chikugogawa @Wiki内検索 / 「まつりのリズムがどっさりどっさり」で検索した結果

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  • まつりのリズムがどっさりどっさり
    (是非、声を出して読んでみて下さい。) allegro marcato ma non troppo ドンドコ・ドンドコ・ドンドコ・ドンドコ タンタカタッタカ・タンタカタッタカ タッタカ・タッタカ・タッタカ・タッタカ タンタカタッタカ・タンタカタッタカ f あんぐり・うんざり・ぐんなり・ぐんにゃり げんなり・こんがり・こんもり・ざんぶり しょんぼり・しんなり・しんねり・しんみり じんわり・ずんぐり・すんなり・ちんまり どんより・にんまり・のんびり・ひんやり ふんわり・ほんのり・ぼんやり・まんじり やんわり! fp cresc.ずんぐりずんぐりずんぐり ずんぐりむっくりずんぐりむっくり f あっさり・うっかり・うっすり・うっとり おっとり・かっきり・がっくり・がっしり かっちり・がっちり・がっぷり・が...
  • 川の祭
    ...っていくという意識 まつりのリズムがどっさりどっさり とっぷり 32分音符 たっぷりとっぷり わん・わん、わん! 和太鼓という出し物 水天宮船太鼓 腹筋 スーパー・フォルテ! 肺活量 揃った音の強さ 腹式呼吸のみぞおち 腹式呼吸 わき腹の使い方 斜腹筋 vs 腹斜筋 浪の底にも都のさぶらふぞ 腹筋を鍛える 腹筋をもっと鍛える ターンカタタ タタータ ずり上げ 水難 どうか Kappa と発音してください カワタロウと読んでください 水虎≒河童 水神の化身 水天宮と河童 九千匹の河童よさわげ 田主丸 整理して覚える 3拍目裏からのcresc. 「ん」は小さい。 どどどどど 正確なテンポ たいい 風雅 フーガ形式 凝結した音楽 フーガを歌う基本・基礎 とんそう曲 アルトの祭り 息を混ぜて切る f vs sff ドレミレド ミックスボイス 鼻腔共鳴 おい、鬼太郎! アルトを呼びおこせ 受け...
  • 花火のまつり
    日本三大祭といえば、ヤマザキ春のパンまつりと花王ヘアケアまつりと東映まんがまつりですが、花火に限ってみればどうでしょう。 いわゆる三大といってしまうと、大曲の花火大会として知られる、秋田県大仙市(旧大曲町)の全国花火競技大会、質・量で言えば一番とされる茨城県土浦市の土浦全国花火競技大会、一番でかい花火があがるので有名な新潟県長岡市の長岡まつり大花火大会の3大会。 このほか記録に残っている範囲で日本最古なのは、隅田川花火大会。年間実施日数の多さで言えば、洞爺湖ロングラン花火大会、打ち上げ発数世界一なのが大阪府富田林市の教祖祭PL花火芸術。 このほか花火業界と花火ファンを結ぶ季刊花火ニューズペーパー・「花火万華鏡」の冷静な企画で花火百選、50選、best 10を決めたときの http //japan-fireworks.com/news/best100.html のベ...
  • 深い川
    深いって言っても棹が届くのだから、まぁ底なしってわけじゃないのだろうけど、とはいえ、足が届くようなところでもあるまい。子供がむやみに泳ぐようなところでもないだろうから、足が届くかどうかは重要じゃないだろうけど。 詩を読まずにこのあたりの歌だけを覚えていると、「深い川の、深い心の」で切れてる気がしてしまいます。実際、音楽は二重線を引いてこのページで一回切れてるんだけど。 詩を見直してみると、「深い川の深い心のいきの良い魚をとらえるのだ。」でひとまとまりです。とはいえこう作曲されちゃうとどうしようもないので、次のページで仕切りなおしてからつながりを感じることにしましょう。 深さって、ここではやっぱり川として人として成長してきたって意味ですよね。 決して深川丼ゲトーとかいってるんじゃないです。 というわけで、たっぷりな感じで歌い上げたいところです。とにかく深...
  • f vs sff
    新しく入ってくる旋律がはっきりと聞き取れるように配慮する。 これはフーガに限らず音楽の作り方の基本。フーガ冒頭のアルトが作る「まつりよかわーを…」というラインがしっかり見えてくることは求められるわけだ。 ところがここで厄介な問題がある。このときアルトとアルト以外のパートとを比べれば一目瞭然だ。アルトはフォルテひとつ。男声とピアノパートはsffにアクセントつき。単純に言えばアルトは聞こえなくてもいい、というメッセージのようにも思える。 ここでいくつかの選択肢が考えられる。 1)sffという普通めったに見られないような記号をもらいながらも、男声とピアノはアルトに配慮して小さく出す。 いや、どう考えてもそれはないだろう。ちょっと抑えてアルトが聞こえるとかいう問題ではない。またここの音楽の性質から言って、全力で出すのが礼儀だろう。 2)アルトが大きく歌う。 ...
  • テンポキープ
    このフーガは油断するとテンポがぶれます。 「まつりよ」「かわーを」「よびおこーせ」「あー」 の4つが少し違う声の出し方とリズムを求められているからではないかと思います。 普通にしっかりだせるタッカのリズムの「まつりよ」 低いところで押してしまうシンプルなシンコペーションの「かわーよ」 低いところからの上昇音形でややこしいシンコペーションの「よびおこーせ」 下降音形で4分基調に間延びする「あー」 こういうところを、ここは主旋律だと意気込んで歌うと長い音符をより長く、短い音符をより短く歌ってしまうのが人の性。気持ちはわかりますが、フーガはある意味マシーンのような動きが求められるところで、テンポはかなり厳密にキープしていないとぐしゃぐしゃな音楽が出来上がってつまらない仕上がりになります。 こういうときの当たり前のコメントは、落ち着きましょう、よく...
  • 漕~ぎだした<-->さお~を入れる
    「銀の魚」の1ページ目と2ページ目、昨日の言い方でテキストの1パラグラフ目と2パラグラフ目には作曲上いくつかの差異が設定されているが、ここまでに挙げていない特徴的な動きとして、 1パラグラフ: 「漕ぎだした」 「漕~ぎ」とタッカのリズム 2パラグラフ: 「さおを入れる」 「さお~を」とシンコペーションのリズム がある。 歌詞をよく考えてみても「さ~おを」と割ってなんら違和感なく、芸のないありきたりな作曲にできる。それを「さお~を」という割りにわざわざしたわけだから、このリズムは演奏上の要注意点となる。 昨日の指摘のような深入りした解釈はむしろ聴衆の嫌悪感を招きやすいべたべたの演奏になりかねないので、逆にこういうところこそ演奏に客観性を残してリズムを正確に立てるような発想のほうが良いかもしれない。 そんなわけで多くの場合、リズムが変化する...
  • 天へ
    「てんへ」の入り: p.6の下段からディナーミクを確認すると、mf始まりで松葉をもらっている(クレッシェンドしてデクレシェンドする)だけなので、p.7の1小節目の終わりはmfくらいで終わっているはず。すると、「天へ」のfは一ステップ、不連続に大きいことになる。 ここで選択肢が二つ。 冒頭の「て」の子音が破裂系、最初の一拍がタッカのリズム、一段大きなfの指示、わずか一拍で女声から男声への受け渡し、などを思うと、「て」の子音の破裂をやや強調気味に捕らえながら「ん」を抑えて歌うことで、初めて出てきた16分音符のリズムを際立たせる形で曲にメリハリをつけるという手法。 一方、この「て」にはアクセント記号がないことを重視し、あくまでも6ページ目から続くたゆとう音楽の中でやわらかく「て」を処理し、タッカのリズムもむやみに跳ねないという手法。 たしかにこの音楽は日本人詩人と...
  • 楽譜に忠実
    つい先日、長らくお世話になった指揮者の先生が亡くなりました。長らく、といっても10年位かな。音楽に大変厳しい方で、かつ初演マニア的な方でした。とある作曲コンクールで「楽譜が変なんだけど、コンクールという性質上、こっちでかってになんかやってあげるというわけにもいかないんだよね」とか言いながら、とりあえず楽譜どおりにふってららした姿が、ある意味非常に印象的でした。 その後、私もとりあえず音が取れてる、気持ちよく歌っている、とか言うことだけではなく、楽譜をまじめに読むようになってきて、昔わかりにくく、でもある意味ただの1,2,3,4なんじゃないの、と良さがぜんぜん分からなかった頃とは違い、マエストロの棒が、実は非常にいろんなことを語っているし、それは楽譜の枠内であるのにもはや誰にも追随できない領域、と思えることがよくありました。マエストロ自身は、作曲家が降りてきて一緒に作っているって感じの言...
  • 「あゝ―」つなげずにつなげる
    最初のページの最後の音に向けた歌い方。つまり、「呼びおこせ」と「あゝ」のつなぎかた。 譜面上ritmicoという指示は、ピアノパートにしかついていないけど、曲想等々から考えて、リズミカルに歯切れよく、はっきりと歌う基調となることは間違いないだろう。 そんな音楽の中にたくさん出てくるシンコペーションは、祭の太鼓のリズムとして、しっかりと刻まなければならない。 「かわーを」「あいーを」「おこーせ」「くれーた」「たたーけ」「あげーよ」 この「ドン、ドン、ドドーンド」のリズムをしっかりと、ということだ。 そしてさらにその合間に入る、「あゝ―」の繰り返し。同じくそのリズムが命といっていいだろう。となればテクニカルには「あゝ―」の入りのたびにアクセントをつける、という動きがこういう場合の基本。 たしかにそれまでフォルテからクレシェンドしてきた音量で、メゾフォルテに落...
  • あの鐘を鳴らすのは
    ピアノパートの特徴的な動きを見てみよう。 合唱が「けもののしろい」と歌う直前で一度ヘミオラの拍の動きの中で強く高い音を、タカタン、タカタン、タカタンと叩いている。 「もりの」のフレーズの終わりで、今度はボリュームをpに落として同じ高さで、さっきのヘミオラの中のリズムを使って叩いている。 続いて「たきの」のフレーズの終わりをさっきと同じようでありながらやや音を充実させてクレシェンドしながら叩いている。 「さあ」に入ると一拍めのタカタンのリズムがなくなるもののほとんどさっきと同じことの発展系で、さっきはスタッカートだったやや軽い音が今度はffのアクセント付きで叩き、 いよいよ最後の「さあ」にいたってはほぼ同じ動きをもう一回(2小節分)付け加えて、ffからクレシェンドしながら音の高さまでちょっと高くなりながら叩く。 たとえばこれを鐘の音だと思ってみよう。 町中に...
  • 第一声の「ま」
    軽くテキストを読んでみればわかるとおり、『筑後川』は久留米に生まれ育った詩人によるご当地ソングでありながら方言を使用しないつくり。しかも作曲家の團は多少九州の血が流れていても東京生まれ東京育ち。基本的に九州弁は話せない。そんなわけだからこの曲のイントネーションを考えるときはすなおに標準語をベースに考えるので良い。 冒頭の言葉は「まつり」。単独の言葉でも、文頭で使われてもLHH(音節ごとに低い・高い・高い)のイントネーション。「ま」をアウフタクトにおいてもぼちぼち自然な日本語として作曲することはできる。しかし一方で「ま」にストレスをおいても(音節ごとに強・弱・弱であっても)不自然ではない。というより、「つ」や「り」にストレスをおくと、結構不自然。 東京方言の日本語は高低アクセント(ピッチアクセント)だからアクセントがどこにあるかというと「ま」にはないのだけど、強勢アクセン...
  • 水天宮船太鼓
    久留米の総本家の方の水天宮の夏の祭りの重要行事が水天宮船太鼓と、花火。 もともとこの水天宮に祀られている安徳天皇が海の上での戦いにやぶれ、わずか8歳で入水して最期を遂げたとき、その痛ましさに敵味方なく軍鼓を叩いてご冥福をお祈りしたことに由来して始まったとのこと、だそうです。 哀しきかな、無常の春風 って感じですね。 って、おいおい、なんで夏祭り?まぁ子供太鼓なのはわかるとしても。 特定の神社への依存を薄くして、地方公共団体が手を出しやすくした「水の祭典 久留米まつり」では、子供太鼓フェスティバル、という名前になっているようです。おまつりは太鼓で始まって、花火で終わる。 政教分離とはいえ、地域の伝統行事を骨抜きにしすぎるのもどうかと思うのは考えすぎ? とりあえず、久留米市の合唱団のために書かれた筑後川のおまつりの詩に、太鼓と花火が出てくる理...
  • 主和音で勝負する
    ♪主和ぁー (おーン) シューびでゅわー (おーん) って、ハクション大魔王にも妹にも用はないので、そういうイミフメイな歌は置いておくとして。 非常に古い音楽にモンデヴェルディ作曲の「聖母マリアの夕べの祈り」という曲があります。(Claudio Monteverdi ) イタリアでの、ルネサンスからバロックへの移行期を生きた、というよりも、ルネサンスの巨匠、パレストリーナの呪縛を断ち切り、感情表現の自由度を高めたバロック音楽を切り開いたのがモンテヴェルディ自身。私はこのCDを初めて聞かされたとき、なんて派手なおめでたい曲なんだろう、宗教曲としてこんな曲があっていいのだろうか、と心配になり、1610年の作曲と聞いて、さらに驚き、運転中だったけど、信号待ちの間でよかった、と思った曲です。 Sibeliusの再生環境が整っている方は、ぜひ、その圧倒的な第1曲を楽譜...
  • 高原の小技を大切に
    大きな声をのどだけで作ってしまうと体に悪いです。テクニカルにはおなかの支えとか鼻腔の共鳴とかが両立している状態で、メンタルには謙虚でまじめで手を抜かずに全身で特におなかから頑張ってる感じで出しましょう。 「へいやの」にはアクセントが付いていますが、ぶつ切れに押してしまうと美しくないです。つながっているけどアクセントも付いているという感じを多少意識して欲しいなぁ。 ここでピアノパートは3連符を続けていて、合唱は8分のリズムがたくさん出てきます。しっかりあわせようと思うと難しいのですが、多分、ピアノのリズムなんか誰も聞いてないでしょうし釣られることもないと思いますので「へぇー」程度に知っててください。 「ひゃくまん」の「ま」でソプラノはラ♭ですよね。高いですね。のどで押すんじゃない、裏声で軽くこの高さが出せるような引っ掛かり感をつかんで、首周り、胸周りを楽に、首の...
  • 自由な世界
    ここまでの私の指摘を読んでみれば、この曲が不自然な拍の上に成り立っていることはだいたい分かって頂けると思う。珍しい拍子、珍しいフレーズ当たりの小節数。それも定式化された2+3のリズムを持っているとかでなく、どことなく、なんとなく。 團伊玖磨は『筑後川』の詩について 「今生まれたばかりの川、とまったく普通の言葉で書いてある。しかも、律もそろっていない。しかしよく読むと詩人の考えたフォルムが底にある」 と語っている。 話すように、語りかけるように自然な音楽。歌は語りと違う定式化されたものとして存在しているもののようにも思うけど、西洋音楽の長い歴史はまるで話しているような抑揚とリズムを持った音楽を生み出すにも至った。そういう音楽は、現代音楽の複雑何とかを目指すわけでもなく淡々と2,3,4拍子が入り乱れる。 すでにオペラ『夕鶴』を書き上げていた團にとって、この自由詩...
  • がまだす!
    私が生まれ育った町は、お祭り、それも秋の大祭を中心に動いています。日付が決まっていて、2+α日間開催されるので、当然頻繁に平日とぶつかるのですが、市内にあるすべての市立小中学校はお休みですし、結構驚かれるのですが、市内にある2つの県立高校もこの日はお休みです。盆と正月に帰省しなくてもこの日には実家に帰りたい、と言ったら相手のご両親に驚かれた、という話をよく耳にします。神輿を担いで市内を練り歩く系のお祭りですが、午前2時くらいから日暮れすぎまで、ずーっといりこを肴に日本酒を飲みながら市内を移動する、というのを2日間行うので、町の中心部に酔いつぶれたおっさんや子供が多数転がっているという、よそ者には理解できない感満載のやばい祭りです。 うちの地元では、かなりの人がこの日のために生きてるみたいです。 さて、楽譜冒頭の記号、energico。 説明するまでもないくらいわかりやすい...
  • 漕ぎ出し方
    4小節目のディナーミクはmp。そこまでアルト以外はppなので、pを飛び越えて突然大きくすることになる。3小節目でアルトが一山作っている分、唐突さは和らぐものの、歌う側は何となく大きくなるのではなく、2レベルアップなのだかいう多少の意識は必要だと思う。 ところがこの小節に向けてブレス記号はない。前に指摘したように、この曲ではやたらとブレス記号を書いてあるので、ブレス記号のないところはパートや団として揃って切る、あるいはためるという流れを作らないと見るほうが自然。だけど久留米音協のCDを聞くとここにタメを作っている。アルトの装飾音の影響もあるし、音量が2レベルなのもあるから、ブレスは書いてなくても音楽の切れ目を感じなくはない場所だ。テキストから見るとむやみに切る場所ではないものの、切れてもいいかもという微妙なポジション。ってことで指揮者マターなところですので、よく見ましょう。 作...
  • アクセント
    歌でアクセントを議論するなら是非知っておいたほうがいいことがある。それはアクセントには2種類あって、音の強弱による強勢アクセント(ストレスアクセント)と音の高低による高低アクセント(ピッチアクセント)に分けられる、ということ。そして、普通、日本語は高低アクセント、西洋音楽を育んだ多くのヨーロッパ言語は強勢アクセントだ、ということ。 だから日本語の歌のアクセントを議論するときには注意が必要だ。高低アクセントが基本だから、アクセントといってもそれはメロディーを作る側に働いて、リズムを作るほうには働かない。 そういえば、日本語の詩歌の文化で、定型ものは七五調や五七調、あるいは五七五などで構成されているものの、そこでアクセントや韻を踏むという方向には進まなかった。古代ギリシアの叙事詩が一定の短いリズムでできていることや、重要な影響を受けたはずの漢詩でも韻を踏む鉄則があったのに、である...
  • 2連符
    なんでここで2連符なんでしょう。テンポを動かしまくって、挙句の果てって感じ。『筑後川』の全般的な曲の難易度からすると、わざわざそういう面倒な楽譜を書かないと思えるそうなところですが、ともかく作曲家は書きたかったようです。 難易度を落とすための工夫として、さっきまでの「りょうこうが」に合わせるピアノパートが8分音符で動いているのに対して、ここでは付点四分を叩くだけになっています。もしピアノが8分音符を叩き続けていたら、ベートーベンのピアノソナタ「月光」の左手3連符で右手付点や、イタリア第二の国家とも言われるヴェルディの「行けわが想いよ、黄金の翼にのって」の6/8にタッカのリズムでのっていくときの高い難易度と同様に、楽器とちょっと違うところにリズムを刻むという面倒なことが起こるところでした。 結局、指揮者はここで合唱の面倒だけを見ればよいので、たいていの場合、2連符どおりにわかりやすく...
  • 軍隊行進曲
    フォルテだし、マルカートだし、付点のリズムだし、男声だけが担当しているし、ピアノパートはアクセントだらけだし、変ホ長調での移動ドでいえば「ド、ソ、ド、ソ」というわかりやすい左手だし。(変イ長調?) どこをどうとっても「不屈の決意をした青年です」の3小節は軍隊風の行進曲という方向以外に考えられません。 その直前の「冷静であるように」という言葉とは明らかに話者が異なるし、拍子が変わって、二重線が引いてあるし、ページの上の段から下の段に移るときに、明らかに音楽を切り替えるべきです。そして変わった先が軍隊行進曲。 ゆるぎない気持ちが、万が一にも軽くとられないように、付点のリズムは長い音符で弾みすぎないことが肝要。付点が付いている長いほうの音符を短く切ってしまうと、弾んだ気持ちの軽やかな音楽にもなりえるので、とくに音が高くなる3小節めの「青年です」は要注意。
  • 何小節フレーズ?
    音楽の捉え方で、フレーズを何小節でとるかという問題があります。 ♪咲いた、咲いた、チューリップの花が をブレスなしで一息で歌うか、咲いた咲いたの後で1度ブレスをとるか、というような問題です。就学前の子供にこれを歌わせると、咲いた、と歌ってからブレス。もう一度咲いたと歌ってブレス。その勢いで、チューリップのの後でもブレスしたりして。そういうのが幼い感じですね。だから、って言うのもなんですが、あまりぶつ切れにしないものです。 ブレスがもつのなら、多くの指揮者は書いていないブレスをむやみに取らせるものではありません。 ♪筑後平野の百万の生活の幸を は、その気になれば一息でうたえます。ブレス記号も休符もありません。「百万の」のあとが問題なんです。気楽に歌ってもらえば、ここでしっかりブレスをとる人が多いです。まるで8分休符があるかのごとくしっかり休んでしま...
  • リトミック
    去年のNコン全国大会の放送を見ていて思ったことですが、全国大会に出てくるような学校だからか、日頃の活動としてミュージカルみたいなことをやったり、踊りながら歌ってみたりという練習を取り入れたりしているところが不思議と多かったですね。不思議、というようりも、ははぁ、なるほど、と思いました。 合唱の演奏をよりよいものに仕上げるには、音やリズムが正確であることや、楽譜から表面的にすぐ読み取れるようなことを一通りやることは大切です。コンクールですからそういうことはかなり大切です。でも、フレージングをうまくまとめるとか、ひとつひとつの音にTPOに応じた緊張感や空気がのっていることが必要です。 ピアノのコンクールなら、小学1,2年生くらいのクラスで、都道府県大会の上位に入るには、”楽譜どおり”を越えた雰囲気を持っていて当然って感じですね。ノーミスで弾けても、技術的には良かったね、で終わる。そうい...
  • ターンカタタ タタータ
    同じリズムの場所を確認してみましょう 小節数 1番の歌詞     (2番の歌詞)     パート  音量 === ========= =========== ==== ==   5 まーつりよかわーを (まーつりをあいーを) SATB f  11 とーっぷり暮れーた (はーげしいあいーを) SATB mp  14 とーっぷり暮れーた (はーげしいあいーを) SATB f  17 たーいこをたたーけ (はーなびをあげーよ) SATB f  18 たーいこをたたーけ (はーなびをあげーよ) SATB ff  25 まーつりよかわーを (まーつりをあいーを)  A   f  27 まーつりよかわーを (まーつりをあいーを)   T  f  29 まーつりよかわーを (まーつりをあいーを)    B f  31 まーつりよかわーを (まーつりをあい...
  • <あわわ、あわわ>
    「かわは、かわは」前後での、テクニカルなところを数点確認してみましょう。 この曲の合唱はフォルテから始まって、4回クレシェンドしてからこの「かわは」にやってきます。しかしここはメゾフォルテです。一つ一つのクレシェンドを小さめに作って、現実的な音量の範囲内で「よそうして」までを歌いきる、という選択肢もありえますが、現実的には小さなフレーズごとに音量を戻して、一つ一つのクレシェンドをはっきり作りながら「よそうして」の終わりをフォルテ2つ分くらいでまとめる、というのが、この先をもっと大きく歌うための大人の計算だと思います。 そういう毎回小さいところに戻す流れで「かわは」をメゾフォルテまで戻しても、音楽的な不自然さはありません。ただ、初心者は油断すると最初から最後まで同じ大きさで歌いかねないので、練習のある段階では意図的にここはフォルテッシモだ、ここはメゾフォルテだと考えながら歌って...
  • ちぃさーくなーるうぅー
    1番かっこと2番かっこの違いは最初の小節の4拍目から。「大きくなる」の「な」の音からってこと。1番かっこのなかで「なる」は不協和音を重ねた厚い音を使いながら属七にとびこむ半終止。2番かっこでは属七から主和音への完全終止。 1番と違い2番はわかりやすく終わるので、特に意識しなければ、つい力を緩めて、気にしていないのにデクレシェンドができてしまう。まぁそれでも悪くはないことも多いと思うが。 たしかに、とりあえず楽譜どおりに歌うことを重視したい段階では、注意したいのは1番かっこ。油断するとフレーズの終わりで小さくなりがちなのに、1番かっこで最後の「る」を3拍クレシェンドしなければならないことに意識を置いたほうがいい。 もしさらに高度なことを求めたいなら、2番かっこの最後の「る」。大きくなる、というテキストでとりあえず「おおきく」まではクレシェンドで大きくしているもののその...
  • あぁ、しゃれにならない虫たち
    日本住血吸虫症という病気があります。 いわゆる寄生虫の一種。筑後川流域や山梨などの一部地域で原因不明の地方病として長らく住民を苦しめていたものの、およそ百年前に原因を突き止め、90年くらいかけて駆逐した病気です。1985年に完成した筑後大堰もこの病気の連鎖を止めるための公衆衛生目的があったそうで、完成後5年で安全宣言、さらにその10年後終結の結論を出すにいたったらしいです。 少し長くて、かつ山梨県のお話が多いですが、この日本住血吸虫症と戦った先人たちのご苦労を読み物調で知ることができます。 http //www3.wind.ne.jp/toccha/mushi/topindex.htm のサイトの25~43がこの病気の話。 死後解剖そのものが珍しい時代に、死を悟り、自らの解剖を申し出た杉山仲さん54歳。その彼女の解剖にも立会った地元医師の飼い猫で、日本住血吸虫症の...
  • ラップ
    昨日の続き。 たとえば、やや無理やりながら、日本語で一定のリズムをもつ詩をつくるとこうなる。(無意味ですが) 今日からコーラスとっても貢献 強敵ロータスがっちり剛健 教師はノーミス絶対条件 恐怖のオーラスやっぱり冒険 タータタ タータス タッタタ タータン たとえばラテン語のように長母音と短母音が明確に分かれていて適当な比率で混ざっていると、こういったタータタみたいなリズムの出現頻度が上がるし、もともと格変化で語尾が数音節分、よくある語尾になるので押韻も踏みやすい。それを言えば日本語も「です」「ます」とかで語尾をそろえることができるけど、なんかそれだと味わいがないよね。 1文節の音節数が、人間としてもっとも数えやすい2とか3じゃなくて、簡単に5とかあるいは7くらいまでになる。だから古代の西洋文学にあったような、また、上記例のような短い組み合...
  • 朝日はだめよ
    朝日新聞 なんとなく子供の頃から、車はトヨタ、ニュースはNHK、新聞は朝日、って感じの刷り込みがあって、いまでも新聞は朝日をとってます。つまも子供の頃から朝日新聞をとってる家庭で生まれ育ったので、結婚に際して新聞はあっさり決まってよかったです。自分が大人になったからか、ニュースソースが増えたからか、新聞を読んでも書きっぷりを100%信頼してるわけでもなく、ある種の記事はオレのほうがもっと詳しいし、それじゃ誤解させるだろう、とか、まぁあなたはそうお考えなのですね、くらいで読めるから多分朝日でいいんだけど、たまに毎日新聞や産経新聞の社説とか読むと、いくらなんでもそれはないだろうという気分にさせてくれるので金を出してまでとる気にはなれない。地方紙になるともっとひどいよね。読売は拡販員のみならず販売店店長にまで怖い思いをさせられた経験があって、一生絶対とらない新聞と固く誓っているので読まない。...
  • 実はモーツアルト作曲?
    1791年8月末、弟子のジュスマイヤーと『ティトの慈悲』をわずか18日で書き上げようとしていたモーツアルトは、そんな合間にも滞在中のプラハで中心部を流れるヴルタヴァ川(Vltavaドイツ語でMoldau)河岸で行われた夏祭りに出向き、現地の音楽のメモ、あるいはそれを題材にしたと思われる曲のモチーフをスケッチとして残した。「灰色の服を着た男」からの作曲依頼にこたえるため、ジュスマイヤーに構想を伝える一環と考えられている。 それから100年以上たった1922年、欧米視察団を率いた團琢磨(三井財閥の総帥で、後に日経連の会長)は訪問先のパリで産業技術の見本、あるいは記念品として、当時開発されたばかりのヘルシュライバーと呼ばれたファクシミリの原型品でコピーされたこのモーツアルト自筆のスケッチを渡されたらしい。 このスケッチは團琢磨が1932年に暗殺されたのち、一度、次男團勝磨に遺品として渡る...
  • アルトの祭り
    『筑後川』全曲中でアルトがパートソロ、あるいは他パートと明らかに違う動きをして目立ちようがあるのは 「みなかみ」冒頭での「いまうまれたばかりの」 「銀の魚」3小節目の「にーーーー」 「銀の魚」後半のハミングで3小節目と同じ動き 「川の祭」終盤フーガの「まつりよかわをよびおこせ」 の4箇所しかない。それ以外は大抵ソプラノの裏についていて、たまにベースと同じ動きをする。まさに内助の功のパートそのものという書き方をしてくれている。 何も目立つことが音楽のすべてだといいたいわけではないし、奥ゆかしいアルト気質にあって、そんなことに心を奪われたりはしないのだろうけど、しかし人前で歌を歌うという意気込みの芸術家に自己顕示欲がないはずないだろう。 さて、その4箇所をよくよく考えてみると、一つ目は4パート順繰りの2番で中継ぎ。銀の魚のあの動きだけで満足できるとしたら、その...
  • そこに持っていくという意識
    立ち上がるときとかなんかするときに、「よいしょ」「どっこいしょ」と言わないではいられなくなって久しいのですが。まぁ、そんなことはともかくw だれかと重いものを持つ感じで「よーーーいしょ」というときの「しょ」に向けた音の変化。あるいはもっと簡単に言えば「じゃんけんぽん」をゆっくり言うときの「ぽん」に向けた抑揚。一昔まえならゴルフで球を打つときに「チャー、シュー、メン」の「メン」に打点を持ってくる話とかでの、その前後。音量がどう変化して、音の高さがどう変化すると細かく説明できないし、できたところでかえってわかりにくいだろうその音の変化と、そこに持っていく意識。 音楽では個々の音の正確さ、縦のタイミングや和音、リズム、とかいう要素も大切なものですが、フレージングというのも結構重要な要素です。それは単に2小節間ブレスしない、とかいうことで出来上がるものも大切ですが、そのつなげら...
  • 筑後川花火大会
    例年8月5日に行われる西日本一の規模の花火大会。筑後川花火大会は慶安3年(1650)有馬藩2代藩主忠頼公が水天宮に社殿社地を寄進、その落成にあたり発揚したのが始まり。その後水天宮奉納花火大会として続き、昭和40年筑後川花火大会と名前が変わって今に至る。 花火という言葉で記録された日本で一番古い花火が、1613年、家康が江戸城内で見た花火で、日本で一番古い花火大会は1733年に始まった隅田川。単発なら、1648年に墨田川以外での花火を禁じる御触れを幕府が出すほどの状況。そういう状況での1650年起源だから、古さでは国内有数という言い方でまぁ間違いないでしょう。 現在は、福岡県久留米市の市民祭「水の祭典久留米まつり」の一部となっています。7月中・下旬の子ども太鼓フェスティバルをプレイベントとして、前夜祭、パワーストリート、水の祭典太鼓響演会、1万人のそろばん総踊り、有馬火消し梯子...
  • フーガの終わりの盛り上げ
    前にも書いたように、フーガ演奏の第一の基本はテーマがはっきり聞こえること。ここでは2,3分続くような大フーガでなく、テーマを4パートで歌い終わったらおしまいという最も短いタイプなので、ともすればそれだけで終わってしまう。実際、各パートとも歌い始めにはフォルテと書いてあり、いずれも同じ(くらいの)音量で歌えってことだとわかる。単独で歌っているアルトはもともと目立ちやすいものの、3パートを従えて最後に出てくるソプラノは油断すると聞こえない。だから他3パートは理性的に歌うべき。 ところが、楽譜をよく見てみると、最後まで同じなのではなく、最後の小節にだけ、他とは違うクレシェンドが書いてある。 アルト、テナー、バス、の3パートはテーマを歌っているとき最高音の「こー」にだけ短いクレシェンド。 これに対しソプラノは「おこー」にクレシェンドで、「あー」が無いぶん、リズムを間延びさせている。しか...
  • フーガを歌う基本・基礎
    重要なので結論を先にいいます。 主題をパート、とくにその入りを強調できるように作る。 つまり主題のパートは楽譜の直接的な指示以上に大きくはっきり歌っていいし、 主題でないパートは楽譜の指示よりも若干抑えて歌ったほうがいい。 ここでのことにいいかえると 「まつりよ」はかなりはっきり歌う 「かわをよびおこせ」もはっきり歌う 「あーー」は抑えて、理性的にきちんと歌う 細かく言うとアルトは、まず最初の「まつりよかわをよびおこせ」をはっきり歌う。つぎにテナーが入ってくるとき、その直前でアルトにはフォルテからのクレシェンドが書いてあるけれど、フォルテで入ってくるテナーよりも抑えて「あーー」を歌う。さらにベースが入ってくるときにテナーには同じ問題が起こるけど、抑える。とくにここでテナーは小さく歌いにくい音域に突入して、そこまでのとにかくフォルテという基調...
  • 揃った音の強さ
    昔、どこかで何となく読んだ応援団の漫画にあったシーンですが、非常に高等テクとして、五月雨状態の拍手ってのがありました。 まったく揃っていない拍手を、スタンドの全員が全力で長時間やるというもの。すっきりさわやかな強さでなくて、非常に濃い強さが演出できる応援になるのだとか。なぜ高等テクニックなのかというと、テキトーにやるとただの揃っていないだけの弱っちぃ拍手になる。これが強く鳴り渡るには応援するみんなが一枚岩となってあらゆる隙間を埋めるような強く激しい大勢の拍手が必要だから。 逆に言えば、少人数の現実的なパワーで強さを演出するには揃ったほうがいいってこと。タイミングがずれると最大音量が小さくなる。 「川の祭」のこのあたり。単純な和音で音の高さがあまり動かず、まぁわかりやすいリズムですから、揃えるということも難しくないはず。ただ、音楽に入ってしまうことが悪いわけではありま...
  • 受け売り・モノマネ・オウム返し
    別のところでも書いたけど、同じフレーズが別のパートに少し時間をずらして書かれている場合の演奏の基本は、細かいアーティキュレーションを含めて、先行したフレーズにならうこと。とくにフーガでは、同じようにしろ、という意味にとらえてOK。 ここではまずアルトが最初に「まつりよかわをよびおこせ」と歌い、テナーが続く。ここでテナーはアルトのやった細かいニュアンスをコピーしなければならない、という意味だ。たとえばもしアルトが「まつりよ、かわをよびおこせ」と祭りに対する呼びかけの様子を強調するような「よ」の後ろの小さな間を作ったら、テナーも同じタイミングでそれをやるべきだし、もしアルトがついつい勢い余ってか、「わ」に鋭いアクセントをつけてしまったら、テナーも「わ」に鋭いアクセントをつけるべきだ。 楽譜どおりに演奏することは大切だけど、楽譜に書き込めることにはおのずと限界があって、どう演奏する...
  • アルトを呼びおこせ
    このフーガでアルトに鬼門が用意されている。音域がむやみに広いのだ。 「まつりよかわを呼びおこせ。あー」 のうち、「かわ」は五線の下のシの音で、そのすぐあとに「こ」で上のレが出てくる。典型的なアルトならポジション(声区)の切り替わり点として、胸声からミックスした中声への切り替え(第一喚声点)が真ん中のソ(一点ト)で、中声から頭声に切り替え(第二喚声点)が上のレ(二点ニ)。だから、このフレーズは人によって二つの大きなポジションチェンジを乗り越えなければならず、パートソロでの一つにまとまったフレーズ作りが非常に難しいように書かれている。 気をつけたいのは「かわーを」の歌い方。フーガらしく、「まつりよかわを」をしっかり歌うという気持ちが強すぎて、この「かわーを」を変な意味で押してしまうと後に続かない。「変な意味」というのは胸声主体の、胸声しか出せないような発声。それだと確かに「か...
  • 日本の祭り
    やっぱりおまつりって言ったら秋だよな。稲刈ってから祝えっつーの 農耕民族。っていうか、一年の計は10月にあるとされているような、秋祭りにやばいくらいすべてをかける地域に生まれ育ったのでそれがデフォなんですけど、でもかすかに夏祭り勢力も侮れないなぁと思い調査しました。 調査方法 地域新聞39社がお届けする日本中の祭りを紹介するwebサイト「ニッポンの祭」 http //www.todays.jp/maturi/ での祭りの紹介数を、月ごとにカウントして比較した。ニャンスキーがテキトーに一回数えて、間違えの恐れがあっても確認しなかった。月をまたいでいたらそれぞれの月でカウントした。 結果 月 祭りの掲載数 1月 11 2月 39 3月 7 4月 7 5月 6 6月 4 7月 47 8月 104 9月 33 10月 47 11月 20 12月 9 考察 8月...
  • おさない歌い方
    練習場の片付けやってて思い出したんだけど、グランドピアノのカバーを一発で掛けようと思うと、YAMAHAって書いてあるところをつかんで、正面からぱっとひらくと、時々うまくいくんですよね。ちょっと投網っぽい。 さて、2度目の「投網がふくらむ」の楽譜面を見てみよう。 その2小節前からフォルテで始まり、わずか2小節でわざわざブレスをとらせてくれて、ベースがフォルテ始まりだから、他パートもフォルテのままここに飛び込んできてと考えることができて、そこから「投網が」で一つクレシェンド、そしてさらに「ふくらむ」の「む」で追加のクレシェンド。この伸ばしているところのピアノパートを見るとアクセントつきのsfで鋭いリズム。そして合唱も最後の音をスタカート&アクセントで締める。大変激しい。楽譜面は兎も角激しく書いてある。 目に飛び込んできた指示に即座に反応できるのはとりあえずいいことだ。だ...
  • 呼び起こされるもの
    とりあえず文面どおりに言えば「まつり」によって「川」や「愛」が呼び起こされる。 お祭りで理性が緩んでいる隙に愛が生まれるとか、そういうきれいごとじゃなくていろいろやっちゃうとか、そういうのはよく聞く話なんだけど、川が呼びおこされる、ってどういうことでしょう。 国敗れて山河ありというか、人の営みと無関係に川は流れ続けたりするもの。逆に川のおかげで生活が潤い、川が暴れれば命さえ危うい。神様のようなものいうか、影響は受けるけど影響を与えるのが難しい。もちろん堤や堰で抑え込んできた歴史もあるけど、でも川を起こしちゃうのって、怖い気がしませんか? とりあえず、ここ。作曲上「呼びおこせ」で上昇の旋律をつかって、わかりやすい感じ。何かが湧き上がってくるような勢いを、そのものずばりで演出していきたいところです。
  • じゃぁ
    以前、少しの間フランスの田舎町に滞在していたとき、いつもの昼飯メンバーから、おきまりの展開で、何か日本語を一つ教えてくれという話になって、とっさに「じゃぁ」という言葉を教えました。 フランスのお昼時の挨拶はボナペティ。朝はぼんじゅーる、さばさばとか言い合っている展開が、昼飯時は通りすがりの人とボナペティボナペティと言い合っている。私がフランス語を話せないので、テーブルに着くとグッドアパタイトとか言われるんですが、いや、それは英語でもボナペティでいいんですけどって。だいたいそれじゃ芸能人は歯が命になっちゃうでしょ。 日本での食事時の言葉は、いただきます。ごちそうさま。一応、さぁ召し上がれ、お粗末様、という言葉もあるけどマイナーな部類。つまり日本では食べる側の人の言葉中心。でもボナペティは、テーブル上で言えば「さぁ召し上がれ」に相当するから、いつものタイミングで何か言葉を発しようとして...
  • 音の高さの記憶
    人は色を見分けるように、音の高さを聞き分けることができる。 いまどき電器やさんに行けばいろんな薄型テレビが置いてあって、同じ番組を見ることができる。テレビなんかどれも同じ色かと思いきや、少しずつ色あいが違う。肌がちょっと赤っぽいかどうかの差は大きいと思う。どれが良いとか、このメーカーの色使いは*○×△で、とか語りだせたらむしろ痛い人かもしれない。でも、健康な視力があれば育ちのよさとかとは無関係にその差がわかる。違いがわかる2つの画像を10秒間目を閉じた後に同じ映像で見せられれば、さっきのがどっちだったか、答えられるだろう。その程度の記憶力は普通の人ならだれでも先天的、つまり自然に備えている能力だ。 音についてもそうだ。音楽教育を受けたかどうかということと、同時に鳴っている音の高さの差を認知する能力とはあまり関係がない。ただ、それを意識してみようと思うか、その差に気づいたことをさらに...
  • へみおら
    とりあえず音楽用語「ヘミオラ」の解説。 単純に言えば、3拍子の音楽で1・2・3、1・2・3となっている拍子が2小節分で1・2、1・2、1・2と変化すること。 具体的には「おそれずに」のあとのピアノパートのようなリズムどり。バッハの作品をやっていると3拍子の音楽のフレーズの終わりに頻繁に見かけます。ブラームスのように古い書法にこだわってみた作曲家の作品にもよく出てきます。 この『筑後川』のなかで変拍子の一環として3拍子にもなるところは何箇所かあるけど、いわゆる3拍子の音楽なのはここだけ(強いて言えばこのほか男声が「あいのかわよ」と歌うところの数小節だけ)。さらにヘミオラの動きをするのはみなかみのこのあたりで3拍子が続いているあたりのピアノのパートにしか出てきません。だから、合唱の人は知らなくても言いといえばそうかもしれないけど。 とりあえずこの書法によって、「拍の...
  • 32分音符
    ここで、合唱部分としては一番短い音符の32分音符がソプラノだけに出てきます。これに近いのは「銀の魚」のアルトにあるコブシ。それより短いし、速い。 ここではAllegroとテンポも速いので難易度はその分あがっていますが、アルトのコブシに比べるとまったく解釈の別れようのないわかりやすい楽譜なので、その分安心して歌えるはず。 リズム重視の音楽ですし、重く力強い音楽が求められる傾向にはありますが、この音符だけについて言えば重視されるリズムというよりも、やはりコブシの一種で、一番上のパートだけに許される軽やかな動きと見るほうが自然。 こういう場合、一つのテクニックとしてこういう細かい音の一つ一つについてのどを閉じてから開く(色っぽい「あー」というときに喉に息をためてから声を出しますよね、そのことです)ことで中途半端に音がつながってしまわないようにするってのがあります。ですが、...
  • うぉーーーーー!
    46小節目、「いきのよい」以降5小節の細かい確認。 まず、これは冒頭で「かわのおとこのたくましいむないた」と男声が旋律を歌い、そのあとで、「かわのおんなのきよらかなうなじ」と女声が旋律を歌ったところとほぼ同じで3回目。男声が旋律。ちなみに最後のページで終わる直前に同じ動きの4回目で女声が旋律。 細かい違いでは、前2つでの合いの手は詩にない「あゝ」だったのに、今回の3回目と、次の4回目では「おゝ」になってます。音色の差は顕在化させてよいと思いますが、考えすぎて妙にこもった暗い音を作ってしまうようならちょっと考え直したほうがいいかもしれません。この言葉を和音の補強程度に思うか、喘ぎ声だと思ってみるか解釈は勝手だと思いますが、一つの演奏では首尾一貫して何かを順次描いていくべきです。 違いではありませんが、「うおを」という言葉は楽な子音がない分、作りにくい言葉です。もともと...
  • たっぷりとっぷり
    とりあえず当たり前なことの確認。 「とっぷり暮れた...」のフレーズは2回あります。そして全パートとも2回めが高いです。 そして1回目がmpで2回目がfです。 ちょっと注意しましょう。単純に音量を段階的に並べると、pp、p、mp、mf、f、ff。この言い方で言えばmpからfは2段階大きいわけです。 たしかにもともと高くなるし、その前のクレシェンドからの続きだから大きくなって当然のところですが、ちょっと大きいのではなく、2段階大きい。つまりかなり大きい。 ついでにいうと、さらにそのあとクレシェンドして、ffでデクレシェンドしてもう一回クレシェンドすると言うかなり、うりゃうりゃって感じの音量操作が起こってます。 期待感をこめた緊張感からくるmpでリズムを立てたのもつかの間。同じ動きで一段高くなった程度なのにもはやかなり大きい。 こういう広いレンジで...
  • 3拍子
    曲の頭からずっと5拍子という珍しい拍子でやってきたこの歌も、前半のまとめで4拍子を使ったかと思うと、突然軽快な3拍子になる。 3拍子ってどう? 難しいもの。とりあえずそういう印象を持っている人がいる。自分の体に染み付いてないものというか。 歩いていて、右左、右左を繰り返す。これは2拍子。2歩ずつ右左に上半身を揺らしながら楽しそうに歩いてみると、これは4拍子。2拍子や4拍子は体に染み付いている。民謡やポップスや、世にたくさんある初心者向けの曲が4拍子なのはわかりやすいから(たぶん)。じゃぁ、生活の中に3拍子があるだろうか。吉野家に揃っているものは音楽的でなさそうだしw、三三七拍子は休符を数えると実は4拍子だしなぁ。 どこまで本当のことか知りませんが、音楽の世界では3拍子の起源に乗馬が指摘されます。乗馬も競馬も騎馬も縁がないので真偽のほどがわからないのですが、馬の駆...
  • 音楽の立体化
    まじめに話すと長くなりすぎるので思いっきりはしょると、輪唱とか、カノンとか、フーガとか、そういう名前がついている音楽の形式の面白さは、楽団のあっちこっちからきちんとずれて音が出てくる様、だと思う。 静かな 湖畔の...    静かな湖畔の...       静かな湖畔の...          静かな湖畔の... って感じの話。ここでその面白さをはっきり出すためには各パートが最初の音をしっかり出すと、あぁ次はここからはじまった、おっ今度はここだぞ、ってな感じがわかりやすくなり、むしろそれに続く音は抑えた方が良い場合も多い。 こういう動きの小さいバージョンで しーーずかな しーずーかな の場合、ずれているのは「ず」だから、その「ず」をはっきり出すことが構成上の面白さを出すことになる。自分のパートしか見ていないと「しずかな」とい...
  • アヴェロンの野生児
    1800年頃に南仏のアヴェロンで発見され、捕獲された少年。とある軍医、イタールが推定11~12歳のこの野生児を引き取り、ヴィクトールと名づけて5年間にわたる教育を施した。 ヴィクトールは最初、自分の排泄物で汚したシーツの上で眠ることを厭わなかった。そこでイタールが引き取った初期に行ったことが、ヴィクトールをお風呂に連れて行きぬるま湯を彼に何度も掛けること。そしてシーツを何度も洗濯に出すことだった。するとやがでヴィクトールは冷たいシーツ、汚れたシーツを避けるようになり、社会的な生活に必要な、清潔感を獲得する第一歩を踏み出した。 大学1年生のときに心理学の授業で習ったお話ですので、多少記憶からずれているところもあると思いますが、冒頭はだいたいそんなお話。 彼は冷たいとか臭いとかいう1次的な感覚を失っていたのではなくて、だからどうするどう思うといった高次な感覚が、私たちが隣人に...
  • @wiki全体から「まつりのリズムがどっさりどっさり」で調べる

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