題未定(未完)
――今日なら勝てる。思わずプロコンのボタンを押す指にも力がこもった。
周回は3週目に入ったところ。コインは10枚キープ。アイテムはバナナと緑甲羅。――順位は依然として1位を維持している!
2位以下との差は歴然たるもので、ミニマップではキラーや無敵スターをまとった有象無象が追い上げを見せているが、青甲羅が飛んでくる様子もない。
内なる自分が「なんか静かですね」「タカキも頑張ってるし」と死亡フラグを立ててくることを除けば、このまま1位でフィニッシュも夢ではない。タカキは休め。
背後を追いかけてくる赤甲羅をバナナで相殺すると、続けざまに緑甲羅を後ろに投げてダブルアイテムボックスを取得――完璧なタイミング調整。
――ダメだ、まだ笑うな。内なるキラも笑いを堪えている。デスノートなんて必要ないんだ。
最後の直線。軽快なBGMやゲーム内SEまでもが全て私に味方しているようにさえ聞こえはじめた。
ゴール前に仕掛けられたブービートラップのバナナは見え見えだ。コントローラーを右に傾け華麗に避ける。そこを抜ければ――行ける!
「いっけえええええええええええ!! ――ったあああああああああ!!!」
ゴールテープを切って、キャラクターが操作できなくなる。右下を見た。――そこに輝くのは、黄金の「1st」の文字だ。
見間違いなんかじゃない。……勝ったんだ。
――私は、マリカーで完全勝利したッ!!!
順位が確定すると、先程まで死闘を繰り広げていたピーチ姫が大手を振って喜んでいる。サーキット脇のキノピオ達も大はしゃぎだ。
「おめでとう」「おめでとう」と内なるエヴァの登場人物までもが次々と現れ、お祝いに駆けつけてくれた。ありがとう。
「やった……ついに私やったよ。――やったあああ!!」
「…………」
しばし自分の世界に没頭していた私は、左に座る厳つい顔をした男が仏頂面でじっと見ていたことに気付かなかった。
思わず男の順位を確認すると、惜しくも私に敗れて2位。ワルイージも微妙そうな顔をしている。
冷や汗がダラダラと流れ始める。殴られるんじゃないか、殺されるんじゃないか――。
場に緊張が走る。男は目を細め――そして、
「やりましたね、お嬢! 見事な1位でしたよ!」
なんて先程の強面が嘘のように、無邪気ささえ漂わせる笑顔を見せるその男、髪の毛一本見当たらない見事なスキンヘッド頭。
冗談も顔だけにしろと言いたくもなるが、外を歩けば悪鬼羅刹と恐れられたキング・オブ・ヤンキー。大柄で釘バットがよく似合うので、ついたあだ名は「クラッバ」。
――つまり、漫画に出てくるよりアレやソレよりも恐ろしい、生々しいまでの不良男だった。
「い、いやぁ! 今日はたまたま調子が良かったのかなぁ! あ、あはは……」
「いいえ、お嬢の1位は実力の証です。今日は子分を呼んで祝宴を挙げましょう!」
「そこまでしなくてもいいよ!? き、気持ちだけで十分だからね!」
私はただ静かに暮らしたいだけなのに……。
気付けば隣で、妙にゲームの強いヤンキーが笑っている。名前すらまだ覚えていない。
引きこもりが続けば友達の1人や2人欲しくなるときもあるが、誰が望んでスキンヘッドとゲームをしなければならないのか。自分の悪運を呪うばかり。
全ては、そう、姉が変な思いつきさえしなければ――。
こんな不穏な毎日はやってこなかったのに……。
+++
「――ねぇいろり、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」
それは忘れもしない、スプラ2がまだフェスマッチを定期的に開催していた頃の記憶。
この日はチャンリオとのコラボフェスの最終日で、1回戦を勝ち抜いたK.Tちゃんとジャイメロが決勝で争う形だ。私達は悩んだ末にジャイメロ陣営に就いていた。
それぞれ「いろは」「ほむほむ」という名前でゲームのポイントを黙々と稼いでいた私たちは、気付けば10連勝を目前に控える調子の良さだ。
勝因のほぼ全ては姉が見せるチートなまでに敵なしの立ち回りだったが、私も負けじとデュアルスイーパーカスタムで戦場を荒らし、勝利に貢献している……と思いたい。
やはりマニューバはロマンだ。長射程ブキの餌にされたり色々なボムに泣かされることも多いが、時代劇に出てくる侍のように殺陣を演じて最後まで立っていたときの脳汁は凄まじい。
「……ん。どったの、お姉ちゃん」
マニューバ職人は朝から晩まで忙しい。戦場ではたった1秒が命取りになるため、画面から一時も目を離す暇なく、姉の真面目とも不真面目とも取れる話題に耳を傾けた。
――姉は贔屓目なしに見ても秀才だ。勉学の面では言うまでもなく、何をやらせても右に出るものは居なくなる。妹ながらにして悔しいほどに超人だった。
去年の学園内選挙では数多のライバルと全く競ることもなく、満場一致の投票で生徒会長に就任することが決まった。めでたい話だ。
そんな完璧人間の妹といえば、勉強よりもゲームに夢中になって不登校。イジメを受けて――なんて正当な理由も全くない、怠惰が服を着て歩いているだけの有様だ。
それでも中途半端に勉強が出来たのは、姉が甲斐甲斐しく私に学ぶことの楽しさを教えてくれたおかげだった。
だから私は姉のことが大好きだ。そんな姉が生徒会長に立候補したという話を聞いて、清き1票のために登校した私の話をしよう。
――久しぶりに会ったクラスメイトの白い視線が痛かった。先生には腫れ物を扱うように接された。もう二度と行きたくないと思った。以上。
寝て遊ぶだけの生活に勝るものはない。
誰もそれに気付かないだけで、私は人生の勝ち組だ。
「――私、世界を変えたいの」
「……ん。…………ん?」
突然意味不明なことを口走る姉に気を取られ、正面からチャージャーに狙われていたことに気付かなかった。
咄嗟のスライドアクションも間に合わず轟沈。K.Tちゃんカラーの白い花が戦場に咲いてしまった。
「ううん、そうじゃない。もっと素直な言葉で言わないと伝わらないわね。
――私、世界征服がしたいの」
姉がそう言い終わるのと試合終了のホイッスルはほぼ同時だった。
ステージ上の7割を赤色に染めた私達の圧勝。姉のキル数は13で、対する私の戦績は……目を背けたくなるほど、少ない。
姉の発言を笑い飛ばすのは簡単だったが、どうしてかその時の私は肯定も否定もろくにせず、頭に浮かんだことを呟かずにはいられなかった。
「――お姉ちゃんは、強いね」
正午まで惰眠をむさぼり、夕方に帰ってくる姉を出迎え、明日のお日様が昇ってくるまでゲームと自宅警備に明け暮れるだけのイージーモードな毎日。
一方、姉は何をしていた。
何を学び、何を考え、何を食べればこんな超人で居られるのか。
――嫉妬さえ覚える姉の強さにただ、ボヤくことしか出来ない。
それは誰のための人生なのだろう。どこにゴールがあるんだろう。
――もし、それが姉自身のためならば、それはとても悲しいことだった。
私はいつも姉の足を引っ張るばかりで、なのに姉はいつも私のことを気にかけてくれる。
だから大好きで、愛おしくて、自慢できる姉だった。
――たまに何を考えているか分からないことがしょっちゅうあるけど。今もそうだけど。
きっと、これから先、世界を敵に回すことになっても――。
「――何があっても、ずっと、お姉ちゃんの味方でいるよ。私」
+++
姉は高校に入ってから変わってしまった。
まず、髪を金髪に染めはじめた。次に制服を大胆に改造すると、自分に付き従うクラスメイト女子にまでそれを強制しはじめた。
堂々とタバコを吸うようになって社会から向けられる目も大きく変わった。売られた喧嘩はどこでも買うようになり、ついたあだ名が「おしゃれ番長」。
学園一の不良として名を上げるにも時間はそうかからず、姉が進学していたところは名ばかりとはいえ名門校の一角を担っていたため、退学をチラつかされたこともあるという。
それでも悪びれることなく学園に在籍しつづけたのは、姉が学園一の不良にして、学園一の秀才でもあったからだ。
――つまり、ここまで落ちぶれてもなお、「期待される立場」を維持し続けたのだから、姉は本当に底が知れない。
「世界――なんてのは現実が見えてない発言にも程があったもんだ。黒歴史なんだから忘れてくれ。
あたしが欲しいのはさ、自分の場所と、誰にも負けない頭脳と、いろり――あんただけだよ」
性格まで別人のように変わってしまった姉――しかし、見間違えるはずがない。
どこまでも自分に厳しく、他人にも厳しく。それでいて根の部分は優しく。本当は人を甘やかしすぎる、どうしようもない姉。
――根谷ほむら。
たった1人にして、世界で一番の――私の「お姉ちゃん」だった。
+++
なんて美談で話を閉めたいのは山々だが、これだけでは冒頭のシチュエーションに納得がいかない読者も居ると思う。主に私とか。
もう後はキャラ設定を読んで色々察してほしいのだが、怠惰を具現化して擬人化したような有様の私には魔人能力が目覚めていた。
それはだいぶ前の話で、引きこもりながらに毎日美味しいものが食べたいと思った私は、気が付けば世界中のコンビニを我が手中に収めてしまった。
――それはもう、世界征服じゃん。
本当はただ「繋げた」だけなので、お金が無いと何も食べられない。少ない小遣いでコンビニスイーツを食べ比べしていた。
それが姉にバレるのは時間の問題だった。姉の広い情報網で、物理的に行けるはずもない遠い場所にいる私の姿の目撃証言が入るまで、そう時間は掛からない。
いつしか私は――姉に利用される立場になっていた。
+++
「いろり、南千住駅前にあるローソンまで繋げて」
「……ん。分かった」
それはある平日の深夜2時ぐらいの出来事のことだった。
こんな夜遅くに姉(と私)が起きていること自体、もはや珍しいことではなくなっていたが、私は言われるがままに自分の部屋とコンビニを繋げ――
「――でやぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」
直後、姉の咆哮を聞いた。鉄砲玉の如く突っ込んでいく背中が見える。
背後から奇襲された男の返り値と断末魔が聞こえる前に、慌ててワープホールを閉じた。
――姉が、ついに動きはじめたのだ。それが義賊行為なのか、それとも私利私欲に走った「悪」なのか、分からない。
どちらにせよ、私が姉に意見することは出来ないが、どちらにしても心中複雑な気持ちだった。
――どうして。
姉は何を思い、何を理由に戦っているのか。
分からない。解らない。判らない。理解らない。――。
その時自分の心が姉から離れ始めていることに気付いた。
なんて浅ましく、恩知らずなことだろう。
自己嫌悪が止まらない。――あの時、約束したじゃないか。
「……たとえ、世界を敵に回しても」
そんなカッコいい台詞が似合うわけない。
――どこまでも、自分勝手で卑怯で弱いだけの自分が立っていた。
+++
いつしか我が家には大金が舞い込むようになっていた。
これまで荒川区のボロアパートを借りて暮らしていた私達は新築一戸建てを購入。ローンも組まずに一括払いだ。
私にはとても大きな『自分の部屋』が与えられた。――これは、私の能力が自分の部屋でしか発動しないことを姉が考慮した結果だった。
自分の部屋ではあるものの、その半分以上は姉の武器や物資置き場として使われており、実質姉の拠点と言ってもいい。
その頃からソシャゲの沼に嵌っていた私は浅ましくも姉に小遣いをせびり、その結果として月40万の『小遣い』を貰えるようになっていた。
代償はもちろん、能力をいつでも使わせること。――姉の企みに全面協力することだ。
姉の行動範囲は日を追うごとに増していき、あっという間に荒川区の制圧までに至る。
知力、財力、計画性、行動力――姉は持てる限りの力を尽くし、世界を破壊して回った。
――全ては『あの日』から始まった、嘘や冗談なんかじゃない、世界征服までのカウントダウンが始まろうとしていた。
+++
「――お嬢、もう一戦やりやしょう! 今度は負けませんよ!」
そう言って天真爛漫にコントローラーをガチャガチャ言わせるスキンヘッドを横目に、私は回想モードから抜け出した。
美麗なCGやムービーなんてものは無い。本当はあったはずの青春というものに、私は一切興味を示さなかったのだから。
ただ、人の手で作られたシナリオをなぞる。勝算のあるゲームしか出来ない。今もそうだ。
「……いい。ちょっとコンビニ行ってくる」
「お嬢、買い出しなら俺が行ってきますよ! 割り引きクーポン持ってますし、すぐ済ませてきやす!」
少し鬱屈とした気分に陥りかけていた私が出した提案に、すぐさまスキンヘッドが明るく応える。
……いいなぁ、強い人は。悩みなんてきっと持ってない。
その曇りない瞳が鮮明に語っている。何一つ後悔の無い人生を歩いて生きてきた。これからも、ずっと先も変わらず。
ずっと努力してこなかった自分には一生かけても縁のない、強者の顔付きをしていて。……こんな奴にまで敵わない自分が、情けない。
「ちょっと、外の空気が吸いたくなっただけだから、いいよ。すぐ戻ってくるし。……留守番、お願いできる?」
「お任せください、お嬢! 何があっても、命に代えてでもこの家を守りやす!」
「いや現代日本でそんな物騒なこと……あるか」
反射的にツッコミを入れようとしたが、そんなことが絶対に起きないとも言い切れない社会だということを、目の前のスキンヘッドが雄弁に語っていた。皮肉なことに。
とはいえ、この家にいる「不良」はスキンヘッドだけではない。玄関に2人、リビングにも3人。姉にとっての聖域であるこの部屋に篭もっている戦闘力はヤクザの事務所に匹敵するだろう。
――というか、間違いなくここも「そういうところ」なのだろう。
仮にスキンヘッドが血迷って暴れたところでこの家は揺るがない。
安心できる要素は何もないが、私が不在になったところでこの場所の『安全』が保たれるのは間違いないだろう――という納得は、今にはじまったことじゃない。
「じゃあ、行ってくる」
「へい、生きて帰ってきてくだせぇ! お嬢!」
「フラグやめてね」
どこまでも過保護なスキンヘッドを尻目に、空間を歪ませ、この部屋と任意のコンビニを結ぶワープホールを生成する。
――コンビニエンス・マイ・ホーム。
引きこもり時代――今もそうだけど――食べ物欲しさにコンビニへ向かうことすら億劫になりつつあった私が望んで手に入れた能力は、悲しいかな、本来の用途よりも荒事に使われた回数のほうが多い。
現代におけるコンビニの数は日本国内だけで5万店舗以上と言われている。セブンはもちろん、ファミマ、ローソン。サークルKサンクス……はファミマにブランド転換されて事実上消滅しているが、母数が減ったわけではない。
特に東京都内におけるコンビニ競争は凄まじい。犬も歩けばコンビニに当たるという諺が出来てもおかしくないほどだ。
駅前に3軒以上は当たり前。少し離れてもコンビニが点在している風景すら疑問に思ったことは無い。異常なほどに多いそれ、コンビニエンスストア。
――もしも、そこから自在に兵士を呼び出すことが出来るのなら。革命を起こすには十分だろう。
このアドバンテージを姉は十二分にまで使いこなし、荒川区の全国統一を成し遂げたというわけだ。
……なんて神話に語られる伝説も昔のこと。
荒川区の制圧完了を高らかに叫んだ後、姉は牙を抜かれたようにおとなしくしていた。目的は果たされたのだろう。
姉が普通自動車の運転免許を取ったことにも起因しているとも思うのだが、一時期のように能力を酷使されることもなく、むさくるしい男たちの雄叫びを耳元で聞かされることもなく、自室でスキンヘッドの可愛い一面を見ている時間が生活の大半を閉めていた。
……いや、それもそれで地獄なんだけど。
これが、嵐の前の静けさ、もとい、戦争と戦争のハーフタイムなんて後に語られないことを祈るばかりだ。
そんな眠れる獅子と化した姉から、荒川区に新しく出来たというコンビニの話を聞いていた。気分転換に行くにはうってつけだろう。
なんとなく、スマホは置いていく。充電が少ないから持っていっても意味が無いと思ったから。財布だけ持って、いつもの部屋着で、身だしなみもそこそこにワープホールをくぐる。どうせ誰に会うわけでもない。
――ワープホールを抜けると、そこは広い駐車場だった。
+++
荒川区のどこに、こんな広い敷地があったのだろう。
住宅街一つを潰して作られたとしか思えない広大な駐車場の奥に白い横長の建築物が見える。――あれがコンビニ、なのだろうか。
しかしここがコンビニではないことは明白だ。――こんなに広い駐車場があって、まだ日も高いうちのに車の1台も止まっていないのは不自然だ。栄えている様子もなければ、人気もない。
もしも世界で未曾有の流行り病が蔓延し、政府から「外出を禁止します」とまで言われればこんな光景が見れる日が来るかもしれないが、この世界においてそれはありえない。ニュースに疎い私でも分かる。
開店前か、改装中か、はたまた誰かの能力の仕業か。
猛烈にスマホを家に置いていったことを後悔しながら、来た道を引き返そうとする。
――ワープホールは閉じられていた。
「…………まあ、そうだよね」
分かっていたことなので今更驚いたりしない。
「ここはコンビニじゃない」と頭が認識を改めた時点で、私は能力を使えなくなってしまう。当たり前の話だ。
これは姉にも指摘されたことだが、コンビニエンス・マイ・ホームは理論上ではどこでもドアと同じく、ちょっと工夫すれば「どこにでも」移動することが出来る能力だ。
その工夫とは至って簡単――行きたい場所を屁理屈でも何でもいいから、コンビニだと思ってしまえばいい。嘘の情報で「この住所にコンビニがある」でもいい。それを検証する時間すら与えなければ、ワープホールはその場所まで繋げてしまうのだ。実際にこの戦法を姉が使ったことも一度や二度ではない。
ただし、それはあくまで『行き』だけの話。
私の能力は一見ただの移動系能力だが、細かく分析すると「自分の部屋からコンビニへ」「コンビニから自分の部屋へ」という、2つの異なる性質を持っていることが分かる。
裏技が使えるのは『行き』だけで、帰りはちゃんとコンビニを見つけて自分の部屋に戻らなければいけない。
その裁量を決めるのは私自身。「ここはコンビニじゃない」と気付いてしまった時点でワープホールは開かなくなる。
仮にここがド田舎で、コンビニが見つからなければ『詰み』だ。
――ここ、荒川区において『犬も歩けば』、という諺は例外ではないので、その心配は無いと思いたい。さっさと帰ろう。
だが、その前に確かめたいことがある。
こんなに広大な駐車場があって誰もいない理由を――。
否、たった1人だけ――居た。
その建物のドアの前に立ち、腕を組んで私を凝視する存在が。
+++
最初はマネキンが置かれているだけのように見えたが、それはわずかに動いている。紛れもなく、人だ。――その現実から目を背けたいと思った。
もっとちゃんと顔を洗ってくればよかった。もっとちゃんと歯を磨いてくればよかった。もっとちゃんと昨日のニュースとかバラエティとか見ておけばよかった。――。
無数の後悔を頭に浮かべながら、私はその人物に向き合う。
「ジムリーダーなら今は留守だよ」と返すだけのNPCならどれだけ救われるだろう。フラグを立ててから出直すだけだ。
――けれど、現実はそんなに甘くない。
その人物はセーラー服を身に纏い、ツインテールを風になびかせ、私が近づいてくるのを待っている。……きっと、私にとって無関係な人物ではない。
一歩、二歩――相手の出方を伺う。そして――
「店長なら今は留守だよ」
私の心を読んだように快活そうな女の子はそう言って、笑った。
低く、わずかにモーターの駆動音が聞こえる。
しばし緊張が張り詰めた空気が流れ――しかし、彼女に敵意が無いことは伝わってくる。
まるで悪意のない目つき。不安を知らない表情。その瞳を知っていた。
――姉。スキンヘッド。その他の「不良」たち。
私が知っている人の多くが、その目をしていたから――。
「こんな場所で立ち話もなんだよね。中に入ってくつろいでいってよ」
そう言って踵を返すと、女の子は建物のドアを開けて中へと入っていく。
――何もかも分からないことだらけだけど、不思議と怖い感じはしなかった。
それは彼女が持つ外見情報から警戒すべき要素が無いからだろうか。
それとも、初対面の私に対して少なからず優しく接しているように見えたからだろうか。
言われるがまま、彼女の後をついて中に入ろうとすると、彼女が不意にこちらを振り返り、「あ、そうそう」と話題を切り出す。
「きのこの山とアルフォートだったら、どっちが勝つと思う?」
「――――」
そんなの、私に聞かれても困る。
場合によっては戦争を誘発しかねない危険な質問を、それぞれの実物を手に持ちながら笑顔で聞いてくる。まるで友達と接するように。
――私も高校に進学していたらこんな友達が出来たのかもしれない、なんてありもしない青春を思い起こすような、優しい表情。
「わたし、アルフォート派なんだぁ。安くて美味しいよね、アルフォート」
答えに詰まる私を気遣ってか、先に自分の意見を伝えてから、またあどけない笑顔を見せる少女。
――なんだ。私は彼女をひどく誤解していたのかもしれない。
彼女はただ、ここに居て退屈で、誰かと話がしたかっただけなんだ。
「私も好きだよ、アルフォート。チョコの部分が大きくて」
素直にそんな気持ちを伝えると、彼女も「そうだよね!」と嬉しそうに返す。
――こんな出会い方だけど、案外仲良くなれるかもしれない。
そういえばお互い名前すら知らないということに気付き、まずは自分からと声をかける。
「
根谷いろり。――ここにはたまたま来ただけの身だけど、よろしく」
「うん、仲良くしようね! わたし、シアンって言うの!」
快活に自己紹介を返され、女子高生がどうして地上最強の種族と言われるか、その一端を理解らせられた気分になる。この笑顔には勝てそうにない。
そんなシアンの人形のように整った目鼻立ちに見惚れそうになる自分を律して、右手を差し出す。――まずは握手から。
シアンも躊躇いなく嬉しそうにその手を握り返してきた。
――きっと仲良くできる。そんな確信を抱きはじめた、その時。
彼女のツインテールの方房が、ドサリと音を立てて地面に落ちる。
「――――え」
「……あ」
思わぬ出来事に目を疑う。――女子高生の髪って、そんな風に出来ているのか。
その理由が知りたいわけじゃない。なんとか自分を誤魔化し、冷静さを保とうとしたその時、「じー、じー」と何かを引っ掻くような音がハッキリと聞こえはじめた。
その音は、まるでパソコンが重たい処理を行っているときのそれに似ていた。
「――――あー、あー。……その、見た?」
「見た。……というか、見てる。現在進行系で」
落ちた『ツインテールだったもの』を指差すと、シアンは目にも留まらぬ早さで拾い上げ、『元の位置』にぶっ刺していた。
そんなギャグマンガ的な直し方でいけるのか……と思っていたら、またしても同じ位置のツインテールの片房が落下する。――鉄でも入っているのか、というぐらい重たい音を響かせて。
「――もーっ! 頭頂部の左の接続端子が緩いならツインテールなんてするんじゃなかったー! わたしのバカ―! エンジニアのバカー!」
物凄い勢いで物凄いことを口走りながら泣き始めるシアン。
膝から崩れ落ちる彼女を、柄にもなく私が慰める形となってしまった。
彼女の近くまで寄ったとき、やっと違和感の正体に気付く。
やはり彼女が普通であるはずがなかったのだ。
――身体は、機械で出来ている。
――
アマガミ紫杏。ヒューマノイド。
現代を生きるアンドロイドは、人間に憧れていた。
+++
「……ぐす。今度こそ、大丈夫。変じゃないよね?」
溢れる涙を手で拭いながら、シアンは髪周りをあれこれと弄っていた。
結局ツインテールは諦めてサイドテールにしたようだ。確かにこれなら違和感は少ない。
分け目をあれこれと試行錯誤しているうちに、最初からサイドテールだったかと錯覚するぐらい髪型が落ち着いてきた。
「……あの。恥ずかしいからあまり見ないでね」
「ごめん」
見てはいけないと思いつつも、気付くとなし崩し的にガン見していた。
その隠しきれないモーター音が如実に示すように、彼女は間違いなく機械の身体なのだろう。
しかし、シアンの機械らしい一面が見えたと同時に、私よりも人間らしい喜怒哀楽を見せられ、「本当に機械なの?」と疑問を抱かずには居られない。
常識を覆すことを生業とする魔人超人が跋扈する現代社会で、「機械は涙を流せない」なんて古い価値観を持ち出すわけではないけれど。
「……騙すようなことして、ごめんね。わたしー―」
「機械、なんだよね?」
「うん……気持ち悪い、よね」
どうして、そんな彼女を嫌いになったりできるだろうか。
「そんなことない。シアンは、とても可愛い女の子だよ」
未だ、立ち上がれないでいる彼女にそっと手を差し伸べる。
するとシアンは躊躇うことなく手を取り、泣きながら、笑みを浮かべ、姿勢を正した。
――人間よりも、人間らしく振る舞おうとする機械。
――それをどうして、気持ち悪いなんて、言えるだろう。
「いろり、ありがとう。弱いところ、いっぱい見せて、甘えちゃって。
……こんなわたしだけど、これからもよろしくね!」
シアンの生き方は、とても素敵だ。
+++
外面からは想像できないほど、建物の中は『コンビニ』だった。
「これからオープンするコンビニ」という意味で、姉の情報は正しかったのだ。
ただし、内装の雰囲気は大手コンビニチェーンのそれとは一線を画するもので、商品の陳列棚(まだ商品が少ない)や清算レジ(当然誰も居ない)の他、店内の至るところに椅子とテーブルが並べてあり、観葉植物も効果的に配置されている。
さながら、雰囲気重視のカフェとコンビニを融合させたような店内だった。
「シアン。ここって……」
「うん、すごいよね。店長の『ここで暮らせるコンビニを作りたい』っていう熱意から作られた、他にはない斬新さでしょ」
「コンビニ……?」
確かに、ここに限らず大手のコンビニでも「リラックスできる店作り」を目標に掲げる店舗は数多く、その最たるものがイートインコーナーだろう。
一時期は消費税のあれやこれやで悪目立ちしていたイメージの強いイートインコーナーだが、買った商品をその場で飲み食いしながら、スマホの充電まで出来ることもあるため、頻繁に利用する人も多いという。
もっとも、私の場合はコンビニの横に自分の部屋があるようなものなので、あまり使う理由は無かった。どうしても家に帰りたくなかったときに使うぐらいかな。
店内を見渡していると、1つだけ生活感に溢れたテーブルを見つけた。
店内に置いてあったであろう、お菓子や飲み物が食べかけ、飲みかけの状態で放置されていた。
これって、もしかして……。
「――シアン?」
「ち、ちがうもん! 店長が『店にあるものは好きなだけ飲み食いしていい』って言ってたから! 本当に! 盗んでないよ!」
「随分と太っ腹な店長なんだね」
その真相はともかく、シアンがさっきまでイートインしていた場所だということは明らかだった。
開店前のコンビニを貸し切ってゆったりと過ごす。それはとても気持ちのいい時間の使い方だろう。羨ましいとさえ思う。
「ところで、シアンと店長ってどういう関係なの……?」
「うん、気になるよね! あっちでゆっくり話そうよ!」
先程までの傷心が嘘のように元気を取り戻していたシアンは、私の手を引いて生活感溢れるテーブルへと案内していく。
大胆とも取れるその行動は、引きこもりになってから同い年の女の子と遊ぶ機会が失われていた私にとって新鮮なものだった。
――可愛いなぁ、と。率直に抱いた感想はそれだった。
「わたしもいろりに、色々聞きたいことがあるの! お話しよ!」
――興奮気味に握ってくるその手はとても柔らかく、それでいて、奥に熱を感じるものだった。
これから先、何度同じ感想を抱くことになるだろう。
シアンは紛れもなく、人間の女の子だった。
+++
「――それじゃあ、いろりはその『ワープホール』から来て、帰れなくなったんだ」
「そう。お姉ちゃんから教えてもらった場所なんだけど、ちょっと来るのが早くて、まだ開店前だった」
席に腰を落ち着けるなり、私達は飲食もそこそこに互いの身辺の話で花を咲かせていた。
聞くところによると、シアンはバイトの求人募集からこの店に立ち寄ったが、面接の途中で店長が「仕入れにいってくる」と店を飛び出したきり、帰ってこないのだという。
……そこだけ切り抜くととんでもない人物のようだが、頭の回転が早く、とても大物っぽい印象の人物だという。シアンを1人にしたのもこの店の雰囲気を知ってほしい、といった思惑があったのかもしれない。
「……じゃあ、シアンが店の前に立っていたのは」
「流石に遅いと思ったから! 外で待ってたの!」
――なんだ。ようやくこの奇妙な『コンビニ』の全貌が見えてきた。
本当に私が疑り深いせいでシアンに要らぬ容疑をかけてしまったのだ。
というか、スキンヘッドが変なフラグなんて立てるから……。
「そんなとき、いきなり空間が歪んで女の子が出てきたの! びっくりしちゃった」
「あ、見られてたんだ……」
能力の性質上、コンビニから離れすぎた位置にワープホールを生成することは出来ないため、通行人の真ん前にヒーローチャクチしてしまった事故も数え切れない。
とはいえ厄介な人に絡まれた経験は無いので、意外と見られても何とかなるものである。が、知人に見られると少し恥ずかしい。
「じゃあ、いろりは魔人なんだね! わたしと一緒!」
「……へ? シアンも、魔人なの……?」
驚く私の前で、シアンは新品のノートを取り出し、ボールペンで何やら字を書いていく。
――余白いっぱいに、大きく『空気』と書かれていた。
シアンがその文字を指差し、私に尋ねてくる。
「これ、読める?」
「読めない」
即答だった。
これが読めるなら私はどんなに苦労しなかっただろう。何かを選択するたびに、相手の反応からもっと良い選択があったことを後悔するばかりだ。
あぁ、思い出すだけで死にたくなってくる……。
「――死にたくなった?」
「……え?」
「これが、わたしの能力だから」
「……そう、なんだ」
いや、たぶん能力関係ない気がするけど。
さっきの質問は、誰に聞かれても同じように死にたい気持ちが湧いてくる気がする。
それに――。
「なんか、地味じゃない?」
「そうなの! なんか地味だよ、わたしの能力!」
――涅槃惹句。それが彼女に『与えられた』能力だという。
書いた文字を読んだ人が死にたくなる。シンプルだが、殺人能力としては決め手にかける。微弱な精神干渉系の能力だ。
ただし、真価を発揮するのは対大人数の場合だという。
同じ文字を読んだ人数に応じて効果が強くなっていく。……これは、1人辺りの効果が強くなるのか、結果的に多くの人が死にたくなるだけなのか、その辺りが聞いただけではよく分からないが、確かに恐ろしい能力かもしれない。
――しかし。
本来魔人能力というのは本人の望みが反映されて目覚めるものだが、とても目の前の彼女が望んで手に入れた能力とは思えない。
ヒューマノイドの魔人というのもあまり聞いたことが無いし、元々備え付けの能力がそれだったのだろう。
「……なんで、こんな能力が?」
「うーん、それは……わたしを作った人に聞いてほしいな!」
そうだ。子供に親が居るように、ヒューマノイドには当然、製作者が居るのだ。
生まれた命が全てを知っているわけではない。
本人も気付いていない『本当の能力』があるのかもしれない。
――どんな思いを込めて、この能力は与えられたものなのだろう。
「あとね、ツイッターで活動してるの! 毎日何でもいいからつぶやきなさい、ってエンジニアが言うから、続けてる!」
「へー、ツイッターか」
「最近フォロワーが1万人超えたんだよ!」
「素直にすごいなそれ」
私もアカウントは持っているが、ろくに使った試しが無い。
というかSNS全般、友達が居ない私には無縁の世界だった。
姉との連絡手段にLINEを使うぐらいだ。
お茶会は続く。
+++
シアンが語るエピソードはどれもキラキラと輝いて聞こえた。
友達とプールに行った話とか、友達とスタバに行った話とか、友達とキャンプをした話とか、友達と海に行った話とか。
全てに一貫しているのは、誰かと一緒に過ごした記憶。それらをとても楽しそうに話していた。
――私とは対照的に、友達付き合いを大事にしているのだろう。
その理由はハッキリと分かる。――人間に対しての憧れ。
人間よりもゲームを優先していた私とは、どこまでも真逆の存在だった。
だけど、相容れない訳じゃない。むしろシアンを羨ましいとさえ思う。――私が望んでも手に入れられなかったものを、シアンはたくさん持っていたから。
「――シアンは、充実した毎日を過ごしているんだね」
「うん! わたしには大切な人がいっぱいいるから! 毎日が楽しいの!」
「……私も、そんな風に生きていけたら良かったのに」
目の前のキラキラに水を差すわけではないが、私もつい堪えきれず、自分の境遇――ほとんど自業自得――をポツポツと話していく。
中学に入ってから不登校になったこと、何でも出来る姉の負い目になっていること、私の周りに不良が多いこと――などなど。
全て吐き出すことにさえ時間は掛からない。灰色の思い出。
――振り返り、後ろに何も残ってないことに、いつも絶望していた。
「――だから、私は、シアンからすればつまらない人間かもしれないね。憧れるにも値しない、最低の――」
「そんなことないよ!」
言い終わるよりも早く、彼女は真っ向からそれを否定していた。
「いろりは――自分でそれを選んだんでしょ!? その選択が間違っているわけないよ! わたしはその生き方、とても良いと思う! 思い出が少ないことも悪いことじゃないよ! これから作っていこうよ、わたしと2人で!」
前のめりになって、私の人生に対する所感を吐き出していくシアン。
――確かに、思い出が無いことを後悔するには早かったかもしれない。
私にもまだ、チャンスはあるだろうか。
「……ありがとう、シアン」
消え入りそうな声で呟いた私に、シアンは子供のような満面の笑みを浮かべた。
どこまでも彼女の喜怒哀楽は激しく、そして人格者だった。
お茶会は続く。
+++
「なんだか、外が騒がしいみたい――」
他愛もない雑談を続けていた時、そう呟いたのはシアンの方だった。
言われて耳を研ぎ澄ませてみるが、彼女から発される微かなモーター音の他に、異音のようなものは聞こえない。
――あるいは、彼女にしか聞こえない音なのだろうか。
「ちょっと、見てくるね!」
席を立ち上がり、飛び出していく彼女。
なんだか嫌な予感がして、衝動的に私もそれに続いて走り出した。
そして、しばらく走ったところで、シアンは立ち止まっていた。
シアンは真っ直ぐにコンビニの入り口を――その場所にいる、もう1人の人影を見据えている。
そこに立っていたのは、シアンと同じセーラー服を纏った少女だった。
店長、と呼ばれるには少し幼すぎるか。
シアンの友達――にしては、辺りに漂う重たい空気と、シアンから聞いていた友達の話が結びつかない。
追いついた私は、小声でシアンに尋ねる。
「あの子、誰?」
「わたしの、姉妹機だよ」
姉妹機――という言い方はアレだが、シアンの姉か妹のようだった。
なるほど、言われてみれば面影が似ているような――。
「いろり、伏せて!」
直後、シアンの絶叫するような声で私は思わず身を屈めた。
空気を切り裂くような音とともに、店内を投擲された刃物が飛び回り、私の背後にあった壁面に刺さる。
――どうやら、味方ではないらしい。
「――演算を誤りましたか。ただの人間に避けられるような投擲では無かったのですが……いえ、まぐれだとは思いますが、貴方の行動をストレージに保存して警戒します」
低く、落ち着いた声で彼女が初めて口を開いた。
それはシアンとは似つかぬ知性を持ち合わせ、自分が機械だということを隠そうともしない、対称性を見せていた。
「――君は、一体」
「勘違いしないでください。貴方を殺すつもりはありません。
――もっとも、あの一撃で死んでいれば、とても都合が良かったのですが」
まさに、機械的な音声で淡々と話を進めていく彼女。
――でも、私を殺すためではない、ということは。
「待って! いろりは関係ないでしょ! サクラ――あなたの相手は、わたしだけのはずだよ!」
「そうですね。姉様はとても優しい。――憎たらしいほどに」
サクラ、それが彼女の名前だった。
そして状況を一度整理する。サクラとシアンは――どうやら、敵対しているようだった。
「一体何のためにこんなことを……!」
「――では、冥土の土産に教えてあげましょう」
サクラは姿勢を正し、自己紹介をはじめる。
――この空間でただ1人の部外者である、私に向かって。
「JP-17-G型ヒューマノイドインターフェイス第5番機――サクラ。
私は命令違反を繰り返す姉様を罰し、廃棄処分するために派遣された――戦闘特化型ヒューマノイドです」
礼儀正しく――そして、有無を言わせない機械的な対応。
どこまでもシアンとは決定的に異なるが、どちらがヒューマノイドとして正しいのかは明らかだった。
――命令違反の内容も、何となく分かる。
――それでも、腑に落ちなくて。
「人間らしく振る舞うことの、何がいけないの!?」
そう叫んでいたのは――シアンではなく、私のほうだった。
その意見が丸っきり筋違いで無いことは、相手の反応を伺えば明らかだった。
「……確かに、ヒューマノイドが人間らしく振る舞うことに否定的な人間ばかりではありません。それを科学の進歩であると称賛する科学者も居ます。
――ですが! 姉様の行いはプログラムによる行動規定を明らかに逸脱しています! どうして――そんなバグまみれの身体で、姉様を野放しに出来ましょうか! その悪しき行動の責任は、一体誰が取るつもりですか!?」
一変、サクラは声を荒げ、シアンが置かれている状況を説明した。
確かに「人間らしくありたい」と思うシアンの気持ちは誰から見ても称賛されるべき美談だが、一方で彼女が望む自由には『責任』が付きまとう。
もしも何か事件を起こした際に責務を問われるのは――シアン、ではない。
――そこまで考えた自分が、バカみたいだ。
「シアンはそんなことしない! シアンは――人間に憧れて、友達思いで、私みたいな引きこもりにも優しい――優しい、心を持った女の子なんだ! 悪いことなんて一つも考えてない!」
「その『悪いこと』が起きてからでは手遅れですのよ!」
議論にもならない、平行線の意見のぶつかり合いが本人を前にして繰り広げられる。
――議題は、強い自我を持ったヒューマノイドの是非について。
私は、もちろん肯定派だった。意見を曲げるはずもない。
隣で私のことを真っ直ぐに見つめる彼女を、どうして裏切ったり出来るだろうか。
「シアン――大丈夫。シアンは何も間違ってないよ」
「……ありがとう、いろり。でも――サクラの言うことにも一理あるよ。それは……忘れないで」
敵対勢力であるはずの彼女にさえ、同情の余地を与えるシアン。
――この行いこそが、雄弁に彼女自身の正しさを示している。
その時、サクラが「はぁ」と溜め息を吐いた音が聞こえた。
「……姉様。貴方はつくづく、良い友人に恵まれましたね」
「えへへ」
「褒めていませんよ」
軽いやり取りに、ここは一旦退いてくれるのかと淡い期待を抱いたりもした。
――だが、そうではなかった。
サクラはセーラー服のポケットから、投擲用の短剣を取り出し、その刃先をシアンに向けたのだった。
「これ以上の話し合いは無意味です。――覚悟を決めなさい」
「――待って!」
その戦争勃発に待ったをかけたのは――シアンだ。
「ここは……店長の大事なお店だから。この場所を荒らすことまでは命令されてない……でしょ?」
「……はあ。姉様の『配慮』にはつくづく、呆れます」
シアンの言うことにすんなりと従ったサクラは、ドアを開け、店から一歩退いた。
ドアの先に広がっているのは、車1台も止まっていない、巨大な駐車場。
そして、背後を振り返ることなく、言い放った――。
「――来なさい、姉様。ここで……私達の決着をつけましょう」
重い静寂がやってきた。
その手を強く握っていたのは私か、シアンか、あるいは両方か――。
――決断のときが、近づいていた。
「……ありがとう、いろり。わたしを庇ってくれて。すごく嬉しかったよ」
「――待って。本当に行くの?」
「行かないわけにはいかないよ。――大丈夫、大丈夫」
自分を落ち着かせるように「大丈夫」と繰り返すシアンの瞳から、ついに大粒の涙が溢れた。
――サクラにも、この光景を見せたかったと、不意に思った。
きっと、彼女もシアンのことを誤解しているのだ。
「――生きて、戻ってくるからね。
――すぐに、帰ってくるからね」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠そうともせず、シアンは私に真っ直ぐ向き合い、別れを告げた。
――やがて、シアンが遠ざかっていく。
――静寂が、訪れた。
+++
――逃げるのか。
内なる自分が、自分を責める。
――戦わないのか。
自分にそんな力は無い。今だってそうだ。
――怖いのか。
自分の見えるところで誰かが傷つくことは、怖い。
――嫌なのか。
かっこつけて、何も出来ない自分はもう嫌だ。
――見えないのか。
彼女が最後に見せた涙を、忘れるはずがない。
――聞こえないのか。
彼女が最後に言った言葉を、忘れるはずがない。
――逃げるな。
私はもう、逃げたくない。
――戦え。
私の友達を、守りたい。
――探せ。
私に一体、何が出来るか、考えろ。
――覚悟を決めろ。
いつだって、喧嘩上等だ。
いつも姉のそばで見てきたものは、ただの暴力だけじゃない。他者を許す優しさも、他者を許さない強さも、他者を圧倒する賢さも――使えるものは、何でも使え。
私はいつまでも弱いままじゃない。
――友達が苦しんでいるときに、どうして何も出来ない。
――弱い自分に、甘えるな。
壁面に刺さったままの短剣を1本引き抜き、右手に握った。
その汚れ一つない綺麗な手を赤色に染める覚悟は出来た。
引きこもってばかりの自分との――決別。
「――シアン。これから思い出を、たくさん作ろう」
彼女が最後に見せる表情が、満面の笑みになるように。
重いコンビニのドアを今、開け放った――。
最終更新:2021年03月07日 23:45