chikugogawa @Wiki内検索 / 「いま生まれたばかりの水」で検索した結果

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  • いま生まれたばかりの水
    私は高校卒業まで名水百選にも選ばれている水で生活してきました。 しかし、百選の中で唯一うちの水だけ、とある特殊な形態なので、市民は水のありがたさをあまり感じていない。非常に珍しい、平野部の川よりも下流にある平野部での湧き水。 私にとって川を生む水は、山のあちらこちらで見かける細く這うような水の流れが集まったものだと思えてしまう。そんなわけで、恵まれた環境にもかかわらず、山あいで湧き水とかがあると、なんだかありがたい。 でもそうそうあちこち旅をしたわけでもないので、思い出す湧水といえば、忍野八海くらいかなぁ。火山性の地域には、こういうところがあるんだよね。 さて、筑後川の源流。 お役所系のホムペからみると、筑後川起点の所在地は熊本県の瀬の本高原ということらしい。 http //www.yado.co.jp/kankou/ooita/kuzyu/sen...
  • いま生まれたばかりの川
    いよいよ一曲目前半のまとめに入る。 冒頭と同じ音形を使っているのはだれでも気づくことだけど、念のため。冒頭は#ひとつのト長調だったのに、ここは#が2つのニ長調。入りの音で言えば、冒頭はHでここはFis。すぐに気が付くことだけど、音取り段階でちょっと気をつけたいのは、ソプラノとテナーが遅れてCisから入ってくるのが、自分が冒頭とまったく同じフレーズなのではなく、低声が冒頭と同じことをやっているその調で5度上からかぶって入るってこと。大きな違いは「いまうまれ」の「れ」の音。DじゃなくてEになっています。 mfスタートでffまで持っていくので直前の休符などで十分体を柔らかく準備することが大切。クレッシェンドが始まった後で遅れて入るソプラノとテナーに楽譜上mfと書いてあっても、少し大きいところからはじめる場合と、楽譜どおりmfからはじめる場合とがあります。 冒頭では、ある意味、な...
  • みなかみ
    ...團伊玖磨のスラー いま生まれたばかりの水 1オクターブの跳躍 部分的な無伴奏 p、mp、mf、mf 何も考えないで 巡礼 縦の線 上昇の中の下降 はじめまして? 持続音 ネット小説における「小鳥の産毛」 羽毛 丹秀ひ 山の光 p.6 天へ 萌えへ続く緑の階段 アホ外人の春 阿蘇外輪山 雄大vs癒し系 誤字? 裏の役割 いま生まれたばかりの川 3拍子 ひとフレーズ 軽快vs繊細 愛 ん? 女声にあって男声にないもの アクセントにテヌート 2小節×5つ×2回 遠い旅行 激しい違和感 初演 予感 かりゅうどの墓を(笑ひ) すばやい掛け合いへ 負けを認めます 森のくまさんを恐れずに 不自然な音量指示 へみおら 敢えて変えてあるということは 筑後川の主要な滝 さあ、いよいよ大詰め あの鐘を鳴らすのは 指揮者にあわせるということ 帰ってきた旋律 2連符 みなかみで生...
  • いつだったか生まれた川
    『筑後川』冒頭のみなかみでの「いま生まれたばかりの川」というテキストにつけられた旋律。以前も指摘したけど、冒頭での掛け合い無伴奏の合唱、中間部で低声と高声が掛け合うピアノが動かないところ、「みなかみ」の終わりでのピアノパート、そして「河口」冒頭のピアノパートにこの旋律があって、もうひとつ「有明の海へ」と歌ったの直後のピアノパート(「河口」冒頭と1音以外まったく同じ)にある。 冒頭はパートソロで旋律を補強する和音はなく、持続音で少し厚くするだけ。中間部は5度重ね。「みなかみ」の終わりはオクターブ重ね。つまり、総じて和音は厚くない。一方で「河口」冒頭の和音は厚い。「みなかみ」の終わりも「河口」冒頭と同じくGrandioso ffが指定されているが、この和音の厚さの違いで描ける情景が変わる。 この和音、じつは、「みなかみ」オーラスの「未知のくにぐにへの」を無伴奏の合唱がGrandi...
  • 帰ってきた旋律
    冒頭の特徴的な旋律ミレレミファミレドラソで「いまうまれたばかりのかわ」が帰ってくる。 冒頭はAndantinoでp。中間部の「いま生まれたばかりの川」はmfスタートでクレシェンド(最後はff)。そしてこの曲の終わり「未知の国々への旅行が」はGrandiosoでfff。 頭から続いてきている音楽であるということと、それが盛り上がってきているということを正しくお客様に伝えられるよう、頑張りましょう。 ピアノパートが黙ってくれていますので、ここは声の見せ場です。 アルトとベースは冒頭とまるでまったく無関係な音形なので油断すると気づかないかもしれませんが、ソプラノとテノールがこの旋律をやっているんだ程度のことは知っておいてください。 ちょっと特殊な旋律なので、和音付けをすると、アルトやベースはあおりを食らって、なんだかわかりにくい音になっています。 正直、個人的にはベースの...
  • 團伊玖磨のスラー
    作曲家によるスラーの書き込み方は、いくつかの流派が あるようだ。 とりあえずこの組曲を眺めて團の流派を探ってみると、 レガートであってもスラーはめったにつけない 1音節で複数の音にまたがるときは必ずスラーを書く レガートを示すために、絶対使わないというわけでもない みなかみの冒頭にはAndantinoというテンポの指示しかなく、legatoともmarcatoとも、energicoともgrandiosoとも書かれていない。書いてない以上、整合性が取れればなにをやってもいいはずだ。 とはいえここはレガート。一部の作曲家なら、「いまうまれたばかりのかわ」のすべてにスラーを書くような場所だ。 ただ、日本語を考えると 「いま/うまれたばかりの/かわ」 と見ることもできる。でも現実的な演奏として、ここを本当に切ってしまうことは考えにくい。 とりあえず初心...
  • 自由な世界
    ここまでの私の指摘を読んでみれば、この曲が不自然な拍の上に成り立っていることはだいたい分かって頂けると思う。珍しい拍子、珍しいフレーズ当たりの小節数。それも定式化された2+3のリズムを持っているとかでなく、どことなく、なんとなく。 團伊玖磨は『筑後川』の詩について 「今生まれたばかりの川、とまったく普通の言葉で書いてある。しかも、律もそろっていない。しかしよく読むと詩人の考えたフォルムが底にある」 と語っている。 話すように、語りかけるように自然な音楽。歌は語りと違う定式化されたものとして存在しているもののようにも思うけど、西洋音楽の長い歴史はまるで話しているような抑揚とリズムを持った音楽を生み出すにも至った。そういう音楽は、現代音楽の複雑何とかを目指すわけでもなく淡々と2,3,4拍子が入り乱れる。 すでにオペラ『夕鶴』を書き上げていた團にとって、この自由詩...
  • ミレレミファミレドラソ
    冒頭の旋律。 これが出てくるのは最初のページのほかに、 p.8 みなかみの中間部の合唱「いまうまれたばかりの」、 p.15 みなかみの最後の合唱「未知のくにぐにへの」、 p.15 さらにそのあとの後奏ピアノパート、 p.43 終曲「河口」の前奏と、その繰り返し部、 p.49 合唱最終フレーズ直前のピアノパート。 一見するとハ長調だけど、下段アルトの音を見るとわかるように#ひとつのト長調と見るのが自然? だから移動ドでいえばシララシドシラソミレじゃなくて、 ミレレミファミレドラソ(ないのはシだけ)。 このことは河口の前奏でDesでなくDが出てくることでも確認できるし、最終部でもそうだ。ただ、この伴奏の途中で臨時記号の付き方がかわるところをみると、単純に何とか調ですと言い切ってしまうのもよくないかも。
  • 3拍子
    曲の頭からずっと5拍子という珍しい拍子でやってきたこの歌も、前半のまとめで4拍子を使ったかと思うと、突然軽快な3拍子になる。 3拍子ってどう? 難しいもの。とりあえずそういう印象を持っている人がいる。自分の体に染み付いてないものというか。 歩いていて、右左、右左を繰り返す。これは2拍子。2歩ずつ右左に上半身を揺らしながら楽しそうに歩いてみると、これは4拍子。2拍子や4拍子は体に染み付いている。民謡やポップスや、世にたくさんある初心者向けの曲が4拍子なのはわかりやすいから(たぶん)。じゃぁ、生活の中に3拍子があるだろうか。吉野家に揃っているものは音楽的でなさそうだしw、三三七拍子は休符を数えると実は4拍子だしなぁ。 どこまで本当のことか知りませんが、音楽の世界では3拍子の起源に乗馬が指摘されます。乗馬も競馬も騎馬も縁がないので真偽のほどがわからないのですが、馬の駆...
  • 日本の祭り
    やっぱりおまつりって言ったら秋だよな。稲刈ってから祝えっつーの 農耕民族。っていうか、一年の計は10月にあるとされているような、秋祭りにやばいくらいすべてをかける地域に生まれ育ったのでそれがデフォなんですけど、でもかすかに夏祭り勢力も侮れないなぁと思い調査しました。 調査方法 地域新聞39社がお届けする日本中の祭りを紹介するwebサイト「ニッポンの祭」 http //www.todays.jp/maturi/ での祭りの紹介数を、月ごとにカウントして比較した。ニャンスキーがテキトーに一回数えて、間違えの恐れがあっても確認しなかった。月をまたいでいたらそれぞれの月でカウントした。 結果 月 祭りの掲載数 1月 11 2月 39 3月 7 4月 7 5月 6 6月 4 7月 47 8月 104 9月 33 10月 47 11月 20 12月 9 考察 8月...
  • アルトの祭り
    『筑後川』全曲中でアルトがパートソロ、あるいは他パートと明らかに違う動きをして目立ちようがあるのは 「みなかみ」冒頭での「いまうまれたばかりの」 「銀の魚」3小節目の「にーーーー」 「銀の魚」後半のハミングで3小節目と同じ動き 「川の祭」終盤フーガの「まつりよかわをよびおこせ」 の4箇所しかない。それ以外は大抵ソプラノの裏についていて、たまにベースと同じ動きをする。まさに内助の功のパートそのものという書き方をしてくれている。 何も目立つことが音楽のすべてだといいたいわけではないし、奥ゆかしいアルト気質にあって、そんなことに心を奪われたりはしないのだろうけど、しかし人前で歌を歌うという意気込みの芸術家に自己顕示欲がないはずないだろう。 さて、その4箇所をよくよく考えてみると、一つ目は4パート順繰りの2番で中継ぎ。銀の魚のあの動きだけで満足できるとしたら、その...
  • 風雅
    風雅<ふうが> 風流で上品なこと 妻との会話で、子供ができて、男の子だったら風雅、女の子だったら華音って名前にしようか、とか言ってたんだけど、なぜか子供できません。まぁ無理して欲しいわけでもないからテキトーにほったらかしてるんだけど、多少はまじめに考えたほうがいいかもなぁ。 多少オリジナリティ高く名前を考えたつもりだったんだけど、いまどき華音ちゃんっていっぱいいるのね。で、日産のフーガの中国名は風雅だし。うーーん。まぁあんまり独自性に走りすぎるのもドキュンぽくて痛いし、っていうかまず少子化をお前が食い止めろよってか。 音楽の歴史で、初期のフーガはカノンに過ぎず、そういう類型うんぬんとは無関係に作曲家たちは中世からそういう技法を使っていた。1300年頃のイギリスで生まれたSummer is icumen inという曲が、そういう曲の最古のものとして知られている。ってさ...
  • 実はモーツアルト作曲?
    1791年8月末、弟子のジュスマイヤーと『ティトの慈悲』をわずか18日で書き上げようとしていたモーツアルトは、そんな合間にも滞在中のプラハで中心部を流れるヴルタヴァ川(Vltavaドイツ語でMoldau)河岸で行われた夏祭りに出向き、現地の音楽のメモ、あるいはそれを題材にしたと思われる曲のモチーフをスケッチとして残した。「灰色の服を着た男」からの作曲依頼にこたえるため、ジュスマイヤーに構想を伝える一環と考えられている。 それから100年以上たった1922年、欧米視察団を率いた團琢磨(三井財閥の総帥で、後に日経連の会長)は訪問先のパリで産業技術の見本、あるいは記念品として、当時開発されたばかりのヘルシュライバーと呼ばれたファクシミリの原型品でコピーされたこのモーツアルト自筆のスケッチを渡されたらしい。 このスケッチは團琢磨が1932年に暗殺されたのち、一度、次男團勝磨に遺品として渡る...
  • 今生まれるところの歌
    西洋音楽に不可欠なものとして、テンポ、がある。 休符ですら音楽の一部だと思うと、テンポの存在は音楽を作る様々な構成要素の中でよりプリミティブなところにあるように思える。 しかし、テンポは元々あるものではない。演奏会場の中にあらかじめテンポがあるわけではない。何もないところからテンポがあらわれるのだ。一度鳴り始めた音楽は、常にその前の音響として起こったことの影響下にあるべきだし、たいていそうなっている。だけど、曲のど頭は、別だろう。だって、その前がないのだから。 いま、この世界、この宇宙には時間が流れている。でもビッグバンの前に、時間はなかったんだよね。だから、音楽の始まりは、まるでビッグバンのようだ、と思うことがよくある。曲全体を生み出すような音楽の始まり方。 でも、音楽が生まれる瞬間、そこには何もないのかというと、そうではない。お客様がそこにいて、何かを...
  • p、mp、mf、mf
    最初のページの音量指示で、ちょっと意外なことが起こっている。 Sop, Alt, Ten, Basと順に入ってくるにあたって、だんだんと大きくなるように書いているかと思いきや、Tenがメゾフォルテなのに、Basもメゾフォルテなのである。 各パートは主旋律を歌い終わるとき、「かわ」というのと同時に次のパートが始まっている。 普通なら、主旋律を受け渡すために、最後をむやみに強くしないように注意が必要かもしれないが、ここでは後からくるパートが大きく入るので、つられて大きくならないように注意する程度で、主旋律の受け渡しができてしまう。 と思いきや、そういう気持ちではテナーはベースに、旋律を渡せないのだ。いや、もともとテナーの諸君が一度捕まえた主旋律をみすみす手放すはずがないだろうし、ベースの諸君は、めったにない主旋律を千載一遇のチャンスとしてここぞとばかりに吠えるかもし...
  • 暴走特急!
    内房特急は「さざなみ」。なんでそういうネーミングになったのかまでは知りませんが、私が生まれるずっと前からこのあたりの優等列車にこの名前も用いられていたらしい。 東京湾って、まじまじと見たことないんですが、波が小さいんですか? 大学生で8年くらいむやみにw長く東京にいたんだけど、海は見なかったんですよね。自転車で行動できる範囲でしか動いていなかったから。 当時の私の脳内地図では、あきばの向こう側は千葉で、渋谷の向こうは湘南で、上野の向こうは津軽海峡で、池袋の向こう側は埼玉、新宿からは長い中央本線で名ばかりの東京都が続き、東京駅の隣の駅は名古屋って感じで。 大学一年と時の何かの実習で場所のデータを本から拾う作業があって、東京のデータがないから近そうな長野のデータをつけて持っていったら、教官から「なぜたてやまを選ばないのかね」といわれ、「そんな山は知りませんが」と北アルプス...
  • 名前
    週刊少年ジャンプに連載され、テレビアニメも大ヒットした「ヒカルの碁」という漫画があります。囲碁漫画という異色のジャンルを切り開き、子供たちの間に一躍囲碁ブームを巻き起こした話題作でした。 囲碁のいの字も知らない少年ヒカルに不遇の囲碁棋士佐為(サイ)がとり憑き、サイの指南でヒカルが成長していくというストーリー。はじめは他の人に見えないサイの指示に従って碁を打つだけだったのに、徐々に自分でも打てるようになっていく。 この漫画の中で、やや不自然に強調されていると感じた展開がありました。それが「名前」です。 たとえば武者修行中のヒカルが碁会所でいざこざのあった韓国の少年と対決するシーン。その少年は「ボクが負けたら、お前の名前を覚えてやる」といい、対決の最後にヒカルは「僕の名前は進藤ヒカル!」と高らかに答えました。取引内容にしては不自然ですよね。ちょうどサイの協力なしに碁を打てるようにな...
  • Requiem
    ちょいと冒頭のテーマが戻ってくる話。 みなさんもタイトルくらいは良くご存知のレクイエムという曲は、冒頭の歌詞がレクイエムエテルナム...だからレクイエムと呼ばれるのですが、その長―いテキストのかなり終わりあたりに、もう一度、ほとんど同じ歌詞が出てきます。すると、ある意味、誰でも思いつきそうな話ではありますが、ほとんどお約束というくらいに、その最後あたりのレクイエムと歌うところで冒頭と同じ音楽を鳴らし、「冒頭ではまだ全容をご理解いただけなかったかもしれませんが、いまや、すべてはじめから予定されていたとおり」といわんばかりの構成をとっている曲が多いです。 とはいえ、キリスト教の重要な宗教行為であるミサであって、死者のために行うとき用のテキストの組み合わせ、というもので、その組み合わせに自由度があるものだから、レクイエムの歌詞というのはあっちがあってこれがないとかいろんなことが起こる。だ...
  • ブレスするのかしないのか
    43小節と44小節の間、つまり、「あゝ」を終えて「深い川」に入るところでブレスするのか。とりあえず楽譜そのものは女声にはブレス記号があり、男声にはない。 しかし後述するように男声にない理由がわかりにくい。悩ましいわけだ。 「深い川~」の動きは4声が縦に揃った動きだから、直前のブレスを揃ってとる方が自然。直前の「あゝ」でも、ずれて入りはするものの全パートでしっかり伸ばして和音を作り、揃ってデクレシェンドしていく。だからブレスをとるなら揃ってとる方が自然。 でも楽譜にそう書いてあるのだから、やはり男声と女声でブレス位置を変えたいような事情があるのだろうか?改めて楽譜のほかのところを見てみると、たとえば次のページのmでハミングするところは明らかに男女でブレス位置をずらしてある。ただしこれはフレーズも同じようにずれた部分なのでダイレクトな参考にはならない。単にずらす可能性は...
  • 六五郎橋
    城島町~佐賀県千代田町に架かっているワーレントラス鋼桁の橋。 複数の情報をまとめると、1968年5月下旬か6月上旬頃の小雨の中、北九州交響楽団を指揮するため八幡滞在中だった團伊玖磨は、昼の練習がない日を利用して、城島町(現 久留米市城島町城島)にある料亭 魚新(福岡県三潴郡城島町城島496-5)を訪ねた。そこから橋を渡って対岸の佐賀県側からエンジンつきの小舟に乗船。龍頭(ブリジストン副社長)、中野(ブリジストン総務課)、本間(合唱指揮者)と同行。船頭さんは本村栄次さん。エツ漁を楽しみながら曲想を練った。 http //www7.plala.or.jp/tikugogawa/zyou/index.html http //www.ctv.co.jp/kusukusu/2003/0809/tabi00.html このとき渡ったのがこの六五郎橋。その2年前に竣工したばか...
  • フライングブラボー
    ずいぶん以前は2ちゃんねるのクラ板が、フライングブラボー逝ってよし、だった時代の住人でした。 もともと私は、友人と演奏会を聞きに行っても、わざわざ別のところに座って、演奏直後にむやみに話しかけられないようにしているような性格ですから、静かに終わった曲が、余韻なしにかき乱されるのはちょっとかんべん、って思うほうです。 でも同時に、良いものはよい、とはっきり客席から示すべきだとも思っていて、そういうノリじゃなさそうでも、十分感動したときはブラボーっていいます。 で、拍手はどのくらいのタイミングで出すべきかというと、静かに終わる曲は、指揮者が素に戻ったあと。ただ、大抵私は他の人よりかなり遅く拍手し始める。大して理由なし。 一方大きく終わったとき。音楽の性質によるけど、余韻を楽しむとかじゃなくて、その勢いで割れんばかりの拍手に突入すべきなんじゃないかなって思うところもありまして、こ...
  • 2連符
    なんでここで2連符なんでしょう。テンポを動かしまくって、挙句の果てって感じ。『筑後川』の全般的な曲の難易度からすると、わざわざそういう面倒な楽譜を書かないと思えるそうなところですが、ともかく作曲家は書きたかったようです。 難易度を落とすための工夫として、さっきまでの「りょうこうが」に合わせるピアノパートが8分音符で動いているのに対して、ここでは付点四分を叩くだけになっています。もしピアノが8分音符を叩き続けていたら、ベートーベンのピアノソナタ「月光」の左手3連符で右手付点や、イタリア第二の国家とも言われるヴェルディの「行けわが想いよ、黄金の翼にのって」の6/8にタッカのリズムでのっていくときの高い難易度と同様に、楽器とちょっと違うところにリズムを刻むという面倒なことが起こるところでした。 結局、指揮者はここで合唱の面倒だけを見ればよいので、たいていの場合、2連符どおりにわかりやすく...
  • 有明の…
    有明海は長崎県、佐賀県、福岡県、熊本県で囲まれた九州最大の湾。面積は1,700平方キロメートル。浦賀水道を含む広義の東京湾は1,320平方キロメートル、伊勢湾と三河湾とで1,800平方キロメートルだから、だいたいそのくらいの大きさ。東京湾は三浦半島の観音崎から房総半島の富津岬まで約10km。有明海の入り口である早崎瀬戸はわずか5km。そんな入り口の狭さが奇特な干潮差を生み、干潟を育て、赤潮問題と戦うことに。阿蘇山の噴火に伴う火山灰が流れ込んでいることもあって、砂ではなく泥干潟の割合が多くなっている。そんな自然の特徴から、ムツゴロウに代表される独特な干潟の生き物たちがいる。 一見、穏やかそうであっても、有明海でググると環境保護だ、干拓がどうだ、赤潮の原因は、、、というページばかり。やや疲れます。今は争点な地域なんでしょうねぇ。 そういえば、川崎 洋 作詩 野田暉行 作曲 女声...
  • 熊本の「もだえ」
    何となくいつものように、大して何も期待せず、というかいやらしい展開を予想しながらググってみました。 意外や意外! 「もだえて」で検索すると、普通に痛いほうの意味でもだえるページがいっぱい引っかかります。「もだえる」でやってもいっしょ。 ですが、「悶えて」「悶える」ではエロエロ全開!です。 今日の結論:エロいときは漢字を使おう! いやいやそんなことじゃなくてw とりあえず辞書で確認するかと手を伸ばすととりあえず古語辞典しか部屋になかったので 悶ゆ (動詞・下二段)悩み苦しむ もだえる    「少将の袂にすがって、(中略)悶えこがれり給いけり」(平家三・足摺) ん?それだけか? やっぱ国語辞典を引いてみる。 もだ・える 【▼悶える】 (動ア下一)[文]ヤ下二 もだ・ゆ (1)苦しくて身をねじり動かす。 ...
  • みなかみで生まれて大きくなって
    「作曲した時のように筑後川の上流からずっと歩いてみよう、ゆっくりとね。流域の人々と一緒に歌いたいね」 およそ7年前、『筑後川』30周年コンサートのVTRを見ながら團伊玖磨が友人に語った言葉だそうである。没後、その想いは「團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会」によってゆっくりと、5年かけて、流域と日本中の人を呼び寄せて歌いながら歩いている。先月がその4年目。 http //www7.plala.or.jp/tikugogawa/index.html ってことは、来年の秋に、久留米か大川あたりでそのシリーズの最終回があるんですかねぇ。ちょっと行ってみたいかも。 そんな企画以外にも、『筑後川』の中に出てくる具体的な場所を訪れてみようと思う人もいるらしい。 http //www.mars.dti.ne.jp/~onaka/ryokou/minakami.html 今度の...
  • 浪の底にも都のさぶらふぞ
    今日、四月二五日は旧暦でいえば三月二四日。八百二十一年前の元歴二年に山口県下関市、当時の長門国間関壇ノ浦で治承・寿永の乱最後の戦いが行われた日。 いわゆる源平合戦の壇ノ浦の戦い。 わずか二歳で即位した安徳天皇は平清盛の孫。清盛の死後、滅んでいく平家の象徴として、最後の戦いである壇ノ浦で最期を迎えられた。この第八十一代天皇は、記録上最も幼くしての崩御。祖母にあたる平時子(清盛の妻で、出家して尼になり二位殿と呼ばれていた)に抱きかかえられ壇ノ浦で入水する様は、平家物語の中でも非常に有名な涙を誘う場面。 平家物語にはいろんな本があります。 http //www.j-texts.com/ 流布本と呼ばれる本ですが、読みやすいよう、漢字を当てはめてみましたので、肝心な部分をべったりと。 主上、今年は八歳にぞならせおはします。御年の程より、遙かにねびさせ給ひて、御形...
  • さあ、いよいよ大詰め
    3ページ前にもあった「さあ」の動き。 まず楽譜上の違いを確認してみると、同じ和音だけど、歌う高さは違う。音量の指示はさっきがfひとつだったのに対してここではfが二つ。アクセントにテヌートが付いているという記号の使い方は同じ。 前のところは比較的、流れるように歌うことも許されるとも思うけど、ここは直前のピアノが奏でるsffの和音から入ることを思えばかなり決然とした入り方の音にしかなりえない。いよいよという盛り上がった感じの中から感動詞をどういえばいいかは、多少考えればわかると思う。 となれば音の切り方もおのずとわかるだろう。全員が揃って8分休符をもらうところも、そのあと再びピアノがsffで叩くところも、バシッと切れるほうが勢いの表現が出る。 たぶん。 大きな声で。でも怒鳴るのではなく、感動を伝えるため。今から繰り広げられる物語を。これから奏でる音楽を。この流れに生ま...
  • がまだす!
    私が生まれ育った町は、お祭り、それも秋の大祭を中心に動いています。日付が決まっていて、2+α日間開催されるので、当然頻繁に平日とぶつかるのですが、市内にあるすべての市立小中学校はお休みですし、結構驚かれるのですが、市内にある2つの県立高校もこの日はお休みです。盆と正月に帰省しなくてもこの日には実家に帰りたい、と言ったら相手のご両親に驚かれた、という話をよく耳にします。神輿を担いで市内を練り歩く系のお祭りですが、午前2時くらいから日暮れすぎまで、ずーっといりこを肴に日本酒を飲みながら市内を移動する、というのを2日間行うので、町の中心部に酔いつぶれたおっさんや子供が多数転がっているという、よそ者には理解できない感満載のやばい祭りです。 うちの地元では、かなりの人がこの日のために生きてるみたいです。 さて、楽譜冒頭の記号、energico。 説明するまでもないくらいわかりやすい...
  • 河口
    境界未定地域 團先生の『筑後川』を歌いに来ませんか いつだったか生まれた川 Finale 「ふぃ」vs「fi」 壮大さ 河口夕映 sempre cresc. 予想されたフィナーレ とうちゃま <> <あわわ、あわわ> 「川は」を繰り返すこと おゝきくな「る」 一番カッコいい 幕引きは華やかに 飾られたフィナーレ ちぃさーくなーるうぅー みなそこからとほく街を眺むれば 筑後川のさかなたち ロマンティックな真ん中 あぁ、しゃれにならない虫たち あぁ岸辺の役立つ虫たち あぁ岸辺のいろんな虫たち 「おどけ」「虫」 楽譜に忠実 中州 かれんにn連発 筑後川の小鳥 小島のかれんな小鳥たち さらぬ別れ じゃぁ さらば暇申して 然やうなら 別れの言葉 さようならば…何? 棚機神社 さよならの唄 さようならの歌 激しく強いp どこかに向かう音楽 反復 川はうたう 不発 はじ多き国 ブリヂストン久留米工場 し...
  • 第一声の「ま」
    軽くテキストを読んでみればわかるとおり、『筑後川』は久留米に生まれ育った詩人によるご当地ソングでありながら方言を使用しないつくり。しかも作曲家の團は多少九州の血が流れていても東京生まれ東京育ち。基本的に九州弁は話せない。そんなわけだからこの曲のイントネーションを考えるときはすなおに標準語をベースに考えるので良い。 冒頭の言葉は「まつり」。単独の言葉でも、文頭で使われてもLHH(音節ごとに低い・高い・高い)のイントネーション。「ま」をアウフタクトにおいてもぼちぼち自然な日本語として作曲することはできる。しかし一方で「ま」にストレスをおいても(音節ごとに強・弱・弱であっても)不自然ではない。というより、「つ」や「り」にストレスをおくと、結構不自然。 東京方言の日本語は高低アクセント(ピッチアクセント)だからアクセントがどこにあるかというと「ま」にはないのだけど、強勢アクセン...
  • バタフライ効果
    真夜中に書いた手紙は、せめて朝、読み返してから出せって言われますが、今夜はそんなことお構いなしに書かせてください。 初めてお会いしたときから素敵な人だなぁと思っていました。ずっと気にかけてはいたのですが、なかなか一歩を踏み出せないままの日々が続いています。それでも、日増しに想いが強くなってきて。 唐突ですけど、バタフライ効果ってご存じですか。去年映画のタイトルにもなっていたから多少有名な言葉だとは思います。複雑系とかいう妙な学問の世界でのたとえ話で、「中国での蝶の羽ばたきが、ときにはアメリカで嵐を引き起こすことがある」、とかいうのです。自分では何をやろうにも、どこに届くわけでもなく霧散する経験ばかりを繰り返しているとにわかに信じがたい話です。ですが、あなたの小さな仕草に心を動かされている自分を思うと、なんだここにも転がっているような話なのかと苦笑してしまいます。 た...
  • 水かさが膨らむ川の橋
    水嵩が増減する川に架ける橋には、よい選択肢がある。 沈み橋だ http //www.yado.co.jp/hasi/ooita/takenokubi/ 11月26日の日記でも書いたように、筑後川は河状係数(河川の年間における最大流量と最小流量との比)が高いから、流量が多いときにあわせてすべての橋を架けようとするととんでもないお金がかかることになる。だから、流量の多いときにはしょうがないけど沈んでしまうような橋を架けるってことなんだろう。 違う川の、違う名前で呼ばれている橋だけど、ちょっと素敵なエッセイ。 http //www.ana.co.jp/travelplus/main_issue/j_scene/051017/ その、四万十川の橋なら http //binbi.net/shimanto/river3.htm 私が生まれ育ったところのそばに...
  • 予想されたフィナーレ
    ここでいうフィナーレって何でしょう。タイトルが河口だし、川の歌なのだから筑後川の河口を指しているという見方が自然でしょうか。 筑後川本流の河口の間口の広さというのを国土交通省とかがどう定義しているか、とかは知らないんですが、地図で何となく測ってみると2kmくらいあるようです。早津江川もこうやって下ってきた筑後川の一部と思えば、その距離は4km弱。結構広いです。 筑後川も中流域以降ではすでに川幅も広く、中流域が河口を予感させる、という意味にとらえようもあります。 でも、この川の水の動きを思うと、その後は有明海、東シナ海という広大な海を構成する水となっていく。まるで終わりのないその旅の流れていく先は、やれ2kmだ、やれ4kmだのといっているのとはわけが違い、果てしないほど大きい。 卒業式と、そのあとにある入学式、入社式とではそれほど日が変わるわけでもない。だけ...
  • 長2度
    なぜか音程は同じ高さのことを1度と数えるので、隣の高さが2度。半音ひとつ分なら短2度と呼んで、全音ひとつ分なら長2度と呼ぶ。 いわゆるよくハモる和音は周波数比が単純になる関係だから、すごくよくハモるのが完全1度(まったく同じ高さ)。次に1:2の関係の完全8度(ちょうど1オクターブ)。2:3とかの比率になる完全5度(ドとソの関係)、完全4度(ドとファの関係、5度音程を1オクターブずらしたと思ったほうがわかりやすいか?)とかもきれい。比に5を使わなきゃいけない4:5とかがドとミの関係になる長3度。このあたりを組み合わせて音階をつくると出来あがるのが、いわゆるドレミファソラシドと途中の黒鍵部分の音。 楽譜というものが世に生まれるかどうかの時代には、同時になる和音として3度とかって斬新な響きだったらしい。20世紀にもなれば半音違うだけの短2度も緊張感や透明感のある美しい響きとし...
  • 巡礼
    そういえば、2chかどこかを沸かせたお遍路さんが旅を終えたそうですね。 巨大テーマパーク四国。この島のすべてを使って描いた祈りの道と88カ所のマイルストーン。 時間をかけ反復していくことは、心に何かを刻みこむ大切な方法だと思う。 何か大切なことを伝え続けるのに、一瞬で終わることのできない仕掛け。 私はこの夏、およそ一週間かけて、とある巡礼を行ったらしい。そんなつもりはなかったのだが、気が付くとまんまと巡礼させられていた。 ただそこにいるだけでも張り裂けそうな思いをステージ上のメンバーと客席の多くの人たちと共有し、たまたま音楽を媒介させた。 あれからずいぶん時間がたったのに、かつてないほど些細なキーワードでその想いが蘇る。だから、参加して良かったと思う。 伝え、行動して行かなきゃという責任も感じる。 点ではなくて線であること。 ...
  • ボーダーレスな時代だから
    あけおめ、ことよろ。 年の変わり目ってはっきりしているよね。時報がポーンという瞬間。 この年越しもそういうのではなかったのだけど、カウントダウンコンサートやってると、何とかぎりぎりの時間に前の曲が終わって、その瞬間に向けてカウントダウンして。ちょっといつもと違う緊張感。営業スマイルでおめでとうございますって感じになって、じゃぁ、新年1曲目は…とか。 今年も、なんか知らないうちに年越えてたなぁ。 一見はっきりしているようで、なんとなく境目が分からないもの。ヒト。服やアクセサリーは人が身につけているもので人でないもの。身近なものだけど自身ではない。髪の毛は、衣服に近いような気もするけど、生物としてのヒトが自然にもともと備えているものだから自分の一部。体を巡る血液は自分のもの。でも献血とかで抜いた血は、かつて自分だったもので今は自分でないもの。同じ類推で口腔に漂う唾液...
  • アヴェロンの野生児
    1800年頃に南仏のアヴェロンで発見され、捕獲された少年。とある軍医、イタールが推定11~12歳のこの野生児を引き取り、ヴィクトールと名づけて5年間にわたる教育を施した。 ヴィクトールは最初、自分の排泄物で汚したシーツの上で眠ることを厭わなかった。そこでイタールが引き取った初期に行ったことが、ヴィクトールをお風呂に連れて行きぬるま湯を彼に何度も掛けること。そしてシーツを何度も洗濯に出すことだった。するとやがでヴィクトールは冷たいシーツ、汚れたシーツを避けるようになり、社会的な生活に必要な、清潔感を獲得する第一歩を踏み出した。 大学1年生のときに心理学の授業で習ったお話ですので、多少記憶からずれているところもあると思いますが、冒頭はだいたいそんなお話。 彼は冷たいとか臭いとかいう1次的な感覚を失っていたのではなくて、だからどうするどう思うといった高次な感覚が、私たちが隣人に...
  • 休みを走りて
    「走りて」という言葉の「り」がその音節を発音する時間だけを残して音がなくなるような変化を遂げると「走って」なる。これが促音便。 促音便は詰まった音、と説明されることも多いかと思う。声楽的な発声で「詰まる」のはできるだけ避けたい状態。ではどうすれば? もともと合唱とか声楽はヨーロッパ文化圏のもの。ヨーロッパの言語で促音便のようなものといえば同じ子音が重なったときの発音。こういった子音の発音で重要なのは呼吸の呼気が流れ続けていること。子音2つ分の時間の呼気を使ってその子音をいうと、ある意味促音便のようになるのだけど、よくよく聞くと、その時間呼気が流れていたことによる音が生まれる。破裂音なら破裂が激しいし、鼻音・側音・摩擦音・半母音などはその子音の音が鳴っている時間が長くなる。 ややこしい話はともかく、息が詰まっている、のではないです。ぐっと飲み込むような行為は発声によくない。 ...
  • 水天宮船太鼓
    久留米の総本家の方の水天宮の夏の祭りの重要行事が水天宮船太鼓と、花火。 もともとこの水天宮に祀られている安徳天皇が海の上での戦いにやぶれ、わずか8歳で入水して最期を遂げたとき、その痛ましさに敵味方なく軍鼓を叩いてご冥福をお祈りしたことに由来して始まったとのこと、だそうです。 哀しきかな、無常の春風 って感じですね。 って、おいおい、なんで夏祭り?まぁ子供太鼓なのはわかるとしても。 特定の神社への依存を薄くして、地方公共団体が手を出しやすくした「水の祭典 久留米まつり」では、子供太鼓フェスティバル、という名前になっているようです。おまつりは太鼓で始まって、花火で終わる。 政教分離とはいえ、地域の伝統行事を骨抜きにしすぎるのもどうかと思うのは考えすぎ? とりあえず、久留米市の合唱団のために書かれた筑後川のおまつりの詩に、太鼓と花火が出てくる理...
  • 銀世界
    一面の雪に覆われて、ちょっと懐かしかったです。むしろスタッドレスや雪国仕様の靴に慣れた身として、おとなしく行動してましたけど。ではみなさんを銀の世界にご招待。 ぎんせかい 【銀世界】 雪が一面に降り積もった景色を言い表す語。白雪に覆われた山野。雪景色。 「一面の―」 しろかね 室町時代くらいまでは 金:黄金(こがね)、銀:白金(しろかね)、銅:赤金(あかがね)、鉄:黒金(くろがね)といっていたらしい。 http //www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_246.htm 港区白金(みなとくしろかね) 白金村と呼ばれるこの地を開いた柳下上総介が大量の銀を所有していたことに由来。 子孫は江戸時代を通じて白金村の名主を務めた。本来にごらないのだが、ここのセレブはしろがねーぜと濁って呼ばれている。 http...
  • 呼び起こされるもの
    とりあえず文面どおりに言えば「まつり」によって「川」や「愛」が呼び起こされる。 お祭りで理性が緩んでいる隙に愛が生まれるとか、そういうきれいごとじゃなくていろいろやっちゃうとか、そういうのはよく聞く話なんだけど、川が呼びおこされる、ってどういうことでしょう。 国敗れて山河ありというか、人の営みと無関係に川は流れ続けたりするもの。逆に川のおかげで生活が潤い、川が暴れれば命さえ危うい。神様のようなものいうか、影響は受けるけど影響を与えるのが難しい。もちろん堤や堰で抑え込んできた歴史もあるけど、でも川を起こしちゃうのって、怖い気がしませんか? とりあえず、ここ。作曲上「呼びおこせ」で上昇の旋律をつかって、わかりやすい感じ。何かが湧き上がってくるような勢いを、そのものずばりで演出していきたいところです。
  • 阿蘇外輪山
    まずはこのサイトで、外輪山の春の景色を堪能してください。 http //www.asophoto.com/nikki/gairin/gairin.htm 阿蘇の河川といえば白とか黒とかを思うほうが先かな、と思いますが、もちろん筑後川も、阿蘇北外輪山の一部から生まれています。 南外輪山なら、サントリーモルツですね。 http //www.suntory.co.jp/beer/malts/design/minamiaso.html 昔カルデラ湖の湖底だった平地部を見下ろしながら、周囲20kmの山並みを見るのはさぞかし絶景かと思います。が、行ったはずなのにその手の景色の記憶がない。 そんなおいらにパノラマビュー http //www.d-b.ne.jp/siga/panora/aso/gairinzan.html ちなみに引用写真は(株)トラスト...
  • 凝結した音楽
    Ich die Baukunst eine erstarrte Musik nenne. ゲーテの言葉だそうです。 直訳すれば、私は建築術を凝結した音楽と呼ぶ、ですが、日本では、 建築は凍れる音楽である と訳されることが多いようです。もとの言葉に冷たいっていう意味はないのですけど。音楽が実体を持てば建築になる、という意味ですね。 ドイツ人らしいなぁって思います。イタリア人ならそうは思わなかっただろうと思います。バッハの音楽がドイツに生まれなかったら、ゲーテは大聖堂を見てもこうは思わなかったのではないでしょうか。 対位法を厳格に運用して、規則性の美しさがあり、しかし規則に縛られない自由と輝きと重厚さ、そして永遠がある。フーガの音楽を思うとき、この言葉を思い出します。建築のことはよくわかりませんが、どこを組み間違えても、美しくないし、危ない建物にな...
  • 朝日はだめよ
    朝日新聞 なんとなく子供の頃から、車はトヨタ、ニュースはNHK、新聞は朝日、って感じの刷り込みがあって、いまでも新聞は朝日をとってます。つまも子供の頃から朝日新聞をとってる家庭で生まれ育ったので、結婚に際して新聞はあっさり決まってよかったです。自分が大人になったからか、ニュースソースが増えたからか、新聞を読んでも書きっぷりを100%信頼してるわけでもなく、ある種の記事はオレのほうがもっと詳しいし、それじゃ誤解させるだろう、とか、まぁあなたはそうお考えなのですね、くらいで読めるから多分朝日でいいんだけど、たまに毎日新聞や産経新聞の社説とか読むと、いくらなんでもそれはないだろうという気分にさせてくれるので金を出してまでとる気にはなれない。地方紙になるともっとひどいよね。読売は拡販員のみならず販売店店長にまで怖い思いをさせられた経験があって、一生絶対とらない新聞と固く誓っているので読まない。...
  • たいい
     ♪ 大意、大尉フレ、体位法、    退位、対伊フーレ、ホッホー いや、大きくならんでいいです。 という背理法ネタはおいといて、対位法。縦の線ばかりを気にするのでなく、各声部にメロディーがあって、それが重視されながら曲が出来上がる話。わたし、長い間結構勘違いして、対位法ってカノンやフーガのように同種の旋律が時間的にずれて出てくることを指すんだと思ってました。ヴァカですね。多声部の音楽を作るときに、左手でコードを慣らして右手がメロディーとか、ずっと三度上か下でハモっているとかじゃない少なくともあとちょっと手の込んだ作曲法。 わたし、小学校でトランペット、小学校以降で歌、中学校からトロンボーンをやってたんですね。で、周りの音なんか気にしないセルフィッシュ野郎だったから、自分ひとりでは単音しか出せない以上、和音とか、縦の線をそろえるだとか、どこかのパートとの関連だとかって気...
  • であるように
    ♪ もっとふかさをもつように   もっとおもさをもつように   もっとれいせいであるように と指導されるということは、「かわ」は 浅く、軽く、落ち着きがなかった ということ。だからこの曲の冒頭で「いそいそ」と歌っているときは、ある意味、浅く、軽く、落ち着きがない、歌い方であることが望ましいということになる。 ただ、何度か書いたように、一部の背景に、治水という意味を見出すのであれば、ここであまりおちゃらけた作り方をするのでは失礼この上ないし、逆に愛を前面に持ち出したいのであれば、時に暴走する若さが伝わるべきだろう。 というわけで正反対の作り方がありえるけどそこは指揮者マター。 深さを、重さを、冷静で、と言葉を重ねるごとに音量が、mp、mf、fと単純に大きくなる。冷静さを求めるほうが熱くなってどうする、って気もしますが、熱くなれと言わんばかりに...
  • 水神の化身
    溺死者の特徴から水場に住むケダモノは尻子玉を抜く悪いやつ、という連想で語られる以外に、河童には神様の化身という側面がある。 水は、人が生きていくために必要不可欠なもので、さらに農耕を主体とする日本での水の持つ意義は大きい。日照りが続けば稲は枯れ、雨が続けば根が腐り、大雨にでもなれば洪水で何もかも失ってしまう。日々の気象に、また四季を通じて変化する気候に一喜一憂する暮らし。日本に土着する信仰が、自然現象を数々の神様に置き換え、崇め、鎮め、言祝いできた。古事記や日本書紀にいう、弥都波能売神(みづはのめのかみ)、あるいは罔象女神(みつはのめのかみ)や、淤加美神(おかみのかみ)をはじめ、天之水分神(あめのみくまり)、天之久比奢母智神(あめのくひざもち)。もっとわかりやすいところなら弁財天。 偶像崇拝を禁じるいわれもなく、水の周りの生き物?にその姿を求め、河童、蛇、龍などが、その象徴、...
  • 田主丸
    久留米と大分を結ぶJR久大線で久留米から筑後川を遡るように20kmほど走ったところに駅舎が河童というユニークな田主丸駅があります。田主丸は平成の大合併で久留米市になった町で、現在の東西に長い久留米市の東端5分の1くらいを占めています。旧田主丸町は河童の町として有名でした。ここを河童で盛り上げたのが芥川賞作家の火野葦平。 火野葦平(1907-1960)は現在の北九州市若松区で生まれ育った作家。東京の阿佐ヶ谷に書斎を設けていたものの飛行機で頻繁に九州に戻り、執筆の中心は九州の自宅だったとか。東京の書斎を鈍魚庵、九州を河伯洞と名づけていたらしい。河伯洞は河童の住むところという意味。そんな名前をつけるくらい河童好きだったそうです。その河童好きの葦平が、「河童のルーツは九千坊。その総本山はここだ」、と紹介したのが田主丸です。 1941年に河童をよく題材に取り上げる葦平は、河童のよ...
  • リトミック
    去年のNコン全国大会の放送を見ていて思ったことですが、全国大会に出てくるような学校だからか、日頃の活動としてミュージカルみたいなことをやったり、踊りながら歌ってみたりという練習を取り入れたりしているところが不思議と多かったですね。不思議、というようりも、ははぁ、なるほど、と思いました。 合唱の演奏をよりよいものに仕上げるには、音やリズムが正確であることや、楽譜から表面的にすぐ読み取れるようなことを一通りやることは大切です。コンクールですからそういうことはかなり大切です。でも、フレージングをうまくまとめるとか、ひとつひとつの音にTPOに応じた緊張感や空気がのっていることが必要です。 ピアノのコンクールなら、小学1,2年生くらいのクラスで、都道府県大会の上位に入るには、”楽譜どおり”を越えた雰囲気を持っていて当然って感じですね。ノーミスで弾けても、技術的には良かったね、で終わる。そうい...
  • 音量維持
    「走っていく」の「く」。合唱は全パートとも実質5小節分のばす。端的にいえば音量はfff。Allegroとはいえ、この音量で伸ばし続けるのはそう楽な話ではない。 よくよく見てみると、ピアノパートには最後に向けクレシェンドが書かれてある。そういう曲想から考えても、伸ばしている音をまとめる(小さくする)方向になることは考えにくい。 よく、優雅に泳ぐ白鳥も水面下では足がばたばたなどの例え話で語られることだけど、こういう長い音符を出し続けるということは息をしっかり流し続けることでもある。最初にポンと当てると、あとは力を抜いていても和音の中でいい音が鳴るのはmfくらいまでの話で、fffなどというある意味、異常に大きな音では全身で一所懸命な呼吸をしないと伸ばし続けるのは難しい。どちらかといえばおしりに向けて少し小さなクレシェンドをするくらいのつもりのほうが一定の音量だったように聞こえるかもしれな...
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