「人とは極論してしまえば、皆が"幸福"を求める生物なのだろうよ」
月明かりの照らす静かな海原に、朗々と語られる男の声が響く。
その男は黒船の甲板に立ち、白光が中天に浮かぶ夜空を仰いでいた。波浪の一つも立たない水面と同じくして、彼の語り口は穏やかなものだった。
「恐らくは、これこそが人と動物を分ける決定的な違いなのだと、俺はそう解釈している。
自然に生きる人類以外の動植物を見るといい。彼らの在り方、生き方は至ってシンプルだ。生物としての本能に従い、必要な数だけ食らい増えるためだけに繁殖する。全ては生きるため、自らの種が存続するための行いだ。そこには不必要な利己がない、純粋な命の形がある。
対して人間はどうだ? 地球に発生した遍く生命たちの中にあって、唯一人間だけは無駄に塗れている。不必要な行いが多すぎる。
生きるための糧でしかない食に美味を求め、繁殖のための交わりに愛だの快楽だのを求める。果ては人類種族や共同体の未来よりも、自身の一時的な利益を優先させることさえある。
種族全体から見ればあまりに無価値。万物の霊長たるに相応しい知性を得ておきながら、しかし人間は種としての存続には極めて不向きな性質を持ち合わせている。
それは何故か───決まっている、人とは幸福を追求する動物だからだ」
男の声は穏やかで、友愛に溢れたものだった。敵意の類は一切なく、それは友人や家族、あるいは教え子に語る口調にも聞こえた。
敵意はない。
しかし、仮にこの場に第三者として誰かがいたならば、きっとこう思うはずだ。
───恐ろしい。体が、心が、最大級の警鐘を鳴らしている。
「念のため言っておくが、俺はこのような人の性を醜いとは一切思っていない。
むしろ逆だよ。種としての総意すら凌駕する自我、自らの欲を以て突き進む意思の強さは須らく賞賛されるべきなのだ。
日々を生き、より良きものを求め、至らぬ己を恥じた上で更なる高みを目指す。幸福の追求とは、すなわち人の努力と研鑚の動力源なのだから。
ああ素晴らしいぞ、寿ごう。世界は愛で満ちている!」
男が語るのは人間の賛歌だ。人の在り方を認め、賛美し、肯定する言葉でしかない。
だというのに、何故か。語る男の気配には尋常ならざる"圧"というものが存在した。敵意はないのに、男がそこに在るというだけでただただ恐ろしい。
それは意思の輝きだ。恒星のように燃え盛る精神が、否応なく畏怖の念を喚起させる。巨大な業火が人の足を竦ませるように、桁違いの熱量は常人には直視すら許さない。
「俺が醜いと言っているのはな、それを覚悟なく求める人間のことなのだよ」
───ならば。
ならば、愛と理想を謳うだけで余人の膝を折らせるだけの意思を持つこの男が、仮にその意思を敵意に染めたとしたら?
男の口調が変わる。美しいものを賞賛し、眩しいものを見つめる感嘆の声だったそれまでのものではない。彼が心底唾棄すべきと考える諸々に対する怒りと敵意が、その声にはあった。
周囲の空気が一変する。
波一つなかったはずの水面に、にわかに微かな揺れが生じ始めていた。
「己の身の丈に合わん過剰な利潤を対価もなしに寄越せと強張る。自分は守られ、殴られず奪われず殺されず、生きていく権利を持っているのだからと、そんな自分は優先されて然るべきだと何の努力も覚悟もなしに暴食と貪欲を底なしに求める。
ここ数日、海岸に屯していた連中がいい例だろう。奴らは熱狂と混沌を求め群がっていた。もっと刺激的な光景を、もっと熱狂的な展開をと望みながら、しかし自分は何もしない。する気もない。命を奪われる修羅場を目撃したいと願うのに、自分の命が奪われる可能性など微塵も考慮していない。
なあ、何なのだそれは。殺されはしないと高を括って、努力もしなければ覚悟も持たず、自分からは何も差し出さないまま夢を幸せを熱狂をと浅ましく求めるばかり。それはこの日の本において保障された人権と平和故に、安穏たる素晴らしき日々であると……そうなのだろうかなぁ。俺は悔しくて泣いてしまったよ。情けなくてみっともなくて、人間とはそんなものでよいのだろうかと」
言葉を皮切りに、男の内面にあったものが露わとなる。
その激情、この街に暮らす全ての人間、そして現代の人類そのものに対する、どうしようもない憤りが。
「自由とは、夢とは、尊厳とは───幸福とは。そこまで安く下卑たものか? 尊く光り輝くものは、時代の流れや見方使い方の些細な変化で、容易く醜悪に堕す程度のものか?
俺は違うと信じている。普遍でかつ不変であれと、人の歴史に謳い上げたい。盧生としてこの身が紡ぐ夢の形とはそういうものだ。
掴み取り、勝ち取ってこその幸福ではないか。だからこそ勇気の賛歌が眩しく諸人を照らすのではないか。
なあ、分かるか? 幸福の妖精よ」
そうして彼は、ずっと彼の傍らに在り続けたモノへと問いかけ。
『分からないわ』
"それ"は、一切の躊躇も迷いもなく、そう断言した。
『幸せになることは罪じゃないの。理由も躊躇いも関係ない、幸せになりたいと願ったなら、誰だって幸せになっていいの。
どんな迷いや、戸惑いや、疑問があっても……すぐに全てが消えてなくなるの。私は、そういう世界を作れるの』
それは、少女の姿をしていた。あまりに儚く、ともすれば実在すら疑ってしまうほどに存在感の希薄な少女。
サーヴァントは愚か市井の平凡な男にも容易く組み伏せられそうな華奢な体躯。
薄っすらと笑みを浮かべる、敵意の欠片も存在しない表情。
余人が気絶する重圧の只中にあって尚、平静を崩そうともしないその在り方。
『生きることも死ぬことも、恐れる必要はないの。死は一つの通過点に過ぎない、幸せの前には苦痛なんてないも同じなのだもの』
それを、最早人とも呼べぬその存在を睥睨して。男はつまらなさげに言った。
「なるほどな。お前はそういう性質を持つのか」
男は最早、少女を見ない。
男は今や、言葉を聞かない。
その目には、幸福の輝きなど何も映ってはいない。
「お前の在り方について、特に言うべきことはない。誰かを幸せにしたいという意思、大いに結構だとも。
だがお前には分かるまい。死の恐れすら取るに足りぬと言って憚らぬお前には、恐れも苦しみも痛みも悲しみも人には要らぬとするお前には」
男が掲げるは属性を問わぬ絶対値だけを基準とする異常の美学。
善も悪も男は問わない。輝きを宿してさえいればそれでいい。
故に人を醒めぬ夢に沈め、人類を滅亡させる暴挙であろうとも、それに値する意思があれば男は喝采しよう。
しかし。
しかし、それが己一人で完結し、他者の一切を見る意思さえないというならば。
「お前は誰も救えない」
そうして男は、
『幸福』にとっての価値全てを否定した。
『……分からないわ』
ラピスラズリの瞳を閉じて、少女のような何かは霧散した。現実には在らぬ幻のように、最初からそこにはいなかったとしか思えないほどに、それは静かな消失であった。
悲しげな表情を浮かべて、しかし彼女は悲しみを解さない。分からないという言葉はしかし、彼女の裡にある疑問を保障さえしない。湛える感情は幸福のみで、口では疑問を呈しようと「疑い」や「理解」の思考を彼女は持たない故に、それにはどこまでも幸福しか存在しないのだ。
後にはただ、凪いだ海原だけが残された。そこに浮かぶ戦艦の甲板にて、独りの男がただ空を仰ぐのみであった。
男一人だけの世界。
しかしそこに、突如として新たな気配が現れた。
「やあ、もう終わったのかな」
それは白衣の男だった。痩せ細った体は危うげで、しかしそこに感じられる気配は頼りなさではなく、妄執。
執念めいた何かを感じさせる男だ。男───トワイスは、己がサーヴァントである空を仰ぐ男に話しかけた。
「あれは恐らく『幸福の精』だろう。鎌倉で囁かれる都市伝説の一つだよ。何でも、出会えば一つだけ願いを叶えてくれるそうだ。笑えない冗談だね」
「笑えはせんが、あれはあれで興味深くはあったぞ。後学のために一度は見ておいて損はなかったと思うが?」
「それこそ悪い冗談だ。僕にアレを見ることはできないよ。何せ出会えば眠りに落ちる。
意思の絶対値ではなく、相性的にそうなるんだ。真っ当な強者ではなく螺子の外れた狂人でなければアレを耐えることはできない。君の言う"普通の人間"ではおよそ太刀打ちできないだろうね。
……ああそうだ。由比ヶ浜の一帯で大規模な昏睡事件があったそうだよ。聞くところによれば数百人もの人間が一斉に昏睡状態に陥ったとか。原因は未だ不明とのことだけど、十中八九アレの仕業だろうね」
『幸福』のサーヴァントは相対した人間を無差別に醒めることのない夢へと引きずり込む。
耐えるにはある種の狂気か相互理解の放棄が必要であるという。
"事前に聞いていた"情報と寸分違わず合致していた。
「正直なところ、あんなものが街中に放り出された状態で未だにインフラが機能しているということ自体が信じられないな。アレがその気になれば、鎌倉市程度なら半日とかからず壊滅できるだろう。
何かしらの制約があるのか、何某かの妨害を受けているのか、あるいは"そう定められて"いるのか……実はその気がない、というのは楽観視に過ぎるだろうけれど。君はどう思う、ライダー」
「さてな。興味は湧かんし、はっきり言ってしまえばどうでもいいことだよ。
それよりも、な」
ライダーと呼ばれた男は、つまらなさ気にしていた口許を、しかし愉快そうに釣り上げて。
「ようやくのお出ましだ。聖杯戦争が始まって以来、最初の"敵"が現れたぞ、トワイス」
鬼気迫る破顔を遥か遠くの地平線へと向けて。
同時に、夜闇を照らす赤い巨大な光が、戦艦ごと二人を呑みこむように着弾した。
───轟音が、鳴り響く。
………。
……。
…。
▼ ▼ ▼
真っ赤な花が夜闇に咲いた。
その瞬間、鎌倉市南部に住まうほぼ全ての人間が"それ"を目撃した。
もう何日も沖合に停泊している巨大な黒い戦艦。その総身を呑みつくすほどに巨大な、真っ赤な大輪の花。
そうとしか形容のできない橙色の光を彼らは目撃し、しかしその認識が間違っていることに気付いたのは、忘我の淵に追いやられてから数瞬が経過した後であった。
───相模湾沖に発生した膨大な質量の爆発が、由比ヶ浜と材木座海岸全域の大気を震わす極大の重低音を以て轟き渡った。
「死んだか? 不遜の輩」
夜の帳に沈む街並み、その中でもひときわ高い尖塔の先に立ち、長身痩躯の赤い影───
エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグは呟いた。彼女の立つ塔はおろか、眼下の街並みは未だ激震に揺れている。荒れ狂う大音響と衝撃波は鳴り止むことがなく、まるで鎌倉という箱を巨人が揺すっているかのように、目に映る全てが出鱈目なまでに震えていた。
核爆発もかくやという、巨大な紅蓮の火柱。
それを生み出した張本人が、烈風吹き荒ぶ中ですら何の影響もないかのように煙草の煙を燻らせるこの女であることは、最早言うまでもないことだった。
「既に話は承知している。純粋な力の多寡だけで言えば第四を遥かに超える原初の到達者……だったか。それが真実だとすれば、まさかこの程度でくたばるまい」
女はその背に炎によって構成された魔法陣を従えていた。描かれた紋様はルーンの秘跡か。それが意味するところは「勝利」の加護。
そう、彼女は戦奴たる己に勝利の責を課している。遍く戦い、遍く敵に勝利すべし。我が敗北を捧げるは唯一黄金の君だけであると。
そんな彼女は今、激憤する嚇怒の念を抱いていた。見た目こそ平静そのものだが、中身は今や煮えたぎるマグマのように沸き立ち。触れる全てを焼きつくさんと吠え猛っている。
それは何故か? 如何なる戦場においても冷静さを失わないザミエル・ツェンタウァが、何故ここまで我を忘れるほどの暴挙を為すに至っているのか。
決まっている───この聖杯戦争が、最早勝敗を決する以前の茶番に堕しているからだ。
死線の蒼よりもたらされた情報、それを理解した上での凶行。
破壊と殺戮をこそ望まれた自分には大勢を決する理などなく、故に行うは実行者の裁定である。
盤面は理解した、末路も承知した───だがそれで黙っていられる己ではない。
理屈としてはただそれだけ。全てが夢想の残骸ならば、せめて黒円卓の誇り高き騎士として痴れた宇宙に亀裂を刻み込むまでのこと。
故にこそ、己に容易く葬られる程度の英霊など、最早一秒たりとてこの鎌倉に存在して良い理屈などなく。
「───いいぞ、それでこそだ」
海上にて燃え盛る業火の中から飛来する暴威を前に、エレオノーレは猛獣の如く裂けた笑みをその顔に浮かべるのだった。
大きく飛び退り100m近い距離を逃れたその瞬間、一瞬前までエレオノーレがいた空間を貫いた何かが、尖塔とその周囲の建築物や地形を諸共に砕き、ハンマーを叩きつけたかのように数多の破片と爆火を飛び散らせた。
極超音速の弾丸の軌道さえ捉えるエレオノーレの視覚は、それが一体何であるのかをはっきりと視認していた。
それは"砲弾"だ。数キロもの距離を突き抜け、たった今地殻ごとを赤熱させ破壊した、直径40.6センチにもなる鉄塊だった。
凄まじいまでの衝撃と振動がエレオノーレを襲う。赤を冠し極大量の熱を操る彼女でさえも脅威と感じるほどの熱量が、直撃から逃れたはずの彼女へ追い縋るように襲い掛かった。
「──────」
視界の端を半ばから千切れたビルディングが枝葉のように吹き飛んでいくのが見える。凄まじいまでの衝撃波にしかし体勢を崩されることもなく、エレオノーレは粉砕され地肌が見えた地面に着地する。爆発自体は既に終わっていたが、朦々と立ち込める土煙は未だ止むことがない。天まで昇らんばかりに立ち昇る煤けた煙は、爆発の着弾の衝撃を何より雄弁に語る証人だった。
直撃していれば命はなかった。黄金の近衛たるエレオノーレの、それが忌憚のない見解だった。その質量、その破壊力。概念崩壊という特殊性に頼らぬ純粋な破壊能力で言うならば、三騎士の中で最も暴性に特化したマキナにさえ手をかける領域である。
咥えた煙草を吐き捨て彼方を見遣るエレオノーレの視界の先に、新たな影が三つ現出していた。それは大気を突き破りこちらへと猛進してくる砲弾だった。これほどまでの破壊を為した一撃さえ彼奴にとっては取るに足らぬ通常攻撃でしかないのか、対峙するエレオノーレは浮かべる狂相を更に深いものとして迎え撃つ。
彼女の背に浮かぶ巨大魔法陣が更に数を増やした。都合三つ、現れた幾何学模様からは常人ならば触れただけで狂死するであろう莫大量の魔力が噴出し、滾る赤熱の砲撃となって彼方の三矢を殴りつけた。
射出の衝撃でエレオノーレの立つ周囲一帯はその罅割れを更に巨大なものとした。砲撃音が轟く度に蜘蛛の巣状の亀裂が奔り、中心点の地面が大きく陥没する。エレオノーレにとっての数瞬、常人では認識することさえできない刹那、遥か上空で激突した三対六発の砲撃が、これまでに倍する規模の爆発を夜空に咲かせた。
一瞬の静寂、そして押し寄せる破壊の嵐。
最早それは音ですらなかった。押し潰された大気は物理的な多重圧と化して、眼下の全てを圧壊させた。見えない力に薙ぎ払われて、竜巻にでも遭ったかのように粉砕される家々。しかし被害の程は竜巻の比に非ず。
間髪入れずに攻勢を展開する。エレオノーレの背に現出するは先と同じ魔法陣。違うのはその大きさだ。精々が数mでしかなかったこれまでとは違う、今度のは直径が30mほどもある巨大な代物。内部に蓄えられた魔力が夥しい光量の発光として解き放たれ、周囲の大気を著しく掻き回す。そして雨あられと放たれる、数えるのも億劫なほどの炎塊砲撃。
成し遂げたのは単純な数の増幅だ。一発二発では埒が明かないと言わんばかりの猛攻は、今や秒間1000発にも相当する高密度の弾幕として機能した。
これにたまらないのはエレオノーレ以外の全てである。一つ一つの威力は抑え気味になったとはいえ、単発の砲撃ですら余波で周辺地形が消し飛ぶ一撃だ。放出される魔力は過剰な熱量となってエレオノーレの体に纏わり、周囲の地面を融解させ泡立てている。
月光の降りる夜の闇を、無数の炎弾が貫いていく。一発一発が攻性宝具の一撃に匹敵する大火力の軍勢は、その全てがただ一つの標的に向かって放たれたものだ。
最早彼奴に打つ手はない。これだけの数をどうやって凌げばいいというのか。
仮にこの戦いを見る者がいれば、きっとそう思ったはずだ。しかし現実はどうであるか。彼方に浮かぶ漆黒の威容に立つ第一盧生は、その程度の絶望になど屈しはしない。
「ははは、ははははははははは!! ふはははははははははははははははは──────ッ!!!!」
諸手を挙げた大喝采と共に───なんということだろうか。彼の立つ戦艦そのものが異常変形を成し遂げる。
甲板から、左舷外舷部から、右舷外舷部から。内側から艦首が突き破るかのように姿を現し、そこから更に新たな艦首が突き破って出現するという無限連鎖。そうして戯画的なまでに肥大化した異形戦艦の一つ一つに搭載された主砲が、まるで植物の成長を早送りしたように急速に伸び、毒蛇のように捻じ曲がり、その全てがたった一つの方向へと照準された。
「全砲門一斉掃射───」
炎の咆哮が迸る。漆黒の水平線が紅蓮の大火で彩られる。こちらも最早数えるのが億劫になるほどの弾幕が一斉に射出された。
果たして無数と無数の砲弾は相交わって激突し、エレオノーレと戦艦との中点に位置する空間が波紋に満たされた。一つ一つが砲弾の衝突によって形成された波紋は、広がりきるよりも前に新しい波紋によって書き換えられた。彼と彼女の殺意は荒れ狂う豪雨のように空間を千切に乱し、その光景は余人には炎による巨大な断層にも見えた。
「はははははは、素晴らしいぞよくやったッ!
この力、この想念。お前もまた俺が愛してやまぬ人間の一人に相違ない。その輝きを俺は保証しよう。実に、実に見事だッ!」
「どうにも奇矯な男だな。こうまでされて褒め殺しとは、頭が茹っているのか。その薄汚い脳味噌だけを狙って沸騰させてやった覚えなどないのだがな」
相殺される砲撃群から零れ落ちる流れ弾を回避し、宙高く跳躍したエレオノーレが苦笑と共に吐き捨てた。
甘粕の賞賛など彼女に聞こえるはずもない。しかし攻撃と共に放たれる想念、魂の叫びとも言える強烈な気配には抑えきれない賛美と崇敬の念が込められているのを、人の魂を測ることに長けたエレオノーレはくみ取った。
天から墜落する火の礫はその数を増し、今や驟雨の如くに降り注ぐ。流れ弾の悉くは空を切り、僅かにエレオノーレを直撃する軌道にあったものは指を弾く小さな音一つで粉みじんと吹き飛んだ。
「だが、ああ。その大上段から見下す態度は気に入った。随分と甘く見られたものだが、果たしてそれに足るだけの力があるのかどうか、私の炎で試してやる」
比喩ではない火の海で、灼熱に染まる大地に立つエレオノーレが宣言する。
試す───それこそが、この赤騎士が此処へと赴いた理由であった。
そしてそれすなわち、今に至るまでに繰り広げてきた攻防は、試すうちにすら入っていなかったということ。しかしそんなもの、真の強者ならば乗り越えて当然とさえエレオノーレは考えている。
仮に、エレオノーレがこれまで遭遇してきた強者ならば、やはりこの程度本気を出すまでもなく凌いでみせるはずだ。
蒼銀の騎士王ならば、聖剣を抜き放つまでもなく風の鞘のみで捌ききるだろう。
黒衣の赤薔薇王ならば、星砕きの本領を見せるまでもなく同数の振動矢のみで相殺してみせるだろう。
彼方の砲撃手にとってこれらの射撃が児戯であるのと同様に、エレオノーレにとってもまた、こんなものは戯れに過ぎない。
故に、彼奴の真価が試されるのはここから。
万物を焼き尽くす赤騎士の世界を耐えきってこそ、その存在に価値が生まれるのだ。
『Was gleicht wohl auf Erden dem Jägervergnügen.Wenn Wälder und Felsen uns hallend umfangen,』
紡がれるは焦熱の渇望、その一端。
炎を以て"活動"し、解き放つ砲門を"形成"し、しかし歩みはそこで止まらない。
『Diana ist kundig, die Nacht zu erhellen,』
これこそは軍勢殺し。遍く無数の敵兵を、皆悉く灰燼に帰すための術法。
それは未だ創造にまで至らぬが、しかし現実火器にはあり得ぬ果てのない出力を擁する。
『Wie labend am Tage ihr Dunkel uns kühlt.───』
戦争用に枷を嵌め、必殺性に劣る代わりに破壊規模では他の追随を許さない。
地形ごとを壊滅させる、防御も回避も不能の破壊力を持つ。
『Die Bewunderung der Jugend───ッ!』
地上存在の奔走許さぬ、それは必中という概念の具現である。
『Yetzirah───Der Freishutuz Samiel!』
創生、焦熱世界。
その能力とは、爆心地の無限増幅。
戦艦浮かぶ相模湾に、これまでに十倍する爆発が巻き起こった。膨大な熱量は海水面の強制的な蒸発を招き、無数の水蒸気爆発を誘発させる。
その一瞬、鎌倉市の全てが赤く照らし出された。直撃を逃れた漆黒の戦艦は、しかし追い縋るように迫る炎の壁を振り切ることができない。
それも当然の話だろう。何故ならこの砲撃は、「標的を着弾の爆発に飲み込むまで爆心地が拡がり追いかけ続ける」代物故に。
例え一時逃れることができようとも、いずれ地上の逃げ場は消え標的は焼き尽くされる他ない。回避の選択を奪い取る、それは実質的な絶対必中の業であった。
この聖杯戦争にて、エレオノーレが焦熱世界を放つのは二度目である。最初にこれを向けた赤薔薇王は、瞬時に攻撃の特性を掴むと片手を犠牲に攻撃終息の条件を満たし逃げおおせた。しかしそれとて、吸血種に備わる強靭な肉体と再生力、そして赤薔薇王が持つ類稀なる観察眼あってこそ。そのような芸当ができる存在など、一つの戦場に多くいる道理もなし。
故に終わりは訪れる。全速で逃れようとする戦艦はしかし呆気なく炎へと呑みこまれ、爆轟する大気の悲鳴と共に全てが消え去った。
地上の一切を焼き尽くす業火は、その剣呑なる性質と反比例する静かさで、これまた呆気なく消失した。先程までの轟音など嘘であるかのように、夜の海に静寂が舞い降りた。
「……」
沈黙。
再び咥えられた煙草に火がつき、紫煙がゆるやかに風に流れる。
遥か水平線を見つめるエレオノーレは、この程度かと落胆の表情を張り付けて。
しかし。
「……ああ、それでこそ」
賞賛とも違う、しかし彼女にだけ通じるある種の是認を、その顔に浮かべて。
「それでこそだ。生半な力と心など最早この舞台にしがみ付く価値はない。他を圧倒する純粋な強者こそ、この茶番を終わらせる鉄槌に相応しい」
彼女の見つめる先には、未だ健在な戦艦の威容が存在した。
如何なる道理であの爆発を凌いだのか、総身を呑みこまれたはずの戦艦はその姿を保っていた。
「私はいずれケリをつける。この世界にも、そして私自身にも。
故に認めようとも。仮にその時まで、貴様が生きていたならば───」
後に続く言葉は風に掻き消され、気付いた時には、赤騎士の姿は揺れる炎の向こう側へと消え、どこからもいなくなっていた。
かつて行楽地として栄えたであろう風景など何処にもない。そこに残ったのは、ただ破壊の爪痕とそれすら燃やし尽くす炎が彩る地獄のような絵図だけだった。
【E-3/焼け跡/一日目・夜】
【アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ)@Dies irae】
[状態]魔力消費(中)、霊体化
[装備]軍式サーベル
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:終わりにする。
0:――それが真実か。
1:セイバー(
アーサー・ペンドラゴン)とアーチャー(ストラウス)は次に会った時、殺す
2:サーヴァントを失ったマスターを百合香の元まで連れて行く。が、あまり乗り気ではない。
[備考]
ライダー(
アストルフォ)、ランサー(
No.101 S・H・Ark Knight)、アーチャー(
ローズレッド・ストラウス)と交戦しました。
No.101 S・H・Ark Knight、ローズレッド・ストラウスの真名を把握しました。
バーサーカー(
玖渚友)から『聖杯戦争の真実』について聞きました。真偽の程は後の話に準拠します。
※エリアE-3の大部分が壊滅しました。
▼ ▼ ▼
「力を持つが故に道を踏み外す。道を踏み外すために逸脱した力を希う。
矛盾した愚かしさだが、しかしそれも人の証か。相手を問わず戦い、競い、殺し合うのが人間の本質だ。動物を絶命させ、資源を食い荒らし、消費するだけの命。しかしそれ故に、彼らの争いには必ず欠落以上の成果が伴う。
はず、なのだが」
憐憫すら浮かべて失笑する。
疑問への解答として戦争の概念を得た男が、人類種の悲哀を謳う。
「悲しいかな、有史以来変わらぬ不文律であったそれも、此処では些か勝手が違うらしい。
闘争とは人間が行う中で最も動的な活動だが、そもそもこの世界は完全に止まっている。表面的にどれだけ争い動いているように見えても、本質的には微睡み眠っているのと同じでしかない」
トワイスは戦争という概念を肯定する。
生存の為の搾取。繁栄の為の決断。それら一切を野蛮と断じながら、しかし人の成長には不可欠な要素であると認めている。
犠牲となった人々を悼み、その欠落を糧とし、強いられた涙の量に倍する希望がその先にあるのだと信じている。
故に彼は叫ぶのだ。人類に、世界に、ただ一言。
「止まるな」と。
「止まってはいけない。人は常に歩み続けなければならない。その理屈に照らし合わせるならば、停滞した世界の人形として顕象されたこの私もまた、自己矛盾に満ちた存在になってしまうわけだ。
全くもって度し難い。人の可能性は尽きぬというのに、いつまで眠りこけているのやら」
「話の文脈は分からんが、お前が何に対して憤っているのかは理解できるぞ、トワイス」
彼方を見遣り嘆息するトワイスに、語りかける声が一つ。
肉が煽動する湿った音を立てながら、声の主は得心したかのような声音で話を続ける。
「とかく人間とは楽をしたがるものだ。人の可能性とは、本気とは、その程度に収まる矮小なものではないというのに。誰しも自分の意思と価値を信じず、ただ怠惰に流されるのみ。それでは彼らが生まれ持った輝きに失礼というものだろう。
だからこの俺がいる。人の持つ勇気を最大限発揮するに相応しい舞台を、壁を、難敵を、試練を、この俺が与えようと言うのだよ。安息に身を委ね意思を腐らせるなど断じて許さん。諦めなければ人は誰もが勇者になれるのだと、俺は信じているのだからな」
語る甘粕の総身は、凄惨たる有り様となっていた。
全身が黒く焼け焦げ、炭の性質を表すように表面がささくれ立っている。その合間から僅かに見える、生々しいピンク色の組織。血は流れるまでもなく蒸発して一滴もこぼれることはない。
そんな人の形をした炭から、ジュルジュルと大量の蛆がうねるかのような粘っこい音が木霊している。新たな筋線維が次々と生え変わり、損傷個所を覆うように張られていく。それは全身を致命的なまでに焼却された甘粕が、己の肉体を急速に再生している光景だった。
あり得ぬ光景である。総身を覆う損傷は致命傷など当の昔に逸脱しており、末端は愚かその内腑や脳の一部までもが完全に炭化しているのだ。邯鄲法による再生能力があるとはいえ、それはあくまで「死なない程度の傷から立ち直るため」の術。致命傷を受けないための術でも、ましてや致命傷を受けても死なない術でもない。
だから彼は死んでいなければならないはずなのだ。何物をも焼き尽くすドーラの炎を、かの赤薔薇王ですら片手を奪われたドーラの炎を受けて、ただの人間が生きていられる道理などない。事実、彼はその肉体の全てを炭化させて、そのような状態で生存できる生物などいるはずがないというのに。
それでも、
甘粕正彦は崩れた顔面で笑う。
「故に、そんな俺がこれしきのことで斃れるわけにはいかんだろうよ。人には無限の可能性があり、意思の躍動さえあれば為し得ぬことはないのだと。そう嘯く俺が、まさか殺された程度で死ぬわけにはいくまい。
それはお前も同意してくれると思うのだが、どうだ?」
「同感と言いたいところだが、それにしても流石にふざけ過ぎているとも思うかな。君、なんで死んでないんだい? 我がサーヴァントながら、時々君のことが理不尽に思えてならないよ」
「褒め言葉と受け取っておこうか」
今になってようやく修復の追いついた目を細めて、甘粕は笑う。彼が未だ存命していられる理由が単なる気合と根性であるなどと、さしものトワイスも笑うより他はないと、能面のような無表情で口に出さず心のみで思った。
既に日は沈み、夜の空には白い月が煌々と照らし出されている。激動の昼光は過ぎ、人が眠りにつく静寂の時間が街には訪れようとしていた。
けれど───この聖杯戦争が静けさを取り戻すには、まだ少しばかりの時間が必要であると、この一幕に関わった者の全員が確信しているのであった。
【E-2/相良湾沖/1日目・夕方】
【トワイス・H・ピースマン@Fate/EXTRA】
[令呪] 三画
[状態] 健康
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] 不要
[思考・状況]
基本行動方針:この聖杯戦争を───
1:ならば私がすべきことは……
【ライダー(甘粕正彦)@相州戦神館學園 八命陣】
[状態] 魔力消費(大)、ダメージ(大)、全身に重度の火傷、内臓を含む至る箇所が炭化、それら全てを修復中。
[装備] 軍刀
[道具] 『戦艦伊吹』
[所持金] 不要
[思考・状況]
基本行動方針:魔王として君臨する
1:さあ、来い。俺は何時誰の挑戦であろうと受けて立とう。
【キャスター(『幸福』)@地獄堂霊界通信】
[状態] ???
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:幸福を、全ての人が救われる幸せな夢を。
1:みんな、みんな、幸せでありますように。
[備考]
『幸福』は生命体の多い場所を好む習性があります。基本的に森や山の中をぶらぶらしてますが、そのうち気が変わって街に降りるかもしれません。この後どうするかは後続の書き手に任せます。
軽度の接触だと表層的な願望が色濃く反映され、深く接触するほど深層意識が色濃く反映される傾向にありますが、そこらへんのさじ加減は適当でいいと思います。
スキル:夢の存在により割と神出鬼没です。時には突拍子もない場所に出現するかもしれません。
最終更新:2019年05月29日 14:42