朝。
目覚めは淡々しい鳥達の囀りと、窓から差し込む幽かな朝の陽射。
まだ開いていない私の瞼の隙間から朝を告げる光が合間を縫って入り込んでくる。微睡が徐々に晴れる。
朝、それも早朝。その陽光は決して強い物じゃない。まだ宵闇をその姿に残した空模様。
昨夜はいつもより遅めに床に就いた筈なのに、何故か普段より早い時間に目が覚めてしまった。
しかし、二度寝を考えるような時間じゃない。

私は半身を起こして布団の脇にある筈の水晶を探す。
就寝間際は特に冷え込んでいた。私は水晶に微かな火エーテルを注いで暖房魔具として使っていた。
これからもっと寒くなるのかと思うとちょっと陰鬱な気分になる。
どちらかと言えば暑い方が嫌いじゃない。
寒さは手先が悴んで筆を執るのにも支障が出るから。
私は橙色に輝く水晶を手に見つけると、いつものように氷魔法で属性を相殺する。
眼前の薄靄を払うように目を擦り擦り、洗面所に向かう。
さっさと準備をして図書室に向かうとしよう。早い分には何も問題が無いし。

……。
洗顔でハッキリ眠気から意識が冴えた所で着替えを始める。
水色のパジャマを畳んでベッドの枕元に重ねて、クローゼットから白シャツと防寒対策のカーディガン。
黒のタイツにスカートを履いてローブを羽織る。決まりきった私の普段着みたいな物だった。
寝る時以外は殆どこれで過ごす。クローゼットの中は同じデザインの同じ服で埋まっている。
机の上の帽子を被り、序でに水晶を一つ懐に忍ばせてから家を出る。


舗装された居住区の通り道は人の往来が殆ど無い。
早朝だからだろう、朝焼けの暗赤色から蒼へとその色を移ろわせ始める空が私を蒼で灼く。
玉石を踏みしめながら王城に向かう。いつもと変わらない風景が流れる。
長い星霜をこの道と共に刻んできたのだ、今更目新しい物がある筈も無い。
でもそれが、不思議と私を漠然とした空虚感に誘う。
きっと私は何か変化を求めてるんだと思う。

私は両親の顔を、家族の顔を覚えていない。
事情は分からないけど、私はどうにも物心付く前の幼子の頃に図書室に預けられたらしい。
自分自身の過去の記憶を辿ると、どうしても今の視点よりずっと低い所からの図書室の情景に突き当たって止まってしまう。
それからという物、私はずっと王城の端の、図書室にいた。
魔法の研究は子供の頃からやっていた。
当時お世話になっていた図書室の賢者さんが私の才能に気付いたのが切欠だった。
子供の頃の研究、いつしか私は魔法の研究をするのが常になって、色々な本を書いたりするようにもなった。
それが今に至る。今もあの頃と変わらない。
……もしかしたら、私の時間はあの時から止まっているのかもしれない。

ただ、図書室の生活が苦痛なわけでは無い。
寧ろ研究をするのは凄く楽しいし、図書室の居心地だって最高に近い。
たまにお姫様が図書室に遊びに来て、取り留めのない雑談を交わしたりも出来る。
だから、私が抱えている気持ちは明瞭な物じゃない。
深い意味が無く、本当にただただ漠然とした不安や虚無感。誰でも陥る事がありそうな軽度な物。
一生このままの生活が続くと考えた時に「それでも良いか」と思うと同時に沸いてくるほんの少しの将来への不安。
閉め切った部屋の中で、ちょっとだけ窓を開けて外の香りを楽しみたいなんていう、そんなほんの少しの冒険心。


図書室に着く。どうやら私は一番乗りみたいだ。
半ば私の指定席と化している窓際の席へ腰を下ろして、昨日の手記を広げる。
もしかしたら、この手記が当初の役目を果たすことは無いのかもしれない。

不意に、静穏な図書室の中、ガチャっとドアノブが動かされる音が響く。


「ふう、今日は寒いなぁ……って、あっ!エリシアさんおはようございます!」


入ってきたのはここの司書を務めているユミだった。
まるで先客がいるのを想定していなかったみたいに、私を見て驚いたように挨拶をする。
そういえばいつもユミは早くに図書室に来てるっけ。もしかしたらいつも一番乗りだったりするのかな。


「おはよう!ユミ」

「えへへ、今日は早いんですね。ちょっとビックリしちゃいました」


言って自分の荷物を司書机に降ろすユミ。
赤いベレー帽子に赤いローブ、流れるようなロングの金髪に控えめな細いフレームの眼鏡。
いつも図書室を管理してくれる司書の見慣れた姿。
それが司書席にあると不思議と落ち着いた気分になる。彼女には割と長い間お世話になっているからだろうか。


「ちょっと待ってくださいね、今暖かいコーヒーでも淹れますから」

「うん、ありがとう!」


私は広げた手記をそっと閉じてポケットに仕舞う。
一晩寝かせてみてもやはり何も書き出しの文言が思い浮かばなかった。
続きはまた気が向いた時……何か思いついた時に考えるとしよう。
鼻腔を珈琲の香ばしい香りが擽る。今日も図書室での一日が動き出した。

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最終更新:2016年01月02日 01:45