chikugogawa @Wiki内検索 / 「五月雨を集めて」で検索した結果

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  • 五月雨を集めて
     アカペラで音を重ねていく様は、   あまたの地にて生まれきたゆえ 旧約聖書的世界観なら、世界は神の一声に端を発し、 ありがちな宇宙論なら、世界はビッグバンに遡る。 蝶の羽ばたきほどの小さなひとつのゆらぎが、 大きな無数の嵐を生むことも、 描く世界としてはすばらしいかもしれない。 しかし、無数の粒の雨だれが、 やがてひとつの河口を駆け抜ける。 そんなまとまり行く様子も、 感動をもって語るに値することだろう。 はじまりはひとつじゃない。 だけど僕たちは出会った。
  • みなかみ
    「みなかみ」関連ページ 五月雨を集めて 今生まれるところの歌 ミレレミファミレドラソ 團伊玖磨のスラー いま生まれたばかりの水 1オクターブの跳躍 部分的な無伴奏 p、mp、mf、mf 何も考えないで 巡礼 縦の線 上昇の中の下降 はじめまして? 持続音 ネット小説における「小鳥の産毛」 羽毛 丹秀ひ 山の光 p.6 天へ 萌えへ続く緑の階段 アホ外人の春 阿蘇外輪山 雄大vs癒し系 誤字? 裏の役割 いま生まれたばかりの川 3拍子 ひとフレーズ 軽快vs繊細 愛 ん? 女声にあって男声にないもの アクセントにテヌート 2小節×5つ×2回 遠い旅行 激しい違和感 初演 予感 かりゅうどの墓を(笑ひ) すばやい掛け合いへ 負けを認めます 森のくまさんを恐れずに 不自然な音量指示 へみおら 敢えて変えてあるということは 筑後川の主要な滝 さあ、いよいよ...
  • 揃った音の強さ
    昔、どこかで何となく読んだ応援団の漫画にあったシーンですが、非常に高等テクとして、五月雨状態の拍手ってのがありました。 まったく揃っていない拍手を、スタンドの全員が全力で長時間やるというもの。すっきりさわやかな強さでなくて、非常に濃い強さが演出できる応援になるのだとか。なぜ高等テクニックなのかというと、テキトーにやるとただの揃っていないだけの弱っちぃ拍手になる。これが強く鳴り渡るには応援するみんなが一枚岩となってあらゆる隙間を埋めるような強く激しい大勢の拍手が必要だから。 逆に言えば、少人数の現実的なパワーで強さを演出するには揃ったほうがいいってこと。タイミングがずれると最大音量が小さくなる。 「川の祭」のこのあたり。単純な和音で音の高さがあまり動かず、まぁわかりやすいリズムですから、揃えるということも難しくないはず。ただ、音楽に入ってしまうことが悪いわけではありま...
  • 壮大さ
    Grandiosoは雄大な、壮大なというイタリア語の形容詞。壮大というのは大きくてりっぱな様子。 作曲家、團伊玖磨は『筑後川』を歌う人たちに、 「『河口』を歌う時、どんなにおおらかに歌ってもおおらか過ぎるということはないのです」と語りかけていたそうだ。 上流からだんだんと瀬を集めて大きくなる川の模写として、徐々に大きくなり、最後の「ああ」で「フォルテ3つからのクレシェンドの終わりにアクセントをつける」という音量にいたるまでだんだん大きくなる。「河口」の冒頭はすでに十分大きく、しかしそれでもこの先、幾重にもクレシェンドする余力が必要。 ピアノパートのフォルテ2つをうけて始まる合唱の冒頭がフォルテ1つしかないのはそういう計算からくるぎりぎりの音量なのだろう。 さっきまでの「川の祭」の大音量とは種類が違うことに注意したい。「川の祭」のフォルテは総じて太鼓の音...
  • ベースいらね
    昨日もちょっと指摘したけど、基本的に『ダムにて』冒頭の繰り返しは女声と男声が入れ替わって同じように動く。違いは3つ。 最初はpで始まり、2回目はmfで始まる。 最初は2回の「瀬をはしり」にクレシェンド・デクレシェンドの松葉をそれぞれ、計2回。 2回目はクレシェンド・デクレシェンドの松葉が1回目の「瀬をはしり」にだけ。 そして、最初はベースに出番がないけど、2回目はアルトがソプラノの1オクターブ下を補強している。 まずベースに出番がない件。 関連することで気づくのは、ピアノパートもヘ音記号上に音符がない。いや、なんか気持ち悪いくらい音符がない。あとのmfでの繰り返しにアルトを足すのは和音を充実させたかったから、と捕らえてみるのが大抵最初の発想してみるべきことなのだろうけど、そうだとするとピアノパートの左手がないのが不自然だ。となると、ベースがないのは「低い音がい...
  • 和太鼓という出し物
    何年か前、仕事で出席した国際的な200人規模くらいの立食パーティで、余興として地元の子供たちによる太鼓の演奏がありました。記憶にはすでに乏しいのですが、小学校の高学年か中学生くらいの女の子が10人くらいで、一人一つの太鼓を大きな振りをつけながら叩くという最近よくあるスタイル。こういった演奏がどのくらいの歴史があって、どのように広がっているのか、とかさっぱり知らないんですが、所々で目にします。どういうツテなのか、夜のお酒の席に借り出されるというのもどうだろうと思いつつも、太古が持っている本来の音量と、よく揃った動き、その万国共通語的な要素がよかったようで、大抵こういう余興はパーティ会場の角で(っていうか壇上だけど)一部の人の注目を集めるだけで、いろんなコネクションを広げたり深めたりしている多くの人たちに相手にされないケースが多いのですが、徐々に海外からの参加者も壇のそばまで詰め寄って様子を食...
  • あらためてフォルテ
    ありきたり、といってしまうとつまらないけど、よく書けている作品は、演奏してて、違和感なく次のことに移っていける。意外性ということを含めてバランスが取れているという意味で。いい曲、名曲をやっていて、指示に体がついていかなかったら、曲の流れの解釈が間違っていると思ってみたほうがいいだろう。 さて、2度目の「朝の川面に」へ移るところ。直前にはデクレシェンドがあって、すべてのパートが、そのパートにしてみると低めの音に推移する。「ふくらむ。」と文も終わっている。その終わった感のおかげで、小さくまとまってしまいがち。ある意味、自然に音楽を流すと、2度目の繰り返しはこの流れを受けてさっきとの違いを、小さく演奏する方向でまとめたくなる。もっとボーっと歌っている人なら、さっきと同じメゾフォルテで歌ってしまうだろう。  しかしここからはフォルテ! なんでって言っても、明示的にfと書いてある以...
  • Teneramenteより愛を込めて
    まずは平成8年度東京藝術大学の入試問題から楽典部分。 次の音楽用語の意味を書きなさい。  con passione    (         )  pomposo      (         )  brillante e veloce  (         )  teneramente    (         )  dolcissimo con grazia  (         )  lo stesso tempo      (         )  a piacere       (         )  più mosso      (         )  come prima     (         )  doppio movimento  (        ) 答えはこちら http //membe...
  • 腹筋をもっと鍛える
    とりあえずゆっくりでも間違ってない腹式呼吸ができるようになったら、いよいよ筋トレ。呼吸を繰り返します。 ポイントは sやzの子音を使って呼気にしっかり重い抵抗をつける 変なところに力が入らないように気を配る 変に力んだらいったんやめて体をぶらぶら振ってからやりなおし のどに負担がかかる方向にする必要はない 下腹部(へそ下3寸、丹田とよばれるところ)に意識を集中 体の筋肉の動きとしては歌っているときのイメージで 吸気は脱力のみで対応。力を使って吸ったりしない。 毎回の吸気での脱力が間に合う範囲で早く できるだけ長時間(数分)繰り返し続ける 音楽的にやる 数分やると、下腹部の筋肉がちょっと辛い感じになるかもしれません。その程度の負荷がかかるところまでやりましょう。 たぶん一人暮らしの人は隣近所に迷惑を掛けることなくできるトレーニング...
  • ああ
    邦人曲嫌いの友人が、とくに標的にするのが、最後で「あー」っていって終わるんだろ、ってこと。 そういえば、筑後川の河口なみに定番合唱曲である大地讃頌も、最後はフォルテ3つであー! 2,3年にNコンの自由曲を集計したところ、中高ともにトップだったのが「聞こえる」だったけど、これも最後におまけ的なハミングがあるものの最後は「あー」。 定番どころなら「季節へのまなざし」。校内合唱コンクール用とかなら「友よ 北の空へ」「Let s search for Tomorrow」。 このほか、「若人のうた」佐藤眞、「白い木馬」萩原英彦、「うたうべき詩」信長貴富、「ゆうやけの歌」湯山昭、「天へ昇った川」新実徳英、「あの素晴らしい愛をもう一度」加藤和彦(編曲 吉岡弘行)、「Mai」Reynald Hahn(北村協一編曲)、「ニルスの不思議な旅」タケカワユキヒデ(猪間道明編曲)、「Over ...
  • 田主丸
    久留米と大分を結ぶJR久大線で久留米から筑後川を遡るように20kmほど走ったところに駅舎が河童というユニークな田主丸駅があります。田主丸は平成の大合併で久留米市になった町で、現在の東西に長い久留米市の東端5分の1くらいを占めています。旧田主丸町は河童の町として有名でした。ここを河童で盛り上げたのが芥川賞作家の火野葦平。 火野葦平(1907-1960)は現在の北九州市若松区で生まれ育った作家。東京の阿佐ヶ谷に書斎を設けていたものの飛行機で頻繁に九州に戻り、執筆の中心は九州の自宅だったとか。東京の書斎を鈍魚庵、九州を河伯洞と名づけていたらしい。河伯洞は河童の住むところという意味。そんな名前をつけるくらい河童好きだったそうです。その河童好きの葦平が、「河童のルーツは九千坊。その総本山はここだ」、と紹介したのが田主丸です。 1941年に河童をよく題材に取り上げる葦平は、河童のよ...
  • ロマンティックな真ん中
    一つのフレーズの作り方にはおおむね2つあります。1つは切った羊羹を横から見たように、音の入りからシャキっとたててそのままキープするというもの。もう1つは真ん中が大きいもの。羊羹の例えに対抗するならサツマイモを横から見たって感じですかね。 ルネサンスとかバロックとかの音楽は前者。ロマン派は後者が歌い方の基本だと思ってみてください。 ロマン派のほうに話を集中してみましょう。高い、大きい、強い、速い、クレシェンド、アチェレランド、楽しい、明るい、といった言葉はみんな仲間ですよね。一方、低い、小さい、弱い、遅い、デクレシェンド、リタルダンド、悲しい、暗い、といった言葉も仲間ですよね。高いところを、強く速く明るく演奏する、という、ある意味「べた」な選択肢を、これでもかと重ねていくのがロマン派。容易に連想できる演奏テクニックを重ねることで、より「濃い」演奏が仕上がります。そしてとど...
  • 日本の祭り
    やっぱりおまつりって言ったら秋だよな。稲刈ってから祝えっつーの 農耕民族。っていうか、一年の計は10月にあるとされているような、秋祭りにやばいくらいすべてをかける地域に生まれ育ったのでそれがデフォなんですけど、でもかすかに夏祭り勢力も侮れないなぁと思い調査しました。 調査方法 地域新聞39社がお届けする日本中の祭りを紹介するwebサイト「ニッポンの祭」 http //www.todays.jp/maturi/ での祭りの紹介数を、月ごとにカウントして比較した。ニャンスキーがテキトーに一回数えて、間違えの恐れがあっても確認しなかった。月をまたいでいたらそれぞれの月でカウントした。 結果 月 祭りの掲載数 1月 11 2月 39 3月 7 4月 7 5月 6 6月 4 7月 47 8月 104 9月 33 10月 47 11月 20 12月 9 考察 8月...
  • 水虎≒河童
    昨日も書いたように、水辺にいる魍魎で子供のようであって甲羅をしょっているやつを中国では水虎といい、それに非常に近いのが日本の河童。違う妖怪だと思ってみてもいいだろうし、ほとんど同じと思ってもいいのかも。オレンジの日本語訳はみかんだろうか、って問題みたいですな。 水虎という言葉が日本にやってきたのが17世紀のはじめ。それから百年たって、河童と水虎を並べるような記述があって、そしてさらにもう百年たった1820年には古今東西の情報をかき集めた河童研究書である『水虎考略』が昌平坂学問所儒者の古賀侗庵(こがとうあん1788-1847)によって著されています。ってことはこの当時水虎=河童という図式があったってことですね。でも河童と呼ばずに水虎と読んでいたのかというとそうでもなくて、川太朗とか河伯などむしろ各地で数百種類にも及ぶ異名があったようです。『水虎考略』は、その後、栗本丹洲や古賀侗庵自身によ...
  • バタフライ効果
    真夜中に書いた手紙は、せめて朝、読み返してから出せって言われますが、今夜はそんなことお構いなしに書かせてください。 初めてお会いしたときから素敵な人だなぁと思っていました。ずっと気にかけてはいたのですが、なかなか一歩を踏み出せないままの日々が続いています。それでも、日増しに想いが強くなってきて。 唐突ですけど、バタフライ効果ってご存じですか。去年映画のタイトルにもなっていたから多少有名な言葉だとは思います。複雑系とかいう妙な学問の世界でのたとえ話で、「中国での蝶の羽ばたきが、ときにはアメリカで嵐を引き起こすことがある」、とかいうのです。自分では何をやろうにも、どこに届くわけでもなく霧散する経験ばかりを繰り返しているとにわかに信じがたい話です。ですが、あなたの小さな仕草に心を動かされている自分を思うと、なんだここにも転がっているような話なのかと苦笑してしまいます。 た...
  • 銀の魚
    Teneramenteより愛を込めて イタリア語比較入門 銀世界 魚の銀 銀の魚=エツ 前奏がない 伴奏がない ブレスの位置 滑るように pp pp、またpp 複前打音 楠の木かげ 奇しき佐賀の木 漕ぎ出し方 高い音への跳躍 感嘆の声 あのときの声 ブレスまたブレス たくましい腹板 胸板 厚い胸板 音の高さの記憶 念のため確認 さお 六五郎橋 清らかなうなぎ 棹を入れる 漕~ぎだした --? 対比、また対比 優雅なピアノ オナニーなら一人でやれ 音楽の立体化 mf <-> f あぶってかも 投網 朝 あらためてフォルテ おさない歌い方 不連続な音量 やりきること 暴走特急! さざなみ バタフライ効果 Increspatura 深い川 D7aug 服従するは我にあり a tempo p on mf ブレスするのかしないのか ピアノと入れ替わり アクセント ラップ 小技の小技 鮮度が命 きとき...
  • たっぷりとっぷり
    とりあえず当たり前なことの確認。 「とっぷり暮れた...」のフレーズは2回あります。そして全パートとも2回めが高いです。 そして1回目がmpで2回目がfです。 ちょっと注意しましょう。単純に音量を段階的に並べると、pp、p、mp、mf、f、ff。この言い方で言えばmpからfは2段階大きいわけです。 たしかにもともと高くなるし、その前のクレシェンドからの続きだから大きくなって当然のところですが、ちょっと大きいのではなく、2段階大きい。つまりかなり大きい。 ついでにいうと、さらにそのあとクレシェンドして、ffでデクレシェンドしてもう一回クレシェンドすると言うかなり、うりゃうりゃって感じの音量操作が起こってます。 期待感をこめた緊張感からくるmpでリズムを立てたのもつかの間。同じ動きで一段高くなった程度なのにもはやかなり大きい。 こういう広いレンジで...
  • 蛇の目ミシンはヘビー
    営利、非営利にかかわらず、多くのお客様に喜んで頂けることは嬉しいことだろう。より大きく深い喜びを、大勢の皆様に、できるだけ長い期間にわたってお届けすること。それができるのなら誰もがやりたいことだと思う。 人が持つ先天的な部分に訴求する喜び。人が後天的に得る普遍的ななにかに訴求する喜び。お約束があってこその、その世界にだけ通じる喜び。 期待したとおりのものであるという安心感と、予想外のことが起こる興奮。前置きが不要なこと、普遍的あるいはムラ社会的な前提を利用すること。そういうバランスはどう保てばいいのだろう。 長い期間にわたると、自ずと「お約束」が生まれる。リピーターの一部はマニアやフリークになり、隠語を語り、高い敷居を作る。 先日、話題の二郎(武蔵小杉店)に行ってそう思った。 午後五時の開店と同時に8席のカウンターがいっぱいになり、溢れた客は黙々と後ろに並ん...
  • たいい
     ♪ 大意、大尉フレ、体位法、    退位、対伊フーレ、ホッホー いや、大きくならんでいいです。 という背理法ネタはおいといて、対位法。縦の線ばかりを気にするのでなく、各声部にメロディーがあって、それが重視されながら曲が出来上がる話。わたし、長い間結構勘違いして、対位法ってカノンやフーガのように同種の旋律が時間的にずれて出てくることを指すんだと思ってました。ヴァカですね。多声部の音楽を作るときに、左手でコードを慣らして右手がメロディーとか、ずっと三度上か下でハモっているとかじゃない少なくともあとちょっと手の込んだ作曲法。 わたし、小学校でトランペット、小学校以降で歌、中学校からトロンボーンをやってたんですね。で、周りの音なんか気にしないセルフィッシュ野郎だったから、自分ひとりでは単音しか出せない以上、和音とか、縦の線をそろえるだとか、どこかのパートとの関連だとかって気...
  • 愛は難しい
    今夜は聖夜。というか聖バレンタインデーと並び、外国のイベントにかこつけた恋人たちの夜。いつぞや、あいてるホテルがなくてずいぶんさまよったこととかあったなぁとか。 愛の宗教といってもキリスト教の愛はもうちょっと違う愛だよなぁ。   愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない   愛はいつまでも絶えることがない なんかないないづくしだよね。 いやそんなことより、今夜訴えたいのは   愛は子音がない 前置きが妙に長かったけど、「いのちがけで愛するために」の歌い方。 前後を見てみると、「不屈の~」がフォルテでmarcatoとの指示がある。さっとみれば少し後の「水面に~」にlegatoと書いてあるのでこの6小節間がmarcatoなのかとも思える。 しかし、何となく楽譜づらを眺めてみれば、特にピアノパート部分の差から、「不屈の決意をした青年です」の3小節と、「い...
  • 行くところ、還るところ
    團伊玖磨の言葉 「東アジアの海の道を、或いは惨敗のかなしみに泣き叫び、或いは敗北の慙愧に震え、或いは勝者への怨念に燃え、或いは暗黒の恐怖と蒼白な諦観に沈みながら、島影を求めて漂白ってきた祖先の道に僕は故里を感じるのである」 また團の言葉 「川の向こうには東アジアの海があり、やがて筑後川の水は揚子江の水と合体する。空から眺めて御覧なさい。揚子江の黄色い水と有明海を経てきた真っ青な水が見事に合流しているんですから」 さらに團の言葉 「日本文化のきょうだいは朝鮮半島、父母は中国」 「日中両国民は世代を越えて友好的に付き合っていくべきだ」 川の物語と思えば、河口でおしまい。詩人、丸山豊は、もしかすると『河口』に人の成長や愛の完結する様を描こうとしたのかもしれない。作詞当初、丸山はこの5番目の詩に「河口夕映」というタイトルをつけていた。一日の終わり、沈む太陽、感傷的...
  • sempre cresc.
    「フィナーレをこんなにはっきり予想して」のフレーズをよく見てみると、音量の指示がすべてクレシェンドであることに気づきます。 そのことを忘れて、頭の中だけで結構ですから、この部分をちょっと歌ってみてください。もしこのフレーズを非常に小さく捉えて「フィナーレを」「フィナーレを」「こんなにはっきり予想して」と分割していると、普通に歌うと「フィナーレを」の度にデクレシェンドしてフレーズをまとめてしまいます。 また、頭から「...予想して」という長いフレーズで捉えても、その終わりを少しデクレシェンドして、まとめてしまいそうです。だけどここはクレシェンド。ずーっとクレシェンドです。こういうところの意識の持ち方として 最後まで気を抜かない sempre cresc.と思う その先に向かう ただ、フォルテからずっと大きくなるのは辛いです。限界に挑戦して激しく歌って欲しいわけでもあ...
  • はじ多き国
    わが国は 筑紫(つくし)の国や 白日別(しらひわけ)  母います国 櫨(はじ)多き国    (青木繁) 明治浪漫主義の旗手と謳われた不遇の天才洋画家・青木繁(1882-1911)は久留米市出身。16歳で上京して東京美術学校を卒業し、すぐに代表作 海の幸 で古代への憧憬を描き上げて当時の美術界に衝撃を与えましたが、父の死をきっかけに25歳で帰郷し、1年後から放浪生活、28歳で病死という短い人生を送りました。その放浪中に佐賀あたりで詠ったとされるのが冒頭の和歌。白日別は古事記に出てくるこの地域の名前。「はじ」は恥にも通じるところがあるのかもしれませんが、どうでしょう。この歌碑は久留米市・ケシケシ山山頂にあります。 さて、櫨多き国といわれたこの地方。 櫨は、ウルシ科の落葉喬木で、福岡、佐賀、大分をはじめ九州各県と四国に多く植えられています。櫨はローソクの原料と...
  • 腹筋を鍛える
    たとえばピアノにハノンがあるように、鍛えるべきところはある程度鍛えたいもの。 と、先日師匠に相談したら、何事もバランスだから、どれか一つだけが発達してもねぇ、とつれない感じでしたが、でも、やっぱり何もできないよりは何かできたほうが、そこを起点にブレイクスルーがあるかもしれないし。 で、腹筋。繰り返しますが、いわゆる上体を起こして戻すのを繰り返す運動は役に立ちません。是非やりたいのは正しい腹式呼吸を、抵抗つきでやること。抵抗ってのは、sやzの子音で充分。難しいのは正しい腹式呼吸。 とりあえずわかりやすいのは正しくない腹式呼吸に気づくこと。何が正しくないかというと、変なところに力が入った状態。たとえば肩、首筋、あご、みぞおちなどなど。 体をぶらぶら揺さぶって、上半身の力を抜く。そして息を吐いてみる。下腹部だけで吐く。だいぶ吐いたところで冷静に体の各部を意識してみる。あるい...
  • pp
    「銀の魚」はピアニッシモで始まります。いまどきの楽譜でpp, p, mp, mf, f, ffくらいの音量指示は敢えて意外性を感じる必要もないことではありますが、とはいえppにしろffにしろ最上級表現で語られる音量指示は強い気持ちの表れだと言うことは考えた方がいいでしょう。慣れないうちに注意したいのはffよりもpp。ひとの自然な生理として、強い気持ちだからってことで激しい表現をするなら、それはffになりやすい。そこがppは逆になる。ppだから大変小さな音量で歌われるべきであることは当然です。しかし、ffの反対側で弱い気持ちでやる気のない表現としての小さな音量ではなく、ffと表裏一体な、いや、むしろ発散してしまうことも許されない込み入った事情などが伴うとか、気持ちの強さとしてはffよりもはるかに強いと思っていた方が音楽が成立しやすい。ppの音楽は深い感情の繊細な表現手段。 テクニッ...
  • 鮮度が命
    いきのよさ。 とりあえず辞書を引くと: いき 【生き】(名) (1)生きていること。 ⇔死に  「―死にをともにする」 (2)新鮮であること。いきいきしていること。  「―のいい魚」 (3)活気のあること。  「―のいい発言」 (4)囲碁で、独立した二個以上の目をもち、相手にとられることのない一連の石の状態。 ⇔死に (5) 2 0 印刷物の校正の際、一度消したものを改めて元のままとすることを示す語。〔普通、片仮名で書く〕 ここでは(2)か(3)の意味ですよね。 新鮮って言っても、魚は締めてからの保存状態でイキの良さを語りますよね。いろんな食品の中で魚介類はアシが早いから、鮮度って言葉もさかなへんなんだろうなぁ、と思い、今度は「鮮」を調べてみると、 会意:「魚(さかな)+羊(ひつじ)」で、なま肉の意味をあらわす。なまの、切り...
  • 予感
    ピアノがなんかいってる。ピアノだけがなんかやってる。時間がゆがみ始めている。終わらせようとしている。飛び込もうとしている。こんなに激しいのに、まださりげない。 だから僕たちはまだそんなことには気づかないで。 全曲中、この曲のピアノパートだけに使われた書法。 まだ、気づかなくていいや。 詳細はちょっと先で。
  • もだえて「もだえて」うねって「うねり」
    何日か前に「もだえる」の辞書の意味を書いたけど、 その後の家族会議で議論したところ (恋愛沙汰で)心配する (怪我や病気で痛くて)苦しむ (性的な感情の欲求不満で)苦しむ という3つの意味を分けて捉えるべきじゃないかという根拠に乏しい話になりました。 古くは1番目だけで、その後2番目が派生。3つめは非常に現代的な用法ではないかと(根拠なし) さて本題、團伊玖磨が「もだえて」と「うねり」の楽譜に託したこと。 見ればすぐわかることは、クレシェンドとデクレシェンド。 細かく見てみると まず「もだえて」 直前の「あおばをくぐり」と「もだえて」の対比が mp → f スタカート → レガート 音量一定 → 真ん中をふくらます ベースなし → ベースも参加 という指示になっている。 そこであらためて「もだえて」という言葉...
  • 銀の魚=エツ
    「永遠なる川」と題したエッセイで團伊玖磨は『銀の魚』を 晩春の筑後川に遡る銀の魚”エツ(注)”を朝靄の中に漁る人達。 静謐の中に息遣く男女の暮らしの美しさ、大切さを歌う第三章「銀の魚」 と紹介なさっています。 (注:本文で””の内側は挿絵のとおり魚偏に斉とかく漢字です。コンピュータでは出せない文字です。) 筑後川下流域で、梅雨頃のきわめて短い期間しか漁れず、まったく日持ちしない魚。この地域における当たり前の魚で、他の地域の人にとっては知りもしないという奇特な魚。 この魚を「銀の魚」ときわめて一般的な言葉で呼ぶと、なんだか自分のふるさとの風景に重ねられるような気がする。 でもとりあえず、エツの情報をいくつか。 エツについて、たぶん一番詳しいページ http //wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/bi...
  • 持続音
    たとえばカラオケなどで、学校の音楽の時間以外ではこれといって音楽を学んだことのない人の音楽に接したときに感じる差。 それが音符の長さの処理だ。 クラシックの世界の人にとって、音符を何拍伸ばしているかということは、一般の人が思う以上に重要だということだろう。 ピアノがようやく出てきたところで、合唱は2+8拍「わー」と伸ばしている。 細かく言えばフォルテシモで始まり、それから2拍クレシェンドして、 アルト以外は音を変えてフォルテシモ+αの音量で5拍伸ばし、 残り3拍デクレシェンドして、切る。 ここで親切な指揮者は、ピアニストを放っておいてでもこの指示を出し続けてくれる。 だが、ただなんとなく系の合唱をすると、 まぁまぁ大きく入り、クレッシェンドせず、3拍目で音の高さを変えたときに大きくなって、それから力尽きるようにただなんとなく小さくなり、さみだ...
  • ん?
    外国語の曲をやって、日本人特有のミスといわれる典型的なもののひとつが「ん」。日本語で「ん」はれっきとした母音のひとつで、和歌や俳句で音節数を数えるときには「ん」をひとつとする。演歌では最後の「ん」で熱唱するケースがあり、完全に鼻に抜くのだけではない母音作りもあるようです。一方、ヨーロッパ語族では[n]は子音。たとえばin the worldという言葉はカタカナで「インザワールド」なら7音節だけど、英語では3音節。これに曲が付いて、inに4分音符が割り振られていると、初心者は「インザワールド」の発想から、「イ」と「ン」とを均等に8分ずつで分けて歌ってしまいがち。実際は音の長さのほとんどを[i]で歌って、終わりにちょっと[n]をつけるだけ。すべてのひらがなに母音がついているはずの日本語も、語尾の「す」から母音が欠落していることが起こってたりしますよね。もうちょっと気づいていない人には意外な事実...
  • 受け売り・モノマネ・オウム返し
    別のところでも書いたけど、同じフレーズが別のパートに少し時間をずらして書かれている場合の演奏の基本は、細かいアーティキュレーションを含めて、先行したフレーズにならうこと。とくにフーガでは、同じようにしろ、という意味にとらえてOK。 ここではまずアルトが最初に「まつりよかわをよびおこせ」と歌い、テナーが続く。ここでテナーはアルトのやった細かいニュアンスをコピーしなければならない、という意味だ。たとえばもしアルトが「まつりよ、かわをよびおこせ」と祭りに対する呼びかけの様子を強調するような「よ」の後ろの小さな間を作ったら、テナーも同じタイミングでそれをやるべきだし、もしアルトがついつい勢い余ってか、「わ」に鋭いアクセントをつけてしまったら、テナーも「わ」に鋭いアクセントをつけるべきだ。 楽譜どおりに演奏することは大切だけど、楽譜に書き込めることにはおのずと限界があって、どう演奏する...
  • 天へ
    「てんへ」の入り: p.6の下段からディナーミクを確認すると、mf始まりで松葉をもらっている(クレッシェンドしてデクレシェンドする)だけなので、p.7の1小節目の終わりはmfくらいで終わっているはず。すると、「天へ」のfは一ステップ、不連続に大きいことになる。 ここで選択肢が二つ。 冒頭の「て」の子音が破裂系、最初の一拍がタッカのリズム、一段大きなfの指示、わずか一拍で女声から男声への受け渡し、などを思うと、「て」の子音の破裂をやや強調気味に捕らえながら「ん」を抑えて歌うことで、初めて出てきた16分音符のリズムを際立たせる形で曲にメリハリをつけるという手法。 一方、この「て」にはアクセント記号がないことを重視し、あくまでも6ページ目から続くたゆとう音楽の中でやわらかく「て」を処理し、タッカのリズムもむやみに跳ねないという手法。 たしかにこの音楽は日本人詩人と...
  • 激しく強いp
    合唱指揮者が練習中にやってみせる定番の演技にこういうのがあります。 「おかあさん」という言葉を使って、なにやら深刻な感じで、呟くように「おかぁさん」、少し大きく「おかあさん」、かなり大きく「お かあー さーぁぁぁん!!!」と叫んだ後、全身の力をこめて か細く「お かぁ さ ん ....」。 人によっては別の言葉でやったりもしますが、大筋で同じ。これをやって見せた後、「一番気持ちが強いのは何回目ですか」とか、そのままずばり「最後のちいさな『お母さん』が一番強いですよね」って。ピアノって言うのは音量の大小をゆるく指示する記号ではあるけど、ピアノだから力を抜いて、へなちょこな発声をしていいのではない、とか、音楽の流れで、非常に精神的緊張感の高いピアノやピアニッシモの演奏法を、まず日常的な話し言葉レベルで理解させるためにやります。 人間の動物的というかプリミティブな感情に素直に従...
  • ひとフレーズ
    Allegroからの3拍子。3拍子といえば、123、123、という拍の繰り返しが基本ですが、より大きくフレーズを考えるときは、ご存知のように、123,223,323,423と数えたりします。よくある音楽では、こういった小節のかたまりは4小節単位になっていることが多いです。もしかすると2小節単位かもしれないし、8小節単位かもしれないのでそれぞれのフレーズで指揮者の方針を確認しましょう。フレーズというものはとりあえずブレスで切れるものだと思ってみてください(例外は多いです)。だから歌い手にとってどうまとめるかは重要です。誰が見てもこういうまとまり、という音楽もあれば、ブレスの持つ範囲で許されるテンポ設定と描きたいものとのバランスでせめぎあう場合もあります。 でも今回の最初のフレーズは言葉の切れ目、休符による音の切れ目もあって、境目が見えやすいですね。123,223と数えるとすれば1は...
  • 縦の線
    最初のページの変わり目からの動き。 かわ、かわ、かわー、と7つの和音を作る。 順にみてみると、 まず前からの続きト長調(#1こ)で Ⅴの和音(移動ドでソシレの和音)   →Ⅰの和音(移動ドでドミソの和音) そこからイ長調(#3こ)に転調して Ⅳの和音(実音では2つ前と同じ和音、移動ドでファラドの和音)   →Ⅴの和音(移動ドでソシレの和音) その調のまま Ⅴの和音(移動ドでソシレの和音)   →Ⅰの和音の属音抜き(移動ドでドミの和音)    →Ⅰの和音(移動ドでドミソの和音) と動く。 長調で重要なのはⅠⅣⅤの3つの和音で、それしかないわけ。 ただ、途中で転調するので、盛り上がり感が演出される。 重要なのは、どの瞬間も、「あ」の母音でシンプルな和音を作っているから、どこで止めて伸ばしても、きれいな...
  • p.6
    やや私見だが(って私見じゃないところがあるのか?)、全曲中で6ページ目(山の光は...)は特に音取りが難しい。拍子感が希薄で、間延びして、さらに微妙な音律。 さっきからの5拍子だし、#3つと思えばさほど臨時記号もないし、使っている和音も普通。なのに。 まず5拍子。ピアノ譜を見るとわかるように、ページ頭の小節から順に、3+2,3+2,3+2,2+3,3+2,3+2,2+3,2+3,3+2と見ていくのが自然かとは思う。ただ、拍子の頭をさほど強拍とはしないので、自分を見失わないためだけの措置。四分音符が一拍なので、八分音符が続くところでは四分毎に小さな縦の線でも書き込んで、指揮者の拍がどこを指しているのかをわかりやすくするというのがプロでもアマでもよくやるテクニック。 やまーとかことりーとかの伸ばし一拍分で、ふつう4拍子の音楽を5拍子に間延びさせ、女声、男声の「におい」の掛け合...
  • かりゅうどの墓を(笑ひ)
    合唱楽譜のテクストは歌ふために用ひるのだから表音的に用ゐるべし。 果たしてそれでよいのでせうか。 そもそも「かりゅうど」といふ言葉をどのやうに解釈したら良いのでせうか。「かりゅうど」といふ表記では「カリュード」といふ音のみを代表してゐて、「狩る」と「人」とに分解出来ないではないですか。「かり(狩)」といふ言葉と「ひと(人)=(うど)」といふ言葉とが組合さつて「かりうど」といふ言葉ができるのです。この場合、正仮名づかひでは、容易に語源に辿り着くことが出来ます。 歌は心を届けるものであつて、意味のない音のをつなげるだけであってはならなりません。語彙を読み取ることができて初めて言はんとすることを伝えられるでせう。 團先生はさういふふうに考えて、「狩人」といふテクストを、「かりうど」と書かれてゐるのです。(笑ひ!) http //www.geocities.jp/koku...
  • ブレスまたブレス
    ちょっと前にも書いたけど、「銀の魚」のブレス記号は尋常ならざるほど多い。とにかく多い。中でも「川の男の…」あたりで、男声に1小節ごとのブレスを求めているところ。正直言って、私には歌いにくい。さっきから何度もこのブレス記号を守った音楽の構成を考えているのだけど、なんだかハァーハァー、ゼーゼーな過呼吸っぽい音楽しか想起できません。 もしやある意味男声合唱っぽさ?とか思ったけど、男声合唱だからブレスが多いってのも謎だし、次のページで男女が入れ替わって「川の女…」が出てくるところでは、女声が同じブレス記号を受けているので、その線は考えにくい。 となると、、、どうなるの。 すみません。わかりません。 今のわたしが指揮者で、好きにしてよさそうな状況なら、「川の」の後と、「たくましい」のあとのブレス記号を消させます。 そのくらいわかりません。 でも書いてあるのでまるで何かわ...
  • 名前
    週刊少年ジャンプに連載され、テレビアニメも大ヒットした「ヒカルの碁」という漫画があります。囲碁漫画という異色のジャンルを切り開き、子供たちの間に一躍囲碁ブームを巻き起こした話題作でした。 囲碁のいの字も知らない少年ヒカルに不遇の囲碁棋士佐為(サイ)がとり憑き、サイの指南でヒカルが成長していくというストーリー。はじめは他の人に見えないサイの指示に従って碁を打つだけだったのに、徐々に自分でも打てるようになっていく。 この漫画の中で、やや不自然に強調されていると感じた展開がありました。それが「名前」です。 たとえば武者修行中のヒカルが碁会所でいざこざのあった韓国の少年と対決するシーン。その少年は「ボクが負けたら、お前の名前を覚えてやる」といい、対決の最後にヒカルは「僕の名前は進藤ヒカル!」と高らかに答えました。取引内容にしては不自然ですよね。ちょうどサイの協力なしに碁を打てるようにな...
  • ずり上げ
    「いっ千びきの」に向けた、下の段3小節の動き。 ピアノパートの小節頭の右手の和音を見るとわかりやすいです。 17小節目  レ  ファ#  ラ  レ 18小節目  ミ♭ ソ    シ♭ ミ♭ 19小節目  ミ  ソ    シ  ミ しかもピアノパートのこの和音は小節の頭で叩いたら2拍目を休むような曲になっているので、いきおいこの和音は耳に残るようになる。半音ずつずりあがっていく和音です。左手はその基音をオクターブで鳴らしている。 ん? 下から2番目の音だけは半音進行じゃないですね。複雑ですねぇ。 こういったずり上がる和音を作るというのは、つまり、この3小節目、「いっ千びきの」の頭に向けて音楽の一つの頂点があるということ。 だから単に、やれフォルテだ、やれスフォルツァンドだとがんがん鳴らせばいいというだけでなく、音楽の方向性とし...
  • はじめまして?
    ピアノの冒頭、フォルテッシモの次の記号: piacere まずはイタリア語会話入門のテキストなら、 Ciao, io sono Nyansky, piacere. .. Piacere, Hana.  やあ、ニャンスキーです。始めまして。  .. 始めまして、はな です。 って感じか? Piacereは初対面の挨拶の言葉。 いや、この単語そのものの意味は [男][ピアチェーレ] 喜び、楽しみ、娯楽、好意 per ~ お願いします、どうか P~! はじめまして、お会いできて嬉しいです、どうぞよろしく [自][ピアチェーレ] [不規則][es]好みである、気に入っている Mi piace il cioccolato. チョコレートが好きだ。 これじゃわからんですよね。 音楽用語辞典を見ると、同じよ...
  • 1小節ごとに音量チェック
    あらためて、「青葉をくぐり」からの音量を確認してみる。 頭はmp。クレシェンドとも何ともかかれず次の小節でf。 頭の小節のフレーズを考えてみてもだんだん膨らむとは考えにくいので、ここは突然大きくすると見るべきところ。イタリア語でsubitoですね。そう思って楽譜全体を確認すると、2小節目ではベースが加わって大きく厚く作ってあるし、ピアノパートにいたっては1小節目をpと指示されて、そこからfの指示。この2小節で音量の対比を出そうとしている作曲家の意向が確認できる。 ソプラノとテナーは音が少し高くなるので自然に音が大きくなってしまうところ。でも音量の指示はmpからfと2段階大きくしなければならない。音が高くなることで自然に大きく歌ってしまうだけでは2小節めをmfで歌ってしまうと思う。フレーズや言葉の意味から考えてもそれほど2小節目を大きくしたくなる人の性があるというわけでもな...
  • 魚の銀
    メタリック、青い。 魚の色はそれこそ同じ色に対してもぜんぜん違うような表現をされているようですが、魚類以外の生物であまり見かけないあの色。表面が金属で覆われているわけでもないのになぜかメタリック。金属が金属色なのはプラズマが○*#$&%だからなんだけど、有機物じゃそんな状態にならんしなぁ。 ちょこちょこググってみてなにやらグアニンが関係してますってわかったけど、グアニンってそんな色じゃないですよ。ってさらにググってみると出てきたキーワードが構造色。あぁあれか。蝶の羽の色の光沢の源泉ってことで、ナノテク時代になんとなく脚光を浴びているあれね。 あらためて構造色をキーワードに加えてぐぐったら、よしどんぴしゃ。 青い魚はなぜ青い?(いちばんのお勧めサイト) http //www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/fish/index.html ...
  • ちーくーごー
    昨日は書きませんでしたが、「河口」での動きと違って、「ちくご」にはテヌートが付いています。なぜテヌートが付いているのでしょう? ここでのテンポはAllegroと書いてあります。もちろん、この「ちくごへいや」でちょっとテンポをゆるめてみる手はありますが、この後で歓喜の声をあげて走らなければならいとか、Grandiosoでゆったりたっぷり演出の「河口」とはどうしても作りが違ってきます。とにかくどうあってもここは速いということです。 大きな音、というか壮大な音楽と人が感じさせるには二つの要素があります。音量が大きいことと、その音が鳴っている時間です。大きな音を長い時間鳴らせば壮大な感じになるのです。そして時間をかける方法は2つ。テンポを遅くすることと、音符の時間分たっぷり歌いきること、つまりテヌートすることです。 そう。アップテンポでもテヌートすれば壮大さが演出できるわけ...
  • とっぷり
    とっぷり (副) (1)日がすっかり暮れるさま。 「―(と)日が暮れる」 (2)十分におおわれたり、十分につかったりするさま。どっぷり。 「湯に―(と)つかる」 街が街灯だらけで、道にテールランプがつらなり、窓明かり。神戸や函館でなくても、今や人の手が届くところには明かりが灯り、街は煌めいている。 海や、山といった、これといって人工物のないところが真っ暗なのは、まぁよくわかるとして、街中の身近なところには、なかなか真っ暗な景色がない。そんな中で身近に真っ暗なもの。田んぼと川。さすがに大都会東京あたりにお住まいの方は田園風景と縁がないでしょうし、川も高速道路が併走したり、土手を疾走する車、何本も横切る橋、橋、橋。電車から川を見ると、少し向こうを併走する橋の上で「王蟲が泣いてる!」って感じの攻撃色を見せてくれたりするし。 でも、田舎だと、川は暗いん...
  • かがやく活路
    かつろ くわつ― 1 【活路】 (1)行き詰まった状況から抜け出す方法。生きるための道や方法。 「―を開く」「新天地に―を求める」 (2)生活の手段。 「―ニ苦シム/ヘボン(三版)」 本当の意味でいろんなことが解決するといいですね。多くの個人を切り捨てて、ようやく一部の法人が息を吹き返した日本の経済とか、とりあえず壊れまくった与党とか、崩壊し続ける野党とか、おいらのあんなこととかこんなこととか。 「かつろ」という言葉の「か」。無声破裂音。「かつろ」という言葉の「つ」。無声破擦音。ついでに言えば「かわ」の「か」。「かがやく」の「か」と「く」。無声破裂音。「さがしだす」の「さ」と「し」と「す」。無声摩擦音。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E9%9F%B3 全体としてこのあたりの歌詞は飛ばしやすい乾いた...
  • 腹式呼吸のみぞおち
    単純な音楽こそ基本技術が問われる。「銀の魚」のように曲自体が技巧的なら表面的にその技巧をやりきることで音楽が出来上がってくるものの、「川の祭」のように素朴で単純な音楽は逆にむずかしい。CPUパワーがそのまま出てしまうベンチマークで、システム設計の見せ場がないようなそういう話。 腹式呼吸とは何か、どうすればいいのか、といった話題はネット上でも盛んだし、楽譜屋さんに行けばいろんな本に出会う。何もいまさらオイラから学ぶことなどないのだろうと思う。ただ、まぁ読み流してやる程度で核心だけ2つ。 まず、わかりやすいことで、腹式呼吸を実践しているとき、みぞおちはやわらかい。いわゆる腹筋運動で最初に鍛えられる直腹筋とよく呼ばれるところ。おなかの筋肉が割れているとかで話題にであるあの筋肉はここでは活躍しない。というよりも、その力を抜くという、結構難しいことをやってのけなければならない。 ...
  • 「ふぃ」vs「fi」
    壮大に歌うことが求められる「河口」。その冒頭をGrandiosoかつフォルテで歌うのが「フィナーレ」という言葉。しかし最初の「フィ」だけは、他より低いところから入る分、少し聞かせにくい。変に無理するのも良くないが、だからといってここが聞こえないのも困る。 こういうときの定石は「子音を立てる」という手法。むしろ子音に時間を使うと思ったほうがいいかもしれない。そこでほんのちょっと注意。 イタリア語でfinaleと発音するのなら最初の子音は唇歯摩擦音。いわゆる下唇を噛んで作る子音。 日本語化した「フィナーレ」と発音するのなら最初の子音は両唇摩擦音。口を丸くすぼめて息を流して作る子音。 カタカナ語なのだから多分普通は後者の発音で十分。もちろん合唱団で示し合わせてこの言葉だけ子音をしっかり作る意識を明確化するために、下唇をかみやがれ、的な指示が飛んでくるケースもなくはない...
  • 團伊玖磨のスラー
    作曲家によるスラーの書き込み方は、いくつかの流派が あるようだ。 とりあえずこの組曲を眺めて團の流派を探ってみると、 レガートであってもスラーはめったにつけない 1音節で複数の音にまたがるときは必ずスラーを書く レガートを示すために、絶対使わないというわけでもない みなかみの冒頭にはAndantinoというテンポの指示しかなく、legatoともmarcatoとも、energicoともgrandiosoとも書かれていない。書いてない以上、整合性が取れればなにをやってもいいはずだ。 とはいえここはレガート。一部の作曲家なら、「いまうまれたばかりのかわ」のすべてにスラーを書くような場所だ。 ただ、日本語を考えると 「いま/うまれたばかりの/かわ」 と見ることもできる。でも現実的な演奏として、ここを本当に切ってしまうことは考えにくい。 とりあえず初心...
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