太宰ウェンツ『走れ兄貴』

 

 

 
「ぶううううううううううううう!!」
 兄貴は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の運営を除かなければならぬとケツ意♂した。
 兄貴には政治がよーわからん( ^ω^)。兄貴は森の妖精である。ケツを叩き、パンツを脱がしあって生活してきた。けれども歪みに対しては、人一倍ナウい息子が敏感であった。
 今日9時に弁当を食べた兄貴は新日暮里を出発し、ケツホルデス城を越え那須高原を越え、31里はなれた此の旧日暮里にやって来た。兄貴には父も母も無い。女房はどうでもいいわ。ガチムチの、内気なゆきのりと二人暮しだ。ゆきのりは、新日暮里の或る歪みねぇパンツレスラーを、近々、ベスト♂パートナーとして迎える事になっていた。試合も間近かなのである。兄貴はそれ故、ゆきのりの勝負ペェンツ(ネイティブ発音)やら祝宴の御馳走、あんかけチャーハンやらを買いに、はるばる旧日暮里にやって来たのだ。
 まず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。兄貴には竹馬のホモがあった。木吉カズヤである。今は此の旧日暮里でツヨシ工業の社長兼ダンサーをしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。
 歩いているうちに兄貴は、町の様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に赤SUN(太陽)も落ちて、町が暗い…怖い…のは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、旧日暮里全体が、やけに寂しい。ナウい息子以外は暢気な兄貴も、だんだん不安になって来た。
 路で逢った本格的ボーイスカウトをつかまえて、どうゆうことなの、二年まえに此の町に来たときは、夜でも皆がホモの熱い時間を歌って、町は賑やかであった筈だが、と質問した。ボーイスカウトは、ナニを振って答えなかった。
 しばらく歩いてアインシュタイン稲川に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。
「なんでだぁ!? 俺やで!?」
 老爺は答えなかった。兄貴はチンポ♂で稲川の身体を揺さぶって質問を重ねた。稲川は、あたりを憚らぬ喘ぎ声で、わずか答えた。
「運営は、本編動画、兄貴MADを消します。」
「なぜ消すのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの動画を消したのか。」
「はい、はじめは本編動画を。それから新着動画を。それから兄貴MADを。続々と被害が広まっております。」
「ビビるわぁ! 運営は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。ニコ動を、一般化する、というのです。このごろは、他の動画をも、お疑いになり、少しく派手な動画をうpしている者には、管理者削除を実行しております。御命令を拒めば十字架にかけられて、アカウントを殺されます。きょうは、六人殺されました。」
 聞いて、兄貴は激怒した。
「歪みある運営だ。生かして置けぬ。」
 兄貴は、歪みねぇな男であった。買い物を、ケツの穴に仕舞ったままで、超スピードでニワンゴにはいって行った。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、兄貴の股間からは肉の棒♂が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。兄貴は、王の前に引き出された。
「この肉の棒で何をするつもりであったか。言え!」
 暴君運営は静かに、けれども激しく問いつめた。その運営の顔は赤く染まり、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「ニコニコ動画を愛する人々を、暴君の手から救うのだ。」
 と兄貴は悪びれずに答えた。
「おまえがか?」
運営は憫笑した。
「仕方の無いやつじゃ。おまえは、一般化がわからぬ。」
「だらしねぇし……」
 と兄貴は、いきり立って反駁した。
「人の動画を消すのは、最も恥ずべき悪徳だ。運営は、うp主の忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」
運営は呟き、溜息をついた。
「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「なんの為の平和だ。私腹を肥やす為か。」
こんどは兄貴が嘲笑した。
「ワロスw罪の無い動画を消して、何が平和だ。」
「だまれ、下賤の者」
 運営は、さっと顔を挙げて報いた。
「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、ユーザーの腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、アカウント削除になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ」
「ああ、運営は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと垢削除覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」
 と言いかけて、兄貴は足もとに視線を落し瞬時ためらい、
「ただ、私に情をかけたいつもりなら、垢停止までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人のゆきのりに、ベスト♂パートナーを持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は新日暮里で試合をさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな」
と運営は、嗄れた声で低く笑った。
「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」
 兄貴は言い張った。
「ホモは約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。ゆきのりが、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この町に木吉カズヤというパンツレスラーがいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
 それを聞いて運営は、残虐な気持で、そっとほくそ笑んだんだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。
 この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。ユーザーは、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男をギロチン♂に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。遅れたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ」
「どうゆう意味?」
「はは。命が大事だったら、遅れて来い。おまえの心はわかっているぞ。」
 兄貴は口惜しく、地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。
 竹馬のホモ、カズヤは、深夜、ニワンゴに召された。運営の面前で、歪みねぇパンツレスラーと歪みねぇパンツレスラーは、二年ぶりで相逢うた。兄貴は、カズヤに一切の事情を語った。カズヤは無言で肯き、兄貴をひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。カズヤは、縄打たれた。兄貴は、すぐに出発した。初夏、満天の星である。
 兄貴はその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、新日暮里へ到着したのは、翌日の午前、赤SUNは既に高く昇って、妖精たちは野に出てレスリングをはじめていた。ゆきのりも、今日は兄貴の代わりに動画工作をしていた。よろめいて歩いて来る兄貴の、疲労困憊のマラを見つけて驚いた。そうして、うるさく兄貴に質問を浴びせた。
「何の問題もないよね。」
 兄貴は無理に笑おうと努めた。
「旧日暮里に用事を残して来た。またすぐ町に行かなければならぬ。明日、お前の初試合をする。早いほうがよかろう。」
 ゆきのりは息子を戦慄かせた。
「うれしいか。綺麗なパンツも買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。試合は、ASSだと。」
 兄貴は、また、よろよろと歩き出し、ゲイパレスへ帰って神々の祭壇を飾り、観戦の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
 眼が覚めたのは夜だった。兄貴は起きてすぐ、ゆきのりの対戦相手の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、試合を明日にしてくれ、と頼んだ。相手のレスラーは驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、もうしばらく待ってくれ、と答えた。兄貴は、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ、とパンツを脱いで懇願した。相手も頑固であったが、兄貴が両手でケツを開くに至り、そこまでするなら仕方ないね、と承諾した。
 パンツレスリングは、真昼に行われた。パンツレスラー同士の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて大雨となった。試合に列席していた妖精たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのもこらえ、陽気にホモの熱い時間を歌い、ケツを打った。
 兄貴も、満面に喜色を湛え、しばらくは、運営とのあの約束をさえ忘れていた。
 試合は、夜に入っていよいよ激しさを増し、妖精たちは、外の豪雨を全く気にしなくなった。兄貴は、一生このままここにいたい、と思った。このパンツレスラーたちと生涯暮して行きたいと願ったが、今は、自分の身体は、自分のものでは無い。ままならぬ事である。兄貴は、ケツに鞭打ち、ついに出発を決意した。明日の日没までには、まだ十分の時がある。
 ちょっとチャーハンを炒めて、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。
 兄貴ほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。
 今宵呆然、歓喜に酔っているらしいにゆきのり近寄り、
「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに町に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しいホモがあるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一番嫌いなものは、人を疑うだらしねぇ心と、それから、歪みある事だ。おまえも、それは、知っているね。彼との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん歪みねぇ男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
 ゆきのりは、夢見心地で肯いた。兄貴は、それからゆきのりの相方のケツを叩いて、
「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、お前とパンツだけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、俺の弟になったことを誇ってくれ。」
 相方はケツを赤く染め、てれていた。
 兄貴は笑って妖精たちにも会釈して、宴席から立ち去り、ゲイパレスにもぐり込んで、死んだように深く眠った。
 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。兄貴は跳ね起き、やばい間違えた……寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。今日は是非とも、運営に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑ってアカウントを消されてやる。
 兄貴は、悠々とパンツを穿いた。雨もいくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。さて、兄貴は、ぶるんと息子を大きく振って、雨中、超スピードで走り出た。
 私は、今宵、殺される。
 殺される為に走るのだ。
 身代りの友を救う為に走るのだ。
 運営のだらしねぇ心を打ち破る為に走るのだ。
 走らなければならぬ。
 そうして、私は殺される。
 名誉を守れ。さらば、ニコニコ動画。
 兄貴は、辛かった。
 幾度か、立ちどまりそうになった。
 ホイホイと大声挙げて自身を叱りながら走った。
 村を出て、ケツホルデス城を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止み、赤SUNは高く昇って、そろそろ暑くなって来た。
「あぁ暑い……」
 兄貴は額の汗をちんぽで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや新日暮里への未練は無い。ゆきのりたちは、きっと歪み無いパンツレスラーになるだろう。私には、今、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐにニワンゴに行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。
 ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きなMADをいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ道の半ばに到達した頃、降って湧いた災難、兄貴の足は、はたと、止まった。
 見よ、前方の川を。昨日の豪雨で山の川は氾濫し、旧日暮里へと続く橋を木っ端微塵に破壊している。
 兄貴は茫然と、立ちすくんだ。
 あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、渡り舟は残らず浪にさらわれて影なく、舟守の姿も見えない。流れはいよいよふくれ上り、海のようになっている。
 兄貴は川岸にうずくまり、男泣きに泣きながら手を挙げて哀願した。
「アッー! 鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎてイくぞオラァ! 赤SUNも既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、ニワンゴに行き着くことが出来なかったら、カズヤが! 私のために死ぬのです!」
 濁流は、兄貴の叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。
 兄貴も覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。
 ああ、神々も照覧あれ! 
 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を。
 今こそ発揮して見せる。
 兄貴は、颯爽と流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力をケツに込めて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに我慢汁を垂れてくれた。
 押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。
 ありがたい。兄貴は馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。赤SUNは既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の平家♂BOYSが躍り出た。
「FUCK♂YOU」
「あぁぁぁん……私は陽の沈まぬうちに旧日暮里へ行かなければならぬ。放せ。」
「何が放せだBOY。持ちもの全部を置いて行け。」
「私にはパンツの他には何も無い。そして、たった一つの命も、これから運営にくれてやるのだ。」
「その、パンツが欲しいのだ。」
「さては、運営の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
 BOYSたちは、ものも言わず一斉に肉の棒を振り挙げた。兄貴はぐぐんと身体を折り曲げ、獅子の如く身近かの一人に襲いかかり、そのパンツを奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」
 と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。
 一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱の赤SUNがまともに、かっと照って来て、兄貴は幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。
 立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。
 ああ、ああ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し、ここまで突破して来た兄貴よ。
 真の勇者、兄貴よ。
 今、ここで、疲れ切って動けなくなるとはだらしねぇ。
 愛するカズヤは、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の妖精、まさしく運営の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、息子が萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。
 路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。
 もう、どうでもいいわ、という、パンツレスラーに不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。
 私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、微塵も無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。
 ああ、できる事なら私のパンツを断ち割って、真紅の男根をお目に掛けたい。
 愛と信実の血液だけで動いているこの男根を見せてやりたい。
 けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよくだらしねぇな男だ。私は、きっと笑われる。パンツレスラー達も笑われる。私は友を欺いた。
 中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。
 ああ、もう、どうでもいいわ。
 これが、私の定った運命なのかも知れない。
 カズヤよ、赦してくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。
 私たちは、本当に佳いパンツレスラーとパンツレスラーであったのだ。一度だって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。今だって、君は私を無心に待っているだろう。
 ああ、待っているだろう。
 ありがとう、カズヤ。
 よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一番誇るべき宝なのだからな。
 カズヤ、私は走ったのだ。
 君を欺くつもりは、微塵も無かった。信じてくれ!
 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。平家BOSYの囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。
 ……私だから、出来たのだよ。
 ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。
 どうでも、いいのだ。
 私は負けたのだ。
 だらしが無い。
 笑ってくれ。
 運営は私に「ちょっと遅れて来い」と耳打ちした。
 遅れたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。
 私は運営の卑劣を憎んだ。
 けれども、今になってみると、私は運営の言うままになっている。
 私は、遅れて行くだろう。運営は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。
 カズヤよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。
 君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。新日暮里には私の家が在る。レスリングファンもいる。ゆきのりは、まさか私を新日暮里から追い出すような事はしないだろう。
 正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。
 四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

 

 ふと耳に、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるように兄貴は身をかがめた。水を両手で掬って、一口飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る、歪みの無い希望である。赤SUNは赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。
 ――私を、待っている人があるのだ。
 ――少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。
 ――私は、信じられている。
 ――私の命なぞは、問題ではない。
 ――死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。
 ――私は、信頼に報いなければならぬ。
 ――いまはただその一事だ。
 走れ! 兄貴!
 私は信頼されている。
 私は信頼されている。
 先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。
 悪い夢だ。忘れてしまえ。
 五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。
 兄貴、お前の恥ではない。
 やはり、おまえは真のパンツレスラーだ。
 再び立って走れるようになったではないか。
 ありがたい!
 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。
 ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、神よ。私は生れた時から歪み無きな男であった。歪み無きな男のままにして死なせて下さい。
 路行く人を押しのけ、跳ねとばし、兄貴は黒い風のように走った。
 野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、ノンケを掘りとばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。
 一団の旅人とさっとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳に挟んだ。
「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」
 ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。
 急げ、兄貴。
 遅れてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。
 風態なんかは、どうでもいい。
 兄貴は、今は、ほとんど全裸体であった。
 最初からほとんど全裸体であった。
 呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。
 見える。はるか向うに小さく、旧日暮里の町の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。
「ああ、兄貴」
 呻くような声が、風と共に聞えた。
「お客さん!?」
 兄貴は走りながら尋ねた。
「ベーコンでございます。貴方のお友達カズヤ様の弟子でございます。」
 その若いパンツレスラーも、兄貴の後について走りながら叫んだ。
「もう終わりだぁ! 無駄でございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方をお助けになることは出来ません」
「まだ陽は沈まぬ」
「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「まだ陽は沈まぬ!」
 兄貴は胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕日ばかりを見つめていた。走るより他は無い。
「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。運営が、さんざんあの方をからかっても、「兄貴は来ます」とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました」
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! ベーコン!」
「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい」
 ベーコンは笑った。
 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、兄貴は走った。
 今、兄貴の頭はからっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。
 赤SUNは、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、兄貴は疾風の如く刑場に突入した。
 ――間に合った。
「待て! その人を殺してはならぬ。兄貴が帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」
 と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれてしわがれれた声が微かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。
 すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたカズヤは、徐々に釣り上げられてゆく。
 兄貴はそれを目撃して最後の力、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、
「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。この兄貴だ。カズヤを人質にした私は、ここにいる!」
 と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆくカズヤの両足に、齧りついた。
 群衆は、どよめいた。
 あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。
 カズヤの縄は、ほどかれたのである。
「カズヤ……」
 兄貴は眼に涙を浮べて言った。
「私を殴れ。力一杯に頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若《も》し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ」
 カズヤは、すべてを察した様子で肯き、刑場一杯に鳴り響くほど音高く兄貴の右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、
「兄貴、俺を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと兄貴を疑った。生れて、はじめて兄貴を疑った。兄貴が俺を殴ってくれなければ、俺は兄貴と抱擁できない」
 兄貴は腕に唸りをつけてカズヤの頬を殴った。
「ありがとう、友よ」
 二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから静かに涙を流した。
 群衆の中からも二人を讃える声が聞えた。運営は、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。動画も復旧する。全て元通りにする。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
 どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、運営万歳」
 ひとりのロリホモが、純白のパンツを兄貴に捧げた。兄貴はまごついた。カズヤは、気をきかせて教えてやった。
「兄貴、兄貴は、まっぱだかじゃないか。早くそのパンツを穿くがいい。この可愛い妖精さんは、兄貴の裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
 兄貴は、優しく微笑み、
「仕方ないね」
 とパンツを穿いた。

 

ω完ω        

最終更新:2011年03月08日 19:15
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