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DoomsDay」を以下のとおり復元します。
「あれはケルベロスだ」

 開口一番、青年の口から飛び出たのはそんな一言だった。
 早稲田鶴巻町の住宅街、その一角。比較的大きな公園を臨むその場所にて、二人の男の影があった。
 一人は青年だ。この聖杯戦争にマスターとして呼び出され、果て無き理想を叶えるために戦う男。
 対する一人は金色の威容。狂戦士のクラスにて現界したサーヴァントであり、今はマスターたる青年の従僕として振舞っている。
 彼らは三階建ての民家の屋根に足を降ろし、100m先の公園とその周囲を睥睨していた。既にここら一帯には人払いがかけられているため、彼らの奇行が一般人に目撃される可能性は皆無である。

「そして緑の子供が恐らくベルゼブブ……いや、そのものじゃなく顕現体か転生体のどちらかかな。いずれにせよ、蠅の王の関係者であることは確かなはずだよ」
「その根拠は?」
「どちらも直接会ったことがある」

 なるほどな、と金色の男が短く頷く。最低限の確認を除けば、既に二人は互いの言葉を疑うということがなかった。
 その精神はただ敵を討ち滅ぼすことのみに集中しており、他の余計な要素など微塵も考慮していない。そのひたむきさこそが、もしかしたら英雄たる所以の一つなのかもしれない。

 一晩中の行軍を経て、彼らはとうとう敵手たるサーヴァントを発見するに至っていた。
 本来サーヴァントは数百m単位の感知能力を有しているはずだったが、何故かこの場においてバーサーカーの感知範囲は50m程度にまで狭まっていた。
 特に制約があるわけでも、青年のマスター適正が低いわけでもないため原因は不明であったが、ともかくとして彼らの主従捜索が難航したのは言うまでも無い。
 彼らはあくまで戦闘にこそ特化した者であるために、隠れ潜む何者かを探すことは不得手である。そのため怪しそうな場所を虱潰しに歩き回っていたのだが、朝の気配が濃くなってきたこの時をもってようやくサーヴァントと思しき気配を発見したのだ。
 発端は体の芯さえ砕けるかのような咆哮。この鶴巻町はおろか、早稲田方面全域にまで響き渡ったかもしれないほどの大音量は、それだけでサーヴァントの存在を如実に示していた。

「獣の咆哮、バインドボイス。悪魔が身に着けているスキルの一つだね。物理破壊を目的とした超音波で対象を攻撃し、鼓膜を破壊し麻痺させる。
 火炎魔術と合わせて、ケルベロスを相手にする時に気をつけないといけないものだ」
「その忠告に感謝しよう。尤も、如何なる敵が立ちはだかろうが、勝つのは俺だがな」

 不遜な物言いを崩さないバーサーカーはどこまでも揺ぎ無く、ただ前だけを見据えていた。
 勝つのは自分―――何か方策でもあるのか、それとも何も考えていないのか。少なくとも、彼は絶対の自信を持って発言している。どこまで行っても己の勝利を疑わず、その目は未来しか見ていない。
 なるほど確かに、気狂いとして召喚されるのも頷ける。

「事前に一通り見て回ったけど、この付近にNPCは存在しないみたいだ。恐らく人払いの魔術がかけられているんだろう」
「ならば」

 一刀を抜き放ち、共鳴する振動が爆砕の闘気となって具現する。
 星辰光、起動。光熱に歪む刀身が過剰なまでの魔力奔流を伴って振るわれる。
 それは至高。それは究極。それ以外に形容する言葉なし。
 人類種が生み出した最強の星辰光が、今こそ極大の暴威となって現れる。

「加減する理由はないということだな」

 そして、死の光が解き放たれた。
 視界の全てを金に染めて、殲滅の光が亜光速にまで加速して殺到する。
 足場となる民家さえも余波で粉々に砕け散って、しかし二人の英雄は全く頓着せず。
 放射能光は目標の地点へと、そこに立つ二組の主従へと向けて狙い違わず命中した。

 地を震わせる大激震と共に、天高く砂塵が巻き上がった。





   ▼  ▼  ▼ 






「まったく、酷いことする奴もいたもんだね」

 突然の閃光と爆音に対応することもできないまま、ようやく聴覚が戻ってきた刹那の耳に、そんな言葉が届いた。

「何を……ラン、サー?」

 鈍った思考で舌が回らず、刹那は間の抜けた声を出す。
 聴力についで視力もようやく光を取り戻し、周囲の状況を見渡すことに成功した。
 破壊されていた。何もかもが。それなりの大きさを誇っていたはずの公園とその周囲は、最早瓦礫の山と化している。刹那は今、中空へと屹立するランサーに抱きかかえられて地上50mの高さにいた。
 事ここに至ってようやく事態の把握に成功する。攻撃されたのか、自分たちは。

「ったく、やっと鼓膜も再生してきたかな。
 ……おいおいマスター、まさかとは思うけど、今の状況が何なのか理解してないの?」

 嘲笑の形に口元を歪めるランサーには答えず、刹那は腕を振りほどくとそのまま地面へと着地した。「つれないなぁ」とぼやくランサーもまた刹那に続き、地に足を降ろす。
 改めて辺りを見回すも、目に映るのはやはり破壊し尽くされた惨状だけだった。刹那が知るいかなる上級魔法を用いても、ここまでの破壊はもたらせないだろう。
 自然と体に力が入る。夕凪を握る手が音を鳴らし、頬には一筋の汗が垂れた。

「……ランサー、周囲にサーヴァントの気配は」
「二つある。この際あのフェンリル野郎には死んでて欲しかったんだけど、そう上手くはいかないか」

 ぼやきに近いランサーの呟きの通り、砂塵の向こうから白銀の巨躯が垣間見えた。
 間違いない、先ほど目にした獣のサーヴァントだ。傍に居るマスターの少女を守るように、鋼の巨体は傷一つも負っては居ない。
 煙が晴れたなら再び戦闘の火蓋が切って落とされる。そうでなくとも自分たちを攻撃した誰かが近くにいるのだ。
 刹那は歯を食いしばり、周囲への感覚を研ぎ澄ませた。不意打ちなど、二度も食らってたまるものか。

「……コノ攻撃。ドウヤラ貴様ノ仕業デハナイヨウダナ、蠅ノ王」
「当然さ。僕は君らみたく粗暴じゃないんだから」

 舞い散る砂塵が風に散らされ、両者の姿が露となる。冥府の番犬ケルベロス、深淵魔王ベルゼブブ、共に健在。
 顔を合わせたその瞬間に放出される闘気が爆発的に上昇、気に当てられたケルベロスのマスターが小さく悲鳴を上げる。

 そして、この大破壊の下手人が姿を現した。 

「やはり、この程度で仕留められるほど甘い相手ではなかったようだな」

 戦端の火が灯らんとする空間に、鋼鉄が如き軍靴の音が鳴り響く。
 踏み出した足はその声に止められて、その場の誰もが行動を停止する。
 凪のように澄み切った静謐さと、烈火の如き凄絶さを兼ね備えて。
 クリストファー・ヴァルゼライド―――全てを踏み砕き突き進む鏖殺の勇者が戦いの舞台に登壇した。

「ヌゥ」
「……へえ」

 それを前に言葉を出せたのは、白貌の猛獣と蠅の王たる少年だけだった。獣は油断なく男を見据え、少年は興味深そうに視線をよこす。
 だが、彼らの主たる二人の少女は違った。舌がもつれて言葉が出ない。指先が震えてまともに動けない。この場には、今やそういったある種の重圧が存在した。
 分かるのだ、彼女らには。目の前に存在する者が、まさしく自分達とは隔絶したものであると。人の手が決して及ばない超越存在サーヴァント、その一端であると。
 そしてそれは、対峙する二体の異形も同じである。男を前にして視線を逸らすなどという愚を起こさないし、できはしない。
 つまりは対等。発する圧力がつりあっている。

「お、前は……」

 ここに至り、刹那はようやく呪縛じみた圧力から抜け出し、言葉を発する。しかし後に続く言葉は出ず、結果として彼女の問いかけは無意味な音の響きに終わった。
 ただ一言を発するだけでも心臓の鼓動が鳴り止まない。同時に、叫びたいほど恐ろしくなる。この男は、悪魔のような己がサーヴァントや、並み居る幻想種など歯牙にもかけない白銀の獣と同じサーヴァントなのだと、無意識の内に強く感じ取る。
 ケルベロスの殺意が鉄塊の如き質量を有するものだとすれば。タカジョーの殺意が永久凍土にも匹敵する冷徹なるものだとすれば。
 金色の剣士が放つそれは、まるで爆燃する太陽の如き熱さであった。

「横槍なんて随分と無粋な真似をしてくれるね。流石の僕でもちょっと頭に来たじゃないか」

 低いくぐもった笑みと共に、殺意の奔流が乱気流のように渦巻いた。
 常人なら、この場にいるだけで精神に異常をきたしかねない思念の嵐。蠅声の王たる少年から漆黒の意思が濁流のように溢れ出す。
 その意思の強度は男の覇気と比しても遜色なく、彼の戦意が微塵も衰えていないことを端的に示していた。
 現に、その圧力に当てられた睦月は半ば意識を手放している。魔王の放つ本気の殺意は、それだけで人を行動不能に陥れる威力を持つのだ。

「抜かせ蠅の王。貴様に道理を説かれる覚えはない」

 言葉少なく、荘厳に。激烈な闘志の強さが鼓動となって波を打つ。
 洗練されたその凄まじさはまさしく破格、並ぶ者なし。

「数ガ増エヨウガ関係ノナイコトダ。俺ハ貴様ラヲ打ち倒スノミ」

 冥府そのものを象徴するかの如く、死そのものを連想させる重圧的な響きを込めた呻きが轟く。 

「マスターヨ、オ前ハ早急ニコノ場ヲ離レルガイイ。二体ノサーヴァントヲ前二シテ、オ前ヲ確実二守リキレルトハ限ラナイ。退路ハ俺ガ確保シヨウ」

 一転して暖かみすら覚えるような口調でケルベロスが言うやいなや、睦月は弾かれたようにその場を走り去った。同時に刹那も追おうと試みたが、凶眼で睨みつけるケルベロスを前に動くことは叶わない。

「……とりあえず、マスターも一旦退いたほうがいいんじゃない?
 少なくとも、これ以上ここにいたら君、死んじゃうよ?」

 おどけたような口ぶりで己がマスターに進言するタカジョーに、刹那もこの時ばかりは素直に身を引いた。
 睦月が走り去っていった方角とは逆の方向に、刹那もまた姿を消す。
 無論、サーヴァントの索敵圏外に出た後は睦月の捜索に回ることは想像に難くないが。それでも早々に捕捉されることはないだろう。

「これで役者は揃ったというわけだ。ならばこれ以上の問答は無用」

 内に秘めた光熱を解き放たんと、刀を二振り引き抜いた。
 視線に宿る決意の火は、強く尊く眩く熱く。

「さあ行くぞ。お前たちを滅ぼすのが俺の役目だと知るがいい」

 威風堂々と言い放った瞬間、ヴァルゼライドは一迅の風となる。
 同時、動き出す二つの異形―――ここに、二度目となる戦乱の幕が切って落とされた。





   ▼  ▼  ▼





「グオォォォ―――ッ!!」
「はあッ!」

 ケルベロスの繰り出す牙撃が空を穿つ。タカジョーの放つ拳が膨大な魔力を伴い突き出される。
 その一撃は共に凄絶。様子見不要、加減や躊躇など欠片もなく、自らの前に立ちはだかるならば誰であろうと撃ち滅ぼすのだという極大の戦意が熱波となって押し寄せる。

 牙と拳、どちらも極めて原始的な物理攻撃でありながら、しかし有する性質は対極と言っていいほどにかけ離れたものだ。
 ケルベロスの一撃は極限域の暴性によって成り立つ。圧倒的なまでの筋力と敏捷に裏打ちされた身体スペックを駆使して放たれるそれは、最早技巧で凌げる領域を遥かに逸脱している。だが最も恐ろしいのは、それほどの圧倒的膂力を有していながらも、技能の面でも練達の領域に在るということだろう。
 物語の常として主人公に討たれる怪物のような粗暴さや乱雑さは皆無であり、そこにあるのは積み重ねた経験と修羅場によって磨かれた戦闘技術。力と技が高純度に混ざり合う歴戦の動きに他ならない。
 対するタカジョーは変幻自在の身のこなしだ。彼が使用する瞬間移動と魔力放出は、それだけで脅威となる必殺の魔業である。舞い散る桜の如き幽玄の動きは、しかし風に吹き散らされる脆弱さなど含まれない。
 大気の壁を突き破る一撃は、直撃すれば並み居るサーヴァントすら紙屑のように貫く暴威を秘めている。単純な膂力ではケルベロスに劣るとはいえ、彼の体術は小手先だけのものでは決してない。
 破壊力では前者が圧倒してはいるものの、応用力と手数の多さでいえば後者のほうが優れているだろう。性質の違いこそあれど、総合すれば彼らは互角。有する力はさほど隔絶したものではなく、性能だけを考慮に入れれば軍配が上がるのは時の運に違いない。 

 ならば、そんな二者に相対するヴァルゼライドはどうだろうか。
 一合、彼らが激突するその瞬間を見ることができた者がいれば、こう予測しただろう。
 クリストファー・ヴァルゼライドは敗北する。怪物に勝つなど、人間には不可能なのだと。
 事実、ヴァルゼライドに彼らのようなスペックは存在しない。人智を超えた性能も、天才的なまでの多彩さも、窮地を覆す奇策も彼は有していないのだ。
 内に秘めた情熱こそ彼らを比肩しているとはいえ、そんな人間らしい道理が人外の魔物にまで通じるかといえば、やはりそれは否だろう。

 白銀の獣の豪腕が、大地を木っ端微塵に粉砕する。
 抉り取られた岩盤はそれだけで致死の物量と速度を伴って殺到し、無慈悲に敵対者の体を殴打する。
 その標的は少年の影、すなわちタカジョー・ゼット。

「はっ、ぬるいね!」

 しかしタカジョーとてそれでやられるほど甘くはない。瞬間移動にて両者の頭上に出現すると、舞い上げられた巨大な瓦礫を軽々持ち上げ、鈍器のように叩きつける。
 子供のように華奢な体躯で、しかし戯画的なまでに常識を逸脱した光景を作り上げた少年の姿がそこにはあった。呆れるほどにアンバランスな一連の動作は、彼がサーヴァントという超越存在である事実を一目の下に証明していた。
 都合二体の異形は、生まれ持った超越性をこれでもかと見せつけながら、暴虐の限りを尽くしている。優れた個体に小技など不要と言わんばかりに、しかし動作に熟練の技巧を伴って、彼らは共に戦場を席巻する。

 振り下ろされる鉄槌の如き一撃を、ヴァルゼライドは素早く躱した。理由は単純、そうせざるを得ないから。
 回避に生じる隙を狙ったケルベロスの追撃も当然躱す。これも勿論、そうせざるを得ないから。
 それはある意味当然の流れであると言うべきだろう。ヴァルゼライドが有するスペックはそう大したものではなく、ケルベロスやタカジョーと比べればあくまで脆弱な人間の域を抜け出ないものなのだから。
 戦闘における決着の要因となり得るのは、何時如何なる時も破壊力、耐久力、敏捷性に余力の有無。すなわち純然たるスペック差であり、大が小を圧倒するという子供でも分かる方程式が厳然として存在するのは、誰の目にも明らかだ。
 強者は強者、弱者は弱者。その順列は決して崩れるものではなく、現実として弱者が強者を打倒するなどまず起こり得ない奇跡と言える。そこに疑問が入り込める余地などないし、闘争という極限状態であっても絶対の真理として機能する。
 故にヴァルゼライドの敗北は決定事項。小手先の技術など絶対的な戦力差の前には虚しい足掻きに過ぎず、三者が乱れ打つ三つ巴の戦場にあってなお、その圧倒的不利は覆らない。
 勝率など限りなく0に近しく、まさしく雲を掴むに等しい窮地であることに疑いはない。端的に言って絶体絶命の状況だ。

 そう、普通ならば。
 普通ならば、ヴァルゼライドが彼らに勝る道理などないというのに。

「おおおォォォ―――!!」

 金色の閃光が煌き、砂塵の舞う空間すら両断してケルベロスとタカジョーを襲う。
 一呼吸の内に放たれた剣閃は総じて七つ。その全てが両者の急所を狙っていたことは言うまでも無い。
 自らの七閃を各々の武装で受け止めた二人に対し、傲岸不遜な物言いを叩きつける。

「どうした魔性共。俺はまだ五体無事のままここにいるぞ。
 俺の命が欲しくば、死力を尽くしてかかってくるがいい」

 ヴァルゼライドは両者と渡り合っていた。それも互角に、鮮烈に。
 まるでこれこそ当たり前の展開だと言わんばかりに、彼はたった二本の剣で異形と対等の戦いを演じている。
 爆砕しながら三者の破壊が熱波の如く吹き荒び、舞台となる地形そのものを破壊しながら繰り広げられる。 

「ふッ―――!」

 鋭い剣閃が奔る度に轟音を響かせて弾き合う鉄爪、鋼腕。弾ける火花が宙に舞い空間を彩り、彼らの乱舞を豪華絢爛に染め上げていた。
 一合ごとに鳴り響く金属音はヴァルゼライドの持つ刀の絶叫だ。ただの一度でも彼らの攻撃をまともに受ければ、その時点で粉々に砕けて散るのだと持ち主に切実に訴えている。
 いっそ悲壮なまでに反響する刀身の軋みは、しかし未だに僅かの痛痒すら伴っておらず、破壊の運命を免れている。全ては使い手の技量あってのものだ。
 ケルベロスが破壊力、タカジョーが多彩さに優れているならば、ヴァルゼライドは技量にこそ優れていたと言うべきだろう。
 攻撃、回避、防御に反撃。あらゆる場面においてその技量は活かされ、足りない性能を補って余りある戦闘結果を彼にもたらす。
 斬る、打つ、薙ぐ、受ける、流す。余すことなく、全てが絶技。
 人が持ちうる当たり前の技術と勇気で、あらゆる不条理を捻じ伏せる。
 巧い。戦闘技能と判断速度が常軌を逸して凄まじすぎる。熟達や達人という言葉さえ、この絶技を前にしては侮辱にしかなり得ないだろう。人間という生物が生涯をかけてなお到達できるか分からない、これはそんな絶技に他ならない。
 狂的なまでに練り上げた修練の業が一挙一動から伺える。一眼、一足、一考、一刀に至るまで、悉くに意味があり、無駄な動きというものが微塵も存在しない。
 歯車のような正確さで暴威の乱打を凌ぐその姿、一体どれほどの修羅場を潜り抜ければ身につけられるのか、想像さえできはしない。

「ナルホドナ、貴様モマタ英霊ノ名ニ違ワヌ強者ダッタカ」
「ま、そうこなくちゃ面白くない」

 超人的な絶技を前に、しかし獣と少年は涼しい顔だ。むしろ、これくらいやれなくては英霊の名が泣くとさえ言い放ち、その精神は僅かも揺らいでいない。
 眼前の者達は、自分と争えるだけの強者。ならばここで滅ぼすのみ。それは三者に共通する思考であり、故にこそ彼らは不退転の戦鬼として振舞うのだ。
 願い、矜持、あるいは野望。各々が勝つための目的を有し、負けられない理由を持つが故、この戦闘の継続は当たり前の事象として成り立つ。

「だけど余興はここで終わりだ」
「貴様ラ全員、ココデ果テロ」

 言葉と同時、二者から放たれる圧力が急激に密度を増した。空気そのものが変質するかのような錯覚と共に、周囲の空間が魔性の圧に軋んでいく。
 先陣を切ったのはケルベロスだ。噛み合わされた牙の間から膨大な魔力が収束し、それを絶大規模の焔と化して放出する。
 あまりの熱量に空間さえ歪んで見えるそれは、まさしくケルベロスが番を務める冥府の業火に他ならない。されど常の炎のような無秩序な軌道は存在せず、極限まで圧縮し収束された炎熱はむしろレーザー光線にも等しい条光となって殺到する。
 焦点温度は優に5000度。鋼鉄を融解どころか即座に気化させるほどの熱量は、今や等身大の恒星と化して直線状のあらゆるものを消し飛ばしながら突き進む。もはや個人に向けて使用するものでは断じてなく、火神の加護でも持たぬ限りこれに耐えられる者など存在しないだろう。
 そしてそれは、一度目にしているタカジョーはともかく初見のヴァルゼライドにとっては未知の攻撃である。それ故に対応に差が生じ、瞬間移動で回避したタカジョーと違い、ヴァルゼライドはその場を離脱することもできずに真っ向から相対するしかなく。

「――――――!」

 鳴り響く轟音が、大気の灼ける残響と共に世界を赤く染める。
 放たれた赫炎の鉄槌は過たず、ヴァルゼライドを影も残さず呑み込んだ。
 これこそ必殺。地獄の猛犬が放つ浄化の炎はあらゆる敵対者を塵へと変え、生者の存在を許しはしない。
 だが、それでも。 

「まだだッ!」

 それでさえこの始末。両断された業火の向こうから鋼鉄の重量で響く声。
 極超音速の一刀は業火そのものを斬ったのではない。己の周囲の空間に、その剣威で真空の断層を発生させたのだ。
 無論、そのような苦し紛れの防御で防ぎきれるほど、ケルベロスの炎は甘くない。事実、ヴァルゼライドの肉体は所々が炭化し、全身から白い煙すら上がっている有様だ。
 だというのに、なんだこれは。通常ならば動くどころか命があるだけでも奇跡だというのに、鋼の英雄は一切その戦闘力を減じてはいない。
 いいやむしろ、攻撃を受ける前より内包する力が増しているようにも見える。

 これこそ英雄の持つ最大の力。【逆境にあればあるほど力を増して打倒する】のだという、常軌を逸した勇気と決意に他ならない。
 暴走する意志力が条理すら捻じ伏せて進軍する。気合と根性などという訳の分からない理屈によって限界点など容易く打ち砕く史上最大の異常生物。
 英雄譚に語られる勇者の如く、ヴァルゼライドは決して倒れない。

「だったらこんなのはどうだい?」

 声が中空より発せられ、同時に濃密なまでの闇の気配が辺り一帯を支配する。遥か上空に佇むタカジョーの仕業だ。
 宙へと浮かぶ彼の背中に展開された光の翼から、漆黒の何かが溢れ出る。一見して天使の翼にさえ見紛うような聖性から、対極の邪悪なる力の奔流が迸った。
 これこそ彼の保有する宝具の一、『光も届かぬ泥の深淵(ディープホール)』。タカジョーが発生させることの許された、暗黒の閉鎖世界への入り口そのものである。
 本来サーヴァントが持つ宝具は最大の切り札であると同時に最も秘匿しなければならない重要機密であるが、しかしケルベロスと金髪の軍人のどちらにも己の出自が知られている以上、そのような気遣いは無用である。
 形作られた深淵に呑み込まれた者は、誰であろうと抵抗すらできず消え去るのみ。かつて一国すら消滅させた闇の波濤はまさしく絶対消滅の強制執行であり、逃れられる者など誰一人存在しない。

 形成された闇の大瀑布が膨大な魔力と共にヴァルゼライドとケルベロスに向かって押し寄せて。

「例え世界が闇に覆われようと、人々の輝きを守り抜かんと願う限り、俺は無敵だ。
 来るがいい、明日の光は奪わせんッ!」

 乾坤一擲、ヴァルゼライドが二刀を翳し構えを取る。
 それは両翼を広げた巨鳥の如く、今こそ飛翔し敵を打ち砕くのだという激熱の決意が漲っている。
 全てを塗りつぶす漆黒を前に、しかし逃走や防御など微塵も考慮に入れていない。受けて立つと逡巡もなく前に出る姿は恐怖という感情が欠落しているようにしか思えない
 光熱に歪む二振りの刀身が、爆発的に上昇する魔力を受けて眩いばかりの光を発している。

「創生せよ、天に描いた星辰を―――我らは煌く流れ星」

 そしてここに、タカジョーの闇と相対すべくヴァルゼライドの宝具が再び姿を現す。

 紡がれるランゲージ。
 起動するアステリズム。
 覚醒の序説を唱えた瞬間、クリストファー・ヴァルゼライドに宿る星が爆光と共に煌いた。

 Metalnova Gamma-ray Keraunos
「超新星―――天霆の轟く地平に、闇はなく」 

 ヴァルゼライドの星辰光たる、圧倒的な光子そのものが爆発的に膨れ上がった。
 それはまさしく極光の斬撃。世界を二分しかねない輝きの一閃は、冗談のようなエネルギーを伴い炸裂した。この新宿を囲む壁ごと斬り崩さんと、空の彼方まで一直線に直線的な軌道を描いていく。
 進行方向にあるものは、何一つ残らない。
 無事で済むなど絶対不可能。亜光速まで達した爆光が、タカジョーの体躯を容赦なく呑み込んだ。

 さらに……いや必然か。
 光が闇を打ち砕く。

「ぐ、おおオオオオオオオォォォ―――ッ!」

 タカジョーが生み出した暗黒空間を、光の刃はいとも容易く貫通した。
 闇への裁きであるように、物語において光(勇者)に討伐される闇(魔王)のように。星屑の光が、僅かな光明さえ届かぬはずの泥の深淵を完膚無きまでに討ち滅ぼす。
 公園跡そのものを呑み込まんとしていた漆黒の帳が、夜明けの太陽が如き光に照らされる。後には何も残らない。
 それはまさしく勝利の咆哮。全身の神経回路を瞬く間に焼き尽くす激痛と共に、あらゆる全てを吹き飛ばす。
 決着は轟音として轟くのだった。

「ナラバ、貴様モ後ヲ追ウガイイ!」

 そして、渾身の一撃を放った直後の隙を見逃すケルベロスではない。
 どれほど肉体を鍛えようと、どれほど修練を積み重ねようと、己が放てる最上の一撃の後には僅かな硬直が生まれてしまう。
 ならばこそ、人は修行によってその間隔を短くしようと努力を重ねるのだが、完全に失くしてしまうことはまず不可能と言っていい。
 それは眼前の英雄であろうと例外はなく、故に獣の一撃は回避不能の必殺として機能するが……

「甘いッ!」

 そんな戦術はヴァルゼライドには通用しない。逆側の腕に掴んだもう一刀が、再び超新星の輝きを煌びやかに顕現させた。
 刀身を歪める殲滅の光熱は未だ健在。ガンマレイは再び放出される。
 そも、ヴァルゼライドの星辰光は真名解放に際して放たれる一発限りの大技ではない。その本質は、自らを放射能分裂光を放つ一個の天体と定義することによる形態変化。言ってしまえば光熱の放出など余技に過ぎないのだ。
 故に宝具の効果は継続している。タカジョーに放った一撃で発動が終わっているなどと考えていたならば、それこそ考えが甘いと言わざるを得ないだろう。
 そして当然、世紀末を戦い抜いた冥府の獣にそんな甘さなどあるわけがなく。

「ソレハ此方ノ台詞ダ、軍属ヨ!」

 ケルベロスはあらかじめ攻撃の軌道を読んでいたかのように、ガンマレイの射線上から身を翻す。目標を失った放射能光は、空を切り裂く轟音と共に虚しく宙へと消えていった。
 それは悪魔的なまでに積み上げた研鑽と、第六感にも相当する超度の直感が為せる技だ。安直に放たれる直線など、このケルベロスを討つには到底足りない。
 躱しざまにケルベロスの口腔から放出されるは極限域まで高められた獣の咆哮。最早物理的な破壊力すら伴う絶大の空気振動は、常人であるなら肉体ごと粉砕できる暴威を以てヴァルゼライドに降りかかった。
 広域に広がる不可視の音波を躱すことなどまず不可能。当然の如くヴァルゼライドも甘んじて攻撃を受けるが、しかし耳から血を流しながらもその戦意はまるで減衰を見せていない。 

 そして両雄並び立ち、一種の膠着状態に移行する。極めて高度に互角の二者が同時に戦闘を開始する場合、決着は一瞬だ。相手の予想をどれだけ外せるか、自分の予測をどれだけ現実にできるか。その僅かなズレが、勝者と敗者を決定すると知っている。
 故の膠着。互いの脳内では何千何万の攻防を行っているものの、現実の肉体は1ミリとて動かない。
 行動を起こすのは、自らの勝利を確信した時。

 加速度的に場の圧力が密度を増していく。ほんの少しのきっかけさえあれば、その瞬間に両者は必殺を放つだろう。
 そんな張り詰めた糸のような緊張感の中にあって、それは突然訪れた。


【私を助けて、パスカル―――!】


 パスカル―――ケルベロスの脳内に、そんな必死の懇願が響き渡った。





   ▼  ▼  ▼





 真紅の閃光が空間を切り裂く。
 それを受け止め、火花を散らす銀光が一つ。

 三騎のサーヴァントが己が命を賭して戦っている戦場より約50m、そこでは全く別の戦いが繰り広げられていた。
 演者は三人。尻餅をつき、ただ身震いしかできない哀れな少女。身の丈ほどの長刀を苦も無く使いこなす美麗なる少女剣士。そして紅蓮の太刀を掲げる青年。
 展開されるのは、誰が見ても分かりきった光景である。
 すなわち―――現実離れした戦闘と、それに巻き込まれた不運な少女という構図。

 一気呵成の勢いで怒涛の連撃を繰り出すのは紅蓮に燃える刀を手にした青年だ。およそ人類では持ち得ないほどの膂力を以て、相対する少女の細い体を両断せんと剣を振るう。
 対する少女剣士は完全に受身に廻っている。青年が繰り出す斬撃の全て、捌き、いなし、流して無力化する。攻めに転じられていないとはいえ、彼女の持つ力量は青年のものと比べてもさほど隔絶したものではなく、実力伯仲、拮抗状態と形容しても間違いはないだろう。

 事の起こりは、三者のサーヴァントが戦闘を開始してすぐのこと。逃亡した刹那の目に飛び込んできたのは、睦月に刃を振り下ろさんとする青年の姿であった。
 当然の如く、彼女はそれを阻止せんと動いた。そのまま剣の打ち合いとなり早数分、未だに決着はついていない。

「お前は何者だ! あの剣士のマスターであるというのなら、お前はこの聖杯戦争に対し何を望む!」

 無言。刹那への返答は、ただそれだけであった。
 常人ならば耳を押さえるだろう声量の恫喝にさえ、青年は一切答えようとしない。その表情は徹底しての無表情。鬼気に歪む刹那とは対照的に、どこまでも静謐そのものの雰囲気だ。
 しかしそんな表情とは裏腹に、彼の剣筋は徐々に勢いを増していく。戦闘が開始されて以降、一合毎に圧力を増す剣は刹那の心中から余裕を完全に取り払っていた。
 刹那としても、最早この青年を両者無事のまま無力化するなどという甘い考えは既に消え去っている。ほぼ無力になっているとはいえすぐ隣に他のマスターもいる以上、一刻も早く青年を打倒したいのが素直な心境だ。
 ならば、何故それができていないのか。
 理由は二つある。 

「……」
「くっ、またか!」

 刀を構える片手とは別の手が懐へ入り、青年の手に「銃」が構えられる。されど、その銃口が定めるのは刹那とは全く別の方向。
 真っ黒な銃口が向かう先、それはへたり込み未だ動けずにいる少女―――睦月の方。

 都合三発、発射を伝える微弱な空気振動を従えて、直線的な軌道を描く銃弾が睦月に殺到する。
 刹那は横から射線上に移動、手にした大太刀「夕凪」を振るうことにより銃弾を宙から地面に叩き落した。
 無理な移動と体勢から斬撃を放ったことにより、刹那の重心と呼吸は一時的に乱れている。そして、それを見逃す青年ではない。
 放たれた銃弾すら追い越すのではないかと錯覚するほどの速度で一気に間合いを詰め、未だ腕が伸びきったままの刹那に紅蓮の刃を振り下ろす。刹那は辛うじて剣の軌道上に夕凪を配置し、後方に転げることで衝突の威力を殺しつつ回避した。
 息をつく暇もなく、即座に顔を上げればそこには既に刺突を放つ青年の姿。
 思い切り身を捻ることで死の運命を回避すると、翻しざまに夕凪を薙ぎ払い青年の胴を狙う。
 踏み込んだ足が地を削り、加速度が水のように全身の筋肉を伝う。
 円を描くように閃いた斬光は一つ。金属音を高く澄んだ空気振動もまた一つ。
 絶対の自信を以て放たれた払いは、しかし虚しく紅蓮の刃に阻まれ、青年の体は既に姿勢を整えて刹那と対峙するように構えている。まるでこちらの攻撃を全て予測していたような反応に、刹那は内心冷や汗を流す。

 これが、刹那が攻勢に出ることのできない理由の一つ。
 青年は、刹那のみならず睦月すらも攻撃対象と認識しているのだ。

 別にこれは、青年が殊更に邪悪だとか卑怯者であるということではない。
 何故なら睦月は巻き込まれた市井の民でもなければ、どちらか一方に味方する第三者というわけでもない。彼女もまた、自らの願いを持って戦いに臨んだマスターなのだから。
 すなわちこの戦いは刹那と青年の一対一でも、刹那と睦月の二人に青年が一人で挑む構図でもなく、一対一対一という三つ巴の乱戦なのだ。
 はっきり言ってしまえば、この状況でも尚睦月を守ろうと動く刹那の側こそ異常と言えるだろう。抱える必要のないハンデを背負い、その上で戦うなどそれこそ道理に反している。
 しかしそれが刹那の願いなのだ。願わくば誰も傷つけることなく、殺すことなく聖杯戦争から脱したい。それは己の手を血に汚さないというのもそうだが、それ以上に他者を見捨てることができないということの証左でもある。
 無論、いざとなればこの身を修羅と化すことも辞さないと考えてはいるものの……少なくとも、今この場において、刹那は睦月を見捨てる選択肢を取ろうとはしなかった。

「随分と手段を選ばないのだな。仮にも剣の道を志しながら、それでは師父に笑われるぞ」
「そんなものは存在しない」

 言葉と同時、静止状態にあった青年の体が突如として加速、七メートルの間合いを瞬時に零にする。
 音速すら遥かに超過する速度の剣閃を、刹那は辛うじて受け止めた。鍔迫り合いの体勢に持ち込まれ、軋む刀身が悲鳴めいた甲高い金属音を響かせる。
 睦月の存在に続く、刹那が攻勢に出られない二つ目の理由。それは、青年の予想外の強さである。

 最初の一太刀、その時点において、刹那は青年を大した脅威とは思っていなかった。何故ならその太刀筋はあまりに未熟だったから。
 膂力に速度、呼吸に殺意。そのどれもが一級品ではあったが、こと単純な剣の技量という面において、彼は分かり易すぎるほどに素人だった。
 いずれの流派はおろか、武道の基礎すら学んでいないだろう素直すぎる太刀筋。彼を構成する諸々の要素こそ人外めいたものであったが、実の篭らぬ剣など神鳴流の敵ではないと、それこそ刹那は侮っていたのかもしれない。
 その認識が間違いであったことは、数秒もかからず気付かされた。 

 確かに彼の剣は未熟な代物ではあったが、積み重ねてきた経験があまりにも違いすぎた。数え切れないほどの修羅場を潜り抜けなければ身につかないであろう戦術眼と、時に息を呑むほどの博打に打って出る豪胆さ。勝利の流れを嗅ぎ付け、そこに躊躇無く命を賭ける嗅覚の良さ。それらを支える圧倒的なまでの身体能力と知覚領域。何もかもが刹那とは違う。
 術理や合理など見当たらない故に、体勢を崩そうが足場が崩れようが構いもせず渾身の必殺が放たれる。その動きは術理と合理の中で生きてきた刹那にとって、最上のフェイントにすらなり得るもので。
 窺い知れぬほどの鍛錬と経験によってのみ成り立つ獣の強さ、その行き着く果てが青年の形に凝縮された剣鬼。刹那が青年に抱いた印象はまさしくそれだった。
 現状、青年の猛攻に対し、刹那は辛うじて神鳴流の対人技術を駆使して凌いでいるに過ぎない。それすら、これまでの戦闘から徐々に学習されているのは明らかだった。剣を交わす毎に刹那の技術は既知のものとなり、青年の対応力がすぐさまそれを上回る。事実、刃を重ねるごとに青年の振るう剣閃は動きの精度を増しているのだ。
 そもそもが刹那の扱う神鳴流とて、本来は人を遥かに上回る妖物を相手にするための剣術だ。それは青年が辿ってきた悪魔殺しの業と酷似しており、故に両者の剣は非常に似通ったものとなる。
 同じ土俵で戦うならば、経験と性能が上の者が勝つのは道理。
 足手まといと、単純な実力差。その二つは大きな壁となって刹那の前に立ちはだかる。

(まずいな、打開の方策が浮かばない)

 弧を描いて襲い来る光を視界の端に捉えつつ、刹那はそう思考する。脳内思考を続ける合間にも肉体の側は反射的に動き、横薙ぎに振るわれた一閃を身を屈めることで回避した。立ち上がりざまに斬り上げを繰り出すも、軽くいなされ腹部に蹴りが直撃する。
 衝撃に一瞬呼吸が停止する。その隙をついて青年が再び睦月に向けて発砲するも、何とか体を滑り込ませて叩き落した。
 刹那は思考する。可及的速やかに解決しなければならない問題、それはこの場において眼前の青年を何とかすることだった。何とかするとは、青年の無力化、もしくはへたり込んだ少女ごと戦線離脱である。
 しかしそのための方法が全く思い浮かばない。相手は自分以上の手練れである以上、よほどの奇策でも用いなければ勝利するなど絶対不可能。しかし刹那はそういった奇道には通じておらず、故にここで取るべきは少女ごと逃走し仕切りなおすことなのだが。

(この男、まるで隙がない……ここまで近接されている以上迂闊に背中を見せるわけにもいかないか)

 そも、青年が見逃してくれるはずもなし。現状の刹那は逃げるどころか、神鳴流の奥義を出す暇さえ見出すことができていないのだ。
 せめて一瞬の隙でもあれば、自分が忌み嫌う純白の翼を展開し状況を打開する一手となるのだが……この男、隙どころか疲労の色さえ一切見せない。既に肩で息をしている刹那とは大違いだ。
 
「分からないな」

 逡巡する刹那に、ふとそんな呟きがかけられた。
 目をやれば、青年が相変わらずの無表情のまま口を開いていた。問い返す暇もなく、再び言葉が紡がれる。

「君はその子を守ろうとしている。それ自体は分からなくもない。
 けれど、なら君は何故あのサーヴァントをそのままにしている?」

 あのサーヴァントとは、ランサーのことだろうか。
 何故そのままにしているのか、そんなものは自分こそ問いたい。
 そもそもなんであのような悪魔が自分に宛がわれてしまったのか、まずそこからして自分は納得していないのだ。 

「一目見れば分かる。君のサーヴァントは悪魔そのものだ」

 それについては全く異存はない。高城絶斗を名乗るアレは、名実共に悪魔でしかない。
 仮に脱出の機を得たのならば、真っ先に葬らねばならない妖物。今まで斬り捨ててきた妖怪など歯牙にもかけない悪辣さは、彼の主たる自分こそが誰よりも知っている。

「聖杯を得たいのならば他のマスターを守る必要なんてないし、足手纏いなら切り捨てればいい。聖杯の破壊を目指すのならば、あんな邪悪なサーヴァントは令呪で縛るなりしなくてはならない。脱出を目指すにしても同じだ」

 思えば、何故自分はあの悪魔を野放しにしているのだろう。
 曲がりなりにも自分の命令を聞き入れるからか? 否、あれは単なる気紛れだ。気分次第でこちらを裏切り、害を為すという現れに過ぎないだろう。
 縛りを入れなかった理由など、決まっている。
 それは、純粋なまでの【死の恐怖】。
 死ぬのが怖い。木乃香に会えず死ぬのが怖い。自分の人生を無意味にするのが怖い。
 だから、この〈新宿〉において最強の存在であるサーヴァントを失いたくはなくて。
 自身を害そうとする悪魔の機嫌を損ないたくなくて。

「最初の問いをそのまま返そう。君はこの聖杯戦争に何を望む」

 それは侮蔑ではなかった。
 まして義憤でも、嘲笑でもなかった。
 青年は刹那に何を望んでいるでもなく、刹那の何かを変えたいわけでもなく、刹那に何かを分からせたいのでもなく。
 単純に、刹那が何を考えているのかが分からなかったのだ。
 死の恐怖など、人として当たり前の感情など。
 一切共感できないとでも言うように。

「私、は……」

 何かが口を突いて出ようとした、瞬間。

 巨大な白い影が、すぐ横を通り過ぎるのを感じた。





   ▼  ▼  ▼ 





 目の前の現実が何か、少女は正確に理解などしていなかった。
 いいや、もしかしたら何もかもが分かった上で理解を拒んでいたのかもしれない。
 銀光が舞う。火炎が唸る。弧を描き乱舞する光の全て、少女は余さず目に焼き付ける。
 人間の反応限界速度など遥か超越した剣戟は、最早高速の残影にしか映らない。刃が撒き散らす火花と響音のみが、辛うじてそれが剣の打ち合いであることを睦月に知らしめていた。
 睦月の傍に侍る幾多の鳥類が、傍目にも分かるほどの恐慌状態に陥って混乱し、それでも彼らの王に命じられた使命の縛りにより地を発つことを許されない。
 何故こうなったのだろうと、睦月は靄のかかったように鈍った思考で思い出す。



 三者のサーヴァントが乱れ討つ戦場より離れた睦月は、パスカルの命を受けた鳥たちの案内により退路をひたすらに突き進んでいた。
 睦月には彼らの言葉を理解することは叶わなかったが、しかし周囲の索敵と退路の確認を一手に担う彼らの案内により、睦月は非常に効率的かつ安全に撤退を進められていたと言えるだろう。
 事実、機動力でこちらを遥かに上回るはずの竹刀袋の少女の追撃を、睦月は完全に回避できていた。哨戒と索敵、圧倒的な人手の差は時に単純なスペック差すらも凌駕する。
 これなら何とかなるとさえ、睦月は考えていた。自分はあの少女には勝てないけれど、逃げるくらいなら何とかなると、そう心のどこかで慢心して。
 だからだろうか。目の前のことにばかり目が行って、周りのことが全く見えていなかった。
 自分を狙う者が竹刀袋の少女だけだと、一体誰が言ったというのか。

 突如として突き出された剣先を、睦月は躓くことで辛うじて回避した。それは動体視力の賜物では断じてなく、単なる幸運であることは言うまでも無い。
 その攻撃の出所は、何の変哲もない青年であった。能面のように感情の感じられない顔と、中肉中背の体つき。端的に言って街中に行けばいくらでもいそうな風体であったが、しかしこの場においては最大級の異常として機能する。
 鳥たちの警戒網にすら引っかからず、的確に睦月のいる場所へとやってくる戦略眼。そして直前の警告すら無かったということは、獣王の命を受けた動物たちの伝達すら間に合わない速度で襲来してきたことに他ならない。
 手にする刀は揺らめく紅蓮に燃えて。魔術に疎い睦月ですら、あれが神剣に相当するものだと本能的に直感する。
 この状況を一言で表すなら、それは絶体絶命というやつだろう。今の自分に対抗手段は皆無であり、最早命を刈られるだけの哀れな犠牲者でしかない。
 その身に宿る令呪すら、恐慌の前には忘却の彼方だ。迫り来る死の刃を前に、睦月はぎゅっと目を瞑って。

「―――何をしている、貴様ッ!」

 突如として乱入してきた少女の喝破に、今度は命を救われたのだった。



 そして現状に至る。
 手にした刃を振るい続ける二人を前に、睦月は未だに尻込みを続けていた。
 無論、今までに何度もこの場を離脱しようとは試みた。しかしその度に銃声が轟き、睦月の顔面のすぐ脇や、傍に侍る鳥の体を銃弾が突き抜けていくのだからたまったものではない。
 パスカルの伝令に羽ばたこうとする鳥もまた同じ運命を辿った。今や睦月の周囲には、十を越える鳥の死骸が転がっている。
 何故自分が今も尚生きているのか、それすら睦月には理解できない。刹那に庇われているのだという事実にすら、想像が及んでいないのだ。 

「……なん、で……たすけ……」

 漏れる声は既に意味ある言葉になっていない。駄々漏れる思考がそのまま音になって喉を溢れる。
 鎮守府では夜な夜な煩いとクレームの対象になっていた工廠の音すら子守唄に思えるような甲高い金属音がビートのように連続して耳に届く。その合間を縫って時折鳴り響く銃声が、幾度となく睦月の体を震わせる。
 訳が分からない。なんで、どうして、こうなってしまったのか。
 自分とて命を賭けているつもりではあった。聖杯戦争に来る以前より、深海棲艦との戦闘で修羅場には慣れているつもりだった。
 それが全くの見当違いであったことを、今になって痛いほどに思い知らされていた。

 サーヴァントどころか、このマスターと思しき少年少女を前にしただけでも足が竦む。一矢報いるどころか反応すらできない速度で交わされる戦闘は、最早睦月の理解の範疇を逸脱していた。
 何より恐ろしいのはあの目だ。何某かの強い思いを秘めた目。
 青年に見据えられた瞬間、睨まれたわけでもないのに睦月の体は石のように硬直した。そして否応も無く理解したのだ。【自分とは何もかもが違うのだ】、と。
 人は正体の判らないものに対して特大の恐怖を抱く。睦月にとって、それは目の前の青年という存在そのものが恐怖の対象であった。
 だからこそ動けない。ともすれば睦月の体に掠りかねないほど近距離で行われる剣戟、動こうとすれば即座に飛んでくる銃弾。最早暴風にも等しい剣閃による衝撃波。それらの影響も勿論あるが、それ以上に名も知らぬ青年の存在こそが、睦月の足をこの場に縛り付けていた。

「ひぅッ!?」

 ビシャリ、と。顔面に暖かい何かがかかる。
 思わず目を瞑り、しかし恐る恐る手をやれば、ぬるりとした感触が指を伝った。
 見下ろした掌は、真紅に染まった震える繊手。
 ふと傍を見やれば、そこには腹部を弾けさせた鳩が一羽。
 瞬間、心の軋みが更なる悲鳴を上げた。

「―――ッ!」

 無意識の心の変動につられ、三つ首の犬を模したトライバルタトゥーが赤い輝きを強める。

「たす……けて……」

 紡がれたのはか細い声。けれどそれで十分なのか、令呪の輝きは今や無視できないほどに増して。
 それに気付いた青年が、認識不可の速度で銃口を向けるけれど。


【私を助けて、パスカル―――!】 


 消失する一首の閃きと共に、純白の巨大な影が彼らの脇を駆け抜けた。
 それは魔的なまでの速度を備えて、敵手であるはずの刹那や青年さえも追い越し通り過ぎていく。
 すれ違う一瞬、青年と白貌影の目線が合ったような気がして。

「……」
「―――」

 けれど、それ以上の転進はなく。
 睦月ごと連れ去った白い影は、そのまま住宅街の彼方へ消え去った。

「……ッ!」

 そして、その間隙を縫うように刹那もまた行動を起こす。
 彼女の背から巨大な一対の翼が広がる。それはまるで天使のような輝きに満ちて、一度大きく羽ばたけば刹那の体は地上十数メートルまで一瞬で上昇する。
 いかな超人的身体能力を持つ青年であろうとも、人の身である以上は地に足つけなければ生きてはいけない。魔性では決してなく、翼を持たぬ人であるからこそ、彼は飛び立つ刹那に追い縋ることは不可能。
 彼女が考えたその推論は正解だ。ザ・ヒーローに飛翔する手段はない。故に互いの戦力に大幅な差があろうとも、一度飛び立てば干渉する術はなく……

「ふッ……!」

 そんな浅知恵など、彼は当に読んでいた。
 抜き手で放たれたヒノカグツチの投擲は一条の閃光となって飛来する。咄嗟に身を翻す刹那だが、完全にかわし切ることは叶わず脇腹に深い裂傷を負った。
 だが仕留めるには至らない。右手で脇腹を庇いながら、刹那はそのまま何処かへと飛び去っていく。

 そしてここに闘いはひとまずの終わりを迎えた。誰一人勝った者はなく、誰一人負けた者もいない、ひたすらに無為な闘いが。





   ▼  ▼  ▼ 





 朝焼けの空を純白の翼が舞う。
 それはまさしく鳥のような羽を広げ、しかし人間大という規格外の巨大さを持った生物であった。
 桜咲刹那。鳥族の血を引く京都神鳴流の剣士。
 傍目には天使にも見えかねない美しさだが、今の彼女はそんな見た目の印象から来る聖性や優雅さなど微塵も持ち合わせてなどいなかった。

「なん……だったのだ、あれは」

 どこぞのマンションの屋上に降り立ち、刹那は息切れの激しい声を漏らす。顔は汗で塗れ、裂かれた腹からは大量の血を流し、必死の形相は般若の様相を呈していた。
 これほどの疲労は長らく経験していなかった。肉体のみならず、その精神さえも数日間の苦行を成し遂げた時以上に疲れ果てている。
 これが聖杯戦争。侮ってなどいないつもりだったが、まさか初戦でここまで追い詰められるとは思って居なかった。

「や、無事で何よりだよセッちゃん。その様子だと、どうやら尻尾巻いて逃げることはできたみたいだね」

 横合いから軽薄な声が届く。いつの間にか姿を現したランサーが、いつもの如く見下したような声と表情でこちらを睥睨していた。
 ピクリ、と体が反応する。常より聞かされていた戯言だと理性は切って捨てるも、感情がそれを看過することを許さなかった。

「……それはお前も同じじゃないのかランサー。お前の役目はサーヴァントの撃破だろう、それもできずにおめおめと逃げてきたくせに何を言う」

 ぎり、という音が聞こえてきそうな形相で、刹那はランサーを睨みつけた。平和に生きる一般市民であればその時点で腰を抜かすであろう凶眼を受けてなお、ランサーは涼しい顔だ。

「ま、君の言うことも尤もだけどね。とはいえ倒すまでいかなくてもきちんと相手して君のところまで敵サーヴァントを行かせなかったことくらいは評価してもらいたいな。
 で、だ」

 微かな笑みをうっすら浮かべて、ランサーは刹那に顔を近づける。
 その表情は思わず見惚れてしまいかねないほどの綺麗さで、しかし全く光を宿していない瞳を近づけて、ランサーは刹那に問いかけた。

「君が取るに足りないと思ってた他のマスターは、果たして君が思う通りの存在だったのかな?」
「ッ!」

 その言葉に、刹那は思わず視線を逸らす。返答に音はなかったが、その所作が全てを物語っていた。
 裂かれた脇腹を無意識に庇う刹那を前に、ランサーは常と変わらない態度で続ける。

「どうやら思い知ったみたいだね、セッちゃん。そう、それが人の意志の強さだよ。その傷こそが君の慢心の代償とでも言うべきかな。
 これで分かっただろう? 誰も傷つけたくないなんてふわふわした物の考え方で乗り切れるほど、この戦争は甘くないんだってことがさ」

 ケラケラと笑いながら、ランサーは言葉を続ける。 

「でさ、ここから一体どうするんだいセッちゃん?
 実力も脳味噌も足りないってことは十分に理解できたんだ、ならここらで覚悟を固めてもいいと僕は思うんだけどね」

 相変わらずの軽口に眩暈がしそうだと、刹那は内心頭を抱えたい気分だった。
 自分が未熟者だということは嫌でも理解している。その上、頼るべきサーヴァントが正しく悪魔だという事実を背負って尚、自分は理想を貫けるのかと。
 一瞬だけ、迷いが生じて。

「……お前の戯言は聞き飽きた。それ以上口を開くな」
「ふぅん。ま、僕はそれでもいいけど」

 結局、言い返せたのは精一杯の強がりだけだった。

 それだけ言うと、ランサーは途端につまらなそうな顔で霊体化した。
 空気に溶けるように消失するランサーを横目に捉え、刹那は今度こそ全身から力を抜き嘆息する。

「……私には帰らなくてはならない場所がある。こんなところで死ぬわけにはいかないんだ……!」

 立ち上がり、階段へ続く扉へと向かう。
 この後どうするかなど考えていないが、ともかくこの場を離れることが先決だろう。
 思考が鈍る頭をはたき、無理やりに体を動かしてビルに入る。後には、垂れ流した血痕が点々と続いていた。
 だが、彼女は気付いただろうか。先ほど消えたランサーもまた、右腕を庇っていたことを。

 金髪の剣士との激突の際、相手の宝具の直撃をランサーは瞬間移動にて回避することに成功した。
 けれど決して無傷ではない。ほんの掠り傷とはいえ、右腕にうっすらと光の残滓を受けているのだ。
 故に今のランサーの体内では細胞が次々と破壊され、常人であるならば即座に狂死するほどの激痛が走っている。
 例え掠っただけの残滓であろうと体内に残留し続け全てを破壊する放射能分裂光(ガンマレイ)。彼がそれに侵されている事実を、刹那は知らない。




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【早稲田、神楽坂方面(西早稲田一丁目、マンション内部)/1日目 午前8:00分】

【桜咲刹那@魔法先生ネギま!(漫画版)】 
[状態]魔力消費(中)、戦闘による肉体・精神の疲労、左脇腹に裂傷(気功により回復中)
[令呪]残り三画 
[契約者の鍵]有 
[装備]<新宿>の某女子中学の制服 
[道具]夕凪 
[所持金]学生相応のそれ 
[思考・状況] 
基本行動方針:聖杯戦争からの帰還 
1.人は殺したくない。可能ならサーヴァントだけを狙う
2.傷をなんとかしたい
[備考] 
・睦月がビースト(パスカル)のマスターだと認識しました
・ザ・ヒーローがバーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)のマスターだと認識しました。
・まだ人を殺すと言う決心がついていません




【ランサー(高城絶斗)@真・女神転生デビルチルドレン(漫画版)】 
[状態]魔力消費(中) 、肉体的損傷(小)、放射能残留による肉体の内部破壊が進行、全身に放射能による激痛
[装備] 
[道具] 
[所持金] 
[思考・状況] 
基本行動方針:聖杯戦争を楽しむ 
1.聖杯には興味がないが、負けたくはない 
2.マスターほんと使えないなぁ
3.いったいなぁ、これ 
[備考] 
・ビースト(パスカル)、バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)と交戦。睦月をマスターと認識しました
・ビーストがケルベロスに縁のある、或いはそれそのものだと見抜きました
・ビーストの動物会話スキルには、まだ気付いていません
・宝具『天霆の轟く地平に、闇はなく』が掠ったことにより、体内で放射能による細胞破壊が進行しています。再生スキルにより治癒可能ですが、通常の傷よりも大幅に時間がかかります。 




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   ▼  ▼  ▼





 拠点となる家に逃げ帰ってから幾ばくか、睦月は一切口を開こうとはしなかった。
 精神的にどこか壊れたわけでも、あるいは錯誤に陥ったわけでもない。彼女は気弱な少女だが、それでも最後の一線で踏みとどまれる程度の修羅場は潜り抜けている。
 けれど、それでも。
 艦娘という責務から一度解き放たれれば単なる小娘に過ぎない睦月では、到底受け止めきれないほどの精神的重圧がかかっているのは事実であり。
 故にこその沈黙。朝靄が払われ澄み切った青空が広がるこの時間帯においてなお、彼女の周囲は暗く澱んでいる。
 カーテンも何もかもを閉じきって、少女は己の部屋の中に閉じこもったままだ。

「……」

 そして、彼女の従僕たるケルベロスもまた、自らの思考の海に埋没していた。
 無論のこと、動物会話による周囲の索敵等は欠かしていない。けれどそれ以上に、今の彼には考えなければならない事項が存在する。

(……マサカ、マサカナ……)

 令呪により睦月を確保して逃げ去る際に、ちらりと目にしたその姿。痩身の鋼のような体躯、翠緑色の服装、泰然とした雰囲気。
 それはまるで、遥かな過去に置いていかれた主のようにも見えて。

(アリエナイ事デハナイ……冥府ノ底ヘト旅立ッタ魂ガ舞イ戻ル事モアル。マシテ聖杯ヲ名乗ルナラバ、ソノ恩寵ノ一欠片デモ死者ヲ連レ戻セルヤモ知レヌ)

 覆水が盆に還ることも、死者が墓から這い出ることも、神の奇跡が地上に存在することも、パスカルは実体験から周知している。
 なにせ彼は英雄と神殺しに付き従い、神魔の蔓延る戦乱の世を駆け抜けた破格の魔獣である。ありえないこそがありえないのだと、何より彼が身に染みて理解していた。
 だから彼の考える甘い幻想も、可能性は決して零ではないと分かる。けれど。

 けれど、いくらここで考えても結局は推論に過ぎない。情報はどこまでも足りず、己が目で見た事実すらほんの僅かである。
 だからこそ、パスカルは何を置いてでも真実を確かめに行きたかったが、ここで睦月の令呪が行動を阻害する。
 睦月を助けるというその命令内容は未だに継続中だ。危機的状況から脱したとはいえ、この新宿は未だ死地。サーヴァントの追撃から完全に逃れたとは言いがたく、故にあと幾ばくかの時間パスカルは拘束されることになる。

(ダガ、本当ニ彼ガコノ街ニイルノダトスレバ、俺ハ……)

 白銀の獣はただ黙して機を待つ。その心中に、弾けかねないほどの情念を抱いて。
 ふと、空を見上げてみた。雲ひとつない青空はどこまでも突き抜けるようで、だからこそ思い出してしまうのだ。
 昔日の記憶。陽だまりに包まれた公園で、かの少年と戯れた遥かな過去。
 あの日に戻れたならば、どれだけ幸せなことだろう。だが、今の彼は飼い犬に非ず。そしてこの舞台もまた、平和なひと時の流れる日常ではないのだ。
 微かな未練と拭いきれない希望を胸に、パスカルは面を伏せて時を待つ。未だ治癒せぬ愛の病は、二人を静かに蝕んでいる。 

 彼らの道は未だ交わらない。
 孤独の英雄とその番犬の再会には、未だ機が熟していないのだと運命が如実に訴えていた。
 聖杯へ至る戦は、まだ始まったばかりなのだから。

 


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【早稲田、神楽坂方面(山吹町・睦月の家)/1日目 午前8:00分】 

【睦月@艦隊これくしょん(アニメ版)】 
[状態]健康、魔力消費(中)、弱度の関節の痛み、精神疲労
[令呪]残り二画 
[契約者の鍵]有 
[装備]鎮守府時代の制服 
[道具] 
[所持金]学生相応のそれ 
[思考・状況] 
基本行動方針:聖杯を手に入れる……? 
0.……
1.如月を復活させたい。でもその為に人を殺すのは…… 
2.出来るのならば、パスカルにはサーヴァントだけを倒してほしい 
[備考] 
・桜咲刹那がランサー(高城絶斗)のマスターであると認識しました
・ザ・ヒーローがバーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)のマスターであると認識しました。
・パスカルの動物会話スキルを利用し、<新宿>中に動物のネットワークを形成してします。誰が参加者なのかの理解と把握は、後続の書き手様にお任せ致します
・遠坂凛の主従とセリュー・ユビキタスの主従が聖杯戦争の参加者だと理解しました




【ビースト(パスカル)@真・女神転生】 
[状態]霊体化、魔力消費(中) 、肉体的損傷(小) 、令呪『睦月を助ける』継続中。
[装備]獣毛、爪、牙 
[道具] 
[所持金] 
[思考・状況] 
基本行動方針:聖杯の獲得 
1.ザ・ヒーローの蘇生 
2.先ほど垣間見た影は、まさか……
[備考] 
・ランサー(高城絶斗)、バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)と交戦。桜咲刹那をマスターと認識しました
・ランサーが高い確率で、ベルゼブブに縁があるサーヴァントだと見抜きました
・戦闘中に行ったバインドボイスは、結構広範囲に広がってたようです。
・ザ・ヒーローのことはちらっとしか見てません。なので自分の知る主と同一人物なのか確信に至ってません。




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   ▼  ▼  ▼ 





【詳細は以上だよ、バーサーカー。僕はこれから翼のマスターを追跡しようと思う】
【了解した。これより私はお前の下に帰還する。先行してマスターの捜索に当たるといい】

 極めて短く会話を済ませ、そこで念話を打ち切る。必要最低限の連絡以外、今の彼らは必要としていない。
 マスターから供給される膨大な魔力で急速に修復されていく体を見下ろし、しかしヴァルゼライドはただ前のみを見据えて進撃する。

「手傷は負わせた。令呪も削った。だが足りん。ここで打ち倒せずして何が英霊か」

 蠅の王は星辰光に紛れてまんまと逃亡せしめた。しかし、確実に手傷は負わせたのだという手応えが得物を握る腕に強く感じている。
 冥府の番犬は主の令呪により撤退を開始した。令呪の補助がある以上、これより追跡するのは不可能に近いが、一画消費させただけでも良しとする。
 普通ならばそう思うだろう。しかし彼らはそうではない。確実に息の根を止めてこその勝利であると、言外に滲ませて追撃を開始するのだ。
 ヴァルゼライドは霊体化して主の下へと帰還する。ただ敵手を滅ぼすために。

 英雄は止まらない。涙を希望と変えんがため、男は大志を抱くのだ。
 勝者の義務とは貫くこと。故に止まらず、重ねて不屈。道は重いが、しかしそれを人々の笑顔に変えるため、男は鋼の剣となって邁進する。
 この選択が必ず世界を拓くと信じて―――光の英雄(殺戮者)はただその宿業を己に課して歩み続けるのだった。




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【早稲田、神楽坂方面(早稲田鶴巻町・住宅街)/1日目 午前8:00分】 

【ザ・ヒーロー@真・女神転生】 
[状態]健康、魔力消費(中)
[令呪]残り三画 
[契約者の鍵]有 
[装備]ヒノカグツチ、ベレッタ92F 
[道具]ハンドベルコンピュータ 
[所持金]学生相応 
[思考・状況] 
基本行動方針:勝利する。 
1.一切の容赦はしない。全てのマスターとサーヴァントを殲滅する。 
2.遠坂凛及びセリュー・ユビキタスの早急な討伐。また彼女らに接近する他の主従の掃討。
3.翼のマスター(桜咲刹那)を追撃する。
[備考] 
・桜咲刹那と交戦しました。睦月、刹那をマスターと認識しました。
・ビースト(ケルベロス)をケルベロスもしくはそれと関連深い悪魔、ランサー(高城絶斗)をベルゼブブの転生体であると推理しています。ケルベロスがパスカルであることには一切気付いていません。

【バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)@シルヴァリオ ヴェンデッタ】 
[状態]全身に炎によるダメージ、バインドボイスによる鼓膜破壊。
[装備]星辰光発動媒体である七本の日本刀 
[道具]なし 
[所持金]マスターに依拠 
[思考・状況] 
基本行動方針:勝つのは俺だ。 
1.あらゆる敵を打ち砕く。 
[備考] 
・ビースト(ケルベロス)、ランサー(高城絶斗)と交戦しました。睦月、刹那をマスターであると認識しました。
・ザ・ヒーローの推理により、ビースト(ケルベロス)をケルベロスもしくはそれと関連深い悪魔、ランサー(高城絶斗)をベルゼブブの転生体であると認識しています。
・ガンマレイを1回公園に、2回空に向かってぶっ放しました。割と目立ってるかもしれません。
・早稲田鶴巻町に存在する公園とその周囲が完膚無きまでに破壊し尽くされました、放射能が残留しているので普通の人は近寄らないほうがいいと思います。 

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