プロローグSSその1【転落】

プロローグSSその1【転落】

 重厚な木組みの扉を叩く。
 一度、二度と……、三度目は無い。それがここのしきたり。
 何でも三度目は、来客の有無を確定させてしまうから、らしい。
 探偵たる者、最後まで不明瞭なる中で推理を欠かしてはいけないという古い教えだ。
 「入れ」
 言われるままに扉を開く。
 僕の名前は「鉄砲百合三毛猫(てっぽうゆり・みけねこ)」。
 似つかわしくない名と思います。この歳になって不出来の子と言われる――
 「けほっ」

 煙(けぶ)る。煙る、目が染みる。涙が出てくる。
 一瞬、子供じみた特撮に使われるようなスモークが鮮明に焼き付く。なんだこれは!?
 一度だけ訪ねた輪郭だけを朧気な記憶から引き出す。進む、これは執務机か。
 耐えられずに机の上の物に寄りかかる。引き摺り、巻き込み、床に崩れ落ちる、万年筆が宙を舞った。
 「げほっ、げふ、ふ、が……」

 「気にするな。コカインではないよ」
 道楽さ、阿片窟を再現するつもりはなかったんだが……。
 やはり花煙草が一番だったかな、代用品作りは。

 気楽な声が続くのが恨めしい。
 窓際に立っていると言うのに、カーテンを引く気配すら見せない。
 ああ、ああ、どうしてですか? なぜですか? あなたさえも、僕を、咎めるのですか?
 どうして、この不出来の子を意味もなく貶し、足蹴にするのですか。

 「さて、私『剣薔薇銀貨(つるぎばら・ぎんか)』が貴様を呼び立てたのは他でもない。
 ひとつ提案したいからだ」
 副団長たる銀貨様。性別未定の麗人。
 僕と同じ幼形成熟(ネオテニー)でありながら、弱冠二二にして名門探偵団の副団長を務める俊才。
 探偵省事務次官を務める父上、その七光りとして捻じ込まれた僕、比べるのもおこがましい!

 けれど、こういった形で、僕を試すのですか?
 肺に染み渡るのは不快な色と、質量をもって襲い掛かるような煙。

 「未だに団に馴染めておらんようだな?」
 「がふっ。い、はい。努力、未だ、にっ……。それより、どうか、私からも、まどを」
 「『我らは帝(みかど)に捧げる供物、一人であれ腐っていてはならない』か。君の父君に言われたよ。続き、貴様にかけられた言葉を言うつもりはないが。
 実に、実に。不快だった。私はな、三毛猫、お前を評価しているつもりだったのだから。
 言っておくが、これは同胞(はらから)への憐憫や同情ではないよ」

 吐息が白い。
 この極彩色の空気の中で、唯一穢れていないようだった。
 真似をしようにも咳き込むばかり、僕が惨めであると誰よりもよく知っている!

 「ここの空気が合わんか。換気は済ませたつもりだったんだがな
 それより、言いたいことがあるのだったな。一つだけ無償で応えよう」
 「い、いえ、まどを……」
 「それで、いいのだな」

 首を縦に振った。
 その真意を知らずに、考えもせずに。
 けれど、期待した答えでないと恐れました。その響きが失望に変わることが怖かった。
 冬の空気、風の流れ、甘ったるく、苦々しい、混ぜこぜの空気を蹂躙する。
 「かはっ、はっ、は……」

 「いいのだ、いいのだ。つまりは……」
 眼前に白皙(はくせき)の面(おも)一つ。鼻梁はすっと通り、桜色の唇に続く。
 銀糸の如き髪の流れ、透き通った瞳は水面のように、揺れる。
 揺れる? 

 「これで、お前の頼みはもう聞かなくて済むと言うことだ。隠しているものを出すといい」
 漸く平静に戻ったその時に、バルコニーに移動していた副団長が手に取っていたのは「辞表」と書かれた書状……!
 「そ、それは――!」
 「矢車菊(やぐるまぎく)に、火焔木(かえんぼく)か、二人には私から言い聞かせておく……と言うわけにもいかんのだろうな。私も、ここには着任して長いわけではない。
 休暇を命じよう。言い換えるなら留学だ。
 窓を開け、異世界で新たな風を我等の下へ運んでくれればいい」

 「それは、違うのです! 副団長、聞いてください!」
 「聞かぬ」
 辞表は破り捨てられた。ぱらぱらと、紙吹雪が舞う。
 「あッ」
 慌て、身を乗り出す。
 それが間違いだった。僕は蹴り落とされた。
 「さぁ、青春と冒険の学園生活を送って来いっ!」
 探偵は時空を無視し、事件に引き寄せられる力がある。僕は地面にキスすることは無かった。
 はじめての相手はここで探せと言うことか、僕は「希望崎学園」の銘板の下、校門を潜った。

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最終更新:2014年12月10日 08:00