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Those Who Bear Their Name」を以下のとおり復元します。
 ムド。それは、人のみならず悪魔にとっても恐るべき呪文である。
相手の魂や、肉体を構成する核や基盤に呪力を以って訴えかけ、そのまま相手を『呪殺』。これに直撃してしまえば、最後。
その肉体は黒い汚穢、或いは黒ずんだ砂のような物になり、嘗て立っていた場所に堆積するしかない。つまりは、即死する。
天地を哭かしむる鬼神であろうが、神の威光を背負った大天使であろうが、地の底の万魔を統べる魔王であろうが、関係ない。
呪力による耐性が皆無であるのなら等しく、この呪文で殺され得る。故に、誰もがこの魔術を恐れた。そしてそれは、英雄であるザ・ヒーローとて、帝都の守護者である葛葉ライドウとて、例外ではない。この呪文は悪魔の使う魔術の中でも特に警戒するべきもの、と言う認識は彼らの間でも共通の物であった。

 その恐るべき呪文が、今まさにザ・ヒーローの命を無慈悲に刈り取ろうとしていた。
マハムドオン、それが英雄を一瞬で亡き者にしようとしてる魔術であるが、これは悪魔の用いる『呪殺』のカテゴリに属するものの中で最高レベルのそれである。
これによる即死を防ぎたければ、呪殺自体が通用しない程高い対魔力を誇るか、そもそも直撃しない、発動させないしかない。
そしてそのどれもが、今のザ・ヒーローには出来ない。万策尽きた、しかしそれでも彼は諦めない。
窮状に在って、折れず、挫けず、諦めない。だからこそ英雄なのだと、己の従える英雄のバーサーカーの勇姿が教えてくれたからである。

 今まさに成立しようとしているマハムドオン、この魔術の構成の核を見抜いたザ・ヒーローは、これを打ち砕こうとヒノカグツチを振り上げようとする。
振り下ろすのが先か、自分が殺されるのが先か。その答えが今まさに明らかになる、と言うタイミングで、それは起こった。
今自分達が戦っている、新国立競技場のフードコート。そこに繋がる壁を突き破って、何かが勢いよく、ライドウ達が熾烈な戦いを繰り広げるこの戦場にやって来たからだ。
バッ、と、英雄に王手を掛けんとしていたライドウがその方向に顔を向ける。マグネタイトで強化された優れた動体視力が、この場に現れた闖入者の正体が、
黒灰色のローブに身を包んだ屈強な大男である事を認めた。そしてその大男は、何か強い衝撃を貰ったのか、凄まじい勢いで水平に、今も吹っ飛んでいる最中だった。
大男は体勢を吹っ飛ばされながらも、何とか体勢を整えようと身体を動かすのだが、それよりも速く、ヒノカグツチを構えているザ・ヒーローの方へと行き――そのまま激突。
「ぐっ!?」、と言う苦悶が、炎の剣を握る男から漏れ、彼をマハムドオンの範囲外までぶっ飛ばしてしまった。
そして、ザ・ヒーローがクッションになった事で初めて、大男、魔将ク・ルームがその勢いを止めるのだが、先程純恋子に蹴り飛ばされた勢いが止まった場所が、
事もあろうにマハムドオンの範囲内であった。そして、この強力な呪殺の呪文は破壊されておらず、今まさに成立を見た。
呪力が、ク・ルームの肉体と魂を砕こうとする。闇色の光が、床に刻まれた法陣からカッと溢れ出、それに呑み込まれるが……ク・ルームの身体には何一つとして、
変化が起きていない。さもありなん、ク・ルームもとい魔将と言う存在は、一度死した身の上が始祖帝タイタスによって魂を縛られ、
輪廻の輪に還る事無く現世を生かされ続けるある種の『幽鬼』なのである。魂の在り方を改竄された彼らは、通常の人間や悪魔に比べて、呪殺の効きが弱い。
故にク・ルームは、マハムドオンの直撃を受けても、呪力によるダメージ程度で済んでいるのだ。真っ当な存在ならば、直撃の時点で黒い砂の堆積である。

「何が……!?」

 ク・ルームとの激突によってぶっ飛ばされた先で、膝を付いていたザ・ヒーローが立ち上がり、現状を認識しようとする。
今消えかけているマハムドオンの法陣の只中で膝を折っているク・ルーム、彼とザ・ヒーローに交互に目配せしているライドウ。状況を、ゼロカンマ五秒で把握した。
自分は如何やら、ローブを纏うあの男との衝突で、マハムドオンの範囲外まで吹っ飛ばされたらしく、しかもあの男は、
今まで戦っていた影法師の青年の使役する悪魔では断じてない、此処にいない誰かが使役する存在である事。これらの情報を一瞬で認識。そしてライドウもまた、同じ程の時間で、ザ・ヒーローと同様の所感を得ている。

 ク・ルーム目掛けて、コルトの銃弾を発砲するライドウ。
目にも留まらぬ速さで大剣を振い、ライドウの放った三発の弾丸を尽く弾き飛ばして行く。しかし、これは本命ではない。
本命は、先程からずっと、此処屋内フードコートに来る前にいた直近の廊下の方に待機させていたケルベロスの放つ、火炎の魔術。
発砲は、この魔術の成功させる為の牽制、ク・ルームをその場に縫い付ける為の行動に過ぎなかった。

 悪魔達やそれを使役するデビルサマナーの間では、『アギダイン』と呼ばれるこの魔法を以って、ライドウは始祖帝の腹心たる封竜の英雄を滅ぼさんとしていた。
ク・ルームの頭上で、直径数m程もある火炎の球体が何の前触れもなく顕現し、それが、炸裂。
効果範囲を絞った分、威力が高められたその火球が炸裂する様は、星が寿命を迎え爆発する様を間近で見るが如くであり、一瞬フードコート中を橙色の光に染め上げた。

「グォォオッ……!!」

 溜まらずク・ルームは苦しみの声を上げる。ケルベロス程の魔力の持ち主が放つアギダインの温度は、軽く数千度を超え、条件次第では一万度をも超える。
如何にサーヴァントや悪魔と言う存在と言えど、それだけの超高温をまともに浴びてしまえば一溜りもない。灰も残らず消え失せるのが、道理の筈だった。
しかし現実にはそうならず、ク・ルームの鍛え上げられた身体、頭から下半身を含めた全身の半分近くを炭化させると言う結果に終わってしまう。
当然ク・ルームの負ったダメージは大きいのだが、この烈士は今の状態からでも、油断が全く出来ない程の戦闘力を発揮する事が可能な、戦闘続行能力を持つ。
始祖帝の編み上げた魔将の外衣が、明暗を別った。ただ魂を縛る秘術を使うだけでは、魔将には至らない。それだけでは条件の半分しか満たせない。
残りの半分は、始まりのタイタスのみが生み出せるこの外衣の力が必要となる。魔将としての存在を強固にする他、この外衣には優れた対魔力の効果が付与されている。正にこの対魔力こそが、ケルベロスの放ったアギダインを防ぐ要となったのである。

 炭化していない方の、大剣を握った左腕を大きく横薙ぎにするク・ルーム。
何かに気付いた様に、ライドウとザ・ヒーローは己の得物を何かに合わせて振う。何かが砕ける音が、明白に響き渡った。
ク・ルームが放った真空の一撃である。優れた剣術の持ち主であれば、得物の刃渡りの外から容易く攻撃を仕掛ける事が出来るのだ。
魔将が葬ると決めたのは、ライドウの方だった。右腕同様、炭化していない方の左足で地面を蹴り、足一本で、十数m先にいる彼の所まで斜め四十五度の角度で一っ跳び。
まだ宙を飛んでいるその状態で、ク・ルームは大剣を上段から振り下ろすが、突如目の前に現れた鋼の壁が、大剣の進行を防いだ。
火花が飛び散り、耳が痛い程の金属音がク・ルームの耳朶を討つ。彼が一瞬鋼色の壁と見たものは、彼とライドウの間に現れたケルベロスの横腹であった。
敵対者の攻撃から主であるライドウを守る盾となるべく、この忠犬は先程までいた場所から急いで向かい、見事冥府の番犬の忠誠とはを示して見せたのだ。
ク・ルームが驚くよりも速く、彼の側面から、オーストラリアの先住民族アボリジニが武器とする、ブーメランが超高速で飛来。
これを大剣でいなし、やり過ごしたと同時に床に着地。何処から、今の武器が飛んで来たのかと神経を研ぎ澄まそうとするク・ルームだったが、
その行為は、猛速で此方に迫りくるザ・ヒーローの気配を感じ取った為に、中断せざるを得なくなる。

 鋼の強度と鞭の靱性を兼ね備えた長大な尻尾を振い、ク・ルームとザ・ヒーローの双方を薙ぎ払わんとするケルベロス。
前者の方は片足でステップを刻み、寸での所で軌道上から逃れ、後者の方は絶妙な体捌きを行い紙一重で回避。そのままライドウの方へと向かって行く。
が、ライドウの方は、ザ・ヒーローと言う強敵とは今は決着を付けないらしい。彼よりもより、仕留めるのが早い位酷いダメージを負ったク・ルームを先に葬ろうとした。
佇むケルベロスの背中の上に一瞬で乗った彼は、其処を足場に跳躍、ク・ルーム目掛けて一直線に飛んで行った。ザ・ヒーローがヒノカグツチを振り被ったのと同じ瞬間だった。
ライドウの接近に気付かぬク・ルームではない。大剣を彼が構えるのと同時に、ライドウの握る霊刀・赤口葛葉の刀身が、太陽をその身に宿したが如く赤熱し始めた。
ケルベロスが己の魔力をライドウの得物に纏わせたが故である。魔力や霊力の『正』の影響を受けやすいからこそ霊刀。その中でも群を抜いた業物たる赤口葛葉だからこそ、可能な芸当であった。

 振われ始めた大剣に合わせてライドウが、赫々と照り輝く赤口葛葉を振い、互いの剣身と剣身が激突。
――目深に被られたフードの奥底で、ク・ルームの瞳に驚きの光が灯った。剣身と剣身が衝突し、戛然たる金属音を鳴り響かせる、と思いきや。
赤口葛葉の細身の剣身が、肉厚なイメージを想起させるク・ルームの大剣に果実に刃を突き入れるように食い込んで行き、そのまま溶断、大剣の剣身を斬り飛ばした!!
動かせる方の腕で握った大剣を破壊されてしまった為に、攻撃の手段が魔術のみに限られてしまったク・ルーム。彼が魔術を発動させるよりも速く、
ライドウは返す刀で極熱を内に秘めた得物を一閃、ク・ルームの胸部に一撃を見舞う。攻撃のおこりをク・ルームは見切り、バックステップを刻む事で、
何とか完全な直撃を防ぐ事は出来たが、赤口葛葉の熱によって身に纏っていた軽鎧は完全にガス蒸発を起こし、そればかりか刀の剣先が彼の魔将の胸部を抉った。
火箸を突っ込んだ、と言う言葉ですらが生温い極熱を伴った、鋭いのか鈍いのか解らない程の痛みがク・ルームの身体中を支配する。
ここで、ク・ルームは這う這うの体であると先走り、突っ込んで行かないのが、ライドウが優れた戦士たる所以である。敵は、彼一人ではないのだ。
背後から迫るザ・ヒーローの気配を察知した黒衣の書生は、紅蓮の刀を後ろ手に振るい、人一人を呑み込む事など訳はない大きさの熱波を放った。
接近を中断したザ・ヒーローが、記紀神話に於ける母神殺しを成した神と同じ名を冠した燃える神剣を振い、熱波を砕いて見せる。
立ち止まった気を狙い、ケルベロスが彼の方へと襲い掛かる。大口を開かせて迫る鋼色の獣毛を持つ獅子、鉄塊すら噛み砕く牙による噛合を、彼はサイドステップを刻んで回避した。

 その間ク・ルームは迅速に魔術を構築し、ライドウ目掛けて紫色の稲妻を落そうとする。
ライドウ程の戦士が相手では、大規模な範囲と威力の魔術を発動するのも手一杯、短い時間で発動出来る魔術等威力もたかが知れているが、それでも、
人間に命中してしまえば容易くその命を刈り取る程の威力は持ち合わせている。魔術の発動の瞬間を読んでいたライドウは、脳天を砕かんと迫るその稲妻を、赤口葛葉を振り上げて真っ二つに切断、破壊する事で難を逃れる。

 ――これが、本当に人間の力なのか……!?――

 人間の力を侮っている訳ではない。
ク・ルームが恐るべき竜王を屠ったのは人間であった時の頃であるし、そもそも彼の主である始祖のタイタスも嘗ては人間であり、
その時からク・ルームを超える強さを誇っていた。そう、一握りではあるが人間の中には、神も魔も瞠若する強さと知恵を持つ者が確かに生まれる事があるのだ。
そうと解っていても、戦慄する他ない。ライドウと、彼と先程まで戦っていたザ・ヒーローの強さは、下手なサーヴァントをも上回る。
少なくとも、タイタスがこの地で生み出した、生前より劣化した強さの魔将程度では話にもならないだろう。そんな存在が、マスターとして活動している。
これは始祖タイタスの陣営……いや、他の主従にとっても脅威となる話だ。虹を操る少女との戦いで疲弊し、更にライドウと彼の操る悪魔の手によって、
致命的なダメージを与えられた今のク・ルームでは到底勝つ事は不可能だろう。信条に悖る行為ではあるが、この場は退散し、タイタスの下へと帰還するのが得策だろう。
タイタスの傀儡となるべき宿命にあるムスカと言う男は、既に新国立競技場から逃れている事は確認済みだ。自分も、いつまでも此処に長居をする理由はない。
地を蹴ってステップを行い、この場から退散しようと、ライドウから十数m距離を離した、その時だった。

 ――瞬間、ク・ルームから見て背後、この場にいる全員が意識もしていなかった事だろうが、競技フィールド場の方角にある壁が、爆発した。
爆発した瞬間鉄筋コンクリートの壁は、瓦礫どころか砂粒一つも残らず消滅。封竜の魔将や、稀代のデビルサマナーの瞳を、黄金色の熱光が満たした。
バッと、背後を振り向いた瞬間、黄金光はク・ルームの半身を通り過ぎ、そのまま更に直進して行く。
戦士達の瞳に映った光の正体は、一直線に進み続ける金色の爆光線だった。それはそのまま向かい側の壁にも激突、壁を爆発させ、
進行ルート上にあるものを鎧袖一触するように爆散・消滅させながら、彼方へと消えて行った。この時、音が遅れて部屋中に響き渡る。
小規模な核爆発を思わせる程の轟音だった。フードコート中の備品、それこそ厨房にある調味料の小瓶や食用油やケチャップなどが入った業務用の一斗缶、業務用冷蔵庫から食品のサンプルが設置されたガラスのショーケース、天井に備えられた照明類に至るまで、全てが面白い様に揺れ始めた。余波となる音響だけで、この始末なのだ。直撃した時の威力など、想像だに出来まいと言う事を認識させる、恐るべき、黄金光の力よ。

 ク・ルームの胴体の実に五割弱が、黄金の光の直撃を受けて、完全に消し飛んでいた。
爆光線が通過した痕をなぞる様に彼の身体は消滅、血液がたばしり出る事すら遅れていた。
ク・ルーム自体、己の身に何が起こったのかを認識出来ずにいた。痛みが遅れ、痛みを超越する程、先程此処フードコートに起った現象が、一瞬の出来事だったからだ。
それが、ザ・ヒーローのサーヴァント、クリストファー・ヴァルゼライドの放った宝具、ガンマレイであると理解したのは、流石にライドウよりザ・ヒーローの方が早かった。
彼よりゼロカンマ一秒程遅れて、ライドウもこの場に起った破壊現象の正体を突き止めた。契約者の鍵から投影された情報から考えるに、それしかないだろう。
唯一攻撃の正体が理解出来ていなかったのがク・ルームだ。彼のいた世界での神々の王・ハァルの雷霆を思わせるが如き黄金の光、それが齎す痛みを漸く身体が認識。
彼が生前経験した事のない、言語化不可能な程の痛みが脳髄を支配し尽くす前に、この場で自分が取るべき行動を思い描けたのは、奇跡の様な偶然だったろう。
彼は消し飛ばされていない方の右腕が握った大剣で、己に首に剣身を当て、そのまま己の首を自らの手で刎ね飛ばした!!
「何!?」とライドウが驚いた時には、ク・ルームの首は宙高く舞っており、それが最高度に達した瞬間魔将の身体は塵と変じ、
纏っていた魔将の外衣は風もないのに独りでにこの場から遠ざかろうと、鳥の如く飛んで逃げて行く。其処目掛けてライドウが、ケルベロスの魔力を纏わせた弾丸を発砲、着弾するも、外衣は燃える事無くその場から逃げ果せた。

 ――逃がしたか――

 あの男には色々尋問するべき事があったが、逃がしてしまってはしょうがない。
ク・ルームの事を留意しながらも、ライドウは当初の目的、目の前の強敵であるところのザ・ヒーローの撃滅に意識を切り替える。
今までケルベロスの烈しい攻撃を避け続けていた彼は、ライドウの使役する冥府の番犬が振り下ろす右前脚をバックステップで回避。
着地するや、彼の方も、意識と目線を黒衣のサマナーの方に投げかける。睨み返しながらライドウが、弾のリロードを終え、銃を構えた。

 この瞬間であった、競技場全体が、この世の終わりを告げるが如き大地震に見舞われたのは。
辺り一面から、様々な物品が落下したり、その衝撃で割れる音が聞こえてくる。この揺れの強さだ、厨房の中の物が全て落ちてしまっているのだろう。
常人なら立つ事すらもままならず、屈むしかない揺れの中にあって、ライドウとザ・ヒーローは足から根でも張っているが如く直立不動の姿勢を崩さない。
【チミ、よくこの揺れの中平気で立てるっスね……】と、今の今まで目につかない所に待機させ、隙を見て攻撃を加えろと言う命令を守っていた、
夜魔……もとい外法属にラベル分けされる悪魔、モコイが念話でライドウの事を遠回しに化物認定して来る。【黙って息を潜めていろ】、とライドウの返答はシビア。【ワオ冷淡】、とモコイはライドウの塩対応にややショックを憶えたようだった。

 ク・ルームに甚大なダメージを与えた光と、今しがた起こった激震。
それらを齎した人物が、ザ・ヒーローの使役するサーヴァントであるバーサーカー、クリストファー・ヴァルゼライドである事は今更であろう。
契約者の鍵で得ていた情報だけでは判然としなかったが、実際にその宝具を見てみると、想像以上の威力に舌を巻く。
上位悪魔が使う呪文の中でも強力な者の代名詞、メギドラオン、それをライドウに想起させる程の威力を今の一撃は有していた。
この狭い街に於いて、今のような宝具を連発されるのは危険過ぎる。恐らくは己の相棒であるダンテが、ヴァルゼライドと戦っているであろう事は想像に難くない。
速い所自分がザ・ヒーローを葬り、決着を付けねばならない。コルト・ライトニングのトリガーを引こうとした、その時。
ク・ルームがこの場所に吹っ飛ばされてやって来た際に開けられた穴が、ボゴンッ!!と言う音を立てて吹っ飛び、其処から新たな気配が二つも現れた。

「? 見当たりませんわ……」

 二人の内の一人、黒いライダースーツの様なものを身に纏った少女が、握り拳を作った状態で伸ばした右腕を降ろしてから、何かを探す様にフードコートに目を配らせる。
そして、余りにも壮絶なこの場の破壊ぶりに対して、驚きの光がその双眸に灯った。此処屋内フードコートに足を運べば、真っ先にライドウ達の戦闘の余波が齎した破壊の有様に目が行く筈なのだが、如何やら闖入者の少女は、それが気にならない程の優先順位の相手を追っていたようだ。

「ッ――!!」

 対して、二人の内もう片方、七色の円環を背負い、天使の降臨めいたリング状の中を頭上に浮遊させている、桜色のコスチュームの少女は、
此処に来た当初から破壊の有様に驚いた様子であった。そして今は、その光景よりも、この場にいる人物。
もっと言えば、ザ・ヒーローの方に驚きのウェートが傾き続けている事を、ライドウは少女の挙措から見抜き、見逃さなかった。
そして、彼女――虹色の環を背負う少女が、アサシンのサーヴァントである事もまた、ライドウも、そしてザ・ヒーローも、認識している。恐らくは、ライダースーツの女性がマスターだろう事は、想像に難くない。

「其処の貴方方!! 何処に――」

「そこにいるのは、クリストファー・ヴァルゼライドのマスター!! 助力を致しましょうか!?」

 と、ライダースーツの少女――英純恋子の声をかき消す様に、アサシン、レイン・ポゥはライドウ目掛けて叫んだ。
協力の申し出である事は深く考えずとも解る。問題は何故、初対面かつ、素性すら解らぬ自分に逡巡もなしに協力しようと考えたのだ、と言う事をライドウは考える。
如何も声のトーンから言って、令呪が欲しいと言うよりも、不都合な事を言いかけたマスターの出鼻を挫く為に、大声を張り上げた、と考えるのが適切なようだ。
その意図は窺い知れないが、何れにしてもザ・ヒーローを葬る為に力を貸してくれると言うのならば、有り難い話はない。一対一で正々堂々と決着を、等とはライドウも端から考えていない。他者と協力し、数の利を活かして倒す事もまた、必要な事柄である。

【――サマナーくん、そいつクロっす】

 協力を受け入れようと口を開きかけたその時である。ある厨房に隠れさせていたモコイが、念話でそう語りかけて来たのは。

【何を読んだ】

 真剣な調子で、ライドウも念話を送り返す。モコイの先入観やバイアスから来る無根拠の批判、等とはライドウは全く考えていない。
この悪魔に限っては、それはない。簡単な話である。何故ならばモコイ――いや、外法属と呼ばれる悪魔達は皆、『読心術』に長けるのだ。
この国に伝わる妖怪の一種である覚(さとり)のような物だ。相手が心を閉ざす手段を持っていたり、高ランクの対魔力等を持っている等の防衛手段を持たない限り、
モコイは確実に相手の心を読む事が出来る。レイン・ポゥは確かにサーヴァントであり、ある程度心を閉ざす手段を持っている。しかし、アサシンクラスで召喚され、歴史も浅い現代も現代の英霊の為に、対魔力を有していなかったと言う事が今回の結果を招いた。今の彼女は、モコイに心を読まれている事など、露程も思っていなかった。

【サマナーくんの敵を殺したいって言うのは本心。ただ、隙見せたら殺そうかとも同時に考えてるッス】

【今回の事件の犯人だと思うか?】

【ではないッスね。心覗いても、そのチャンネー達は今回の事件に翻弄される側ッス】

【要するに、単なる嘘吐きと言う事か】

 成程、確かにアサシンらしい立ち回りである。勝つ為ならば、その方針は正しいと言える。
だが、嘘吐きと知れてしまった嘘吐き程、その寿命は短い。レイン・ポゥは、その立ち回りの要となる『演技』をライドウに見抜かれた時点で、既に勝ちの芽は摘まれていた。
――だが、彼女が嘘吐きだと今理解しても、だ。

「助力を頼む」

 最終的に自分に牙を向く事が解っていても、ライドウはレイン・ポゥの協力体制を受け入れた。
目の前のアサシンが自分を裏切るとしても、あくまでもターゲットはライドウ一人である。これは、良い。全てが終わって此方を殺そうと動いた時、殺し返せば良いだけだ。
だが、ザ・ヒーローと言う男は使役しているサーヴァントの都合上、如何なるタイミングでも大破壊、大殺戮を招き得る危険性がある。
レイン・ポゥの主従も自分達の行動の妨げになると言う意味ではマークするべき存在ではあるが、ザ・ヒーローと比べたらまだ可愛いもの。
前者の方はあくまで聖杯戦争参加者個人の敵なのに対し、後者の方はなりふり構わず死を振り撒く可能性がある、程危険極まりない存在達であるからだ。
それに、殺そうと思っていても、今の時点でレイン・ポゥはライドウを殺そうとは思ってない。ザ・ヒーローを葬るまでは、一応は協力はすると言うのだ。
これは今のライドウには有り難い申し出だ。本気でザ・ヒーローを葬ろうとなると、最悪使役する悪魔の一体が犠牲になる可能性が強い。
その最悪の事態を防げる可能性も高い。つまりライドウは、此処で自分が殺されるリスクよりも、此処でザ・ヒーローと言う強敵を殺す為の利害の一致を選択した。

「了解!! 一緒に叩くよ、マスター!!」

 やけにデカい声を張り上げて、レイン・ポゥはマスターである英純恋子にそう言った。
如何やら厄介なマスターの下に召喚されたサーヴァントらしいと言うのが、彼女の態度からも十分伝わった。
マスターが使役するサーヴァントを選べないように、サーヴァントもまた仕えるマスターを選べない、と言う当たり前の原則を、再認させられる瞬間なのであった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 運命と呼ばれるものは、本人が意識していないだけで、きっとある。ヴァルゼライドはそう考えていた。
ロマンチストを気取る訳ではない。運命と言う言葉は何も愛や恋等の甘い逢瀬を指すだけではない。
時として運命と言う流れの渦中にある者に、試練や苦難と言う形で、運命は降りかかってくる事がある。
これは『宿命』とも言い換える事が出来、これは当該人物の生涯の中で一度のみならず幾度も幾度も立ちはだかり、聳え立とうとする門番の如き偶然の事を指す。

 ――死して英霊となった身でもなお。
クリストファー・ヴァルゼライドには運命、或いは宿命が付いて回るのである。
成就すべき野望と祈りを圧し折り挫かんと、高い壁・万夫不当の強敵が立ちはだかる、と言う運命が。
それはあたかも、英雄譚の構成(プロット)に似ていた。一騎当千、国士無双の英雄が、その優れたる力を以て当然のように、大いなる活躍を成し遂げた。
そんな話は、面白味も何もない。其処に、英雄の同等の力を持つ反存在(アンチ)や敵対者、英雄ですら危機に陥らせる巨大な竜や悪しき鬼等の怪物。
そして何より、英雄の力でも如何する事も出来ない世の中の不条理等が襲い掛かる事で、英雄譚は厚みと深みを強めさせる。
英雄の活躍に、強大なる敵の存在は必要不可欠なのだ。つまり――鋼の英雄であるところのクリストファー・ヴァルゼライドの前に、受難が待ち受けている事は、当然の帰結なのである。何故なら彼は、誰もが認める英雄であり、全ての悪を焼き尽くす光なのだから。そしてそんな英雄の前に、彼と同等以上の力を持つ戦士や魔人、悪魔が遣わされるのもまた、物が上から下に落ちるが如くに当たり前の事柄なのだ。

 秒間百発にも届こうかと言う程の銃弾の雨霰をヴァルゼライドは、黄金色の死光(ガンマレイ)を纏わせた刀で弾き飛ばす。
人体の急所から末端に至るまで、凡そ人体に直撃すれば即死、行動困難、戦力の低下、そのどれかを必ず引き起こす部位に、寸分の狂いもなく弾は迫る。
これを、残像が目で負えぬ程の速度でヴァルゼライドが、刀を高速で振るい弾き飛ばすのである。
ヴァルゼライドが弾丸が放たれた方角を睨みつける。目線の三十mで、酷薄な笑みを浮かべ、エボニーとアイボリーの二丁拳銃を構えるダンテがいた。瞳が、笑っていない。
弾を弾いた時に腕に伝わる衝撃の、何と重き事か。ダンテの弾丸の一つ一つには、悪魔の身体に風穴を開け竜の鱗を粉砕する程の魔力が纏わされている。
着弾時の衝撃たるや、対物ライフルのそれにも匹敵或いは上回る。一般的な強さの水準のサーヴァントならば、剣で弾丸の十発までは弾き飛ばせよう。
だがそれ以上になると、腕に襲い掛かる蟻が這い回るような痺れに苦しみ、腕を動かせなくなるだろう。そんな状態を、ヴァルゼライドは露程も見せていない。
迫る弾丸を全て弾き、その身体には傷一つない。腕は当然、刀を振るう事を止めたい程の痺れで蝕まれている。その痺れを無視出来る理由は、ただ一つ。『気合と根性』、であった。

 腕を動かし弾丸を弾き続けているのでは、攻勢に出れないので完全なるジリ貧に陥る。 
人外の速度で銃弾を連発して来るダンテ目掛けて特攻を仕掛けようと、足を踏みだし始めたその時、ヴァルゼライドの頭上から、スコールの如き勢いと総数で、
浅葱色の剣が降り注いで来たのだ。バージルが放つ、己の魔力を剣の形に練り固めた飛び道具、幻影剣。彼は英雄から二十m左に離れた地点に佇んでいる。
右手で握った刀で弾丸を弾き飛ばしながら、左腕に握った刀を仰ぐように振うと、フロントガラスに付着した水滴をワイパーで拭いたような黄金色の被膜めいた物が、
たった一秒、ヴァルゼライドの頭上に展開される。短い時間だが、それで十分だった。音速の三倍の速度で迫る幻影剣は、爆光の膜に直撃した瞬間煙も残らず消滅、結果的に攻撃を防御する事に成功したのだから。

 バージル目掛けて、左手で握る、黄金色の光が纏われたアダマンタイトの刀をヴァルゼライドは振り下ろす、と。
頭上から黄金色の光の柱が、宛ら主神(ゼウス)の雷霆が罪を犯した物を裁かんとするが如くに、バージルの方に降り注いだ。
速度は亜光速、到底見てから反応出来る速度ではない。では何故バージルは――手にした宝具、閻魔刀の振り上げを以って、光速の99%にまで達するその一撃を斬り裂けたのか。
ヴァルゼライドの放ったガンマレイを斬り裂いた瞬間、初めからそんな物が存在しなかった様に、竹を割る様に二つに裂かれたそれが消え失せる。

 閻魔刀は、魔力を喰らう魔剣である。魔力で構成された飛び道具ならば、弾丸の様な形であろうがレーザーとしての体裁を保っていようが、その刀で斬られた瞬間、
担い手であるバージルの活動魔力として変換される。当然それは、至高・最強・究極とすら揶揄されるヴァルゼライドの切り札であるガンマレイとて、例外ではない。
如何に壮絶な破壊力を秘めた放射能光と言えど、本質は魔力(星辰体)である。閻魔刀で防いでしまえばその時点で、バージルの現界の為のリソースとなる。
単刀直入に言えば、ヴァルゼライドがバージルを相手に有利または互角だったのは、早稲田鶴巻町で勃発した最初の一戦だけであったと言っても過言ではない。
ヴァルゼライドの攻撃の速度を見切り、かつ、ガンマレイの落ちる瞬間を理解してしまえば、爆光の速度が光速に達していようが関係ない。
光速を見切る事は流石にバージルでも不可能だが、攻撃のタイミングが解ればそれに合わせて閻魔刀を振う事で、完璧に無力化しなおかつ魔力を喰らう事すら出来る。
今やバージルはヴァルゼライドにとって、最悪の相性の敵だと言っても言い過ぎではない。契約者の鍵を通じて得た光の英雄の宝具の内容を理解した上で、以前戦った時の経験を現在の戦いに適用させる。こうする事でバージルは、ヴァルゼライドの鬼札たるガンマレイを、完璧に見切っていた。

 この場で勃発した戦闘の初めから現在に至るまで、ヴァルゼライドは、ダンテとバージルの行動に思考が追い付けていた場面など絶無に等しかった。
頭で最適な行動をどう行うか、などと言う事を考えていたら、その隙に自分が殺されてしまうと直感的に解っているのだ。
持って生まれた戦いに対する天稟と、身体に漬け込まれ染みつききった戦闘の経験。そして、人類が有する中でも最高峰、その中でも更にトップの身体能力。
この三つの要素だけで彼は、人類など一笑に附す身体能力と超絶と言う言葉ですらも過小評価な絶技、そして、英雄と同等以上の戦闘経験を持つ魔人達と互角に渡り合っていた。思考が追い付かないのなら、己の身体が咄嗟に行う『反射』に全てを任せれば良い。無茶を通り越して、馬鹿げているとしか言いようがない、実現不可能なメソッド。だが、これが罷り通り、そして実際に実を結んでいるのは、この男が英雄・ヴァルゼライドだからに他ならない。彼でなければ、この無謀な方法論は結実しないのである。

 バージルの全身が、煙の様に消える。
それと同時にヴァルゼライドは刀を動かし、己の左脇腹を防護する様に剣身を置く。
――瞬間、刀を通じてヴァルゼライドの総身に伝わる、戦車の衝突を思わせるような凄まじい衝撃。
その衝撃にあおられ、彼の身体は滝壺に翻弄される木の葉の如くに吹っ飛んで行く。視界に映る風景が猛速で流れて行く、その劈頭の段階に、見た。
吹っ飛ばされる前まで彼が直立していた場所の近くで、閻魔刀を抜き払った状態でいるバージルの姿を。二十mの速度を数百分の一秒を下回る速度でゼロにする程の移動速度で間合いを詰め、其処で神速の居合を放ったのである。この絶技を疾走居合と呼ぶ事を、ヴァルゼライドは知らない。

 ヴァルゼライドは地に足つけて、無事に着地する事すら許されない。
トリックスターのスタイルに魔術回路を組み替え、鋼の英雄を基点とした瞬間移動を行うダンテ。移動先は、ヴァルゼライドの頭上だ。
その位置に達した瞬間、リベリオンを上段から凄まじい勢いで振り下ろし、彼の頭を真っ二つに叩き割らんとする。
ヴァルゼライドが、ダンテの攻撃に反応出来たのかどうかは定かではない。確かなのは、この英雄は頭で何かを考えるよりも速く右腕を動かし、
リベリオンをアダマンタイトの刀で紙一重で防御する事が出来た、と言う事だった。そして、魔力を纏わせた銃弾の衝突など問題にならない、ダンテの恐るべき膂力。
蒼コートの魔人の攻撃を防御して吹っ飛ばされている、と言う不安定極まりない状態からダンテの攻撃を防御したヴァルゼライドに、踏みとどまって攻撃の勢いを殺す、
などと言う事は出来ない。リベリオンの振るわれた方向、つまり空中から地面目掛けて勢いよく叩き落されると言う事実に、彼は抗う事は出来ない。

 地面に片膝立ちの要領で着地するヴァルゼライド。
その瞬間、自分の命の危機が迫っているのを、鞘に納刀された閻魔刀の柄にバージルが高速で右腕を伸ばしていると言う瞬間を視認した事で認識。
バッと左方向にサイドステップを刻み、十m程距離を離した瞬間、空間に縦横無尽に走る、青或いは紫にも見える色合いをした、空間の断裂。
早稲田鶴巻町で幾度となくヴァルゼライドを攻め立て、追い詰め、死をも覚悟させたバージルの絶技、次元斬だ。
何とこの男は、敵であるヴァルゼライドを、ダンテ共々この奥義で斬り殺そうとしたのである!! ダンテの方は技から逃げるのが遅れ、直撃は最早免れない。
現に、彼は次元斬が引き起こす空間の断裂に身体を斬り裂かれた――なのに。この男の皮膚は勿論、コートの表面にですら、斬られた跡が、ない!!
錯覚ではないとヴァルゼライドは理解する。次元斬を放った瞬間に合わせて、ダンテは奇妙な構えを取り、その構えを取っている間、次元斬が全く彼を相手に意味を成していない事を見ていたからである。

 両手に握った二本の刀、その切っ先を、蒼いコートの魔剣士と、今も宙に浮いたままの紅コートの魔人に合わせる。
そして、切っ先から放たれる、黄金色に激発する細い光条。ガンマレイの大きさを絞った物であるが、直撃した時の熱量や痛みは平時のそれと何ら変わらない。
切っ先が向けられたその瞬間、何が起こるか理解した魔人達。バージルの方は刀を高速で振り上げ、光条を斬り裂き無力化。
ダンテの方は、ガンマレイの光線を、ロイヤルガードのスタイルで防御、ガンマレイによるダメージは元より、放射線によるダメージすらも、弾き飛ばしていた。

 バージルの背後に幻影剣が十本展開される。切っ先は当然、ヴァルゼライドの方角に全て向けられている。
一方ダンテの方は、地面に着地するや、リベリオンをヴァルゼライドの喉元へと乱暴に投擲。初速の段階で音の速度を超えた魔剣が、凄まじい勢いで迫る。
弾けば、体勢が崩れ、その隙を狙って幻影剣が飛来してくる。英雄は、ダンテの攻撃を絶対に回避する以外の選択肢が自分にはない事を、
頭ではなく身体が理解していた。身体を半身にさせると言う最小限度の動きで、直撃は避けた。
ただ、音速超の速度で通り過ぎた事によって発生した衝撃波で、首の筋肉が数mm抉られ、其処から血液がたばしり出た。
苦悶に顔が歪み士気が萎える――かと思いきや、英雄の瞳には、より強い意気軒昂たる焔が燃え上がり始めた。

 当然の話と言わんばかりに容易く音の壁を超える速度で放たれる幻影剣。
その全てを、両腕に握った黄金刀を以って叩き落とし、砕き割るヴァルゼライド。そして、最後の一つが、英雄目掛けて放たれる――筈だった。
だが最後のそれは、事もあろうに彼の方ではなく『ダンテ』の方へと放たれて行くではないか。ダンテは、ヴァルゼライドから五m程離れた所までいつの間にか移動していた。
そして、向かって来る幻影剣に合わせてダンテは、ロイヤルガードに拠る防御――ではなく。
今まで防御した攻撃の威力をそのまま相手に叩き返す『リリース』の構えを取った。幻影剣はダンテの身体に直撃するが、彼の身体は実は鋼で出来ていた、
とでも言う風に直撃した幻影剣の方が粉々に砕け散った。この直撃を契機に、ダンテの右腕はプラズマでも宿したが如くに白色に激発し始め、
その状態のまま恐るべき速度でヴァルゼライドの方へと向かって行く。此方に向かって来るのに合わせて、ヴァルゼライドはガンマレイを纏わせた刀を振り下ろす。
右腕で此方を殴って攻撃するつもりらしい。ダンテ程の膂力の持ち主であれば、魔剣による一撃でなくても、
単純に相手を殴るだけでサーヴァント相手に大ダメージを与えられる。警戒し、最大限度の力で迎え撃つのはヴァルゼライドとしても当たり前の事であった。
白く光る腕が此方に向かって伸ばされる。その腕ごと、ダンテの身体を両断する、つもりであった。だが結果は違った。
ダンテの拳に当たった瞬間、超高熱の金光を纏うばかりか物質的特性についても比類ない頑強さを誇るアダマンタイトの刀は、乾いた枝の如くに圧し折れ宙を舞う。
その事をヴァルゼライドが認識するよりも速く、ダンテの拳が彼の左胸に直撃。次元斬とガンマレイ、幻影剣の威力をそのまま返されるヴァルゼライド。
威力は衝撃となって彼の身体中に伝わり、ダンテが腕を伸ばした方向に、ヴァルゼライドは弾丸の如き速度で吹っ飛ばされる。
四十m程離れたスタンド席まで一気に吹っ飛ばされ、観客が座る為の席に激突。そのままスタンドに、彼の身体がめり込んだ。

 ヴァルゼライドが吹っ飛ばされ、身体の背面から激突した地点から朦々と立ち込める石煙。
其処目掛けてバージルが、次元斬を発生させる。ヴァルゼライドが倒れている場所を、破壊されたプラスチック製のスタンド席や、
めり込んでいる筈の石材、今も立ち昇る石煙ごと次元斬が斬り裂く。手応えは、ない。直に相手を斬った訳でもないのに、バージルもダンテもそう思った訳は単純な話だ。
次元斬が放たれたのと殆ど同時に、この石煙を突き破って何者かがスタンド席から飛び出して来たからだ。
その正体は、目を凝らして見るまでもなく。クリストファー・ヴァルゼライドその人であった。
スタンド席から跳躍し、フィールド場の陸上トラック部分に着地するその前に、懐に差した刀の一本を目にも留まらぬ速さで引き抜く。

 急速に嫌な予感を感じ取ったのは、バージルもダンテも殆ど同じタイミングである。だが直感スキルを有する分、バージルの方が最適な行動を選ぶ事が出来た。
ガンマレイに対応出来るとは言え、それは確実に防ぐ事が出来ると言う公算があっての話。不利な状況下であの黄金光を放たれれば、バージルは迎撃より回避を選ぶ。
今回バージルは回避を選んだ。ロイヤルガードによるリリースに直撃し、未だ活動出来ると言う事実に意表を突かれてしまった為である。
一方ダンテの方も驚いてはいたが、彼の場合はロイヤルガードによる防御を選んだ。スタイルチェンジを行い、魔術回路を組み替える時間がないと判断した為だ。

 そして、ヴァルゼライドの攻撃が今放たれた。相手を殺さんとする攻撃は、ヴァルゼライドの在り方から、天神の雷霆とも称される星辰光(アステリズム)、ガンマレイ。
元居た世界に於いて最強の星辰奏者でありながら彼は、この一技以外の能力を持たない。彼の持つ星辰光とは、ワン・スキルしか有さない星辰奏者の究極系だった。
――だが今回はその、『放たれる形態』が違った。純金を煮溶かしたような黄金色に輝く光の柱、これがガンマレイの基本の形態である。
しかし、今ダンテに放たれたのは、『彼のいる地点に縦横無尽に走る黄金色の光の筋』である。驚いたのはダンテよりも寧ろバージルである。
よもや両者が見間違える筈がない。今ヴァルゼライドが放った攻撃こそ、バージルの放つ絶技・次元斬――によく似た何かだ。
実際に空間そのものを切断している訳ではないが、傍目に映る実際の技の姿は、余りにも次元斬と同じ点が多すぎる。
本来の形態でガンマレイが放たれると思っていたダンテは、すっかり防御のタイミングをズラされた。
ロイヤルガードは、攻撃が当たる寸前で防御をしなければ、そのダメージや追加効果を弾き飛ばせない。ただの極めて完成された練度の受け技でしかなくなる。
必然、放射線による追加効果が身体に舞い込む事になる。それに、攻撃の威力を大幅に減退させられるとは言え、ヴァルゼライドの放つ黄金の爆熱光は、
それ自体が凄まじい破壊力であるが故に、低減させてもなお恐るべき威力を誇る。悪魔の因子を多分に引き継ぎ、埒外の耐久力を有するダンテに、苦悶に満ちた表情を浮かばせる程度には、その威力は高い。

「技を見せすぎなんじゃねぇか、アーチャー……ッ!!」

 如何なダンテとて、放射線を身体に直接叩き込まれた事はない。
熱を操る悪魔は魔界でも珍しい存在ではなく、彼らを相手に戦った経験はダンテは多いのだが、そんな彼らの操る焔とは、別の次元の焦熱をこの魔人は今味わっている。
身体の表面と内部を均等に超高熱で一瞬で焼かれるような痛みの他に、毒を呷ったような苦しみが、体中を走り抜けている。
威力を低くさせてかつ、悪魔の耐久力を以ってしてもこれなのだ。直撃を貰えば、如何なるかなど想像に難くない。況してやダンテやバージル以外の存在なら、今の一撃でチェックメイトも、あり得ただろう。

「……俺も真似されるとは思わなくてな」

 自身の代名詞たる奥義であり、父親から伝授された遺産とも言える技を、たかが人間、それも狂人とすら認識している男に模倣される。
バージルの身体中から発散される、その怒気の強さ。己の技量に自信と誇りを持っているが故に、ダンテ以上にバージルは憤怒していた。

 既に短距離・長距離走を行う為のレーン上に着地しているヴァルゼライド。
当然の事ながら、負っているダメージは深刻なものである。ダンテが負ったダメージよりも、ずっと酷い。
胸骨は完全に破壊され、両肺は破裂し体内で四散、心臓にも重大な傷を負っていると言う、どんなサーヴァントでも最早行動不可能な損傷である。
動ける事などあり得ないし、仮に無理して動いたとしても、一秒経たずに余りの痛みと苦しさに、直に倒れてしまう程の手傷。
それなのに、ヴァルゼライドはそれが当たり前であるかの如く、激しく動き回る事が出来るばかりか、バージルの放つ次元斬から着想を得、
新たなる技すら編み出してしまった。そんな荒唐無稽、無茶無謀な動きが出来るのは、果たして如何なる奇跡が起こっているからなのか?
――そんな物は、初めから存在しない。十の寡兵に万の軍勢を打ち破れる力を与える戦神の加護もなければ、道理と摂理を捻じ曲げる女神の恩寵がある訳でもない。
気合と、根性。程度の差こそあれ、人間ならば誰しもが有している資質であり、クリストファー・ヴァルゼライドの最も優れている才覚。
その誰もが持っている才能で、市井から生まれた怪物であるところのクリストファー・ヴァルゼライドは、伝説の魔剣士を父に持つ魔人両名を相手に喰い付いている状態なのであった。

「たかが人間に、親父の技を模倣されるとはな……ッ」

 閻魔刀の柄に手を伸ばし、吐き捨てるように口にするバージル。

「貴様は――」

 ヴァルゼライドが口を開く。言葉を紡ぐ度に、上半身に走る、凄絶としか形容のしようがない痛みよ。

「前の戦いの時から、何も学んでいないと見える」

「……何?」

 眉を顰めるバージル。
そして、今の一言で、自分が知らない所でバージルとヴァルゼライドが戦っていたのだろう事をダンテは確信。
尤も、今までの戦いぶりを見て、バージルは余りにもこのバーサーカーとの戦いに慣れていると言う印象自体は、ダンテ自身も見受けていた。過去剣を交えていただろう事は、凡そ当たりを付けていた。

「言った筈だろう。人を軽んじている時点で、俺が貴様に負ける事など、万に一つもあり得ないと言う事を」

 ヴァルゼライドの言った言葉の内容を、バージルはしっかりと覚えている。腸が煮えくり返る、とはまさにあの事を言うのだろう。
人の過去も、苦しみも何も勘案せず、己の思う所を抜け抜けと口にするヴァルゼライドと言う男の人間性に、心底から激怒した瞬間だった。
バージルが如何なる思いで人間である事を捨て、ダンテが如何なる思いで悪魔を斬り伏せる茨の道を歩む事を選んだのか、あの男は知ろうともしないのだ。
正に、手前勝手で、我儘な言葉。……だがそれも、今は昔の話。今その事を話されても、バージルは冷笑以外に浮かべる表情がない。

「強がりか負け惜しみにしか聞こえんな。今の貴様の状態……手負いどころではないだろう。その状態からでも、勝てるとでも?」

 サーヴァントのみならず、素人から見ても、ダンテとバージル、ヴァルゼライドが負ったダメージの差は深刻である。
目で見て解る外傷も去る事ながら、内面自体の傷などもっと酷い。本来ヴァルゼライドは、最早動く事すら不可能な筈のダメージを受けているのだ。
誰が見ても、勝負ありとしか受け取りようがない彼我のダメージ差。バージルもダンテも、だからと言って油断するつもりは毛頭ないが、どちらにしてももうヴァルゼライドは長くない、と言うのが共通の見解であった。

「俺は、自分が折れると言う事を過去に一度も考えた事はない」

 ヴァルゼライドの返答は、電瞬のそれであった。
初めから頭の中に、こう答えると言うフレーズがいつも格納されてない限りは、到底出来ないだろうと思わせる程の、返事の速さであった。

「HA!! 素晴らしいリプライじゃないか、ミスター・ヴァルゼライド。その精神性は認めてやらんでもないが、数で負け、技量で負け、肉体の能力面でも負け。この上アンタは、どう抵抗出来るってんだ?」

 人間としてのヴァルゼライドの性格・精神面は、人間としての部分を肯定する道を選んだ魔人であるダンテは高く評価している。
だがそれと、ヴァルゼライドを殺さねばならないと言う事は別問題だ。人間と言えども、出来る事には限度がある。それが、一人ぼっちであると言うのなら尚の事。
如何に英雄と呼ばれるヴァルゼライドであっても、大魔剣士スパーダの遺児である二人の魔剣士を相手に、彼が勝利を拾うと言う事は、不可能に等しい事柄である、と言うのはダンテもバージルと同じ認識なのである。

 魔剣士達が臨戦状態を再び取ったのを見て、ヴァルゼライドは、生前の事を思い出していた。
統治していた軍事国家・アドラーの政治機構・セントラル。その地下に広がっていた、冷たく、広大で、息苦しい鋼色の研究所。
その最奥に玉座めいて設置された、人間一人が容易く収容される程の大きさの、気泡の浮かぶフラスコの棺。
そこに幽閉されていた、英雄との会話と逢瀬をいつもを心待ちにしていた『彼』との何気ない一幕を。ふと、ヴァルゼライドは思い出してしまったのだ。

 ――お前には悪い事をしたな、と思っている――

 ――……何?――

 ――ああ、勘違いするな。お前をこんな運命に誘った事を言っているのではない。己(おれ)もお前も、既に覚悟しているのだからな――

 ――久方ぶりに、焦りを憶えたぞ。貴様がそんな感傷的な言葉を口にするとは思わなかったからな。……それで、何が悪い事、なのだ――

 ――お前程の男に、この程度の技術しか授けられなかった事さ――

 ――この程度の技術?――

 ――星辰奏者(エスペラント)、星辰奏者専用特殊合金(オリハルコン)、人造惑星(プラネテス)。己は、己の悲願の為に、気の遠くなるような時間を掛けてこれらを運用出来る計画を立てて来た。だが、程遠い。己の生まれた神の国が有する技術には――

 ――何が言いたい――

 ――お前程の男に、この程度の技術しか与えられなかった事が惜しくてしょうがない――

 ――貴様は、今のアドラーが、他国に先んじているそれらの技術が、程度の低いものであると言うのか?――

 ――周知の事だろうが、過去に起った大破壊で己達の住む星のあらゆる法則は根底から覆され、その影響で過去の技術の大部分は役に立たぬものとなった――

 ――……――

 ――己がお前達に伝えた技術は、この世界の今の物理法則に適しなおかつ、お前達の技術平均で達成可能な水準のそれになるよう、己が配慮した結果なのだ。故郷……本来の祖国(アマツ)の技術は、こんな物ではない――

 ――故に、己は口惜しくてしょうがない。お前程の男に、この程度の技術しか授けられなかった事を――

 ――己はお前の精神、身体を最大限尊重し、己の今の状態で出来得る最大限の技を授けたつもりだ。だが、時々思うのだ。もしも、お前と出会えた時期がもっと後で、その時の己が、もっと祖国の技術に近付ける技術を産みだしていれば、と――

 ――俺が、もっと強くなれた筈なのに、と。言いたいのか?――

 ――技術と言うものは、日進月歩よ。己は人間を下に見ている訳ではない。己の齎した各々の技術は、きっと己の与り知らぬ所で驚くべき進化をさせる人間がいても不思議ではない――

 ――当然だ。人は現状に満足する生き物ではないのだ。人は不完全だからこそ、より良く環境と技術を向上させようとする。そして、どんなに向上させても、人自体が不完全であるが故に、完璧な技術や環境を作ろうとする事そのものが夢物語。だからこそ、人間は永遠に現在(いま)を改良し続ける。それは、お前の齎した技術ですら例外ではない――

 ――だが、己の齎した技術を改良したものを完全完璧に享受出来るのは、何時だって未来に生まれる者だけなのだ。己がこの世に齎した旧暦の技術の枝葉、その最先端にして最古の者、クリストファー・ヴァルゼライドよ―― 

 ――……――

 ――お前は、己を除けば最強の男だ。この地上でお前に勝てる人間など誰もいるまいと言う確信すら己にはある。どんな組織も国家も、貴様の心を挫き心臓を潰す事など出来ないだろう――

 ――だがな、技術は日々改まって行く。如何にお前が『当時』の最強であり最新であろうとも、今後何十年にも渡り戦い続けられる筈がないのだ。技術が日々刷新されて行くのであれば、お前以上の性能の星辰奏者など、今後幾らでも現れる可能性があるのだからな――

 ――お前は、己が今まで見てきた中で、最も英雄と呼ぶに相応しい強者だ。今後、お前以上に、己の設定した基準を満たす者など現れないと言う自負すら己にはある――

 ――故にこそ、己は恐ろしい。このまま計画が滞れば、お前も老い、そして死ぬ。だがそれ以上に、お前が葬られると言う可能性そのものが恐ろしい。より強い星辰奏者、より強い人造惑星に殺されたなど、到底己は許容出来ん。だから己は、この棺の中で時に思うのよ。お前にもっと強くなれる技術を与えていれば―― ――

 ――下らぬ事に思い悩む暇があれば、死想恋歌(エウリュディケ)の目覚めぬ理由が何であるのかを模索しろ、馬鹿者め――

 ――……何?――

 ――性能、か。成程、確かに貴様の言う通りだ。技術が進めば今後、俺以上の力を有する星辰奏者など幾らでも現れよう。何れは俺も、時代遅れの骨董品の様な技術で戦い続ける老骨にもなるだろう――

 ――だがな、それでも俺は負けぬ。何故ならば、貴様が齎した技術において、最も称賛するべき所があるからだ――

 ――それは何だ、英雄よ――

 ――人間を、基(もとい)にしていると言う事だ―― 

 ――人を、だと――

 ――星辰奏者も人造惑星も、共に人間に技術を付与させた者達だ。俺達は人に振るわれるだけの剣でもなければ、引き金を引いてそれまでの銃でもない。他者の道具でなく、明白な意思を持ち、自分で考えて動く事の出来ると言う強大な力を持つ人間だ――

 ――そんな人間を改造する星辰奏者や人造惑星であるからこそ、お前の齎した技術で生まれるだろう兵士は、この世界が終わるまでに生まれるどんな兵器よりも最強のものとして君臨するだろうと、俺は思っている――

 ――……――

 ――『人間』の『潜在能力』は、『性能』の差の大小など、容易く覆す。良いか、迦具土神。何れ俺と雌雄を決すると言うのなら、これだけは憶えておけ――

 ――最後の決め手になるのは、性能でもなければ実戦経験でもなく、有する異能でもなければ信ずる神の真贋でもない――

「……貴様の上げた全ての要素を覆す武器を、俺はたった一つだけ持っている」

「ジョークの才能か? 確かに、笑いの代わりになるスキルはないが、今のジョークはちっとも面白くないぜ。ヴァルゼライドさんよ」

 途端に真顔になるダンテ。

「これが冗談にしか受け取れないと言うのなら、底が知れるな。ならば、冥途の土産に憶えておけ。最後の決め手になるのは、数でも技量でも、肉体の性能でもない」

 己の身体に改造手術を施し、超常の力を得、その中に在って最強の星辰奏者となってもなお。
ヴァルゼライドは、この一点を固く、強く信じていた。それは己が信じるもう一つの軸であり、それこそが、この男を英雄足らしめている要素に他ならない。

「――気合と、根性だ」

 ――気合と、根性だ――

 ――これがある限り俺は、誰のどんな能力を相手にしても負けん。数えるのも愚かしい程の数の勝利もこの手で掴んで見せよう。だから、下らぬ事を考えるな――

 そう。 
クリストファー・ヴァルゼライドの最大の武器とはつまるところ、これなのだ。
例え、ヴァルゼライド以外の人物が彼の持つ宝具(星辰光)・『天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマレイ・ケラウノス)』に覚醒したとして、
その力を十全に発揮出来る者は、彼をおいて他に存在しないだろう。何故ならばこの宝具は余りにも威力と出力が高すぎるが故に、
放った当人の身体にすら、放射線が齎す痛みとは別種の激痛が身体に走るのである。その痛みたるや、厳しい訓練を経た兵士ですらが死を選ぶ程のそれ。
この痛みは、サーヴァントと言う高次の霊基で構成された今となっても、ガンマレイを放つ度にヴァルゼライドの身体を蝕むのだ。
では何故、彼は平然とした様子でガンマレイを連発し続けられるのか? ――答えは、単純明快。『気合と根性で耐えているから』に他ならない。

 ヴァルゼライドの星辰光は、極論を言ってしまえば、出力と威力が異常なまでの光をただ放つだけでしかない。
余りにもシンプルで、この一言で全てが片付いてしまう、笑ってしまう程単純明快な宝具。
そこにヴァルゼライドの超絶の技量と、何よりも気合と根性が合わさるからこそ、この宝具は究極のそれになり、ひいては彼自身が最強の英雄になるのだ。
天神(ゼウス)とすら呼ばれた男の本当の武器は、雷霆ではない。人間ならば誰もが有する気合と根性。それが、ヴァルゼライドが有する、最大の財産であり才能なのである。

「俺に、敗北と挫折はない」

 空手の右手が、両方の腰に差した計七つの刀の内一本を引き抜き、其処に、ヴァルゼライドは裁きの光を纏わせた。

「お前達は強く、そして、俺を斃そうとするその行動の正しさに、一点の曇りもない。お前達は誰が見ても正義であろうし、その行いはこの街に生きる者にとっては称賛に価される事であろう」

 「――だが、」

「俺はお前達を殺す。審判の光に灼かれる時だ、闇の因子を宿す者共よ。貴様らに正義があるように、俺にも正義がある。死ぬが良い。貴様らの屍を台(うてな)にし、俺は聖杯へと到達する」

 ヴァルゼライドの主張を、一通り聞き終える、二人の魔人。
バージルの方は、閻魔刀に手を掛けたまま、警戒の体勢を解かない。話していた内容も、話半分にしか聞いていない。
早稲田鶴巻町で似たような趣旨の事を聞いていた事もそうであるが、狂人の戯言など聞くにも値しないと、考えている事が一番大きい。

「気合と、根性ね」

 一方、ダンテの方は、シッカリとヴァルゼライドの話を聞いていた。初めて、この男の考えている事柄を聞くからである。
だが同時に、ヴァルゼライドが自身同様、人間としての側面を重視しているサーヴァントである事を、心と魂で感じ取ったから聞いていたのである。
ダンテはバージルとは違い、悪魔としての力よりも人間としての魂を誇りにする魔人だ。だからこそ、ヴァルゼライドの言葉には、思う所があった。

「最後の決め手がそれだって言うのは、俺も賛同するぜミスター。――だがな」

 其処でダンテは、リベリオンの剣先をヴァルゼライドに突き付け、更に言葉を紡いで行く。

「どんなに綺麗事を縷々に語ろうが、お前がこの街に齎した破壊の事実が消える訳じゃねぇ」

 賛同出来る余地があるからと言って、温情から目の前の敵を見逃す程、ダンテは馬鹿じゃない。
どう比較衡量しても、ヴァルゼライドがこの街でしでかした罪は、償い切れるものじゃない。死んでもなお、足りない程だろう。
死んで贖罪出来るラインを目の前の狂人は当の昔に飛び越えているが、死ぬ以外に罪を贖わせる方法が他にない。
故に、殺す。ダンテは可哀相だからと言う理由で標的を見逃す程甘くはない。狙った悪魔は必ず仕留めて来たが故の評価が、悪魔も泣き出す(Devil May Cry)デビルハンターであるのだ。ヴァルゼライドは今やダンテにとって、ハントの対象である悪魔なのだった。

「其処にいる鉄面皮のアーチャーも俺と同じ思いだろうから、代わりに俺が言ってやるよ」

 この瞬間、ダンテとバージルに再び、人が気死しかねない程の殺意が充溢し、体中から発散され始めた。

「死ぬのはテメェだ、馬鹿野郎」

 この一言を皮切りに、ヴァルゼライドが直立している空間に、次元斬が走り始める。
空間に刻まれた断裂を、バージルが居合を行うその瞬間を見抜いてから、時速二百㎞を容易く超える速度で走る事で回避するヴァルゼライド。
だが、今放った次元斬は、手を抜いてバージルは放っていた。技が発動してしまえば音もなければ臭いもなく、目標の地点の空間を切断する絶技とは言え、
考えもなしに放てば見切られて回避される。それは当然彼も理解している。この技、引いてはバージルの恐るべき所は、この奥義ですら技の一つに過ぎず、
状況次第では次元斬ですらも次の動作の捨て石に出来る必殺技を幾つも持っている事だった。その必殺の技こそ、宝具へと昇華されたバージルの飛び道具、幻影剣。
ヴァルゼライドが移動するだろうルートの上空二十mに展開された幻影剣が、ヴァルゼライド目掛けて正に五月雨の如く降り注いで行く。
その事を地面にポツポツと刻まれた、胡麻粒に似た黒い影からヴァルゼライドは認識。影の正体は頭上の幻影剣だ。
地面を蹴り、バージル達の居る方向目掛けてステップインする事で、幻影剣を回避。レーン上に二十本もの浅葱色の剣が、墓標めいて突き刺さった。
幻影剣の全てを回避したと、ステップを終えた後でヴァルゼライドは認識。即座に二名に向かって走り寄り、走りながら、凄まじい速度による居合を行う。
すると、細いガンマレイの光条を空間上に何本も刻まれ始めた。バージルの次元斬をインスパイアした、ヴァルゼライドの新しい技である。
その範囲はダンテとバージルの両名を容易く巻き込む程であるが、魔人二名に二度目はなかった。バージルは宝具である閻魔刀を悪魔的な軌道で動かして断裂を斬り裂き返しかつ己の魔力に変換、ダンテに至っては既にタイミングを掴んだか、ロイヤルガードで全てのダメージを弾き返した。

 バージルの方へとヴァルゼライドは接近、間合いに入るや即座にアダマンタイトの刀を振り下ろす。
振り下ろす速度も然る事ながら、それに移行する動作も、信じられない程跳ね上がっている事を、ダンテもバージルも認識。
生身の人間が出せる限界の攻撃速度を、ヴァルゼライドは既に超越していた。だがまだ、バージルの目で捉えられぬ速度ではない。
閻魔刀を用いて攻撃を防御。このまま激しい打ち合いが行われる事をバージルは予期していたが、何とヴァルゼライドの選んだ選択は、防御された瞬間飛び退く、
と言う逃げの一手であった。ヴァルゼライドらしからぬ選択だが、この戦いに勝利すると言う観点から見れば、彼の選んだ行動は極めて正しい。
敵がバージルだけならば、攻め続けると言う事が正しいだろう。だが周知の通り、敵は彼だけじゃない。彼の弟であるダンテもまた、ヴァルゼライドの命を刈らんとしているのだ。

 そして現にダンテは、先程までヴァルゼライドが佇んでいた地点の上空から急降下、その勢いを利用して魔剣・リベリオンを振り下ろしながら着地していた。
ヴァルゼライドがあのまま打ち合いを選んでいたら、脳天から真っ二つにされていた事だろう。
両手に握られた黄金刀の剣先を、二名に向けるヴァルゼライド。ダンテとバージルの姿が、霞と消える。ヴァルゼライドがその切っ先からガンマレイを放ったよりも前だ。
ダンテがヴァルゼライドの前面に転移して現れる、それに合わせてヴァルゼライドがガンマレイを纏わせた刀を、彼の首目掛けて振るうが、
ロイヤルガードの独自の防御法でタイミングよく防がれ、ダメージも放射線の毒も全て弾き飛ばされる。
そればかりか、刀が首筋に直撃した瞬間、刀身を通じて凄まじい反発力が体中に走り始め、それ受けてヴァルゼライドの身体は仰け反ってしまう。
その瞬間を狙って、バージルがダンテごと纏めて次元斬を放ち、ヴァルゼライドを細切れにしようとする。
巻き添えを食う形になったダンテは当然と言わんばかりに、ロイヤルガードのスタイルで尽く青或いは紫色の空間の切断現象を防御。
肝心のヴァルゼライドの方はと言うと、曲芸師めいた動きで後方宙返りを披露し次元斬から逃れる。そのタイミングに合わせ、幻影剣が四方から飛来する。
即座に空中で体勢を整え、迫りくる幻影剣の剣身に当たる部分を蹴り抜き、ヴァルゼライドは更に上空に跳躍。
軽業、と言うには余りにも過小評価に程がある技だった。やっている事は、飛来するマッハ三以上の速度のライフル弾を足場にしてジャンプしているに等しい事柄だ。
「こいつマジかよ」、と、眼下でダンテが驚いた様な呆れた様な声を上げる。超A級の悪魔狩人たるダンテですら、今の技は驚きに値するものだったのである。

 空中を飛びながら、眼下のダンテとバージル目掛けて、二本の刀を振るい、其処からガンマレイを放つヴァルゼライド。
技のおこりを見抜いた両名は、空間転移を用いて爆光の範囲から逃れる。裁くべき対象を見失った黄金の光は、地面に着弾した瞬間、
途方もない大爆発を引き起こし、今も空中にいるヴァルゼライドをその爆風の勢いで吹っ飛ばした。
タッ、と着地した場所は何と、スタンドを覆う屋根部分。眼下の光景は、攻撃の着弾によって生じた砂煙で見えない。無論、ダンテもバージルも、である。
一歩其処に踏み込めば、あの恐るべき魔人達が何処かに隠れていると言う恐るべき状況の最中。それに何の物怖じもせず、ヴァルゼライドは身投げするが如く飛び降りた。
競技フィールドの優に六割以上を覆い、屋根まで昇る程の高さになっている砂煙。その中にあっても、ヴァルゼライドが刀に纏わせた光は目立ち過ぎる。
これを目印に、攻撃を仕掛けて来るだろう事は想像に難くない。バージルが放つ次元斬を想定していたヴァルゼライドだったが、実際にあの男が選んだ行動は、全く違う。
彼の選んだ行動は、ヴァルゼライドの下まで跳躍し、四肢に纏わせた黒金の籠手・ベオウルフを以っての直接攻撃である。閻魔刀による攻撃が確かにバージルの真骨頂だ。だが、ベオウルフを用いた攻撃も、バージルの戦闘の要なのである。

 バージルの接近に気付くヴァルゼライド。此処まで近づいていれば、視界を遮る砂煙と言えど、相手の姿をよく見る事の出来る。そんな距離である。
位置関係は、ヴァルゼライドの頭上にバージルがいる、と言う状態だ。その位置関係で、バージルはヴァルゼライドの胴体目掛け、ベオウルフの具足を纏わせた右踵を、
隕石めいた勢いで振り落とした!! その一撃を、刀で防御するヴァルゼライドだったが、空中ではどう足掻いても踏ん張れない。
必然、バージルの攻撃が振り切り終えた方向、即ち真下へと、凄まじい勢いで吹っ飛ばされる事となる。
急いで空中で体勢を整え、地面に何とか着地。解り切っていた事だが、砂煙のせいで、地上だと全く視界不良も甚だしい。伸ばした腕の先が見えない程である。
精神を感覚を研ぎ澄ませて相手の位置を特定する事も出来なくはないが、相手がダンテとバージルでは擦り減らせた感覚の僅かな差が勝敗を分かつ。
故にヴァルゼライドは、刀に纏わせたガンマレイの出力を上げ、その刀を一振り。如何なる奇跡が働いたか、朦々たる砂煙が、神風に払われる魔霧が如く。
一切合財吹き飛んで行くではないか。明瞭になった視界の先に、ダンテがいた。紅の魔剣士が扱うロイヤルガード特有の、カンフーを映画を見て真似た様なポーズ。
それを今解き終えている状態だった。それだけなら、まだ良い。問題は、ダンテの上半身に纏われている、静脈血に似た赤黒さを持つ『鎧』だ。
腰より上の部分を、鋭角的なパーツが随所に鏤められたその鎧は隙間なく覆っており、鎧のあらゆる部分を、和風柄の一つである波模様に似た紋様が、そよ風に煽られる水面めいてゆらゆらと動いているのがヴァルゼライドには解る。

 顔面に刻まれた、視界確保の為の穴と思しき、黄金色の八本線と、ヴァルゼライドの目が合った。
「来る」、英雄がそう思った瞬間、鎧を纏った男、ダンテが一歩前に進む。走って来ない。ゆっくりと、散歩をするような足取りで此方に近付いてくる。
予想だにしない接近の仕方に、面喰うヴァルゼライド。何せ相手は空間転移を息を吸うように行うだけでなく、普通に走るだけでも恐ろしく速いダンテだ。
歩いて此方に向かって来るなど、誰が予想出来よう。だが、驚いたのも本当に一瞬の事。直にヴァルゼライドは、ダンテ目掛けて刀を振るい、ガンマレイを発射する。
だが、本当に面喰った、いやそれどころか愕然としたのは次の瞬間である。ダンテはガンマレイを防御しようともしなかった。
死その物と言っても良いあの黄金の爆熱光に、完全に直撃したのである。だが、どう言う事か。彼が纏う赤黒い鎧には、傷一つついていないではないか!!
勿論、鎧が無傷であると言う事は、その下のダンテもノーダメージに等しい。あの鎧自体が何らかの奥義である事は、誰が見ても解る。
だが、あれ程の威力を誇るガンマレイを真正面から受けても、傷一つ負わず、さしたる衝撃を受けた風もない、あの鎧の正体とは。

 ヴァルゼライドは知る由もないが、これこそがダンテが用いる四つのスタイルの内の一つ、ロイヤルガード、このスタイルの時のみ扱える究極の技である。
ロイヤルガードで防御したエネルギーと、ダンテの体内に流れる生命エネルギー、東洋で言う所の『気』に相当する力と、彼自身の魔力。
これら三つを混ぜ合わせ、鎧として身体に纏わせる時、ありとあらゆる攻撃を正真正銘0にまで低減させる事が出来るのだ。
この恐るべき奥義をダンテは自らドレッドノート(怖いものなし)と命名しており、その名が張子の虎でない事は、ガンマレイを防いだ光景が如実に証明している。
無論、こんな強力な技がノーリスクな筈がない。ロイヤルガードで防御して蓄積させたエネルギーは兎も角、この技は気と魔力を余計に消費する上、
鎧を纏ってしまえば鎧自身の拘束力がダンテの肉体の自由を奪い、ダンテ程の筋力の持ち主ですら走る事が出来なくなる程なのだ。
ヴァルゼライドは此方の意表を突く為に歩いて来たと思っているが、本当は走れないと言うのが真実だ。

 強力無比ではあるが、使い所が難しい技である。だがそのような技を今この場で使っているのには、大きな理由が二つある為だ。
一つは、規格外の魔力量を有しているライドウがマスターだからこそ、こうして気兼ねなく使っていると言う事。彼がマスターでなければ使用すら考えなかったろう。
だがやはり、強敵を相手にして走る事が出来ないと言うリスクは大きすぎる。此処で、理由の二つ目。今はバージルとツーマンセルを組んでいる、と言う事実が活きて来る。簡単な話だ。此方に機動力がなくなったのなら、『機動力に遥かに秀でる相方に任せれば良い』、と言う訳だ。

 空間転移を駆使し、上空数十mから即座に地上に着地するバージル。そしてこの瞬間バージルは、切り札を切った。
偉大なる大魔剣士にして、彼が終生の目標とした父・スパーダ。悪魔としてのスパーダの側面を前面に押し出すその引き金(トリガー)を今、
蒼の魔剣士は金の英雄の抹殺の為に躊躇なく引き始めた。これを契機に、バージルの身体から、魔力が全方位へと放出され始める。
その姿を見た瞬間、ヴァルゼライドは畏怖の様な念を憶えた。身に纏っていた蒼いコートは肉体と同化し、
金属質の輝きを持った青い鱗でビッシリと覆われたコート状の外皮となっていた。生半な刃は先ず通るまい。
だが肉体と同化したのは、コートのみに非ず。恐るべき宝具である閻魔刀を収める鞘が、左腕と同化、左手の手首に装着された青鱗に覆われた何かになっていた。
全体的に人の姿を留めてはいるが、明らかに今のバージルは人間ではない事を、一目で解らせる説得力を持つ姿である。
誰がどう見ても、今のバージルは殺戮の申し子を連想させる様な、大悪魔宛らである。そう、今のバージルには人間的な要素など欠片もない。
鬼火のように青く輝く双眸、両手両足に生え揃うナイフの如き鋭い爪。彼の姿を目の当たりにした者は、忽ち己の死期が今である事を悟るだろう。
これぞ、大悪魔・スパーダの力を得て生まれたデビルハンターのみが引く事が出来るトリガーである。己を構成する悪魔と人間の要素の天秤を大きく、悪魔の方に傾けさせ、スパーダの再来を思わせるが如き強さを発揮する宝具。これを、ダンテとバージルは、『デビルトリガー』と称呼する。

「Vanish!!」

 バージルがそう悪罵した瞬間、彼の姿が幻であったかの如くその場から消え失せた。
……殆どその瞬間と同時だった、としか、ヴァルゼライドにしか思えない程同一のタイミングで、彼の身体の背面に斬撃が走った。
痛みがさくかに走ったのを感知した時、熱い物に触れて腕を引っ込めると言う反射に近しい要領で、身体を捩じって致命傷を負う事だけは回避した――と、
身体が判断したと同時にまた、斬撃が走った。胸部だった。身体を半身に――そのタイミングにまた、脚部に斬撃が走る。これも何とか身体を捩じり――またしても、斬撃が。

 回避しようと身体を動かした瞬間に、新しい斬撃がヴァルゼライドを斬り裂く。
いや。下手をしたら、ヴァルゼライドが回避しようと身体を動かしたその時には、既にその斬撃は複数回、その間に放たれている。
そう言われても冗談だとは思わない程、ヴァルゼライドに放たれる斬撃は、彼の行動の三手どころか四手、五手先を行っていた。
既にヴァルゼライドの身体の回りには、彼のものである血潮が勢いよく噴出しており、彼は両腕で握ったガンマレイを忙しなく高速で動かして、
命に関わる部位に放たれた斬撃を弾いていた。だが逆に言えば、命に関わる部位ではない所に放たれた攻撃は、防御を既に諦めていると言う事だ。
この男が急所だと考えていない部位……つまり心臓と大脳が位置していない『全ての部位』については防御すら考えておらず、
其処に貰った攻撃のせいで、血が噴出しているのである。ヴァルゼライドを以ってして、防御は無理だと諦めさせる程の攻撃速度だった。

 高速の斬撃の正体は言うまでもなく、バージルの手による物である。
デビルトリガーを発動させたバージルで、最も上昇著しい能力値は『速度』だと言っても過言ではない。文字通り、あらゆる速度が飛躍的に向上する。
思考、攻撃、移動、反射神経。戦闘に直結する全ての動作・要素の動きが倍加する。
人間の状態ですら見切る事が不可能に等しい速度であった居合や斬撃、ベオウルフを纏わせての格闘攻撃が、トリガーを引くと文字通り魔速の域に達する。
だが、本当に恐るべきは、『瞬間移動を連発する間隔も短くなる』と言う事だ。人間の時以上に短い間隔でダークスレイヤーの宝具による瞬間移動を連発出来る。
それはつまり、生身の生命体が有する反射神経では最早反応が出来ないと言う事に等しい。現にヴァルゼライドの目には、バージルが何をやっているのか視認出来ない。
それもその筈、バージルはその瞬間移動を駆使してヴァルゼライドの周囲を幾度も幾度もワープし、そうしながら閻魔刀を振って不可視の斬撃を生みだし、
この斬撃で結界を構築させてヴァルゼライドを閉じ込めているのだ。またそれだけでなく、ヴァルゼライドが隙を見せれば直接閻魔刀で斬り込みにも行っている。
今のバージルの移動速度は、斬撃結界を産みだすのに必要な音速の二十倍超の居合『よりも速い』。見る事が叶う筈もなかった。
その上、向上しているのは速度だけではなく攻撃の威力や鋭さも跳ねあがっている。その状態で、倍加した攻撃速度によって増えた手数で攻撃を叩き込まれ続けるのだ。攻撃に転ずる事も出来ず、反撃を行おうとすればより深手を追い、結局どう足掻いても攻めに出れないので防御しか行う事が出来ず、一方的なサンドバッグの状態にする事が出来る。攻撃は、バージルが疲れて手を止めるまで終わる事がない。正に『煉獄』の炎に焼かれるが如き状況。それが、ヴァルゼライドの現況であった。

 だがそれでも、ヴァルゼライドは喰らい付いている。 
今も続く、秒間二百回を容易く超えるバージルの超々高速の攻撃の嵐を受け、まだ人の形を保てているばかりか、攻撃に反応し防御の体勢を取る事が出来る。
この時点で、クリストファー・ヴァルゼライドが人の身を超越した何かである事を十分過ぎる程に証明している。
彼が急所と定めている箇所、即ち頭部と心臓は確かにまだ無事ではあるが、それ以外の箇所の損壊具合となると、滅茶苦茶にも程がある。
軍服やコートは子供が紙を適当に鋏で切りまくった様にズタズタで、その下に潜んでいた銅像の如く引き絞られ鍛え上げられた身体となると、もっと酷い。
骨が見え、内臓も露出している所ですら、珍しくない程だ。無論、流れ出る血液が酷いものであると言う事は、今更説明するまでもない。
『この程度で済んでいる』、と言う事が既に奇跡だ。ごく一般の強さしかないサーヴァントであれば、ものの一秒で塵芥になる程の斬撃量を受けて、
五体満足の状態でいられる。これを、奇跡と呼ばずして何と呼ぼう。一方的に攻撃を仕掛けている筈のバージルですら、気味の悪さを憶える程の、恐ろしいタフネス。
だがそれは、想定の範囲内である。バージルの超高速の連斬で仕留められれば、確かに御の字ではある。だが、そうならない可能性が高い事は、以前戦った経験から予測済み。その残った可能性を潰すが為に、ドレッドノートを纏わせたダンテがいるのである。

 斬撃の結界は、ヴァルゼライドを中心とした直径十mの範囲に展開されている。つまり、この範囲内に入って来てしまえば、生身の人間は即粉々になる。
ダンテですら、無策でこの結界に足を踏み入れれば、無事では済まされない。だが、無事で済むような防御策は、既にとってある。それこそが、ドレッドノートだ。
結界内部に、足を踏み入れる。瞬間、ダンテの全身に凄まじいまでの数の斬撃が走った。鋭さと言い、叩き込まれる数と言い一撃だけでも必殺の威力を有している。
しかし、赤黒の鎧には傷一つつかない。そしてその事に驚くダンテではない。当たり前だと言わんばかりに、彼は歩を進めて行く。
此処で初めてヴァルゼライドは、ダンテとバージルが意図していた事に気付いた。英雄は今、魔人が行う魔速の斬撃の嵐によって、その場に縫い付けられて動けない。
機動力にこそ難があるが、今のように動けない状態のヴァルゼライドになら、攻撃は確実に命中する。
今も彼を苦しめる斬撃の数々の対処に負われる英雄が、その嵐の只中に佇んでいても無傷のダンテが迫り、攻撃を行えばどうなるか。答えはもう言うまでもない。
確実に、ヴァルゼライドの処理限界が訪れる。――そして今、その瞬間が幕を開けた。

 リベリオンを縦に振り下ろすダンテ、左手に握った刀でそれを受け流すヴァルゼライドだったが、その影響で防御が疎かになり、脇腹をバージルに斬られた。
受け流した傍から直にダンテがそれを横薙ぎに振るうも、それも右腕で握る黄金刀で防御。当然のようにバージルの攻撃の防御が出来ず、首筋を斬られた。
今度はバージルの攻撃を防ごうと意識を働かせるが、リベリオンで身体の前面を勢いよく叩き斬られ、其処から血潮が噴出する。苦悶にもならぬ苦悶が、血臭が香る湿った吐息となって、ヴァルゼライドの口から吐き出される。

 ダンテのリベリオンを行う勢いもまた、嵐であった。ドレッドノートを纏っているとは言え、遅くなるのは移動速度だけ。『攻撃』速度に、衰えは一切なし。
人間時の攻撃速度をそのままに、無敵の鎧を纏ったダンテが攻撃を行い続けるのだ。その上辺りには、少し気を緩めるだけで忽ち己の身体を粉微塵にする、
悪魔化したバージルの斬撃の結界が展開されている。勿論、無傷で凌ぎようがある訳がない。事実ヴァルゼライドの身体中は襤褸雑巾の如く無惨な有様で、衣服や身体も、
血で赤くない部位を探す事の方が最早困難な程赤々としていた。こんな状態でも、ヴァルゼライドはまだ戦える。その戦意は、折れてすらいない。
何故ならばこの男には、達成するのが困難な夢があり、目標があるから。そして、目の前の存在はその困難に付き纏うに相応しい、強敵であるから。
故にヴァルゼライドは、挫けない。身体に負った傷とは裏腹に、その双眸には赫々と、戦に対する心意気を可視化させたような焔が燃え上がっていた。

 修羅ですらが泣いて逃げ出すような強さを誇るダンテとバージルの両名がいる場所に、首を突っ込む。
知らぬなら兎も角、彼らの強さを知った上でこの場に参上するなど、傍から見たら自殺行為以外の何物にも映らないだろう。
事実、ヴァルゼライドも、この二人がいる場所に態々現れると言う事は、茨の道を自ら歩みに行くような物と当初は思っていた。
そうと解って、ヴァルゼライドがこの場に現れる決断をした理由は簡単だ。二名を相手にして勝てると踏んだからである。
確かにダンテもバージルも、桁違いに強いサーヴァントだ。だがそれはあくまでも、個として完成された強さである。
こう言った強さの持ち主は通常、手を組んで戦うと言う事が不得手である。己の強さに自身を持つ余り、個人プレーを重視しがちだからだ。
前もって打ち合わせをしていればこの限りではないが、今回はそうもないだろう。見事な連携など望むべくもない。ヴァルゼライドはこう考えたのである。
ルーラーから指名手配を受けている自分が敢えて目の前の現れれば極めて高い確率で、二人は自分を倒す為に一時的に手を組む。
それこそが、この英雄の狙いだった。敢えて二人組ませる事で、両名のツーマンセルの綻びを狙い、其処を破綻させ勝利を収める。ヴァルゼライドの描いた絵図とは、とどのつまりこれであった。

 だが実は、ヴァルゼライドが想定していたこの作戦は劈頭の段階から既に失敗していた。作戦自体は悪いものではなく、寧ろ極めて老練とすら評価出来る。
この作戦の唯一にして最大のミステイクは、ダンテとバージルは血を分けた兄弟であり、いざ共通の敵を相手にする際には、シナジーと言う言葉では生温い程の、
圧倒的なコンビネーションを発揮すると言う事である。当たり前だ、互いに互いの技を知り付くし、何処でどの技を放てば良いのかも、悉皆理解しているのだ。
つまりヴァルゼライドの考えた作戦は、その大前提となる『二人は連携を上手く取れない』と言う事からして既に間違いだったのだ。
個として圧倒的な強さを誇るダンテとバージルが、凄まじいまでの連携プレーで、一体の敵と戦えば、どうなるのか?
答えは最早言うまでもない、勝てる訳がないのだ。ただでさえ強いダンテとバージルが、二人がかりでかつ最高の連携を取って戦って来る。
それは二人の地力を加算どころか、乗算にした強さであると言っても差支えがないだろう。
こんな、戦う相手からしたらやってられない程の暴威の嵐に、耐えられるサーヴァント自体存在するのか如何か、首を傾げかねない。
現にヴァルゼライドは追い詰められているし、その命も風前の灯火である。――傍目から見れば、だが。

「――まだだ」

 そう、この絶望的とすら言える戦力差で叩かれてもなお、ヴァルゼライドの心は折れないのである。
ヴァルゼライドは知っている。生前も、自分よりずっと強い相手に囲まれ、かつ、数の暴力を駆使され追い詰められた事も少なくない。
その経験から、今の様な窮状を如何切り抜けたら良いのか。光の英雄は、その確実な方法を知っているのだ。
そのやり方とは――相手、つまり今の状況ならばダンテとバージルであるが、『その二名より自分一人が強くなれば良いのだ』。

 そして、その荒唐無稽かつ、理屈も理論もないやり方が今、実現した。
刀を振るう速度が目に見えて速くなり、バージルの魔速の居合を防ぐ機会が明白に多くなり、ダンテの攻撃も然りだ。
明らかに、不可視の斬撃と金属音を防ぐ音が多くなっている。兜のせいで表情が見えないがダンテも、瞬間移動の連発で姿を捉える事は出来ないがバージルの表情も、
驚きのそれに彩られる。何故、これだけの手傷を負っていながら、此処に来て、反射神経や肉体の運動能力が向上しているのか。彼らの驚きの全ては、此処に集約される。

 打ち倒すべき敵が強ければ強い程、ヴァルゼライドも強くなる。
其処に理屈はない。サーヴァントであるのならば、スキルの影響で強くなる、宝具の効果で強くなる、と言うのが常識であろう。
そんな道理はこの男にはない。奴には負けられない、奴が出来るのならば俺にも出来る。そんな子供の対抗心に近しい心意気で、この男は息を吸うように覚醒する。
今回もそうだ。目の前の男達は強い。技も冴えているし、正義も抱いている。だがそれは自分も同じ、ならば、俺にも勝てる筈。
そう狂信するだけで、ヴァルゼライドは『己のステータスを全てワンランクアップさせた』のである。
今のヴァルゼライドの全ステータスは『B+++』にまで相当する。+の分を差し引いたとしても、全ステータスがBと言うのは、凄まじいまでの高水準だ。
このような驚異的な覚醒をするに至った要因、そして何よりも、何をリソースに己のステータスを此処まで向上させる事が出来たのか?
今更それを、説明するのも野暮であろう。だが敢えてそれを説明するのであれば――気合と、根性。心の力だけで、不条理を覆したのである。

 やはり相も変わらず、バージルの動きは露程も見えない。しかし、自然に体は動く。
次に自分の身体の何処を狙うのか、目で姿が終えずとも解るのだ。その方向目掛けて左腕の刀を振るい、右手の刀でダンテのリベリオンを防御。
双方の攻撃を共に、防御。その瞬間ヴァルゼライドは目にも留まらぬ速さで、左手で握った光刀、その切っ先を天高く掲げた。
その瞬間、ガンマレイ勢いよく天空まで伸びて行く。その様子は、天上と地上とを繋ぎ止める一本の光の柱であり、
天高くまで伸びるその黄金の光の柱を遠くから見ている者は、其処に神が今まさに来臨しようとしている、と錯覚しても不思議ではないだろう。
天と地とを一本の黄金光が繋いだその瞬間に、ダンテのドレッドノートが砂城に吹いた突風のように舞い散って行く。維持可能なリミットをオーバーしたのである。
不穏な空気を感じたダンテは、ヴァルゼライドから飛び退き飛び退きながらも、両手にエボニーとアイボリーをアポートさせ、彼の身体に連射。
バージルの方も、ダンテ同様不吉な予感を感じたらしい。瞬間移動の連発を止め、ヴァルゼライドからやや距離を置いた所に出現。
しかし、彼の方もダンテと同じく、距離を離しつつも攻撃を放っていた。英雄を囲むように現れた、次元斬による断裂が正しくその証左だ。
だが、次元斬が身体を細切れにするよりも速くヴァルゼライドはその範囲からバックステップで飛び退いており、ダンテの放った弾丸は尽く、右手の刀一本で弾いていた。飛び退いた瞬間には、光の柱は既に天地を繋ぐ役目を放棄、彼らの視界から消え失せていた。

 ――ヴァルゼライドが着地した次の瞬間だった。
競技場の一地点がスポットライトを当てた様にぼんやり光っており、その地点に、直径二m程の大きさの金色の光の柱が、天高くから降り注いだ!!
これを皮切りに、競技フィールドのありとあらゆる地点が淡く光り始め、その地点を照準に、金色の爆熱光が次々と落下し、地面を粉砕して行く。
そう、着弾しているものの正体は、ガンマレイ。ヴァルゼライドが天に放った放射光が、成層圏にまで到達した瞬間枝分かれを起こし、それが次々と、
亜光速と言う破滅的な速度で<新宿>は新国立競技場へと降り注いでくるのである。次々と大地に黄金の光が降ってくる今の光景は差し詰め、雷神の癇癪宛らだ。
尤も、降り注ぐものが雷であったのならば、どれ程良かったものか。地上に継ぎ目なく堕ちて来るその光は、放射線を内在した死の光であるのだから。

 次々に落ちるガンマレイではあるが、狙い自体は完全なるランダムらしい。
地面が光るのも照準と言う訳ではなく、ガンマレイ自体が金色に激しく光っている為に、その光が地面に映っているに過ぎないのだ。
尤も、その地面を照らすかすかな光も、やがては見えなくなる。立て続けにガンマレイが着弾しまくるが為に、砂煙と土煙とが朦々と立ち込め始めたからだ。
地面に衝突したガンマレイが七発になった頃、ダンテとバージルが共に動いた。攻撃地点が完全なランダムな為に、棒立ちの状態でも今まで当たらなかったのである。
両名は共に空間転移を駆使し、その場から忙しなく移動を始める。動かなければ当たらない可能性もあるが、完全なランダムである以上その望みも薄い。
加えて地面に激突する速度は亜光速である。地面が光ったのを見てから回避に移る、と言うやり方では先ず直撃は免れない。結果的に、動きまわっていた方が命中の可能性が低くなるのである。

 トリックスターに魔術回路を組み替え、空間転移を繰り返すダンテ。
宝具に昇華されたスタイル・ダークスレイヤーによって行使可能な瞬間移動を、デビルトリガーを引いた状態で連発するバージル。
天からガンマレイが降り注ぎ始めてから、二秒が経過した。その間、四六発ものガンマレイが降り注いでいるが、今の所は二名に、裁きが下る様子はない。
だが、因果は巡るもの。二人で一人の敵を追い詰めていた事に対する意趣返しと言わんばかりに、その報いが訪れる。
今二人を攻め立てているのは、天から降り注ぐ光の柱だけではないのだ。それを放った当人、クリストファー・ヴァルゼライドは、静かに臨戦態勢を整え終えていた。

「お゛ぉおぉお゛ぉおぉ゛ぉおぉッ!!」

 バージルの斬撃を身体に受け過ぎた影響で、血が喉までせり上がっている為か、声の所々にうがいをするような水音が聞こえてくる。
声帯が擦り減るような雄叫びを上げさせながら、左手の刀を鞘に納刀、右手で握った一本にヴァルゼライドは光を収束させて行く。
最早、刀に光を纏わせていると言うよりは、刀身の形をした光が鍔の先から伸びている、と言う方が納得が行く程、刀身に纏われている光の強さは凄まじい物であった。
その状態で彼は、柄を両手で握り、全身全霊、膂力の全てを掛けてそれを横薙ぎに振るう。と、極大のレーザーとも言うべき黄金の光が、その剣身から解き放たれた。
無作為に放った訳ではない。彼はしっかりと予測を立てていた。次はどの位置にダンテ或いはバージルが現れるのか、その位置を予測した上で、ガンマレイを放った。ヴァルゼライドの狙いは、ダンテ。紅いコートを羽織った魔剣士だ。

 己の放った黄金光が生んだ、その威力を如実に示す砂煙。この副産物を、ヴァルゼライドの放った渾身の爆熱光は、雲散霧消させてしまう。
何かが来る、とダンテが予期し、回避行動に移り、空間転移を行い終えた時には、もう遅い。
タッ、と彼が着地した瞬間、途方もない熱を内在させた、吐き気を催すが如き痛みが、彼の左脇腹から全身に伝播して行く。既に光は、ダンテの身体の一部を捉えていた。
ナメクジが這い回る様な、粘ついて、冷たい汗が毛穴中から噴出する。本当に、経験した事のない痛みだ。
脇腹を、削られた。野球ボールが通り過ぎた程度の削り痕が、ダンテの左脇腹に生まれており、其処から血が大量に流れ出ている。
直撃は、免れた。だがロイヤルガードで防いだ訳ではないので、掠っただけとは言えモロに、ガンマレイの痛みと熱を受けた事になる。
地獄の業火を浴びたとて、飛来する巨岩に激突したとて、ダンテは此処までのリアクションを取らない。それ程までの、ヴァルゼライドのガンマレイの威力よ。
そして、ヴァルゼライドの放った横向きのガンマレイはそのまま、スタンド席を貫き、そして当然の事、新国立競技場からも出て行き、何処ぞへと消えて行く。
あの爆熱の光は、競技場から出た後も、破壊を振り撒きながら直進しているのか、それとも都合よく何処かで消えているのか。それは、謎であった。

 降り注ぐガンマレイが止んだ。攻勢を覆されてはならぬと、ヴァルゼライドは、刀に纏わせたガンマレイの強さと出力を更に跳ね上げさせる。
敵が強いと認め、そして事実強かった時のヴァルゼライドの覚醒に、天井はない。相手が強いだけ自分も強くなり、相手より強くなってもなお強くなり続ける。
その法則は勿論、自らの宝具であるガンマレイにも適用される。黄金の光の余りの熱量が故に、ヴァルゼライドの右手首がブスブスと炭化をし始める。
軍服の袖口も、完全に炎上を始めている。サーヴァントと言う、高次の霊基で構成された霊体ですらも自壊させるこのガンマレイは、完全にやりすぎだ。
だが、そんな要素は何ら、ヴァルゼライドの行動を阻害する理由足り得ない。躊躇いもなく英雄は、肥大化しきった裁きの刀を大上段から振り下ろす。
その瞬間を見切ったバージルとダンテが、即座に空間転移を駆使し、スタンド席の辺りまで飛び退いた。
アダマンタイトの刀の剣先が地面に触れるか触れまいか、と言う所に達した瞬間、天空から、直径六十m程もある巨大なガンマレイが落下、それが地面に激突した。
その瞬間、競技フィールド全体は元より、新国立競技場と言う建物全体――いや、この建物が位置する霞ヶ丘の街どころか、<新宿>全体が、さくかに揺れた。
震源地である新国立競技場とその近辺にいる者達は、余りの揺れの強さに立っている事すらままならないだろう。
それ程までの地震を生むガンマレイは、今までのそれとは違い、砂煙一つ立たせていなかった。立ち昇る筈の砂煙ですら、消滅させてしまう程の熱量と出力だからだ。
爆熱光は地面に激突した瞬間、光の柱の直径をそのままに地面をも消滅させ、そのまま地中へと消えて行き――。
そうして生まれたのが、競技場のほぼ真ん中に刻まれた、深さ八千mの大穴である。小石を投げ入れても、地の底にまでそれが届き、衝突の音を奏でる事は、
永遠にないのではと思わせる程の深さをしたその穴を。ヴァルゼライドのガンマレイは容易く刻んでしまったのである。

「……お前は……」

 地獄にまで通じていると説明されても、何の疑いも抱かずに信じてしまいそうな程深いその穴を見つめながら。バージルは呆然としたように呟いた。悪魔化した際に特有の、歪んだような声音には、訝るようなものが隠顕していた。

「お前は……何者だ?」

 閻魔刀による斬撃の嵐を受けて、ダンテが操るリベリオンの一撃を幾度も喰らい。その末が、骨や内臓が傷口から見え、至る所が目に痛い程血で赤いと言う現状だ。
今のヴァルゼライドの状態は、既に立っている事すらままならない、と言う次元ですらない。サーヴァントとしての存在を保てぬ程のダメージなのだ。
閻魔刀はただの刀ではない、魔力を喰らう刀だ。これでサーヴァントに直接ダメージを与えれば、その構成する魔力を喰らわれるに等しい。
あれだけの量の斬撃を叩き込まれれば普通は、そのサーヴァントの霊基を構築している魔力の大部分が喰らわれ枯渇し、この世から消えてなくなる筈なのに。
何故、クリストファー・ヴァルゼライドと言うこのバーサーカーは、無事でいられる。何故――初めてこの新国立競技場に現れた時以上の強さでいられるのだ!! バージルもダンテも、そんな疑問が頭の中の余白を全て埋め尽くしていた。

「その問いの答えは、既に貴様には語った筈だ」

 軍服の袖が燃え上がっている右手首目掛けて、喉までせり上がって来た血を吐き捨て、無理やり消火させてから、ヴァルゼライドは口を開いた。

「クリストファー・ヴァルゼライド。ただの人間だ」

 自分がヒトであり、自分の本名が何であるかを疑う大人が何処にいる。とでも言うような程に、ヴァルゼライドの返答は、淀みのない物だった。

「ただの人間は、そんなズタボロの状態でピンピン出来ねーんだよ」

 悪魔としての再生力を働かせ、ガンマレイが掠った所を急速に回復させながら、ダンテが皮肉を飛ばす。
心臓を破壊され、銃弾が脳を貫通しても、ダンテもバージルも次の瞬間には行動出来る。悪魔の力が有する新陳代謝や、肉体の再生速度は、それ程までに凄いのだ。
その再生能力を以ってしても、瞬時に傷が回復出来ない。バージルも早稲田鶴巻町での戦いで、ガンマレイを纏わせた刀の一撃に直撃した。
その傷の大部分を治すのに優に数時間が入用となり、それだけ経過しても、まだ完治には至らない程である。
英雄の用いる、至悪を滅ぼす善なる光が、どれ程の威力とどれだけ凶悪な付随効果を齎すのか、と言う事の証左である。彼ら以外のサーヴァントであれば、掠めただけで最早戦闘不能に陥るだろう。

 ガンマレイを斬り裂き魔力を喰らった甲斐もあり、バージルはまだまだ、悪魔化を維持する事が出来る。
一方ダンテの方は、マスター自身が規格外の魔力タンクである為、悪魔化するのもまだ余裕がある。
負ったダメージは確かに大きいが、動けぬ程の傷ではない。それに、デビルトリガーを引けば再生力が向上し、確実に放射光によって負ったダメージの治りも早くなる。
何よりも、『魔剣スパーダ』を此処で引き抜くと、自分の奥の手がバレる。あれは本当に強い相手にのみ振いたい切り札だ。
ダンテにとってバージルもヴァルゼライドも強敵ではあるが、当面の敵はヴァルゼライド一人である。バージルと手を組んで、数の利を活かした上で葬りたい相手である。

 決まりだ。
デビルトリガーを今引き、今度こそ目の前の英雄(にんげん)に幕を下ろしてやろうと思った、その時である。
ヴァルゼライドが先程、ダンテに向けて放った特大のガンマレイ、それによってスタンド席に空けられた空けられた、新国立競技場の外の風景が見える程の風穴から、
幾つもの気配が雪崩れ込んで来た。一つは――背中に虹色の環を背負った桜色のコスチュームの少女と、黒いライダースーツの女性の襟をそれぞれ両手で掴み、
凄まじい速度で此方に迫る際どいコスチュームをした銀髪の女性。そしてもう一人は、ヴァルゼライドの黒軍服のデザインとの相似点が非常に多いそれを纏った、眼帯の女性であった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 魔王パムの心は、嘗てないと言う程に昂ぶっていた。
――楽しい。今の彼女の胸中を占める感情は、正しくこれだけ、と言っても過言ではない。
人間関係や社会的立ち位置から発生するしがらみを全て捨て、ゼロの状態から何かを振る舞う、と言う事柄が、これ程までに楽しいものだとは。
ルイ、と己を騙る男に召喚された当時は不服そうな感情を隠しもしていなかったが、聖杯戦争と言うイベントが、此処まで自分を開けっ広げに出来るとはその時は思っても見なかった。今となっては、感謝の感情しか彼には無かった。

 厳めしい、漆黒の籠手と具足を四肢に纏わせた状態で、魔王パムは迫りくる真空のナイフやプラズマ球、榴弾のような形状をした赤や白の弾幕を砕き続けていた。
また己の手足で自ら攻撃を迎撃している、と言う訳でもなく、己の黒羽に自動防御機能も付与させ、これにも防御を担当させている。
態々自らの拳足も使って攻撃に対応しているのは、培った格闘術の経験を錆びつかせない為である。
一見すればパムの方が防戦一方かと思いきや、そうではない。パムの方も、攻撃を行っている。
己の羽の一枚から銃口や砲口を幾つも生み出させ、これらの攻撃を放っている張本人、八意永琳とチトセ・朧・アマツに攻撃を行う事も忘れない。
弾丸は自動誘導機能が付与されており、弾き飛ばされたとて弾体自体が破壊されていなければ永久にターゲットを追跡し続ける。
そんな性質も、当に二人は御見通しらしい。永琳は己の魔術で生み出した、目に見えない障壁を展開させて弾丸を防御し、チトセの方も、
己の周囲に真空の刃を幾つも展開・固定化させ、其処に衝突した弾体を切り刻み破壊し、無力化している様であった。

 永琳もチトセも、生半な魔法少女では勝つ事は勿論の事、身体に傷一つ付ける事も叶わない強敵であった。
自分ですらが苦戦するのだ。魔王塾の生徒で何人、目の前の天才達に傷を負わせられ、膝を折らせる事が出来るのだろうか。
道を間違ってしまったが魔王塾きっての天才であるクラムベリーや、高い実力を誇る袋井魔梨華と言ったパムですら一目置く魔法少女なら或いは、と言うレベルだろう。
それでも、勝ちを拾えるかどうかと言う話になると、パムですら首を傾げる。少なくとも彼女ら以下の水準の魔法少女では、相手にもなるまい。
もしも近くに、魔王塾の面々がたむろしている場所があるのならば、この戦闘の後真っ先に其処に駆けつけて、パムは戦闘で滾ったテンションをそのままに、
彼女らに自慢してしまっているに違いない。「こんな強い奴らと戦ったのだ」、そう自慢するだけで、魔王塾の生徒達は、ズルいだとかなんだとか口にするだろう。特に、先に名前を上げた魔梨華の方は、地団駄を踏んで悔しがる。

 そんな強敵達を、自分は独占している。 
駆け出しのペーペーだった頃はそう言った状況もあったが、魔王塾の塾長であり、外交部門の切り札として君臨してからは、そう言った事も少なくなった。
やはり、自分一人で強敵達と戦うのは、心底楽しい。後続を育てる為の配慮だとかそう言うのを、一切合財かなぐり捨てられて、自分の思うように振る舞える。
自由である、と言う事の何と素晴らしく、楽しい事よ。自由を満喫し、謳歌する事の良い事よ。聖杯を手に入れてしまったらいっそ受肉して、三人一緒にフリーで活動するのも悪くないんじゃないかと、本気でパムは思い始めていた。因みに三人の内一人はパムで、残り二人はレイン・ポゥと純恋子である。

 パムの黒羽から伸びる砲口や銃口から無音で放たれる弾体と、チトセとサヤ、永琳が放つ必殺の攻撃が錯綜。
こんなやり取りが既に、数分以上続いている。三者共に必殺の技を有してはいるが、<新宿>の街に破壊を齎したくないと言う都合上、その大技を放てない。
つまりは、決定力に欠けるのだ。それ故、未だに決着がつかない。こうなると怖いのは、相手の攻撃よりも自分の性分だとパムは考える。
何時焦れて、競技場所か<新宿>全土、下手したら関東一帯に影響を及ぼす大破壊攻撃を行うか解った物ではない。
これを行って、無為にNPC達に死を招くのは、パムとしても望むべくじゃない。何か、現状を打破出来るような攻撃はないかとパムは模索する。
小手先だけの技では二人は倒せない。何かないか、と考えていたその時。弾幕を防ぐのに一役買っていた自動防御の黒羽が、弾幕が展開されていない方向へと勝手に動き出した。

「なっ!?」

 まさか、あの銀髪のアーチャーの奇術で、操作の権限を奪われたか、と。瞬間的にパムは思った。
だが、実際には違った。オートガードを担当させたその羽は、エラーを起こしている訳でもなく、寧ろ正常の動きをしていたのだ。
何故、黒羽が弾幕の密度が濃い方に移動したのではなく、攻撃の密度が薄いどころか弾一つ存在しない、『競技場側』の方に勝手に移動したのか。
黒羽は、確かに迫る攻撃に対して自動で動き、その脅威を跳ね除ける。では例えば、全く同じタイミングで異なる方向から異なる攻撃が来たら、どうなるのか。
その答えは――双方の内、『一番エネルギー量或いは熱量が強い方』を優先的に防ぐようにプログラムされている。
そう、今回この黒羽は、永琳の手によってバグを引き起こされ、見当違いの方向に勝手に移動した訳ではないのだ。『その方向に途方もない熱量とエネルギーの攻撃が来る事を感じ取ったから』、その方向にオートで移動したに過ぎないのだ。

 永琳達が展開する必殺の攻撃の防御よりも優先されるべき、謎の攻撃の正体とは如何に?
――その正体が今、この場にいる五名の女性達の前に雄々しく、烈しく、神韻縹渺たる姿を現した。

 五名の視界にまず最初に映ったのは、網膜が一瞬機能しなくなるのではないかと言う程の光量を宿した、黄金色の光である。
その光は轟音を立たせて、競技場の外壁を吹っ飛ばし、そのままパムの方へと迫って行き、チトセやパム、埒外の思考速度を有する永琳ですらが認識不可能な速度で、
黄金光はパムの操る自動防御の黒羽へと衝突。黒羽は光が当たる直前に、攻撃を余す事無く防ごうと、直径数m程の大きさにまで拡大されていた。
やがて、光の正体が判別する。それは、光は光でも、円柱状の形をした光の柱であった。そうとパムが認識した瞬間、彼女は慌てて柱の範囲外まで逃れた。
黒羽と黄金光が衝突してからこの間、約半秒。パムの黒羽は、ゼロカンマ五秒しかその形を保てなかった。
炎で炙られた黒い紙のように羽は焼け落ち、消滅。遮るものが無くなった黄金の熱光は、そのまま直進。
進行ルート上にある数々の建造物を貫いて猛進、<新宿>と他区を遮る<亀裂>まで一瞬で到達、そのまま渋谷区方面にまで消えて行く。
と、一同が認識した瞬間だった、光の柱によって貫かれた建造物が、盛大に爆発して行き、木端微塵に砕け飛んだ。
飲食店やコンビニエンスストア、霞ヶ丘に建てられた団地や、その先にある渋谷区のビルも、連鎖的に大爆発を引き起こし朦々と石煙が空へと立ち昇って行く。
方々から、悲鳴のような物が聞こえてくる。新国立競技場の内部から逃げ果せたが、その周辺に今も野次馬感覚で集まっているNPC達の声だった。
余りにも現実離れした破壊の光景、そしてすぐに、その悲鳴すらも掻き消す程の大音響が、この場所まで一気に叩きつけられてきた。

 ――そして、そのカタストロフも甚だしい光景が如何でもよくなるような、激しい震動が競技場周辺に走り始めた。
震度五は堅いのではと思う程の激震に、さしもの三人の女戦士達も慌てた。志希の方に至っては何が何だか解らず、両手両膝を地に付け四つん這いの状態になっていた。
激震の震源が、競技場の内部にある事を三人は突き止めたが、それが一体何なのかとなると、見当もつかなかった。どんな怪物が中に潜んでいるのかと、想像もしたくなかった。

 目を覆いたくなるような悲惨さと、見たくてなくても見てしまう程強烈な磁力と魔力を有した破壊の光景。そして、今しがたこの場を襲った地震。
三人は、戦闘を行うと言う事すらも忘れて、黄金光が通り過ぎた跡と競技場とに交互に目線を送り、それらを呆然と眺めていた。何があった、と考えるのはパムである。
黄金の光の柱、という特徴から、ルーラーから新たに指名手配された危険なサーヴァントである、クリストファー・ヴァルゼライドがいるのではと考えたのは永琳だ。
そして――今の攻撃の特徴から、内部に誰がいるのかを、全て理解してしまったのが、チトセとサヤの方だった。永琳の読み通りだった。内部に、いるのだ。チトセ達にとっての仇敵であるところの、クリストファー・ヴァルゼライドが。

 ――拙いな、今の攻撃の出力……流石のレイン・ポゥ達でも手に余るかも知れん――

 此処でパムは、国立競技場の内部に偵察がてら、レイン・ポゥと純恋子を侵入させた事を思い出す。
ひょっとしたらサボって、国立競技場から既に逃げ果せたのかも知れないが、もしもそうだったのならどれ程良かった事か。
このまま行くと、下手をすれば本当に内部で死んでいた、と言う可能性もゼロではない。勿論交戦しておらず生き残っている可能性もなくはないが、
どちらにしてもこのまま内部に留め置いたままでは本当に命を失いかねない。彼女らは同盟相手として非常に優秀である。此処で亡くすにはあまりに惜しい。
目の前にいる永琳とチトセ、と言う強敵との戦いが此処で終わるのは名残惜しいが、此処は我慢だ、とパムは自分に言い聞かせる。その我慢を受け入れるのに二秒程の時間が必要だった事から、彼女がどれ程悩んでいたのか窺い知れよう。

「この建物の内部にて、待っている。私とケリを付けたいと言うのなら、追って来るが良い」

 捨て台詞を吐いてから、パムは、ヴァルゼライドの放ったガンマレイによって開けられた大穴から、競技場内部へと侵入。そのまま戦線から離脱する。
逃げたのではない、今の行動には二通りの意図がある。一つは、先ほども言ったようにレイン・ポゥ達の身の安全の確保の為。
そしてもう一つが、ある程度本気を出せるフィールドの確保の為。簡単だ、競技場の外で戦うよりも、戦う場所が広い競技場のフィールドその物で戦った方が、
パムとしても本気を出しやすいからだ。自分と決着を付けたいのなら、追って来い。その言葉は本心から出た言葉だ。
但し、追ってきた場合は、此方も本気を出す。競技場の内部も、パムが本気を出すには全然至らぬ程狭い空間ではあるが、それでも、先程まで永琳達と熾烈な戦闘を繰り広げていた場所に比べると、パムにとって出せる手札が一と十程も異なってくる。レイン・ポゥを救う事を考えながらも、永琳達との決着を付ける事も望んでいる。パムは、根っからのバトルマニアであった。

「……追うの?」

 今まで構えていた弓を下ろし、先程の戦いで負った傷を癒す為、治癒の魔術を身体に充てながら永琳が言った。
パムはああ言っていたが、永琳としては追跡する気はそれ程なかった。志希をこれ以上この場に留め置いても益はないからである。戦う必要性を見出せないのだ。
速い所メフィスト病院に戻った方が得策だろう、と言うのが永琳の考えだ。……無論、志希がまだ残ると言うのであれば、従者としてそれに従うつもりだが。

「アレを追う事はしないさ。適当にそこらの荒野で野垂れ死にして欲しいが……それで死ねば苦労しないだろうな」

 死んでくれと思って死ぬような人物なら苦労はしない。チトセも永琳も、同じ心持ちであった。

「それより――今の光を放った人物に用がある」

 そう、今の光を放った人物こそ、チトセ自身が決着を付けねばならない敵なのである。
その敵を倒して、彼女に勲が与えられる訳でもない。ただ、己自身の自己満足の為に、あの光を放った絶対善……ヴァルゼライドを斃すのだ。それが出来れば、悔いはない。あの男を葬れれば、聖杯に手が届かなくとも、満足して自分は消滅出来る、と言う物だった。

「其方は如何するのだ、銀髪の美人さん」

「そうね……ま、折を見て形振り決める事にするわ」

「のんびりした事だな」

「よく言われるわ」

 其処でチトセは、手に握っていた蛇腹剣を鞘に納め、ヴァルゼライドの放った裁きの光が空けた穴の方に目線を向ける。

「正直な話、助かったよ。アーチャー……で、良いのかな?」

「えぇ」

「ではそう呼ばせて貰おう。其方がいなければ、私は今頃、あの魔王に葬られていたかも知れない。助力を得られて、此方としては非常に助かった。礼をしたい……と言うのは山々だが、今は持ち合わせも何もない上急ぎの身でね。次に生きて出会えた時に後払い、で良いか?」

「期待してないで待つわ」

「意外と手厳しいな……。私からは、以上だ。さらばだ、名も知らないアーチャー。貴殿の月弓神(アルテミス)の如き弓術……見事だった。次に出会う時も、敵ではいて欲しくないものだ。――では」

 「行くぞ」、そう口にするとチトセは、その穴の方へと走って行った。
彼女の言葉を受け、志希の近辺を警護していたサヤが、「ご武運をお祈りします」と口にし、チトセの後を追うように駆け出して行く。
両者共に、風の様な速度であった。それ程までにケリを付けたい相手が、向こうにいる事の何よりの証拠であった。

「敵でいて欲しくない、か」

 それは、永琳としても同じ事。
戦えば勝つのは自分だと言う自負に揺るぎはないが、それでも、戦う相手は選びたい。あの眼帯の女傑は、永琳としてもなるべく戦いたくない部類の女性だった。
そして何より――まだまだ彼女には教えて貰わねばならない事が山ほどある。その筆頭こそ、本当に正規の手順でこの地に招聘されたサーヴァントなのか、と言う事だ。
その機会を心待ちにしながら、永琳は、今も四つん這いの状態になっている志希の方に近付き、彼女に手を差し伸べながら口を開く。

「折見て形振り、の『折』は貴女よ、マスター。自分の意思で此処まで来たのでしょう? この後どう振る舞うかは、貴女が決めるのよ」

 永琳の声音は、マスターに向けられるものとは思えぬ程冷淡ではあるがしかし、志希に対する温情が隠せぬ程、彼女に対する思いやりが溢れていた。
一ノ瀬志希に、逡巡の時間はない。彼女に猶予された決断の時間は、何時だって短いのであるから。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ヴァルゼライドの空けた大穴は、競技フィールドまで繋がっており、大穴の向かい側。
つまり、穴の空けられた方とは正反対の方角にあるスタンド席に、同じ様な穴がない事から、これをしでかした人物達はその場所で戦っていたと言う事が解る。
其処にレイン・ポゥ達がいるのかと思いきや、競技フィールドに移動する途中に存在する、新国立競技場の屋内フードコートに、彼女と純恋子はいた。
見た所サーヴァントではないが、しかし、サーヴァントに近しい強さを誇る人間二人が同じ空間に存在し、その内の片割れ。
剣身が激しく燃え盛っている剣を振う青年を、黒衣の青年と一緒になってレイン・ポゥ達が追い詰めていたのだ。

 その状況で、レイン・ポゥ達が如何なる打算を働かせ、黒衣黒帽の男と手を組んでいたのか、パムには解らない。
ただ、一つ確かな事があるとすれば――その二名のマスター達は確実に、チトセと同等或いはそれ以上の強さの持ち主であると言う事であった。
とは言え、それだけの強さを誇っているとは言えど、やはり多勢に無勢。三対一では燃える剣を振う男、ザ・ヒーローは防戦一方だ。
このままだと、ザ・ヒーローは調子を崩し敗れるだろう、と言うのがパムの見解。ならば、最早レイン・ポゥが加勢する必要はない。
そう判断したパムは、眼にもとまらぬ速さで駆け出し、レイン・ポゥと純恋子の下まで近寄り、彼らの服の襟を掴み、飛翔。
そのまま一気に、競技フィールドへと移動した。ザ・ヒーローと、黒衣の書生・ライドウは、何があったと言わんばかりに、パムが消え去って行った穴の方に目線を送った。

「無事で何よりだ、虹の道化師」

 目的の所まで飛びながら、パムがレイン・ポゥをねぎらった。

「おまっ、テメッ……!! あと少しであのマスターを殺せたのに……!!」

「殺せてたらどうなるんだ?」

「令呪が、貰えたんだよ!! 中二ゴリラ!!」

 口から火が吹かんばかりの勢いでレイン・ポゥは激怒する。
彼女はパムに予め見せていたのだ。<新宿>に於ける指名手配犯――つまり、遠坂凛と黒贄礼太郎、セリュー・ユビキタスと彼女の操るワニ頭のバーサーカー。
そして、ザ・ヒーローと彼の駆るバーサーカー、クリストファー・ヴァルゼライドの情報。契約者の鍵の情報を見ていたなら、今戦っていたのが件の人物、
ザ・ヒーローである事など直に解るだろう。あと少しで令呪も獲得出来、剰え黒衣の書生の命も刈り取れたのに、何て事をするんだこのアマはと、レイン・ポゥは本気で猛り狂っていた。

「令呪百画よりも頼りになる私がいるだろう、一画程度捨てておけ。それはそれとして、アイアン・メイデン。身に纏っているのは私の黒羽か? 中々サマになってるぞ」

「えぇ、私も前線に出たいと思いまして、応用させて頂きました」

「将来有望だな、お前は良い魔法少女になる」

 ちなみにアイアン・メイデンとは、パムが純恋子に授けた魔王塾塾長のネーミングセンスがきらりと光る二つ名である。
こんな、頭の痛くなるような会話とやり取りをするような奴らと一緒に、聖杯獲得まで付き合わなければならないなんて、と。
レイン・ポゥが改めて思い悩んでいると、目的地、新国立競技場のフィールド――忘れがちだが、ほんの数十分前までアイドル達が歌って踊っての晴れ舞台としていた場所にまで到達した。

 其処には、あとほんの少しの契機で消滅は免れないと言う程に、手酷い傷が身体中に刻まれたバーサーカー・ヴァルゼライドと、
蒼白い魔力を発散させている異形のヒトガタと、左脇腹に傷を追った紅色のコートを羽織る男の三人が佇んでいた。
フィールドの真ん中には、どんな出力の攻撃を放ったのかパム達にすら悟らせない程、非常に大きな穴が開いているのが嫌でも解る。
そして何より、その穴の深き事よ。今レイン・ポゥ達は、パムに襟首を掴まれたまま高度五十m程の所を浮遊しているのだが、穴の底が全く見えないのである。
「深さ、八三一六m」と、羽の一つを精密走査用のそれにいつの間にか変更させていたパムが口にした。馬鹿な、とレイン・ポゥが小さく呟いた。
それはパムとて同じである。こんな深さの穴、自分の攻撃ですらも空けられるか如何か。――なんて、なんて……面白いのだろうか。口の端が吊り上がるのを、パムは隠せない。
一見するとあの、ヴァルゼライドと言う男はボロボロで、もう指一本も動かせない程の重傷を負っているように見えるが、その実、全く戦闘意欲を失っていないと言う事を、
パムは見抜いた。そしてそんな状態に陥って居ながら、あの男は、信じられない強さを誇っている。あの精神性は、パム好みであった。
何よりも、蒼いコート状の外皮に包まれた魔人の剣士と、紅いコートを羽織る男の、超常の強さ!! あれは一目見ただけで解る、桁違いに強い。
あれ程の強さの存在が、この小さな街に跋扈しており、そして今、そんな存在と戦えると思うと昂ぶりが隠せない。「おい、まさか、やめろよマジで」、と、小声でレイン・ポゥが懇願しているような気もするが、知った事ではない。

 動こうか、とした時に、である。
パムから見て真下の空間に、もう一人、この競技フィールドに姿を現す者がいた。それは先程までパムと戦っていた、チトセ・朧・アマツであった。
その姿を見た瞬間、この建物に来て初めて――尤も、この場にいる誰も知る由はないが――ヴァルゼライドが、心底から驚きに彩られた表情を見せた。
目線の先に佇む、鋼鉄でその身が構成されていると言われても誰も疑わない程、固い意思を体中から発散させるあの女性を。帝国内で鉄の女とすら呼ばれていたあの女の姿を。
ヴァルゼライドは忘れない。その在り方と正義を認めていて、そして彼なりに尊敬を払っていた女こそが、彼女であるからだ。

「チトセか……」

 其処に、再会を懐かしむような声音はなかった。敵に対して向けられる無慈悲な声音と、何ら変わりがない。

「私の事を忘れてないか、冷や冷やしたぞ。雷神(ゼウス)の命を裁く為、この女神(アストレア)。裁きの天秤を携えてこの場に参上した」

「――良かろう、来い。三人も四人も関係ない。最後にこの地獄に立ち尽くすのは――この俺だ」

 その言葉を契機に、蒼いコートの魔人・バージルと、それとは正反対の紅色のコートを羽織る魔剣士・ダンテが、その姿を掻き消した。
「お姉様、其方は英雄を!! 私は背後の敵を食い止めます!!」と、チトセの後ろに待機していたサヤが叫ぶ。
「頼んだ!!」、そう言ってチトセが地を蹴り、一気にヴァルゼライドの所へと駆け出した。
これと同時にサヤが、プラズマ球を一つ、光の英雄が空けた大穴に飛来させ、発破。轟音が穴から鳴り響き、煙がもくもくと穴から立ち昇って行く。
その、砕かれた建材の煙を突き破り、燃える炎で剣身が覆われた剣を持った青年、ザ・ヒーローが競技場へと現れ、サヤ目掛けてその剣を振り下ろそうとする。
ザ・ヒーローの神速の一振りを、一足飛びに十数mも飛び退いて何とか躱すサヤ。この後だった。新たに煙を突き破り、
黒衣のデビルサマナー・ライドウが競技場に姿を見せたのは。彼は自分が従えている悪魔であるケルベロスをザ・ヒーローへと嗾ける。
ケルベロスから距離を取ろうと走るザ・ヒーローに合わせて、サヤがプラズマの熱球を複数個操って飛来させ、ライドウも拳銃を発砲する。

 一方、向こうでは、チトセの操る嵐や稲妻が怒涛の勢いでヴァルゼライドを攻め立てており、
彼女の邪魔にならぬよう、しかし、確実にヴァルゼライドを追い詰める、バージルの次元斬や幻影剣が夥しい数量で放たれて。
そしてダンテの方はスタイルを銃器の扱いに長けるガンスリンガーに変更させ、操る二丁の拳銃から魔力を込めた弾丸を連射しまくっていた。
だが、これらの猛攻を一身に受けるヴァルゼライドは、両手に握ったアダマンタイトの刀をまさに神憑り的な技を以って操って、
飛来する稲妻や弾丸、幻影剣の数々を粉砕し、空間を切断する次元斬や目に見えない真空のナイフを見切って捌いて、回避して行く。教科書通りの、大混戦。それが、パムの視界で繰り広げられていた。

 ――そんな様子を見て、パムらが滾らぬ筈がない。

「混じるぞ」

「望む所ですわ」

「おい馬鹿やめろ、やめろぉ!!」

 そう叫び、いざパムが移動しようとしたその時である。
踊る者もいなくなり、タイタス10世に破壊されたまま放置された、アイドル達が踊っていたメインステージの方に近い側の入り口から、
新しい気配が勢いよく飛び出して来た。それは、何処かの学校指定制服を身に纏った少女と、如何にも年頃の男と言う風なファッションに身を包んだ青年を、
両腕に抱えたパーカーの青年だった。発する気配で解る、サーヴァントである。

 その光景に反応したのは、閻魔刀を振い激しくヴァルゼライドを攻め続けるバージルだ。
パーカーを着こんだライダーのサーヴァント、大杉栄光の姿を認めたバージルは、直に悪魔化を解除。
殺したくて仕方がないヴァルゼライドを、攻撃する事すらやめ、地上から二十m上空を浮遊している栄光の下へと一気に跳躍。
近付いてくる彼目掛けて、「危険だから今すぐ此処から離れろ!!」、と叫んでバージルに、制服を纏った少女の方を放った。
それを上手くキャッチしたバージルは、今も空中を舞いながら、己の足元に魔力による足場を創造させ、それを蹴って跳躍、軌道を修正。
まだ無事な方のスタンド席へと、少女、雪村あかりを抱えたまま着地。成程、如何やらあの蒼の魔剣士のマスターは、あの年端も行かない少女であり、
栄光とそのマスター・伊織順平と同盟に近い関係にあるらしい。それは、良い。だが、栄光の言っていた、『危険だから』、とは、何を指すのか。
――答え合わせは、バージルがスタンドに着地してから一秒たったかと言う短い時間の後、直に行われた。

 山のように盛られた火薬を一気に発破させたような轟音が、浮遊している栄光達の背後のスタンドから響いた。
その音の正体は、音源付近のスタンド席が、完膚なきまでに木端微塵にされる音であった。
嘗て其処が何であったのか、と言う事を悟らせない程に、スタンド席は完璧に破壊されており、更に、余りに無茶な破壊だった為か。
構造力学的に一気に不安定な形となり、スタンド席を覆う為の屋根が、音を立てて落下して行く。
これが、地面に衝突する度に、地面は軽く揺れ、砂嵐めいて煙が立ち昇って行く。その煙から、一人の男がゆっくりと、物見遊山でも決め込むような歩調で姿を現した。
顔に、恐らくは今回のイベントに出演していたであろうアイドルの来ていた制服を折りたたんで覆面のように巻いた、よれよれの黒礼服にスニーカーを履いた大男だった。
二m程もある緩く湾曲した柄の、直角についた刃渡り五十cm程の大鎌を左手に持ち、長さ四m程もある血で薄汚れて黒ずんだガードレールを右手に掴みながら。
凶器くじ番号八五番・農耕用の大鎌と、凶器くじ番号五十番・交通事故防止用のガードレールを手にした殺人鬼・黒贄礼太郎が姿を現した。

「――サクロアーショララ」

 その意味が何であるのかを全く掴ませない、気の抜けるような奇声を上げながら。覆面の間から覗くその双眸に、絶対零度の冷たさを宿らせながら。
黒贄礼太郎は地を蹴った。それだけのアクションで、音速の三倍に達する、信じられない移動速度であった。

「サクロアーショララ」

 ヴァルゼライドの下まで一気に距離を詰めた黒贄が、彼目掛けてガードレールを横薙ぎに振った。技術もへったくれもない、ただ力の限り振うだけ。
それだけで、音の八倍に達する速度を得たガードレールを、ガンマレイを纏わせた光刀でヴァルゼライドは防御。
地に足つけて踏ん張った、筈なのに。そんな努力は無駄だと言わんばかりに、ガードレールの振るわれた方角に、ヴァルゼライドは吹っ飛んで行き、フェンスに激突。そのままめり込んでしまった。

 新たに姿を見せた敵が、ヴァルゼライドとは別の指名手配サーヴァントだと理解したダンテ。
剣身の残像が目に映らぬ程の速度で、宝具である魔剣リベリオンを袈裟懸けに振るい、黒贄の身体の前面を斬り裂いた。
そして、此処に来てダンテも、パムも、レイン・ポゥも、チトセも、バージルも気付く。ダンテが攻撃してダメージを負わせるまでもなく、黒贄の肉体は、ヴァルゼライドのそれに負けず劣らずの損壊の具合である事を。

「サクロアーショララ」

 反撃と言わんばかりに、黒贄は手に持った大鎌を振い、ダンテの首を刈り取ろうとする。
それをボクシングにおけるダッキングの要領で回避、今度はリベリオンを腹部に突き立てようとするが、これを黒贄は、身体を半身にする事で回避する。
だが、完全に回避するには至らなかった。右脇腹から臍の辺りまでをリベリオンの剣身が捉え、斬り裂かれてしまう。しかし、そんなダメージを負わせるまでもなく、黒贄の腹からは既に、大腸や小腸の類が暖簾のようにそぞろと垂れていた。

「サクロアーショララ」

 奇声を上げ、黒贄はガードレールを大上段から振り下ろし、ダンテの頭部を砕こうとする。
しかし、そんな大ぶりの攻撃は当たらない。直にガードレールの範囲外までステップを刻んで回避。
ガードレールが地面に衝突、着弾した地点を中心に、競技場全体を覆う程のクレーターが生まれ、ヴァルゼライドの特大のガンマレイの衝突に勝るとも劣らぬ激震が走った。
あり得ない程の膂力に、「オイオイ……」とさしものダンテも焦る。直撃していたら本当に、死んでいたかもしれない。

 ダンテのサポートをするように、チトセが雨雲を競技場全体に展開させ、其処にスコールめいて豪雨を降らせた。
沛然と降り頻る雨のせいで、数m先の風景すら上手く認識する事が出来ない。これではダンテやバージルにも支障が来たされるだろう。
この程度で攻撃の鋭さが曇らないと言う信用があってこそ、チトセはこれだけの雨を降らせているのだ。そして事実、ダンテもバージルもこの程度の雨、如何と言う事は無い。過去こんな雨の中、二人は死闘を繰り広げていた事があるのだから。

 雨雲は、ただ雨を降らせるだけではない。不吉な黒雲には、途方もない電力が孕まれている。
そして、裁きの稲妻を今、チトセの展開した雨雲は黒贄目掛けて叩き落とした。――誰が、信じられようか、黒贄は雷を見る事もなく、眼にも止まらぬ速さで移動し、『回避した』。

「馬鹿なッ!!」

 魔術や異能などと言った、超能力に関わる措置で防がれるのは解る。
だがそれすらも関係ない、ただの身体能力で完璧に稲妻を回避する等、人間の技どころか、サーヴァントの技として考えてもあり得ない。
その驚くべき技に驚いている隙を狙うように、黒贄はチトセの下へと接近、ガードレールを振り上げて、彼女を股から頭頂部まで引き潰そうとするが、
これを防ぐべく、ダンテが黒贄とチトセの間に立ち塞がった。大剣で黒贄の振り上げを防御。……したは良いが、ガードレールが完全に振り切られると同時に、
ダンテは見事なまでに垂直の角度で、上空まで吹っ飛ばされる。『三百m頭上』に展開された雨雲を突き破り、ダンテは、文字通りはるか上空にまで吹っ飛ばされてしまった。

「サクロアーショララ」

 奇声を上げた瞬間、彼の身体中に、浅葱色の剣が何十本と突き刺さった。バージルの放つ魔力の剣、幻影剣である。
覆面で覆われた頭部にも、元よりボロボロの胴体にも、あり得ない方向に十重二十重と圧し折れている両腕にも。全部の部位に、である。
だが、それは何ら行動を阻害する要因になり得ないと言わんばかりに、黒贄はバージルの居る方向に目線を送った。

「下がっていろ!!」

 あかりの方にバージルが怒号を上げるや、黒贄が其方目掛けて駆け出して来た。
フェンスまで後十m程と言う所で跳躍、一気にバージルの下へと接近した黒贄が、魔剣士の脳天目掛けて大鎌を振り下ろす。
神速の居合で、大鎌を握る彼の左腕ごと細切れにしたバージル。飛び散る血肉と骨片。黒贄がこれに、堪えている様子はない。
バージルの言葉の意味を漸く咀嚼したあかりが、慌ててその場から退散する。

「サクロアーショララ」

 あかりが距離を取るのと同時に、黒贄が動く。右手に握ったガードレールを、乱暴その物と言う風な装いで、バージル目掛けて振り下ろした。
それを閻魔刀の剣身で防ぐが、二発目を防いだ辺りで、スタンド席全体に亀裂が生じ始め、三発目に到達した瞬間、その亀裂から完全にスタンド席が崩壊を始める。
黒贄とバージルは崩壊したスタンド席に姿勢を崩され、そのままスタンドを支える基礎部分に落下、更に、黒贄の無茶苦茶な腕力で衝撃を与え続けられた為に、
屋根が崩れて落ちて来る。それが彼らの所に衝突するよりも速く、黒贄は基礎部分から脱出。狙いを、あかりの方に定めた。

「させっかよ馬鹿ッ!!」

 と、あかりに攻撃を仕掛けようとする黒贄の方へと、順平を安全な所へと避難させ終えた栄光が特攻。
音の二倍で移動する事によって生まれた加速度を乗せ、黒贄の頭部目掛けて蹴りを行うが、それを必要最小限の動きで回避する黒贄。
カウンターと言わんばかりにガードレールを振って攻撃。慌てて、解法の透で身体に透過処理を行い攻撃を回避する。
最早黒贄の攻撃の速度は、栄光が反応出来るギリギリの速度にまで跳ね上がっている。この男が、時間の経過に従い攻撃の威力と速度が跳ね上がると気付いたのは、
この場に姿を見せるほんの一分前。それに気付いた時にはもう遅い。今や黒贄は、栄光では手の付けられない程の怪物になっていたのである。

 「そこを退け!!」、と言う、一言一句違わない同じ内容の男女の叫びが聞こえてくる。
それを受けて、急いで、風火輪の出力を上げその場から栄光は遠ざかる。黒贄もまた、軽くステップを刻んだ。
だが、黒礼服の殺人鬼の回避はやや遅れた。チトセが放った真空のナイフと、いつの間にか競技フィールドに空間転移していたバージルの次元斬。
それが、黒贄の左膝を捉えた。人参をよく研いだ包丁で切り飛ばすように、彼の脚部が宙を舞うが、これにすら、黒贄は如何と言う様子を見せていなかった。

「オイ、あれはお前達が戦った賞金首のサーヴァントじゃないのか?」

 と、それまで待機していたパムが、襟首を掴んでいたレイン・ポゥにそんな問いかけを投げて来た。

「ああ、そうだよ。それが何?」

 ズゥンッ、と言う腹に響く重低音が、指のように太い雨によって奏でられる雨音に混じって聞こえて来た。黒贄の腕力で崩落した屋根の瓦礫が地面に衝突する音だった。

「何、令呪は貴様にくれてやる、と言うだけの話だ」

「……あ?」

 何が何だか解らない、と言う風な表情のレイン・ポゥ。「鈍い奴だ」、とパムが呆れる。

「私が奴の首を獲って来るから、それを持ってお前はルーラーの下に駆けこむなりして令呪でも手に入れてこいと言うのだ」

 其処まで言うとパムは、無事な方のスタンド席にレイン・ポゥと純恋子を放り投げる。
咄嗟の事に彼女らも一瞬混乱したが、流石に歴戦の魔法少女である。くるりと一回転をして姿勢を制御した後、上手く着地。純恋子の方も器用に、レイン・ポゥの隣に着地した。

「お前達が必要だと思ったのなら、援護をしてくれても構わない。無論、私を狙う事も別に構わないが……私の力無しにこの地獄を切り抜けられると思うなよ」

 この上手い釘の刺し方は、流石に権謀術数の伏魔殿・魔法の国の一ブランチである、外交部門に属していた女性と言うだけはある。
今の状況、確かにレイン・ポゥの力だけでは上手く切り抜けられるとは限らない。パムには敵対の意思はなく、寧ろレイン・ポゥに対しては有効的な存在なのである。
それに、パムむざむざ此方の不手際で殺してしまえば、今後レイン・ポゥの主従は極めて苦しい戦いを強いられる事になるだろう。<新宿>の聖杯戦争は、甘くないのだ。
これをパムは、今の一言で虹の魔法少女に強く再認させたのである。チッ、と、愛くるしい容姿に似合わぬ盛大な舌打ちが、レイン・ポゥの口から響いた。パムは、聞いてやらなかった事にした。

「血が滾る」

 その一言と同時に、パムは、己の黒羽の一枚を百m上空まで浮遊させ、この大きさを拡大、そして、変形させて行く。
一秒経たずに黒い羽は、刃渡り三十m、柄の長さ十mと言うあり得ない程の大きさをして、黒一色の巨剣に変貌する。
そしてこれを、黒贄の方目掛け、彗星の如き速度で落下させたのだ!! 攻撃に気付いたチトセとバージルは、驚いた様な表情を浮かべて剣の範囲外から移動。
黒贄も遅れて攻撃に気付いたらしい。右腕一本でガードレールをぶん回し、剣身とそれを衝突させる。
時速七百㎞の速度で放たれた、重さ二十tの巨剣。それが黒贄の腕力によって、ブンブンと回転しながらあらぬ方向に弾き飛ばされてしまった。
これには流石のパムも驚くが、直に持ち直し、巨剣の下へと飛翔して接近。それを元の羽に戻して回収しようとする。

「サクロアーショララ」

 耳朶を打つような重い雨音の中でも、黒贄の奇声は、不気味な程よく聞こえて来た。
――怪異その物とすら言える黒贄の存在を滅するが如く、チトセの展開した競技場全土を覆う雨雲を完全に蒸発させ、
パムが今まさに回収しようとしていた、黒羽が変じた巨剣を泡沫のように消滅させながら、黄金色の爆熱光が天空から降り注いだ。
その熱の光が、黒贄の頭部に命中する。頭の左半分が、その爆熱光に消し飛ばされ、その痛みに苦しむ間もなく、黄金の光が地面に着弾。大爆発を引き起こした。
爆風に煽られ、凄まじい勢いでバージルやチトセ、宙を浮遊する栄光や、同じく浮遊していたパムですらが吹っ飛ばされる。ほぼゼロ距離から大爆発を受けた黒贄が、
オモチャのゴムボールめいて吹っ飛んで行く。数千mの高さまで、芝生や陸上トラックの合成ゴムが舞い飛ばされるその光景。着弾の勢いで建物全体を激震させるエネルギー量。どれだけの威力を、今の光は有していたと言うのか。

 フェンスにめり込んでいたヴァルゼライド、ゆっくりと姿を現し、チトセやバージル、栄光にパム、そして黒贄を一瞥。
次の瞬間、ガンマレイを纏わせた刀を天高くに掲げ、剣先からガンマレイを発射した。
成層圏までその放射光を到達させ、枝分かれさせた上で様々な点をランダムに狙い打つ、あの攻撃を放とうとしたのである。
だが、それを打つ事は叶わなかった。何故か? ――ヴァルゼライドが上空に放ったガンマレイの軌道上に、黒贄の腕力の影響で高度二千m地点まで吹っ飛ばされたダンテが、
空間転移を駆使して元の競技場まで急いで戻って来たのである。ダンテは、ヴァルゼライドが何をしていたのかを上空から確認した瞬間、
魔術回路をロイヤルガードのそれに組み替え、それを以て彼の攻撃を完璧に防いだのである。

 完全に攻撃の出鼻を挫かれたヴァルゼライド。
攻撃を無効化された理由に気付いた時には、既に悪魔にその姿を変貌させていたダンテが近くに着地していた。
そして、ヴァルゼライドの服を乱暴に掴むや、爆風のあおりを受け、競技フィールドの端まで吹っ飛ばされて地面に蹲る黒贄目掛けてヴァルゼライドを、
丸めた紙クズのように投擲。黒贄に激突する訳には行かず、水平に吹っ飛ばされながらも何とか姿勢を整え、ガンマレイを纏わせた刀を地面に突き刺し、勢いを完全に殺した。
それと同時に、ヴァルゼライドは急いで刀を引き抜き、サイドステップを刻んで距離を取る。そうでなければ、彼がいた地点に走る、次元斬と真空のナイフで、身体を細切れにされていた事だろう。

「サクロアーショララ」

 黒贄が立ち上がる。爆風をもろに受け、太腿の中頃から千切れ飛んだ両脚でだ。これは最早、立ち上がると言う言葉すら使うのが躊躇われる状態だろう。
だが、黒贄の声音に異常はない。相も変わらず気の抜けるような声で、見る者に無限大の恐怖を与える冷たい光を双眸に宿している。ゾッとする程のタフネスだった。
さぁ殺しに行こう、と言う段になって、何かに気付いた様に黒贄が音の速度で移動を始めた。自分の方へと迫る、青白く光る謎の光条の存在に気付いたからだ。
それは黒贄のみならず、パムやヴァルゼライドの方にも迫っており、一目で見切るのが不可能な程複雑な蛇行軌道を描きながら彼らに迫るのだ。
パムは、自動防御機能を付与させた黒羽で防御するも、黒贄は移動速度よりも光条の速度の方が勝っていた為、剥き出しになった状態の右脳を光に貫かれ、
ヴァルゼライドに至っては完全に不意打ちかつ、意識の外の一撃だったらしい。肝臓を、今の一撃で貫かれた。

「ごぉぁっ……!?」

 ヴァルゼライドに訪れた受難はそれだけに非ず。
彼の背後から、音もなく臭いもなく、何よりも気配もなく、七色の刃が伸び、それが、彼の胸部に命中、貫通し、彼の両肺をズタズタに斬り裂いたからだ。
レイン・ポゥだ。いつの間にかヴァルゼライドの背後に回っていた彼女が、完全に油断しきっていた彼目掛けて、唯一最大の凶器である虹刃を放ったのだ。
黒贄は、異常なまでのタフネスを有していると言う事を、事前に知っているのは彼女と純恋子だけであった。故に、この虹の魔法少女は黒贄を初めから無視していた。
どうせなら、殺せる可能性の高いヴァルゼライドを仕留めようとしたのである。その目論見は、今叶った。レイン・ポゥは今、この<新宿>の地で『英雄殺し』を成し遂げようとしていた。

「――まだだァッ!!」

 裂帛の雄叫びを上げ、ヴァルゼライドが覚醒した。
勢いよくアダマンタイトの刀を前後に振るい、己と地面とを縫いつける、レイン・ポゥの虹を溶断。
今も胸部を刺し貫いているそれを左手で引き抜き、陸上レーンの上に投げ捨てた。

「は、はぁッ!?」

 レイン・ポゥが驚きの声を上げた。
こうまで、自分の宝具をクリーンヒットさせているのに、全然平気な顔をしているサーヴァントばかりに当たると、流石の彼女も自信を無くす。
何故この男は、肺を破壊され、心室へと繋がる最重要点となる血管をズタズタにされているのに、当たり前のように平然と活動出来るのか。
……まさかレイン・ポゥも知らないだろう。今自分が仕留めようとした男が、『まだ終われない』と思い込むだけで、本当にどんな傷を負っても終わらない、理不尽の権化のような男であると言う事を。気合と根性をリソースに、何処までも成長する魔人よりも悍ましい超人である事を。

 レイン・ポゥの方に攻撃を仕掛けようとするヴァルゼライドであるが、それも叶わない。
彼は特に、この場にいる多くのサーヴァントに警戒されているのだ。ダンテに、チトセに、バージルに、そして栄光に。
そして、この場で唯一、栄光だけが特定出来る場所に、凄まじく高度な隠匿の魔術を使って、隠れながら狙撃を行っている永琳と志希に。
四面楚歌、とはまさにこの事だろう。ヴァルゼライドは正に、全方位に敵を作り過ぎてしまったのだった。

「サクロアーショララ」

 そしてそれは、黒贄礼太郎もまた同様。
永琳の放った必殺の光矢で脳を直接穿たれても、さも当たり前のように黒贄は立ち上がり、周囲を見渡した。
頭部を半分消し飛ばされ、ガンマレイの爆発をゼロ距離で受けて大損壊を負い、左腕もバージルの剣技で切り刻まれ、両脚が千切れているその状態で。
何故、生きていられるのかと、月の賢者は本気で理解が出来なかった。彼女の近くで、マスターである志希が嘔吐感を堪えている。永琳は今、理解不能と言う感情を抑え込んでいる。

 チトセが再び雨雲を頭上に展開させると同時に、ヴァルゼライドと黒贄目掛けてエボニーとアイボリーの弾丸を発砲するダンテ。
迫る凶弾を二人は高速で移動して回避するが、その移動先に合わせて、ヴァルゼライドの方には幻影剣を、黒贄の方には次元斬を以って対処するのはバージルだ。
ガンマレイを纏わせたアダマンタイトの刀で尽く浅葱色の魔剣を砕き落とすヴァルゼライド。
防御に気を取られているその隙を縫って、降り注ぐ雨に混じらせて、英雄を屠らんと頭目掛けてチトセが稲妻を落とす。
これを、当たり前の芸当だと言わんばかりに、刀を振い上げて真っ二つに裂いてしまうと言う凄まじい光景を見て、チトセは本気で、この男は化物だと再確認した。
一方、次元斬を放たれた黒贄は、凄まじいまでの瞬発力を以ってガードレールで地面を叩き、その勢いを利用して一気に二十m左方に飛び退く事で回避。
着地するその瞬間を待っていたと言わんばかりに、黒贄の周囲に魔力を固めた青と赤に光る弾幕が突如として現れ、それが彼の方に殺到。
ガードレールを無茶苦茶に振り回し、その七割程を破壊するが、残りの三割が、身体に命中。蜂の巣の如く、体中に風穴を開けられてしまう。

「サクロアーショララ」

 声帯も両肺も完璧に破壊されたと言うのに、何処からこの男は、奇声を口に出来るのか。
黒贄の不死性について、半ば確信に近付いていると言っても過言ではないレイン・ポゥと栄光が動いた。
一瞬で黒贄の目の前に移動し現れた栄光が、彼目掛けてミドルキックを行おうとするも、異常な程の瞬発力で飛び退かれ回避されてしまう。
回避した先目掛け、レイン・ポゥが幾つもの虹の刃を、黒贄の頭上前後左右から延長させるが、ボロボロになったガードレールを大車輪のようにぶん回し、尽くを砕いてしまう。物理的頑丈さについては折り紙つきどころか無敵とすら言える虹の刃など、最早問題にもならない程の腕力に黒贄は成長していた。

「白聖(サンクトゥス)!!」

 パムがそう叫ぶと、いつの間にか数を元通りに修復させた、黒羽の一枚が、地上から見た太陽のように白色に輝き始め、そして、肥大。
二十m程の大きさになるや、白く燃え盛る炎が、羽から伸び始め、ダンテとバージル、チトセに栄光、そして黒贄目掛けて伸びて行く!!
まるで餌を見つけた蛇のように向かって行く白い炎は、チトセの降らせた星辰光の豪雨など物ともせず、パムが意識した標的へと向かって行く。
ダンテはこれをロイヤルガードのスタイルで防御し完全に無効化させ、バージルの方は閻魔刀で切り裂いて己の活動魔力にし、栄光は解法の崩で完璧に砕いて迎撃。
チトセの方は、永琳の助け舟で救われた。彼女は白い炎目掛け光矢を放ち、それが炎に命中した瞬間、夢幻の如く焔を消え失せさせたのである。
そして、ヴァルゼライドは白い炎よりもずっと強い火力と熱量を持つ、黄金色に燃える刀を振るって力尽くで粉砕。黒贄の方もガードレールを振い、己の腕力だけで砕いて見せたのだった。

 ――この戦いはきっと、皆が死に絶えるまで終わる事がないのだろうと。心の何処かで、志希、安全な所に隠れているあかりと順平は思うのだった。
サーヴァントは元より、彼らのマスターであるザ・ヒーローやライドウも、サーヴァント同士の戦いには目もくれず、互いに殺し合いを演じている。
この戦いの果てにはきっと、勝者のない空虚な終焉だけが、死と言う名の虚無が大口を空けて皆を待ち構えているだろう事を、三人のマスターは理解した。
それは、怯懦だったのかも知れない。サーヴァント達は皆、自分だけは生き残ると思っているのかもしれない。それでも、そんな予感が三人にはするのだ。
三人は、夢想し、そして、想到出来ない。アイドルの大虐殺から始まったこの戦いが――どのようにして結末を迎えるのか、と言う事が。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「な、何、何が起ってるのコレ……!!」

 と、怯えた声音でスマートフォンを弄る少女の名は、トットポップ。
自他共に認める、飛び入り魔にして、日本の音楽業界に風穴を空けんと日夜励んでいるその少女は、彼女にしては珍しく、怯えた様子を隠せずにいる。

「も、もう逃げようよトット!! こんなの普通じゃない……!!」

 完全な涙目と涙声になりながら、彼女の友人である宮うつつが、彼女の衣服を引っ張っている。
SNSやまとめブログの情報を粗方見て、漸くトットポップは悟った、最早この新国立競技場は、アイドルのコンサートどころではなくなっていると言う事を。

 二人はあの後ずっと、倉庫に隠れて乱入の機を窺っていた。
今はその時じゃないその時じゃない、とずっと隠れていたが、ある程度時間が経ってから、アイドルの熱唱に湧いているのとは別種の悲鳴が聞こえて来たのだ。
何だろう、とその時は思っていたが時間が経過するにつれ、競技場は縦に横にと揺れるわ、鼓膜が馬鹿になる程の轟音が響き渡るわで、何が何だかの状態。
流石にこれはライブイベントで客を盛り上がらせる演出の域を超えていると気付いた二人は、スマートフォンを駆使して色々調べてみたが、其処で漸く、
この場所で何が起っているのか気付いたのだ。偽黒贄礼太郎――即ちタイタス10世があの大殺戮を繰り広げてから、実に十分以上も経過してからの出来事だ。

 逃げようと思っても、怖くて腰が上がらなかった。
まさか自分達のいるこの場所に、神楽坂で大殺戮を繰り広げた殺人鬼がたむろしているのだ。倉庫から抜け出して脱出しようにも、及び腰になってしまうのは当然の話。
音と揺れとは時間が経過するにつれて徐々に強くなって行き、遂には、この競技場全体が崩落するのではないかと言う程のそれへと到達した段になって漸く、
ガクガクの状態だった腰が復活。トットポップとうつつは初めて此処から逃げ出そうと行動に移したのだ。

 ドアを開け、外へと出るトットポップとうつつ。その時誰かが、廊下を横切ったのを明白に二人は目の当たりにした。
「ひっ……!!」と、うつつが声を上げる。もしや、あの殺人鬼……!? そう思うのも無理はない。今の二人の精神状況は、限界に近しかった。
ドアが開いた事に気付いたのか、横切った人物が其処へと近付き――蛇に睨まれた蛙の状態の二人にその姿を現した。

「っ……!! もう、何でこんな所に隠れてるの!! 早くここから逃げなさい!!」

 彼女達の瞳に映ったのは、明るい橙色の制服に身を包んだ、見た所トットポップ達と同い年の年齢の少女だった。
美人と言うよりはかわいい系の、明るく溌剌とした顔立ちで、二人は彼女に、ヒマワリの花をイメージした。きっと、さぞ笑顔が素敵なんだろうなと、うつつは考えた。

「此処はね、もうとっても危険な場所なんだよ? 早く逃げないと、本当にダメなんだから!!」

「じゃ、じゃあアンタは何で、わざわざ危険な方に行くんだよ!!」

 と、トットポップが食って掛かる。
そう、彼女らは知っている。今このオレンジ色の服の少女が向かっている方向は、競技場のフィールド。
あの殺人鬼が大量虐殺を引き起こし、今も轟音と震動の発生源となっている、見ずとも危険だと解る所。
そう、トットポップとうつつが隠れていた倉庫とは、フィールドとさして距離が離れていない場所にあった場所なのだ。
後十数m進むだけで、この少女は地獄の釜底とも言うべき場所にその身を投げ出す事になる。その事は、外へと通じる侵入口から嫌でも解る筈なのだ。

 ――解る、筈なのに。
少女は、うつつが思った通りの、大輪のヒマワリを思わせるような魅力的な笑顔を浮かべた。同い年の男の子や、年上の男性も皆ノックアウト出来るだろう素敵な笑み。
そして、うつつだけが気付いた。その笑みには明るさと一緒に、例え様もない程に深い悲しみが同居している、と言う事に。

「それはね……那珂ちゃんが、アイドルだからだよ」

「そんなの、理由になってない……!!」

 うつつが反論する。

「ううん、なってるよ」

 首を振って、オレンジ色の制服の少女、那珂が否定する。

「アイドルはね――皆を笑顔にして、皆に希望を与える、とっても素晴らしいお仕事なんだから。こんなひどい状況だからこそ――私が頑張るんだよ」

 其処まで言った瞬間だった。
那珂と呼ばれる少女の手足や腰回りに、アニメや映画で見た事のある、戦艦の装備の一部が一瞬で装着された。
「え、え?」と、うつつが困惑する。こんな装備、今まで目の前の少女にはなかった筈なのに。

「初ライブを見て欲しいのはやまやまだけど、今は逃げた方がいいね。さようなら、早くここから脱出して、いつもの日常を送っててね」

 その瞬間、那珂と言う名の少女は、目にも止まらぬ速度で競技フィールドの方へと、滑るように移動して行った。
「あっ、ちょ!!」と、トットポップ達が倉庫から飛び出し、フィールドの方へと顔を向ける。いつの間にか其処には、滂沱と雨が降りしきっているではないか。
ヒマワリを思わせる可憐な少女は、雨に濡れる事すら厭わず、外へと飛び出し、フィールドのど真ん中へと移動した瞬間、何処からかマイクを取り出して、叫んだ。

「――みんなー!! 今日は私、那珂のライブに来てくれてありがとー!!」

 それは、競技場全体に響き渡るような、陽性そのものの声音だった。
マイクの補助を借りずとも、どれだけ雨がその声の伝達を邪魔しようとも。観客席全体に響き渡るだろうと言う確信がある、見る者に元気を与える明るい声音だった。
バケツをひっくり返すが如き雨の中にあっても、そんなものには負けないと言わんばかりに那珂は、周囲を見渡し始めていた。

「トット、あの人の言う通りだよ!! 早く逃げ――……トット?」

 言葉を言いかけた時、うつつは、トットポップの様子がおかしい事に気づき、言葉を呑みこんだ。
遠い目をしながら彼女は、那珂が叫んでいるフィールドの方を見つめているのだ。その方向に、これ以上と無い美しい朝日が昇り始めており、それに目線を奪われるかのようだった。

「……綺麗」

 雨に濡れてもアイドルとして折れず、それどころか、雨に濡れてもなお美しいその向日葵に、トットポップは、一瞬で魅了された。
地獄の只中に在って、平和と愛と希望を説かんとする、那珂と名乗るアイドルの姿に――彼女は、天使を見たのであった。光を、見たのであった。

復元してよろしいですか?