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新宿・歌舞伎町、あるライブハウス。
新進気鋭ながら巨大な勢力とシノギを抱える半グレ組織〈デュラハン〉の息がかかっているここは、此度の決戦における事実上の拠点となっている。
その一室、普段は特別な来客に対してのみ使っている応接室の中に、英霊シッティング・ブルの姿はあった。
いつも通りの渋面に、普段に輪をかけて苦々しいものを滲ませながら。
彼は、椅子に座った"彼女"の処置を行っていた。
華村悠灯。地毛の覗いた金髪、痣だらけの身体、いかにも不良少女といった風体。
対レッドライダー戦線を抜け出したシッティング・ブルが駆けつけた時、その姿を見て絶句した。
人間の形をしていなかったからだ。正しくは首から上が、あらぬ角度に折れ曲がっている。
「……あ、もう動いていいか?」
「その筈だが、しばらくはあまり動かすな。私も初めて遭遇する事例だったから、どこまで処置が効いているか解らない」
彼を襲ったのは悠灯をひとり残してしまったことへの後悔と、それ以上の激しい困惑。
頚椎骨折という明らかな致命傷を負っているにも関わらず、悠灯は惨たらしい姿のままで平然と喋り、動いていたのだ。
狩魔が何かをしたのかと疑った。場合によっては関係が反故になるのを覚悟で、殺そうとすら思った。
だが他でもない悠灯自身がその憶測を否定した。曰く、ここを強襲してきた刺青の魔術師にやられたらしい。
十分に結界を展開し、ゲンジの原人も配備した万全の警護体制をすり抜けた凶手にも懸念はあったが、まずは目先の問題だ。
シッティング・ブルは混乱する頭をどうにか落ち着けながら、悠灯の傷の修復を始めた。
呪術とは他者を害するだけの力ではない。
呪(のろ)いである以前に呪(まじな)い。正しく使えば傷を癒やし、命を生かすことができる。
彼の技量の高さもあり、幸い、悠灯の折れた首はとりあえず修復することに成功した。
ただ依然彼女の胸は上下しておらず、体温も死体のように冷たいままだ。
――死んでいる。華村悠灯の肉体は、間違いなく生命活動を停止している。
なのに何故、彼女は生きて動き、話せているのか。
尽きぬ疑問の解を、シッティング・ブルはこの場に同席する"もうひとり"に求めることにした。
「……狩魔」
戯言を交わしている暇はない。
更に一切の嘘も、虚飾も許さない。
見据える瞳には、大戦士の冷徹な側面が覗いていた。
「何があったか、詳しく説明してもらおう」
「もちろんそのつもりなんだが……経緯はさっき話した通りだ。
ノクト・サムスタンプ。山越の奴が言ってた、聯合側の"協力者"だろう。
そいつがどういうわけか、あんたの結界と原人どもの警備を掻い潜って悠灯に接触した」
こめかみに指を当てながら話す狩魔の様子には、冷静沈着な彼らしからぬ当惑が滲んでいる。
ノクトの襲撃自体はまあ、そういうこともあるだろうと納得できないこともない。
想定が甘かった。〈脱出王〉の忠告の重さを見誤っていた。
魔術師でありながら、怪物の域に片足を突っ込んだ想像以上の難物だった――それで咀嚼できる。
が、悠灯の件に関しては狩魔としてもまったく意味不明の事態であった。
「俺も、悠灯は殺られたもんだと思ったよ。
首ってのは人間にとって最大の急所だ。そこが折れ曲がって生きてられる人間なんざこの世にはいねえ。
だから正直ぶったまげたぜ。とはいえそのおかげで令呪を節約できたから、俺としては貸しを作っちまった形だな」
「……ノクト・サムスタンプが何かしたという可能性は?」
「ねえな。奴さんも悠灯が動き出したのを見て驚いてたよ。
演技って可能性もあの様子じゃまずないと思う。想定外に直面した奴の顔だった」
あの後、狩魔は悠灯を連れてすぐさまライブハウスに退いた。
ノクトの再襲撃に備え、臨戦態勢を取った上であらゆる事態に備えた。
狩魔としても、悠灯に対しては多少の情がある。
シッティング・ブルが駆けつける前に彼女の容態確認を行ったのは、他でもない彼だ。
「最初に見た時もたまげたが、軽く触診してもっと驚いた。
体温が人間のそれじゃねえ。心臓も脈も止まってるし、瞳孔も開きっぱなしだ。
誰がどう見ても、死体だった。なのにこうやって平然と喋り続けてんだ」
「…………こんな時に言うのもなんですけど、狩魔サンはもうちょっとデリカシーを身に着けた方がいいっすよ。いやマジで」
「しゃあねェーだろ。俺だってガキの乳なんざ触りたくなかったよ」
ジト目で見つめる悠灯に、狩魔は煙草片手に肩を竦める。
緊急事態故踏み躙られた乙女の尊厳(そういうガラじゃないのは、悠灯がいちばん分かっている)はさておくとして、狩魔とシッティング・ブルの見解は一致していた。
華村悠灯は死んでいる。死んでいる筈なのに、生きている。酷薄に聞こえるかもしれないが、生ける屍という他ない状態だ。
「私見を聞かせろ、キャスター。俺にも関わる話だからな、できれば正しい認識ってやつを持っておきたい」
「……君が何もしておらず、手にかけた凶手も然りだというのなら、可能性はひとつだろう」
要するに、自分達は勘違いしていたのだ。シッティング・ブルはそう思った。
己も、悠灯も。彼女の身体に宿っている力、ないし魔術の正體を履き違えていた。
「悠灯自身が持つ力。天命に逆らってでも、現世に留まろうとする魔術……」
肉体強化。痛覚の遮断。そんなもの、ただの表層に過ぎなかったのだ。
むしろ本質はこちら。実情を問わず、そこに命があり続けているという結果だけを希求する力。
「さしずめ――"死を誤魔化す力"とでも言ったところか」
肉体が死ねば魂はそれを抜け出す、これを人は"死"と定義する。
しかし悠灯の力は、その当たり前をすら拒む。
魂の離脱に抗い、既に役目を失った肉体にそれを留め置く。
そうやって宿主の生存を証明し続ける、そういう力だとしか考えられない。
死を破却するといえば聞こえはいいが、実情はまったくそんなものではなかった。
実際に触れ、治すにあたって容態を把握したシッティング・ブルにはわかる。
少なくとも悠灯に宿っているこの力は、神寂祓葉のようなご都合主義の不死ではない。
これはあくまで誤魔化して、しがみつくだけの力だ。
子どもの駄々、悪あがき。
点数の悪かった答案を机の奥に隠して、当座の安寧を得ようとしているようなもの。
その証拠に悠灯の心臓は止まったままだし、人としてあるべき体温のぬくもりも消えたままである。
死んだ肉体を、死体のまま動かして生者を演じているだけ。
生きたいのだろう? 死にたくないのだろう? なら叶えてやろう、ほらおまえはまだ生きている。
傷は治らない。抜け落ちたものが戻ることもない。死者というカタチのまま、無理やり世に蔓延り続けるリビングデッド。
噛み締めた奥歯はもはやひび割れそうだった。所構わず当たり散らしてしまいたいほどの、やりきれない気持ちが胸中に広がって消えない。
そして、何よりそれに拍車をかけているのは。
「……悠灯。君は、本当に大丈夫なのか」
「え? ああ……まあ、大丈夫だと思うよ。
いつも通り痛くはないし、キャスターのおかげで首も元に戻ったし」
当事者である悠灯の、奇妙な冷静さ。
命を奪われ、自分が生者とも死者ともつかない何かになったことを知った。
狂乱しても責められない状況にありながら、悠灯はむしろこうなる前より落ち着いて見えた。
「それに、なんかさ。大変なコトになってるのは分かってるけど、気分はさっぱりしてるんだ」
生きたい。生きたい。死にたくない――そう狂い哭き続けていた少女の顔に、わずかな安堵が見て取れる。
無理からぬことだ。形はどうあれ、その恐怖は彼女の中から取り払われたのだから。
ノクトの件がなくとも、いずれ悠灯はこの状態に辿り着いていただろう。
脳死と心停止を超えて生き永らえる"超常"。未来を願う少女から不安を除去する、出来損ないのご都合主義。
シッティング・ブルは、心穏やかでなどとてもいられなかった。
これならいっそあの時祓葉の手を取り、彼女と同じ無限時計の使徒になってくれた方がよほどマシだったとすら思うほど。
「だから、アタシは大丈夫だよ。心配かけてごめんな、キャスター」
華村悠灯は"成って"なお不死者などではない。
誤魔化しの力が、どの程度の損傷まで補ってくれるのかも不明なままだ。
首を切り落とされたら? 脳を破壊されたら? 全身を原型を留めないほどに粉砕されたら?
それで死ねるならまだいい。
どんな治癒も意味を成さないほどに肉体を壊され、それでも残った肉片に対しても、力が適用され続けてしまったら?
厭な可能性など、山のように思いつく。
けれどそれを口にする勇気は、シッティング・ブルにはなかった。
それをしてしまえば、今目の前にある不器用な微笑を惨たらしく壊してしまいそうで怖かった。
だから何も言えない。何も言えないまま沈黙する彼に、次は狩魔から切り込む。
「心中察するが、俺からもあんたに聞きたいことがある」
――話題は移り変わる。
赤騎士を迎撃するために打って出た彼らは、確かに一定の戦果をあげた。
だが、そこまでの経緯は決して順風満帆なものではなかったようだ。
この場にとある人物が不在である事実が、そのことを物語っている。
「ゲンジから詫びの連絡があった。
あいつを問い質してもいいんだが、知っての通り不安定なガキだからな。ここは客観的な意見が欲しい」
「……ゲンジのバーサーカーは、君の予測通り聯合のライダーを大きく弱体化させた。
しかしあくまで弱くしただけだ。根本の不死性を解決できないまま、我々は膠着状態に陥っていた。
そこに現れたのが白髪の老人。おそらくは山越風夏の同類であろう、"ジャック"と呼ばれる男だ」
「その名前は聞いてるよ。蛇杖堂寂句、山越お墨付きの怪物だな」
二本目の煙草に火を点けながら、狩魔は〈脱出王〉の話を思い出していた。
曰く化け物。人間の常識が通じない怪物老人。ノクト・サムスタンプとは別な意味で、絶対に関わるべきではない相手。
狩魔の口にした"怪物"という評に、シッティング・ブルさえ納得を禁じ得ない。
英霊の彼から見ても、あの蛇杖堂寂句という男は常軌を逸していた。
実力もそうだが、何より語る言葉に宿る力が異様だった。
一言一句すべてに他一切をねじ伏せるような強さが宿り、明らかに歪んでいるのにその歪みも含めて法だと断ずるような、狂的な傲慢さがあった。
「我々が手を拱いていたあの厄災を、蛇杖堂寂句のサーヴァントはわずか一撃で撃退した。
詳細までは不明だが、発言から推測するに抑止力の尖兵らしい。
更に言うならあのライダーも、どうやら彼女の同族……この星の意思に近しい存在であるようだった」
「門外漢だが、そりゃずいぶんとけったいな話だな。よくあるのか? そういうことは」
「無論、イレギュラーだろう。兎角そうして赤騎士は撃退され、その働きを担保に蛇杖堂寂句がゲンジに同行を迫った」
「無理やり連れて行ったのか?」
「いや。同伴したのは、ゲンジの意思だ」
ふう、と狩魔がため息を吐き出した。
漏れた紫煙が、ゆらゆらと応接室の中に漂っている。
「思ったより早かったな」
「……想定していたのか?」
「あいつはとっくに神憑りだ。俺達にどれだけしおらしい姿を見せてても、結局いつかは手前の信仰に向かっていくと思ってた。
できれば悪国のライダーを排除してからにしてほしかったが、起きたことにああだこうだ不満言っても仕方ねえ」
ゲンジが祓葉に傾倒しているのを、狩魔はとうに知っていた。
同時に、その狂気が既につける薬のない域にあることも。
周鳳狩魔は狂気を道具として扱いこなし、物事を進めてきた人間だ。
だからこそ分かった。分かった上で、あえてゲンジの中のバルブを開くように仕向けた。
山越風夏を彼と接触させたのもそれの一環。
効果は予想以上。燻るだけだった少年は、人道倫理を踏み砕く奈落の虫へと化けてくれた。
「原人の動員を要求されただろ。どのくらい持ってかれた感じだ?」
「五十人。それ以上は譲らないと蛇杖堂は言っていた」
「上手いな。過半数を持っていきつつ、絶妙に譲歩を感じさせる数字だ。
やってくれるぜ。傍若無人なようで、手前の大将のメンツは立ててやると暗に示してやがる。
できればもう少し人数の交渉をしてほしかったが、相手が悪すぎたな。ゲンジが駆け引きできる相手じゃねえわ」
嘆くようなことを言う一方で、狩魔にさほど動じた様子はなかった。
覚明ゲンジが想像していた通り、彼の出奔は狩魔の想像の域を出なかったのだ。
問題はタイミングと、持っていかれた原人の数。
ただしそれも、決して彼の描く筋書きを破綻させるほどの不測ではない。
「ありがとな、報告助かった。
野郎が無事で戻ってきたらヤキ入れるとして、聯合の化け物を無傷で追い払えただけでも上出来だ」
この場合の無傷とは、人員の欠損のことを指す。
シッティング・ブルは軽傷で戻り、ゲンジも手元は離れたが生きている。
原始の呪いを振り撒くネアンデルタール人達ももちろん健在で、デュラハンは一方的に情報だけを勝ち取って退けた形だ。
「キャスター。残り、そうだな……十五分でどれだけ結界を補強できる?」
「聯合のライダーとの交戦に際し、霊獣達の多くを戦場へ向かわせていた。それを呼び戻せば、大体倍程度の強度には仕上げられるだろう」
「今すぐ頼む。俺もゴドーを呼び戻して備えるよ」
聯合の赤騎士は、原人の呪いである程度まで零落させられる。
そう分かっただけでも戦果としては十分すぎる。
その上で蛇杖堂寂句のサーヴァントが打ち込んだ傷もあるのだ、聯合と揉めるにあたって不安点だった戦力面の格差はだいぶ埋められたと言っていい。
五十人の損失はでかいが、残り五十人弱もいれば立て直しは十分できる。
そも、狩魔はネアンデルタール人達に武力としての貢献をそれほど期待していない。
あくまで利用価値は彼らが持つ"呪い"の方にあり、だからこそゲンジの在不在は問題ではなかった。
むしろ分かりやすいアキレス腱であるゲンジが現地を離れてくれたのは見方によってはプラスでさえある。
後輩を気にかけながら、同時に駒として冷淡に評価し、必要に応じて使う。
それができるからこそ周鳳狩魔は不動の王なのだ。首なしの騎士団を従えて、若くして現代の裏社会に版図を広げることができたのだ。
「――なあ、キャスター。もしかして……」
「ああ」
おずおずと問うた悠灯に、シッティング・ブルは苦い声色のまま答えた。
マスターである狩魔が把握していることだ。サーヴァントの彼が、感知していない筈がない。
今、この新宿で起きていること。それは、各地に散っている霊獣達の視覚を通じて解っている。
蛇杖堂寂句の英霊から手傷を受けて撤退した赤騎士。アレの司る赤色の魔力が、異常に拡大していることも。
その拡大と並行して、街に住まう人々があらぬ狂乱に駆られ、筆舌に尽くし難い凶行に及び出していることも――すべて、解っていた。
更に言うなら。
追い詰められた赤騎士が、先の戦場で見せたのとは比較もできないほどの強大なナニカに変じ、大いなる破局を齎さんとしていることも。
「案ずるな。君のことは、今度こそ私が守る」
悠灯に、そして自らに言い聞かせるように、シッティング・ブルは言った。
「――君に喚ばれた意味を果たそう。私だけは、何があろうと君の味方(とも)だ」
鼓動が潰え、温度の失せたマスターの肩に手を載せて。
かつて偉大なる戦士と呼ばれた男は、決意を新たにする。
もう迷いはしない。どれほどの過酷があろうとも、決して守るべきものを見失いなどしない。
壊れた心を、使命感という名の糸で繋ぎ止めて。
継ぎ接ぎの戦士は、来たる厄災と向かい合う。
あるいはそれは、運命。戦争という人類の原罪に、居場所も尊厳もすべてを奪われた男としての宿痾。
奇しくも、彼の宿敵たる少年将校とは真逆の顔で。
シッティング・ブルもまた、己が恐怖の象徴と向き合うのだ。
◇◇
「――令呪を以って命ずる。戻ってこい、ゴドー」
三画の刻印が、ひとつその数を減らす。
光は空気に溶けて消え、程なくして馴染みの気配が形を結んだ。
「はい、どうも。さっきぶりですね、狩魔」
「使い走りをさせて悪いな。予想通り情勢が変わったから呼び戻した」
「それが私の仕事ですから。
君の命令通り、千代田に残っていた雑魚はなるべく殺しておきましたよ。
ただ、悪国征蹂郎を取り逃しました。情けない話ですが、彼に付いていた幼い魔術師にしてやられまして」
ゴドフロワ・ド・ブイヨン。
帰投した彼の身体は多少の土埃を浴びてはいたが、傷らしいものはほとんど負っていなかった。
アルマナ・ラフィーに加え、彼女が足止めに差し向けたカドモスの青銅兵三体を相手取った上でこの状態だ。
しかもゴドフロワは、数の限られたスパルトイのうち二体を破壊している。
聯合構成員の虐殺然り、短い時間ではあったものの、十分以上に仕事を果たしてきたといえるだろう。
「いいよいいよ。元々今回のは悪国のガキに揺さぶりをかけるのが目的だったからな。
逆鱗が分かりやすくて助かった。今頃は怒り心頭で、こっちの庭に乗り込んできてるだろうさ」
外は、もはや人界とは思えない有様になっている。
空は赤く染まり、そこかしこで喧嘩の範疇を超えた殺し合いが勃発し、紛争地帯もかくやの轟音がずっとどこかから聞こえてくる始末だ。
「勝ったとして、もうこんな街には住みたくねえな。拠点移さねえと」
「悪国のライダーが消えた後も影響が残留するのかは未知数ですが、同感です。
この地は穢れすぎている。正直に言って、呼吸するのも憚られるレベルですよ」
禍々しい。一言で言うなら、今の新宿はそういう状態だった。
老若男女、人種も国籍も問わず、あらゆる人間が不明な焦燥感と希死念慮に突き動かされている。
演者の資格を免疫と呼ぶならば、それを持たない一般人達にとっては罹ると発狂するウイルスが逃げ場なく埋め尽くしているようなものだ。
まさしく、末法の世。誰もが下劣な闘志を燃やして諍いに明け暮れる、地獄界曼荼羅の真っ只中。
特に――かの教えの信仰者であるゴドフロワは、これが如何に致命的な事態であるかを深く理解していた。
「到来と共に、世へ戦乱を運ぶ赤き騎兵(レッドライダー)。
黙示録が到来した以上、もう誰も引き返せはしません。
我々はもちろん、引き金を引いた彼らもそうだ」
赤騎士が本気で預言の成就に取り掛かり始めた時点で、もう悠長に権謀術数を楽しめる段階は終わった。
事前の予測通り、短期決戦の様相を呈し始めたわけだ。
狩魔がこのタイミングでゴドフロワを呼び戻したのも、それと無関係ではない。
「よって、恐らく勝敗はここで決します。
デュラハン(われわれ)か、聯合(かれら)か、負けた方はこの世界から消滅する。
この国では、天下分け目のセキガハラと呼ぶのでしたっけね。兎に角、正念場というわけです」
「一ヶ月でずいぶん日本の文化に馴染んだよな、お前」
「勤勉な質でして。八百万なる無神論思想には正直未だに虫酸が走りますが、そこを除けばこの国のことは好きですよ。特に食事が素晴らしい」
「ま、勝ったらまた馴染みの鮨屋でも連れてってやるよ。悠灯もゲンジも呼んで盛大にやろうぜ。
あいつら回らない鮨とか食ったことねえだろ。下手すりゃ腰抜かすんじゃねえか?」
「やれやれ、君の方は変わりませんね。相変わらずの世話好きぶりだ」
「歳食うとな、若い奴に高ぇ飯食わせるのが楽しみになってくンだよ。
俺も昔は手前の金で餌付けして何がいいんだか分からなかったが、あの頃先輩方もこんな気持ちだったのかもなぁ」
デュラハンと聯合が創った混沌が、どれだけ長く続くかは分からない。
しかし、少なくとも彼ら二陣営の戦いは間違いなくここでひとつの区切りを迎える。
狩魔か。征蹂郎か。どちらかの首が落ちて、どちらかの組織が東京から消えるのだ。
そんな大一番を前にして、この凶漢達は平時と変わらぬ落ち着きを有していた。
彼らは狂気の申し子だ。人間を怪物に変える手段の存在に気付き、それとうまく付き合う生き方を見出した冷血漢ふたり。
彼らには恐怖も、緊張もない。いつも通り、為すべきことを為すだけだと肝を据わらせている。
友人のように気安く語らい、当たり前みたいに戦いが終わった後のことなんか考えて。
いつも通りの自分達のまま、迫る赤き怒りの軍勢を打ち払う。
「もう兵隊も集めてある。どいつも酷く興奮してたが、敵が聯合だってことはちゃんと判ってるらしい。
あの様子なら駒として申し分ない。いや、むしろ正気の時よりよっぽど役に立つかもな」
「それは頼もしい。陣形の方はもう決まっているので?」
「とっくだ。これから悠灯も呼んで伝達する」
「今更ですが、君のような男がマスターでよかった。私は殺し合うのは得意でも、緻密に策を練るのはどうも苦手でして」
「どの道、狂戦士(バーサーカー)なんて肩書きの野郎に采配なんて任せらんねェよ」
「はは、それもそうだ――ところで、ついでにもうひとつ今更の話なんですが」
ゴドフロワは、つい先刻まで千代田にいた。
ひとりで、ではない。彼は数十人の兵隊を従えて虐殺に臨んだ。
「聯合征伐に遣わした彼らのことはいいのですか?
ある程度の兵は殺しましたが、それでも全員潰せたわけではありません。
惰弱な武器しか持っていない彼らでは、怒り心頭の敵方に敵うと思えませんよ」
ゴドフロワが令呪で帰投してしまった以上、その数十人は今も千代田区、聯合のお膝元に取り残されていることになる。
当然宝具は解除しているし、彼らを助けてくれる存在はいない。
拳銃と、後はせいぜいナイフの一本二本。それだけで各々、怒り狂った聯合の兵隊に対処しなければならないのだ。
悲惨な結末になるのは見えている。ゴドフロワに問われた狩魔は、しかし平然と答えた。
「運良く帰ってこれた奴がいたら、まあ多少は詫びとくよ」
後輩を可愛がる楽しさを説いた舌の根も乾かぬ内に、その犠牲を許容する。
周鳳狩魔は面倒見のいい男で、恐れられながらも人望厚く、下の者のため身銭を切ることも厭わない。
だが、彼は決して善人でもなければ、義侠の漢だなんて柄でもない。
人並みの人情は持っている。義理も重んじるし、理屈抜きに人を助けることだってある。
されど必要なら、自分で拾った小鳥だろうが淡々と犠牲にできる。
何故なら世の中、どうしたってどうにもならないことはあるのだから。
運命を呪う?
がむしゃらにあがく?
我が身を呈して、結末が見えていてもひたむきに立ち向かう?
人をそれは無駄と呼ぶ。
少なくとも、周鳳狩魔はそうだった。
そういう男だからこそ――彼は、決して悪国征蹂郎と相容れない。
◇◇
小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。
そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得えようとして出かけた。
小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。
すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互いに殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。
◇◇
異形の竜が、空を駆けていた。
巨体は天を衝くが如しで、それには頭が七つあった。
全身が鋼よりなお硬い鱗に覆われ、七頭に煌めくは同数の王冠。
燃え盛る火のように赤く、滑空の風圧だけで台風の到来に匹敵する被害が新宿を襲っている。
だが人々はそれを意に介すでもなく、ただひたすらに各々のやるべきことへ邁進していた。
怒号、絶叫、ヒステリックな泣き声が絶え間なく響き、時々鈍い音がする。
人々が隣人を愛さず、互いに殺し合う世を到来させる役目を、赤い馬の騎士(レッドライダー)は担うという。
まさに今、新宿はその通りになっていた。
騎士の変転により異常拡大された〈喚戦〉は、現在進行形で影響範囲を広げ続けている。
赤き呪いの射程に収まった者は戦意に呑まれ、自我、思想、渇望の類を暴力的なカタチに歪曲される。
そうなった者が取る行動は必ずしも一律ではないが、辿る経緯に差はあれど、最後に起こる事態はひとつだった。
我で以って我を通す、殺し合いである。
赤騎士が自ら手を下すまでもなく、新宿は殺人事件の集団群生地と化した。
トリック、アリバイ工作、証拠隠滅、そんなまどろっこしい真似は誰ひとりしない。
ただ感情の赴くままに殺すのだ。ムカつくから、許せないから、殺したいから殺す。
後先なんて誰も考えない。殺せ、殺せ、内から囁きかける声が迷える子羊達に道を示してくれる。
――――来たれ、眩き戦争よ、来たれ。
大魔王サタンの写し身を更に写した〈赤き竜〉は、半グレ達の殺し合いになど欠片の興味も持っていない。
更に言うなら聖杯戦争そのものさえ、この呪わしいモノにとってはどうでもよかった。
求めるものは預言の成就、役割の遂行。常にそれだけ。
だが、そんな機械じみた存在にも転機があった。
白き醜穢・神寂祓葉との邂逅である。
天蠍は騎士の不滅を破綻させたが、そうでなくても、その前からこれは壊れていた。
悪国征蹂郎の最大の失策。それは間違いなく、試運転の場に港区を選んだことだ。
大義に殉ずる精密機械を、この世界の神という不確定要素の化身に接触させてしまった。
その時点で、これはもはやあるべき姿を失い始めていた。蠍の毒は最後のひと押しに過ぎない。
自我を得た機械とは赤子のように拙く、支離滅裂なものだ。
光を目にした蛾のように、初めて知った感情へひた走らずにはいられない。
まるでかの神に魂を灼かれた、あの六人の魔術師のように。
〈赤き竜〉は、世界を滅ぼす神敵にならんとしている。
不浄な神を玉座から蹴落として、彼女とその箱庭を焼き尽くすことで預言の成就とする。
そしてその遂行は、もう既に始まっていた。
異常拡大する〈喚戦〉は、たとえ新宿の全域を呑み込んだとしても止まらない。
次は隣接する豊島区、中野区、文京区、千代田区、渋谷区、港区。
そこも終われば次は練馬、板橋、北、荒川、台東――……と、赤騎士が存在する限り広がり続ける。
その意味するところは何か。語るまでもない。
東京という都市(セカイ)の、事実上の滅亡である。
デュラハンと聯合の戦いは、とっくに彼らだけの問題ではなくなっていた。
これを倒せなければ都市は死に、安息の地は消え失せる。
今でこそ演者達は〈喚戦〉の影響を微々にしか受けていないが、全域がそう成ってしまったなら時間の問題だろう。
そうなれば聖杯戦争の存亡をすら左右する。事はもはや、この針音都市に存在する全員の問題に昇華されているのだ。
竜が、歌舞伎町と呼ばれる街の一点に焦点を合わせる。
感じ取る気配、要石から伝わってくる憎悪と執念。
数多の闘志の矢印で槍衾と化しているそこへ向け、竜の七頭があぎとを開いた。
禍々しいまでに赤い魔力が、渦を巻いて収束していく。
悪竜現象(ファヴニール)発生。
使命を、役割を超えた願望が赤騎士の霊基を崩壊しながら歪めている。
であればこれはもう、竜の似姿などと呼ぶべき存在ではない。
ガイアの怒りとして造られ、ヨハネの預言に綴られ、そしてその両方を逸脱した最新の邪竜。
赤い夜空を、その更に上を行く【赤】き光で染め上げながら。
レッドライダーの竜の息吹(ドラゴンブレス)が、空を引き裂いた。
七つの光条が絡み合い、螺旋を描いて一本に束ねられる。
狙うのは地上。決戦の地、これに敵も味方もありはしない。
既に陣を敷いている首なしの騎士達を平らげ、彼方への飛翔の糧にせんとして――
眩い黄金の光が、否を唱えるように飛び出した。
それは、実体を持たない光の軍勢。
信仰のために人倫を排し、虐殺と蹂躙を大義と呼んだはじまりの聖者たち。
顔はない。背丈も武装も、個人を区別できる様子は皆無。
指導者の意思を、その信心を、つつがなく遂行するための聖なる暴力装置ども。
しかし、光軍の先陣を切るひとりだけが違った。
白銀の甲冑。輝く十字剣を握り、十倍では利かない巨体に向け魁を担う騎士がいる。
大意の剣が、竜の吐息と正面から激突する。
次の瞬間、瞠目すべきことが起こった。
狂戦士の一刀が、赤き破壊光を圧し切り、弾き飛ばしたのだ。
どう見積もっても対城級の威力を秘めている筈の一撃。
いかに攻撃力に優れたバーサーカーといえど、正面からの力比べで打ち破るなど不可能な筈。
なのにこの白騎士は、それを事もなく成し遂げた。
成り立つ筈のない番狂わせ。その発生を招いた理由は、ひとつ。
本来の力が発揮できていない。
この感覚に、赤騎士は覚えがあった。
〈赤き竜〉とは、人類史の武器庫たるレッドライダーがアクセス可能な武装を継ぎ接ぎにして構築したいわば巨大な機械竜だ。
今見せたブレス攻撃も、火薬や爆薬、古今東西の化学兵器に神話由来の神秘武装を溶かし込んだ合成兵器(キメラ)である。
そこに悪竜現象を発現させ概念的竜化を果たしたことによるブーストが入り、火力は驚天動地の域に達していたが――
「うん、ちゃんと効いてますね。アテが外れたらタダじゃ済まなかったでしょうが、ゲンジには感謝しなければ」
明らかに、用いた武装(ねんりょう)の大部分が機能を果たしていない。
神秘殺しならぬ叡智殺し。"ある時代"より後に生まれた文明を否定する、古き者達の呪いだ。
ホモ・ネアンデルターレンシス。
デュラハンのジョーカーたる彼らの呪いが、再び赤騎士の戦いを大きく阻害していた。
姿は見えないが、恐らく巧妙に隠した上で歌舞伎町一帯に配置してあるのだろう。
彼らを全滅させない限り、その生存を脅かさんとする侵略者は否応なしに文明の叡智を剥ぎ取られる。
「それにしても」
地に降り、白騎士――ゴドフロワ・ド・ブイヨンは嘆息した。
改めて見上げれば、さしもの彼も気が遠くなる。
七つの頭と冠を持った、真紅の鱗の巨竜。
悪魔と殺し合う覚悟はしていたが、よりによってこんな大物が出てくるとは思わなかった。
「長生きはするものですね。よもや直でお目にかかる機会があろうとは」
たとえ模倣(コピー)だとしても、ゴドフロワはこれを無視できない。
狩魔が己にこの役目を与えた時は改めて人使いの荒さに呆れたが、彼の判断がどうあれ、これの相手は自分がせねばならなかったろう。
非情の白騎士。鏖殺の十字軍指導者。
いずれも正しい評価だが、それ以前にゴドフロワはひとりの信仰者なのだ。
神の教えを知り雷に打たれたような衝撃を受けた。
教えに親しむのは快感だった。そのために生きるのは誉れだった。
そんな男がああ何故、この竜/神敵を見逃せるだろうか。
「使徒ヨハネが伝えし〈赤き竜〉。
たとえ着包みだろうと、あなたのような冒涜者は見過ごせません。
よって未熟者の出しゃばりは承知で、ここに為すべきことを為しましょう」
針音の都市に神はいない。
あるのは偽りの、おぞましき造物主(デミウルゴス)だけだ。
であれば不肖この身、畏れ多くも尊き御方に代わって大義を果たそう。
天には〈赤き竜〉。
地には狂気の白騎士、光の十字軍、イマを呪う石の原人達。
「――死せよ神敵。我ら十字軍、ここに魔王(サタン)を誅伐する」
新宿血戦、第一局。
〈赤き竜(レッドライダー)〉に相対するは、ゴドフロワ・ド・ブイヨン率いる第一回十字軍。
◇◇
「撃て! 撃て! 根絶やしにしてやれ、はぁッはァ――!!」
刀凶聯合がデュラハンに対して持っていた強みに、武装の優位がある。
レッドライダーに生み出させた重火器の数々。
アサルトライフル、ロケットランチャー、火炎放射器、その他多種多様な近代兵器。
いずれも実際の戦場、その第一線で使用されるシロモノばかりだ。
一介の半グレが有していい範疇を超えており、あって拳銃程度がせいぜいのデュラハンではどうしても遅れを取ってしまう。
が――そんな大前提は、覚明ゲンジのサーヴァントの存在によってあっけなく崩壊した。
戦場を縫う網のように配備された原人達。
狩魔の辣腕で組まれた布陣が、本来直接向けられた武器にしか作用しない筈の"呪い"をデュラハン軍を守る城壁として機能させている。
「がっ、ぐぅ……!」
「クソが……!」
歌舞伎町に集結した聯合の兵隊達と、それを迎え撃つデュラハンの兵隊。
衝突の天秤はむしろ、デュラハンの方に傾いていた。
彼らは原人に敵対しない。だから銃を使えるし、その上で数の有意もある。
放たれる弾丸が聯合の不良達を抉り、血風を散らしていく様は残酷極まりなかったが。
では聯合が、原人を擁するデュラハンの軍勢にまったく為す術ないのかというと、それも違った。
「おいてめぇらッ! "気持ち"萎えてねえだろうな!?」
「あたぼうよ! むしろイイ気合入ったぜ、ブッ殺す!!」
「殺せ! 殺せ! 征蹂郎クンのために、死んでいった奴らのためにこいつら"全殺し"キメてやれぇッ!」
彼らは驚くべきことに、命中した弾丸のほとんどを無視している。
腹を抉られ、腕や足を撃たれ、どう考えても身動き取れない状態であるというのに平然と特攻する。
痛みなど感じていないかのようだったが、そんなことはない。感じた上で一顧だにしていないだけだ。
漲る戦意、昂り、眼前の怨敵達へ燃やす闘志。
レッドライダーの影響をかれこれ一ヶ月、緩やかに受け続けてきた彼らは例外なく〈喚戦〉の最終段階に達していた。
殺す、殺す。殺して勝つ。刀凶聯合に勝利を、デュラハンに破滅を、そして悪国征蹂郎に安息を。
青く美しい流血の絆が、赤騎士の変転によって完全に決壊し、彼らを聯合の敵を駆逐するまで止まらないちいさな怪物に変えている。
流石に脳や心臓に被弾した者は死んでいたが、逆にそうでもない限り平然と動き続ける。
人体の可動域を無視して動き、後に押し寄せる反動や代償などまったく顧みない。
そんな状態の聯合だから、人数差と武装差という圧倒的不利をすらねじ伏せて首なしの騎士団に食いつけているのだ。
「気色悪い奴らだ。まるで猿だな」
「害獣共はさっさと駆除して、狩魔さんに褒めてもらおうや。そしたら俺達みたいな木っ端でも昇進できるかもしれねえ」
「そうだな。せっかくこんなに身体が軽いんだ――たまには男見せるぞ、お前らッ」
さりとて。
〈喚戦〉に背中を押されているのは、聯合だけではない。
敵である筈のデュラハンもまた、湧き上がる闘志に少なからず身体能力を底上げされていた。
程度で言えば聯合に劣るものの、だとしても前述の優位を加味すれば猛る戦奴達と張り合える、そんな狂気の兵隊になれる。
命ない身体で、命を懸けて殺し合う。
赤く、赤く、どこまでも【赤】く。
互いの組織の存亡は自分達に委ねられているのだと信じて、痛ましいほど無垢に喰らい合う騎士と凶戦士。
そんな地獄めいた戦場の一角に、その男は立っていた。
「思ってたよりゴツいな。さすがは純粋培養のヒットマン」
デュラハンの元締め、狂気を道具と呼ぶ凶漢。
金髪のオールバックに黒のメッシュ、両腕に刻まれた双頭の龍。
いずれも片割れの頭のみを切り落として描かれた、彼の生き方を象徴する紋様だ。
周凰狩魔は当然、原人の呪いを受けない立場にいる。
彼はこの戦場の支配者。そんな男を射殺さんばかりに睥睨する青年は、長身の部類である狩魔以上に大柄だった。
「テメェの素性を洗うのにずいぶん金を使ったよ。正直痛手だったが、手間をかけた甲斐があったぜ」
白いコートを靡かせて、巨木のように頑と立つ黒髪の青年。彼もまた凶漢。
服の上からでも分かる分厚い体躯は、彼がどれほどの研鑽を積んできた人間かを物語っている。
「わざわざ事をデカくしてくれてありがとな、悪国征蹂郎。正直、お前に闇討ちされてたら為す術もなかった」
とある老獪で邪悪な蛇が創った"果樹園"、そこで育てられた恐るべき"道具"。
悪国征蹂郎という男のバックボーンはそれだ。
日本の裏社会などよりずっと粗暴で血腥い世界から、わざわざ半グレという月並みな土俵にまで下りてきた男。
上機嫌そうにさえ見える狩魔に反して、征蹂郎はひたすらに静かだった。鈍い鋼鉄のような威厳を孕んでそこにいた。
「――――周鳳、狩魔」
名前を呼ぶ。満を持して、面と向かって。
吐いた声には、万感の思いが宿っていた。
怒り。怨み。合わせて憎悪と呼べる感情、そのすべて。
浴びせられるそれは大の男でも腰砕けになるほどの気迫を伴っていたが、狩魔はあくまで涼しい顔だ。
「嫌われたもんだな。言っとくが、そいつは責任転嫁ってやつだぜ」
顎を突き出して、侮蔑の念を隠そうともしない。
顎を引いて睨め付ける征蹂郎とは、どこまでも対照的だった。
「手は差し伸べてやった。拒んだのはあくまでテメェだ。
お前が頭下げて、俺に忠誠を誓えばこうなることはなかった。
多少の冷水さえ我慢すれば、お前は大好きな仲間ともう暫くのんびり暮らせたんだよ」
頭下げて、腕一本詰めて詫び入れろ。
それでチャラにしてやる――狩魔は確かにそう伝えた。
蹴り飛ばしたのは他でもない征蹂郎だ。
そうして決戦は始まり、こうして血戦に至っている。
「見ろよ。お前の家族は、どいつもこいつも狂っちまった」
聯合とデュラハン、そのどちらかが今宵でこの世から消える。
されどこうまで事が破滅的になってしまった以上、刀凶聯合に未来はない。
何故なら彼らは、デュラハンと違って少数だから。
千代田に今も留まっている仲間の数はごく少なく、大多数の兵隊をこの新宿に投じている。
そして動員された彼らは〈喚戦〉の赤色に呑まれ、未来を度外視して闘う戦奴と成り果ててしまった。
「全部お前の失策だ。お前のつまらねえプライドと仲間意識が、こいつらを殺す。
勝っても負けてもテメェはすべてを失い、死体の山を見ながら虚しい結末に酔うんだ。
悲しいなぁ、悪国よ。テメェは強くはあっても、王(ヘッド)の器じゃなかったらしい」
答え合わせのように、痛辣に指摘される瑕疵。
「作り物の部下に信頼されるのは楽しかったか?」
この対峙の背景で殺し合う彼らは、敵も味方もただの人形だ。
魂はない。命もない。それらしいものがあるだけの張りぼて、舞台装置。
学芸会の舞台に設置された木のオブジェクトと変わらない。
「俺が壊してやった人形の姿は、そんなにもお前の心を打ったか?」
聖杯戦争という戦いに囚われ、その先に辿り着くことは決してない仮初め未満の命もどき。
「その時点でテメェは負けてンだよ。
いい歳して現実も見れねえガキ、図体だけは立派な情けねえボス猿。
この地獄は全部テメェの責任だ。しっかり見て、噛み締めて、嘆き悲しみながら地獄に逝け」
スチャ――、と。
狩魔が、首なしの騎士団長が遂に銃を抜く。
銃口は視界の向こう、絆以外知らないゴミ山の王へ。
彼は〈魔弾の射手〉。断じて頭脳仕事だけが得手ではない。
ここまで一度しか開帳する機会のなかった銃弾が、遂にヴェールを脱ごうとしている。
征蹂郎は身じろぎひとつせず、不動のまま……揺らがぬ殺意を浮かべて狩魔を見据えていた。
その口が、ようやく動く。
「分かっているとも」
射殺す眼光とは裏腹に、嘲りへの回答は自罰的でさえあった。
「貴様に、言われるまでもないんだ。
オレが一番、そんなことは……分かってる」
見ろ、この惨状を。
これのどこが、望んだ未来だというのか。
結局のところ悪国征蹂郎は、殺人者としては一流でも王としては三流以下なのだ。
刀凶の在り方は矛盾している。
命なき舞台装置に絆を見出し、その死を戦う理由にしてしまった。
弔い合戦に全面戦争という形を選んだのもまた、あまりに不合理である。
狩魔の言う通り、デュラハンを終わらせる最適解は征蹂郎単独での暗殺だった。
機を伺い、耐え忍んで待つことになら慣れている。
息を潜め、地を食み泥を啜ってでも闇に溶け入り。
長い雌伏の末に見えた一瞬で、標的(ターゲット)を殴殺する。
あの養成施設では、そういうことを教えられたのではなかったか。
なのに征蹂郎は、周りの足手まとい達が無邪気に向けてくる信頼に応えてしまった。
その時点できっと、結末は決まっていたのだろう。
勝とうが負けようが、刀凶聯合は破壊される。
狩魔の手によって。そして他でもない、悪国征蹂郎の愚かさによって。
「オレより貴様の方が……よほど、将として、そして王として、優秀だろうさ」
あまりにも対極な、ふたりの王。
片や合理のために絆を使い。
片や絆のために、合理を棄てた。
首なしの騎士を従えた、絢爛豪華な裏社会の王。
何も持たない孤独な友を連れた、みすぼらしいゴミ山の王。
「今更泣きを入れても遅えよ。
お前はあの時、俺の温情に従うべきだった」
絢爛の王が、底辺の王に言う。
その言葉には、憐れみがあった。
描いた理想に固執して愚かに破滅した者を見る眼差しだった。
周鳳狩魔はそういう人間を、これまで山ほど見てきた。
「それでも……」
征蹂郎が、拳を握り、構える。
対面して改めて分かった、狩魔という男の恐ろしさ。
怒り狂い、下手の横好きで策謀家に挑んでしまった末路がここにある。
確かに自分は愚かな男だ。
言い訳などできないし、するつもりもない。
悪国征蹂郎は、最初から破綻している。
殺し殺されの世界しか知らない男が、人並みの幸せなど夢見るべきではなかったのだ。
認めよう。おまえは強く、そして正しい。
だが、そう、それでも……
「――――それでも、オレの家族はまだ戦ってる」
どれほど狂おしく歪み果てても、征蹂郎の愛した家族はここで生きている。
血まみれになりながら拳を握り、信じた王に勝利を運ぶため、戦っている。
征蹂郎クンのため。死んでいったあいつらのため。必ず勝つぞと吠えながら、命を懸けて猛っている。
ならば、戦う理由などそれだけで十分だ。
オレに生きる意味と、その楽しさを教えてくれた同胞(とも)。
彼らからまたひとつ学ぼう、人間の生き方というものを。
何度失敗しても、泥にまみれて這い蹲っても、歯を食い縛ってあがき続ける無様を尊ぼう。
「馬鹿な野郎だ」
「お前の言う通り、育ちは悪いんでな……」
「俺もだよ。俺も、クソみてえな家で育った純粋培養さ」
よって本懐、依然変わらず。
刀凶聯合は、デュラハンの王・周鳳狩魔を討ち取り仲間の無念を晴らす。
こみ上げるこの戦意すら愛して、勝利のための燃料に用いよう。
「刀凶聯合。悪国征蹂郎」
「デュラハン。周鳳狩魔」
いざ尋常に、などという文句は彼らには似合わない。
正道も邪道も入り乱れ、手を尽くし合うからこその総力戦。
「皆の仇だ。滅べ、周鳳」
「やってみろよ。来いや、悪国」
これまでのすべて、すべて、この瞬間までの前哨戦に過ぎぬ。
面と向かっての宣戦が終わると共に、極彩色の光弾が嵐となって殺到した。
攻撃の主は、戦場に颯爽降り立った銀髪褐色の少女。
アルマナ・ラフィーの魔術が、色とりどりの色彩で蹂躙を開始する。
が、やはりというべきかそれは原人の呪いに阻まれた。
数十人のネアンデルタール人に近付いた途端、あらゆる光が途端に形を失う。
されど、アルマナもそんなことは承知の上。
彼女は原人の呪いがいかなるもので、何を条件に発動するのかもとうに見抜いている。
「やはり、あくまでもバーサーカー自体を守る力のようですね」
放たれた総数のざっと八割以上が消されていたが、逆に言えば残りの二割は狙いを果たしていた。
着弾し、原人にダメージを与え、巻き込まれたデュラハンの兵隊を爆死させる。
「これならアルマナも多少は仕事ができるでしょう。
武運を祈ります、アグニさん。ただしあまり期待はしないでください」
「ああ、十分だ……ありがとう、アルマナ」
本来、ネアンデルタール人のみを守る形で展開されている呪い――スキル・『霊長のなり損ない』。
狩魔はこれを綿密に練られた陣形の要所要所に絶妙な間合いで原人を配置することで、無理やり防壁として利用している。
カラクリは単純で、デュラハンや狩魔を狙って放った兵器や魔術の攻撃が、高確率で原人を巻き込む風にしているのだ。
たとえ故意だろうがそうでなかろうが、原人に攻撃が及ぶと判断された時点で呪いは発動する。
デュラハンを守る対文明・対神秘防衛圏の正体はこれだ。
なので原人を範囲に含まないよううまく攻撃できれば、アルマナがやってみせたように文明防御の理を貫通することは可能。
それには極めて高い攻撃精度が求められるが、アルマナ・ラフィーにとってそこはさしたる問題ではない。
むしろ彼女が警戒しているのは原人達よりも、もっと別な存在だった。
「主役のご到着だ。あんたもそろそろ暴れろ、"キャスター"」
狩魔の指揮に合わせて、ともすれば原人以上に絶望的な役者が顕れる。
獣革の衣服を纏った、壮年の英霊だった。
自然と親しみ、神秘を知覚して生きる、そういう者の装いをしていた。
顔に貼り付けた表情は憂い。瞳には底のない虚無を飼い、戦士は出陣する。
大戦士シッティング・ブル。
英霊を持たずに立つ青年と少女にとって、彼こそはまさに大いなる絶望。
「魅せてみろよ悪国征蹂郎――――これが首なしの騎士団(デュラハン)だ」
新宿血戦、第二局。
拳握る餓狼達に相対するは、絢爛なる首なしの騎士団。
◇◇
【新宿区・歌舞伎町 決戦場・Ⅰ/二日目・未明】
【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:『英雄よ天に昇れ』投与済、〈赤き竜〉
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
0:預言の成就。
1:世界を〈喚戦〉で呑み干し、醜穢なるかの神を滅ぼさん。
2:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]
※マスター・悪国征蹂郎の負担を鑑み、兵器の出力を絞って創造することが可能なようです。
※『星の開拓者』を持ちますが、例外的にバーサーカー(ネアンデルタール人)のスキル『霊長のなり損ない』の影響を受けるようです。
※ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具『英雄よ天に昇れ』を投与され、現在進行形で多大な影響を受けています。
詳しい容態は後にお任せしますが、最低でも不死性は失われているようです。
※七つの頭と十本の角を持ち、七つの冠を被った、〈黙示録の赤き竜〉の姿に変化しています。
※現在、新宿区にスキル〈喚戦〉の影響が急速拡大中です。範囲内の人間(マスターとサーヴァント以外)は抵抗判定を行うことなく末期の喚戦状態に陥っているようです。
部分的に赤い洪水が発生し、この洪水は徐々に範囲を拡大させています。
〈喚戦〉は現在こそ新宿の中でのみ広がっていますが、新宿全土を汚染した場合、他の区に浸潤し広がっていくでしょう。
【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康、『同胞よ、我が旗の下に行進せよ』展開中
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
0:天よご覧あれ。これより我ら十字軍、〈赤き竜〉を調伏致す。
1:神寂祓葉への最大級の警戒と、必ずや討たねばならないという強い使命感。
[備考]
※デュラハンの構成員を連れて千代田区に入り、彼らを餌におびき出した聯合構成員を殺戮しました。
※バーサーカー(ネアンデルタール人)を連れています。具体的な人数はおまかせします。
【新宿区・歌舞伎町 決戦場・Ⅱ/二日目・未明】
【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(中)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)、覚悟と殺意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:周鳳を殺す
1:周鳳の話をノクトへ伝えるか、否か。
2:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
3:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
4:ライダーの戦力確認は完了。……難儀だな、これは……。
5:ライダー(レッドライダー(戦争))の容態を危惧。
6:王としてのオレは落伍者だ。けれど、それでも、戦わない理由にはならない。
[備考]
異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。
六本木でのレッドライダーVS祓葉・アンジェ組について記録した映像を所持しています。
アルマナから偵察の結果と、現在の覚明ゲンジについて聞きました。
千代田区内の聯合構成員に撤退命令を出しています。
【アルマナ・ラフィー】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(中)、無自覚な動揺
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。内二体破壊、残り一体。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
0:アルマナはアルマナとして、勝利する。
1:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
2:当面は悪国とともに共闘する。
3:悪国をコントロールし、実質的にライダー(レッドライダー(戦争))を掌握したい。
4:アグニさんは利用できる存在。多少の労苦は許容できる。それだけです。…………それだけ。
5:傭兵(ノクト)に対して不信感。
[備考]
覚明ゲンジを目視、マスターとして認識しています。
故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。
※新宿区を偵察、情報収集を行いました。
デュラハン側の陣形配置など、最新の情報を持ち帰っています。
【周鳳狩魔】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り2画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
0:悪国を殺す。
1:魔術の傭兵の再度の襲撃に警戒。深刻な脅威だと認めざるを得ない
2:ゲンジへ対祓葉のカードとして期待。
3:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
4:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
5:死にたくはない。俺は俺のためなら、誰でも殺せる。
[備考]
※バーサーカー(ネアンデルタール人)を連れています。具体的な人数はおまかせします。
【華村悠灯】
[状態]:生命活動停止。固有の魔術が発動中。頸椎骨折(修復済み)、離人感
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたかった……はずなんだけど。
0:……なんだろ。なんか、あんまり怖くないや。
1:祓葉と、また会いたい。
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
5:あの刺青野郎ってば最悪!!
[備考]
神寂縁(高浜総合病院院長 高浜公示)、および蛇杖堂寂句は、それぞれある程度彼女の情報を得ているようです。
華村悠灯の肉体は、普通の意味では既に死亡しています。
ただし土壇場で己の真の魔術の才能に目覚めたことで、自分の魂を死体に留め、死体を動かしている状態です。
いわゆる「生ける屍」となります。
強いて分類するなら死霊魔術の系統の才能であり、彼女の魔術の本質は「死を誤魔化す」「生にしがみつく」ものでした。
自覚できていた痛覚鈍麻や身体強化はその副次的な効果に過ぎません。
この状態の彼女の耐久性や、魔力消費などについては、次以降の書き手にお任せします。
【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:疲労(中)、右耳に軽傷、迷い、悠灯への憂い、目の前の戦場への強い諦観
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:……、……。
1:悠灯よ……君は。
2:神寂祓葉への最大級の警戒と畏れ。アレは、我々の地上に在っていいモノではない。
3:――他でもないこの私が、そう思考するのか。堕ちたものだ。
4:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
5:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
6:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
7:覚明ゲンジ。君は、何を想っているのだ?
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。
前の話(時系列順)
次の話(時系列順)
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最終更新:2025年08月01日 00:43