二回戦第一試合その2


 チカチカと瞬く蛍光灯の光が、瞼の裏で赤くちらつく。
 肌と下着にこすれる縮んだ官給品の毛布を、左手で手繰り寄せていた。

 ……左手。
 油と硝煙で汚れたベッドに寝転んだままで、再び繋がった指先を、意味もなく握りしめていた。右腕とは違う、自然な生身の身体。
 ――その事実はむしろ、灰被深夜の気を滅入らせた。

(……また、切ることになるんだろうな。)

 希望崎学園の主催する、武闘会の初戦。その戦いからの生還を通して知った事実は、彼女にとって何よりも大きい。
 ――五体をどれだけ失ったとしても、跡形もなく死亡したとしても、何ひとつ失うことなく、蘇生できる。事実、灰被が切り落とした左腕も右脚も、何もかもが元の通りだ。
 部屋の片隅にあるソファに目をやると、それは先程まで男が寝転んでいたように窪んでいる。ヘタレ野郎め。

「なあ。」

 台所の暗闇に向かい、何気ない風を装って呼びかける。

「300万あればさ、それなりの生命維持装置(バックアップ)は買えるんだよな。」
「またサイバネ改造か? やめとけよ。外付けの武器の方が余程安上がりで安全だ。」

 部屋の主の声が返る。赤時雨ゴドー。彼女はこの武闘会の間、この情報屋を共犯者としてこき使うつもりでいる。
 その扱いが不本意ならば、この男が拒絶すればいいだけの話だった。

「いや、いいこと思いついてさ。」

 楽しげに続ける。本当は、彼女自身、何ひとつ楽しいとは思っていないことを。

「頚椎に生命維持装置(バックアップ)を仕込んで、首だけで生きられるようにするんだ。」
「おいおいおい、何考えてやがる!?」

 声だけでも、慌てふためく顔が目に浮かんだ。灰被深夜はくつくつと、できるだけ悪辣な嗤いを笑う。
 頭部のみでの生命維持を可能とするサイバネ改造は、そのコストと改造規模に比して、効果は著しく限定的であるとされる。首から下の臓器の機能低下を検知し……血圧の調整及び緊急輸液、痛覚信号の遮断を行う。
 首を切断されても意識を鮮明に保つことは可能だが、その状態ではどちらにせよ、2分と保たずに死亡する。医療現場用のサイバネ改造だ。

「あの筋肉野郎には私の『腕』で勝った。」

 あの戦いを、今も思い出すことができる。ライフルの直撃をも弾き返した薪屋武人と名乗る男の、鋼を超えた筋肉の鎧。
 ……その力すらも凌駕する、両手と両足を切断された、持たざる者の『腕』の出力を。

「力だ。私の『腕』は……わかるんだよ。失えば失うほど、強くなる力なんだ。もっと遠く、もっと力強く――戦場がどこだろうと、始まった直後に全部薙ぎ払っちまえば、簡単じゃねえか!」
「本気で言ってるんじゃないよな。」

 蝦夷トウキビの茶色いペーストが乗ったトレイを手に、くたびれた男があらわれた。
 怒っている。その焦りと不安の表情を上目で少しだけ眺めて、灰被深夜は満足する。

「確かに金は払われた。でも、考えろよ。得体の知れない連中の娯楽のために、お前がそこまでやるか? 試合開始直後に自分の首をぶった切るなんて真似を?」
「金がもらえるなら、尚更やるぜ。どうせこんな風に治るんだ……切り売りして金がもらえるなら、むしろ安いもんだ!」
「あのな、お前のそういうところ……」

 ゴドーは、そこで一度言葉に詰まって、自らの額を叩く。

「……見たくないんだよ。俺が見たくない。もっと自分を大切にしてくれよ。」
「は。」

 口元が歪んだ笑いを浮かべる。本当に、この男は情報屋のくせに救いがたいお人好しだ。
 我が物顔で部屋を占拠されても、文句ひとつ言わずに。いくら下着姿で誘惑しても、指一本触れない。
 何より、こんなクズの自分に、構ってくれる男だった。

 そして灰被深夜は、そう言ってくれることを分かっていて、こんな話を切り出すのだ。そういう人格をしている。
 自分はこの男とは違う、心の底からのクズだ。ゴドーに構われようと口を開くたびに、何か彼の助けになろうとするたびに、その現実だけが、際限なく灰被を汚染していく。
 肉体を自虐し、失うたびに強くなる力。決して誇られることもなく、名付けられることもない魔人能力は、あるいは灰被深夜の、決定的な自己否定の具現であるのかもしれなかった。

「ははっ。冗談だよ。うろたえやがって、バカみてえだな。」

 灰被は、バカにしたような嗤いを浮かべた。そうでもしなければ、彼方にちらつく希望に押し潰されそうな気がしている。
 情報屋は長く深い溜息をついた。

「お前、お前な……。もうちょっと、真剣に考えてくれよ? 今はもっと、現実的な準備だ。300万で集められる情報と、それと武器か……お前の場合はライフルより、指向性地雷とかの方が向いてると思ってる。『腕』で設置できるからな。」
「ああ、情報ね。前回の参加者の戦いは公表されてるから、事前に居場所を調べてやっちまうのもありか?情報屋なら簡単だろ?」
「だから、勘弁してくれよ……。前みたいな真似をしないで済む戦いを考えるんだ。協力してくれ。」

 弱り切ったように音を上げるゴドーを尻目に、少女は下着の上に灰色のローブを羽織って、外出の準備を整えている。
 自分はクズだ。決心が揺らがないうちに、行動できたほうがいい。

「なあ、前々から言いたかったことがあったんだけど。」
「……なんだよ?」
「お前の料理、マズすぎ。」

 蝦夷トウキビのカップをテーブル上に残したまま、灰被深夜は彼の部屋を後にした。



 季節にかかわらず、蝦夷の気候はそこに住む者達の心と体を苛む。
 金属フレームから義肢の接合部に伝う冷気を憎悪しながら、灰被深夜はひとつの目的地に向かっている。

(……ゴドー。悪いけど、決めたよ。)

 吹雪の中を歩む彼女の懐には、賞金の300万円があった。タケダネット体制下でまともな人生を勝ち取るためには、あまりにも心もとない金。
 この金で、生命維持装置(バックアップ)の手術を受ける。

(こんなチャンス、二度とあるかわかんねえ。クソ金貸しの契約からも逃げ出せる。殺し屋なんてやらずに済む。)

 それを再確認するように、心の内で呟く。優勝すれば、賞金は2億。
 一人だけではない。二人を人生のどん底から救って、それはあり余る額だ。

 二人、救うことができる。灰被深夜にとって、それが何よりも大切な事だった。

(そうしたら、私はクズじゃなくなるかな――)

 生身の左手に息を吹きかけながら、灰色の少女は、やはり灰色の天を見上げた。
 少しでもマシに。ゴドーに頼ることなしに、自分や誰かを愛することのできる、自分のための人生を。

 荒んだネオンの光と、墓標のような電柱が立ち並ぶススキノの市街の中で、それは途方もない夢想に思えた。

 幼い頃からずっと、灰被深夜の彼方にちらつく希望だった。

「おい」

 呼びかけが響いて、灰被は電柱のひとつを振り返った。
 白い幕のように、雪が夜の光景を透かしていた。
 子供が立っていた。

「ガンバーストしろよ」



『爆闘!ガンバースト』第31話 ビッチのクズをブッ潰せ!
(※予告タイトル『タケダネットをやっつけろ!』は都合により差し替えとさせていただきます)

 悪名高い暗黒の繁華街! 蝦夷ススキノ!
 ただでさえ極悪外道たる冒険者どもの中、さらに最底辺の獣達が集う……現代のソドムだ!

「グダグダとテメェ!! さっきからよ~~!!」

 そして、問答無用で殴りかかっているのはご存知紅崎ハルト!
 毒蛾の如きネオン光の中、一際明るく輝く火炎流! ブレイズマックスのオーラが具現化した炎のレオパルドだ!

「辛気くせー話ばかりしてんじゃね――ッ!!」
「ゲャアアアアア――ッ!?」

 圧倒的爆風に吹き飛ばされ、灰色ローブの女が吹き飛び、薄汚れた雑居ビルの窓を爆砕!
 言い忘れていたがこの少女こそ武闘会参加者リストに連なる一人であり、ハルト同様に一回戦を勝ち抜けた強敵、その名も灰被深夜であった!
 もちろん、戦闘前にガンバトル殺してしまえば関係ない! これが自由な感情による体制への反逆……冷たいシステムへの反逆だ!
 ヨー、人々! サイバーパンクっていうのは、こういうことなんだぜ!

「ケヒャア……! さすがはハルトくん、出会い頭に一撃殺害ィ~~ッ! これではやくも皆殺しまで残り13人でヤンスよ~~ッ!」

 その後ろをヒョコヒョコとついて回る、クズ! 生理的に嫌悪を催すこの出っ歯の少年は、紅崎ハルトの友人を装う獅子身中の虫! 安田ケヒャ郎だ……!
 そして、何故彼ら2人がこんなド辺境の蝦夷くんだりまで飛んできてしまったのかを、今一度説明せねばならないだろう!

「行き先もよくわからずにポータル装置? だかを使ったらよ――ッ!! なんかデフォルト設定で最北端の蝦夷まで来ちまったぜ~~!! 蝦夷はほぼ日本じゃねえしガンバーストも流行らねえ辺境なので、最高に許せねえ!!」
「そしてボクはハルトくんを現地でサポートすべく、親切なパイロットさんから飛行機を貸してもらい……ここまで辿り着いたというわけでヤンス……どのような人間であれススキノはそれを受け入れるので、侵入はと~~っても簡単だったでヤンスよォ……ケヒィ……!」

 そういうわけなのだ!

「まあ、どのみちリストの連中の身元を洗い全滅させる予定だったでヤンスし、最北端からシラミ潰しできて好都合でヤンス! ……ハルトくんどうしたでヤンスか?」
「ちくしょう……今のビッチ野郎……!!」

 おお! 卑劣なことだけが取り柄のクズ野郎とは違い、紅崎ハルトは一撃を食らわせた際のかすかな違和感に気づいていたか!
 ほんの一瞬、女の体を逸れるような動きを見せた炎の流れ! なんらかの不可視力場で咄嗟に防御し、爆風のみのダメージに留めたか……!? さすがは一回戦を勝ち抜いた猛者! 灰被深夜の秘める、謎めいた強さの正体とは如何に!?

「ガンバトラーじゃねえ!! 2連続でガンバトラーじゃねえぞ!? どういうことだよ……!? ポータルを使えばガンバトルできるんじゃなかったのかよ~~ッ!!」
「ハ、ハルトくん……」

 紅崎ハルト、やはりかすかな違和感には何ひとつ気付いていなかったが……。根っからのガンバトラーである! 最強のガンバトラー『ガンマスター』だけが、紅崎ハルトの目標なのだ!

「ちくしょう、欲求不満だぜ!! もう誰でもいいからガンバトルしたい!! ガンバーストで勝負しねえ奴らは全員許せねえ!!」

 そうだ……殺せ紅崎ハルト! 街ごと焼き払えば灰被深夜の生存確認の必要性なし! ついでにこの裏切り者のクズを始末すれば一石二鳥よ! お前はどこまでもガンバトラーだ……! ガンバトラーの勝負は、ガンバトルあるのみ!!

「ウオオオオなんだか許せねえ――ッ!!」
「ヒィーッススキノ壊滅の危機!」



「あ……はは。ああ」

 ……左手。
 薬指から先が焼け飛んで、熱波に醜く爛れた白い生身の指先を、灰被深夜は呆然と眺めていた。
 放棄されたバーのようだった。オカマバー『エルフェンルージュ』。ここはススキノ。闇に飢えた獣達の集うサバンナ、ソドムの市……

「なんだこれ……これ、私のせいなのかよ……」

 ――そう灰被深夜!
 やはり油断ならぬ一回戦突破者……! しぶとく生き存らえ、半廃墟雑居ビルの中で、反撃の策を巡らせようというのか!?

「……また……あいつを困らせたから……」

 なんということだ……! しかもハルトはこいつの生存を知らない!
 先ほどの一撃、ベテラン冒険者に相応しい反応速度は敵ながら見事! 奇襲作戦は失敗か……!?

「なにが……タケダネットだ!! なにが武闘会だ!! なにがススキノだァァ~~ッ!! ウオーッ!!」

 窓の外からは紅崎ハルトの怒声が響く! 奴の声はとにかくでかい……! 疲れ知らずの雄叫びだ!
 黙れハルト! ススキノごとこのビッチを始末する作戦が漏洩してしまう!

「は。させねえよ……どんなにクズの……弱肉強食の、サバンナだろうと……」

 義肢で這いずるように、灰被深夜はカウンターへと向かう。錆びたナイフを取り出す。……この女の能力とは!?

「底辺の獣だって、噛み付くんだぜ……!」

 首筋にナイフをあてがう。
 こ、このビッチ……! 自らの死は避けられぬと見て、ハルトだけでも巻き添えに殺害するつもりだとでもいうのか!?
 なんという悪逆非道! 潔さの欠片もない、冒険者らしい往生際の悪さ!
 これがこの女の、クズとして生き抜いてきた故の精神性の強みか……!

「……あいつだけは……殺させや――」

 自らの発する言葉をかき消すように、首筋のナイフに力が入る。
 灰被深夜! 命と引き換えの最終攻撃か! 危うしハルト――ッ!!



 ――次の瞬間、ビルの体積の大半が爆砕した!!
 紅崎ハルトも安田ケヒャ郎も、それを目撃した! 瓦礫の粉塵を纏いその透明な輪郭を露わにする……市街のどの構造物よりも高く聳える、ひとつの巨腕を!

「ヤ、ヤンス~~ッ!?」
「こ、こいつはァ~~ッ!?」

 二人の小学生、同時に驚愕!
 灰被深夜がハルトを道連れにすべく発動したこのパワー、さぞかしとんでもない破壊力であるに違いない!

「まさか、これは……灰被深夜の! あいつ生きてやがったでヤンス!」
「こいつは……こいつは……!!」

 その威容を前に、紅崎ハルトの様子がどこかおかしい!
 ブルブルと震え、立ちすくんでいる……!

「どうしたんでヤンスかハルトくん!? とっとと逃げないと二人ともお陀仏でヤンス! ハルトくんは普通に死なないかもしれないけど……」
「こいつは……ウオーッ!! 灰被深夜の!!」

 だからそう言っているだろうが!?
 だが紅崎ハルトは恐怖ではなく歓喜の叫びに、瞳を輝かせていた!

「灰被深夜の……ガンバースト共鳴現象だと~~ッ!?」
「ヤンスー!?」

 そ、そういうことだったのか……!

 この透明な腕は、言われてみればガンバトラーがガンバーストと心身合一した際にあらわれる摩訶不思議なオーラに他ならぬ! 本人の精神力次第で破壊力が際限なく増大するという特性も……確かに、頷ける……!!
 思えば、彼女は能力名すら不明な参加者! 正体不明の力で勝ち上がってきたが……その力の根源は、やはりガンバーストだったのだ!

 希望崎学園武闘会第一回戦突破者! 油断ならぬ灰被深夜は……紅崎ハルトに匹敵するガンバトラーだった……!!

 この思わぬライバルの出現に、ハルトの精神ボルテージは無論圧倒的急角度で上昇! コンマ2秒にしてテンション量が限界に達する! お前は……やはりお前は、最強のガンバトラーだ! 紅崎ハルト!

「ウオオオオ――ッ!! テンション爆発!! 熱血全開!!」
「ハルトくんのいつもの口上でヤンス!」


「ガンバトル……レディ・ファイト――――ッ!!!!」


 激突!! 極大爆発!!
 悪徳都市ススキノは今、ガンバトルの炎に包まれた……!!




 ――いつか、揺り籠に揺られていた記憶がある。

 偽りの愛情を注がれて、育っていたころの記憶。
 揺蕩う意識の中で、少女は自らの体が揺られているのを感じていた。

「深夜」

 聞き慣れた声。あるいは、その名前を呼ばれることを望んでいたせいで聞こえた、幻聴だったかもしれないけれど。
 なんだよバカ、と答えようとして、酷く喉が傷んだ。

「本当に、バカだな。いつもいつも……自分だけで行っちまってさ」

 焼けた地面を靴が踏む音。ススキノは、あいつの町は、どうなっているだろうか。
 きっと、守れなかったのは確かだ。命を賭した力で挑んでも、所詮それはクズには不釣合いの覚悟だった。
 腕は中途半端に消えた。熱すぎる火の感触だけを覚えている。

「まだ、大会の参加者だろ。不戦敗になるかもだけどさ……治療してもらえないか、希望崎学園に頼んで――」

 ああ、くそ……。
 こんな体じゃ、お前に抱かれてやることもできない。

「……いいや。俺は、赤時雨ゴドーだ。交渉で負けるつもりはねえ。……絶対に、治してやるから」

 声だけが聞こえる。魔法が解けて、何もかもを失ったシンデレラみたいに、目すら見えない。
 またお前に構われている。

「生きてて……良かった。ありがとう。深夜」

 ――バカ。

 やっぱりお前はお人好しのバカだ。

 ……さっきも、お前の顔を思い浮かべたせいで。
 刃が途中で止まっちまったんだよ。



 ――こうして紅崎ハルトは、生きる価値のないビッチのクズ冒険者女を見事ブチのめした!
 これで残るターゲットは13人……! 否! 裏切り者のカス野郎を含めれば14人か!
 この日本に暮らす限り、誰も紅崎ハルトのガンバトルを止めることは出来ない!
 皆殺しだ! 震えて眠れ、武闘会参加者ども!

次回、『爆闘!ガンバースト』第32話 裏切り者を処刑せよ! ガンバトル――レディ・ファイト!!
最終更新:2016年07月10日 00:15