蛭神 かぶり プロローグ


水の滴る音がする。その音はゆっくりと不規則に響いていく。
その音に合わせるように嘆息が淀んだ空気に湿らせたアトモスフィアを織りなしていく。
そこは希望崎学園、旧校舎の男子トイレ。まだ、ダンゲロスが暗黒時代だったころのハルマゲドンで多数の死者が出たソコには人を憑り殺す幽霊魔人が出るという噂で、番長Gさえ近づかない。
上半身が歪に巨大な人間が個室トイレに腰かけていた。
いや、よく見るがいい。
それは上半身を女子に絡みつかれた男子である。女子のほうは茶系のグラディエーションの髪をもっていた。
蛭神かぶりである。彼女の足は男子の腰に巻きつき、手は胴体をひしとつかんではなさない。男子はかぶりを引き離そうとしているが、かぶりの腕、足、胴体はまるで吸盤のごとく男子の体に密着し、振りほどくことを許さない。さらに胴体に巻きつく手がわずかに動く度に腕全体に快感にも似た痺れが生じ力が入らない。これこそ蛭神家に伝わる拘束柔術【醍朱貴包留弩(だいしゅきほーるど)】である。
そして、かぶりの顔は男子の首元に密着していた。いや、かぶりの顔と男子の首元の間に光り蠢くものがある。それはゆっくりゆっくりと男子の首もとを這いずっている。その先端にある二本の突起はまるで進む先を探るように男子の鎖骨を弄っている。もし、粘液に塗れているそれを形容するならば───

【ナメクジ】

いや、この例えは正確でないだろう。何故なら、そのナメクジ状のものはかぶりの口から出ているのだ。そして、それは彼女の下顎と繋がっている。つまり、そのナメクジ状のものはかぶりの舌である。しかし、舌というにはそれはあまりにも大きすぎた。今、犠牲者の男子を嬲っているその舌は全長50cmもあろう長さである。かぶりの口蓋から突き出した舌、その巨大さ、犠牲者を舐め尽くす様を人々は畏敬をもって【蝸牛】と呼んだ。

「ーーー少しは反省した、一くん?」
彼女は犠牲者である少年、一一に話しかけた。一一は蛭神かぶりと恋人関係であった。といっても、基本的に一緒に遊びやショッピングにいく清い付き合いではあったが。しかし、最近は一が用事があると言い、一緒に出かけてくれない。そこで女友達と遊びに出かけたところ、女性と歩く一をかぶりは目撃してしまったのだ。今行われている、かぶりが一を舐め嬲る行為、これこそかぶりの報復である。もはや、彼の学生服ははだけ、そこにてらてらと不気味に光る粘液の帯が流れていた。無論、かぶりが舐めたあとである。
一の吐き出す息は湿り気を含んだ荒いものとなり、空気の澱みに消えていく。
「あ、あれは誤解だって・・・あぅ」
一が弁明しようとすると、冷たい水を被ったような激しい快感が首筋を駆け抜けた。
「あ・・・あぁあぁぁ・・・」
快楽に目が暗み、ようやく視界を取り戻したとき目の前にかぶりの顔があった。その口から舌が伸びている。それがどこに伸びているのか見えなくともわかった。うなじに生温かい湿り気が触れているのがわかるからだ。
「あぁ・・・やめ・・・!」
その瞬間、ゆっくりとかぶりの舌が一のうなじを降っていく。媚薬を含んだ粘液と暖かい舌につつまれた皮膚が最大限の快感信号を一の脳に送っている。
「あぁ・・・ぁぁぁあああっ!!」
最高潮に達した神経の、精神の昂ぶりが一の全身を痙攣させる。全身の毛、一本一本が立ち上がり、汗腺全てが全開になったように、汗が吹き出る。
「ぁぁ・・・ぁ・・・」
ようやく痙攣が収まり、体が弛緩したころになってかぶりは舌を一の体から引き剥がした。全身が真っ赤にそまり息が荒い一にたいして、かぶりも同じく全身を朱に染め肩で息をしている。
しかし、その意味はまったく異なる。蛭神かぶりは吸精種である蛭神家の1人。かぶりは人の精を精神や体の興奮状態、つまり元気から得ることができる(ちなみに蛭神家の大半は人の精を【物質】として取り込む)。よってかぶりはチアリーディング部として人間の元気が発散される運動部の試合に参加することで日々精を得ている。が、今回のように直接触れ合い、相手を興奮状態に導く方法がもっとも効率がよい。今、精を吸収され疲労している一とは対照的にかぶりは一の精を吸収し、高揚しているのだ。
「・・・誤解だっていうなら、どういうことか説明してくれる?」
ようやく弁明の余地が与えられ、一の目には光が戻った。
「あ、あれは同じクラスメートの子なんだ。それで、最近ストーカーされてみたいって相談を受けたから・・・、ストーカーが見つかるまで、ストーカーをおびき寄せるためにボディーガード兼ボーイフレンド(偽)をしていたんだ・・・。もちろん、彼氏を演じなきゃいけなかったから休みの日もデートしなくちゃいけなかった・・・。
 ごめん!!この埋め合わせは必ずするから!」
「ふーん、でストーカーは捕まったの?」
「それが・・・、ストーカーも女性で、百合ってやつなのかな、で僕とクラスメートの子を襲ってきて、僕が応戦したんだけれど、いろいろと面倒なことがあって、『彼女よりも良い人を見つけたから、もうストーカーしない』って言ってどっかにいっちゃったんだ。・・・こんな話、嘘にしか聞こえないかもしれないけど、本当なんだ」
確かに一がストーカー被害を相談されたのも、ボディーガードを買ったのも、ストーカーと戦ったのも真実である。しかし、そんな出来の言い話を信じてくれるだろうか。そんな不安をかかえ、一が見たかぶりの顔は微笑んでいた。
「・・・信じるよ。だって一くん、やさしいもん」
そして、一の唇に暖かなものが触れた。
「一くんは最初からやさしかった。私の一族はあんなんだから、みんな避けてたのに一くんは気にしなかった。覚えている?中等部の女の子がセクハラされたとき、みんな私を疑ったのに、一くんは私を守ってくれた。真犯人を捕まえてくれた。だから、そんな一くんのやさしさを私は信じる」
ーーーあぁ、彼女が僕のそばにいてくれる人で良かった
一は心底そう思った。彼の魔人能力『ToLoveるメーカー』は周囲の女性を【チョロイン】にしてしまう能力。ゆえに多くの男性に憎悪されるのは、もちろん、女性同士で修羅場になったり、矛先が一に向くことすらあった。しかし、かぶりは一の優しさを信じてくれる。信じて赦してくれる。そのような女性は一の彼女の中でもなかなかにいない得がたいものであった。
「・・・でもね」
かぶりの放ったその一言には哀しみを帯びていたことに一は気がつかなかった。
「その優しさが、私をさみしくするの・・・。この一ヶ月、すっごいすごいさみしかったんだよ・・・。一くん・・・。だから、埋め合わせするって言ったよね・・・。だから」
そういうとかぶりは一に再び唇を重ねた。そしてかぶりの口から侵入してくるものに一は一瞬気づけなかった。
それはかぶりの舌。かぶりの舌は体外を舐めるより、口蓋を舐めたときに効果を発揮する。すでに大量の媚薬が一の食道を通過し、そこを中心に体の芯から融けるような快感が広がっていく。一の舌に絡みつき、口蓋を征服していくかぶりの舌に一はなすすべもなく溺れていく。
「一ヶ月分の埋め合わせをいまほしいの」
唇を重ねる前につぶやいたかぶりの言葉。果たして自分は埋め合わせが終わった後、正気でいられるのか。そんな懸念も押しよせる快楽におしつぶされ、一の意識は快楽の渦の中に耽溺していくのだった。

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最終更新:2014年12月06日 17:58