴室へ促した。
浴室に入り、蛇口をひねる。湯気と共に熱いお湯が出てくる。
その音を合図に洗面所のドアが開き、彼が白いシャツを片手に入ってきた。
向こうで彼が、大好きな歌を口ずさんでいるのが聞こえてくる。
少し不器用で、でも私を包み込む歌声は湯気と共に浴室に広がっていく。
その中で肩にあたる水滴は、
―もう、冷たくはない。
最終更新:2009年05月01日 03:38