chikugogawa @Wiki内検索 / 「きときと」で検索した結果

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  • きときと
    ...、いきがいいことを「きときと」っていいます。となればありがちなネーミングですがきときと寿司っていう回転すし屋があって、そこが一番近所だったのもあってときどき行ってました。東京の安い居酒屋の勢いで出てくる刺身にうんざりしてたところで、地方に飛ばされてそういう店に出会ったのもあって、妙にネタはいい、という気がしてました。しょせん回転すしですが。 話を戻して でも、いきがいい魚を捕まえる、となれば、その魚は生きている。生きているのに生きがいいと評されるのも変な話だけど、ここは活気があるという意味で、ぴちぴち跳ねる様子とかがセットになるんでしょうねぇ。 この曲の解釈でずっと流れている、愛のテーマをかぶせて考えれば、 「いきのよい魚」=「ピチピチギャル(死語w)」 ってことですよね。 そうであったとしても、そうでなかったとしても歌い方にそれほど差がつけられる...
  • 銀の魚
    ...技の小技 鮮度が命 きときと うぉーーーーー! 朝日はだめよ 複雑な和音 裏で増えていく音 「銀の魚」の山場 シームレスな展開 Requiem 言葉では言い表せない 余韻 4回めだけ強い もうひとつの山 まとめに入る歌い方 フェルマータ アタッカはなかったか
  • 激しい違和感
    楽譜に書いてあるいろんな表情記号は読んでいると楽しい。音符自身から感じられる音楽をさらにいろんな方向からで彩ってくれる。書いてなくてもするだろうクレシェンドを追認してくれるような場合もあれば、普通思うよりも1小節後ろに書いてあって、そのじらされた感がまた楽しく、ようやく許してもらえたときのクレシェンドの充実振りにいっそうの開放感を感じたりする。 ただ、こういった話には逆の場合もある。クラシックではないイベントとかで安直な編曲で誰かのバックコーラスをやらされるときとかによくあることだけど、曲の終わりに何の脈絡もなくクレシェンドだとかフォルテ3つだとか書いてあって、とりあえず盛り上げておけばいいですか?って感じにさせてくれるやつ。しょうがないから営業スマイルは崩さないようにするけど。 『筑後川』の作曲のすばらしさはいまさら疑う必要がない。というよりも、ここの所ずっとこの曲のことを...
  • ドレミレド
    高い音を出すとき低い声を出すときとでは出し方が違うものです。ポジション、あるいは声区といって発声時に声帯から鼻腔までの使い方のバランスがあって、それが音の高さごとに少しずつ変わります。また、大きく変えざるを得ないところもあって、それが違えば、歌っている人にも聞いている人にも違うとわかる出し方になります。ひとつのフレーズは通常大きな意味でのひとつのポジションで歌います。聞いている人に不連続性を感じさせてはいけません。それをつなげることがフレーズをフレーズらしく歌う重要なポイントでしょう。あるいは、一つのフレーズを歌っているときにポジションが大きく変わったと感じさせないことが重要なテクニックになると言ってもいいでしょう。 最初のうちは、あるポジションで歌い始めてしまうと、違う高さにつなげて歌うのはなかなか難しいことです。発声練習によくある「ドレドレド」「ドレミレド」「ドミソミド」などの音階...
  • そこに持っていくという意識
    立ち上がるときとかなんかするときに、「よいしょ」「どっこいしょ」と言わないではいられなくなって久しいのですが。まぁ、そんなことはともかくw だれかと重いものを持つ感じで「よーーーいしょ」というときの「しょ」に向けた音の変化。あるいはもっと簡単に言えば「じゃんけんぽん」をゆっくり言うときの「ぽん」に向けた抑揚。一昔まえならゴルフで球を打つときに「チャー、シュー、メン」の「メン」に打点を持ってくる話とかでの、その前後。音量がどう変化して、音の高さがどう変化すると細かく説明できないし、できたところでかえってわかりにくいだろうその音の変化と、そこに持っていく意識。 音楽では個々の音の正確さ、縦のタイミングや和音、リズム、とかいう要素も大切なものですが、フレージングというのも結構重要な要素です。それは単に2小節間ブレスしない、とかいうことで出来上がるものも大切ですが、そのつなげら...
  • 腹筋をもっと鍛える
    とりあえずゆっくりでも間違ってない腹式呼吸ができるようになったら、いよいよ筋トレ。呼吸を繰り返します。 ポイントは sやzの子音を使って呼気にしっかり重い抵抗をつける 変なところに力が入らないように気を配る 変に力んだらいったんやめて体をぶらぶら振ってからやりなおし のどに負担がかかる方向にする必要はない 下腹部(へそ下3寸、丹田とよばれるところ)に意識を集中 体の筋肉の動きとしては歌っているときのイメージで 吸気は脱力のみで対応。力を使って吸ったりしない。 毎回の吸気での脱力が間に合う範囲で早く できるだけ長時間(数分)繰り返し続ける 音楽的にやる 数分やると、下腹部の筋肉がちょっと辛い感じになるかもしれません。その程度の負荷がかかるところまでやりましょう。 たぶん一人暮らしの人は隣近所に迷惑を掛けることなくできるトレーニング...
  • あのときの声
    意外性があるなら、そこは多分何か隠してあるところ。たぶん、もっと深く。 「銀の魚」6小節目。そこまでだんだん大きくなる流れにそむいてなぜ女声だけがpなのか。なぜ歌詞にない「あ」をわざわざ持ってきたのか。男声主体のフレーズの脚色に過ぎないと思うのは少し芸がない。感嘆の声と思ってみるのはすこしまじめすぎないか? 以前にも書いたけど、作曲家、團伊玖磨は初演プログラムにこの曲の紹介として 晩春の筑後川に遡る銀の魚・エツを朝靄の中に漁る人達。静謐の中に息衝 く男女の暮らしの美しさ、大切さを歌う「銀の魚」 という言葉を寄せている。 前半の、漁る人達、までは昨日の「感嘆の声」の話でいいだろう。ただ、この歌の裏に描かれた「静謐の中に息衝く男女の暮らし」について大人の解釈をすると… ヨーロッパの低予算ながら映像の美しい映画とかを見ていると、以前の日本...
  • 持続音
    たとえばカラオケなどで、学校の音楽の時間以外ではこれといって音楽を学んだことのない人の音楽に接したときに感じる差。 それが音符の長さの処理だ。 クラシックの世界の人にとって、音符を何拍伸ばしているかということは、一般の人が思う以上に重要だということだろう。 ピアノがようやく出てきたところで、合唱は2+8拍「わー」と伸ばしている。 細かく言えばフォルテシモで始まり、それから2拍クレシェンドして、 アルト以外は音を変えてフォルテシモ+αの音量で5拍伸ばし、 残り3拍デクレシェンドして、切る。 ここで親切な指揮者は、ピアニストを放っておいてでもこの指示を出し続けてくれる。 だが、ただなんとなく系の合唱をすると、 まぁまぁ大きく入り、クレッシェンドせず、3拍目で音の高さを変えたときに大きくなって、それから力尽きるようにただなんとなく小さくなり、さみだ...
  • 上昇の中の下降
    さて、最初のtuttiで各パートの音形を見てみると   かわ、かわ、かわ、ごとに Sop あげ、あげ、あげ Alt. あげ、さげ、あげ Ten. まま、さげ、さげ Bas. あげ、さげ、さげ です。 音楽全体がクレッシェンドであることや、そうでなくても一度聞いてみれば、これが盛り上がり描写でなければならないことはすぐにわかると思う。 だけど、男声は、油断すると、sage進行で和音が毎回解決という、安定志向を感じるかもしれない。 こういうときに重要なのは常に主旋律であるソプラノがどう動いているか。 で、ソプラノがあげ、あげ、あげなので、すべてのパートは、感情レベルであげ、あげ、あげを作らなければならない。 だけど、和音に厚みを増していくには低い音をより下げていくという合唱曲では基本の動き。 だから、ベースをやりなれていると、いつものことな...
  • あらためてフォルテ
    ありきたり、といってしまうとつまらないけど、よく書けている作品は、演奏してて、違和感なく次のことに移っていける。意外性ということを含めてバランスが取れているという意味で。いい曲、名曲をやっていて、指示に体がついていかなかったら、曲の流れの解釈が間違っていると思ってみたほうがいいだろう。 さて、2度目の「朝の川面に」へ移るところ。直前にはデクレシェンドがあって、すべてのパートが、そのパートにしてみると低めの音に推移する。「ふくらむ。」と文も終わっている。その終わった感のおかげで、小さくまとまってしまいがち。ある意味、自然に音楽を流すと、2度目の繰り返しはこの流れを受けてさっきとの違いを、小さく演奏する方向でまとめたくなる。もっとボーっと歌っている人なら、さっきと同じメゾフォルテで歌ってしまうだろう。  しかしここからはフォルテ! なんでって言っても、明示的にfと書いてある以...
  • 厚い胸板
    ちょっと声の話。声楽的な発声は腹式呼吸。だから胸は使わない。 というのはウソ。胸の使い方というのもある程度は大切な要素です。もちろん肩でゼーゼーハーハー息をするようなことを推奨したいのではないし、おなかから支えられなければならないってのは大切な話です。 腹式呼吸もよくわかっていないという人にとっては、気にしないことが一番だったりします。とはいえ、多少考えてうまくなりたい場合。どうあればよいかというと、体のどこもかしこも柔らかいことが望ましい。ストレッチすることは大切です。肩や胸の辺りになんか突っ張った感じが残らない、自由に制限なく軽く動かせること。それが変な力みのない状態です。 実際に声を出すときの呼吸という意味ではありませんが、ちょっと練習してみましょう。 呼吸を整えてから、まず息を吐いて、おなかを脱力して息をおなかに入れます。次に息を吐くときのようにおなかを...
  • f vs sff
    新しく入ってくる旋律がはっきりと聞き取れるように配慮する。 これはフーガに限らず音楽の作り方の基本。フーガ冒頭のアルトが作る「まつりよかわーを…」というラインがしっかり見えてくることは求められるわけだ。 ところがここで厄介な問題がある。このときアルトとアルト以外のパートとを比べれば一目瞭然だ。アルトはフォルテひとつ。男声とピアノパートはsffにアクセントつき。単純に言えばアルトは聞こえなくてもいい、というメッセージのようにも思える。 ここでいくつかの選択肢が考えられる。 1)sffという普通めったに見られないような記号をもらいながらも、男声とピアノはアルトに配慮して小さく出す。 いや、どう考えてもそれはないだろう。ちょっと抑えてアルトが聞こえるとかいう問題ではない。またここの音楽の性質から言って、全力で出すのが礼儀だろう。 2)アルトが大きく歌う。 ...
  • 32分音符
    ここで、合唱部分としては一番短い音符の32分音符がソプラノだけに出てきます。これに近いのは「銀の魚」のアルトにあるコブシ。それより短いし、速い。 ここではAllegroとテンポも速いので難易度はその分あがっていますが、アルトのコブシに比べるとまったく解釈の別れようのないわかりやすい楽譜なので、その分安心して歌えるはず。 リズム重視の音楽ですし、重く力強い音楽が求められる傾向にはありますが、この音符だけについて言えば重視されるリズムというよりも、やはりコブシの一種で、一番上のパートだけに許される軽やかな動きと見るほうが自然。 こういう場合、一つのテクニックとしてこういう細かい音の一つ一つについてのどを閉じてから開く(色っぽい「あー」というときに喉に息をためてから声を出しますよね、そのことです)ことで中途半端に音がつながってしまわないようにするってのがあります。ですが、...
  • 休みを走りて
    「走りて」という言葉の「り」がその音節を発音する時間だけを残して音がなくなるような変化を遂げると「走って」なる。これが促音便。 促音便は詰まった音、と説明されることも多いかと思う。声楽的な発声で「詰まる」のはできるだけ避けたい状態。ではどうすれば? もともと合唱とか声楽はヨーロッパ文化圏のもの。ヨーロッパの言語で促音便のようなものといえば同じ子音が重なったときの発音。こういった子音の発音で重要なのは呼吸の呼気が流れ続けていること。子音2つ分の時間の呼気を使ってその子音をいうと、ある意味促音便のようになるのだけど、よくよく聞くと、その時間呼気が流れていたことによる音が生まれる。破裂音なら破裂が激しいし、鼻音・側音・摩擦音・半母音などはその子音の音が鳴っている時間が長くなる。 ややこしい話はともかく、息が詰まっている、のではないです。ぐっと飲み込むような行為は発声によくない。 ...
  • すばやい掛け合いへ
    当たり前のことを確認するけど、「けものの白い骨を 狩人の墓を洗い」というのは(けものの白い骨を洗い、狩人の墓を洗い)ということ。 だから、男声だけを追ってみると「けもののしろいほねを…洗い」となっている。 さっきまで#ひとつのト長調から、突然、伴奏に導かれることなくホント突然に♭2つの変ロ長調にかわる。ちょっと不親切なつくりではあるが、それだけに急激な転換が欲しかったということだろうし、さっきまでとはうって変わった音楽を作り始めるべきところ。 この後のpでの曲想を思えば、fで歌うここは大きな動きがあるはず。「おそれずに」という言葉との対比として「洗い」という動きの言葉。 つまり細かいことを抜けば、ここは静と動の「動」。躍動感の描写。女声にはディナーミクが指示されていないけど、さっきまでの大きいのだか小さいのだかわかりにくかった音楽を引きずるよりは、明らかに男声との掛け...
  • まとめに入る歌い方
    さて「銀の魚」もあと3小節。直前の動きである「とらえるのだ」をデクレシェンドで終えていて、フォルテからの大きくしてまた戻す音量の動きを考えてみると、ちょっと小さくなって、このフォルテに落ち着く。この点でまとめに入っている感がちょっとある。 さらにほとんど同じ動きである1ページ前の山場の「朝日にはねよ」を見てみると、ソプラノが先行する動きと、クレシェンドの有無が大きな差。楽譜上のねちっこさがあきらかに少ない。 そしてさらに最後の「魚」の「お」がデクレシェンドした先でテヌートなしにスタカートなので、音楽的にかなり軽い。 しかしあくまでも音量はフォルテで始まる。 となればこの2小節、2度目の「朝日にはねよ」は解決に向けた開放感を伴って、軽くて大きな音楽でいいってことになる。そこに飛び込むことになるそのまえの「いきのよい魚をとらえるのだ」も、同じ意味で軽くて...
  • ん?
    外国語の曲をやって、日本人特有のミスといわれる典型的なもののひとつが「ん」。日本語で「ん」はれっきとした母音のひとつで、和歌や俳句で音節数を数えるときには「ん」をひとつとする。演歌では最後の「ん」で熱唱するケースがあり、完全に鼻に抜くのだけではない母音作りもあるようです。一方、ヨーロッパ語族では[n]は子音。たとえばin the worldという言葉はカタカナで「インザワールド」なら7音節だけど、英語では3音節。これに曲が付いて、inに4分音符が割り振られていると、初心者は「インザワールド」の発想から、「イ」と「ン」とを均等に8分ずつで分けて歌ってしまいがち。実際は音の長さのほとんどを[i]で歌って、終わりにちょっと[n]をつけるだけ。すべてのひらがなに母音がついているはずの日本語も、語尾の「す」から母音が欠落していることが起こってたりしますよね。もうちょっと気づいていない人には意外な事実...
  • 凝結した音楽
    Ich die Baukunst eine erstarrte Musik nenne. ゲーテの言葉だそうです。 直訳すれば、私は建築術を凝結した音楽と呼ぶ、ですが、日本では、 建築は凍れる音楽である と訳されることが多いようです。もとの言葉に冷たいっていう意味はないのですけど。音楽が実体を持てば建築になる、という意味ですね。 ドイツ人らしいなぁって思います。イタリア人ならそうは思わなかっただろうと思います。バッハの音楽がドイツに生まれなかったら、ゲーテは大聖堂を見てもこうは思わなかったのではないでしょうか。 対位法を厳格に運用して、規則性の美しさがあり、しかし規則に縛られない自由と輝きと重厚さ、そして永遠がある。フーガの音楽を思うとき、この言葉を思い出します。建築のことはよくわかりませんが、どこを組み間違えても、美しくないし、危ない建物にな...
  • オナニーなら一人でやれ
    仮に3/4拍子graziosoからのピアノ4小節が伏せられて、何が書いてあるでしょう、という問題だとしたら? 考えられるのは、 朝、川面、投網、ふくらみ、さざなみ、川魚、川魚漁、舟、楠、木陰、舟漕ぎ、川の男性、胸板、川の女性、うなじ、たくましさ、清らかさ、川の景色、川の流れ、川の深さ、対比される上流あるいは下流の情景、愛、SEX、流域の産業、人の成長 の直接描写か、そこから類推される何かの描写。 楽譜を見て、3,4,5連符で盛り上げてオクターブのE, Dテヌートで切り裂く音はここまでの静けさを背景に凛と立つ何かだろうから、それで描きようがあるものは、 朝の川が持つ清冽さに身が引き締まる思いを重ねてみること、投網がぱっと開く様子、川魚が跳ねる様子、恋愛の駆け引き、SEXそのもの くらいかなぁ。 ピアノの音形を別のところで合唱がな...
  • あの鐘を鳴らすのは
    ピアノパートの特徴的な動きを見てみよう。 合唱が「けもののしろい」と歌う直前で一度ヘミオラの拍の動きの中で強く高い音を、タカタン、タカタン、タカタンと叩いている。 「もりの」のフレーズの終わりで、今度はボリュームをpに落として同じ高さで、さっきのヘミオラの中のリズムを使って叩いている。 続いて「たきの」のフレーズの終わりをさっきと同じようでありながらやや音を充実させてクレシェンドしながら叩いている。 「さあ」に入ると一拍めのタカタンのリズムがなくなるもののほとんどさっきと同じことの発展系で、さっきはスタッカートだったやや軽い音が今度はffのアクセント付きで叩き、 いよいよ最後の「さあ」にいたってはほぼ同じ動きをもう一回(2小節分)付け加えて、ffからクレシェンドしながら音の高さまでちょっと高くなりながら叩く。 たとえばこれを鐘の音だと思ってみよう。 町中に...
  • 激しく強いp
    合唱指揮者が練習中にやってみせる定番の演技にこういうのがあります。 「おかあさん」という言葉を使って、なにやら深刻な感じで、呟くように「おかぁさん」、少し大きく「おかあさん」、かなり大きく「お かあー さーぁぁぁん!!!」と叫んだ後、全身の力をこめて か細く「お かぁ さ ん ....」。 人によっては別の言葉でやったりもしますが、大筋で同じ。これをやって見せた後、「一番気持ちが強いのは何回目ですか」とか、そのままずばり「最後のちいさな『お母さん』が一番強いですよね」って。ピアノって言うのは音量の大小をゆるく指示する記号ではあるけど、ピアノだから力を抜いて、へなちょこな発声をしていいのではない、とか、音楽の流れで、非常に精神的緊張感の高いピアノやピアニッシモの演奏法を、まず日常的な話し言葉レベルで理解させるためにやります。 人間の動物的というかプリミティブな感情に素直に従...
  • 長2度
    なぜか音程は同じ高さのことを1度と数えるので、隣の高さが2度。半音ひとつ分なら短2度と呼んで、全音ひとつ分なら長2度と呼ぶ。 いわゆるよくハモる和音は周波数比が単純になる関係だから、すごくよくハモるのが完全1度(まったく同じ高さ)。次に1:2の関係の完全8度(ちょうど1オクターブ)。2:3とかの比率になる完全5度(ドとソの関係)、完全4度(ドとファの関係、5度音程を1オクターブずらしたと思ったほうがわかりやすいか?)とかもきれい。比に5を使わなきゃいけない4:5とかがドとミの関係になる長3度。このあたりを組み合わせて音階をつくると出来あがるのが、いわゆるドレミファソラシドと途中の黒鍵部分の音。 楽譜というものが世に生まれるかどうかの時代には、同時になる和音として3度とかって斬新な響きだったらしい。20世紀にもなれば半音違うだけの短2度も緊張感や透明感のある美しい響きとし...
  • 押して切るべし
    外国語の曲なら、長い曲の最後はかなり高い確率で子音。ところが日本語だと十中八九は母音で終わる。盛り上げて終わろうとすると、フォルテとかそれ以上で母音を切るという処理が発生する。 こういうときの切り方は、 ふわっと音を投げてしまう がつっと音を当てて止める のどちらか。 とくに後者をやりたい場合、小節の最後で切れるようなケースでも、無理やり次の小節で母音を言い直してから切るという念を押す場合もあるくらいだ。そんな編曲をされてしまうくらいなら、熱い作曲家は最初から次の小節に短い音符を用意しておくだろう。 ここでは楽譜を見れば一目瞭然で、ご丁寧にアクセントとスタカートを全パートに重ねているくらいだから、後者の当てて止める方。 やっかいなのは音符の長さだ。最後の小節だけの言い方で言えば、 合唱すべてのパート 四分音符。アクセントとスタカートがついている ピ...
  • 1小節ごとに音量チェック
    あらためて、「青葉をくぐり」からの音量を確認してみる。 頭はmp。クレシェンドとも何ともかかれず次の小節でf。 頭の小節のフレーズを考えてみてもだんだん膨らむとは考えにくいので、ここは突然大きくすると見るべきところ。イタリア語でsubitoですね。そう思って楽譜全体を確認すると、2小節目ではベースが加わって大きく厚く作ってあるし、ピアノパートにいたっては1小節目をpと指示されて、そこからfの指示。この2小節で音量の対比を出そうとしている作曲家の意向が確認できる。 ソプラノとテナーは音が少し高くなるので自然に音が大きくなってしまうところ。でも音量の指示はmpからfと2段階大きくしなければならない。音が高くなることで自然に大きく歌ってしまうだけでは2小節めをmfで歌ってしまうと思う。フレーズや言葉の意味から考えてもそれほど2小節目を大きくしたくなる人の性があるというわけでもな...
  • 小技の小技
    このあたり、すでに3回目で、ここまでと歌詞とその割り振り以外で意図的にいじってあるところがほとんどないので、「とらえるのだ」まではこれまでどおりの感が強い。 そんな中でのちょっとした違い。45小節目、「ふかいこころのー」の伸ばしでテナーだけに有る小技のラ、レの動きは、大きく言えばこれも3回目。だけど、お尻の「ろの」をありがちな展開としての4分2つに割り振らずに8分と付点4分に分けてテナーのこの動きの時間を確保した。するとこれまで2拍の長さを1拍ごとでラ、レと動いていたのが、ここでは4分と8分というシンコペーションになる。さらに小技が利いているわけだ。 何度も言うけど、違うところの違いはお客さんにわかるように伝えるのがこういう音楽の基本。テナーはある意味硬く、そしてこの音量変化を大きく作って目立って、「おや、さっきと何かが違う気がする」という気持ちをお客様に抱かせるよう鋭...
  • アクセントのあるなし
    「非情のダムに」のところの楽譜には2つの特徴があります。 1. ピアノパートの音符が少なく、一部は全休符 つまり、合唱の聞かせどころということです。ffでアクセントつきで、重厚な和音を他の楽器の補助なしで聞かせるという演出。歌詞そのものが「非情」という、(多くの方にとっては持ち合わせていない感情かと思いますが)、激しい言葉で、それに呼応すればよいだけ。さらに、『ダムにて』の曲中での「ダム」という言葉には更なる力点を持ってくるのも良いかもしれませんね。 2.「せきとめ」にはアクセントがない(かわりにクレシェンド) 3小節ちょっとが全部ただのアクセントだと、さすがに芸がないですよね。ここでアクセント抜きではあるものの、ffからさらにクレシェンドして見せることで、せき止めるためのギアがローに入ったような強い力を表現してみせるのはいかがでしょう。 最後の「られる」は...
  • 漕~ぎだした<-->さお~を入れる
    「銀の魚」の1ページ目と2ページ目、昨日の言い方でテキストの1パラグラフ目と2パラグラフ目には作曲上いくつかの差異が設定されているが、ここまでに挙げていない特徴的な動きとして、 1パラグラフ: 「漕ぎだした」 「漕~ぎ」とタッカのリズム 2パラグラフ: 「さおを入れる」 「さお~を」とシンコペーションのリズム がある。 歌詞をよく考えてみても「さ~おを」と割ってなんら違和感なく、芸のないありきたりな作曲にできる。それを「さお~を」という割りにわざわざしたわけだから、このリズムは演奏上の要注意点となる。 昨日の指摘のような深入りした解釈はむしろ聴衆の嫌悪感を招きやすいべたべたの演奏になりかねないので、逆にこういうところこそ演奏に客観性を残してリズムを正確に立てるような発想のほうが良いかもしれない。 そんなわけで多くの場合、リズムが変化する...
  • ちーくーごー
    昨日は書きませんでしたが、「河口」での動きと違って、「ちくご」にはテヌートが付いています。なぜテヌートが付いているのでしょう? ここでのテンポはAllegroと書いてあります。もちろん、この「ちくごへいや」でちょっとテンポをゆるめてみる手はありますが、この後で歓喜の声をあげて走らなければならいとか、Grandiosoでゆったりたっぷり演出の「河口」とはどうしても作りが違ってきます。とにかくどうあってもここは速いということです。 大きな音、というか壮大な音楽と人が感じさせるには二つの要素があります。音量が大きいことと、その音が鳴っている時間です。大きな音を長い時間鳴らせば壮大な感じになるのです。そして時間をかける方法は2つ。テンポを遅くすることと、音符の時間分たっぷり歌いきること、つまりテヌートすることです。 そう。アップテンポでもテヌートすれば壮大さが演出できるわけ...
  • 執着、死刑執行、圉、報い、報復
    幸を一部に持つ漢字は、あまり明るい感じがしません。  (ちなみに圉は牢屋って意味です) それもそのはず。幸という漢字は甲骨文字にもあるほど古い文字ですが、もともとの意味は手枷。罪人が手を縛られている手錠の昔バージョンのやつ。 添付図は上が書道家ろふゆさんのサイトから http //zavomya.seesaa.net/archives/200508.html 下が漢字質問箱のサイトから http //ww81.tiki.ne.jp/~nothing/kanji/q/q_015.html の無断引用。 幸(コウ)って、成り立ちからして不幸と隣り合わせなんですね。 一方、しあわせ、という日本語は、為合わす、仕合わす、から転じたとか。 言葉自体は、めぐり合わせ、事の成り行きという、ニュートラルな意味。 公立の小中学校って、積極的...
  • もろ平野
    昨夜のどこかのTV番組で、モロヘイヤを取り上げてました。クレオパトラが好きだったとか、王様の食べ物という意味のアラビア語からそう呼ばれるようになったとか。 とあるホールで直前リハーサルを終えてホール前の中華料理屋で飯を食いながら、  モロヘイヤで百万円分の食事を用意したら   「もーおーろーヘイヤの百まーーんのぜいたくな幸を」  だなぁ。 とオヤジギャグモード全開。 今夜は一段と冷えますね。 帰ってきておもむろに「もろ平野」をググって見たら ...そんなにあるなんて、、、 驚きです。 株式会社クマガイフーズは、ちょっとやばいです。 http //www.chuokai-akita.or.jp/akitanomen/kumagai/ もっと脱力したい方におすすめなのは http //www.dajaren...
  • 敢えて変えてあるということは
    合唱曲の中でも、たとえば三善晃だとか信長貴富だとかのようにやたら表情記号の使い方が細かくてこだわりがあってたくさん書いてある作曲家の曲の場合に顕著なことなのだけど、一見繰り返しているフレーズなのに表情記号の付き方がさっきと違っていたら、それはなにか積極的な意図があってそうしろと作曲家が強く要求しているというメッセージ。こういう作曲家はある意味楽で、つまり、書いてあるとおりにすればいい。細かいことまで計算どおり。たいていの合唱団にとってそれは不可能に近いことだったりするので、まぁ、イデアこの世に生まれてはって感じだ。 さて、「森の暗さを恐れずに」と「滝の高さを恐れずに」は詩の調子も歌の調子もほぼ一致、ぱっと見では表情記号もだいたい似ている。ですが、よく見てください。 大きな違いは 2小節め「もりの」にはついているデクレシェンドが「たきの」にはない 「おそれ」の小節で...
  • 腹筋を鍛える
    たとえばピアノにハノンがあるように、鍛えるべきところはある程度鍛えたいもの。 と、先日師匠に相談したら、何事もバランスだから、どれか一つだけが発達してもねぇ、とつれない感じでしたが、でも、やっぱり何もできないよりは何かできたほうが、そこを起点にブレイクスルーがあるかもしれないし。 で、腹筋。繰り返しますが、いわゆる上体を起こして戻すのを繰り返す運動は役に立ちません。是非やりたいのは正しい腹式呼吸を、抵抗つきでやること。抵抗ってのは、sやzの子音で充分。難しいのは正しい腹式呼吸。 とりあえずわかりやすいのは正しくない腹式呼吸に気づくこと。何が正しくないかというと、変なところに力が入った状態。たとえば肩、首筋、あご、みぞおちなどなど。 体をぶらぶら揺さぶって、上半身の力を抜く。そして息を吐いてみる。下腹部だけで吐く。だいぶ吐いたところで冷静に体の各部を意識してみる。あるい...
  • たっぷりとっぷり
    とりあえず当たり前なことの確認。 「とっぷり暮れた...」のフレーズは2回あります。そして全パートとも2回めが高いです。 そして1回目がmpで2回目がfです。 ちょっと注意しましょう。単純に音量を段階的に並べると、pp、p、mp、mf、f、ff。この言い方で言えばmpからfは2段階大きいわけです。 たしかにもともと高くなるし、その前のクレシェンドからの続きだから大きくなって当然のところですが、ちょっと大きいのではなく、2段階大きい。つまりかなり大きい。 ついでにいうと、さらにそのあとクレシェンドして、ffでデクレシェンドしてもう一回クレシェンドすると言うかなり、うりゃうりゃって感じの音量操作が起こってます。 期待感をこめた緊張感からくるmpでリズムを立てたのもつかの間。同じ動きで一段高くなった程度なのにもはやかなり大きい。 こういう広いレンジで...
  • 新聞は一軒に一部
    理由も経緯も良く知らないのだけど、混声合唱のパート分けの基本はSATBの4部。男声合唱はT1, T2, Br, Bsの4部。だけど女声はソプラノ、メゾソプラノ、アルトの3部。 ついでにいうと、中学の校内コンクール用合唱曲はソプラノ、アルト、男声の3部。 合唱指揮の教科書とかを見ていると、指揮者は曲に応じてパート分けについて流動的に指示を出しましょうとか書いてある。たとえば有名な第九ではテナーソロの後に男声合唱部分があって、それは3部。楽譜上テナーが分かれることになっているけどバランス上バリトンがこのT2を手伝うことも多い。 『筑後川』は混声4部を基本としてパートが分けられているから、さらにパートが2等分されればよいような分割は考えやすいものの、同声3部といわれるとちょっと指揮者マター。 女声三部といえば、「みなかみ」にある難易度のやや高めな「山の光は小鳥のうぶ毛の匂」もそう...
  • 筑後平野の百万人
    百万っていったら、実は1千万でも数十万でもだいたい「たくさん」っていう意味で事細かに確認する必要もないのでしょうが、国土交通省河川局平成15年作成の資料によれば、筑後川流域内の人口は         (人) S43 912,926  (<――作詞作曲年) S50 978,427 S55 1,037,010 S60 1,078,966 H02 1,064,048 というように推移しています。 別の河川流域に相当してしまう人も含むけど、筑後川が流れる市町村の人口を単純に足し算した流域関連人口は S45 1,238,882 S50 1,275,017 S55 1,344,738 S60 1,380,537 H02 1,395,276 H07 1,423,697 H12 1,436,058 と...
  • ちぃさーくなーるうぅー
    1番かっこと2番かっこの違いは最初の小節の4拍目から。「大きくなる」の「な」の音からってこと。1番かっこのなかで「なる」は不協和音を重ねた厚い音を使いながら属七にとびこむ半終止。2番かっこでは属七から主和音への完全終止。 1番と違い2番はわかりやすく終わるので、特に意識しなければ、つい力を緩めて、気にしていないのにデクレシェンドができてしまう。まぁそれでも悪くはないことも多いと思うが。 たしかに、とりあえず楽譜どおりに歌うことを重視したい段階では、注意したいのは1番かっこ。油断するとフレーズの終わりで小さくなりがちなのに、1番かっこで最後の「る」を3拍クレシェンドしなければならないことに意識を置いたほうがいい。 もしさらに高度なことを求めたいなら、2番かっこの最後の「る」。大きくなる、というテキストでとりあえず「おおきく」まではクレシェンドで大きくしているもののその...
  • アルトの祭り
    『筑後川』全曲中でアルトがパートソロ、あるいは他パートと明らかに違う動きをして目立ちようがあるのは 「みなかみ」冒頭での「いまうまれたばかりの」 「銀の魚」3小節目の「にーーーー」 「銀の魚」後半のハミングで3小節目と同じ動き 「川の祭」終盤フーガの「まつりよかわをよびおこせ」 の4箇所しかない。それ以外は大抵ソプラノの裏についていて、たまにベースと同じ動きをする。まさに内助の功のパートそのものという書き方をしてくれている。 何も目立つことが音楽のすべてだといいたいわけではないし、奥ゆかしいアルト気質にあって、そんなことに心を奪われたりはしないのだろうけど、しかし人前で歌を歌うという意気込みの芸術家に自己顕示欲がないはずないだろう。 さて、その4箇所をよくよく考えてみると、一つ目は4パート順繰りの2番で中継ぎ。銀の魚のあの動きだけで満足できるとしたら、その...
  • アルトを呼びおこせ
    このフーガでアルトに鬼門が用意されている。音域がむやみに広いのだ。 「まつりよかわを呼びおこせ。あー」 のうち、「かわ」は五線の下のシの音で、そのすぐあとに「こ」で上のレが出てくる。典型的なアルトならポジション(声区)の切り替わり点として、胸声からミックスした中声への切り替え(第一喚声点)が真ん中のソ(一点ト)で、中声から頭声に切り替え(第二喚声点)が上のレ(二点ニ)。だから、このフレーズは人によって二つの大きなポジションチェンジを乗り越えなければならず、パートソロでの一つにまとまったフレーズ作りが非常に難しいように書かれている。 気をつけたいのは「かわーを」の歌い方。フーガらしく、「まつりよかわを」をしっかり歌うという気持ちが強すぎて、この「かわーを」を変な意味で押してしまうと後に続かない。「変な意味」というのは胸声主体の、胸声しか出せないような発声。それだと確かに「か...
  • かわよ
    まず音量。mfと書いてあり、その後のtuttiではf。だけど人数比を考えれば当然音量の差はつくので、こういう場合のmfは「出したいように出してよい」と読み替えてもOKだ。2回の「かわよ」がいずれもmfと書いてあるので、2回とも同じくらいの音量で歌い始めればよい。ただそのことについて考えすぎる必要はなく、敢えて差をつけていなければOK。クレシェンドの松葉が二回とも同じように書いてあるので、それはやったほうがいい。ただ、2回目のほうが音が高いし、なんといっても2回目だからちょっと大きくなったとしてもなんら差し支えない。好きにすればいいだろう。 ちょっと背景。 この曲が川の流れにのせて人の成長や男女の愛を描いていることは周知のことと思う。  川の流れについてみれば、渓谷のちょこまかした流れからダムにたどり着いたところ。  人の成長については、いそいそと走り回っていたところ。...
  • 2小節×5つ×2回
    「さあ遠い旅行が始まる」という言葉。文節をはっきりさせてみると「さあ/遠い/旅行が/始まる」と切れる。楽譜上で文節ごとの割当小節数を数えてみると、2・2・2・4。これをもう一回繰り返し。曲の速さもあって、ここでは1小節を一拍で振る指揮になることが多いかと思われます。合唱パートもピアノパートも2小節ごとのかたまりと捉えてみるのに不都合はなく書かれている。その2小節ごとの2小節目はいずれも付点4分音符。すると2小節ごとのかたまりはある種、2拍子のような音楽を感じさせることになります。 2拍子なら標準的には1拍目が強拍で、2拍目が弱拍。言葉のアクセントやイントネーションから言っても「さぁ」は1音節目、「とおい」も1音節目、「りょこうが」と「はじまる」は細かく言えばややこしいけど、「が」や「る」にアクセントがくることは普通ない。 ところが、ピアノパートを見てみると最高音を各2小節目の...
  • 愛は難しい
    今夜は聖夜。というか聖バレンタインデーと並び、外国のイベントにかこつけた恋人たちの夜。いつぞや、あいてるホテルがなくてずいぶんさまよったこととかあったなぁとか。 愛の宗教といってもキリスト教の愛はもうちょっと違う愛だよなぁ。   愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない   愛はいつまでも絶えることがない なんかないないづくしだよね。 いやそんなことより、今夜訴えたいのは   愛は子音がない 前置きが妙に長かったけど、「いのちがけで愛するために」の歌い方。 前後を見てみると、「不屈の~」がフォルテでmarcatoとの指示がある。さっとみれば少し後の「水面に~」にlegatoと書いてあるのでこの6小節間がmarcatoなのかとも思える。 しかし、何となく楽譜づらを眺めてみれば、特にピアノパート部分の差から、「不屈の決意をした青年です」の3小節と、「い...
  • じゃぁ
    以前、少しの間フランスの田舎町に滞在していたとき、いつもの昼飯メンバーから、おきまりの展開で、何か日本語を一つ教えてくれという話になって、とっさに「じゃぁ」という言葉を教えました。 フランスのお昼時の挨拶はボナペティ。朝はぼんじゅーる、さばさばとか言い合っている展開が、昼飯時は通りすがりの人とボナペティボナペティと言い合っている。私がフランス語を話せないので、テーブルに着くとグッドアパタイトとか言われるんですが、いや、それは英語でもボナペティでいいんですけどって。だいたいそれじゃ芸能人は歯が命になっちゃうでしょ。 日本での食事時の言葉は、いただきます。ごちそうさま。一応、さぁ召し上がれ、お粗末様、という言葉もあるけどマイナーな部類。つまり日本では食べる側の人の言葉中心。でもボナペティは、テーブル上で言えば「さぁ召し上がれ」に相当するから、いつものタイミングで何か言葉を発しようとして...
  • 腹式呼吸のみぞおち
    単純な音楽こそ基本技術が問われる。「銀の魚」のように曲自体が技巧的なら表面的にその技巧をやりきることで音楽が出来上がってくるものの、「川の祭」のように素朴で単純な音楽は逆にむずかしい。CPUパワーがそのまま出てしまうベンチマークで、システム設計の見せ場がないようなそういう話。 腹式呼吸とは何か、どうすればいいのか、といった話題はネット上でも盛んだし、楽譜屋さんに行けばいろんな本に出会う。何もいまさらオイラから学ぶことなどないのだろうと思う。ただ、まぁ読み流してやる程度で核心だけ2つ。 まず、わかりやすいことで、腹式呼吸を実践しているとき、みぞおちはやわらかい。いわゆる腹筋運動で最初に鍛えられる直腹筋とよく呼ばれるところ。おなかの筋肉が割れているとかで話題にであるあの筋肉はここでは活躍しない。というよりも、その力を抜くという、結構難しいことをやってのけなければならない。 ...
  • フーガを歌う基本・基礎
    重要なので結論を先にいいます。 主題をパート、とくにその入りを強調できるように作る。 つまり主題のパートは楽譜の直接的な指示以上に大きくはっきり歌っていいし、 主題でないパートは楽譜の指示よりも若干抑えて歌ったほうがいい。 ここでのことにいいかえると 「まつりよ」はかなりはっきり歌う 「かわをよびおこせ」もはっきり歌う 「あーー」は抑えて、理性的にきちんと歌う 細かく言うとアルトは、まず最初の「まつりよかわをよびおこせ」をはっきり歌う。つぎにテナーが入ってくるとき、その直前でアルトにはフォルテからのクレシェンドが書いてあるけれど、フォルテで入ってくるテナーよりも抑えて「あーー」を歌う。さらにベースが入ってくるときにテナーには同じ問題が起こるけど、抑える。とくにここでテナーは小さく歌いにくい音域に突入して、そこまでのとにかくフォルテという基調...
  • 水かさが膨らむ川の橋
    水嵩が増減する川に架ける橋には、よい選択肢がある。 沈み橋だ http //www.yado.co.jp/hasi/ooita/takenokubi/ 11月26日の日記でも書いたように、筑後川は河状係数(河川の年間における最大流量と最小流量との比)が高いから、流量が多いときにあわせてすべての橋を架けようとするととんでもないお金がかかることになる。だから、流量の多いときにはしょうがないけど沈んでしまうような橋を架けるってことなんだろう。 違う川の、違う名前で呼ばれている橋だけど、ちょっと素敵なエッセイ。 http //www.ana.co.jp/travelplus/main_issue/j_scene/051017/ その、四万十川の橋なら http //binbi.net/shimanto/river3.htm 私が生まれ育ったところのそばに...
  • 銀の魚=エツ
    「永遠なる川」と題したエッセイで團伊玖磨は『銀の魚』を 晩春の筑後川に遡る銀の魚”エツ(注)”を朝靄の中に漁る人達。 静謐の中に息遣く男女の暮らしの美しさ、大切さを歌う第三章「銀の魚」 と紹介なさっています。 (注:本文で””の内側は挿絵のとおり魚偏に斉とかく漢字です。コンピュータでは出せない文字です。) 筑後川下流域で、梅雨頃のきわめて短い期間しか漁れず、まったく日持ちしない魚。この地域における当たり前の魚で、他の地域の人にとっては知りもしないという奇特な魚。 この魚を「銀の魚」ときわめて一般的な言葉で呼ぶと、なんだか自分のふるさとの風景に重ねられるような気がする。 でもとりあえず、エツの情報をいくつか。 エツについて、たぶん一番詳しいページ http //wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/bi...
  • バタフライ効果
    真夜中に書いた手紙は、せめて朝、読み返してから出せって言われますが、今夜はそんなことお構いなしに書かせてください。 初めてお会いしたときから素敵な人だなぁと思っていました。ずっと気にかけてはいたのですが、なかなか一歩を踏み出せないままの日々が続いています。それでも、日増しに想いが強くなってきて。 唐突ですけど、バタフライ効果ってご存じですか。去年映画のタイトルにもなっていたから多少有名な言葉だとは思います。複雑系とかいう妙な学問の世界でのたとえ話で、「中国での蝶の羽ばたきが、ときにはアメリカで嵐を引き起こすことがある」、とかいうのです。自分では何をやろうにも、どこに届くわけでもなく霧散する経験ばかりを繰り返しているとにわかに信じがたい話です。ですが、あなたの小さな仕草に心を動かされている自分を思うと、なんだここにも転がっているような話なのかと苦笑してしまいます。 た...
  • たいい
     ♪ 大意、大尉フレ、体位法、    退位、対伊フーレ、ホッホー いや、大きくならんでいいです。 という背理法ネタはおいといて、対位法。縦の線ばかりを気にするのでなく、各声部にメロディーがあって、それが重視されながら曲が出来上がる話。わたし、長い間結構勘違いして、対位法ってカノンやフーガのように同種の旋律が時間的にずれて出てくることを指すんだと思ってました。ヴァカですね。多声部の音楽を作るときに、左手でコードを慣らして右手がメロディーとか、ずっと三度上か下でハモっているとかじゃない少なくともあとちょっと手の込んだ作曲法。 わたし、小学校でトランペット、小学校以降で歌、中学校からトロンボーンをやってたんですね。で、周りの音なんか気にしないセルフィッシュ野郎だったから、自分ひとりでは単音しか出せない以上、和音とか、縦の線をそろえるだとか、どこかのパートとの関連だとかって気...
  • ラップ
    昨日の続き。 たとえば、やや無理やりながら、日本語で一定のリズムをもつ詩をつくるとこうなる。(無意味ですが) 今日からコーラスとっても貢献 強敵ロータスがっちり剛健 教師はノーミス絶対条件 恐怖のオーラスやっぱり冒険 タータタ タータス タッタタ タータン たとえばラテン語のように長母音と短母音が明確に分かれていて適当な比率で混ざっていると、こういったタータタみたいなリズムの出現頻度が上がるし、もともと格変化で語尾が数音節分、よくある語尾になるので押韻も踏みやすい。それを言えば日本語も「です」「ます」とかで語尾をそろえることができるけど、なんかそれだと味わいがないよね。 1文節の音節数が、人間としてもっとも数えやすい2とか3じゃなくて、簡単に5とかあるいは7くらいまでになる。だから古代の西洋文学にあったような、また、上記例のような短い組み合...
  • Finale
    Finale (イタリア語)(英語のfinal) 男性名詞で (音楽や演劇の)フィナーレ、終曲、終楽章、最終楽節、終幕、(スポーツの)最終局面、最終ラウンド 女性名詞で (スポーツの)決勝戦、(言語の)語尾、(文法の)目的節 形容詞で 最後の、目的に関する 固有名詞で MakeMusic社の楽譜作成ソフトウェア ここでは歌詞に”finale”ではなく「フィナーレ」とあるので、日本語化した言葉としてのフィナーレ。最後という言葉と関連しているのは誰でも承知の部分だと思うけど、一番終わりの瞬間のことを指しているのではなくて、全体をいくつかに分けたときの最後の部分を指している。だから、たとえば5楽章構成で第5楽章がフィナーレだとか。 ある程度の長さがある、ってことはちょっと気にしたほうがいいかなと思う。 昔からときどき、Finaleほしいなって思うんです...
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