32 『微熱』と獣王
礼拝堂のステンドグラスの下で、ウェールズは物思いに耽る。
今頃浮遊大陸の近辺には『レキシントン』号を筆頭に多くのフネが集結し、総攻撃の時間を待っている事だろう。
敵は5万、味方は3百。
どう考えても勝ち目はない。
しかし、死を前にした彼の心は、自分でも意外なほど落ち着いていた。
どんな人間にも寿命があるように、国というものにも命数が存在するのかもしれない。
もっともそれが今日であるなどとは、1年前には想像だにしていなかったが、運命なんてものは多分そんなものなのだろう。
心残りがないと言えば嘘になる。しかし自分が勇敢に戦った事は、あの優しい使者の少女が想い人に伝えてくれるに違いない。
ルイズにとって、その伝言はおそらく重荷となってしまうだろうが、彼女にはそれを乗り越える強さがあるとウェールズは感じていた。
もっとも、長年使えてくれた部下たちが次々と裏切る中、会って一日も経っていない他国の人間を信頼するというのも皮肉な話ではあったが。
ルイズがワルドと共に礼拝堂へ赴くと、そこには既に空軍大将の制服に身を包んだウェールズがいた。
「やあ、おはよう。こんな早い時間に呼び立ててすまないね、ラ・ヴァリエール嬢、それにワルド子爵」
笑みを浮かべる王子に、ルイズは慌てて頭を下げる。
王族を待たせてしまったのではとしきりに恐縮するルイズであったが、ウェールズは別に気にする様子もなかった。
「さて、名残惜しいが時間の余裕がある訳でもない。要件は手早く済ませるとしよう」
そう言って彼は傍らに置いてあった二つの小箱を手に取った。
一つは手のひらに収まるくらいの箱で、中には大きな宝石のついた指輪が赤い絹に包まれている。
昨日、ウェールズが身につけていた風のルビーだ。
もう一つの箱は40サント程の大きさで、中には装飾の入った木製のオルゴールが、同じく柔らかな絹に覆われていた。
「ウェールズ様、これが……」
「ああ、これこそがアルビオン王家伝来の秘宝、『始祖のオルゴール』だ」
とはいえ、昨日も言った様に動くのに鳴らないおかしなものだがね、とウェーズは肩をすくめてみせる。
王族らしからぬ所作ではあるが、『イーグル』号での部下とのやりとりからしても、どうやらこの若者は随分とフランクらしい。
「──確かにお預かり致します」
目に見えて緊張しながら、ルイズは恭しく二つの秘宝を受け取った。
「よろしく頼む。私の日記には『始祖より賜りし秘宝と共に天へと帰らん』などと記しておいたからね、連中が読めば暫くはごまかせるだろう」
レコン・キスタがウェールズの日記を読む保証はないが、始祖の秘宝を含め財宝の類を捜す確率は高く、その際王子の手記に目を通す者がいてもおかしくはない。
実際の所、持ち運べるサイズの芸術品や宝石などはとっくに避難する非戦闘員に分配済みだった。
わざわざ敵にくれてやる必要などないからだ。
逆に言えば、味方の軍資金として使う必要がない、つまりはこの戦いでメイジたちは全員討ち死にする覚悟だという事でもある。
昨夜の会談でウェールズに亡命の意思がないと痛感していたルイズは、せめて笑顔で別れを告げようと想った。
これから勝ち目のない戦いに赴く親友の想い人に何を背言うべきか迷い、それでも何とか口を開こうとした瞬間。
礼拝堂へ入ってから一言も言葉を発していなかったワルドが、初めて口を開いた。
「プリンス・オブ・ウェールズ──その命、貰い受ける」
ウェールズは一瞬何を言われたのか把握できず、しかし恐るべき速さで紡がれた『ブレイド』の呪文がワルドの杖剣の周囲に風を集めたのを目の当たりにして我に返った。
「子爵、君は……!」
風の防壁を紡ぐ余裕はない。それでもウェールズは身を捻って初撃をかわそうとする。
だが、ワルドのブレイドはその動きを見越したかのように彼の左胸へと突き出された。
婚約者の突然の凶行に、ルイズは茫然とする。
目の前の出来事を確かに見ているのに、思考も感情もそれに追いつかないでいるのだ。
それでもワルドが一足飛びにウェールズへと駆け寄り、杖剣を突き出した時は、我知らず悲鳴を上げてしまった。
「ウェールズ様!」
次の瞬間、まるでその声に呼応するかのように、礼拝堂の外から大人の頭ほどもある炎の塊がワルドめがけて飛び込んできた。
対してワルドは二つ名に恥じぬ速度で風の防壁を編み上げ炎を脇へと逸らしたが、その代償としてバランスを崩し、心臓を貫く筈だった『ブレイド』はウェールズの左肩を抉るに留まった。
肩を押さえながら素早く後退する王子を視線に収めつつ、ワルドは扉の向こうに立つ乱入者に感情のこもらぬ声で話しかけた。
「……君はもうフネに乗り込んでいると思っていたのだがね、ミス・ツェルプストー」
「良い女は時として気まぐれなものですわ、ミスタ・裏切り者」
荷物を背に不敵な笑みを浮かべながら、キュルケは油断なく次の一手を高速で考えていた。
相手は風のスクエアメイジ、しかも軍人である。
癪ではあるが、火のトライアングルとはいえ学生の自分が正面切って戦っても勝ち目は薄い。
只でさえ風と火では相性が悪いと先日の授業で思い知らされたばかりである。
故に、キュルケはその授業の後から考えていた策を使う事にした。
負けず嫌いの彼女はギトーに一泡吹かせてやろうと思っていたのだが、明らかに彼よりも格上で、なおかつ気に入らない事この上ないワルドなら相手にとって不足はないし、何より気に入らない男なので遠慮も必要ない。
こちらを敵と見なしたワルドが詠唱を始めるのに続き、キュルケもある呪文を唱える。
そして後から唱えたにも関わらず、呪文の完成は『閃光』の異名を持つワルドよりもキュルケのほうが早かった。
それもその筈、彼女が唱えたのは火系統魔法でも基礎中の基礎、ドットスペルの『発火』だったのである。
蝋燭に火をつける程度の魔法だが、その分呪文は短い。
そしてそんな弱い呪文が、ワルドの詠唱を中断させる事に成功していた。
何となれば、その小さな火はワルドの右目から2サントほどしか離れていない場所に出現したからである。
さしものワルドも目の前に火が生まれれば反射的に避けようとするし、集中力も乱れる。
これこそがキュルケの策であった。
ギトーと戦った折、キュルケは自分の杖先に巨大な炎を生み出した上で相手に向けて飛ばし、結果として跳ね返されている。
今思えばバカな事をしたものだ、とキュルケは思う。
わざわざ敵に向けて飛ばすから防御の時間を与えてしまうのである。
魔法は術者の感情やイメージに左右される部分が大きいのだから、対応する暇もない位置に術を発動させればいいではないか。
彼女はそう結論付け、そして実践したのであった。
ニューカッスルの城の位置はサンドリオンが承知していたので、クロコダイン一行はレコン・キスタの艦隊に注意しつつ先を急いでいる。
その中で、『青銅』のギーシュは、それはもうガッチガチに緊張しまくっていた。
麗しのアンリエッタを前にして、ほとんど脊髄反射的に今回の任務に志願してしまった彼だが、その時は落城寸前のニューカッスルへ突っ込む事態になるなど思いもしなかったのだから、まあ無理もない話ではある。
しかし、横に並ぶ自分よりも年下で、自分よりも事情を知らない筈のタバサはいつも通りの無表情であった。
これでは自分がおたおたしていては格好がつかない、とギーシュは思う。
斜め前を飛ぶマンティコアに騎乗したサンドリオンと名乗る謎の人物は、顔の下半分を覆う仮面のせいでその表情は伺い知れなかったが、傍目には全く動じていないように見えた。
ギーシュは実のところ、このメイジをかなりうさんくさいと感じている。
まずワルド子爵が裏切り者の可能性があるというのが信じられない。
クロコダインやタバサはそれなりに納得していたみたいけど、学院の女子制服をミニスカセーラー服にするという使命を帯びた彼が裏切りなどする訳がないじゃないか。
大体なんなんだあのサンドリオンというのは。
胸を見れば自分と同性なのは明らかなのに、腰から尻へとかけたラインは妙に艶めかしくてドキドキしちゃうだろ!
ええい、僕にはそんな趣味はないのに全くもって実にけしからん!
あまりじろじろ見てると、根拠はないがなんだかひどい魔法で吹っ飛ばされそうだから気をつけてるけど!]
とまあ緊張はどこか砂漠を越えて東方まで行ってしまったのではないかというギーシュの内心であった。
やや落ち着きを取り戻したギーシュは、後ろに控えるクロコダインの事を考える。
彼にとって、この鰐頭の獣人は強さの象徴であった。
知り合ってまだ一月も経っていないが、同級生たちと束になっても全然歯が立たず、あろう事か30メイル級のゴーレムを単独で粉砕してしまう規格外としか言い様のない力を持ちながら、決して驕らない。
そんな性格のクロコダインに、ギーシュは好意を抱いていた。
だからこんな状況下でも、彼は泰然と構えていると半ば確信していた訳だが、振り返ったギーシュは掛け値なしに驚く事になる。
クロコダインは片目を押さえながらその身を細かく震わせていたのだ。
「ど、どどど、どうしたんだねクロコダイン!?」
ルイズが乗り移ったかの如くどもるギーシュの質問に答える余裕は存在しなかった。
自分がまだ人間と敵対していた頃、驕りと油断から手痛い一撃を喰らい、二度と光を映す事は無い筈の左目に、目の前の光景とは異なる何かが浮かびつつあったからだ。
その目に映ったのは、立ち止まらずに何者かに向かって呪文を唱え続ける赤い髪の少女だった。
その目に映ったのは紅く染まった肩を押さえ血の気の引いた顔で何者かを睨みつける金髪の青年の姿だった。
直感的に、これは主であるルイズが見ているものだとクロコダインは理解する。
何らかの要因で彼女の視覚が己と同調したのであろう。
そして、同調しているのは視覚だけではなかった。
今のルイズの感情が、クロコダインの身を震わせているのである。
驚き、悲しみ、絶望、疑心、恐怖、後悔。
そして何より彼を震わせているのは、助けを求めるルイズの心の声であった。
召還される時に、鏡のようなゲートの向こうから感じたそれとは比べ物にならない程の、悲鳴じみた『声』。
そんな『声』を出させている原因は一体なんなのか。
クロコダインは次の瞬間それを知る事になった。
ルイズが視界に入れたくないと思い、しかしそれでも目にしてしまったもの。
それは、キュルケを風の魔法で吹き飛ばす、己の婚約者たるワルド子爵の姿だった。
矢継ぎ早にドットスペルを唱えながら、キュルケは内心で焦りを覚えていた。
第一の理由として、ぶっつけ本番のせいもありドットスペルとはいえ考えていたよりも精神力の消費が激しかった事。
今までとは違うイメージで魔法を発動させているので、その分余計な負担がかかっているのだろう。
第二の理由として、相手が慣れてきたのか動じない様になってきた事。
集中力を乱し呪文詠唱を途切れさせるのがこの作戦の根幹なのだが、それに対してワルドは異様な速さで順応しつつある。
その姿は呪文を唱える事のみに機能を絞ったガーゴイルを連想させた。
最後の理由として、ぶっちゃけた話こんなせせこましい作戦は正直自分の性格に合っていないという事。
大技で一気に決めたいという欲求をねじ伏せて小技を連発している現状だが、ちまちまドットスペルを唱え続けるとか一体どこのどいつが思いついたのか。
まあ実際キュルケ自身の発案なのだが、その辺りの都合の悪い事実はまとめてアルビオンより高い空の彼方に放り出し済みだ。
ルイズをからかう為だけの理由で開発した、彼女の失敗魔法に似せた『発火』をアレンジした爆竹っぽい小爆発の呪文をワルドの耳元で発動させながら、キュルケは次の一手を考える。
しかし、音と衝撃を物ともせずにワルドが発動した『風の鎚』によって、彼女の体は派手に吹っ飛ばされた。
一瞬、クロコダインの体が一回り大きくなった様に見えた。
異常に気がついたタバサが心配してシルフィードを接近させる。
「すまんがギーシュたちを頼むぞ」
言い終わらないうちに首根っこを捕まれたギーシュがこちらに飛ばされてきた。
「のぅわぁああぁ」
奇声を上げつつ必死に風竜の背にしがみつく同級生を視界の隅に収めつつ、タバサはクロコダインが怒りに支配されていると感じる。
「どうしたのだ」
見ればワイバーンを挟んだ反対側に、自分と同じ様にマンティコアを近付かせたサンドリオンがいた。
「やはりワルドは裏切り者だった様だ!今、キュルケと戦っているが……」
左目を押さえつつ答えるクロコダインに、皆の視線が集中する。
なぜそんな事がわかるのかと訪ねている時間はなかった。
本当なら一刻も早く救援に向かわねばならない。
「オレが先に行く。最短距離で敵の目を引きつけるから、お前たちは後から来い」
主を追ってヴェルダンデがシルフィードに移るのを確認すると、クロコダインはそう言ってワイバーンに全速を指示した。
ちなみにフレイムはと言えば、キュルケの元に一刻も早く辿り着くべく頑として動こうとはしなかった。
速度としては風竜の方が優れているが、強行突破するなら防御力の高い飛竜と自分が適任だとクロコダインは考えているようだ。
「付き合わせて貰おうか」
再び『遍在』を唱えたサンドリオンがそこへ割り込む。
マンティコアに乗った本体はそのままで、分身はクロコダインの後ろに廻りこむと風魔法で文字通り彼らを『後押し』する。
一瞬の間をおいて、凄まじい勢いで彼らはアルビオンへと飛び去っていった。
行く手にはニューカッスルを落とさんとするレコン・キスタ艦隊の姿があるが、全くお構いなしだ。
「我々も行こう」
本体のサンドリオンの声かけで、タバサたちは一旦高度を下げて雲の中に身を隠しつつ、アルビオンの下へ潜り込む様に進路を変更した。
幾つかの机と椅子を薙ぎ倒した末に、吹っ飛んだキュルケは地面と望まぬキスをする羽目になった。
何とか受け身は取れたものの、決して軽くないダメージが彼女を襲う。
殆ど間髪入れずに襲いかかる『風の刃』を直感のみで回避するキュルケだが、それでも長い赤毛の一部が無惨に切り飛ばされた。
衝撃や痛みを負けん気だけで押さえ込み、髪を斬られた怒りを力に変えてキュルケは小声である呪文を唱える。
これまでの人生の中でもっとも早いと自負できるスピードで紡いだのはこれまでのドットスペルではなく、『火』『風』のラインスペルに更に『火』を足したトライアングルスペルの『フレイム・ボール』だ。
大きさこそ15サント程度のものだが、発現した場所を考えると、それは驚異以外の何者でも無かった。
何故なら、その火球はワルドの『右膝と左膝の間』に生まれいでたのである。
そのまま真上へと跳ね上がる火の玉を、恥も外聞も身も世もなく大慌てで後退する事でワルドは何とか色んな意味で死に繋がる直撃を回避した。
回避や迎撃の為の魔法など唱えられる余裕などこれっぽっちもない。当たったらその場で人生終了だ。
しかし術者の意のままに追尾可能な魔法は、執拗に世の男性共通の急所めがけて飛び続けた。
それでも流石は『閃光』というべきか、ワルドは回避運動をとりつつ『魔法の矢』で迎撃に成功する。
これまでにない危機的状況をかいくぐったワルドであったが、彼を待っていたのは予想外の光景だった。
即死さえしなかったものの、重傷を負っていた筈のウェールズが立ち上がり、こちらに杖を向けている。
間髪入れずに放たれた『風の鎚』が彼の体を吹っ飛ばした。
キュルケは痛みを忘れて思わずガッツポーズを取る。
さっき自分が直撃を喰らった時、偶然とはいえルイズやウェールズの近くに飛ばされたのは運が良かった。
おかげで半ば茫然自失としていたルイズが我に返り、キュルケが抱えていた荷物の中から水の秘薬を取り出してウェールズに手渡す事ができたからだ。
受け取ったウェールズは激痛に苛まれながらも、『治癒』の魔法で傷を塞ぐ。
本当なら回復魔法を唱えるのは王子ではない方が良かったのだが、先祖代々『火』の使い手であるキュルケは水系統の魔法は不得手だったし、ルイズに至っては論外である。
何にせよこれで少なくとも2対1の構図となった。
ルイズは基本員数外としても、これで少しは戦いを有利に運べるだろう。
ウェールズの傷は完治した訳ではなく、単に傷口を塞ぎ血を止めただけであるが、それでも王族が味方についてくれるのはありがたい。
あわよくばここでワルドを倒してしまいたい。そう思うキュルケだったが、残念ながらそう上手く物事が運ばないのが世の中というものである。
吹き飛ばされながらもフライとレビテーションを駆使して軟着陸に成功したワルドが、表情を変えぬまま5人に増えたのだ。
「遍在か……!」
ウェールズが呻く様に呟くのを耳にして、キュルケの口から思わず舌打ちが漏れた。
左肩の痛みを強引に無視してウェールズは呪文を唱える。
ルイズの護衛という事で、また竜騎士隊メンバーの評からワルドに対して全く疑念を抱いていなかったのだが、これは自分が甘かったのだろうか。
死を覚悟していたとはいえ、ここで不意打ち的に殺されるのは御免だ。
(ラ・ヴァリエール嬢とフォン・ツェルプストー嬢だけは守る)
少なくともそれだけは、否、それぐらいの事ぐらいはしなければアルビオン王族としての沽券に関わる。
とはいうものの、状況は芳しくなかった。
本人と遍在で計5人のスクエアメイジが敵なのだ。こちらは自分が風のトライアングル、フォン・ツェルプストー嬢はおそらく火のトライアングルだろう。
ラ・ヴァリエール嬢は魔法を使っていないので判らないが、見る限りショックが大きくて攻撃などできるとも思えない。
心を許していた護衛が裏切ったのだから無理もない、とウェールズは結論付けて、風魔法でワルドの『風の鎚』を相殺した。
自然と闘いはウェールズが防御し、キュルケがオフェンスという形になっていた。
しかし防御しているとはいえ限界はある。特にキュルケは打ち身や切り傷が多い。積極的に攻撃している分、ワルドの攻撃にも晒されるからだ。
そんな中、彼女は戦闘中に判明したある事実に戦慄していた。
(こういう時にグラマラスなのは不利……!)
普段はルイズやタバサ、モンモランシーをからかえるだけの、学年一の大きさのバスト(グラモン&グランドプレ並びに男子生徒有志調べ)がこんなに不利だったとは思わなかった。
重くて肩がこるは暑くて蒸れるは攻撃避ける時揺れて痛いは、ルイズやタバサ並の哀れ胸とは言わないがモンモランシー位が丁度いいのではと思わざるを得ない。
級友たちの抗議や恨み節が聞こえてきた気がしたが、まあ気のせいだと聞き流す。
あと髪!ここまで伸ばすのにどんだけ苦労したと思ってるのかしらねこの全部クズな男略してゼクオ!
せめて纏めておくべきだったと今更嘆いても仕方ない。
仕方がないが普段から欠かさず手入れしていた己の髪が斬られて心穏やかでいられる女がいるか、いやない!
ちなみにさっきから精神的にハイテンションなのは、感情の強さがそのまま魔法の強さに直結するからである。
無理にでも怒っていればドットスペルとはいえ侮れない威力になるのだ。
実のところキュルケはかなり善戦していたが、それも長くは続かなかった。
もはや幾度喰らったかもわからない『風の鎚』でまた吹き飛ばされた彼女は、ついに立ち上がれず上半身を起こすのが精一杯となる。
「キュルケ!」
防御に専念していたウェールズの後ろから悲鳴じみた叫びを上げたルイズは、思わずファイアーボールの呪文を唱えた。
しかしワルドを狙った筈のそれは、全く見当違いの場所で爆発を引き起こしただけだった。
『固定化』がかかっているであろう礼拝堂の天井の一部に穴を開けるくらいだから威力に関しては申し分ないのだが、当たらなければ意味はない。
ルイズはギュッと唇を噛み締めた。
魔法を真っ当に使えない自分を責め、当たらなかったのはワルドに対する思慕が残っているせいかと自身を疑い、無力感に苛まれむ。
そして、こんな時にクロコダインを頼ろうとする弱い心に嫌気がさした。
彼を元の世界に帰すと誓っておきながら、こんな危険な場所に呼び出そうなど虫が良すぎると、どこか潔癖性の彼女はそう考える。
そうだ。誓いを忘れてはならない。
クロコダインを仲間の元へと送り届ける。
彼の主として恥じない立派な貴族になる。
「だから……」
今まで、衝撃の深さから積極的に動けなかったルイズの瞳に光が宿った。
「だから、こんな所で……!」
かつての婚約者に杖を向け、高らかに彼女は告げる。
「私は死ぬわけにはいかないの……!」
対して、ワルドは冷たい口調で返した。
「ルイズ、残念だがそう上手く事が運ばないのが世の中というものだ」
それでもルイズは最後まで抵抗しようと呪文を唱え始める。
ウェールズは防御の為のスペルを選択し、なんとか二人を逃がすタイミングを作ろうとする。
そして精神力が尽きかけているキュルケは、しかし不敵な笑みを浮かべてワルドに言い放った。
「確かに、思うようには行かないようですわね」
次の瞬間、なんの前触れもなく巨大な影が礼拝堂の屋根を突き破る。
その肩に乗ったサラマンダーが炎のブレスを三連続で畳み掛けるように吐き出した。
虚を突かれたワルドたちが、それでもかろうじて防御する中、遍在の一体が戦斧の一撃であっさりと消滅する。
赤銅色の鱗に覆われたその巨体はもはや見間違えようもない。ルイズは我知らずその名を叫んでいた。
「クロコダイン!」
かつてここではない世界で『獣王』と呼ばれた鰐頭の獣人は、少女を守る強固な壁となるべく浮遊大陸アルビオンへと降り立ったのだった。
最終更新:2010年07月28日 10:47