マトリフ召喚

 トリステイン魔法学院の秘書、ロングビルはもう何もかもブッ壊してやりたい気持ちだった。
 緑のロングヘアに眼鏡が似合う、知的そうな美人である。だが今はそんな雰囲気は微塵も無く、身体を震わせながら身体の内に壮絶に込み上げてくるドス黒い殺意を必死に押さえていた。
 何故そんな状況なのか? ロングビルのいる場所は魔法学院の最高責任者であるオールド・オスマンの仕事部屋である。そこにロングビルを除いて二人の老人がいた。
 一人はこの部屋の主であるオスマン本人。そしてもう一人こそがロングビルの苛々の最大の元凶だ。学院の生徒であるルイズ・フランソワーズが呼び出した使い魔、マトリフである。
 立場も肩書も全然違う二人は現在、揃いも揃った動きでロングビルの身体を思いっきり撫で回していた。好色極まりない顔で「\(^O^)/うほほーい」とか言いながらその手をミミズの如く這わせて来る。
 ロングビルは、たまらずその手を払い退けたがその隙にもう一つの手に尻や乳を触られる。その手を掴んで殴り倒した所でまた手……。そんな光景がもう三日も続いていた。女なら彼女でなくても冒頭の様になるというものである。

「もみもみ……いやぁ召喚された時にゃ一体どうなる事かと思ったが……ここも中々どうしてパラダイスじゃねえか♪」
「ほっほっほ♪そうやって人生を楽しめるのも年の功じゃて。ん~すりすり♪」
「馬鹿言っちゃいけねぇ。これでも俺はまだ99歳だぜ……おっと……この肌触り!……人間が200年以上生きてるってどんな化け物……だよ」
「まあそう言ってくれるない。けど長生きの秘訣は……ああんそこ儂が取って置いたポイントなのに……やっぱりいつも変わらず横で微笑んでくれる美女の存在じゃな……儂くらいの良い男になればまだまだ余裕のよっちゃんじゃて♪……のぅ、ミス・ロングビル?」
「ええ……そうですわねミスタ・マトリフにオールド・オスマン」
 たわいない日常会話で包まれながら、その実子供にはとてもお見せできない波状攻撃にもロングビルは堪え続けた。
 彼女がこうまで我慢しているのには理由がある。彼女のロングビルという名は偽名であり、その正体は巷をお騒がせ中の怪盗フーケだった。
 土のゴーレムを使った犯行は時に慎重に、時に大胆に行われ、そんな彼女を人々は『土くれ』と呼んだ。そして今回の『土くれ』のターゲットはこの学院の宝物庫の宝である。
 なればこそ、秘書になり、情報を得ながらオスマンのセクハラにも堪えてきたのだが……。

(何でセクハラジジイがもう一人増えてんのよ!!)

 胸中で彼女が絶叫した。もう一人とは勿論マトリフの事だ。
 魔法が使えず『ゼロ』と評された学院一の有名人、ルイズが春の使い魔召喚の儀式で呼び出したこの老人はつい三、四日前に、生徒の一人であるギーシュ・ド・グラモンと決闘騒ぎを起こし、その時に使ったとされる魔法の様な妙な力について問い正す必要がある、とオスマンに呼ばれたのだった。しかし……
(このエロジジイのどこに力があるって言うんだい!!いつの間にか学院長室に入り浸ってセクハラ三昧じゃないか!!)
 初対面から恐ろしくウマが合ったらしい二人はこの三日間、『力』について碌に聞き出そうともせず、それどころかがっちりとタッグを組んで、もうそれはフリーダムにロングビルの身体を狙って来る。
 一人だから堪えられたセクハラが倍増したのだ。おまけにこの男はオスマンと違ってこちらの攻撃をあっさりとかわしてしまうのである。
 溜飲を下げられる術が無い事も手伝って彼女の理性はもはや限界に近かった。

「\(^O^)/うほほーい♪次は『直』にチャレンジしてみようかの」

 ブッチーン!

 訂正、既に限界であった。突如静かになった彼女はいきなり屈んだかと思うと恐ろしい早さで二人の手を叩き落とした。そのまま身体を反らし、その勢いで後ろへ跳ぶ。空中で綺麗に一回転して着地した彼女の手には杖が握られていた。
「ははは……もういい……もう終わりにするよ……」
 顔に手をやり、虚ろな乾いた笑いをロングビルが上げる。この三日間でありとあらゆる箇所を触られ、すっかり汚れきってしまった自分が上げるには相応しい笑いではないか。
 手を上げゆっくりと髪をかき上げた瞬間彼女の目の白黒が反転し、濃密な殺気と怒気が部屋中に充満する。それと同時に部屋の窓を影が射した。いや、影ではない。土で固めた巨大な『腕』がこの部屋目掛けて殴り掛かって来た――

「死ねええええええ!!このエロジジイどもがああああああ!!」

 轟音ともの凄い衝撃が起こり、オスマンの部屋が半壊した。ゴーレムの開けた穴を中心として壁や天井に無数の亀裂が入る。
 倒れている二人の老人を尻目に、部屋の中心を陣取るゴーレムの拳にロングビルが跳び乗った。杖を一降りしてゴーレムを操作すると、ゴーレムの開けた穴からそのまま外へと脱出して行く。

「おーいてて……あの秘書さんちょっとジョークがキツ過ぎねえか?また腰いわしちまう所だったぜ……ん?どした?」
 マトリフが腰を押さえてよっこらせと立ち上がる。だがオスマンはゴーレムの開けた穴をじっと見たまま動かないでいた。この三日の付き合いの中では二人だけの時のみに見せる顔である。
「どうしたもんかのう……どうやらミス・ロングビルは巷で噂のフーケだったらしいんじゃよ」
「……何だよ?そのフーケって」
 鼻をほじりながら適当な調子でマトリフが聞き返す。オスマンはフーケの事を掻い摘まんで説明した。
「はん……!まあ大体はわかった。それが何でこんな所で秘書なんかやってんだ?」
「おそらく目的は学院の宝物庫じゃろうな。うかつじゃったわい。あの乳に騙されてつい色々喋っちゃったかもしれん。セクハラに怒らなかったからと酒場でスカウトしたのはやはり間違いじゃったか!」
 心底悔しそうな顔をするオスマンに「さっきまでノリノリで触ってたじゃねえかよ」とマトリフが突っ込みを入れた。すぐに「お主もじゃろ?」と手痛い反撃が帰って来る。部屋が壮絶な状態になってるにも関わらず二人の顔は余裕そのものだった。

「それで、どうすんだ?こっちの世界の魔法じゃ『あれ』を相手にするにはちとしんどいだろ?」
「やむを得んのう……ここはお主の力を借りるとするか。やれやれ、城やアカデミーの連中に嗅ぎ付けられん事を祈るわい」
「まあそこはあんたの裁量次第だろ?よろしく頼むぜ♪――おっとお客さんだ」
 マトリフの言葉を合図とするかのタイミングで扉がノックされた。躊躇う様に数瞬の間を置いた後、扉が乱暴に開かれる。
「ちょっとマトリフ!いつまで学院長室にいるの!?私に魔法を教えてくれる約束でしょ!!……って何これ!?部屋がバラバラじゃない!!」
 現れたのはマトリフのご主人様であるルイズだった。ピンク色の髪をなびかせ目を吊り上げたその形相が部屋の参事を見るにつれて困惑のそれへと変えていく。
 そんなルイズの疑問にシニカルな笑みを浮かべてマトリフが答えた。
「見ての通り現在取り込み中さ。そこの学院長さんのセクハラが少々過ぎたみたいでな。秘書さんがとうとう癇癪起こしちゃったのよ」
 え?儂だけ悪者?と言った顔で自分とマトリフを交互に指差すオスマン。それをルイズがジト目で睨む。
「どう見ても癇癪ってレベルじゃ無いじゃない!!学院長、今すぐミス・ロングビルに謝罪して来て下さい!!」
 取り付く島も無いルイズの剣幕に、汚名返上の機会は永久に失ったと判断すると、ため息を一つついてオスマンが零した。
「あー、勿論儂もそのつもりなんじゃがな。どうも今回は彼女も本気らしくてな、ゴーレムを持ち出してきたみたいなんじゃ。だからそこにいるマトリフ君にちょっと手伝ってもらおうと思っとるんよ」
「いや今回『は』って……」
 オスマンの弁解に女性としての怒りと途方も無い疲労感を生じさせながらも、ルイズは何とか状況を理解した。
「わかったわ。それでマトリフ。一体どうするの?」
「……まずこの壁が邪魔だな。ちょっとすっきりさせるわ」
 そう言って二人を下がらせたマトリフが壁に手をかざす。「イオラ」と叫んだマトリフの手から純白の光球が生まれると壁を粉々に破壊した。
「これが『イオラ』だ。この前ギーシュのゴーレムに使った奴だな。お前さんの失敗魔法と似ている所もあるしあとでじっくり教えてやるよ。……さて」

 見晴らしのよくなった部屋から外へと体を覗かせてマトリフがロングビルを捜す。巨大なゴーレムに乗っているのですぐに見つかった。既にこちらに背中を向けて宝物庫の方向へ歩き出している。
 マトリフは「しゃーねぇな」と小さく呟くとロングビルの背中に向けて大声で呼び掛けた。
「おーい秘書さんよ!随分と軽いお仕置きだったけどもう終わりかい?なら今度は『直』に触らせて欲しいんだがなぁ!!」
 その声にゴーレムの足がぴたりと止まる。術者の心を代弁するかの様にぷるぷる巨体を震わせたかと思うと腕を振り絞った体勢でこちらに向き直った。そのまま肩に止まっているロングビルが寒気の走る凶悪な笑みを浮かべる。
「そうですか……。わかりました。そこまで言うのなら――存分に堪能なさって下さいな!!『直』をーー!!」
 言って『直』姿のゴーレムが再び向かって来た。向かって来る勢いを付けて繰り出されるであろう拳はまともに当たれば肉片すら残らずバラバラになる事が容易に想像できる。
 思わず青ざめるルイズだが当のマトリフは動じない。腕を広げた格好をしながら教師の様な口調でルイズに語り始めた。
「炎の魔法と氷の魔法を全く同じ威力で合成するとよ……『矢』ができるんだ。この『矢』は強力でな、触れた物全てを無に帰しちまう」
 この状況で突然何を言い出すのだ?マトリフの言う事がさっぱり理解できないルイズが非難の声を上げる。
「そんな事言ってる場合じゃ「この原理は魔法力の調整にある。+方向に魔法力を上げてやると炎魔法。-方向に下げてやると氷魔法だ。じゃあそれを合わせたらどうなる?」
 そう言ってマトリフの両手から魔法が生まれた。説明通りに右手に冷気を、左手に炎の塊を掌に抱えている。二つの魔法を同時に操るというおよそ常識外の事をして見せたマトリフにルイズは見ている他無かった。
「+と-が合わさるとどうなるか?答は無(む)。つまりは『ゼロ』だ……そう、お前さんの二つ名だ。どんな魔法でも爆発すると聞いた時思ったよ……もしかするとお前さんの得意な系統ってのは、この魔法の様に常識の枠を越えた所にあるんじゃないかってな!」
 マトリフが両手を合わせた。互いの魔法が溶け合って一筋の光が生まれる。弓矢を構える様にそれを引き絞ってマトリフがルイズの方をを向いた。
「まあ俺に任せとけって!ここに召喚されたのも何かの縁だ。この俺がいっちょ、お前を地上最強の魔法使いに仕立ててやらあ」
 にやぁっと笑みを浮かべた後ようやくマトリフが外へ向き直った。いつの間にか間近に来ていたゴーレムが全体重を乗せて拳を出す。同時にマトリフも光の矢を打ち出した。
「さあぶっ飛びやがれデクノボー!!――メドローア!!」

 解き放たれた光の矢がゴーレムの巨大な拳に突き刺さる。その瞬間拳は光に飲み込まれ、まるで太陽の様な閃光を放った。
 光が収まり目を開けた次の瞬間、ルイズが見たものは体のほぼ全てが消失したゴーレムの欠片だった。燃えたのでも凍り付いたのでもない、まさに『消えた』のだった。

「やれやれ、久しぶりなもんで力加減間違えちまった。秘書さん生きてるかな……お、いたいた」
 マトリフの視線をルイズが追う。土に戻ったゴーレムの足元にロングビルが倒れていた。気絶している様だが目立った外傷は無さそうだ。
「ふむ。ミス・ロングビルも無事なようじゃしこれにて一見落着かのう」
 いつの間にか隣に並んだオスマンが髭をいじりながらしみじみと言った。「誰のせいですか!」と汗をたらしてルイズが突っ込む。
「まあそういうこったな……で、どうする?この一件、『上』に報告すんのかい?」
「いやあ学院内での事じゃし……。別に良いじゃろ。彼女には罰代わりにまた秘書をやってもらう事にするわい」
 二人の会話をルイズはロングビルが暴れた事への処罰についての事だと思っていた。勿論二人にとっては『土くれ』のフーケの処遇の事であるのだが。
 とにかくロングビルにお咎めが無かった事にルイズは安堵した。ついでに「学院長こそちゃんとミス・ロングビルに謝罪して下さい」と付け加える。
 だが言われた当の本人は「軽いスキンシップのつもりだったのにのう」とかのたまっていた。駄目だこいつ早く何とかしないと。

 と――ルイズはふと自分の使い魔を見た。同時にさっき言われた言葉が思い返される。自分の中にそんな未知の力があるのだろうか?今までずっと『ゼロ』と蔑まれて来たのだ。そんな実感などさっぱり湧いて来ない。だけど――

「俺が地上最強の魔法使いにしてやるよ」

 嬉しかった。マトリフの言ったのはただのハッタリかもしれない。けれども自分の失敗魔法を見た後に例えお世辞でもそんな事を言ってくれる者は一人もいなかった。魔法が使える事を望んでいたのではない。彼女の欲しかったのは自分を認めてくれる存在だったのだ。
 ルイズが顔を上げた。いつの間にか自分の思いに耽ってしまっていたようだ。かぶりを振る事でそれを打ち消す。
 とにかく今はこの使い魔に礼を言わねばならない。け、決してあの言葉に感動したとかそんなんじゃなくて、そう!ミス・ロングビルへの手際が中々良かったから、しゅ、主人たるもの臣下の者に対する労いが必要よね。あ、そうなると今後は床じゃなくてちゃんと机で食べさせる方が良いのかしら?うんそうね。それで寛大な自分を演出すればあのマイペースな男でもさすがに――
 脳内で様々な一人ツンデレシアターが上映された後、ようやくルイズは先程マトリフのいた方向へ向いた。照れと恥ずかしさで顔が赤くなってしまい、前を向けないでいる。
「あ、あのねわた……し…?」
 途中で違和感に気付いてルイズは顔を上げた。見るとそこにさっきまでいた筈のマトリフがどこにもいない。不審に思ったルイズが辺りを見渡すと――

「……という事はじゃな。これはもうOKの証だと思うんじゃが?」
「ああ、『存分に堪能なさって下さいなー!』だろ?主語が抜けている以上、もうこれはGOサイン以外の何物でもないと思うぜ」
「嬉しいのうww嬉しいのうwwこんなたぎった気持ちになるのは実に30年ぶりじゃて」
「170歳でたぎるジジイなんか初めて知ったよ……ったく。あんたに比べりゃ俺もまだまだ子供だな。……という事で子供は子供らしく色んな所を触らせてもらうとするかな♪」
「ああん!ずるいずるぅい!そのポッチは儂が先なんじゃあ!!」
 気絶したロングビルに二人のジジイが我先にと群がっていた。性欲を満面に押し出した顔で鼻息荒く迫るその姿は誰が見てもヤバイ光景である。
 ルイズは黙って杖を構えた。怒りで身体はぷるぷる震え、杖を握る手は痛い程なのに頭の中はスッキリしている。今ならおそらく百発百中であの汚物どもを消し飛ばせそうだった。
 ルイズの殺気を感じたのか二つの汚物が凄惨な顔でこちらを向く。が、時既に遅くルイズの咏唱は完了した。
「し…し……死ねえええええぇぇぇ!!この性犯罪者どもおおおおおおぉぉ!!」
 ルイズの叫びは特大の爆発へと変わり、二人の老人を吹き飛ばしたのだった。

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最終更新:2008年07月16日 21:03
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