『白炎と氷炎~四極の炎~』

白銀の髪の青年が壊滅した軍団を見渡していた。
 彼は普段は珍しい造りの衣と黒い霧に身を包み、顔を隠している。だが、今日は閉ざされた双眸と整った面を露にしている。
 彼の名はミストバーン。
 大魔王バーンから全幅の信頼を置かれる側近だ。
 主からの命令で敵の拠点まで赴き、封印を解いて滅ぼしたのである。
 彼は突然地を蹴った。
 一瞬前まで彼が立っていた空間を炎が走り、勢いよく燃え上がった。続いて氷嵐が巻き起こるが青年を凍てつかせることは敵わない。
 彼は攻撃を放った相手を見て淡々と名を呟いた。
「フレイザード……メンヌヴィル」
 姿を現したのは右半身が氷、左半身が炎で包まれた岩石からなる存在と、顔に大きな傷跡のあるたくましい体躯の男だった。
 両者とも炎のように凶暴なだけではなく、氷のような冷酷さをも備えている。
 フレイザードの眼の奥に燃えるのは隠しきれない敵意と殺意。傍らの男、メンヌヴィルは好奇心を覗かせている。
 彼は滅びたはずのフレイザードを召喚し、共に行動してきた。戦闘を重ね、経験を積み、力を手に入れたフレイザードが元の世界に戻ることになった時、ついてきたのである。
 戻れないかもしれないのに異世界を訪れた理由はなかなか探し人に遭えず心震える獲物が不足していたためだ。さらに強い炎を手にするためでもある。
 地上に来てもこれまでのように気の合う相手――フレイザードの方はそう思っていないが――と行動することになった。
 ただの人間が魔王軍に受け入れられるかという問題はあっさり解決した。高らかに笑いながら人間を焼き殺す姿を見て、魔物達は恐怖とともに納得したのである。
「氷炎将軍は恩義を忘れかねているようですな。魔影参謀どの?」
 丁重な態度がかえって皮肉を感じさせる。
 かつて魔王軍の切り込み隊長――氷炎将軍として戦ってきたフレイザードは、勇者の必殺技を食らい、ミストバーンから顔面を踏みにじられて消滅したはずだった。
 召喚されたことによって復活できたのは僥倖と言うほかない。
 術者からの魔力の供給なしに異世界で行動できたのは、召喚の過程によって一個の生命体に近い存在となったためかもしれないが、確証はない。
 人格の歴史となるものを渇望している点は同じだ。
 レベルアップを繰り返して帰還した彼は、勇者一行との戦いの中で魔王軍の戦力を担う重要な存在と認められるようになった。
 だが、満足には程遠い。
 再び生命を与えられてもフレイザードが望む物は変わらない。
 どれほど年月を積もうと得られないほどの手柄や羨望の眼差し。勝利の快感、栄光。
 新たに加わったものももちろんある。
 油断や慢心が無様な敗北を招いたため、過信を捨てた。惨めな死が彼の精神から驕りを取り除き、強さを求める情熱を吹き込んだ。
 メンヌヴィルが“恩義”と表現したのはそういった意味もこめている。
 そして、フレイザードが攻撃を仕かけた理由は他にもある。
 大魔王に最も近い者を打ち負かせばさらなる地位を手にすることができるが、それが最大の理由ではない。
『たっ……頼む。もう一度チャンスを……ミストバ――』
 ミストバーンはダイの実力を測るため利用した。
 勇者に敗れ、それでもなお諦めず勝利を望んだ彼の言葉を無視し、簡単に命を奪った。
 虫ケラのように顔を踏みつぶされた屈辱を忘れることはできない。
 揺るぎなき栄光を、絶対的な強さを手にした暁には必ず復讐すると誓った。
 今こそ誓いを果たす時だ。
「眩しく燃え尽きて死ねよ。閃光のようにな」
 フレイザードが宣言し、メンヌヴィルも杖を構える。
 使い魔の念願を叶えてやりたいという温情などではなく、焼き応えのありそうな相手を火葬する絶好の機会を逃すわけにはいかないという理由で協力している。

 二人の巻き起こす炎や吹雪が青年に迫るが、いずれも傷つけることはかなわない。世の理を超越した存在であるかのように。
 距離を詰められれば一方的になってしまうため、距離をとって通じない攻撃を繰り返すしかない。
 挑む気力も根こそぎ奪われるような相手だがフレイザードは諦めない。
「何故徒労に終わる攻撃を繰り返す?」
 不思議そうな表情で吐き出された問いに対する答えは単純だ。
「オレは勝つのが好きなんだよッ!」
 幾度目かわからぬ無意味な攻撃をミストバーンは避けようともしなかった。
 それを見たフレイザードがほくそ笑む。
 普段の状態も闘気技を除くほとんどの攻撃が通じないため、本気で回避や防御に集中することは少ない。闘気技さえも無効とする姿ならばその場に突っ立っているだけでいいのだ。
 下手に暗黒闘気を用いて戦われるよりも、こちらの方が隙が大きいため戦いやすい。
 無敵の身体という自信――過信、油断がもたらすものをフレイザードはよく知っている。
 火炎や風雪は効かない。
 だが、彼には切り札がある。
 レベルアップの果てに到達した最強の呪文が。
 ミストバーンの表情がわずかに動いた。
 フレイザードの両手に魔力が集まった。同時に別々の力を宿し、手を合わせる。合成された力は光の弓矢を形成した。
「メドローア!」
 巨大な白色の矢が真っ直ぐ飛来するのを回避する。避けられた極太の光線は、青年の背後にそびえたつ砦をごっそりと抉り完全に消し飛ばした。
 火炎呪文と氷系呪文を組み合わせて放つ、極大消滅呪文。文字通りあらゆるものを消し尽くす最強の魔法。灼熱と極寒を併せ持つ身体を持つフレイザードだからこそ習得できた。
 だが、力を高めて合成し、狙いを定めて放つまでに時間がかかるのが難点だ。動作が派手な分見切ることも容易く、警戒している相手に放っても避けられてしまう。
 しかし、突如煙が立ち込めた。
 メンヌヴィルが『錬金』の応用で煙幕を作り出したのだ。
 目くらましと併用してメドローアを当てるつもりだと悟ったミストバーンが身構える。
 煙を貫くようにして巨大な光の矢が現れたが、予想していたため身をひねって回避する。
 煙の中から脱出したミストバーンは敵に襲いかかろうとしたが、フレイザードの姿がないことに気づいた。
 視界の端を光線が走り、腕を妙な手ごたえが襲う。メンヌヴィルに鉄拳を叩きこむ寸前で動きが止まった。
 死角から放たれた極細の矢が右腕を貫き、半ばまでちぎったためだ。
「な……!?」
 生じた隙を縫うように飛んだ細い矢が大腿を貫き、無敵のはずの身体をよろめかせた。
 矢の数は全部で五本。
 振り返るようにして地に倒れこんだミストバーンの眼に映ったのは、五指をピンと伸ばし構えたフレイザードの姿だった。

 最初に目立つようにメドローアを披露したのは、規模が自在に調節できることを悟らせぬため。
 先ほど巨大な矢を放ったのはメンヌヴィルで、メドローアに見せかけただけの炎だった。煙幕は直接当てることを狙うのではなく、フレイザードの行動を隠すためのもの。
 ミストバーンならばフレイザードの発するエネルギーを見ることができる。だが、限界まで気配を殺し、偽りの呪文に注意を向けさせ、その隙を狙った。
 炎を操るすべに長けた者同士の連携で成功させたのだ。
 最大規模のメドローアをいきなり直撃させるつもりなどなかった。屈辱を晴らしていない内に消滅させては意味がない。
 反撃しようにも貫かれた手足の傷はふさがらず、動きが鈍ってしまう。無理に動かせばちぎれかねない。魔族の持つ再生能力が極端に低下している。
 呪法による結界を張ったのだろう。それをなしたのはフレイザードか、それとも別の相手か。
「言ったろ? 勝つのが好きだって」
 残虐さを満面に浮かべ、フレイザードが歩み寄る。立ちあがったミストバーンの頭を掴み、乱暴に地面に叩きつけた。
 彼は閉ざされていた目を開き、焦慮と苛立ちを浮かべている。
 メンヌヴィルが愉快そうに呟く。
「身体を覆っていた不可思議な膜も消えたようだな」
 彼を無敵たらしめていた秘法が解かれ、ただの炎や氷も通じるようになってしまった。
 復讐の悦びに顔をゆがめたフレイザードが足を上げた。
「顔踏まれたっけな。こんな風に!」
 勢いよく左眼目がけて振りおろし、体重をかけてぐりぐりと踏みにじる。炎の足に踏まれた面から肉の焼けるにおいと煙が立ち上った。
「クカカカカッ! ザマあねえなミストバーン!」
 哄笑するフレイザードとは対照的に、メンヌヴィルは興味深げに対象を観察していた。
 手足を貫かれ肉体の一部を消されたにも関わらず、見えたのは驚愕だけで苦痛の色はなかった。顔面を焼かれても悲鳴一つ上げずに歯を食いしばっているだけだ。
 痛みをこらえようとする様子ではない。暴力や死の予感に脅かされているわけでもないらしい。恐怖が見えるが、その対象はフレイザードではないようだ。
 極上のにおいをかぎながら獲物をじっくり眺めるメンヌヴィルの耳にかすれた声が響いた。
「……る」
「あァ?」
 フレイザードが訝しげに聞き返すと、恐怖に染まった声が返された。
「……様に――される……!」
 言い終えない内に鈍い音が響いた。
 視認できない速度で振るわれた手刀がフレイザードの足首を瞬時に切断したのだ。岩石が身体に戻るより早く立ち上がり、ろくに動かぬはずの手足を使って攻撃する。
 かろうじて回避したフレイザードも無茶な行動に驚いている。
 反対にメンヌヴィルの顔は興奮に上気し、明るく輝いた。
「……面白い」
 ただ綺麗な顔をしているというだけではここまで好奇心はそそられなかった。
 顔半分――それも目を焼かれているのに、まったく痛みを感じないような振る舞い。
 あの状況から反撃する闘志。
 こんな相手は初めてだ。
「どれほど焼けば、その顔をゆがめることができるのだろう……? 知りたいな。ああ、知りたい」
 興奮を抑えかねて身を震わせる彼の内で、不気味な炎が徐々に燃え上がっていく。
「焼きたい。血の一滴残らず蒸発させ……肉の一片残さず焦がしたい……!」
 危険な存在を忘れたかのように殴りかかる彼の右腕をフレイザードが掴んだ。もう片方の手で呪文を叩きこもうとするより早く、ミストバーンが振り払おうと力を込める。

 何かがちぎれる音がした。
「あっ」
 軽くなった右腕を見たミストバーンの表情が石像のように固まった。あるはずのものがない。
 否、フレイザードの手に残っている。
 ちぎれかけている腕を掴まれ、渾身の力で拘束から逃れようとしたのだから“こう”なるのも無理はない。
 青年が何もない空間を見、身を震わせ絶叫した。
「貴様のせいだぁぁっ!」
「そりゃてめえの――」
「うおおああーっ!!」
 理不尽な言葉にフレイザードが反論するより早く、拳が顔面に叩き込まれた。凄まじい力に吹き飛ばされ、叩きつけられたところに蹴りが放たれる。
 鈍い音とともに顔面が踏まれ、踏みつぶそうと力が加えられた。地を舐めろと言わんばかりに幾度も足が振り下ろされる。
 メドローアを食らったことによって狂いかけていた精神の歯車が、完全に吹き飛んだようだ。
 そこへメンヌヴィルの炎球が放たれたが、彼は左手を伸ばし握りつぶした。
 わずかに圧力が弱まった隙に体勢を立て直したフレイザードが高威力の呪文を放つべく意識を集中させる。
「メ・ラ・ゾー・マ! フィンガー・フレア・ボムズ!」
 もはや秘法は解けたのだから精密な調整を必要とするメドローアを使う必要はない。氷や炎で十分だ。
 迫りくる炎をミストバーンが掌撃で弾き返す。
 メンヌヴィルはいっそう興奮して攻撃しかけたが――突如虚空に向かって炎の帯を飛ばした。
 が、巨大な火柱が轟音とともに立ち上り、彼の魔法をかき消してしまった。
 現れたのは、大魔王。
 部下たちの姿を見て表情を険しくしている。
 メンヌヴィルの所業に気づいたフレイザードが目を剥いて怒鳴った。
「いきなり何やってんだてめえ!?」
 大魔王を敵に回すような真似をするとは予想だにしなかった。ここで大魔王を敵にしては今までの苦労が水の泡である。栄光どころか命の火を消されてしまう。
 すっかり興奮しきっているメンヌヴィルに理屈は通じない。今まで大魔王と直接会ったことはなく、顔を合わせて初めてわかったのだ。
「感じるぞ……隊長殿を超えるやもしれぬ炎を! くはははははッ!」
 狂笑を迸らせる男を見てフレイザードはあっけにとられている。
 彼の誤算はメンヌヴィルの性格を把握しきれていなかったことだ。技術や力量は滑らかな連携を可能とするほど理解しているが、過程を愉しむ狂気を掴みきれていなかった。
 ミストバーンを見て感情が極限まで昂っていたところに大魔王が登場し、理性にとどめをさしたと言える。
 一方、大魔王はどこまでも静かに腹心の部下に告げた。
「罰を与えねばなるまい」
 ミストバーンの顔からさっと血の気が引いた。恐怖に塗り替えられた表情を隠せぬまま、彼は拳を構えた。

 離れた場所――それぞれの自室で戦いを見ている者たちの反応は異なっていた。
 魔軍司令は胃の痛みが悪化するのを感じ、唸りながら頭を抱えた。
 出世と保身を望んでいる者は忌々しげに床を蹴った。
「ミストバーンめが窮地に陥ったところで恩を売りつけてやろうと思ったのに……使えん奴じゃ」
 他の魔族とは対照的に死神はクスクス笑い、その使い魔は口を尖らせて抗議する。
「手出ししないの? つまんないよぉ」
「フフッ、もう少しだけ見物していようよ。あんなに怯えた表情(カオ)、めったに見られるものじゃあないからね。……エクセレントだ」
 健闘を祈るかのように死神が笛を構え、優雅なる調べを奏でた。

 それぞれの思惑を乗せて炎は燃え続ける――。

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最終更新:2009年04月11日 17:53
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