柳田 敏雄

【生年月日】

1946年

【出身地】

兵庫県丹波市春日町柚津

【肩書】

大阪大学 生命機能研究科 特別研究推進講座 特任教授

【学歴】

1969年 大阪大学 基礎工学部 電気工学科 卒業
1976年 大阪大学にて工学博士号取得

【予想授賞理由】

筋肉の駆動力を生み出す分子モーターの動作原理を解明に対して。

【受賞歴】

1998年 学士院賞・恩賜賞
1999年 朝日賞
2013年 文化功労者

【著書】


【主要業績】


【研究内容】

柳田氏は、 85年頃、 レーザーの顕微鏡を開発し、 太さが10億分の7メートルというアクチンの動きを観測することに成功。 アクチンは風になびく草のように揺れていた。 95年には、 アクチンよりも小さなミオシンを1個ずつ見ることにも成功した。 ミオシンは、 アクチンの上をきちっと動くのではなく、 前に行ったり、 後ろに行ったり、 ふらふらしながら平均的には前に行くという動きをしていた。 歯車のような動きではなく、 ゆらいでいた。
文化功労者の発表に 「欧米文化にはあまり見られないユニークな 『ゆらぎの概念』 で、 長年世界の研究者と論争してきたが、 このように評価していただき、 とてもうれしい」 と話している。

「生物の中で一番なじみ深い器官が筋肉です。だから筋収縮の研究をやろうと思った矢先、ノーベル賞学者が新しいモデルを提唱して、謎は解けたとされてしまった。そのモデルでは、分子がコンピュータのように0か1かのデジタルで動くことで筋肉が収縮するという。それじゃ人間は機械と同じじゃないか、いくら偉い人が言っても、それはいかんと思いました」
筋肉の収縮は、アクチンとミオシンという2種類のタンパク質分子が担う。レール役のアクチン繊維の上をモーター役のミオシンが動くと力が発生し、筋収縮が起きる。では、どうやって動くのか。柳田が研究を始めた頃、ノーベル賞受賞者らが提唱した「首振り説」は、ATPというエネルギー物質1つにつき、四分音符のような形をしたミオシンが首を1回振り、ミオシンの頭が歯車のようにアクチン繊維の上を動くというものだった。生物は機械とはまったく違う仕組みで動いているとしか思えなかった柳田は、首振り説を否定しようと試みる。
「10ナノ(1億分の1メートル)の大きさのタンパク質分子を動く状態で見ることは原理的に不可能と言われていたので、それまでの人は、分子が何千兆個も含まれている細胞の動きを見て、分子の動きを推定していました。僕は、分子を直接見ないといかんと思っていましたから、レーザーを使って、何千兆個のいくつかをサンプリングして見ることに成功しました」
こう書くとあっさりしているが、ここまでに柳田は10年弱を費やしている。しかし、それでミオシンが0か1かの動きはしていないと否定しても、名もなき研究者の声は無視された。たまたま柳田の指導教授のもとを訪れ、実験装置や結果を見た米国人学者が支持を表明したことが契機となり、世界中が大騒ぎになった。
次いで柳田は、レーザーや高感度カメラを駆使してアクチンの観測に成功。ミオシンが歯車のように動くなら、レール役のアクチンは固いはずだが、撮影したアクチンは風になびく草のように揺れていた。定説を次々と覆す柳田は、この頃から国際会議に引っ張りだことなる。
では、柔らかいレールの上をミオシンが動くメカニズムとは何か。柳田はアクチンより小さなミオシンを1個ずつ見ることに挑み、1995年に世界で初めて溶液中で動いている状態のミオシンを観測。柳田が首振り説に疑問を抱いてから四半世紀を経て、筋収縮の謎の解明は大きく前進した。

ミオシンはどんな動きをしていたのですか?

「ミオシンは、アクチンの上をきちっと動くのではなく、前後左右にふらふらとしながら、よく見ればある方向に進んでいるとわかるという動きをしていた。脳は、例えば『コップをつかめ』というミッションを送るだけで、各分子に『君は右にどれだけ進め』なんて言いません。ミッションに基づいて、自分でどう進めばいいかを確かめなきゃいかんとなったら、ミオシンはふらふら歩いて、いろいろな可能性の中でいい方向を探すしかない。コップがつかめない時も脳は『ダメだ』と言うだけ。それで分子は『あかんらしいぞ』と、また探すんです」
複雑なシステムを頭脳で全部コントロールするには膨大なエネルギーを要するし、環境変化のたびに条件を設定しなければならない。コンピュータがそうだ。人間は、脳に過度な依存をせず、末端の分子という個々がふらふらしながら処し方を探すことで自律的に全体が機能するシステムを、進化の中で獲得してきたのだ。

【その他】


【本人HP】


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最終更新:2013年12月28日 20:52