かつて、私はひとつの命題を定めた。
 それは、絶望と破壊とがひしめく戦場で、力なき誰かの嘆きを耳にしたからなのかもしれない。
 それは、嘆きのみを湛える彼らを救った者の、果て無き希望と輝きを垣間見たからなのかもしれない。
 あるいは、NPCとして再現されたが故に発生した、壊れた思考が算出する論理のエラーからくるものなのかもしれない。

 即ち───
 かつてそうであったように、人間の全ては、絶望の中で光を見出せるのか。

 認めよう。殺し合う事は避けられない。
 肉親でさえ、隣人でさえ、競い合う相手なのだと。それが人間の本質だ。
 動物を絶命させ、資源を食い荒らし、消費するだけの命。
 しかし、ならば───
 彼らの争いには、何の意味があったのか

 確かめねばなるまい。私は、確かめなければ、ならないだろう。
 我が命題に解答を。人よ、その価値を証明せよ。

 幾百、幾千、幾億万の月日を重ねようとも。たとえ無限にも等しい繰り返しを積み上げようとも。
 そう、全ては。
 嘆きの果てに消えぬ願い。恐怖の果てに消えぬ望みを求めて。

 私は───










「私は、どちらでも良かったんだ」

 轟音が聞こえる。
 轟音が聞こえる。
 かつては青白い月の光だけが差し込む静謐な空間であっただろう、異形なるも厳かなる聖堂は、今や爆撃すら超過する域の衝撃と灼光に晒されて、余人では立ち上がれぬほどの揺れに襲われて。
 それでも彼は、トワイス・H・ピースマンは微塵の揺らぎもなく座し続ける。その肉体に瑕疵はなく、その表情に激情はなく、ただ在るがままの姿のままに。

「私はこの停滞に耽る世界を認めることはできない。だが現世界の否定だけを考えるならば、勝ち残るのは甘粕正彦の側でも問題はなかった。
 ローズレッド・ストラウスが勝てば裁定者のマスターが敷いた世界の理が一つ外され、甘粕正彦が勝てばあらゆる目論見は力づくで破壊される。
 だから、この局面に誘導できたその時点で、結末は最早どちらでも良かったのだ」

 単純化した状況下で取れる行動は少ない。策謀や計略、暗躍といった類のものは複雑怪奇な状況でしか成立せず、状況が単純であれば単純に正面から戦う他にない。今やこの聖杯戦争において、そんな小手先が入り込める隙間など完全皆無と言えるだろう。そのくらい赤薔薇は最初から承知しているだろうし、甘粕はそもそも頭を使わない。
 外の戦いは佳境に入りつつあるのだろう。吸い取られていく魔力と、否応なく感じられる剣呑な気配の高まりがそう思わせる。
 今や、甘粕はトワイスのことなど頓着しないだろう。思考の隅に残っているかどうか。あれは極端な刹那主義者である故に、自分の好きなものが目の前に現れてはそれ以外が眼中から外れてしまう。
 人類を救うと言った口で"ついうっかり"人類を滅ぼしかける、そのどちらもが本心から出た言葉と行動であるというのだから始末に負えない。
 だから今この瞬間も、サーヴァントの不文律など忘却の彼方に追いやって、トワイスごと赤薔薇を攻撃してもおかしくないのだ。

「未練も後悔も尽き果てた。今や私には全てが既知であり、故に廃神たるこの身は幾ばくの猶予もなく崩壊し消え去るだろう」

 真実を知った者は去らねばならない。世界は滅びた、救済者は死んだ、そして神も死ぬ。

「だが、それでも。君の顕現を、私は今まで観測することができなかった。遺憾ではあるが嬉しくもある」

 そして───

 呟くトワイスの目前で、十字架の上よりそれは舞い降りる。
 誰もいないはずなのに。機械の女が、トワイスの前に現れる。

 それは確かに女であったが、
 それは確かに人間ではないようにも見えた。
 それは、酷く鉄錆の匂いがした。

 教会に、女が舞い降りる。
 十字架の上から、女がその姿を顕して。

 ふわり、と。
 トワイスの前に降りて。
 激しく揺れる聖堂が、その瞬間だけは何故か、一切が静止したようにも感じた。

 その女はトワイスに告げる。
 人間め、孤独の動物よと嗤いながら。
 人間め、悪質な装置だと嗤いながら。

 空間さえ捻じ曲げて。
 神の観測する場所ならどこへでも。

『───ひとりなのね』

『かわいそうに。ひとりで何度も繰り返して。
 誰かと分かち合うこともできないの?』

「ああ。そうか、君が……」

 分かることがあった。トワイスにはひとつだけ。
 仮にこの聖杯戦争が"そう"だとするならば、きっといるであろう存在。
 それこそがこの女であるのか。高みにて見下ろす者、まさか本人ではなかろうが。
 使者か、あるいは端末か。それでも女は舞い降りて。

『その声だけで十分。
 すべて、わたしはすべて分かるの』

『あなた、もう諦めてもよくてよ?』

『声こそが、言葉こそがメモリー。
 我が主もそう仰るに違いないのだから』

 その身に備わるものを、女は動かす。
 その身に備わる蓄音機。発声器。

 そこには響くだろう。
 メモリーが。

 そこには蘇るだろう。
 メモリーが。

 姿を映すことはなく。
 ただ、声、言葉のみを響かせて。

 耐えきれない現実と共に。
 耐えきれない過去と共に。
 聞かせる。聞かせて、決して逃がさない。

 聞かせて───
 脳髄、揺らして───
 心、軋ませて───

『さあ、聞こえるかしら?』

『戦火の音。
 銃火の音。
 そうよ、あなたは聞いてしまうの』

『ずっと聞いていればよいの。
 ね、ずっと。ずっと、ずっと』

『あなた自身のメモリーが消えてしまうまで。
 ずっと、ずっと』

『過去に縋りついても構わなくてよ?
 ほうら、聞こえる───』

 優美な声は残酷に。
 優美な声は冷酷に。

 トワイスの望みを女は叶えるだろう。
 残酷に、冷酷に、無慈悲に。

 たとえば───
 欠落から生まれるはずの成果であるとか。

 たとえば───
 躍動より生まれるはずの可能性であるとか。

 擦り減らして取り込んで、
 両耳に擦り込んで取り込んで、
 そして、人間を消してしまう。

『愛しい人々の声。言葉
 あなただけに聞こえる希望の声。
 ほら、聞こえるでしょう?』

『メモリーなんて簡単に歪む。
 ほらほら、望むままに変えてしまっていいの』

『都合の悪いものなんて。
 なかったことにして、それでいい』

『気持ちよくしましょう? 諦めてしまいましょう?
 それが、一番、あなたのため』

「何を勘違いしているかは知らないが」

 強い意思と共に右手を振るう。邪魔者を退かすように。たったそれだけで女の姿は掻き消された。
 煙のように払われて消える。所詮、鉄の女は幻に過ぎない。

「諦める? 何を今さら。人間は始めから諦めている。
 全能ではないのだから。我々は諦めながらでしか生きられない生物だ。
 そんなことを、まさか、神の代弁者たる君が?」

 嗤う。それは文字通りの嘲笑であって、彼が人類に捧げる畏敬の念など微塵も見当たらない。
 彼は神を嗤っているのだから。そんなものはどこにもない。

「だとすれば、神の言葉なるモノのなんと浅薄で愚鈍なものであることか。
 この舞台において得られるものなど何一つないと思っていたが、それだけは僥倖だったな。どうやら、覚者(ひと)(かみ)より多くを思慮することができるらしい」

 そして彼は右手を掲げる。
 幻を払いのけた手、そこに刻まれた赤い紋様を天に翳して。

「証明は為された。故にこそ、令呪を以て我らが希望へと提言しよう」

「悔い無き戦いを」

「全霊の境地を」

「そして戦いの果てに負けを認めることがあったなら、その時くらいは他者の話を聞いてみるといい」

 三度、彼の手が輝いて。そして一切の光を失う。
 全てを成し遂げたと腕を下げるトワイスは、どこか疲れ果てた老人のような面持ちで呟く。

「終わりだ。願わくば、この都市に集いし廃神の諸々よ。どうか倒れてくれるな。
 全ては自我という奇跡を与えられて再誕した、その責務のため」

「喝采はない。喝采はない。
 私も君達も存在しない。あるのは純粋な願いだけだ。
 されど私は祝福しよう。君達は確かに、各々が譲れぬ想いを持っていたのだから」

「すべての想いに巡り来る祝福を。
 そしてそれこそが、この都市の真実である」

 そして、彼が聞いたメモリーそのままに。
 戦火の音が、銃火の音が、爆光と共に聖堂ごとを貫いて───





   ▼  ▼  ▼






 神の杖。
 あるいはロッズ・フロム・ゴッドと呼称される兵器がある。
 タングステン、ウラン、チタンから成る全長6mあまりの金属棒に小型推進ロケットを取りつけ、高度1000㎞の衛星軌道上より射出、地上へと投下するというものだ。
 運動エネルギー弾、つまりは規模こそ巨大なれど単純な落下物に過ぎないのだが、そこに含まれる破壊力は見た目から来る印象とは程遠いまでに桁外れである。
 落下中の速度は11,587㎞/hにも達し、激突による破壊力は核爆発に匹敵するのみならず、地下数百mの目標を狙って破壊することさえ可能であるとされている。
 この兵器の有用性は即応性や命中性、そして電磁波を放出しないことによる隠密性にあり、単純な破壊力では現行の核兵器と大して差は存在しない。翻って現状、甘粕が切り札として使用するには些か不足であることは否めないようにも思える。

 端的に言おう。
 この時、この局面において、やはり甘粕正彦は"やらかして"しまったのだ。
 創形とは術者のイメージを現実に投影することで生み出される代物であり、つまりは実物と全く同じものが作られるとは限らない。食べたことのない食材は形を真似ることはできても味を再現することはできず、銃の内部構造を知らなければ忠実に再現することは不可能だ。それは逆に言えば、イメージさえしっかり持つことができるならば誇大に作成することも可能であるということだ。
 大きさ、重量、推進機構の肥大強化。「崩」から来る単純物理エネルギーの増大に重力キャンセルによる加速度の累乗倍化。導かれる速度は音速どころか第三宇宙速度さえ遥か凌駕し、断熱圧縮による電離は摂氏数十万度にまで上昇。発生する熱量を一切外部に漏らさぬまま接触した敵手のみを貫く断熱機構すら瞬時に創形した。
 加えて言うなら甘粕正彦は「審判」の盧生。神の裁きを体現するこの宝具の使用に際し、聖四文字の権能たる光の裁きを属性付与することにより概念的な破壊強度は更に跳ね上がる。
 故にこれは文字通りの神の杖。人類鏖殺の審判に相応しい一撃であると言えるだろう。
 そんなものが落とされてしまえばどうなるか。最早火を見るよりも明らかだった。

 ──────!!

 光そのものとしか言いようがない鉄槌が降り注いだ瞬間、その一瞬だけ漆黒の海上に巨大な大穴が穿たれた。
 同時に発生する大規模震動は相模湾という大洋そのものを、いいや鎌倉が存在する大地までをも、弾け飛ぶ蒴果の如くに揺らした。激突に伴う大轟音は存在しなかった。音が伝播するために必要な大気の悉くは一帯から消し飛ばされたのだ。代わりに周辺海域に伝わるものは、瀑布としか形容できない域の衝撃と、網膜を焼き尽くす大光量の波濤であった。
 天までを衝く柱が如き大爆熱が地上に降りた瞬間、光の柱を中心に海面を押し上げるように消滅させ、そのまま海中へと消えていき───
 そうして生まれたのが、先ほどまで二人が相争っていた地点に刻まれた大穴だった。直径は百数十m、深さは優に数千mを超えているであろう、海中どころか海底の地盤さえ削岩したかのように削り取られた大穴は黒く空虚な伽藍堂を晒している。
 そして一瞬の静寂の後、巻き起こるのは空白となった空間に雪崩れ込む海水と大気の大流入であった。今度こそ大轟音となってまともに震えることを許された大気の只中、甘粕はただひとり茫洋と虚空を眺めていた。

「──────」

 既に、彼の足もとからは戦艦伊吹は喪われていた。他ならぬ彼自身の攻撃が、最早足場とする戦艦など不必要とばかりに諸共ストラウスを射抜いたのだ。マスターたるトワイスの無事すら頓着せず、今の彼は重力を拒絶することにより、何もない虚空を踏みしめるが如く中空にて佇んでいるのだ。
 甘粕は、無言。舞い上げられた大量の海水が降りしきる中、その表情はうかがえず、故に彼の思考を垣間見ることもまた不可能。
 だがしかし、あれほどまでの大喝采を上げていたはずの彼が、何故今になって無言の体となっているのか。

 ───ならば見るがいい。此処に顕れたる不条理の権化を。
 甘粕正彦が文字通りの理不尽の体現者であるというならば、対峙する強者もまた、同じくして不条理を体現するものでなくてはならないのだから。

「終わりか、甘粕正彦」

 影が───
 ローズレッド・ストラウスが、片手を頭上に持ち上げた姿勢のまま、中空に屹立していた。
 その背には二対の巨大黒翼。一切の羽ばたきを行わないながらも、その存在自体が尋常の物理法則を超越しているが故に、空中にて静止していることに否やはない。
 だが、最も信じがたいのは、彼が持ち上げる片手が支える巨大物質。
 ああ、そこにはまさに───

「この威力、この精度。およそサーヴァントが持ち得る霊基総量の限界点に近いか。
 なるほど確かに、坦々たる英霊ではお前に何もできないだろう」

 神の杖の弾頭を真正面より受け止めるストラウスの姿が、そこにはあった。
 尋常なるサーヴァントが受け得る質量ではなかったはずだ。
 尋常なるサーヴァントが耐え得る熱量ではなかったはずだ。
 肥大強化されたロッズ・フロム・ゴッドは、間違いなく星を貫く一撃であっただろう。北欧の大神なる権能が如き一刺し。大洋に穿たれた巨大黒穴は、神の杖の直撃ではなく墜落による余波のみで形成された代物だったのだ。
 ならばその破壊と熱の全てを受け止めて、尚も砕かれることなく在り続ける黒衣の男は、一体何であるというのか。

「だが見誤ったな。我が身は既に《月落とし》を知っている」

 言葉と同時に放たれる剣閃。違わず首を狙ったその一斬に、甘粕は最早為す術もない。
 何故なら彼は完膚無きまでに敗北したのだから。サーヴァントとして持ち得る攻撃手段の全てを無力化され、もうこれ以上の引き出しは存在しない。
 創形は破壊を為さず、戦艦伊吹は藻屑となり、神の杖は無為に帰した。聖四文字の急段は対象となる無辜の民を失い、輝きのままに剣を振るうこの男には尚更通じるはずもない。

 証明は此処に成った。ライダー・甘粕正彦ではローズレッド・ストラウスに決して勝てない。
 聖杯戦争に紛れ込んだ異物の盧生は、何も為せないままに排除される他にない。




「ふ───」



 ならば。



「ふ、は、はは」



 敗残の際に追いやられ、今まさに命を刈られんとしているこの男は。



「はは───ふはははははははははははははははははは!!!」



 何故笑っている。
 その哄笑の意味はなんだ、甘粕正彦!



「無論、知れたこと」

 脳内に囁きかける何者かの声に応え、甘粕はサーベルで以て飛来する黒剣を受け止める。
 その顔に絶望の色は皆無であり、彼はどこまでも人類種の想念を寿いでいる。

「我が同胞たる男が命を賭して俺に命じた。戦えと、全霊を振り絞れと、負けた程度で諦めるなと!
 ならばそれに応えん道理はあるまい。元より俺は人の想いに応える者なれば」

 最早戦闘の趨勢は決した。甘粕はストラウスに勝てない。霊基という厳然たる数値が致命的に足りず、単純な足し算の域で逆転は決して不可能であると。
 ならばどうすればいい? ───決まっている。

「トワイスよ、俺はお前を誇ろう。その意思を、執念を、人類救済に懸けた願いの重さを俺は知っている。ああ分かっているとも、誰にも笑わせなどせん! 故に!」

 サーヴァントとしての力量で届かないというのなら。
 今この場で、サーヴァントを超越すればいいだけのこと!



「過去は此処に! 現在もまた等しく、未来もまた此処に在り!
 嵐よ来たれ、雷よ来たれ! 明けの明星輝く時も! 太陽もまた、彼方にて輝くと知るがいい!」



 力が溢れる。異界への門が開く。ここではないどこか別次元より、流れ込む膨大な魔力の奔流がある。
 虚空に刻まれる幾何学的な巨大紋様。霊子で構成された実体なき光の線が次々と空へと奔り、得体の知れない巨大構造体を積み上げていく。

 それは古代神話における権能の具現。中央には大地たるトラルテクトリ、四方には風雨水獣の四つの時代、トナルポワリを体現する二十の暦を記し外殻の八つの方位は世界そのものを映し出す。
 第五の時代の創世。火の蛇シウコアトルの象徴にして現在過去未来の全てを示すもの。
 その名を───



「終段・顕象───太陽遍歴(ピエドラ・デル・ソル)!!」



 そして。
 聖杯戦争という舞台には在り得ないはずの祝詞が、満天下に叫ばれて。

 天そのものの崩落が、世界を揺るがした。










 阿頼耶識───仏教における唯識論では客観的実在としての外界の事物・現象の存在を否定し、この世界に存在する全てのものは心の機能、すなわち「識」が生み出したのだという基本認識を持っている。
 唯識の識は八つあり、これを「八識」というが、この世界に在るあらゆる事物を生み出す原因となった識を阿頼耶識と呼ぶ。この世界の過去から未来に至る全ての因果が収められている座とも言われる。

 心が望むままに形を変える、けれど永劫不変なる星海。
 全ての人々の奥底に、揺蕩う無意識の大海原。
 それこそが阿頼耶識───夢界第八層の根源にして人類種の精神結合体。

 盧生が行使する邯鄲法とは、つまるところこの領域への到達を意味する。序段・詠段においては夢の表層、統一された規格の力を扱いに留まり、破段・急段では個々人の深層意識の具現。そして終段においては根源たるアラヤへの接続を為す。
 本来水滴の一つでしかない個人が阿頼耶識という海に接続すれば、当然として意識は最小単位まで希釈され自我など残るはずもない。故に盧生にはそれに耐え得るだけの意思力が求められる。深層に辿りつける力を持つから盧生なのではなく、深層に耐えるからこそそこに辿り着く力が現れるのであり、順序が逆なのだ。
 そこで大洋そのものを飲み下す大口となるか、水底でもなお輝きを失わない一粒の宝石となるかは、その盧生の性質が現れるところではあるが───
 甘粕正彦は前者。
 すなわち阿頼耶識そのものを掌握し、蓄積された膨大量の海から無尽蔵に力を引き出す、暴性において最も完成された盧生に他ならない。
 故に───










「ぐ、お、おおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 見渡す世界の全てが黎明の赫に染まる中、ストラウスは苦悶の絶叫を迸らせた。
 燃え上がる。燃え盛る。明けに染まった天より降り注ぐ紅蓮の光柱、ストラウスの強靭なる五体諸共周辺海域を燃やして溶かし尽くす。
 沸騰し弾けた眼球は莫大量の海水が目に見える速度で蒸発していくのを捉えていた。彼が操る核の爆発ですらそうはなるまい。ならば一体、何がこの状況を作り上げているというのか。

「ははははははははははは!! ふははははははははははははははははははははァ───ッ!!!」

 喝采する甘粕の頭上に、真円と浮かぶ巨岩が浮かんでいた。直径にして3.75m、不可思議な紋様の刻まれた表面は神性を彷彿とさせる清廉さを湛え、しかして巻き起こすは神威そのものである破壊の嵐であった。
 巨岩の周囲は蜃気楼の如く揺らめいて、ここではない別位相へと繋がる門の役割を果たしていることが見受けられる。そして事実、巨岩は現世界に留まれない巨いなるものの御許へ通じる門として、彼方におわす力の一部を此処に顕象させているのだ。

 太陽遍歴ピエドラ・デル・ソル。古代アステカにおいて現在過去未来を記す、西享のアカシア記録《赫の石》の一つ、善神ケツァルコアトルの第三宝具でもある大いなる御業の一欠片である。
 此れによる巻き起こるは太陽神の裁き。すなわち第三の時代において人々を滅ぼせし、遥か中天より吹き付ける(とこ)いの神風。

 それを、人は"太陽風"と呼称する。

「……ッ」

 崩れていく。崩れていく。神の杖にも焦熱世界にも揺らがなかったストラウスの総身が、氷雪を溶かすかのように末端から崩れ落ちていく。
 津波のように押し寄せる大熱波はまさに月をも呑みこむ暴食の太陽さながらに、信じがたい域の範囲と質量を以てストラウスを押し潰す鉄槌となっていた。

 広大な射程範囲内において爆縮され電離した水素イオンとヘリウムイオン及びその同位体の電子が毎秒100万tという膨大な質量を伴って殺到、秒速450㎞という爆発的な速度で炸裂するその現象は太陽面フレアに匹敵する超絶規模の大爆発である。
 強固な相転移式次元断層結界と相模湾全域の大気を揺らす極大の重低音が間断なく響き渡る。間を置かず閃光が放電、甘粕とストラウスが対峙する周囲一帯はまさしく小さな太陽の如き橙色の大火球に覆われているのだった。
 これこそが太陽風───コロナ質量放出にも類似する空前絶後の爆発現象である。膨大な質量と音速の千数百倍という度外れた速度の前ではストラウスでさえも回避する術はない。更に言えば「太陽」という属性が付加されているため、如何に陽光を克服しようとも未だ弱点としてあるストラウスにとっては微風一つでさえも致命となってしまう。彼を相手取るにはまさにうってつけの代物であり、しかし何故甘粕がこの宝具を使える意味が分からない。

 ならば知るがいい。これこそが《第六法》。これこそが《五常・終ノ段》。
 盧生のみが可能とする、集合無意識の海より神霊級の想念を汲み上げる《神降ろし》の術法。
 神格召喚に相当する大偉業をたかがサーヴァントの身で行使するなど不可能───などという条理すらこの男には意味を為さない。
 何故なら、盧生たる資格とは力ではなく心にあればこそ───
 どれほど力を矮化させたところで意味などなく、人類の総意さえ凌駕する域の意思力こそが神威の顕現を現実のものとする。
 つまるところ、甘粕が規格外の力を振るっている理由など呆れるほどに単純明快。

 "気合と根性"。
 誰しもが持つたったそれだけのことで、甘粕は限界など二つも三つも踏み越えて新たな伝説を築き上げるのだ。

「大いなる成長には大敵を乗り越える必要がある。吸血鬼に太陽はよく効くかね? だがこれで終わるお前ではあるまい!」

 これだけの試練を課しながらも相手の奮起を信じて止まない甘粕の言葉は、光に溢れながらも無理難題と言う他にないだろう。
 神霊───世界の伝説に数多語られる神々なるもの。天上に在りて奇跡の御手を揮うもの。当たり前だが、尋常なる生物は愚か英霊と比してもなお次元の外れた存在であることは語るまでもない。
 地上において神霊規模の奇跡を起こせる生物がいるならば、その者にとって聖杯など不要であろう。神霊とは、聖杯という万能の願望器を用いてようやく呼び出せるかどうかという、それほどの存在であるからだ。
 よって当然、英霊では神霊には決して勝てない。人が英霊に勝てないのと同じように、両者の間に隔てられた差は隔絶して余りある。そのようなものをけし掛けて、尚も「終わるな」と叱咤する甘粕の所業は傲慢極まるものであり───

「……愚問を言うか。たかが、崩れ行く土くれひとつ!」

 それに真っ向から応えるストラウスもまた、常識外れにも程があった。

 言葉と同時、ストラウスの総身より常軌を逸した量の魔力が迸った。
 大熱波の嵐の中で、更なる嵐が巻き起こる。さながら等身大の事象境界面が如く、太陽遍歴を中心に蒸発し尽くしたはずの海水がストラウスを中心に次々と流れ込む。

「第三の時代を滅ぼす火の落涙を気取るならば、創世される新時代を滅ぼすモノもまた然り。
 この海洋を戦場に選んだことがお前の失策だ、甘粕正彦!」

 雪崩れ込む莫大量の海水。太陽風の只中にあって尚蒸発することなく形を保ち、ストラウスの掌中に怒濤の如く吸い込まれ直径10㎝の球体を形作る。
 不可解なのは、水で構成されるその球体が"どれだけの海水を吸いこんでもまるで大きさが変わらない"という点だ。まさか異次元に繋がっているわけではあるまい、空間的に別位相へ転移させているわけでもあるまい。彼が吸い寄せた質量の全て、確かにそこにあるはずなのに、ならばこれは何だというのか。
 答えは単純。"圧縮されている"のだ。吸い込むごとに圧力が増し、質量が増大するごとに構成密度が次元違いに跳ね上がっていく。不純物を取り除き、超臨界領域すら遥か振り切って、しかし内界に存在するはずの熱量だけは極限まで排され、等価の運動エネルギーが一足飛びに蓄積されていく。
 次瞬、圧縮球体から流星の如き一条の軌跡が放たれた。糸のように細く、長く、そして分子単位の乱れもなく緊密に構成された直径1㎝という極小の漆黒の槍が、摂氏10万度もの劫火吹き荒れる嵐の中でも蒸発することなく、一直線に太陽の巨岩を刺し貫いたのだ!
 それはストラウスが持つ瘴気にも似た魔力の結晶体であるのか───いいや違う。
 槍の正体は「氷」だ。地球法則下では成り立たない代物ではあったが、確かにH2Oの化学式から成る常識の物体であるのだ。
 水の氷は圧力変化によって様々な相変化を起こし、多様な高圧相氷になる。温度130K圧力1Gpaという臨界圧力を超過した環境下において、氷相の水素原子はプロトン秩序化し熱力学第三法則の破れたる既存法則(アイスルール)を覆す。
 氷相第十五相。地球上ではあり得ない高密度の氷の槍こそが、神をも穿つ死線の正体なのだ。

 巨岩を貫く黒の線はあまりに静かで、音も動きもなく。けれど次の瞬間に巻き起こったのは、そんな「静」とは正反対の「動」そのものの挙動であった。
 高密度に形成された氷の槍から、突如として膨大な質量が噴出した。それは内側から爆散するかのように、まるでぎちぎちに詰め込まれた大量の「何か」が内の圧力に押し負けて一気にぶち撒けられるかのように、文字通りの爆発的な威力で以て炸裂する。
 常態・氷1hにおいて体積5000立方メートル、総量125テラリットルという膨大極まる質量の第十五相氷が強大な圧力もそのままに超臨界状態───液体と気体双方の特質を持つ、固相・液相・気相及びプラズマに続く第五の状態を形成し、125000000000000000倍の体積変化による沸騰液体蒸気拡散爆発を誘発、太陽遍歴の巨岩を内側から爆散せしめたのだ!
 弾け飛ぶ海域、白光に染まる世界。波濤が如き重低音が水平線の彼方にまで伝播する。中天の太陽が撃墜され、物皆焼き尽くす業火の波濤が衝撃に吹き散らされる。
 如何なサーヴァントとて、例えそれが盧生だとして、この大激震の最中に感覚の一切を乱されない者などいるはずもなく。故に、剣を構え全速力で肉迫するストラウスに、甘粕は反応できない。
 破壊の余波に満ちる地上から天高くに飛びあがるストラウスに、既に損傷の痕は欠片も見当たらない。再生、再構築、共に完了。焼け落ち溶け崩れた欠損など影も残さず消滅している。

「旧約の大洪水の再現とは、流石に行かないがな」

 古代アステカ神話における第三の太陽の時代、雷雨の神トラロックの治める世界を劫火の雨によって滅ぼしたケツァルコアトルは第四の時代を打ち立てる。しかしその平穏の時代は悪神テスカトリポカが引き起こした大洪水によって破壊され、世界は現行の宇宙である第五の太陽の時代に移行したとされている。
 逸話の再現。人の想念により形作られた神話級の強制協力。神霊は強大な概念存在であればこそ、型を嵌められてしまえばそれに逆らうことができない。

「マスター亡き身でこれ以上の神格召喚は叶うまい。その意思を此処で断つ!」

 狙うは首筋、振るうは黒剣。それは神を従える盧生なる身においてさえ致命となる一撃。
 ストラウスの言葉は真実だ。第六法を操る盧生なれど、神格の召喚などという大奇跡を無条件で行えるはずがない。召喚だけで凄まじい精神力の消耗を伴うのが常であり、連続的な召喚などまず普通では考えられない。そもそも常人ならば陽炎めいた実体のない小妖ひとつに触れただけで脳が沸騰してしまうものであり、翻って自然法則の具現たる神格を召喚・使役できる盧生の意志力がどれほど桁外れであるのかが理解できるだろう。
 だがその奇跡もここまでだ。前述したように連続召喚は無謀の極み。まず大抵は一度の召喚で前後不覚に陥り、仮に二度目の召喚に手をつけたところで過負荷に脳が焼き切れる。ましてや土地神程度ならともかく神話の主神級を呼び出しなどすれば、当然のように発狂死するのが道理であり───

「いいや否、ここで斃れる終わりなど認めんよ。お前が雄々しく立ち上がるならば尚更に」

 しかし、そんな道理はこの勇者(おおばか)には通じない。
 "この男ならば仕方ない"などという、あまりに荒唐無稽極まる理由によって物理法則を超越するのだ。

「故にこそ、俺も同じ場所で立ち止まってはいられないと痛感した。
 更なる領域へ至るとしよう、さもなくばお前の敵に値する資格なしと断言する───!」

 覚醒、覚醒、限界突破───不条理が巻き起こる。
 甘粕の総身より放たれる魔力量が爆発的に膨れ上がる。流出する強大な神気が一帯を震わせて、飛来する剣諸共ストラウスの肉体を彼方へと弾き飛ばした。道理も理屈も地球上の法則さえも踏み躙って、召喚にかける動きが極限まで研ぎ澄まされる。
 眼前の敵手は見事我が奥義を乗り越えてみせた。流石である、やはりお前は素晴らしいと心震わせる。
 故に、負けてはいられない。己もまた相手に相応しい覚悟を見せなければと、相乗効果で甘粕もまた更なる進化を果たすのだ。

「城よりこぼれた欠片の一つ。クルーシュチャの名を以て方程式を導き出さん───終段・顕象」

 何故なら甘粕正彦は「光」に属する英雄だから。
 未来に翔ける意志力の燃焼、尊き者への畏敬の念は文字通りに桁が外れている。
 残存魔力量、マスター不在による霊基損耗、神格との同調係数、サーヴァントでは決して不可能なキャパシティオーバーの召喚術式───あらゆる前提を"そんなものか"と一笑に付し突破して、不可能をそれでも無理やりに踏破する。

「出でい終宵! 夜明けを目指しひた走れ、明けぬ空に光輝の星を求めし者!
 来たれ、贖う全てを一とする者、喰らう牙───幽麗なりし《(メトシェラ)》よ!!」

 運命の車輪が回る。
 人間賛歌の叫びが轟く。
 遥か満天下に掲げられた腕の先、夜闇の奥底より"それ"はやってくるのだ。

「不滅の薔薇はどこにもない。縛血(ブラインド)の幻想は闇へと溶けた。
 されど至高の赤薔薇は此処に在る───煌めく真価を魅せてくれッ!!」

 同時、天空から墜ちてきたのは夜空全てが凝縮したとさえ思しき濃淡の"闇"そのものだった。黒き汚泥の崩落さながらに、本来"光がない状態"であるからして物体として存在できるはずもない闇が、暗海の大津波が如く甘粕ごとストラウスを呑みこんだのである!
 そして次瞬、ストラウスを襲ったのは感覚の喪失だった。重力が失われた、前後左右上下の区別がつかない。視覚も聴覚も五感の全てが剥奪され、そもそも目玉があるという当たり魔の感覚さえ失われてしまった。目を開けているのか、そもそも眼球が無くなっているのか、判別しない漆黒の視界。思考さえおぼつかない虚無の領域。
 ───ここは、どこだ?
 ―――何故、私はここにいる?
 意識さえ、曖昧な水面のよう。
 自分が誰なのかすら忘れてしまいかねない薄弱さで、何を感じることもなく闇の中を流される。
 あの瞬間から記憶がない。
 そこから裁断でもされたかのように、頭に靄がかかっている。
 刺激が何一つないために、自我が希釈されていく。
 無限に続く無感の世界は、意思を水で薄めるように、彼そのものを暗闇の一部として溶かしていった。

(いや、これは……!)

 そして気付く───違う、これこそが奴の術中だ。

「物質ではなく精神を溶かす闇か、しかし私は……ッ!?」

 猛然と瞼を開き、沈殿する闇の底より飛翔を果たして───気付く。"溶かされていたのは心だけではない"。
 二対の翼を以て飛翔するストラウス。その体には、決して少なくない量の闇が纏わりつき、"四肢を含む末端を捕食していた"。さながら魔獣の顎の如く、その神秘と事象を構成する密度と威力は極めて剣呑。強固な神秘防壁を有するストラウスの肉体が嘘のように崩されていく。
 何より厄介なのは、これが破壊ではなく"同化"という点だ。ストラウスという夜半に生きる"闇"を、メトシェラという極大の"闇"が取り込み、同化しているのだ。それが証に削り取られていくストラウスの肉体は何ら再生の兆候を見出さない。どれほど肉体が闇に消えていこうと、周囲の闇そのものが毟り取られたストラウスの一部であるために総体として見れば何も失われた箇所などない。最終的にストラウスという自我そのものが希釈し消滅しようとも、"闇"にとっては最初から何も変わることなく正常な状態であるため、そもそも再生などできる余地がないのだ。
 つまり早期にメトシェラという神格を排除しなければストラウスに未来はないのだが、そもそも非実体が相手であるためそれも難しい。猛る甘粕の眼前に闇色の人型が立っているのが見えるが、あれとてメトシェラの本体ではあるまい。《闇》にとってこの星に存在する闇そのものが己であり、手足も同然。人間に見えている部分も本質は人型の模様があるというだけにすぎず、闇という体を持つ大巨人というのが正しい。 夜はもちろん、日中でも、人工の照明下でも、光を遮る物さえあればそこは彼の体。洞窟の中、深い森、建造物の裏はもちろん、人間を含む全生物の足元に這う影さえも。
 故に根本的な討伐は不可能であり、ならばストラウスはただ座して死を待つのみであるというのか。

「───否」

 否、否。その程度で斃れるようであるならば、彼は放浪の千年の間に容易く討ち取られていただろう。
 闇は本質的に存在しない事象であり、故に非存在に干渉する手段はない? ───いいや否。
 確かな干渉能力を持って同じ三次元空間内に在る以上、対抗策は必ず存在するのだ。

 ストラウスの欠損した部位から、突如として闇が湧き出でる。正確には闇のような姿をした魔力の凝縮体であり、疑似的な損傷部位となって修復され通常の機能を取り戻す。靭帯の半分を切断された左の手首が仮想体組織で繋ぎ合わされる。捕食された右の眼球が新たな球体を作り上げ赤い眼光を放つ。両の足に食い荒らされた内臓の大部分、脊椎に骨格に主要な神経と血管網。全てが劇的な復活を果たす。
 次瞬、唸りを上げる魔力が、気密の集うように一箇所へと凝縮し形を成していった。それは今までストラウスが行使してきたものとは正反対の"純白"を湛えて、周囲の闇そのものを取り込むかのように。
 それは一辺が15メートルほどもある純白の立方体だった。遥か事象世界の住人がそれを見れば、あるいは「ムーンセル・オートマトン」と口にするかもしれない。
 純白立方体に無数の穴が穿たれる。それは一つの例外もない自己相似形であり、瞬時にフラクタル図形を構築する。立方体のフラクタル次元はlog20/log3=2.7268…次元であり、その面は2次元的なカントール集合を構築する。
 更に繰り返される自己相似形の構成。繰り返す度に表面積は1/3ずつ増大し、体積は1/27ずつ減少していき、最終的に無限大への発散と0への収束の両立という矛盾を実現する。
 自己相似図形は相似次元で位相次元を上回り、対数三を分母とする対数二十次元となって、2.7268以下延々と次元が続いていくが、三次元に到達することは永遠にない。
 するとどうなるか。それは今まさに立方体に取り込まれ、急速に姿を消していく"闇"が物語っていた。暗黒が晴れる、世界が光を取り戻す。《メンガーのスポンジ》に巻き込まれた存在は二次元と三次元の間の存在となってしまい、最終的に三次元世界からは観測が不可能となってしまう。
 異次元への放逐、存在次元そのものの位相転移。如何な非実存といえ同じ三次元空間に存在していた以上、この法則から逃れる手段はない。
 存在しないと豪語するならば、本当に存在させなくしてしまえばいい。前提となる論理展開が大仰すぎて機動力を持つ相手には無用の長物と化すが、《闇》のように"ただそこにあるだけ"のものを相手にするには都合がいい。

「私は千年の夜を越えて此処に在る。この身は元より闇に生きる者、ならば夜闇の何を恐れることがあろうや」

 闇とは本来善も悪もない事象。ただ在るがままそこに横たわるだけのものであり、恐れることなど何もない。
 《闇》が人を貪る悪性現象として具現したのは、人間が長い年月の果てに「闇は忌まわしく、おぞましいもの」と定義したからに他ならない。だがストラウスは人ではなく、昼光に生きる存在でもない以上は必ず打破の階が残されている。

 ああ、そもそも。
 《夜闇の王》と誉れ高き我が身を前に、夜闇そのものをぶつけるとは何たる皮肉であることか。

「自壊衝動何するものぞ。いざや朽ち果てろ《審判者(ラダマンテュス)》!」

 そして放たれるは魔力光の大集束。掲げられた掌から超高速で放出される純粋魔力の光条は、文字通りに光の如き速度で猛然と甘粕へと迫る!
 螺旋を描いて抉り穿つ。A++という規格外規模の魔力値から放たれるは超高ランクの攻性宝具の真名解放に匹敵する一撃である。それは遥か高みから見下ろす甘粕へと向けて、天へと立ち昇るかのように凄まじい勢いで殺到する!

 神話を滅ぼされ単騎となった甘粕にそれを防ぐ手立てはない。サーヴァントとしての純粋な力量であればストラウスに大きく劣る以上は自明の理であり、神格召喚が多大な精神消耗を強いると分かっている以上は一気呵成に攻め続ければいずれ限界を迎え次の一手を封殺できる。
 無論それはストラウスとて同じであり、先の攻防を経て残存魔力は半分を下回ってしまったのも事実であるが、基準となる魔力保有量においてストラウスは甘粕を圧倒している。単純な消耗戦ならば分があるのはこちらであり、故に攻め手を強める道理に否やはなく。

「然り。たかが曖昧な幻如き、現実に生きる者を害すること能わず。
 故に、お前を倒すならばこちらのほうが都合が良かろうよ」

 だが渾身の一矢は甘粕の眼前に降り立った白き巨体によって掻き消された。並みのサーヴァントが相手であるなら防性宝具ごとを容易く撃ち貫く純粋魔力の破壊は、表皮に掠り傷一つ付けること叶わず弾かれ、霧散する。
 大きい。その威容はあまりに巨大で、すぐ足元に立つストラウスでは下から上までを見渡さなければ全容を視界内に捉えることすらできない。
 未だ喚び出される前の影の状態であるにも関わらず、これほどの存在規模を有するこれは一体何であるというのか。
 巨大なる質量、それは天を衝き空間を埋め尽くして。
 城塞をも超える堅牢。
 猛炎をも超える灼熱。
 狂獣をも超える凶猛。
 幻想種が如き神秘の威を全身に湛えながら、胸部で明滅する魔力光は血の真紅。それは体内の奥深くで極めて大型の魔力炉心が駆動していることを意味している。
 身の丈およそ50m。
 けれど、未だ現出していない部分も含めるならば、恐らくはそれ以上の───

「英雄ならば魔性退治と洒落込めよ。古今、それがお前たちの武勇伝というものだろう。そして何より"この者"もそれを望んでいる」

 返答の代わりであるとばかりに放たれる数十条の光、巨体を避けて全方位360度より殺到する致命の連撃を躱す術もなくその身に受けて、しかし「透」により全身を透過させた甘粕は一切のダメージもないままに剣指を一閃。大きく空間を断割する。
 そして膨れ上がる悪夢の気配。それは呼び出されるモノが魔神の類であり、加えて死と暴力の具現であることを示している。
 甘粕は審判者であるがために裁きの神と相性が良いが、同時に災禍に代表される破壊の神とも酷く親和性が高い。
 それは例えば、神話に登場する邪龍であるとか。

「朝は来ない。朝は来ない。黄金の夜明けは喪われた。真鍮の鍍金は剥げ落ち、阿片の毒の夢は朽ちた。喉は潰れ歌は途絶えた。
 英雄は間に合わない───お前の恋は実らない。終段・顕象」

 そして具現するは黒白なる巨竜そのもの。
 タイプ:ドラゴン、零落したる白。叡智たる肉色。浪漫なき世界に生まれ落ちた哀れな竜。忘れられた神話個体。
 ───恋を知らぬ少女にして、愛に狂った悪竜現象(ファブニール)

 開かれた咢に集束するものがある。それは超々高密度の魔力結晶となりて、収束する光と熱の全てを破壊の力へと変換する。最早地上には存在し得ないとさえ言われる域の圧壊法則。それが鏖殺の焔となって眼下へと放出される!
 すなわち、超々規模の光速度多重展開型ドラゴンブレス!
 大規模儀式魔術級の神秘の即時行使!
 理論上は対城宝具の一撃にも匹敵する魔力は光の形態を帯び、三騎士級のサーヴァントであろうとも一撃の下に微塵とする威力を誇る。自然現象の具象化にも等しい神代に連なる古龍を由来として持つ神話個体故に、放たれる破壊の吐息は超級規模の高熱火炎、大真空、金剛石塊、高圧水塊、等々の神秘を備えた物理的衝撃となってストラウスへと襲い来る!
 が、しかし。

「その程度、今さら通じるとでも思ったか」

 闇が───
 光を、切り裂く。
 黒剣によって描かれた漆黒の軌跡が、竜の吐息たる破壊の嵐を鮮やかに両断していた。
 圧倒的なまでの魔力。
 非常識なまでの魔力。
 今なお彼の宝具は真名を解放されていないというのに、ただの一振りで、並み居るサーヴァントならば十も二十も屠るであろう波濤を完全に無効化したのだ。それどころか、狙い澄ましたカウンターの性質をも併せ持ち、終段とドラゴンブレスの行使により完全な無防備状態となった甘粕の霊核へと一撃を加える!
 弾け飛ぶ半身、千切れて宙を舞う右腕。右肺の大部分を含む胸部を大きく抉られて、透の解法による存在確率改変防御すら貫通する一撃は間違いなく甘粕の命脈を断ち切った。
 真名解放ならず、常態の一撃。それでいて、こうも必殺の威力とは。

「無論、俺とてそうは思っておらんとも」

 だが、しかし。
 喝采する甘粕の表情に、一切の痛痒はなし。
 霊核ごとを吹き飛ばされ、尚も哄笑するは最早精神力が云々の次元ではあり得ない。余人ならばとうに即死していなければ辻褄が合わず、されど「この素晴らしい情景を目にしていたい」という情念のみで生存を可能とするのはまさしく理不尽の権化と言わざるを得ないだろう。
 そして、甘粕は言葉の通り、何の考えもなしに子供騙しの攻撃を放ったわけでは断じてない。

 次瞬、暴風が如く蒼光の炎吹き荒れる海上から飛び立つものがあった。一対の巨大な翼を広げ、流線型へと形態変化したそれは、紛うことなき悪竜の姿。一直線に空を目指し、雲を突き抜け、星々を睥睨し、成層圏を超えても尚上昇を続けていく。
 甘粕と悪竜が攻撃により動きを停止したように、ストラウスもまた必殺の一撃を放ったことにより一瞬の隙が生まれたのだ。甘粕の狙いは最初からそれであり、自分の命が削られることなどまるで頓着していない。
 然るに、この悪竜が持ち得る攻撃手段の中で最強と言えるのは一体何であろうか。
 神代の真エーテルによる四属性内包ドラゴンブレス───確かにそれも強力ではあるだろう。しかし違う、既に太陽遍歴もツァーリの一撃も耐え抜いたストラウスに対し、そんなものが決定打になるとは今更誰も思うまい。
 正答は、巨体を用いた大質量攻撃!
 上空約80㎞地点、中間圏電離層より50mの質量が繰り出す極超音速の特攻破壊。すなわち隕星衝撃(メテオインパクト)
 地球最大の隕石孔であるデリンジャークレーターは直径およそ30mの隕石によって形成されたと言われている。最早神の杖など比較にもならない大破壊。しかも悪竜の出せる最大速度は彗星の約7倍にも相当し、運動エネルギーは速度の二乗に比例することを考えれば巻き起こる破壊の規模は想像に難くない。
 欠点があるとすれば、それは一度上昇し急降下するという攻撃準備にかかる時間だ。それさえ数秒で済んでしまう程度のものだが、この領域の戦闘においては致命的な隙と言わざるを得ないだろう。

「滅びの火は満ちた。人の越えたる日曜の日に、お前の居場所は存在しない───終段・顕象」

 故に、その間隙を埋めるべく甘粕は更なる神格召喚を成し遂げる。
 湧き上がるものがあった。それは海洋に在らざる巨大な炎の渦であり、逆巻く火柱は伸縮を繰り返し、空を目指すように伸び上がった。
 それは腕だ。炎によって形作られた巨大な人の腕。あまりに巨大すぎて感覚が狂ってしまいそうになるが、それはおよそ数百mにもなる大きさだった。
 腕は遥か空の月を掴むかのように伸び続け、やがては肩にあたる部分が姿を顕す。肩に続いて丸い卵型の物体が、たなびく炎の奔流を頭髪として現出。最早誰が見ても疑う余地もない巨大な人間の頭部。仮にこの場に見上げる者があったならば、きっと誰もが言葉を失っていただろう。
 這い出る者、炎の巨人。
 身の丈およそ500m。
 生まれたばかりの巨人は、まるで己の誕生を祝うかのように、漆黒の天蓋に向かって長く、高い咆哮を轟かせたのだった。

「かつて、お前以外にも俺に立ち向かった英傑がいた。彼の者は輝かしく、そして誰しもの胸を焦がすような熱情を湛えていた。
 これは奴への返礼であり、そして我が尊敬の炎だ。お前にこそ受け取ってほしい、世界には素晴らしき英霊が我ら以外にもいたのだという証を!」

 そして掲げられる、長大なる炎の魔剣。
 世界を終わらせる巨人の王が持つ、絶対なる滅びの具現。

 時が来た。
 焔の剣、その切っ先が天を貫く。
 収束するものがある。それは純粋魔力のみで形作られた、およそ地球上ではあり得ぬ熱量を誇る"破壊"そのもののカタチであるものか。
 故に、人は巨人に何もできない。神代の大洪水も、存在を消し去る白の立方体も、フォトニック結晶から成る大規模魔術式であろうとも、アレの体表に届くより先に蒸発して消滅する。
 ああ、墜ちる。異なる二種の滅びが、世界を死に導く赫き終焉の焔が来る。天から、地から、終末装置たる破壊の具現が、ローズレッド・ストラウスただ一人に向けられて。

「《太陽を超えて耀け、炎の剣(ロプトル・レーギャルン)》!!」

 ──────────────────!

 世界そのものの絶叫であるかのような大轟音が鳴り響く。
 見上げる空の全てが炎に覆われた。絶対の破壊が振り下ろされるのが見える。
 あれこそが死だ。死の集合体。触れる者全てを消滅させる終末の焔。真実の《焦熱世界・激痛の剣(ムスペルヘイム・レーヴァテイン)》。
 人は絶望と諦観の中に落とされる。神々であっても生存の余地があるかどうか。
 故に、誰もその刃からは逃れられない。もしも刃を避けたとしても、拡散する致死の熱量に殺される。
 だからこそ、ストラウスは逃げず立ち向かうことを選択した。

 視界を覆い尽くさんばかりの剣に対して漆黒剣が向けられていた。剣の腹でもなく、刃でもなく、1/100ミリにも満たない切っ先を巨大な剣の刃に合わせる。
 刃渡り300mあまりの巨大な剣の全運動量を剣先の一点に受け止め、熱量が伝播するよりも負荷が肉体を破壊するよりも速く受け流す。
 巨大な剣の切っ先がストラウスの右後方10mに凄まじい破壊を穿った時には、ストラウスの肉体は既に400m上空、巨人の肩の寸前に在った。

「赤騎士ならば知っているさ。ああ、どちらも色恋に狂った哀れな者だ」

 炎の魔剣の直撃を受けることは、さしものストラウスとて叶わない。
 生命に対する絶対的な優先権を持つ魔剣は、形ある生物であれば神代の神ですら滅ぼし尽くす。
 故にその熱はストラウスに耐えられるものではなく、しかしほんの一瞬、コンマ一秒にすら満たない極々短い時間であるならば、全霊の魔力を込めた剣でのみ接触することも叶う。
 そして、彼が反撃に移るための時間は一瞬以下でも構わない。

「アクセス()が《(シン)》───全ての瞳統べ給う君へ魔眼の譲渡を嘆願する」

 次元干渉虚数術式。アルトタスの心の声の世界に干渉した時と同じく、遥か高次の存在に限定的な接続を開始する。
 サーヴァントという矮化した霊基で受け取れる情報量は極めて少ない。故に余分なリソースは不用。最適な力のみを羅列・選択し、たった一つを掴み取る。

「モード:A.Z.T.Tより遷延の魔眼を発動。《私はそれが輝くさまを見ない》」

 事象・照準固定。無限分岐する可能性世界の中で任意の一つを選びとり固定化する、事象遅延の魔業である。
 当然のことながら神霊、それも自身の別存在を許さぬほどに精神が固定化された巨人王に対して、この魔眼は一切の効力を発揮しない。だがそれでいい。「遷延の魔眼がここにあり」、「使用者が撃滅の意思を持っている」というだけで強制協力は成立する。

 巨人の動きが止まる。業火の如き魔力の噴出が弱まる。その隙を逃がすことなく、巨人の肩に着地したストラウスは足元一面を覆うルーン魔術式に剣の切っ先を突き立て、200mの距離を駆け抜ける!
 ストラウスが再びその身を空に躍らせた瞬間、巨人の肉体の至るところに亀裂が発生、論理構造に致命的な損傷をきたした総身がバラバラに崩れて墜落していく。
 叫ばれる慟哭は憤怒であるのか、それとも誰かの名前であるのか。余人には聞き届けること叶わない嘆きは宙に溶け消えて、スルトの肉体もまた諸共に消えていく。

 巨人王スルトに死の逸話は存在しない。
 神々の滅亡が明確に描かれたる北欧のラグナロクにおいてさえ、彼の者は最終戦争の終末まで生存し世界の全てを焼き尽くしたとされる。
 つまるところ彼を逸話的な状況再現で打倒することは不可能であり、故に他の弱点を新たに作ってやる必要があった。
 平行世界の観測機構、剪定の果てに消え去るはずの異聞に遺されたとある記述。
 ストラウス自身が見聞きしたものではないが、月の瞳たる単眼はあらゆる空を見つめている。

「そして」

 焔の残骸が滝のように流れ落ちていく光景の中、尚も形を失わずに在る巨大なる炎の剣を掴むものがあった。
 それは一見すると"光"に見えた。数えきれないほどの無数の光条が、幾重にも折り重なって五本の指と掌を形作っている。それはまるで人間の手首から先のようにも見えて、しかし基準となる大きさが明らかに違っていた。
 巨人王スルトの手にすら匹敵する巨大な光掌。それは何者も触れられぬはずの無限熱量たる炎剣を確りと握りしめて。その掌の根本に腕を掲げるストラウスの意思のままに動く。

 プラズマとは非常に強い圧力を持つ上に、あらゆる物質を破壊してしまうほどの熱量を併せ持つため、高密度の状態で封密しておくことは非常に困難である。
 二つの同じ向きの電磁場を発生させると磁場が絞られて細くなる。この高密度の磁力線を螺旋状の輪にすると磁力線の端がなくなり、メビウスの輪のように内側と外側の区別が無い構造、つまりプラズマが逃げ出す場所の無い構造になる。
 とある事象世界において、超高密度のプラズマを作り出すことによって核融合を起こす方式の核融合炉が発案されたが、プラズマの速度が螺旋速度を一定以上超えると、鏡状態の磁場で反射しきれずに崩壊してしまう。この問題が解決出来なかったために他の方式に取って代わられた。
 この方式の数万倍という超磁場を限定空間内に発生させることにより、超々高密度のプラズマの壁を作り出すことが出来る。
 超々磁場とプラズマの壁の前では、例え摂氏数千万度の熱量や放射線であっても完全に遮断されてしまう。炎剣を掴むためだけに編み上げた、それは光輝なる巨大籠手であった。

「悪なる竜よ。呪いの如くに死を撒き散らし、しかして祝いの如くに死することのなかったモノよ。
 来るがいい、クロスカウンターを決めてやる」

 天墜する崩落の星が見える。常軌を逸した速度で地上を目指す、体長50mの彗星がストラウス目掛けて墜ちてくる。
 その姿は未だ空遠く、遥か彼方の光にしか見えないものの。これより僅か二秒も経過すれば容易く地表を貫通し大絶滅にも匹敵する凄まじいまでの破壊が巻き起こるだろう。
 無論のことストラウスはそれを認めるわけにはいかないし、この地上で迎え撃っては勝敗がどうあれ周辺地域の全ては灰燼に帰してしまう。
 ならばどうするか。簡単なことだ、地上に落とさなければいい。

 偽なる巨腕が大きく撓む。力を溜め、彼方にある星へ照準を定める。
 そして放たれるは、炎剣の大投擲!
 眩き流星と化して空へと駆ける、旋回する赫き劫刃の一矢!
 海を断ち、雲を断ち、空を断ち、そして次なるは竜をも断たんと刃が唸りを上げる。
 ストラウスは巨大籠手に握りし炎剣を振り抜くでもなく翳すでもなく、ただ一心に高々度へと投げ打ったのだ。投擲速度はおよそマッハ数百にもなるか、天墜する巨竜の隕星とほぼ同等かそれ以上。それは狙い違わず巨竜へと殺到し、そして巨竜もまた一切の軌道を変えることなく、むしろ歓喜にも似た感情と共に真っ向から衝突して───

 光が、溢れた。
 空前の宝具と生命体が激突する遥か雲の彼方にて。
 例えば夜に暗がりが音もなく充ちるようにして、天然自然の理であるかの如くして、空間の隅々にまで光は行き渡り充ち満ちて、溢れて、溢れて。留まることなく漆黒の天蓋を呑みこんで、黒き海洋を照らし出す。
 破壊を齎す絶対の魔力。
 星も滅ぼす絶死の神秘。
 それが証拠に巨竜の外殻は悉く融解し、炎剣は砕け、絶対の破壊であるはずの二柱は諸共に崩壊していった。
 それらは破壊もたらす灼熱であって、同時に何かを得た輝きでもあった。

 黒の鎧を身に纏い、
 長大なる剣を携え、
 英雄が邪竜を討つ。
 それは忘れられたはずの神話個体なる伝説、その再現。世界に定められた運命なるものか。
 竜は今、取りこぼしたはずの何かを、その目に焼き付けて───

「イイーキルス───ルリム・シャイコォォォォスッ!!」

 地上をも揺るがす大衝突の衝撃が吹き荒れる中、喜悦を含んだ大喝破と共に、裂帛たる勢いで迫る白光がストラウスを貫いた。
 それは水平線の彼方までを一直線に貫いて、万物一切を貫通する光の槍。
 神格級の攻撃の数々に耐えてきたストラウスの五体が微塵に消滅する。胴体を直撃した光の槍は、文字通りに彼の肉体を四散させて。

「───が、はァッ!?」

 溢れる血すら瞬時に蒸発して、ストラウスは苦悶に揺れる息を吐き出された。
 胴体及び内臓の八割、右半身と頭蓋の一部、霊核の4割がその一撃で消失した。間違いなく致命の一打であり、吸血鬼たるストラウスと相反する浄化の属性故に再生が追いつかない。
 ルリム・シャイコース───《光の剣能》。
 北央大陸の北方辺境に伝わる御伽噺。かつて極北の果てには《巨神》なるものが在り、その白銀の甲冑纏う騎士が如き威容は地上から遥か暗雲の空にまで届き、剣の一振りだけでも山や大地が裂けたのだという。現在も彼の地で見ることのできる海の流氷は、この《巨神》なるものが砕いた大氷山の欠片であるとさえ。
 白の神体。イイーキルスの白き《巨神》伝説。
 彼の神が持つ剣なるものの正体こそが、この光だ。量子に作用して切り裂くため魔性も物質も関係なく切断する。空高くより睥睨する地平線までをも両断する間合いであり、およそ耐え得る物質は存在しない。

 二柱の迎撃に回らざるを得ず、故にその間手つかずの状態にあった甘粕が、まさか攻撃の手を休めるはずもなかった。対敵は見事に世界の危機を救ってみせ、間断なく迫る滅びを二度も回避してみせたのだから、"三度目もきっとやり遂げてくれるだろう"という根拠のない押し付けがましい信頼の下に全力全霊の攻撃を敢行したのだ。
 今、この場で最も歓喜に打ち震えているのは甘粕である。ストラウスが為したのは紛うことなき竜殺しの所業であり、最も新しい伝説の誕生に他ならない。現代の神話を目の当りにして甘粕は涙を流さんばかりに感動し、心底よりストラウスを尊敬して、だからこそ次の英雄譚も見せてほしいと際限なく奇跡を要求してくるのだ。

 立ち上がれと。
 負けるんじゃないと。
 俺はお前を信じている、この程度で斃れる男ではない、だからどうか愛と勇気と希望で以て剣を執り大悪たるこの俺を倒してくれ、と。

 願う情念は哄笑となって現れ、砕け散るストラウスを眼前にしても止まることはない。自分で相手を殺しておいて、死んだ程度で斃れるなと叱咤する姿はまさしく狂人の有り様であり、しかしそれこそが甘粕正彦という男の本質なのだ。
 人は醜い。生まれた時は誰もが悪であり、輝かしいものなどあるはずもない。
 だからどうか、見せてほしい。人が愚かしいまま終わる存在ではないという証を。煌めく希望を、他を呑みこむ絶望を、人類には確かに価値があるのだという証明を。
 見せられないというならば、なるほど、お前に価値はない。無価値なるまま無意味に死んでいけ。

 甘粕の思想とはつまりそういうこと。彼は人の醜さを嫌悪しているがために、自らは"そう"ならないよう奮起し続けている。その結果がこれまでに起きた幾多もの逆転劇であり、死地からの復帰であり、非常識なまでの往生際の悪さだった。心の力があれば人に不可能はないと豪語する甘粕は、故に如何な致命傷を負おうと心の力だけで何度も何度も立ち上がってくるのだ。
 なんという諦めの悪さ、頭の悪さであろうか。つまるところ彼を完全に殺しきるには肉体よりも先に精神を殺す必要があり、けれどこれほどまでの死地と絶望に晒されても尚彼の心は微塵の痛痒すら感じてはいない。その様はまさしく理不尽と不条理の体現であるかのように。
 だが、しかし。

「精神論の権化たるお前がいくら覚醒を果たそうとも、これが詰みの一手だ」

 ストラウスが叫ぶ。

「その愚かしい思想と共に消え去れ!」

 瞬間、ストラウスを貫く光槍が"ぐるり"と捻じ曲がり、180度方向を転換して甘粕へとその穂先を旋回させた。
 それはまるで真っ直ぐな針金を丸く折り曲げたかのように。急激な半円形を描いた白光の軌跡は凄まじい旋回速度で甘粕へと迫る!
 在り得ぬ光景。光とは通常直進するものであり、意図的にその軌道を捻じ曲げることはできない。ならばこれは一体何が起きているというのか。

 アインシュタイン方程式において、万有引力とはニュートン力学的な力ではなく重力場という時空の歪みであると説明されるようになった。また重力の作用は瞬時ではなく光速度、すなわち光の速さにさえ対応できるとも。
 時間と空間の幾何学構造、その曲率を表す幾何学量とは物質場の分布量に比例する。つまりは質量が巨大になるほど時空の歪みは顕著となり、曲がった空間の中を直進しようとすれば、その軌道は必然的に捻じ曲げられ、重力を受けた運動として観測される。
 時空の歪曲、すなわち重力=空間曲率制御。光速で運動する光量子の集束体すら軌道を捻じ曲げる、高密度の天体に匹敵する重力場。
 甘粕の解法による重力キャンセルなど問題にならないほどの、圧倒的な空間制御!

 光が天地を一閃する。それによって甘粕ごとに両断されるは、彼の内界に在る霊子回路。阿頼耶識と接続し神威を呼び出す霊的なレイライン!
 ストラウスは甘粕を順当に評価している。多少の苦境やダメージはむしろ彼にとっては起爆剤であり、乗り越えるべき壁にしかならず覚醒と力量向上を促してしまう。肉体をいくら破壊しても意味はなく、故に嵌めるなら何重にも徹底的に枷をかけなければならない。
 気合と根性などという精神論で打破できる状況をまずは消す。その一手がこの一撃である。

「なるほど───いいぞ面白い!」

 よって彼は真正面よりストラウスの返し手を迎え撃つ。彼に逃げるなどという選択肢は存在せず、戦術的な回避や防御の概念も今や頭の中から消し飛んでいた。
 小細工など最早不用、そんなものが入り込める余地などこの戦場には完全皆無。例え相手が神威そのものであろうとも、臆することなど何もないというその覚悟。ああ確かに、それも勇気の発露と言って間違いない。奴はそうした男であると、ストラウスでさえ理屈ではない部分で信頼してしまっているのだろう。
 だがその勇気と気概は───神格の攻撃すら直接受け止めようなどという自負は、あまりに巨大に過ぎると知れ。

「が、ああああああああああああああああ──────ッ!!」

 爆散する光の渦。幾度繰り出されたか分からないほどの破壊の連鎖に世界が揺れる。
 《光の剣能》の直撃に晒されて───当然のように甘粕の体は耐えきれない。
 盧生とは人類の代表者であり神格召喚者の名。邯鄲法の練度は極限まで研ぎ澄まされているものの、あくまで人間の域を逸脱してはおらず、単純なステータスで神格を凌駕しているわけではない。
 人理の観測範囲内において確認された四人の盧生の中では最も攻性に特化している甘粕でさえそれは変わらない。彼本体が持つ霊基総量は精々が召喚される神格の1割程度。個人としての力では、神格に及ばないほどに矮化したストラウスにさえ劣る。
 必然、甘粕の体は飴のように溶け崩れ、急速に原型を失っていった。盾法による回復蘇生が働いているためか完全な崩壊こそ免れてはいるものの、それが致命傷であることに疑いはない。

「ぐッ───は、ははは……!
 実に……実に奇妙な心地だ。しかしおい、俺はまだ生きているぞ? まさかこれを詰みの一手であるなどと言わんだろうな」

「それはそのまま、丸裸の状態で噛みしめろ」

 この規模の攻撃をまともに受けて、尚も生存する様は驚嘆に値する。しかし、言ったように真の狙いはそこではない。
 阿頼耶識との断絶、神格召喚の無効化。
 今の甘粕は英霊召喚で言うところのパスを切断された状態にある。ならば余程の特例でもない限りは単身で神格の現界を維持できるはずもなく。

「耐えきれるものならば!」

 叫びと同時、裂帛の気合と共にストラウスはその手より怒濤の奔流を放出した。
 それは周囲の景色が歪むことで間接的な視認が可能となる不可視の大波濤であった。空間が捩じれ、歪み、膨大な圧力が視界内の全域を覆う規模で発生し甘粕へと殺到する!
 重力場の形成───時空間歪曲による無質量の大津波。
 重力子は角運動量が二で質量と電荷を持たず、重力波を媒介して重力相互作用を発生させる。重力波という振動は空間そのものを媒介として進み、次元すら越えて作用するため理論上存在し得る全ての防壁が無意味と化す。巻き込まれたものは原子単位まで分解され、およそ物質としての形を保てない。
 あらゆる景色が歪んで見える中、周辺一帯に無数の光が乱反射して煌めいていた。重力波は不可視であるが、質量を持たない光子が重力との相互作用で曲がって輝いて見えるのだ。

 不可視の波濤が甘粕ごとを呑みこんだその一瞬で、彼の肉体は消滅寸前まで破壊された。
 身に着ける衣服と武装、そして頭の先から足先までの全身が重力波に呑まれ、原子レベルで分解されて空中で再結晶、歪な黒い塊へと成り果てる。剥き出しの肉体は表面から噴き出した血と体液で真っ赤に染まり、粘性の赤い肉塊と崩れ去った。体組織の5割以上が一瞬以下の時間で壊死。損傷を度外視した痛覚のみでも、常人であるならば10度は狂死してもおかしくはない激痛が奔っているだろう。
 解法による自動防御など抵抗の一助にさえならないほどの圧倒的な力量差。文字通りに桁が違い過ぎて何の抵抗も許されない。
 神格封じに怒濤の攻勢による足止め、枷を何重にもかけてそもそも何の行動も取らせない。
 現状、ストラウスは完全な優勢を獲得していた。手足をもがれたに等しい甘粕にとってこの劣勢は押し返せるものではなく、故にこのまま押し切れるものであるのだと。

「これで最後だ。終われ、甘粕正彦ッ!」

 そして具現するは、長大なりし漆黒剣。
 最も扱い慣れたストラウスの代名詞にして基本形。それに膨大な魔力を注ぎ込むことで刃渡り20m長にまで拡大変化させる。
 終わりを告げる声の下、振り下ろされるは全霊の一撃だった。間違いなく今のストラウスに行使可能な最大威力の斬撃であり、極限まで弱体化した甘粕に受け切れるものではなく───

「くく、くくく、ふははははは……!」

 甘粕はそれを、またしても真っ向から受け止めていた。勿論威力の無効化などできてはいないし、今も全身から血の霧を噴き出しながら、魂ごと砕かれそうな痛みの中にいるのだと証明している。

 だというのに、ああ、何故彼は今も笑っていられる。
 いやそもそも、例え一瞬とて耐えきれるものではないはずなのだ。魔力抵抗に筋力差、まともに立ちあがることすら不可能なほどに損傷した骨格など、そんなことは物理的に在り得ないはずなのに。

「お前の手札、存分に見せてもらった。ああ、実際に追い詰められたよ。かつてないほどに死を感じた。
 今もまた、な。地力でこれは跳ね返せん……」

 そうだ。今の甘粕は完全に単騎。《光の剣能》により神格へのアクセスを断たれ、物理的にも身動きの取れない全方位圧縮の重力波を受けているはずだ。
 にも関わらず、何故抵抗ができている。いくら死を待つばかりのギリギリの状態とはいえ、意味不明としか言いようのない話だろう。

「が、諦めん。諦めんぞ見るがいい、俺の辞書にそんな言葉は存在せん!
 何故なら誰でも、諦めなければ夢は必ず叶うと信じているのだァッ!」

 この不条理を紐解く真実は至って単純明快。馬鹿らしすぎるほどの呆れた理屈。

「そうか。お前個人の意思力が、遂には神格のそれすら凌駕しつつあるというか」

 すなわち気合と根性、心の力に他ならない。
 驚嘆すべき事実と絶対の優勢を崩される危機の中にあって、ストラウスから漏れ出たのは呆れたような声だった。今まで散々死地より復活と覚醒を果たしてきた理不尽極まる敵ではあったが、これはもう笑うしかないだろう。
 肥大化する勇気、勇気、勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気───誰も甘粕を止められない。

「づッ、ぐうううううおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォオオオッ!!」

 次の瞬間、七孔噴血すら厭わず轟き渡る甘粕の咆哮。そして、何たることか───ルリム・シャイコースによって断たれていたラインが無理やり再結合される気配が感じ取られた。
 在り得ない、不可能だ。それは単身で英霊の座や根源たる波動現象に繋ぐに等しい蛮行であり、如何に阿頼耶識の接続に耐える盧生であろうとも自我が耐え得る保障はない。
 だがこいつはそれを成してしまう男なのだ。甘粕正彦、意思の魔人、原初の盧生。ああこいつはどこまで出鱈目な男なのだと───ストラウスでさえも半ば感嘆めいた感情を浮かばせて。

「憎悪の空より来たりて正しき怒りを胸に、我は魔を断つ剣を執る───終段顕象!」

 しかしそんな感慨に耽っていられる時間などない。強引に繋ぎ直したラインは言うまでもなく滅茶苦茶であり、アクセスに掛かる負荷は尋常ではなく跳ね上がっているはずだが甘粕は微塵も怯まない。
 加えて、甘粕が今まさに召喚しようとしているモノは、これまでをも遥かに凌駕する桁外れの神威だということが分かってしまった。

「汝、無垢なる翼───■■■■■■ッ!!」

 ───その名は忌避され失われた。
 其は、悪魔の時代(カリ・ユガ)に降臨したる裁きの神。遍く邪神を滅ぼし尽くす、(∞-1)個の宇宙を破壊した神殺しの破壊神。
 時の氏神(デウス・エクス・マキナ)。全てを台無しにする機械仕掛けの神なるもの。
 それはただ一言、こう呼ばれる。

「"D"の右腕……渦動破壊神の断片を呼び寄せたか!」

 ああ、それはなんて荒唐無稽。世界に在り得ざるモノまで呼び出してしまうのか。
 甘粕に召喚されたのは、巨大な機械の右腕だった。純白の腕躯に光輝の掌。放たれる神気の渦は清廉そのもので、けれど隠し切れない憎悪の気配が如実に湛えられている。
 その欠けた体躯に秘められた力の総量は筆舌に尽くしがたく───けれど重要なのはそこではない。
 問題は、この神格の存在規模は明らかに人類の総体たる阿頼耶識すら超越して余りあるということ。
 つまりは終段で呼び出せるような代物ではなく……ならば考えられる帰結として、この右腕は阿頼耶識ではなく甘粕個人の意思力で以て呼び出されたということになってしまう。

 なんだそれは、理解不能だ。掟破りも大概にしろと叫びだしたくなる。
 何故ならその右腕は、破壊神という括りの中では最上位に位置するもの。
 邪神に冒された宇宙を滅ぼす極大の破壊(カタストロフ)そのもの。
 本来破壊神の為す「破壊」とは、後の再生を兼ねた創造の御業であるものだが、この神に限っては全く違う。破壊した宇宙を新生させることもなく、無限数に近い世界をただ滅ぼしてきた正真正銘の邪悪。邪神より尚おぞましい殺戮の化身であるのだから。

「ヴ―アの無敵の印において力を与えよ、バルザイの偃月刀!
 さあ見せてくれ、吼えてくれ。お前たちの譲れぬ願いを! そしてその果てに───」

 次瞬、機械の右腕に宿る巨大な偃月刀。剣呑なる切っ先が鎌首をもたげた大蛇の如くに振りかぶられる。
 ストラウスは、そこに共鳴するかのように刃が哭いているのを感じ取った。そしてそこに込められた、途轍もない破壊力をも。
 あの一振りは天地を分かち、世界を破断する処刑刀に他ならない。

「俺にお前たちを、愛させてくれェッ!!」

 振り抜かれる、刃の一撃。
 視認など絶対不可能な速度で放たれた一閃。恒星が爆発したかのような光と共に、斬撃そのものが巨大化して振り下ろされた。
 爆轟する世界。光に覆われる視界。地が割れ空が裂け、引き裂かれた天が真っ二つに割れて放射状に亀裂を広げていく。超越の速度を誇るため聴覚による判断が一切利かない。
 鳴り響いたガラスが割るような破砕音は、鎌倉守護のために展開した相転移式次元断層の空間障壁が斬り割られた音だ。あらゆる衝撃を無効化する結界は力づくで砕かれ、その背後の鎌倉市さえ走り抜けて横浜までをも途上に聳える山脈ごと断ち切り、粉砕した。遥か後方より響く切断音は、日本列島そのものが割られた音かもしれない。

 だが、それでも。
 それでも立ち塞がった者がいる。肉体はその大半が砕け散り、今や漆黒の形なき魔力で欠損を補っている有り様ではあれど。
 ローズレッド・ストラウス、未だ斃れることはなく。
 天地乖離す極大の破壊さえも遥か後方に置き去って、ただ一振りの剣となって甘粕へと刺し迫る!

「事此処に至り、最早お前に投げかける言葉はない。故に」

 迫る。迫る。止まることはない。
 ただ一直線に、ひたすら愚直に。
 何の策も小細工も、一手後の生存すら考慮せず。
 馬鹿正直なまでに、正面から道を切り拓く!

「受けてもらうぞ、我が挑戦を!
 私の最後の力を!」

「いいだろう───来い!」

 そして甘粕も、諸手を挙げた喝采で以て受け入れて。超至近距離で両者が向かい合う。
 今此処に最大最後の、残された力を振り絞った全霊の激突が開始された。

「ぬ、ぐぅ……オオォ───!」

 最大出力で奏でられる魔力の奔流。
 そう───ここに来て、戦況は一方へ激しい傾きを見せ始めた。
 無論それは言わずもがな、甘粕の不利という形を取って現れる。
 機神の腕という規格外の権能を携えたはずの第一盧生は、開戦以来最大の劣勢に追い込まれていた。
 魔力と神威による超至近距離のせめぎ合いは互角の均衡を見せながら、されど勝負の振り子をストラウスの側へと今も激しく揺り動かす。
 趨勢を決定づけているのは単純に"距離"という概念だろう。
 機神の腕はあまりに巨大すぎるが故に、この距離においては甘粕個人の力で拮抗を見せなければならない。何度も言うように単騎性能で言えば甘粕はストラウスに大敗を喫しており、如何に権能の欠片を自身に適用させようともその力量差は変わらない。
 ならば間合いを離すのが定石ではあるが、ここで甘粕の気質が邪魔をする。馬鹿正直に申し込まれた決闘に彼の心は浮足立っており、それを放棄して卑怯にも持ち場を離れることを彼は善しとしないだろう。自分の命の危機に際しても頑として譲らない姿勢はある種の潔さも感じさせるが、ここまで来ると単なる頑固者だろう。
 挽回不能、逆転不能。よって現状打つ手なし。
 ストラウスの出力は優に甘粕の数十倍に到達していた。それは逆説的にそれだけの開きがなければサーヴァントの身で神威に伍することはできないという証左であり、盧生という存在がどれほど優れたものであるかを示すものであったが、今この場では何の慰めにもなりはしない。
 ならば小規模の神格を召喚するという手段もあるが、その程度の小神風情ではストラウスに対して焼石に水にもならないだろう。決めるべきは必殺であり、渾身たる全身全霊の力なれば、そのようなつまらない小細工を労した時点でその者の敗北は決定する。
 故に迫る斬首の刃。接近を機に赤薔薇王の魔力嵐を受けて減衰していく神威。魂を削り取られる感触は死神の宣告に等しく、次の瞬間にも昏い闇の底へと呑みこまれるかの如き未来を甘粕に幻視させて止まない。

 見せかけの均衡は決壊寸前。
 紛れもなく、このままでは甘粕正彦は敗北する。
 人間賛歌は謳われない。楽園の夢は破綻する。
 後は足掻き散るのみかと、聡明な頭脳が未来予測を弾きだし───

「───まだだッ!」

 刹那、甘粕から湧き上がる光の波動───意思力が大暴走を開始する。

 そう、甘粕は光の属性を持つ英雄だ。どんな時でも諦めないという物語の主役めいた精神が、逆境において勇壮に駆動し始める。
 現実? 常識? 言い訳はよせ。そんなものは捻じ伏せればいい。
 苦難とはすなわち試練、光にとっては闇を討ち取る起爆剤として機能する。

 追い詰められるほどやがて雄々しく覚醒してみせよう。
 最後は必ず勝つという英雄譚のお約束が、因果さえ殴り飛ばして夜闇の王へと炸裂した。
 出力上昇、出力上昇、出力上昇───大熱暴走(オーバーヒート)
 あまりの過負荷に内臓骨格筋線維が弾け飛び、脳が灼熱する感触を覚えるが何のその。
 これで敵手を上回ったと狂喜しながら神格召喚を繰り返す。
 大地の化身、星神、月神、太陽神、星座の主に銀河を統べる者───力の多寡や権能など頓着せず、ただひたすら"大きい"神だけを選んで召喚、即座に分解して一点に集中圧縮していく。
 甘粕にとって神など人が生み出した発明でしかなく、ただ己が力を揮うための道具という認識でしかない。故に敬いの精神など欠片も存在せず、このように罰当たり極まりない使い方にも躊躇などなかった。
 神よ、人を見下ろす超越者を気取るならば文字通りに全てを超えるため使われろ、と。
 アラヤに渦巻く廃神、戦神、魔神、主神、皆々全て───無限に引き摺りだせるのが盧生の特権。
 それこそが戟・楯・咒・解・創の枠を超えた第六法に他ならない。
 邯鄲の最高位たる終ノ段。
 急段(けつまつ)を超える終段(しゅうまつ)の物語。
 今彼は、神格の数百体同時召喚という不条理を成し遂げる。

 いざ、我が愛を括目して見よ、赤薔薇王───俺の夢は決して譲りはしない。

崩界(コラプサー)───事象暗黒境界面(イベントホライズン)!」

 中点に向け圧縮される諸物質、高密度にして大出力の熱核エネルギー。
 プラズマ熱運動や電気的な反発力すら無視して押し進められる重力収縮。中性子核の縮退圧すら超過する自己質量は重力崩壊を引き起こし、星の終末点たる次元の孔を形成。突き抜けたエネルギーは三次元上に亀裂を刻み虚無へと反転する。
 圧倒的なその熱情に、最早空間は耐えられない。
 それは神々を素体として作り上げられたマイクロブラックホール。膨張を停止し収縮へと振り切った恒星が、遂には夜闇の王とはまた別個の闇を体得する。
 甘粕を蝕む大出力の魔力群が堰を切ったように重力崩壊の魔手に囚われ、光さえも抜け出せない無明の彼方に消えていく。光速を超える手段が存在しない以上、ストラウスでさえこの黒天には抵抗不可能。如何に全力を振り絞ろうと、片端から異次元空間に抹消されていくために両者の均衡は徐々に揺らぎ始めていく。
 ブラックホール創造自体が相当な力を要する上に、相性的な有利までをも獲得するに至った。今度は一転、ストラウスが甘粕へと追い縋る構図に変わる。

「───まだだァッ!」

 そして更なる領域へとすかさず踏み込み手を伸ばす。
 掟破りの二重覚醒。限界という壁をもう一つ、渾身の力でぶち破り意思力を暴走させる。
 何故そんな暴挙が可能であるかと言えば、理由はもちろん気合と根性。心の力以外にない。
 常識はずれの多大な過負荷で最早肉体は微塵と化しつつあるが、それがどうした。例え最微塵(クォーク)と化そうとも、諦めない意思さえあるなら体を再結合して戦うことが叶うだろう。
 まさしく神の雷霆が如く、罅割れる全身から光と熱を放出させて、文字通りの炎となりつつ"圧勝"の二文字を求めて尚も激しく燃え盛った。

 ───暗黒天体如きで、ローズレッド・ストラウスが敗れるはずがないだろう。
 油断しない、敵を評価する。あまりに苛烈な判断の下、明らかに過剰である殲滅力を希求する。

 一点に集中したエネルギー反応が更なる高まりを示し始める。
 歪み凝縮する暗黒天球。異常な数値の縮退圧と重力の間で釣り合いを見せながら、更に上昇する質量。天上知らず、止まらない。
 どこまでも大雑把に、歓喜の笑みを浮かべながら地球の法を軽く突破。
 創生、収縮、融合、装填───いざ、光が闇を撃ち滅ぼす。

「お前の愛を俺に見せろォ───霆光・天御柱神(ガンマレイ・ケラウノス)ッ!」

 創造───ガンマ線バースト。天霆が如き金色の光柱が、一直線に遥か空へと伸びあがった。

 巨星の終焉時に発生する超新星爆発、及び中心核の重力崩壊による相対論的ジェット放出。ガンマ線バーストとは、すなわち星そのものを素体とした高エネルギー放射線の大放出に他ならない。
 太陽が解放できるエネルギーの最大値は理論上E=Mc^2より10^54erg程度であり、実際にはこの内の1%程度を100億年の寿命をかけて光やニュートリノとして放出しているに過ぎない。一方ガンマ線バーストは10^52-10^54ergのエネルギーを僅か数十秒の間に0.1-1MeV光子として放つ、人類の観測史上最大規模の爆発現象である。
 射程およそ数千光年。範囲内の全生命を放射線で根絶する鏖殺の宇宙現象。最早サーヴァントは愚か神霊の類ですら秤に収まらない空前絶後の大衝撃。しかしこの一撃の最も不可解な点は、放たれたガンマ線には魔力による反応が一切感じられないということだ。
 つまりこれは、宝具による疑似や終段の神格召喚による権能などでは断じてない、真実の宇宙現象であるということ。
 指向性は持たせてあるし、極限まで集束・圧縮した一撃はストラウスのみを狙い撃っている、などという一切は言い訳にしかならない。
 なにせ、余波だけで周囲一帯の時空間が崩壊し、罅割れている。オゾン層を貫通した爆光はやがて、射線上にある星の悉くを苦も無く呑みこみ削り欠けさせてしまうだろう。
 異次元空間への出力抹消に加えて、最早比較にならないほどの大出力。
 如何な赤薔薇王でもこれに比することは不可能であり、事実として対敵たる彼の姿は金色の光の中へと消えていった。
 勝負の決定打がここに成る。勝者は甘粕正彦であると、誰もがそう確信し。

「───まだ、まだァァッ!」

 だが、まだだ。まだ足りない。
 覚醒の連発程度で、果たして得られる勝利であるだろうか。
 いいや否、驕るな甘粕正彦───我が宿敵はそんな容易い相手ではない。
 俺が認め、尊敬した英雄ならば、光年単位の破壊程度で死ぬはずがない。例え五体が微塵と化そうとも両の足で立ち上がり、星の質量をもその背に背負うことができなければ、勇者などと名乗れるはずがない。
 俺は勝つ。必ず勝つ。絶対に、絶対に、絶対絶対何があっても負けられないという一念が、理性の制止を捻じ伏せて明日へと向かい超疾走を開始した。

 ガンマ線バーストの只中より新たな力場が生じる。ガンマ線の発生源たる超高密度の中性子星がラグランジュポイントの更に外側に発生、地球周辺の磁気を掻き乱す。
 電磁気学的な力の作用が空間を捻じ曲げ、仮想的な砲身を展開。その周囲を更なる電磁場が取り囲み一回り大きな砲身を展開し、プログラムの無限連鎖を秒間に数十万回も繰り返すことで瞬時に直径6000㎞もの巨大な砲身に拡大する。
 強電界に大気圏そのものが電離し、周辺環境そのものが乱される。
 それが意味するのは何か。
 すなわち、地球磁気圏そのものを拡大増幅させることによる、天体を弾丸とした超電磁砲(レールガン)の具現!
 1平方cmあたり10億tもの質量を射出する、純然たる超質量弾頭!
 直径20㎞もの中性子星(マグネター)を電磁場が捉え、ローレンツ力によって加速する。仮想砲身に比してあまりにも小さいその弾丸はコンマ数秒で光速の99%を突破、相対論に従って質量を本来の数百倍にまで増大させる。

 ───光に紛れ消え去った、どこにいるのか分からない。
 ───ならば星ごとお前を貫いてみせるのみ。

 止まらない。止まらない。愛と勇気の前進を誰も止めることができない。
 甘粕は今や、長年の夢であった楽園の創造すらも慮外に投げ出している。彼は人類の根絶も地球の滅亡も望んでいなかったし、そもそも人類を滅ぼせば彼の好きなものは永遠に見られなくなってしまう。
 それくらいの損得、一桁の足し算よりも分かりやすい理屈がこの男には通じないのだ。目先の男があまりにも素晴らしすぎたから、その勇気をもっと見たいという一念のみで自身の夢も人類の存亡も頭の中から吹っ飛んでしまっている。
 最早馬鹿という言葉すら、馬鹿に対する冒涜にしかならない域の大馬鹿者だろう。愛も勇気も傲慢も、その我儘具合も。どこまでも青く未熟以下の子供そのままであり、だからこそ全てが桁外れているのだ。

 そして紡がれるランゲージは、文字通りに世界終焉にも相当する力が込められたものであり。
 世界の崩壊と引き換えに、今こそ甘粕正彦は完全なる勝利をその手に掴んだ。





「いいや。お前の出番は終わりだよ、甘粕正彦」





「が、はァ……ッ!?」

 甘粕の胸から突き出るものがあった。それは黒く塗りつぶされた、剣の切っ先。
 背後より刺し貫いた剣の一撃が、違うことなく甘粕の霊核を貫通していた。

 それはある種、至極当然の話ではあったのだろう。
 終段の解禁以来、自己を顧みず繰り返してきた覚醒と限界突破と致命傷よりの復活。それらは異能や特殊能力の類ではなく全て甘粕個人の精神力によるものであり、故に当然として反動ダメージが蓄積されていく。刻まれた無数の斬傷は今もなお癒えることはなく、音を立てて崩壊していく甘粕の肉体。当たり前の結末として彼の命は潰えていく。
 サーヴァントとは生身の肉体ではなく魔力で構築された模造品。そして機械は製造時の性能評価を越えられない。
 できるのはリミッターを外して酷使することだけである。それにしても、本体にかかる負担は耐久寿命を大きく削る羽目になるのは自明の理。
 よって意思力による快挙など霊基の欠陥、単なるエラーに過ぎず……

「いいや……まだだ、まだだ、まだ俺は……!」
「違う。ここで幕だ。お前の聖杯戦争は終わりを迎えた」

 それでもサーヴァントの規格すらをも超越するのが英雄たる者ではあるが、しかしストラウスは更なる意思力で以て捻じ伏せる。放出する魔力が甘粕の全身を侵食する。
 それもまた当然の話だ。「光」は甘粕だけの専売特許ではない。誰しもが持つ勇気の顕れがそれだとすれば、かつて彼が語った通り、万人が持って然るべき代物であるのだから。
 ローズレッド・ストラウスの所有宝具「月の恩寵は斯く在れかし(THE RECORD OF FALLEN VAMPIRE)」の真名解放は生前における全盛、すなわち異星の原初存在としての権能を十全に発揮できる状態に一時的に移行するというものだ。
 堕ちたる吸血鬼の記録(THE RECORD OF FALLEN VAMPIRE)。それはストラウスが歩んできた人生そのものの歴史。
 人と吸血鬼の両種族の未来を案じ、己一人を礎に全てを救った男の逸話が、まさか「光」でないわけがない。
 気合と根性による覚醒など、彼にもまた可能な行いなのであって……

「死に体であるのは、私も同じなのだがね」

 高ランクの単独行動はマスター不在での戦闘までをも保障するが、宝具発動による魔力行使までカバーできるわけではない。
 残存魔力のほぼ全てを使い切ってしまったストラウスの体は、末梢から粒子となって空中へと溶け消えていく。最早長くはあるまい。

「ようやく互いに落ち着ける時が来た。約定の時だ。今こそお前に……」

 そうして、ストラウスの口から二言三言、何かの文言が紡がれて。
 抵抗に全力が注がれていた甘粕の体から、ふっ、と気力の糸が途切れたかのように、あらゆる暴性が消失した。

 ストラウスから語られた真実。第四盧生の逸話の具現。
 この世界そのものに掛けられた、桃源なりし急段の強制協力。
 だとすれば、我が愛の終焉たるは、既に。

「そうか、お前は……いや、お前たちは。
 この世全てが廃せる地獄に成り果てようとも、それでも尚足掻き続けて……」

 目に見えるものの全ては現実でしかない。
 目に見えることのない現実の全てなどは、ただの障害でしかない。
 けれどこの都市は、この世界は。
 誰もが夢に堕ちようとも、誰もが万仙の檻に囚われようとも。
 ある者は願いのため、ある者は信念のため、ある者は黒き欲求ため。
 聖杯を求め聖杯を否定し、戦い、抗い、命を賭して。生き抜き果てていったというならば。

「誰も……誰一人として……
 この世界に、諦めた者などいなかったのだ……」

 そして甘粕は、何か一つを納得したかのように面を伏せた。その姿は静かな感慨に耽っているかのようで。
 最早自分にできることなど残されていないのだと、満足げに、あるいは自嘲するように。

「ならば俺の役割はもう、この世界には存在しない。真なるは是より先、世界の壁が破られた後のことになるというわけか」
「然り。結局のところ、この戦いはお前にその事実を伝えるためのものだった。それにしては、些か大仰な結果になってしまったが」
「だがそれで正しかったのだろうさ。確かにお前の言う通り、事実のみを口頭で伝えられたところで、俺は納得などしなかっただろうからな」

 言葉も暴力も、まずは値する意思を示してからでなくば認めない。
 それは甘粕の譲れない人生哲学であり、人類に対する基本姿勢であればこそ。

「認めよう。お前こそはまさしく俺の認めた英雄であると。
 如何な廃神、如何な英霊の偶像であろうとも。甘粕正彦はローズレッド・ストラウスという個人に最大の敬意を払おう。
 一人の男として、俺はお前に出会えて本当に良かった」

「変わった男だ。そも、私は人間などではないというのに」

「それこそ愚問。俺は全ての生きとし生ける者たちを見守る者なれば。
 俺の元いた世界において、魔性とはアラヤに作り出された幻でしかなかったために勘定には入れなかったが、そうでない純然たる異人種ならば話は別だとも」

 人を成したるは心であり、何かを成し遂げようとする強い意思の現れである。
 所詮この世の全ては先達者の手で作られるもの。自然発生するのは魂のみ。
 それこそが人と生命が持つ唯一無二の"己"であるのだろう。体が作り物であろうとも、その始まりが何かの写しであろうとも。

 人の想念が作り出した偽りの廃神などではなく、
 確たる一個の存在として、母の胎内より生まれ出でた者であるならば。

「俺が尊ぶは自らの裡より湧き出でし意思の強さ。それが真である以上、生まれの如何を俺は問わん。
 吸血種? 人獣? そんなものは所詮誤差に過ぎんよ。少なくとも、俺は人種差別主義に目覚めた覚えはないのでな」

「く、ふ、はは」

 思わず苦笑が漏れ出てしまうのを、ストラウスは止めることができなかった。
 甘粕正彦は光の属性を持つ者である。彼は確かにどうしようもない大馬鹿で、勘違いした愛の持ち主で、性悪説の権化で人類のことなど何一つとして信用していない絶望の徒ではあれど。
 それでも確かに、盧生に選ばれる人類愛の持ち主でもあるのだ。人類悪とは、すなわち愛情の裏返し。両者は表裏一体であり、どちらか一方を切り離して語ることなどできはしない。

「故にこそ、我が戦いに悔いはなし! 認めよう、俺の負けだ!」

 辛気臭く終わりを迎える趣味は持たない。人は泣きながら生まれる以上、終わりは豪笑を以て閉じるべきだと決めている。
 例えこの世界が虚構でしかなく、ここでの敗北が甘粕本体の死に繋がるようなものではないのだとしても。
 刻まれた。これこそ我が生涯における初めての敗北であり、その事実を以て我が憧れの光と証明されたのだから。

「そして安心するがいい。お前たちの希望は確かに俺が受け取った!
 その意思を無駄にはすまい───喝采せよ! 喝采せよ! これこそ、我が愛の終焉である!」

 そうして。
 甘粕の体が、光の中に溶けていって。

 ───全てが、白の中に消えていく。





   ▼  ▼  ▼





 ───墜ちていく。

 墜ちていく。白い光の中、無数の残骸と共に、力を失ったストラウスは真っ逆さまに。
 既に霊基を構築するだけの魔力さえも失って、数瞬後には完全に消え去る運命の彼は、ただ無感のままに墜落していく。

「私は……」

 それ以上は最早言葉に出す力もなく、彼は心中のみで呟く。

 ───私は、何かを為せただろうか。

 ───私は、今度こそ道を過たず歩むことができただろうか。

 答えはない。答えはない。ここには彼以外の誰もおらず、応える者などいない。

 ふと、彼方を見遣る。
 鎌倉市、聖杯戦争の舞台となった都市。
 その中心部が、空間的な揺らぎに包まれて、砕かれ虚無が如き空洞を晒す地下に沈降していっているのが見えた。
 一定範囲の特異点化、虚数空間への潜航。
 それは、あの場でも同じく決戦が繰り広げられていることを意味していた。

 ───すまない。

 ただ一言、それだけを思う。
 サーヴァントのみならず、未だ幼いマスターたちもあの場にはいるのだろう。
 幼いその者たちに、つらい役目を押しつけてしまった。
 だが安心してもほしいのだ。この先更につらい"現実"が待ち受けてはいるだろうけれど。それより後に、この都市での出来事以上につらいものなど待ってはいまい。
 ならばあるのはいいことばかりに決まっている。
 きっとお前たちは、幸せになれる。

 私や、アストルフォのマスターのように。
 最早顔も名前も思い出せない、彼ら彼女らのように。

 きっと───

「こ、の、世界が……」

 崩れ行く声帯で、それでも彼は声を出す。
 何かを残すように、自らの足掻いた証が少しでも刻まれるように。
 ここではないどこかへ、ただ一心に手を伸ばして。
 届かぬ星を掴むかのように。

「この選択が、辛さばかりを運ぶわけではないと、信じている」

 声と共に、伸ばした手が金色の粒子と消えて。
 今度こそ、空白の世界から誰しもが消えて無くなった。











 そして盤面は最終局面へと移行する。
 聖杯戦争の終結は近い。全ての鍵は、特異点と化した都市の中心部に───



トワイス・H・ピースマン@Fate/EXTRA 死亡】

【ライダー(甘粕正彦)@相州戦神館學園八命陣 強制退去】

【アーチャー(ローズレッド・ストラウス)@ヴァンパイア十字界 消滅】

※エリアD1~D3、E1~E4の時空間が崩壊、通常の手段では立ち入りができなくなります。
※エリアD3、D4、C4、C5、B4、B5、A5が完全消滅。射線上の山々及び横浜、東京及びその向こうにまで甚大な亀裂が刻まれました。
※エリアC3の特異点化及び虚数空間への沈降を確認。この一帯のみ甘粕とストラウスの戦闘の影響を受けていません。
最終更新:2020年07月26日 19:40