Only My Dreams ④





 人間社会は短いベルトコンベアのようなものだという結論に12の時、
既に到達しそこから人生に対し希望を見出せなくなった事がある
 コンベアの長さは個体差があり、大抵は0から22歳まで続き、
先進国の国民の半数は、恐らく思考をせず切れ目に到達してしまったがため、
そこから自分の足で歩き自分の頭で考えることが出来ないに違いない
 そう思ったのは道端である大学生に運命的に出会ったことからである


 詩音は中学生に進学、12だが多くの事を『知り過ぎた』年不相応の大人びた少年へ成長する
 既に実力のみで社会を渡り歩ける程の知識を身に付け、将来を有望される筈だったが、
彼にはコミュニケーションというものが欠如しており周囲の人間はそれを危惧していた
 しかし詩音自身もそれを自覚していたが何も心配することはない、
今周りに居るのは一握りの程度が低い人間なだけ、きっと、時が経てば、
それなりに自分と会話が成り立つ程度の人間は現れるだろうと確信していたからだ

 真冬の寒空の真下、詩音は屋外でコーヒー1杯のみをテーブルに起き、
一冊の本を片手に焦点を活字ののみに絞っていた
 ダークブラウンの皮表紙の本。母が大切にしていた、神田(母の旧姓)家自慢、
服の仕立て方で、これは詩音が趣味で裁縫を始めた際に「きっと役に立つだろうから」
と、自分の時間のほとんどが家事や父の相手に追われると悟っていた母に譲り受けたもの
 詩音が墓まで持って行くと心に決めた物、始めて『大切』と意識し始めたものだった
 ここに記されている技巧。そして色彩センス、デザイン性はきっと真似できない、
多分自分では遠く及ばず参考にする程度にしかできないだろうが、それでもいい、
こうやって、自らの手で何かを作り上げる事はなんと素晴らしいか、
それを教えてくれるだけで充分に満ち足りるのだった

 詩音の開いていたページは121ページ
 122ページを開こうと手を添えるのだが、添えられた手は過程にあるページを大胆に経過し、
終章の一歩手前425ページまで飛ばしていた。添えられていたのは別の誰かの手だった
 詩音の雪化粧が施された枝のように白く細長いしなやかな手と合反し、
その手は黄色く、甲に産毛の生え揃った厳つい印象のものだった

 薄日のさしていた紙面が影で灰色に染まり、他者の干渉によって本は拾い上げられ、
抗うことすらせず詩音の手元から取り上げられる

「おい見ろよ、やっぱりふっるいファッション誌だったぜ」

 その声は一字一句全てに下卑た笑が混じっており、耳に汚物を詰め込まれるような不快感に襲われる
 視覚で捉えずともこいつがどんな人間かは理解できた

「だっせ こんな古いのウチのガッコの資料にもねェよなァ?」

 背もたれに腕を掛けて状態を捻り振り返って見上げる、
そこに立っている男は金の短髪が一際目立ち、形相は詩音からすれば原人のようだった

「いつもこんなん見てるわけ?」
「…そうだよ」
「ないわー。流行遅れもいいとこだろお前
 ちったぁ俺みたいに勉強しろよな、今のオシャレ」
「君の知ったことじゃないだろう、返せよ」

 察するにコイツはデザインか何かの専門学校生かド三流大学のデザイン学科か
 ファッションセンスは悪くはない、特にシルバーのアクセサリーが良いアクセントだが、
こういうスタイルは眼が腐る程目にしている、在り来たりだ、
会社員のスーツを私服にしたぐらいのもんにしか見えず個性がない、
雑誌の内容を鵜呑みにした程度のもので目に入れてて正直痛い

 こんな奴が持っているとこの書籍が冒涜されたような気がした
 よってさっさと返してもらおうと手を伸ばすが「おっとぉ」と戯けて男は本を高くに掲げて遠ざける
 「ウケルー」と奇声を発している女も居たが週刊誌の表紙になるタレントの劣化版といった印象で、
せいぜい埋立地の土か化石燃料になればいいぐらいの価値しかないクズに思えた

「汚い手で触らないでくれるかな。ご存知の通り古い本でね、菌が付着したら余計痛むんだ」

 目を見て会話する気も起きなかった、さっさと細菌だらけの手から本を取り上げるだけでいい、
そう思って背を向けたまま横目で視線を投げ、腕を伸ばし本の表紙を鷲掴みにするが、相手は離すまいと握む力を強める

「は?お前こいてんなよ、中坊がさー、せっかく親切でアドバイスしてやってんのに
 生意気なんだけど?マジイミフ、キショイんだけど」

 ハエの標本を見たことがある、きっとハエが安全な場所から自分よりも遥かに大きい動物を見下すとき、
今目の前にいる男のような顔をするのだろうと思った

「猿には難し過ぎたようだから言い直してやる、それを離せって言ったんだ
 人の文献に触れるのは躾がなってない証拠だな、君はお外よりも檻の中に帰るべきだよ」

 感情を晒すような真似はしなかったが、氷河が蒸気を吹いて溶け出すぐらいに、
普段揺れ動かない心が静粛した怒りで鼓動している
 光のない詩音の目は鋭利な刃物のように鋭くなり、身長差の在る男を、
今にも喉笛に食らい付きそうな獣の目付きで睨みつけていた

「それともあれか 君は高い学費を払って学校に通っているのに、
 図書館に通えば習得できる程度の知識しか得られない事に物足りなさを感じているんじゃないか?
 だからこうして自分の知らない異質な物を見ると排除したくなるのか。小さい奴だな」

 密かに目配せしていた通行人が一斉に足を止めて、冷水を被ったかのように凍りつき、
空気は張り詰め気不味く重い沈黙が流れる

「……こ…この……ッ」

 当初鼻で笑うような態度をとっていた男の様子が目で追える程度に灘らかに変化し始めた
 猿のような顔に自覚があったのか、それとも薄々自分がその程度の事しか学んでいないことを、
今まで苔降ろされたことしかなかった事が無かったのにそうされたのが腹ただしかったのか、
堪忍袋が音を立てて切れ、怒ってるのか動揺しているのかわからない、
言語にならない言語を履き散らかして本を掴んだ詩音ごと地面に振り払い叩きつけた

「調子こくんじゃねーよガキの癖によォォォ…さっきから舐めてんのかお前よぉぉぉ…」

 小刻みに震える男の声が耳鳴りに紛れて響いてくる
 言動がワンパターンだ。まあこの程度の頭の奴はあれが精一杯なんだろう、
そんなゴミクズは相手にする価値すら無い筈だったがこいつは母のくれたものを汚した、
それだけはどうしても許容できない
 鳩尾に靴が減り込み、強い衝撃が肺を貫通してコンクリの上を転がされた
 男は「キッショイ」と連呼しながら地面に寝かせた詩音に繰り返し蹴りを入れてくる
 虚ろな目で見える景色は何もない方向に目をやってそそくさと急ぎ足で通り過ぎる通行人であった
 賢い判断だ、こういう面倒ごとはどう転ぶが全く予想できまい、
実際そうしてくれた方が、こちらとしてもありがたかった

 母が託してくれた書籍が泥水の上に打ち捨てられていた、男に蹴られ手から放られてあんな、
小汚い虫が集るような場所にあの神聖な書物が…

──許せない

 詩音は飛び掛けていた意識を保ち直し、あえて目を瞑って思考よりもこの場に似つかわしくなく、
【想像力】を働かせ痛みをも忘れる程に神経を注いでひたすらにイメージに専念する
 『このゴミクズをどうしてくれようか』……と

 判決にはそう時間は要さなかった
 刑は決まった。後は【命令】するだけだ。 故意でこれをやった事はないが、
きっと上手く行く、何しろ、それを裏付けるような経験はとっくにしてきたからだ

「君には呆れ返る。 どうやったらそんな頭に出来上がってしまうのか興味をそそられるよ、
 本当に言葉のボキャブラリーが少ないんだな。 どうせ読むんなら週刊誌よりも小説をお勧めするよ」

 蹴りの猛攻がひとしきり収まると誇りを払い除けてさっそうと立ち上がり曇りのない目で男に視線を注いだまま、
冷ややかな声色で眈々と思ったことをその通りに述べ上げた
 随分運動した事だろう、男は既に息を切らしているが何事も無かったかのように立ち上がった詩音に驚愕し、
黒目は豆粒のように萎んで大口を開けていた
 不思議なもので、【痛くない】と思えば全く痛みを感じない、それどころか傷も塞がっているのだから、
自分も未だにこれには驚かされているし無理もないとさえも思える

「最も、君はこれから紙屑の束すら見れなくなるんだけどな
 まあ今までそうやって流行り物をチェックしていたお陰で小綺麗な新品を身につけていられたじゃないか」

 男の目を真っ直ぐに見つめる、それだけでいい
 それだけで『殺す』と意識する前に既に【刑】は【執行】されてしまっているのだから

「でも金も馬鹿にならないし気を使うのには疲れたんじゃないか?まあ心配しなくていい、
 どうせ目も当てられないぐらい悲惨になるんだ、君の顔の方がな」

 そう吐き捨てて踵を返し、詩音は上着に付着した砂埃を叩いて払い歩き出した
 一瞬男の顔が視界に入ったが言葉の通り『目も当てられないぐらいに悲惨』な顔になっていた

 鼻から粘膜混じりの鼻血を滝のように垂らし、顔は赤みがかかって汗で濡れふやけ、
むくみ、たるみ、30年分は老けたようにも見える、目はだらしなく垂れ開きっぱなしの口からは、
唾液がとめどなく流れていて、視線から外すと後から荒い過呼吸が聞こえてくる

 そんな男を他所に、本を水溜りから拾い上げ既にどうやってシミを取り除こうか、
この難題に思考はシフトしていた。 あの男はほっといても病院行きは確定している
 命が助かるかは医者次第と言ったところか


 去り際にカフェ付近から離れてから、詩音はもう一度振り返りこう捨て台詞を残した
 最も、それを聞く者は誰も居なかったのだが

「さよなら、それとお大事に」

 既に詩音はこの時から理解していた
 それは身を守るためなのか、それとも夢見がちな自分の性格が影響したのか、
自分は人知を超えた【手段】を得ていたのだと

 程なくして悲鳴、どよめきが耳をくすぐる
 サイレンも鳴り響いたように思えるが今から助かる見込みはあるかどうか……
検死官にせよ医者にせよ酷く混乱するだろう、あの症状は本来日本には存在しない筈の病原菌がもたらすものなのだから





Only My Dreams Act4

──第五図書室の宝石──





 時田彩乃は頚動脈切断、首の骨折、加えて後頭部の強打による出血多量、呼吸困難によって命を落としたのだという
 今の火愚病はまさにそれだ。状態だけではない、移動した形跡と取れる尾を引くような血痕、
そして楕円状の血溜まりは遺体発見現場に残るそれと完全に一致している

 サリーが視界を閉ざしている間に何が起こったのか、混乱していたせいだけではない
物音など聞こえもしかなったし呻き声も上げなかった、全くの静粛の中で事は起こり終わっていたのだった
 即死だ…あまりにもあっけなさすぎるがあれで生きていられる訳がない
 考えるよりも先にサリーは火愚病の亡骸へ駆け出していた
 手遅れな事はわかっている、けれども身体が言うことを聞かず衝動的に動き、
悲鳴にも絶叫にも似た叫びが腹の底から込み上げる

「かぐやっ……」

 彼の名前がほとんど出かかるが、反射的に唾を飲み絶句せざるを得なくなった
 身体が痙攣して二散歩前へ踏み出して足が止まり、現在目撃している、
あまりにも奇妙で不自然な事態を前にして唖然としてしまう

 即死したと思われた火愚病の腕がピクリと脈打ち、指先が電気ショックを浴びたかのように打ち震え、
真っ赤な血の伝う右腕を高々と掲げ、人差し指を尽き立てた
 続いて岩と岩をこすり合わせたような骨の軋む鈍い音、湯が煮立つかの如く泡だつ水音、
それらが次第に激しくなって白目を剥いていた火愚病は起き上がり拳のように、
上体を持ち上げては倒れを繰り返して少しづつ体勢を持ち直してとうとう立ち上がった

「フ──……以外とキツかったなァ…おぉ痛い痛い」

 首を鳴らして左右に捻って、さながら昼寝して寝違えた会社員のような台詞を、
目覚めて早々に発言してのけて白い歯を除かせ火愚病は微笑むのだった
 三白眼で呆然と凝視するサリーに気付くと、両腕を広げてこう尋ねる

「どうしたサリー?まさか俺が残留思念相手に
 『入試前日にして自宅で結構呑気にしていた受験生』ぐらいに思ったいたのか?」

 冗談交じりの言動を聞くや否やサリーが即座に実行に移した行動は、
顔面めがけてダッシュからの右腕のストレートをお見舞いする事だった
 突然のバイオレンスな行為に結構呑気していた火愚病はビビった

「いででで!やめいやめい今は仕込みしてないから!生身だから!」

 仕込み。その単語にサリーは聞き覚えがあった
 義妹にしょっちゅう腕、最悪心臓などを食われている火愚病はどういう仕組みなのかは知らないが
その『仕込み』によって再生を果たしていた
 無論彼は人間でエイリアンやゾンビの類ではないだろうから、なんらかの秘術でそうしているのだろうが

「やかましい!心臓が止まるぐらい心配させた挙句ケロっと起き上がって! 最低だ!賠償金払え!」

 本気で心臓が止まりそうなぐらい心配していたサリーは尻餅を付いた火愚病の頭を
ハリセンで繰り返しはたくラッシュを泣きしゃぐりながら浴びせた
 最初の一撃にはビビったが後は全く気に留めるような痛みは無いので落ち着き払い、
猛攻を片手で受け止めながら呼吸を整え直す事にする

「だー悪かった悪かった。第一お前止まる心臓あんのかよ
 イヤマジで予想外だったんだって、もし運悪く仕込みが無かったら即死だったよ、うん」

 背をマッサージ並みのリズムで拳骨をぶつけられてもそっちのけにし、
服の袖で口から線を引き垂れている血をぬぐい取り、気を失った間に起こった事実を、
散乱した血糊などを流し見状況を把握している
 割と飲み込みは早かったようで平静を保ち顎をつまみ首を縦に降っていた

「反魂師から見てもそんなにヤバかった?」

 拳骨の連打を止め不安気に問うサリーを横目で一瞥すると、棺桶に触れるまでの余裕は影も形もなく、
普段が普段だからなのか恐怖すら抱かさせる程の影の濃い真顔で棺桶を見据え
低く、息を潜めた緊張を煽る声でこう答えた

「ああ、実物にお目にかかるまではこいつを『思念』と見積もっていたがそんなチャチなレベルじゃぁ無かったな」

 サリーが表情をより鮮明に視覚認識しようと火愚病の肩に顎を載せて表情を除きもうと試みたが、
急にその火愚病の背が後退し圧迫されて浮足立ちバランスを崩してしまったため仰向けに倒れてしまった
 火愚病は足を交互に後退させ後ずさっていた
 彼のズボンの裾が小刻みに震えているのを、
上体を持ち上げて起き上がり低い位置から見ていたサリーにはハッキリと認識出来た

 火愚病は冷たく棺桶に向けられた言葉であったかのように吐き捨てる

「ドス黒い『悪霊』 魂の原理に反している……一体何がここまで歪んだ念を生み出した?
 憎しみか?後悔か?……さっぱりだ、一切の汚れがない、魚も住みつけないぐらい済んだ水みてーに歪で純粋な念だ」

 歪で純粋、その言葉にどんな意味が含まれていたのか
 今のサリーにはそれを知る術は無かったが、火愚病の言動からは彼の密かに抱いている、
『嫌悪』と『恐れ』が容易に読み取れた…反魂師の彼が、恐れを抱いている
 悪霊に対し、それを克服する技術を持つ彼が恐れを抱いているのだ、それが何を意味するか、
理解した時、サリーもまた火愚病同様、いや彼以上に恐怖を自覚した

「かぐやん、汗…」
「言うなや。今どうやって念に干渉せず情報を引き出すか考えてんだからな」

 火愚病首筋には冷や汗が伝っている、口元を押さえ付けて独り言を零しながら思考を巡らしている処からすると、
『念に干渉』した結果予想にしなかった現象が彼を襲い、焦りを隠せない施動揺させたのだろう

「クソ…面倒な仕事だな…」

 それを察して押し黙るサリーだったが、口を閉ざしていると重苦しい空気に息が詰まりそうだった
 時計に目をやると答えが出ないまま数分が経過したようだが数十分警戒したように感ぜられた


 そうして無音が空間を支配し空気の層があらゆる物体を固めているようだったが、
それはほんの小さな物音で打ち破られた

「…?」

 足音だ、廊下というスピーカーと類似した環境は音を綺麗に反響させ、
聴覚に直接響くようになっており、サリーも、火愚病もそれを聞き逃さず霊安室の出口へ振り向かせた
 こんな時間に、自分達以外の誰かが、この霊安室へ向かっている可能性が高い
 足音は不確かだったのが次第にくっきりと、確実に大きくなっている

「聞こえた?」
「ああ、気配も確かに感じる」

 近い…確実に、そして正確に霊安室へと距離を縮めている
 不協和音のように折り重なる足音、人数は二人、この時間帯に職員という事はあるまい
 たった二人で、何者かも把握していないのに不用心に近付くとは考えいにくい、
そもそも向こうがこちらの存在を認知していないという可能性も視野に入れるべきだ
 仮に認知して近付いているなら、下手人本人である可能性も考えられる

 だとしたら、これは非常に不味い

 向こうは得体のしれない、殺人の【手段】の持ち主
 しかも二人なら、戦闘になった場合サリーを戦力に入れないとして不利である

「どうしよ、」
「面倒を避けたいんなら早いとこずらかるのが吉だろうが、俺はこんな時間に何をしにくるのか興味があるんだけどなぁ」

 知的欲求なのか単なる怖いもの見たさなのか判断がつかなかったがサリーには到底理解の及ばない、
愚的選択肢を火愚病は口にし、顎に拳を当てて扉がびっくり箱か何かのような目付きで凝視していた

「馬鹿なこと言わないでよ!私は逃げるからね!」

 息を潜め叫びにならない叫びを発するが、その発言が寒いジョークだったかのように、
火愚病は暫く保けて横目でサリーを見つめ吹き出した

「な、何がおかしいのよ」
「だってお前……俺の術なしで何ができるっていうんだよ」
「ぬぐ…!」

 ……──という一連のやりとりに興じていたのも束の間、
鉄製の扉は鳥の囀りと似た鳴き声と共にスライドし、微かに明かり照らしていた非常灯が、
一直線に切り裂かれて開いた隙間から零れ、方や今にも絶叫しそうな形相のサリーと、
方や待ってましたと言わんばかりに微笑む火愚病を照らした

 長方形に切り抜かれた隙間から姿を消した二つの影、
人に類似した シルエットのそれは、一人は猫の耳を生やし、一人はブーニーハットを被っていた
 サリーはその影を見るだけで弾丸の嵐から身を隠すか弱い戦場の市民となって自らを冷蔵庫の中へシュートした
 火愚病は戦場における壁、生きた身代わりや捨て駒のように堂々とその二つの影を見据え、
場違いなウェイターとも言える毅然とした態度と営業スマイルを向けこう言って歓迎する

「ようこそ、哀れなファラオ達の眠れる鉄臭い棺へ」

 二つの影は襲いかかる様子もなく、火愚病の微笑み、冷凍庫の中から小刻みな震度と物音を発するサリーに呆気にとられ、
ただドア枠を踏んだままお互い顔を見合わせていた









 ──冴木詩音という少年の名を知り、それが私の人生の転機になるほどの重要な意味を持つ、
私の一部でもあるような名前になるそもそもの始まりはそう遠くはなかった
 それは、今から7ヶ月と半前。つまり岬友梨が進級してから直ぐの事だった
 今思えば、私がやりたいことをやるようになったのも、今まで一番多くの涙を流したのも、
良い事も悪い事も、全ては、彼に出会ったせいだったのだろう






「友梨は部活決まった?」

 桜の最後の一枚が土に還った頃だろうか、埃っぽい小麦色の春風が、廊下の窓をけたたしくノックし、
茜色が射し込む新年度の初日を終えた放課後・
 肩を並べて歩くお揃いポニーテールをした友人に問われ、
返事を出しあぐねていると友人は口に含んだ飴玉を転がして大笑いしていた

「ぶはっ…!そーいや友梨、1年時大貴先輩に憧れて陸上部入ってさ、あっという間にダウンしたよね!」
「ちょ、ちょっと、それは忘れてもらう約束だったじゃない!」

 追いかけっこに誘うかのように早足で追い越す友人の背中を追い掛けながら、
友梨はここでも『やりたい事のないもどかしさ』に駆られていた
 自分程ただ元気に、充実した人生を送っているように振舞っているだけの、
ハリポテのような人間はそういないだろうと自己嫌悪に陥る

「やーごめんごめん、だってあん時はほんっとウケたんだから
 ……で、どうすんの?
「え、どうするって何を」
「いや部活よぶ・か・つ!このまま帰宅部になる気はないでしょ?私みたいに」

 友人は友梨の心境など知る余地もないだろう、本音を語って聞かせた事など親にすらないのだ、
無意識の追い打ち友梨は表情こそ崩さずに保ったが受け止めきれない重みのある攻撃にたじろいだ

「あ、歩とだったら一緒に帰宅部やってあげても……いいよ?」

 友梨はこの時、ピンチをチャンスに変えた手応えを感じた、上からの目線、
友人と同じ帰宅部に『なってあげる』という同情の意を込めた選択と受け取ってくれれば充実した高校生というレッテルははがれない

「いやいやー友梨には似合わないって。やりたいことやれば良いんじゃないの」

 これは悪意があってなのかそうでないのか、友人の提案は確実に友梨の痛い点を的確に突いてくる
 趣味もない、特技もない、ただ周りに合わせて来た彼女の出来る事と言えば、友達作り、
それも親密な関係ではなくてただ暇を潰し合う程度の友達でしかなかった
 こうして本音をズケズケと言ってくるポニーテールの娘は唯一の心が許せる人間だったと、
今思い返せばこそ、ありがたみを感じた
 そのポニーテールだが、その時の彼女は新年度初日でハイになっていたのか、
いつにも増して言動に躊躇は無く機関銃並みにトークを投擲して来ている

「あ、ひょっとして趣味ないんだ?」
「なななな何を根拠に言うのかな!?」
「あらあら青冷めちゃって、図星か」
「あるし!た、ただウチの学校にそーいう部活が無いだけだし!」




「まさかあるだなんてな…」

 「じゃあ何が好きなのよ」と聞かれて咄嗟に答えたのは『読書』だった
 運動部以外は目立った活動をしていなかったので把握する余地もなかったが、
文芸部なんてものが母校にあったのだと知った時は既に後の祭り
 今更前言を撤回してはメンツが立たないので、くだらない見栄を張ったがばっかりに、
仕方なくその日中に部室を見学して入部届けを部長から受け取らなければならなかった
 とぼとぼと人気のない廊下をぼっちで行進しているこの光景をつるんでいるクラスメイトに見られたらどんな事になるか、
Twitterで呟かれFacebookに写メを貼り付けられても何ら不自然ではない、後方を振り返って確認しながら、
音楽室周辺と対象的に寂れている第五図書室を目指す

 月見浜高等学校校舎は役300年前に建設された古城を改装されており、歴史のあるレンガ造りの、
ゴシック様式で、使用されていない施設、階層の行き届いていない施設が多い
 図書館は5つ、その内の2つしか改装されおらず、読書に興味関心の薄い活字離れしている現代っ子達には需要がないのか、
快適な環境へ整備されなかったあとの3つは一切の立ち入りが無い、埃臭い場所だ
 噂では幽霊が未だに取り付いているらしく、何はともあれ、気色悪いことこの上ない、
と同級生は口を揃えて言う。故に、入り口の周辺にでさえも職員の姿すら見当たらなかった
 しかし、そんな存在しないような場所に人がいることを証明する記載がホワイトボードに記載されていた

『文芸部 第五図書室にて活動中』

 ポニーテールガールこと歩にはそこに提示された事実を共に見上げ大爆笑していた
 滅多に行く機会がない場所だから写メを撮って来い、と土産を要求される始末
 ああ、神様! と、友梨は手を合わせ何か信じるべきものに縋り付かずにはいられなかかった
 こんな偏屈な異常人が集いそうな環境に居る部長とやらが女性であること、
そしてまともな精神の持ち主である事を願わずにはいられなかった
 どんな場所かは知らないが、日当たりの少ないであろう、悲鳴を上げても誰にも聞こえないような場所で、
男と、それも変人と二人きりだなんて我慢できそうにない
 帰宅部は嫌だ、でももしも心配した通りの結果だったら入部を取り消そうと決心した

 第五図書室。
 その場所に辿り着き、確かにそこに誰かが居る、それも頻繁に使用されている事を友梨は、
その門前で理解した
 入り口の木製の扉はニスが塗り直され、金のドアノブにはサビなど一つも存在せず永遠を約束するような輝きを放っていて、
扉周辺、2m以内にはチリも埃も存在しない、汚れの一切が取り除かれたいる
 部長とは繊細な心の持ち主なのかもしれない、友梨は朝はかとはいえ、
僅かな希望を見出し、そのドアノブに触れる。手触りは氷のように冷たかった
 中学校の頃、社会科見学で水産加工場へ向かった時、冷凍庫のドアをクラスを代表して大袈裟に開閉した事がある、
だいたいそんな感触だ、中に人が活動をしているとは到底考え辛い感触だった
 扉は数ミリ動かす程度で悲鳴をあげる程老朽化が進んでいる造りだったので慎重に押して行くと、
案の定日の光が射し込んでいるのかいないのかもわからない森林の奥地のような空間に、
外からの光が暗がりを真っ二つに引き裂き、光の柱には友梨の影法師が投影される

「失礼しまぁす……」

 自分の行動範囲を仕切るのはそのたった一筋の光のみで、
影の中に潜む得体のしれない魔物のテリトリーと自分のテリトリー線引きし、招かれざる客である友梨は、
ヘンゼルにさえも見捨てられた一人ぼっちのグレーテルのようだった
 おずおずと物怖じした挨拶を何処にいるかもわからない誰かへ向かってしてみせるが、
それは底なしの井戸へ投じた一石のように飲み込まれて消え返事は帰っては来なかった

 第五図書室なる場所は何処までも暗がりが続き本棚など影も形もなく、
本当にこれは図書館なのか?そもそもこれは元居た筈の月見浜高等学校だったのか?
 立ち尽くして思考だけを繰り返していると次第に目が慣れてきたのか、目の前に無限に広がる暗がりは、
天井までの高さがある本棚の裏面でしかない事が徐々にわかった
 ああ、自分はただの壁に向かって呼びかけたのかと思うと、
誰にも見られていなかった事が余計に羞恥心を誘い赤面する

 携帯電話のバックライトを駆使して本棚から横へ沿って照らしてゆくと、光を浴びても反射しない空洞を見つけた
 多分そこが本当の意味で入り口なのだろう、思い足を引きずって緊張で脈動する心臓を握るように胸に拳を当てて、
更に第五図書室の奥へと足を踏み入れた

 すると、先程までの暗がりが何処かへと追いやられ、茜色の冷え切った陽光が友梨の頬にそっと触れた
 時刻は16:30。燃えるような夕月が、鍛錬に磨き上げられたフローリングの床を照らしている
 室内は友梨が想像していたような図書室とはかけ離れた解放的な印象を与えた
 無論、書籍の蔵書料は半端ではなく誰にも相手にされていない書類が何段もある本棚の上部で眠り、
規則正しく並べられ棺桶に安置された死体の如く放置されているに違いないと思った

 間取りはホテルのエントランスホールのような広大な一室の中央に、キリストが弟子と食事を分け合ったような、
長っ広く、そして丸い円卓があり、それを挟むように両サイドに比較的小ぶりなテーブルと椅子が列をなしていて、
客人が座して寛ぐ空間に丁度木漏れ日が射し込むように、入り口から向かって奥に、
壁の面積全てを占める窓ガラスが設置され灯火を招き入れていた
 本棚はその更に右手左手に5mはあるそれが光の行き届かぬ隅まで連なっていた

 想像を遥かに凌ぐ芸術的なゴシック様式の装飾が所々に見られ、過疎化を感じさせないその光景に見惚れているのも束の間、

「そこに居るのは、誰……?」

 声だ
 弦楽器で奏でられるような、物静かで透き通った純音、壁すらもくぐり抜け、
空間を川のように流れて耳を掠めて行ってしまう綺麗な声が、
静けさだけが支配する凍りついた空気の中を溶かさず響き渡る

鮪並みに落ち着きなく泳ぎ回る友梨の目は最も橋にあるテーブルにポツンと座している人影に焦点を定めた
 その人影は逆光により作者の意図したポージングのままでいる切り絵のようで、
横顔のシルエットは輪部が細く、滑らかな曲線を描いたフォルムで早熟の少年のようだった
 漆黒の中で二つの青い輝きが、夜空に君臨する月のように輝いていて、
それが彼の両目である事を理解するまで時間はかからなかった

「時田…先輩か?」

 その少年の口から囁かれるアルト調の声は、鎮魂歌宛らに哀愁が漂い、
誰かに縋り、会えない誰かをじっと待ち物音がしては震える兎を思わせる物寂しさ、
そしてあらゆる涙の味を舐めて知っているような嘆きも含まれているようだった
 何か返事をしなくては、このお幼子の問いかけに答えてやらなければ、
例え彼の待ち人でなくても彼を支えなければならない気がした、
しかし、友梨にそんな勇気はなかった、自分もまた兎以上にちっぽけな存在だったのだから
 しばしその影と正面から向き合っていると、影は目を背けこう囁いていた

「まだ1年だったね…、そうだよ、まだたったの1年しか経っていないんだ」

 彼はそう言ったっきり、縋るような目をやめて、打って変わり別人のような、
氷の女王を思わせる冷たく鋭い目つきへ変貌し、友梨から顔を背けた
 友梨には全く目もくれず、視線は片手にした文庫本のみに向けられ、何者の干渉を受け付けない、
再び目を合わせれば化石されてしまう目を持ち合わせていそうな冷たい印象を強く焼き付ける近寄り難い雰囲気を醸し出していた

 思わず息を飲む、彼に話を掛けたら別次元と繋がってしまい二度と帰ってこれなくなるのではないか
それぐらいの異質な存在に感じられ第一声すら発することが出来なかったのだ
 とりあえずカカシのように無言でも側で立っているだけで気付きはするだろうと、
言葉は発しない、もとい発せなかったが彼の読み込んでいる文庫の紙面を覗き見しながら、
向こうからこちらに気付いてくれるのをひたすら待った
 しかし、その影は沈黙を固く守り続け、薄い唇が裂ける気配はまるでなかった
 このまま拉致が開かず、17時の鐘が鳴るのは時間の問題だった

「あ、あの!」

 意を決して上ずった第一声を自ら発したのだが、それは挨拶にはならず、
友梨はは自分の第一印象が「恥知らずのジャジャ馬娘に」感ぜられ自己嫌悪に陥った
 いったいどんな返事を喰らうのか、リングに立たされ相手の額に軽く平手打ちし、
生半可な攻撃を繰り出し侮辱してしまった事からいつ怒号の反撃が繰り出されずかわからずにいる臆病のド素人格闘家、
今、彼女はそれぐらいに怯えていた

 人影が示した反応は、不気味なぐらい静かな物だった
 文庫を音もなく閉じ、首を捻って光って見える猫のような青い横目を向けるだけの、
無言の返事を返してじっとしている。林の中から大人しく人間の様子を伺っている虎を見ているかのようだった

 椅子に座しじっと見つめる彼の目は、自分の目の奥すらも見透かしてしまいそうな恐ろしく澄んでいて、
──そして、濡れていた

「何か御用で?」

 彼の声色は無機質だが丁寧で決して悪い印象は与えない、寧ろ紳士的と言うか、
言葉遣いだけなら親しみやすいような気がした。雰囲気から得るイメージとはまるで違う
 だが心のうちで適当に人をあしらっていそうな冷たさには覚えがある、
そう、見間違うはずがない、きっと彼に会うのは、彼を見るのは3度目の筈だ

「あの…何処かで会ったような気がするんですけど」
「校内ですれ違ったぐらいはあるかもな。君が部外者でないならの話だけど」
「いや、そうじゃなくて…ここじゃない何処かで……」

  流れるように美しい黒の長髪、その素肌は真冬に見る雪のような白さ、
長く整った睫毛に囲われた瞳は、哀愁を讃えたアメジストのように深みのある紫の濡れた瞳、
そこには自分たちのそれのように確かな光が存在せず宇宙空間のように細かい星のような瞬きの白が散りばめられている
 輪部が鋭く、フォルムがシャープで整った顔は真っ直ぐに地の方を向き道端に屈んでいた
 何の偶然なのか、母校の制服を着ており他の男子と異なってアクセサリーを一切身に付けず、
容赦と格好のギャップが際立っていた。
 学生服とはいっても、彼が身につけると精神的に熟した大人の着込む漆黒のコートのようだった
 見間違う筈がない、彼だ

「そう!3月20日!」

「具体的に覚えてるんだな──、君」

 閃いた、と言わんばかりに緊張混じりに裏返った声を上げて『どうだ』と確信めいた視線を注ぐが、
彼は頬杖を付き気怠そうににして早くページをめくりたいのか、閉じた本に指を挟んで爪先で床を叩いていた

「忘れられる訳ないっすよー!あれどうやったんですか?あれ」

「はあ? 俺は君に会った事すら覚えてないのにあれって言われても何を指すのかさっぱりだぞ」

「ほ、ほら!猫の傷を撫でるだけで元に戻したでしょ!?」

「……失礼な質問だとは承知なんだけど……君、精神科にはちゃんと通っているのかい」

 散々突き放すような酷な扱いを受けただけに留まらずついには病人扱い、
ろくに取り合う気がないのか、何か、他人と関わりたくない理由でもあるのか、
何にせよこの学生、口が相当悪いようである

「悪いが人違いだ その日はマイテイへ旅行に行ってたからな」

 彼は再び視線を書物に戻す、マイテイという不可解な単語を発していたが、
行っていたということは外国か何か、地名のことを指すのだろう

「月見浜には居なかったのですか?」

「ああ、学校も仕事もないんだ、ここに居ても面白くないしな」

 ここでこうして書物を読み漁って入りような人物だ、篭りがちなのだろうと固定観念に沿って考えていたが、
どうやらそうでおないらしい、月見浜に生まれた人間は故郷に愛着を持つものだがこの人は、
間違いなくそんな閉鎖的なこの街を冷ややかな目で眺めているのだろうと容易に想像できた

──冷たい視線、それは何処か違う世界を映し出す水晶のようで……

「聞きたいことは聞いたんだろ、読書に戻っても構わないよな?」

 ハッと我に帰り、放心して彼を眺めていた友梨の心臓は停止から復帰して再起動した

「はいっ その、に、入部を希望…したいのですが…!」

 舌を何度も噛み、滑らせてようやく答えと、要件を述べ終えると、
再び気不味い沈黙が舞い戻り、彼は頬杖を付いて目を丸くしていた

「………ふーーん…」

 明る様な生返事
 ここまでストレートに味も素っ気もないコーヒーのような面白みもない生返事をされた事があっただろうか
 そう、最近に覚えがあった、進級する前の春休みの事、それはあの憂鬱な休日の終わりに起こったことと重なる

「どうも嘘くさいな、君そこらの女子みたいに教養なさそうだし、大方罰ゲームといったところか
 学生っていうのは趣味の良くない遊びがお好きのようだからね」

「え、い、いきなりなに言い出すんですか」

 今でこそ言ってしまえば、その日の彼の言動は些か攻撃的で、
人を先入観で見ろくに向き合おうとしない、冷たくて卑屈。最初の印象は最低な方だった
 しかしそうも言ってられない、確かに本心から入部を希望したわけじゃないし失礼だったかもしれないが、
こちらも見栄というものがある、何としてもここで入部したという事実が欲しい
 友梨に出来るのは、無垢な女子高生のふりをして頑なに否定することだった

「ち、違いますよ? 私本気なんですよ!小さい頃から絵本とかよく読んでて…」

「……にわかには信じ難いな。化粧、鞄、髪型からしていかにも『みんなといっしょ』って感じだ
 逆を言えば一人で何もできない、糸が切れた人形みたいに無気力、丁度そんな感じ、
 家ではテレビのチャンネルを延々と回して、面白くもないケータイゲームに流行ってるからって金を費やしてそうだ
 そんな人がクラスメートに後ろ指刺されるような部活に入る度胸があるわけないだろ。帰った方がいいんじゃないかな、
 悪い噂されたくなければね、どうせ本の話題をしても『何それー』って反応がオチだろ」

「そんなことないでしょう、皆あなたが思っているより理解があります」

 よく即興で口を挟む暇も与えず徒然とプレゼンテーションをする再学院生のように言ってのけるものだ
 目すら合わせてもらえずいきなり散々に、しかも心に突き刺さるような言葉を立て続けにぶつけられて、
ジャブでは生ぬるいストレートを早送り映像のようにラッシュで叩き込まれたみたいに精神状態は満身創痍となり、
とてもじゃないが言い返す余裕は無かった……何より、『この人面倒臭い』と素直に思った

「場違いだ、大きいお子様は遊んで来い。最も走り回ったりはしないんだろうな
 ゲームセンターか?それとも面白くもないゴシップで馬鹿笑いしている程度かな」

「ひど……よくわからないけど傷付きますよ」

 図星、図星、正確に事実を射抜いて責め立ててくる
 それを何とも思わなければ、楽しいと思っていれば問題はない筈なのに、岬は暇潰し、
時間つぶし、単なる付き合いでそれに時間を費やしていた
 声は小刻みに震え、くぐもっていた

「いくら君らでもドン・キホーテぐらいは知っているだろう?風車を龍と見間違いて突っ込んだ馬鹿の話
 君らはそれだな、何が好き何が面白いとかそういう感覚が麻痺しているんだな、お可哀想に
 君はそれがお似合いだろうけど僕は見てるのも恥ずかしくて目も当てられな……」

「あ、あの!」

 『何がしたいのかわからない』今の自分の足を絡め取ろうとする細波
 そのせいで足は冷え切っていて痺れていて前に歩み出せずにいてアンバランスになっているのに、
背中を突き飛ばして深い深い深海へと突き落とす程の破壊力のある暴言と、
…………自覚している事実を的確に捉えた指摘だった
 激昂しテーブルを両の手で叩いて声を張り上げていたのは、きっとそれを認めたくなかったからだ、
今までずっと目を背けて彼の言うように笑ってごまかし好きでもないことに没頭していたからだ

「……あなたに、会ったばかりの人にいきなりそう言われたくないです
 私の、私の何がわかるっていうんですか」

 無意識の内に錯乱してコップの水をひっかけるような冷ややかで冷静さを欠いた言い放ちをしていた
 けれども自分でさえも「子供の反論」みたいだと、そう思えて頬が恥ずかしさのあまりに染まる


「生憎俺はこんな人間なんだ、こんな奴と部活なんてやっていけるのか」



────ま、どうせ無理だろ



……と、その青年は付け加えた








 文芸部入部を決めて始めて自覚したことがある、
私は負けん気が極端に強く挑発をされれば引くことができない単純で、
扱い易くもありめんどくさい人間である……と

 友梨は結局、この目の前にいる男子高校生、冴木詩音の突き放すような物言いを聞けば聞くほど、
赤いスカーフに目をつけた闘牛のように逆上しアタックしていったのだっ
 別に誘う気などなかった詩音にとっては厄介なことこの上なかっただろう

 そしてもう一つ、冴木詩音という人間について気付いた事がある
 それは彼が思っていたより感情的ということだ
 彼は何をきっかけにしてなのか想像もつかないが突然ヒステリーを弾きこす事がある

 まれにある程度なのだが症状は何れも異なる、
散歩中ふらりと人の住んでいない古民家に入っていきなりそこにある椅子を振り上げ窓を叩き割る……や、
頭を掻きむしって机に突っ伏すなど、程度も異なるがとにかくそうなると見境がない

 何の前触れもなくそれは訪れるものだと理解していたのだが、暫く一緒に居る時間を過ごすうちに、
そうなる前兆のようなものがあることに友梨は気付いた

 そういった症状が発生し奇行に走る前日からその瞬間まで、目が虚ろになり、
口が達者で弁が立つ筈の彼がいつもの倍無口になって口を閉ざし、
ただ抜け殻のように放心して、こちらが話をかけての無視どころか気付いていないのだ

 そして次の日、予知せぬタイミングで狂気を発作し、友梨や周囲の人間を混乱させ、
時には、擦り傷程度だが傷を負わした事もある、とにかく手負いの獣といった勢いで、
とても一人の女子高生で抑えられるような領域ではない

 今の彼は、そんな一面も併せ持っている事など、顔なじみでさえも忘れさせられるような、
恐ろしく不気味なぐらい静粛で、生真面目で、そして何処か捻くれていて卑屈だが、
真っ直ぐと前だけを見つめる、真冬の銀空のように冷たい瞳を携えた青年だった

 ただ一つ、この日の彼はその手に、彼の持つ空気感とは似合わないものを、
束から溢れるぐらい一杯に携えていた事だった

「先輩、そんなに花を持って何処へ行くんですかー?」

 彼は普通に接していれば別段受け答えの悪い人間ではない
 冴木詩音にとっての普通の基準はあくまでも『自然』ということだ
 悪ふざけをしてみたり、おどけて大声で呼んでみたり、そういうのは学生にとっての普通だが、
彼にとっては不愉快で、蝉が耳元に留まるのと等しくやかましく鬱陶しいらしい

 人気の無い町外れの山道で、木枯らしにマフラーを靡かせながら前を見つめ詩音は囁く

「墓参りだよ 古い友人の墓なん……」

「えっ!?」

 友人という単語を聞き友梨はポニーテールが猫の尻尾のように逆立った気がした、
そして実際に結んだ髪はふわりと浮いて、思わず暑いものが喉に詰まったような握った声を上げていた
 気づいた時には既に遅い、
 声の余韻と気まずさに駆られ口元を抑え絶句していると、
詩音は予想に反し、口の橋を微かに釣り上げ自虐的に笑っていた

「なんだよそれ、『俺に友達がいたなんて思ってのみなかった』って顔だな」

「はゎ!?…ち、違います!………で、でも墓参りするぐらい中がいい人がいるとは思わなかったかなー…」

「は…。だろうな、俺もそんな人が現れるなんて、いやそんな発想すらなかったからな」

 自然と、岬友梨自身もそれに同調するように口元が綻び、頬が染まっていた
 冴木詩音は、今まで見せたことのなかった笑みを浮かべ、遠くを見つめながら弦楽器の高音のように弾む声で、
本当に幸せであるように、そう語っていた

「多分、そういう人はもう現れないんじゃないか」

そいてそれに比例しするかのように、私は今まで、葬式の時ですら感じることのできなかった、
大いなる『悲壮』が、大海原のように押し寄せてきたのだった







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最終更新:2013年09月29日 00:29