魂絢サチ

■キャラクター名:魂絢サチ
■読み方:たまあや さち
■性別:女性

特殊能力『絶対安眠保証サービス(キャッシュレスなら最大100%オフ!)』

商品購入者を好きなタイミングで殺すことのできる能力。

彼女の息がかかった商品なら何でも、買った人の魂を回収できる。

この能力は詐欺まがいの手段で人間に物を売りつけ、購入者の魂を刈り集めていたやり口の名残りである。

いつしか「死」を連想させる商品の方が売れやすいことに気付き、能力を使わずとも購入者が自滅するパターンが多くなる。

即死グッズを使う使わないに拘らず、購入者の死は確定事項。

あわよくばたくさんの人を巻き込んでいって欲しい。

キャッシュレスの時代なのでお金の代わりに命をそのまま差し出す『ライフペイ』が導入された。お金と命を両方支払っても問題はない。

設定

「安い早い怖くない」をモットーに死を有償提供する少女。

その正体は、魔界第三冥府所属の三等死神(序列的には中間ぐらい)である。

所謂亡者の成り上がりにして、理不尽極まりない方法で命を刈り集めてきた実績を持ち、大悪魔様からも一目置かれている逸材。

「彼らにとって最も身近な方法で死を受け入れてもらう」という師匠の教えを元に、遊び感覚で命を落とす便利グッズを数多く発明してきた。

不定期で人間界に降り立ち、人間らしく遊びはしゃぎながら、死神らしく魂を回収するために即死グッズのセールスも行っている。

彼女の軽快なトークを交えて繰り出される商品は飛ぶように売れ、呆気なく死んでいく購入者たち。その死亡率、もれなく100%。

巻き込まれて死んだ人々も数知れず。お金も魂もたくさん手に入り、彼女だけが何一つ不自由ない人間界ライフを満喫している。

「アイツが憎い」「早く死にたい」

そんな声を聞きつけて颯爽と、さっちゃんがあなたの街にやってくる――。

――今回は『運命の黙示録』と書かれた青い表紙の本を抱えて。

プロローグ

窓の外では発車を知らせるアナウンスやベル、ブザーの音が代わる代わる鳴り響いている。
しばらくして、ドアの開閉音が聞こえてくると、柔らかな引力を受けて布製の背もたれに押し倒された。

走行速度が上がると、ホームを飛び出てあっという間に横切る大阪は西中島の街並み。
雲ひとつない青空の下、住宅街や主張の強い広告看板、小学校のグラウンド――どうしようもなく庶民的で温かみのある街並み――を目まぐるしく通過しながら車両は加速度を増して目的地まで真っ直ぐに進もうとする。
――ただの帰り路のはずが、思いがけず新しい旅が始まったようにも感じられるのは何故だろう。

くぐもって聴こえる走行音に耳を傾けつつ旅が終わる余韻に浸っていると、誰もが歌詞を口ずさんでしまいたくなる車内メロディが鳴り渡り、次いで聞き慣れた女声のアナウンスが流れはじめる。

「――今日も、新幹線をご利用くださいましてありがとうございます」

こだま734号、東京行――。
それは始発の新大阪駅から終点東京駅までを約4時間掛けてゆっくりと楽しめる、旅好きの女子大生――諏訪早苗が心から愛する鉄道の一つだった。


* * *


親戚の集まりで大阪に向かう用事が出来た早苗は、もう何度目か分からない新世界を目一杯遊び楽しんだ。

活気ある街、圧倒されるようなご馳走、時折り耳に入る小気味よいおばちゃんの世間話、ユーモア溢れる置物の数々、知らないお酒――は嗜む程度に。
目を閉じるだけでも今日の思い出が溢れて出てくるようだった。
やはり旅は良いものだ。心に溜まった悪い感情を洗い流し、ただの一般人に成り下がることが出来る。革命的なヒーローや悲劇のヒロインを気取って物語の主役を張るにはあまりに場違いな、旅が好きなだけの女子大生A子で居られるから――。

『――おかけになった電話は電源が入っていないか、電波の届かない場所に――』

もう何度聴いたか分からない女声の冷たいアナウンスがとても耳障りだった。
ずっと指が覚えている、11桁の携帯番号の相手は文字通り『電波の届かない場所』に行ってしまったのだ。
傷心旅行は終わらない。彼女にちゃんとさよならを告げるまでは。

「あなたとの旅、とっても楽しかった!」

別れ際に彼女が見せた掛け値なしの笑顔だけが、頭に貼り付いて早苗を苦しめていた――。


* * *


「――間もなく、京都です。東海道線、山陰線、湖西線、奈良線と近鉄線はお乗り換えです」

寝落ちしかけていた頭に、ぼんやりと車内アナウンスが聞こえてくる。
新大阪駅から京都駅まではどの新幹線に乗っても15分程度。人によっては車窓から見える景色を楽しんでいるだけであっという間に着いてしまう。
京都――歴史ある京の都。むかしむかし、平安時代――約400年に渡って日本の中心だったそこに残されていたのは、ただの歴史の記録で片付けられるものではないのだろう。
また機会があれば訪れてみたいと、早苗はここに来るたびに思っていた。

駅で首を長くして待っていた観光客が、我先にとトランクケースを押しながら車両に乗り込んでくる。
新幹線と言えば各駅の停車時間が長いイメージだが、京都駅に限ってはあっさりしたもので、到着してすぐに発車ベルが鳴りはじめる。
そこに流れる長い歴史も感慨も、思いを馳せる前に過ぎ去ってしまう。

「――おっと。隣、よろしいですか?」

不意に声をかけられ驚いてしまった。
いくら新幹線の指定席と言えど、隣の席まで購入することは出来ない。新幹線の座席は1人1席までという決まりがしっかりあるからだ。
さて、今回の相席はどんな人だろう。多くは疲れ切った表情をする青年だったり、スマホから片時も目を離さない女性だったりするものだ。


振り返ると、そこには――綺麗なブロンドの髪をしていた少女の姿があった。


彼女が身に纏っているのは幻想的な白いワンピースと赤い靴。
所持品と思わしきトランクケースの上には、青一色の表紙とリボンで装丁されたハードカバーの単行本も見えていた。

その眩しすぎる彼女の姿は早苗の胸の奥を激しくざわつかせていた。


『――おかけになった電話は電源が入っていないか、電波の届かない場所に――』


――その曇りを知らない童顔が、早苗の心残りによく似ていたから。


* * *


「……あ。私の荷物、邪魔だったかな」

慌てて荷物を我が身の方に引き寄せると、立ちっぱなしの彼女に座るよう促す。
少女は相好を崩して短く「どうも」と応えると、ゆっくり腰を落としていく。
しかし、思い出の中で美化されすぎた彼女と目の前に居る美少女は、似て非なるタイプの人間だということは、よく見ているうちに分かってきた。
所詮他人の空似なのだ。これ以上関わる理由なんて――。

「偶然ですね」

不意に話しかけられて驚いてしまった。
長年――というほど生きてない――旅を続けているとこんな風に話しかけられることがあるが、まさか言うに事欠いて「偶然」だなんて。
まるで、早苗の心の内を読んだように。


「こんなにも、『死』を望んでいる人の隣なんて――運命感じませんか?」


「――え?」

他愛もない世間話で済ませるには、あまりに不穏すぎる切り出し方だった。
それが少女の口から発せられた言葉だということ自体、受け入れるのに時間がかかった。
その童顔が艶かしく微笑みかけてくる。――吸い込まれそうな黒い瞳をしていた。

「あなた、最近身近な人を失いましたか?」
「……なんで、そんなことを」

――そんなことを、そんな気持ちを。初対面の君が分かるんだ。
そんな悲痛な叫びは心の中で不発に終わる。
お互い名前も知らないまま、一番デリケートな部分で会話を続けようとした。
すると――。

「おっと、申し遅れました。私は魂絢サチと言います。気軽にさっちゃん、って呼んでくださいね」
「急にフランクじゃん……」

あっという間に距離を詰められ、さっきの不穏な空気もどこへやら、十年来の友達と接するような態度に早変わりする。
ちょっと不思議な感じはするが、悪い人ではなさそうだ。たぶん。

早苗も軽く名乗る程度の自己紹介をすると、二人はあっという間に打ち解けていった。
他のことを忘れて、何年も前からそうだったように、友達として――。


* * *


こだま734号は米原駅を出立すると、岐阜羽島に向けて加速していく。
ここを抜けると名古屋、三河安城、豊橋――と、中部地方の各駅を停車して回っていく。
のぞみやひかりに乗っているときには通過してしまう小さな駅にも停車して景色を楽しむ時間を与えてくれるのはこだまならではの利点と言える。

「なるほど。道頓堀には商売のために何度か訪れたことがありましたが、そのように美味しいお店があることは知りませんでした」
「うん、おすすめだよ。そこのタコ焼きは絶品なんだ。タコが大きすぎて噛み切れないぐらいで、生地もトロトロで幸せだったなぁ……」

サチと早苗は旅の話で盛り上がっていた。
商売人として旅を続けるサチと、純粋に旅行が好きな早苗には意気投合するところがあり、話題は尽きることを知らなかった。

気が付けば車窓の外から見える景色に目を向けることもなく、こだま734号は浜松駅を発車しようとしている。

日本最大の観光名所、富士山が大きく見える絶景スポット――静岡・新富士駅間を目前としていた。


* * *


「ところで、サチはどこまで行くの?」
「おや、まだ話してませんでしたか」

てっきり東京まで付いてくるという先入観で話し込んでしまったが、途中駅で降りるなら乗り過ごさせてしまうのは申し訳ない。
そんな思いで切り出した話題だが、サチの目つきが友人同士のものから商売人の目へと切り替わる。

「もうすぐですよ。――さっちゃんの次なる目的地は、青木ヶ原です」
「青木ヶ原? ……聞いたことないなぁ」

早苗は一端の鉄オタとして、日本国内の鉄道各線や駅名にはうるさいほうだと自負しているが、それ以外はからっきしダメだった。
旅先の地理や鉄道と関わりのある地名ぐらいは覚えているつもりだが、ピンと来ないということはその程度の地名ということだ。

――何故だろう。映画か何かで名前を聞いたことはあったような。
少し引っかかりを覚えたものの、それ以上の追求は不要だと悟った。
早苗はこう見えても引き際を弁えているタイプだったからだ。

「それで、サチは青木ヶ原で何を売るつもりなの?」
「何って、物を売りに行くんですよ。需要あるところに商売人あり、ですからね。必要としてくれるなら、たとえ断崖絶壁の秘境や自殺者多数の岬にだって向かいますよ」

爛々とした黒い瞳から淀みなく商売トークが繰り出されていく。
早苗はドス黒い冗談が鼻についたが、彼女なりの商魂の見せ方なのだろうと解釈するに留めた。
悪気があって言っているわけではないだろう。たぶん。

「自殺願望者は何も望まないよね……?」
「六文銭をお求めの方が多いですねぇ。特別価格でご提供しております」
「買えちゃうんだ、六文銭……」

物理的に六文銭を買ったところで心置きなく自殺できるわけでも無いだろう、とか。
そもそも自殺願望者を前に商売なんて凄いなぁ、とか。
他人事のような感想が浮かんでは消えていく。

あるいは、全部場を和ませるための冗談かもしれない。
サチの商売トークは地頭の良さも垣間見えて本当に面白いものだった。

「じゃあ、普段はどんな『物』を売ってるの?」
「ほうほう、よくぞ聞いてくれました。さっちゃんの今日のイチオシはこの古文書ですね! 仕入れたてホヤホヤの逸品ですよ!」

そう言って彼女が手に取ったのは、トランクケースの上に放置していた青い背表紙の単行本だった。

「それ、商品だったんだ。サチが読む本だとばかり」
「まぁ実際の効力を試すためにさっちゃんも肌身離さず持ち歩いているので、あながちそれも外れてはいませんよ」
「効力……?」

サチは説明するよりも見せたほうが早いと判断したか、その表紙を早苗にも見えるように差し出した。

使い古されてボロボロになっている青い表紙には、金色の文字でそのタイトルが刻まれている。
凝った表紙にするつもりは無いのか、表紙の内、下から3分の2が余白として使われており、書店で見かけても手に取ることは無いだろう。
極めつけにその本のタイトルは――。

「運命の黙示録……?」
「懐疑する気持ちは分かります。さっちゃんも正直この本がただのイタズラで作られたものだったら、仕入れようなんて思いもしませんでしたよ」
「じゃあ、これは――」
「『その人の運命の地を占う魔導書』。俗に言うマジックアイテムというやつです」
「――――」

生唾を飲み、早苗は思わずその本の中身に手を伸ばそうとした――。

だが、その本は何らかの封印が施されているのか、見えない紐で縛られたようにその内容を見せようとしない。

「その本はですね、こちら側の意思では開かないみたいです。だから根気よく持ち歩いて、その本が『運命』を示すのを待つしか無いんですよ」
「運命――?」
「さっちゃんがこの本に示された運命は未だ一つだけ。――青木ヶ原。ここに千載一遇の商売チャンスと尊い友情が得られる、ってね」

運命の黙示録がサチの手元に戻ると、先程の物言わぬ本が嘘のように開き、他のページを押し退けるようにして『運命』が示される。
――筆で書いたような文字は確かに「青木ヶ原」と読める。見開きいっぱいに浮世絵のような挿絵で富士山と青々とした木々が描かれていた――。

「――なるほど。これは紛れもなく本物らしい……」
「そうでしょう、そうでしょう。道に迷える若人はもとより、旅行が好きな貴方のような人にこそ相応しい。間違いなくおすすめの一冊です」

目の前で見せられる光景に、早苗はただただ圧倒されていた。
そして、今更ながら、彼女は一体何者なのだと、思考の隅に追いやっていたはずの好奇心が戻ってくる。

「サチ……君は一体……」
「さっちゃんは凄腕の商人ですよ。――本当に、それだけです」

その言葉は自分に言い聞かせるようにも聞こえる、とても小さな自己主張だった。

不意に、青い表紙の古文書――運命の黙示録が早苗に語りかけてきたように錯覚する。
『私を必要として』と――。

ボロボロの装丁は過去、様々な持ち主を渡り歩いてきたことを意味する。
それは家を出たきり戻らなくなった家族を引き合わせたり、大事な友を傷つけた極悪人を地の果てまで探しだしたりするために使われた。
時に人を助け、時に人を傷つけ――。
所有者の意を汲んで導き出された『運命』は物語の始まりにも、物語の終わりにも相応しい。

なるほど。これは早苗が持つべき一冊なのかもしれない。


たとえば、電波の届かない場所に行った友との再会か――。
あるいは、友を傷つけた見ず知らずの『大罪者』への復習か――。


「でも、私そんなに持ち合わせが無いんだ。とても買えそうに無いよ」
「そんな、お金をいただくなんてとんでもない。あなたの旅話はとても勉強になりましたし、冗談抜きにして楽しい一時だった。これも『運命』の導きであれば、この本は売り物としてではなく、あなたが持っていてくれませんか」

気が付くと運命の黙示録はサチの手元にはなく、早苗の手の内にあった。
いつからそうしていたのか、無意識か、まるで大事なものを抱えるように、早苗はその本を強く握りしめていた。
――頭に浮かぶのは大切な人たちの姿。

特に目の前の少女によく似た、あの人の顔を思い浮かべる――。


しかし、この場所で魔導書が『運命』を示すことは無かった。


* * *


「――間もなく静岡です。お出口は左側です。東海道線はお乗り換えです。静岡を出ますと、次は新富士――」

こだま734号は気付くと静岡駅に到着しようとしていた。
既に車窓から富士山が見えるスポットはいくつかあったが、最も綺麗に富士山が見えるスポットはここから。静岡を出るとトンネル地帯に差し掛かり、最後の蒲原トンネルを抜けてすぐの風景が最も富士山を間近に感じることが出来る。ほとんど新富士駅の間近だ。

「早苗さん、先程から窓のほうをしきりに気にされていますが、何かあるのですか?」
「うん。もうすぐ富士山の絶景スポットだからね。この景色は東海道新幹線の中でも特に印象強いものなんだよ」
「ほうほう。富士山ですか。写真や映像作品でカメラのレンズ越しに見ることはあれど、肉眼で改めて見ることになろうとは――」
「東海道新幹線で富士山が見たいときはE席を買うといいよ。上りでも下りでもE席の窓側から富士山が見えるようになってるからね」
「博学ですなぁ。勉強になります」

そんな他愛もない富士山トークを繰り広げていると、こだま734号は静岡を発車してトンネルに突入する。
最初に通過するのは約500メートルの短い袖師トンネル、続く興津トンネルは約2000メートル、その次の由比トンネルは約4000メートルと長いが抜けた先に大きな由比川を一望できる。その先にあるのが約5000メートルの蒲原トンネルで、通過までに1分強もかかる長い長いトンネルだが、ここを抜けるといよいよ富士山が目の前に出現する。
――何度来ても、何度見ても、早苗はその大きさにただただ圧倒されることになるだろう。

「古来より、綺麗な場所の下には死体が埋まっているものと謳われていますね。たとえば桜だったり、雪景色だったり――。富士山の下には、一体いくつの死体が埋まっているのでしょう」

隣ではサチが、自分なりの価値観で富士山の大きさに想像を馳せていた。


* * *


トンネルを抜けて富士山が見えるや否や、2人は子供のように「うおー」「すげー」と言葉にならない感嘆をもらすと、新幹線は間もなくして新富士駅に到着した。
こだま734号はここで5分程度停車することになる。

「――なるほど、あれば富士山。凄まじい光景でした」
「素晴らしい景色だったなぁ。ただの大きな山なのに、どうしてあんなに魅力的なんだろうね」
「人間の魂を惹き付ける何かがあるんでしょうな」
「……それは、霊的なあれで?」
「色んな意味で」

富士山を見たあとの心地よい余韻に浸り、長かった旅は終盤に差し掛かる。
――そういえば、サチの目的地は青木ヶ原だったはずだ。

「サチ、青木ヶ原ってどこから降りるのは一番近いの?」
「おや。さっちゃんは終点まで降りませんよ」
「なんだ、東京まで乗っていくんだ」

運命の黙示録に描かれていた青木ヶ原は富士山や木々ばかりだったのでこの近くだと思っていたが、案外都会なのだろうか――?
早苗は記憶の糸をたどりつつ、青木ヶ原がどんな場所なのか、余計に分からなくなっていた――その時、サチがぽつりと呟いた。


「次の駅が青木ヶ原。――終点ですよ」


* * *


何を言っているか分からない――。
早苗が自分の耳を疑っていると、新幹線が動きはじめた。
新富士駅を発車する。――予定時間よりも大幅に早い!

「ま、待ってよ! 青木ヶ原なんて聞いたことも無い! 新富士駅の次は――三島駅のはずだよね!?」

路線図も時刻表も頭の中に叩き込んでいる。
ましてや新幹線の駅名なんて間違えるはずもない。
しかし無情にも、こだま734号は三島ではない別の方向に向かって――見知らぬ土地へと発車進行していた。

「サチ……あなた、もしかして魔人なの……?」
「その質問にはイエスと答えましょう。しかし、これはさっちゃんの能力ではありません。――貴方が巻き込まれたのはただの偶然で、第三者の魔人の関与ではないでしょうか」

話の節々からただならぬ気配を感じていたが、やはり早苗の周りに居るのは魔人ばかりだった。
旅先でただの一般人と会話を交わすことは多かれど、魔人はどこにでも潜んでいる――知らない、気付かないだけのことも多い。

――そして、目の前の少女も。

「私は……一体いつから……?」

嫌な予感がしてあたりを見渡すと、あれだけ大勢居たはずの旅行客は誰も残っていない。――少女2人を残し、こだま734号は貸し切り状態となっていた。

壊れたラジオのように歪んだ音で聞いたことも無い車内メロディが流れると、立て続けに不気味な女声のアナウンスが聞こえはじめる。

「――いつも新幹線、新幹線をご利用ご利用いただきありが……ございます」
「この列車は、特急ひろしげ……号。青木ヶ原行きです」
「間もなく、終点、青木ヶ原、お出口は、……側です」
「――どうかお忘れ物なさいませんよう、気をつけてお降りください」

こだま734号――否、特急ひろしげは予め決まっていたように青木ヶ原への到着を知らせる。
辺りを木々に囲まれたその駅は、新しくできた新幹線の駅と言われても信じてしまいそうなほど自然で、こんな状況でなければ素直に感動してしまいそうでもあった。


――その駅のホームに待つ、大勢の黒い人の形をした影を見つけるまでは。


「――な、ななな何あれ!?」
「何って、折り返しの列車に乗り込む乗客の方々ですよ」

やけに冷静なサチの声だけが頼りだった。
ただの駅であればどんなに良かっただろう――ここは、明らかに普通ではない!

「ほら、早苗さん。終点です。巻き込まれてしまったものは仕方ないので、一旦車外に降りましょう」
「こ、殺されないかな!? 降りても大丈夫なの!?」

本能が危険を知らせて警鐘を鳴らす。
あれは善良な一般市民と相容れて良いタイプの人種ではない。確実に人を取って食べるタイプの悪霊のような見た目をしている――!

「あー、私たちが降りる前に乗り込んできちゃいましたね、彼ら」
「――――!!」

早苗が躊躇っている間に特急ひろしげは昇降の扉を無情に開け放つと、車内清掃の時間まで待っていられないとばかりに乗り込んできていた。
――2人が乗っている車両の扉が開くや否や、言葉にならない唸り声や慟哭の大合唱が辺りを埋め尽くした。

「――――!」
『――――!』
【――――!】

実は温厚な幽霊さんでした――なんてオチを心のどこかで期待していた早苗だったが、その想像も虚しく、彼らは2人に群がろうと襲いかかってきていた。
――まるでパニックホラーよろしく、黒い人影が車内を占領しようとしている。

「なるほど、これは絶好の商売チャンスというわけですね」
「な、何を言っているの!? 絶体絶命だよね!?」
「――いいえ、商売は人が集まってからが本番です!」

そう言ってサチは立ち上がり、アタッシュケースを開けると麻のロープを取り出した。――これも商品の一つなのか。

「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ここに取り出したるは『どこでもロープ』。ただのロープじゃありません。縛りたいものにロープを巻きつける時代はもう古い、これからは縛りたいものにロープが巻き付いてくれるのです! 嫌な上司もこれを使えば証拠も残らず完全犯罪も可能! もちろん人生に絶望したら自分に使うのもアリ! ――さぁ、このスグレモノのロープ、今ならお代は命で結構! 早いもの勝ちだよ!!」

目の前でたたき売りを始めるサチ。
とても話が通じるような人達とは思えないが――なんと、黒い人影の1人がロープを手に取ると、自分の首に巻きつけ、そのまま絶命――消滅した。
その自死に続けとばかりに影は群がり、呆気なく命を落としていく――。

――彼らが何を考えているのか分からない。

だが、自殺願望のある影ばかりでは無いようで、1人の影が後ろからサチの命を狙っていた――!

「サチ、危ない! 後ろ!」
「おっと、――販売員に触れないでくださいね! 危険ですよ!」

サチは背後を振り返ると、瞬間、赤い靴が空高く飛んだ――。
いや、ほぼ直角のハイキックが黒い人影を容赦なく捉えていた――!

「つ、強い……!」
「ですが、キリがありませんね。どうやら奴らは本気でさっちゃん達を狙っているようです」

影は数を減らすことを知らず、いくら倒しても終わりが見えそうになかった。
耳を塞ぎたくなるような怨嗟の声――。
このまま、早苗の人生は車内で終わりを迎えてしまうのだろうか。

――鉄道オタクとして、それも悪くない、かな。

「――早苗! 貴方の能力でこの状況を打開できませんか!?」
「え、私の能力……?」

どうやら早苗がただの一般人ではないことをサチは見抜いていたらしい。
一体いつから……。
いや、それよりも、早苗の能力はお世辞にも戦闘向きとは言いづらい。
『乗車駅まで移動できる能力』なんていう、まるで欲のない人間が考えた能力なのだから。――オマケに距離制限まであるので、新大阪駅まで戻ることは不可能だろう。

――いや、あるいは。

「サチ! 青木ヶ原から出る列車の切符を持ってない!?」
「――ああ、持ってますよ。特急ひろしげは往復切符ですからね」

言って、サチが京都駅と青木ヶ原駅の往復切符を取り出した。

――ほぼ賭けのようなものだ。
既に到着している列車内から『青木ヶ原駅』への短距離移動なんて。

「サチ、私に捕まって!」

急いで荷物を纏めると、サチの手を取り――青木ヶ原へと旅立った。


* * *


――空は雲ひとつなく、澄んだ夕焼けが森を照らしていた。
振り返ると駅どころか線路すら見つからない。
まるで狐か何かに化かされていたようだった。

それでも、サチと早苗は無事だった。
辺りに黒い人影の姿はなく――それは脱出の成功を意味していた。

「――はぁ、はぁ。一時はどうなることかと思ったよ」
「早苗さん、貴方に助けられてしまいましたね。ありがとうございます」

素直に礼を言われ、ぐちゃぐちゃだった感情に一筋の光な気持ちを覚えた。

辺りは薄暗く、木々が生い茂っている。
そして目の前には――大きな富士山が2人を見下ろしていた。
なるほど、これが青木ヶ原――富士の樹海だったのか。

「それではさっちゃんはここで商売を始めようと思いますが、早苗さんは真っ直ぐ帰れそうですか?」
「うん。近くに普通の駅もありそうだし、大丈夫そうだね」

言いながらスマホで検索すると、ここから一番近い駅はフジエキスプレスの河口湖駅。14kmほどあるが舗装された道沿いに進めばすぐなので、それほど危険な道のりとも思えなかった。

「そうですか。――では、名残惜しいものですが、ここでお別れです」
「うん。――あ、運命の黙示録」
「差し上げますよ。大事にしてくださいね」

サチは自分の荷物をまとめると、方位磁石を取り出し進路を決める。
――見間違いでなければぐるぐると針が忙しなく動いているだけのように見えるのだが、本当に大丈夫だろうか。

しばらく進むと、サチは振り返り、――笑顔で叫んだ。


「――あなたとの旅、とても楽しいものでしたよ!」


その姿はどうしようもなく、彼女に似ていた。
早苗は短く「こちらこそ」と返し、今度こそサチが振り返ることは無かった。

――一期一会。旅はいつしか終わりを迎える。


* * *


サチとの別れを済ませると、それまで固く閉ざされていたはずの運命の黙示録が開き、早苗の『運命』を示した。

「――これは」

それはサチに見せてもらった時と同じ、『青木ヶ原』のページだった。

「……なんだ、ここに私が来たのは、やっぱり『運命』だったんだ」

あるいは、早苗をこだま734号ではなく特急ひろしげに招待したのもこの本だったかもしれない。――なんて考えるのは、出来すぎだろうか。

その時、スマホが着信を知らせて大きな音で鳴った。
思わずスマホを落としそうになるが、そのディスプレイを見て早苗は二度驚くことになった――。


『葛西 希美』


それは、何度電話しても電波が通じなかったはずの彼女。
――死んだと思っていたはずの彼女からの、折り返しの電話だったのだから。

「も、もしもし!?」
『――あ、もしもし、早苗? ごめんね。何度も電話くれたのに気付かなくて』
「ううん、こっちこそ何度も電話しちゃってごめん。……私、てっきり」
『今どこ? また旅行しようよ』
「今……今ね、青木ヶ原って場所に居るの』
『わぁ、奇遇だね。私も近くに居るの。――そっち、向かっていい?』
「も、もちろん! 希美、あなたに話したいことがいっぱいあるし、これからの旅のことだって――」
『あはは、早苗ってば早口すぎー。焦らなくてもいいんだよ。時間はこれからたっぷりあるんだから――』

気が付くと早苗はボロボロと涙をこぼしていた。
それは死んだはずの友人との再会であり、取り返しの付かないと思っていた別れのやり直しだったから。


やっと、早苗に取り憑いていた重い後悔や心残りが清算される。
それは確かに『運命』としか言いようが無い。この魔導書の真価を発揮していた。


――彼女に会ったら、言えなかったことをちゃんと言おう。
――さよならではなく、おかえり、と。


* * *


「東路へ筆をのこして旅のそら 西のみ国の名ところを見ん」

早苗と別れたあと、サチは独り樹海をさまよっていた。
――ここは現世と霊界の結びつきが強く、自殺願望の生者だけではなく成仏できなかった亡者の魂も多い。
そのどちらもサチにとっては商売相手に他ならないのだが。

「かの歌川広重は死んでなお、極楽浄土を旅したいと謳った――。彼がそう決意したように、あの少女も楽しい旅を続けることでしょう」

ぐるぐると方角の定まらない方位磁石に視線を落としながら、魂絢サチは呟いた。
それは憐憫や同情ではなく、友人のこれからを案じてのことだった。


――どうか、彼女の『旅』がこれからも幸多からんことを。
最終更新:2021年02月22日 17:13