【生年月日】
1947年3月7日
【出身地】
山梨県山梨市
【肩書】
株式会社 日建・代表取締役
【学歴】
1961年 加納岩中学校 卒業
【受賞歴】
2007年 国連開発DEVENET賞
2009年 モノづくり日本大賞 経済産業大臣 優秀賞
等
【活動歴】
1995年 地雷除去機開発プロジェクトチームを発足
1998年 対人地雷除去機第一号機を完成
【予想授賞理由】
地雷除去機の開発によって、地雷除去の大幅な効率化に成功したことに対して。
【開発経緯】
1994年7月―。日建の社長・雨宮清は、20年にわたる内戦が終わったばかりのカンボジアにいました。
以前から、東南アジア向けにトラックや建設機械の輸出を手がけており、復興にあたってそうした機材への需要があるのではないかと考えての渡航でした。
しかし、そこで雨宮は思いもしなかった出会いを経験することになるのです。
ある日訪れた、首都・プノンペンのセントラルマーケット。そこは、内戦で行き場をなくした何万人もの避難民であふれかえっていました。戦場で負傷した人々、物乞いをしている子どもたち。雨宮は、ひとりのおばあさんが木の下に横たわっているのに気付きました。顔にやけどを負い、ひざから下を失い、そばには裸同然の姿でガタガタと震える幼い娘を連れています。
同行してくれた現地の人に、地雷で片足を失い、この子の両親も亡くなったのだと聞かされました。クメール語で「オックン、オックン」(ありがとう、ありがとう)と繰り返すおばあさんに、雨宮はただ1ドル札を握らせることしかできませんでした。
そして彼女は、すがりつくような目でこう言ったのです。
「あなた、日本人でしょう? この国を、助けてください」
豊かな日本からは想像のできない、悲惨な現実。雨宮は、胸のつぶれるような思いを抱えながら帰途につきました。
日本へ向かう飛行機の中でも、その光景は頭から離れませんでした。浮かぶのは、「自分に何かできることはないか」という思いばかり。地雷という悪魔の兵器を地上からなくすためにはどうしたらいいだろうか―。
技術屋の自分にできるのは、「地雷を取り除く機械」を作ることだ。
その決意は、いつの間にか強い使命感へと変わっていきました。
油圧ショベルの耐用時間が通常6,000~8,000時間といわれるなか、累計作業時間が1万時間を超えた現在もなお、地雷原の真っ只中で日々爆発音を響かせ続けています。
私たちは、カンボジアでプロジェクトを始めた当初から、ただ地雷を除去するだけではいけないと考えていました。ベースとなる油圧ショベルに様々なアタッチメントを搭載することで、草木を刈り、地雷を除去し、土地を耕して整地することもできる地雷除去機を開発しています。地雷がなくなったあと、人々がその場所を農地として利用できるところまでを含めた、いわば“幸せな暮らしの再生”というビジョンを描いてきました。
地雷除去機を販売する事業で収益をあげ、さらに優秀な機械を開発する。地雷原に暮らす人々は、畑を拡大し、作物の収穫ができるようになる。そして、貧しい暮らしから脱け出し、幸せを取り戻す―。
収益をあげる企業活動と、社会貢献はクルマの両輪のようなものです。そのどちらが欠けても、クルマはまっすぐ進むことはできません。企業活動と社会貢献の正しいサイクルを持続して、「Win—Winの関係」をつくること。これが、私たち日建の目指す社会貢献の形なのです。
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最終更新:2013年12月23日 21:44