美空がソファーの上でしきりに両足を掻きむしっていた。どこか落ち着かない様子を見せている。
そんな美空の様子を見た朝倉が、美空を落ち着かせようと、冷蔵庫からウーロン茶を出して、2人分のコップを
テーブルの上に置いた。美空がそれを取って一口含む。
朝倉がシャワールームの中でずっと考えていたのは、ネギの体に異変が起きたのか、それとも朝倉自身が
何か魔法による“毒”的なものにやられてしまったのか、ということだった。しかし、確かにさっきのネギは異常な
雰囲気を醸し出してはいたが、学校内から既に何か普通ではない気配を感じ取っていた朝倉は、後者の線が
強いと踏んでいた。だとしたら、美空はどうか。もし、誰かが意図的に朝倉を陥れようとして、幻覚めいた何か、
あるいは、エヴァンジェリン宅にあった“転送装置”の様なものでどこか別の場所に来てしまったのであれば、
一番身近にいる美空こそが危険な存在になりうる。場合によっては、先制攻撃もやむなしかもしれない。
何にせよ、まずは出来る限り情報を集めなければ。
朝倉は、話の口火を切った。
朝倉「で、まず、何から聞こうか」
美空「え?あ、そ、そうだね。何から話そうか……」 さっきから動揺を隠し切れていない。イタズラ好きなのに
嘘を吐くのが下手なのは致命的だろう。
朝倉「うん、それじゃあ、まず『気を付けろ』ってのから。あれは、何に対してだったの?」
突然向けられた朝倉の真剣な眼差しに、美空の気持ちがほんの少しだけ揺れ動いた。いつもの朝倉にはない、
微かな優しさが瞳から滲み出ていたからだ。その瞳は、突き付けられた物事は全て全力で取り組み、思い付いた
遊びは全力で味わい尽くす、そんな昔の朝倉の姿を美空に思い起こさせた。
しかし、ここで引き返すわけにはいかない。一人友達を売り渡すだけで、これからの学園生活が大分楽に
なるのだ。このチャンスは逃してはならない。
美空「あれは……。いや、あれは、その……なんとなく、勢いで言ったというか……」
語尾は遠慮がちに萎んでいった。その返答に、朝倉が少し残念そうな顔で、
朝倉「なんとなくってことないでしょ。ハッキリと『誰かに会ったら』って言ったんだから」
美空は額にぐっしょりと汗をかいていた。今までにない程頭を高速回転させ、朝倉を欺く方法を考える。
美空「実は……。実は、最近寮内で不信な人物を見かけるっていう噂があるの……」
朝倉「不信な人物?」
美空「うん……。噂では、寮内に潜む悪霊って言われてるんだけど、そいつはよく大浴場に出没して、誰かに
取り憑くって話らしいの。あっ、でも、前に3-Aに出た相坂さよって子じゃなくて、もっとおぞましい気配を
持ってるの。取り憑かれたら最後、人格が恐ろしく変わっちゃうって話らしいよ」
朝倉が頬の辺りをぽりぽりと掻きながら、少し困った様な顔で中空を眺めた。上手く騙せただろうか。何か変な
事を言って不信がられていないだろうか。騙すのは今日だけでいい。この瞬間だけでいい。そんな願いが頭の
中を逡巡する。
神さま……
朝倉「そうか……さっきネギ先生と会って変な感じがしたのもそのせいか」
美空は心の中で大きくガッツポーズをした。
『取り調べ』
美空が嘘をつくときは、もう少し表情を隠していた。しかし、今のはあからさまに違っていた。
いつものイタズラっぽい嘘ではない。人を騙す時の瞳の色をしていた。
朝倉は顔には出さないよう努めたが、大きな落胆を感じていた。誰にでも隠し事はある。魔法に関する事だったら
尚更そうだろう。でも美空なら、冗談を交えてでも本当の事を伝えてくれる筈だった。
ネギ先生が悪霊に取り憑かれた? この寮内に潜む悪霊に? その悪霊は、一体いつから潜んでいたという
のか。どうして今まで誰も噂にしていない。そんな噂、この私の耳に入らない筈がない。
仕方がない。これは美空の方から仕掛けてきたのだ。この朝倉和美に、嘘をつこうとした。騙そうとした。
最後のカードを出すしかない。今は何よりも情報が大切なんだから。
朝倉「美空、アンタさ……」
魔法使いでしょ。喉元まで出かかったその言葉を、朝倉は飲み込んだ。
美空「え? な、何……?」
朝倉「あぁ、えっと……」 朝倉は、中空に消えた言葉の続きを探した。
美空の目が怯えきっていた。私は今、何をしようとしたんだ。
脅してでも情報を引きずり出そうとした。本当の事を言わなければ、魔法使いである事をバラす、と。
そういえば、ネギ先生にもそんなような事をした記憶がある。あの頃はまだ何も知らなかったんだけど。
いけない。何も知らないだなんて、そんな言い訳で、また酷い事をしようとしてしまった。
まだ何が起こっているかも解らないのに。美空はただ、自分の身を守ろうとしているだけなのかもしれないのに。
そんなところから引っ張り出した情報に、一体どれほどの信憑性があるというのだ。
朝倉「あ、いや、えぇっと……何でもない」 さっきの美空と同じ表情になってるかもしれない。
そうか。こういう嘘もあるのか。
朝倉「ごめんごめん、何でもないよ。気にしない、気にしない」
少し照れた笑いを浮かべた朝倉が美空の頭を撫で回した。そんな朝倉の不可解な行動に、美空は怯えるとも
安心するともつかない複雑な顔になった。実際、突然緊張状態が緩和されたはいいが、あまりに突然過ぎるその
訪れに、朝倉がまた何か企んでいるのではないかと警戒を解けずにいた。
美空(でも、なんだろう。今日の朝倉、何か安心する……)
朝倉「汗、べちょべちょじゃない。も一回シャワー浴びてきたら?」
美空「え? でも……」
シャワーを浴びている間、持ち物を漁られる場面を想像した。ひょっとしたら、何か弱みにつけこまれるかもしれない。
美空「いや、いいよ。汗は、タオルで拭いとくから」
朝倉がまた何か考え事をしている。まだ何かを疑っているんだろうか。
朝倉「じゃあさ、一緒に浴びよっか」
美空「……へ?」
朝倉「いいからいいから、ホラッ!」
無理矢理美空の上着を剥いだ朝倉も、それに合わせて少しずつ服を脱いでいく。美空が誰かと一緒に裸になる
のは大風呂以来で、久々に第三者に裸体を見られ、何だか気恥ずかしさが込み上げてきていた。
美空「朝倉、今入ったばっかりじゃん。別に、無理に付き合わなくても……」
朝倉「いいのいいの。ハダカの付き合いってやつよ」
隠すべきなのか、それともハダカの付き合いに乗ってやるべきなのかで、美空の手は行き場所を失ってあわあわと
揺れ動いていた。その間に朝倉は美空の背中を押してシャワールームへと連行して行く。
狭い浴槽に一緒に入ってるものだから、二人して体を縮めて体育座りの体勢になった。かといって、
朝倉から「狭いんだけど」なんて悪態が飛んでくるわけでもない。飛んできても困るのだが。
美空「どうしたの? 突然……」 こんな狭い浴槽で。
一緒にシャワーを浴びよう、と言い出した事もそうだが、言外に、突然親しみを露わにした事に対する探りを入れてもいた。
伝わったかどうかは知らないが。
朝倉「嫌だった?」
美空「嫌じゃ、ないスけど……」
口元まで湯船に沈めて、ブクブクと空気を浮かび上げた。汚いとは思わなかった。
美空「質問されたと思ったら、いつの間にか湯船に入ってた。しかも二人で」
朝倉「しかも窮屈な」
わかってるじゃない。でもそれは浴槽のせいではない。多分。
朝倉「最近、学校はどう?」
まるで最近学校に行ってない人に聞かれたようだった。聞かれてから初めて、同級生だったことを知った。
朝倉「あ、この質問はダメなんだっけ」
美空は答えない。拒否しているわけではなかったが、受け入れたわけでもない。ただ、迷っていた。
せっかくチャンスを掴んだのに、逃したくはない。でも朝倉は、単なる記憶処理を受けたわけではないようだ。
美空「うまくやってるよ」 実際、上手く逃げ回っている。嘘ではない。って、わたしはいじめられっこか。いや、
そうだったっけ。朝倉が微笑む。
朝倉「なんかいじめられっこみたいな返事だね」
そうなんスよー、と言ってしまいたくなる。やっぱり知ってるのか。もう一度探りを入れてみる。
美空「アタシがなんでいじめられるのよ」
朝倉「それもそうか」 そうきたか。
さらに質問は続く。
朝倉「アタシは何者なの?」
美空「出席番号3番、朝倉和美。パパラッチ、報道部部員、趣味はスクープ、バストは……」
朝倉「いやいや、そうじゃなくて」
美空「ヒップから数えた方がいい?」 いやいや、そうじゃなくて。質問の意味は何だ。
朝倉「今日の夕方、っつっても殆ど夜だったけど、私は目覚めたわけよ」
朝倉は唐突に話し始める。途中から話に参加したかのような錯覚に陥ってしまう。
美空「ねぼすけさんだ」
朝倉「そのねぼすけさんは、来月の麻帆良新聞に載せる記事の内容について、頭を悩ませていました」
朝倉は目を閉じて、何かを回想しているようだった。
美空「悩むのは簡単で、答えを出すのは難しい」 東京大学を受験するのは簡単で、合格するのは難しい。
朝倉「そう。それで目を開けた時、報道部部員が入ってきて、いつまで経っても纏まらない私のレイアウトに
業を煮やしたのか、ひどく不機嫌だった」
美空「そりゃあ、不機嫌にもなるね」
朝倉「うん。そりゃあ、不機嫌にもなるさ。でも、必要以上に不機嫌だったら、おかしいと思うでしょ?」
美空「まぁ……」 必要以上に機嫌のいい人も、同じぐらいおかしい、とも思う。
朝倉「その2」 あぁ、その1だったんだ、今の。
朝倉「某私の友人が、いなかった。見えなかった、って言った方がいいかもしれない」
これは、私の事を言っているのだろうか。嫌味と受け取るべきだろうか。しかし、今の朝倉からは考えにくい。
昨日までなら、いや、今日の夕方までならまだしも。
そこで美空は、ふっと気が付いた。つまり朝倉は、今日の夕方から学校がおかしい事に気が付いたのだ。
恐らく記憶処理が行われたのだとすれば、部活時間帯からその辺りだろう。本当に行われていたらの話だが。
こんな風に考えていると何か、考えるよう促されている気がしてきた。朝倉ぐらい頭が良ければ、それぐらいのことは
出来るのかもしれない。さっきついた自分の嘘がバカみたいに思えてきた。
湯船に浸かってリラックスしている所為か、落ち着いて頭を働かせることができた。無理に回転させるよりも
効率的に思えたし、健康的であるような気さえした。
美空「見えなかったって、誰の事?」 念のため、聞いてみた。今更、あなたのことですよ、と言われたところで
大して驚きはしないが。
朝倉「さよちゃん」
美空「へ? さよって、あの相坂さよ?」
朝倉「そう。まぁ、幽霊だし、向こうの都合もあるのかもしれないけどさ」
美空「取り憑かれてたの?」
朝倉「憑かれてた、のかなぁ……。面白いから、さよちゃんなら大歓迎なんだけど」 朝倉に歓迎されない幽霊が可哀想だ。
美空「向こうの都合って、なによ」 予定があったとか。
朝倉「例えば……免許の更新とか。幽霊でいるための免許。期限が切れたのかもしれない」
美空「ゴールドだった?」 とりあえず、話を合わせる。
朝倉「さぁね。でも、さよちゃんならきっとゴールドだよ。さよちゃん、ちゃんと幽霊やってたもん」
美空「で、それは何時頃の話なの?」
朝倉「ゴールドの話?」 言われて、一体何がゴールドだったのか、と思ってしまう。
美空「その、さよちゃんがいなくなったのは」 幽霊なのにいなくなったのは。
朝倉「授業中はいた。隣の席だったし」
朝倉の隣の空席を思い出す。授業中もいろいろと気が抜けなかったから、いまいち朝倉の様子は憶えていない。
不思議なことに、さっき話した寮内に潜む悪霊の話は一言も出てこなかった。やはり嘘は見抜かれていたのか。
よくよく考えてみれば、当然の話だった。その場で取り繕った嘘に朝倉が騙される筈がない。
かといって、せっかく昇ってきた道を引き返したくはない。朝倉は頭がいいから、きっと上手くやれる、そんな都合の
いい解釈で自分を納得させてみた。
美空「で、その3は?」
朝倉「その3は某私のルームメイトが妙によそよそしいことなんだけど、それはまぁいいや」
ネギ先生の話がとばされていたのは、悪霊の話で私の嘘を暴いてしまわないための、朝倉なりの気遣いの
つもりだろうか。もしそうだとしたら、ちょっとだけうれしい。
朝倉「そこで、シスター・美空・イタズラスキーに質問があるんだけど」
美空「なにその適当につけたクリスチャンネーム」 あらゆる間違いを集約している。
朝倉「シスター・美空・プレミアム」
美空「もういいや、それで」 なんか豪華そうだし。
朝倉「例えば私が、何か途轍もない怪物に七色の光線なんかを浴びて、別の次元に移動しちゃったとする
じゃない」
美空がうんうん、と相槌をうつ。同時に感心もしていた。相手の弱い部分に必要以上に踏み込まず、それでいて
必要最大限の情報を得ようとしている。ときに冗談を交えながら。どうやらただのパパラッチではなかったようだ。
朝倉「そんな時、一番気を付けなきゃいけないのは、何だと思う?」
曖昧な質問でありながら、明確に聞きたい事の核心をついている、そんな印象を受けた。美空は正直に答える
ことにした。
美空「そうだね……。一番身近な人、じゃないかな」
もしかしたら、その一番身近な人に裏切られるかもしれないから。
明確な解答なのに、その意味を知っているのは、知りたい方ではなく、答えを書いた人間だけだった。
答えているようで、結局逃げている。美空は、そんな自分に嫌気が差した。