長田 重一

【生年月日】

1949年7月15日

【出身地】

石川県金沢市

【肩書】

京都大学大学院 医学研究科 医化学教授

【学歴】

1971年 東京教育大学 卒業
1977年 東京大学大学院 理学系研究科 博士課程 修了 

【予想授賞理由】

細胞死アポトーシスの分子機構に関する研究に対して。

【受賞歴】

1990年 ベルツ賞
1992年 持田記念学術賞
1994年 ベーリング賞
1995年 コッホ賞
1996年 ベーリング北里賞
1998年 朝日賞
2000年 恩賜賞・学士院賞
2001年 文化功労者顕彰
2013年 慶応医学賞

【著書】


【主要業績】


【研究内容】

長田重一氏は、分子生物学の研究を展開し、細胞死に関して画期的な成果を上げました。なかでも、動物の発生や新陳代謝の際におこるアポトーシスと呼ばれる細胞死を引き起こすサイトカインとその受容体を同定しました。ついで、この細胞死の過程には、特殊な蛋白質分解酵素やDNA分解酵素が関与していること、死滅した細胞を速やかに体内から除去、分解するシステムが存在することを発見しました。また、アポトーシスシステムが動かなくなると自己免疫疾患など種々の病気を引き起こすことも見いだしています。以上、長田氏の業績は、細胞死の原理、生理作用を解明したものであり、理学、特に生命科学の発展に大きく貢献するものです。

1987年、私は大阪バイオサイエンス研究所に移りました。早石先生、「君の自由に仕事を進めればよい」とのことで,米原さんと Fas抗原を同定する仕事を始めたのです。苦労したのですが、アメリカDNAX研究所から帰国した伊藤直人君がExpression Cloning 法を導入し、Fas cDNAの単離に成功し,FasはTNF受容体ファミリーのメンバーであることを示すことができました。そこで、本来Fasを発現していない細胞にこのcDNAを導入し、Fas抗体を作用させると、細胞は速やかに死滅しました。生体の機能を保つために,細胞はあらかじめプログラムされた死を迎えるという“アポトーシス(apoptosis)”は,1972年に Kerrと Wyllieによって命名されていましたが、何がアポトーシスを誘導するか不明でした。Fasを刺激して細胞が死ぬ際に、アポトーシスのマーカーである DNAラダーが起こることを見つけ、Fasは細胞にアポトーシスのシグナルを伝達すると結論しました。これらの結果をCellに投稿したところ,1カ月ほどでコメントが返ってきて,「大変面白い論文だ。ただ,アポトーシスは電顕で確認すべきだ」との嬉しいコメントをもらい,追加実験を行い、1991年に論文が発表されました。
その後数年間、次々と興奮することが起こりました。マウスのFas遺伝子を単離し、染色体上の場所を決めたところ、lpr (lymphoproliferation)という変異の近傍でした。Lpr マウスではリンパ球が異常増殖し,リンパ節や脾臓が肥大します。この細胞の異常増殖がアポトーシスの欠陥によるのではないかというna?ve ideaが浮かび、確かめたところ、実際、lprマウスの Fas遺伝子に変異が見つかったのです。感激しました。ある分子の生理作用を調べるにはその分子に対する抗体の作成は必須です。私達、マウスFasに対するモノクローナル抗体を作成しました。ハイブリドーマが産生するモノクローナル抗体はその細胞をマウス腹腔に接種し、腹水から調製します。そこで、抗マウスFas抗体を産生するハイブリドーマをマウス腹腔に接種したところ、マウスは次の日までに、すべて死滅しました。一方、このハイブリドーマをin vitroで培養し、その培養上清より抗体を精製、マウス腹腔に投与したところ、このマウスも数時間以内に死滅しました。このことから、Fasの活性化によるアポトーシスは動物の個体に死をもたらす危険な過程との結論に達しました。
FasはTNF受容体に類似した構造を持っており、これに結合するリガンドが存在するはずです。しかし、どのような細胞がFasリガンドを発現しているのかわかりません。Fasの細胞外領域にヒトのIgG コンスタント領域を結合させた分子を作成し、これに結合する分子を探し始めました。1年間ほどたった1992年12月14日、まだ、何の進展も無かったころです、マルセイユのPierre Golstein 博士から、Faxが届きました。「細胞傷害性T細胞のクローンを樹立した。このクローンは Fasを発現している胸腺細胞は殺すが、Fasに変異のある lprマウスからの細胞は殺さない。もしかしたら、この T-細胞クローンはFasのリガンドを用いて標的細胞にアポトーシスを引き起こしているのかもしれない。この細胞に興味があるなら送る」。もちろん,その日のうちに返信しました。

アポトーシスという言葉は専門外の人も知っている言葉になってきました。プログラムされた死とも言われ、体ができてくる時あるいは新陳代謝時に死ぬことが求められる細胞があり、それらは自ら死んでいきます。最もわかりやすいのは、オタマジャクシのしっぽ。今では人間の体の中で毎日約100億個もの細胞がアポトーシスで死んでいることがわかり研究者もふえましたが、最初この現象に出会った時はふしぎなことがあるものだという思いでした。細胞を培養していて死なせたら失敗だとうなだれていたのに、今では死ぬと"やったあ"となるわけですから。

実はそのちょっと前に米原伸さん(東京都臨床医学総合研究所・現京都大学)とインターフェロンの研究を始めていました。米原さんがインターフェロンのはたらきを調べるためにインターフェロン受容体に対するモノクローナル抗体を作ったのです。この抗体の存在下でウィルスを感染させるとインターフェロンははたらかず、細胞は死ぬだろうと考えてその実験をしました。その時コントロール実験として、インターフェロンもウィルスも加えず抗体だけをはたらかせたら、それで細胞が死んじゃったんですよ。抗体だけで細胞が死ぬなんて、予想もしない事が起き、わけがわかりません。しかし事実は事実です。この抗体は抗原を認識するはずです。米原さんはその抗原をFasと命名したんです。
そこで、大阪バイオサイエンス研究所(OBI)での仕事として、米原さんとFas抗原に関する共同研究を始めました。わけのわからないものを扱うわけで、大学ではあまりにもリスキーでできない研究です。OBIのよさを生かし、持田製薬から人を派遣してもらって始めました。結局は、アメリカから帰国した伊藤直人君がエクスプレッション・クローニング法(註5)でFasのcDNAを単離し、それがTNF受容体ファミリーのメンバーであることを示しました。Fasを発現していない細胞にこの遺伝子を導入して、Fasの抗体を作用させると、細胞は死滅しました。確かに抗体で死ぬんです。調べてみると、細胞の死に方が面白い。細胞死にはネクローシス(壊死)という死に方の他に、あらかじめプログラムされた死があることは知られており1972年にアポトーシスと命名されていました。細胞が壊れることなく、食細胞にとり込まれるとか、アポトーシス時に独特のDNA分解が起きるという現象が知られていたのです。しかし、そのメカニズムはまったくわかっていませんでした。
そこでFasを導入した細胞が死ぬ時の様子を調べると、アポトーシスの証拠とされている独特のDNAの壊れ方をしていることがわかりました。Fasは細胞にアポトーシスのシグナルを伝える受容体であると結論して、「CELL」に論文を送りました。まだインターネットはありませんから大阪中央郵便局から送って、反応を待つわけです。今でこそアポトーシスは生物研究の中で重要なトピックスになっていますけれど、当時はこれがどう展開するかわからないという状態の時です。1ヶ月ほどして、エアメールで「大変面白い論文だ」というコメントが返ってきた時は嬉しかったですね。ただ、アポトーシスは電子顕微鏡での確認が必要とされており、それを求められました。電子顕微鏡なんて扱ったこともないのでいろいろな人に電話をかけ、都の臨床研や大阪市の保健センターで撮影してくれることになったんです。きれいな像がとれ、1991年の論文発表になりました。

【関連書籍】


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最終更新:2013年12月29日 23:19