桃色の髪の少女が拳を握り、影に殴りかかった。
しかし実体を持たぬ者に拳撃が効くはずもない。空しく空を切った拳に、腕に、全身に黒い帯のようなものが巻きつき内側に潜り込んでいく。
やがて“彼女”の肌が闇を思わせる褐色に変わり、眼光が鋭くなる。
仲間達と少女が激突する直前、突然出現した光り輝く鏡が少女を飲み込んだ。
煙の中に人影が見えた時、ルイズは喜びのあまり飛び上った。
爆発しか起こせずゼロと呼ばれ続けたため、使い魔を召喚できるか不安だったのだが、無事成功した。
(どんな使い魔かしら。美しくて強くて――)
胸を躍らせながら煙が晴れるのを待ったルイズは奇妙な面持ちで相手を見つめた。
可憐な顔立ちの少女は褐色の肌を持ち、柔らかな髪の色に不思議と似合っていた。身に纏うのは見たことも無い衣服。
何よりも印象的なのは、肉感的な、それでいて均整のとれた完璧な肢体だった。誇り高い眼差しと相まって野生の獣のような美しさを感じさせる。
人間の――それも歳のそう違わない少女というのは予想外だったが、全身から放たれる鋭気が強さを証明しているようで落胆の言葉は思わず飲み込んでしまった。
コントラクト・サーヴァントを行うため何の意識もせず距離を詰めたルイズだったが、次の瞬間視界に広がったのは草に覆われた大地だった。
「え?」
足払いをかけられたようだ。
背中にかかった圧力で踏まれていることに気づく。
「アバンの使徒どもに与する輩か」
声も外見と同様、美しい鈴を思わせるが凍てつく冷気が込められている。
視線と警戒はコルベールに向けられているため、周囲の生徒たちでは相手にならないと判断したのだろう。
答えによっては戦いが始まるに違いない。
コルベールの纏う空気が張りつめたものに変わった。ただ一人の少女相手に大げさだと思う生徒もいたが、戦場で培われた本能が警鐘を鳴らしている。
「我々は敵ではありません。“アバンの使徒”とは一体?」
「人間のくせに知らんのか? ……まあいい。私を今すぐ元の場所に戻せ。大魔王様のために戦わねばならんのだ」
緊迫した声から察するに、どうも最悪のタイミングで呼び出してしまったらしい。戦いの最中ならば使い魔として暮らすことなど承諾しないだろう。
どう言葉を返すべきか分からず沈黙が漂ったが、相手に帰す意思が無いと判断した少女は拳を構えた。力ずくで言うことを聞かせ、元の世界に戻るしかない。
殺気を感じ取ったルイズは息を呑んだが、次の瞬間背中から圧力が消えたため身を起こした。
少女は頭を抱えて苦しげに呻いている。
「クッ……この女、まだ抵抗を……! ならば完全に魂を砕いて――」
言っている内容が理解できなかったが、今しかコントラクト・サーヴァントを行う機会は無い。
立ち上がり、素早く呪文を唱え、抱きつくようにして唇を重ねる。
「んっ――!?」
衣服越しに胸のあたりが輝いたのが分かる。ルーンを刻むことにも無事成功した。
だが、疲れと充足感の入り混じった表情の彼女に拳が振るわれる。
思わず目を閉じたルイズだが、予想した痛みは訪れない。
恐る恐る目を開くと顔面に叩き込まれる直前で止まっていた。自らの意思でないのは震えている拳を見ればわかる。
ルーンの効果と中にいる者の意思が合わさったためだとルイズが知るはずもなかった。
動きを止めた少女にコルベールが儀式や召喚についての説明を手早く行い、最後に帰る方法が分からないことについて告げた。
「ですが、彼女が初めて人間を呼び出したのならば、あなたを初めて帰す可能性もあります。ですから、彼女に協力し――」
「断る」
ルーンによって行動が制限されるならば他の体に移ればいい。
しかし、抜け出そうとした影は混乱した。
ルーンの働きのせいか魂が固定され、脱出は不可能だ。宿主の魂を完全に砕こうとしてもルーンが守るように周辺に浮かびあがり、握り潰すことはできない。
こんな状態では器の力を十分に発揮できず、固定された今ならば器が壊されると同時に本体が滅ぶかもしれない。
そして、このままでは――
(バーン様のお役には……立てん)
一人で生き抜くだけならどうにかなる。
だが、学院の教師もわからぬ帰還の方法に独力で辿りつけるのか。
帰る手段だけ見つかっても意味が無い。
体から離れられないのならば、理想の器に入ることも主の肉体を預かることもできない。
“守る”こともできない。
なすべきことはルーンを解除し、元の世界に戻ること。
鍛え上げた器が壊されていた時のために予備の体も探しておいた方がいいだろう。
使徒達の力を削いでおきたかったが、真の姿に戻った主ならば万に一つも敗れる可能性は無い。
ただ、主の大望が成就する瞬間を見ることができないのが一番残念だった。
本当に主から必要とされるのは数百年後。
それまでは予備の体を使うしかなく、最強の駒女王(クイーン)からただの兵士(ポーン)に格下げされたようなものだ。
胸のルーンが光り言葉を染み込ませていく。
“大魔王の役に立つため”にもしばらくは学院に――呼び出した者の近くに留まる必要がある、と。
完全に抑圧し捻じ曲げると抵抗が大きくなるが、心の隙間に潜り込み、巧みに思考を逸らしていく。
干渉を受け入れることとなったのは、長年の間被り続けてきた“ミストバーン”の仮面が外れ、精神の糸がほんの少し緩んだことが原因かもしれない。
ひとまず”彼女”が学院に滞在することが決定し、ルイズは埃を払いながら名乗った。
「わたしはルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」
「……ミスト」
この二人の少女が、ハルケギニアに嵐を起こすこととなる――。
その日の夜、ルイズは空気を搾り出さんばかりに溜息を吐いていた。
召喚した少女が大魔王の忠実な部下で魔王軍の幹部などと聞かされてもにわかには信じがたい。しかし、鋭すぎる眼光と不敵な笑みが圧倒的な説得力を醸し出している。
渋々納得した彼女はやけになり、どこからか入手したワインをハイペースであけていた。意識がもうろうとするなか、視界に入るのはボリュームたっぷりの胸である。
声が聞こえてくるのをぼんやりと感じ、ルイズは思わず呟いた。
「わたし、胸と会話してる」
そういえば、と思い出す。男子生徒は“ゼロのルイズ”にはふさわしくない使い魔だと口にしていた。主に胸が。
単なる大きさだけならば匹敵する女生徒もいるだろうが、胸から腰、そして大腿にかけてのラインはまさに芸術の域に達していた。
美の女神が全身全霊を捧げて作り出したかのような肢体からは健康的な色気がこれでもかと言わんばかりに迸っている。おまけに、格好は露出の多い武闘家のものだ。
一方我が身は――胸に手を持っていくと虚しい感覚しか伝えてこない。
ルイズの酔っ払った頭に怒りが充満し、爆発した。
「何でこんなのが出てくんのよ! わたしへの嫌味!? 新手の嫌がらせ!?」
こみ上げる衝動のままに手を伸ばし、豊かな膨らみをわしづかみにする。そして激情の赴くまま指を動かした。
「何よこの胸! 何なのよこの胸はッ!!」
突拍子もない行動にミストは怪訝そうな表情をしている。
「……? その程度の攻撃では傷一つつけられんぞ」
主の体ならば触れる前にフェニックスウィングを叩き込むところだが、「この女の体ならば別にいいか」という身も蓋もないことを考えていた。
どうせHPが減るわけではない。
「うっ……かみの、ひっく……なみだ、うえ……ふえええん!」
ルイズは儀式の際に張りつめた精神の糸が完全に切れたのか、嗚咽を漏らし、盛大に泣きだした。
一方キュルケは、ルイズの部屋から怒りに満ちた叫びと泣き声が聞こえてきたため様子をうかがうことにした。
何しろ“胸”という単語が何度も耳に届くのである。気にならないわけがない。
「ちょっと何やって――」
わずかに開いたドアから覗きこんだ彼女の思考が、一瞬完全に停止した。
可憐な顔立ちの少女が涙を流しながら一心不乱に胸を揉んでいる。
される方は物思いに耽っているのか、眉一本動かさず完全に無反応である。
(全く動じない包容力……まさに慈母だわ。何者なの、あの子?)
キュルケはごくりと唾を飲み込み、慌てて首を振った。これ以上見ていると禁断の世界へ踏み込んでしまう気がする。
珍しくぎこちない笑みを浮かべ、キュルケは自室へ引き返した。
やがて落ち着いたルイズは手を動かすのをやめて、文字通り胸に顔を埋めてすすり泣いた。
そんな彼女にどこか呆れたような声が降り注ぐ。
「戦闘の邪魔になるものが欲しいとは……。引き千切ってくれてやろうか」
「ふざけないで!」
ルイズは顔を上げ、激しい語調で言いきった。
「それは他人から与えられるものじゃないわ! 自分で得るものよ!」
そう告げる彼女の顔には気高い誇りが浮かんでいる。
台詞だけ聞けば格好いいと言えなくもないが、“それ”が指すのは胸である。
すっかり冷静さを失っている彼女はベッドに潜り込んで呟いた。
「一緒に寝るわよ」
さすがに床で眠らせるわけにもいかない。
言われたミストは断りかけて考え直した。
この器は秘法がかかっていない、人間の少女の体である。当然休息や食事が必要であり、余計な消耗は避けたい。
肌が接触する可能性もあるが、「この女の体ならば別にいいか」と横たわったミストの意識を妙な感覚が襲った。
(何だ……? 瞼が、重くなって――)
ルーンの働きで感覚を得ているのかもしれない――そう思いながら”彼女”は眠りに落ちた。
翌日、自分と同じ食事をとらせることにしたルイズは反応を見守った。
きっと豪勢な食事とその味に感動するだろうと予想していたが、“彼女”はスープを口に運んで妙な顔をしただけだった。
「何よ、口に合わないの?」
「わずかに感じる……。これが味覚というものか」
「え?」
今まで料理を味わったことなど無いような言葉にルイズが戸惑った次の瞬間、“彼女”はフォークを無造作に腕に突き刺した。
ルイズの手からスプーンがぽろりと落ち、目がこぼれんばかりに見開かれた。口が金魚のように虚しく開閉している。
ミストはわずかに顔をしかめながらフォークを引き抜いた。
「な、な、な、何やってんのよ……?」
「痛みを感じるか試そうと――」
「あんたの言うこと全く理解できないわ……! 頬をつねるとかでよかったじゃない」
“彼女”は半泣きになっているルイズの抗議を聞き流し、痛みを感じるようになったのは無茶な行動で器を壊すのを防ぐためだろうと考えていた。
「朝からショッキングな映像見せないでよ! 大丈夫なの!?」
血がだらだら流れる腕にベホイミをかけたミストは、ルイズから「いのちだいじに」と指示され、食事の作法について延々と説かれることとなった。
教室に向かう途中、すれ違う男子生徒の視線を追ったルイズが頭痛をこらえながら傍らの少女に問うた。
「その格好どうにかならない?」
だが、理由を逆に訊き返されたルイズは返答に窮した。
風紀を乱すからと言っても大魔王の部下には通じないだろう。
そもそも着替えさせる服が無いのである。ルイズやタバサの服では大きさが合わず、キュルケに頼むのはプライドが許さない。
(そういえば服のサイズのちょうど合いそうなメイドがいたわね。試しに着せて――)
想像してみたルイズは、生まれてきたことを激しく後悔した。
「……やっぱりそのままでいいわ」
さらに会話を交わす中、異世界の主への崇拝を語られた彼女は面白くないものを感じて頬を膨らませた。
「そんなに大切なご主人様なの?」
「当然だ。あの御方は長年の間、私にお体を委ねてくださったのだ」
その口調は、敬虔な信徒が神について語るようだった。
(え、え、どういうこと? 教えてワルド様)
何故か婚約者の顔が思い浮かんだルイズは恐る恐る尋ねてみた。
「それって……?」
「私はバーン様の御体を知り尽くしている。……誰よりもな」
嘘をついているのかと思って表情を窺ったが、誇らしげな色が浮かんでいる。
間違いなく事実を告げていると悟ったルイズは、ますます周囲の視線を浴びるのを感じ、訊かなければよかったと心の底から後悔した。
そのようにしてハルケギニアでの生活が始まり――やがて少女二名は数々の“奇跡”を起こした。
以下は、その中の一部である。
~学院の章~
「隠された奥のロマンというものを彼女は分かっていない。普段は慎むべき」
と主張する一派と、
「否、開放的な性格の持ち主がここぞという時に恥じらいを見せる……それこそが至高にして究極」
と語る者達が大論争を繰り広げ、クラスが真っ二つに分かれる。
一触即発となったものの、双方
「あの体はけしからんな」
「ああ、実にけしからん」
という合意に達したため停戦協定が結ばれ、以前よりも結束を強めることとなった。
さらにマリコルヌをはじめとする「あの足に踏まれたい」派が台頭し、第三勢力を形成する。
ある時、ギーシュをはさんでケティとモンモランシーが向かい合い、真竜の闘いを再現するほどのエネルギーを迸らせたことがあった。
そこに通りかかった“彼女”の腰のラインを見たギーシュはうっとりとして「光の天使だ」と呟いたため、全エネルギーが直撃。
しかし、生き延びたためしばらくの間「不死身」だと噂された。
「彼女はおそらく外見通りの存在――人間ではない。危険です」
そう警鐘を鳴らしたコルベールに対し、
「異質な存在を排除する……その心こそが争いを生むのではないかね。警戒するなとは言わんが、排斥するには尚早と言えるじゃろう。大切なのは……魂じゃよ!!」
と、オスマンは断言。
名言として後世まで語り継がれることとなる。
また、ある音声資料によると学院の片隅で以下のような会話がかわされたらしい。
「あんた何してんのよ!?」
「破壊力を持たぬ代わりに闘志を完全に打ち砕く技を――」
「それ時と場合と相手によるから! 教える方も教える方だけど真面目に覚えて実践してんじゃないわ!」
「相手による……ならばお前にも試すとしよう!」
「え!? ちょっと待ってやめ、いやあああ……!」
~アルビオンの章~
宿屋に宿泊した際、土くれのフーケから襲撃される。
「妹に似てるから戦いたくない」
そう告げられた“彼女”は
「ならば抵抗せずに死ね」
と言い放ち、躊躇せずに攻撃を叩き込もうとするのをルイズ達が必死に止めることとなった。
敵対したワルドはうっかり膝枕され、母の面影を感じたため「まるで聖母だ」と涙する。
彼はその場であっさりレコン・キスタを離反。
正義の光で戦い抜くことを誓った直後に光の闘気に目覚める。
その力で愛しいルイズと母を思わせる”彼女”を守り抜くことを決意。
さらに「アンリエッタこそが世界一可愛い」と思わず本音をもらしたウェールズと決闘、もとい取っ組み合いの喧嘩を繰り広げた。
両者とも「愛は人を強くする」という結論に達し、夕日を眺めつつ固く握手し熱い友情を築く。
そして、反乱軍の兵士はいくら攻撃を浴びせても消滅しない遍在に恐怖することとなった。
以上のように、数々の伝説を作り出した“彼女”は元の世界に戻ることとなった。
しかし、戻ったのは何故か召喚された直後の時点だったため「闘志を完全に砕く技」でヒュンケルの戦意を喪失させる。
溜め込んでいた光の闘気は霧散し、ミストは抵抗なく体を乗っ取った後に散々暴れ回ったという……。
~終~
最終更新:2008年11月04日 00:01